2017年03月

     タルムードとは何か?

     ユダヤ民族の概観

     現代の学問的到達点によれば、最初の文明が発生したとされる中東、チグリス・ユーフラテス流域に人類が大規模に居住を始めたのは10000年ほど前だったとされる。

     歴史学者の大半が勘違いしてるのは、当時の中東からサハラ、北アフリカは、決して砂漠地帯ではなく、全域が広大な針葉樹林に覆われていて、豊富な水と石灰岩、狩猟動物の宝庫であり、地球上でもっとも豊かな大自然に恵まれ、これによってヒッタイトの製鉄、フェニキアの海洋交通を支えた事実である。
     当時、中東は天国に近い恵まれた土地であった。

     初期に流入した民族はシュメール人といい、いくつかの王国を形成していた。
     4000年前に興ったとされる旧約聖書に描かれた文明は、メソポタミア文明と名付けられているがシュメールとの関係ははっきりしない。

     彼らが、どこから来たかは未だに謎のままだ。

     プラトンは、1万年前にアトランティス文明が滅亡したと詩編に書いている。ちょうど、同じ時期にシュメール文明が興っているのは、関連があると考えるしかない。
     明らかな縄文様式の遺跡も、この時代に証拠があるので、全地球規模で大規模な民族大移動が起きた巨大な気候変動などの事情があったのだろう。

     エジプト文明や地中海文明は、アトランティスの沈降により逃げ出した人々が築いたという説も高い信憑性があると私は考える。
     木内鶴彦は、1万年前に巨大な彗星が地球に接近し、莫大な水を地球に明け渡して衛星になったと述べている。これは月のことだ。
     このとき、未曾有の大洪水=気候変動がアトランティス沈降や民族大移動を引き起こした可能性が強いと私は考えている。

     ホピの予言によれば、現代文明は、人類発祥以来、4回目の文明であると伝承されていて、人類は滅亡と発展を何度も繰り返してきたというのが正しい答えかもしれない。

     その人類が、どこから来たかというと、高橋信次は土星の裏側にある星とか、スバル座のプレアデス星とか言っている。
     プレアデスにいた人類が霊的存在になって地球にやってきたと主張する人は、高橋以外にも少なくなくて、なかにはプレアデスから来た霊団は爬虫類人になったとか、龍の文明を伝えたとか主張する人もいる。

     これは3億年前のことであるらしい。
     最初、プレアデスの霊魂は、鉱物、次に植物、そして動物と物質的肉体が進化し、やがて人間になったという。
     完全な人間になって数百万年のうちに、すでに4回も文明は生成と滅亡を繰り返したわけだ。


     それからの出来事は、旧約聖書の創世記に描かれている。

     ノアの大洪水があったとされる記録は、現代科学からみて、たくさんの証拠があり、創世記の記述が間違いでないことは明らかだ。

     この洪水は五千年前とされ、1万年前、アトランティスを滅亡させた巨大水難とは伝承の時代が異なるが、何か関係があるのかもしれない。
     あるいは、大洪水の伝説が、そのまま創世記に用いられたのかもしれない。
     もし別の洪水であるとしても、おそらく同じように地球に接近した彗星が、莫大な水を地球に降らせたのではないだろうか?

     ノアは、どんな人物かはっきりしていないが、箱船に乗っていた息子のセムが中東の人々の先祖になったと書かれている。
     これをセム族といい、どうやら白人系(コーカソイド)ではなく、髪も瞳も漆黒のモンゴロイドであったらしい。

     メソポタミアのセム族の中から4000年くらい前にアブラハムが登場し、その子孫がユダヤ人やアラブ人になったことになる。
     アブラハム=エイブラム=イブラヒムは旧約聖書を信奉する世界、30億人の人々のなかで歴史の始祖としてもっとも著名であり、リンカーンはじめ、この名を授けられた人は非常に多い。

     当時の(メソポタミア地域に住んだ人々の)人相を科学的に復元してみると、ローマ時代あたりまで白人の影響はなく、ちょうどバスク人のような特徴を持ったモンゴロイドだったようだ。
     今でもセムの末裔とされるスペイン人(スファラディ)は、黒髪、黒い瞳でゲルマン系・ケルト系の西洋人からかけ離れている。
     
     ユダヤ人が今のようにコーカソイド白人になったのは、奈良時代に黒海沿岸にあったハザール王国が、国防上の理由から国民全部ユダヤ教への改宗を宣言し、シオン(パレスチナ)を聖地として移動を行って混血(アシュケナジム)したからだとも言われる。

     少なくともローマ時代まで、明らかにモンゴロイドに近かった証拠が当時の遺体などから明らかにされている。
     ミケランジェロのダビデ像(イスラエル二代目国王)はコーカソイドの容姿だが、これはギリシャにいた彼らの想像だけで作ったせいだろう。
     ギリシャ・エーゲ海文明とパレスチナ・ヘブライ語圏の文明は、明らかに異人種による異文明であった。

     3500年くらい前、メソポタミアにいたセム族は、石造技術者としてエジプトに厚遇されて移住した者が多かった。だが、後に王朝が変わると、今度は迫害されて奴隷として使役されることになった。

     この人々は、特別の石造技術を持っていたとされ、エジプトのピラミッド製造にかり出されていた。

     この中からモーゼが登場し、石造奴隷のうちでヘブライ語を話す一群の人々が、ファラオの命令で乳児を殺されることを恐れて、モーゼに従って海を渡り、シオンの地、イスラエルに逃げて、そこに王国を築いた。
     これが超有名な歴史事件である「モーゼのエジプト大脱出」である。

     これが現代にまで至るイスラエルの歴史の第一歩となる。

     このとき、モーゼは十戒を刻んだ石版と、いつでも空腹を満たせるマナの壺、予言者アロンの杖を持ち、「契約の箱」と呼ばれる御輿に入れて運んだ。
     これが「三種の神器」として現代に至るまでヘブライの民の最高の宝物となる。

     なぜか天皇家の三種の神器も類似していて、草薙剣(アロンの杖)、八咫鏡(十戒石版)、八尺瓊勾玉(マナの壺)に対応することから、古代神道がヘブライの伝説と大きな関係を持っていることが示唆される。

     日本における神道系祭祀は「祭り」として現代にも大きく残っているが、大半が御輿を神社に納めるスタイルであって、これはイスラエル最大の神事としての契約の箱(聖柩)を幕屋に納めるユダヤ神事とまったく同じといってもよい。

    http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/091shintou.htm
     
     イスラエルの最初の王はサウルと言い、3000年くらい前の人であるらしい。次にダビデ王、そしてソロモン王と続き、初期イスラエルは強大な国家となり繁栄を極める。

     ソロモンの子、レハブアムが第四代イスラエル国王に就任すると、冷酷な国家主義者となり、民に大きな事業の負荷を強いて疲弊させ、国民から嫌われ、イスラエルは二つの国に分裂してしまう。
     レハブアムの君臨する南ユダヤ王国と、反対者のヤロブアム率いる北イスラエル王国である。
     これは2900年前のことだ。

     南ユダ王国はレハブアムの傲慢で独善的な治世により荒廃し、エジプト軍の侵略を受け、事実上の属国となってしまう。
     王子であるアビヤムも、父の愚政を踏襲し、国力を疲弊させるばかりであった。

     北イスラエル王国も、次第に力を失い、周辺強国から度重なる侵略を受けて、どんどん崩壊してゆき、ついに、2700年前、アッシリアの侵略によって首都が陥落し、バビロンに住民が連れ去られて国としての体をなさないほどの崩壊に至る。

     このとき、北イスラエル王国を形成していた12部族のうち10部族が行方不明になり、「失われた十支族」と呼ばれるようになる。

     彼らが歴史から消えて、どこに去ったのか?
     日本人のルーツも含めて壮大な驚天動地の物語が待っている。

     「イスラエルは三度滅ぼされた」
     といわれる最初の滅亡が、2700年前のアッシリアによる侵攻であり、二回目が2600年前に起きた、新バビロニアのネブカドルネザル王による南ユダ王国民の民族誘拐事件であり、三回目が2000年前のローマ軍による侵攻であった。

     バビロンによる大誘拐事件は「バビロン捕囚」として歴史上知られている。
     このことが現代社会にとっても、もの凄く重要な意味を持つので、読者はぜひ深く記憶されたい。

     紀元前586年、新バビロニアのネブカドルネザル王はエルサレム神殿を破壊するとともに、南ユダ王国を滅ぼし、住民の大半をバビロンに移住され、石造技術を持っていたといわれるユダヤ人たちを使って、著名な空中庭園はじめバビロンの壮大な石造建築を作らせていた。

     総勢は1万人を超えていたといわれ、後に紀元前537年、ペルシャ王キュロスのバビロン侵攻の際に、故郷エルサレムに帰還することを許される。

     バビロン幽閉期間は50年に上り、ユダヤ民族は4万人に増えていた。このときキュロス王の援助を受けてエルサレムに帰還した人々は、バビロンの奴隷も含めて20万人を超えていたと聖書脚注に書かれている。
     
     実は、この事件こそ、現代に至るユダヤ人の恐怖を感じるほどの民族的優越感を醸成した原因となっていて、ユダヤ教徒の教典であるタルムードの恐ろしい傲慢さは、この幽閉時代のアイデンティティ共有から生まれたものであると考えられる。

     ユダヤ教が形を整え始めたのはダビデ王が最初の教典、タルムードを編纂してからで、これをパレスチナタルムードと呼んでいる。

     内容はモーゼが十戒を補足するための教典として示したもので、十戒同様、至極まともな人生の知恵を教えるような指南書といったイメージであった。

     ところが、バビロン捕囚時代、半世紀にわたって幽閉されているうちに、民族的アイデンティティが忘れ去られ、名前もバビロン風にする者さえ現れたことで、エルサレム再建を願うユダヤ人たちには大きな焦りがあった。

     エルサレムを忘れないために、自分たちは神に選ばれた特別の民であり、必ずシオンの地に帰還する使命があると教育洗脳する必要を感じ、旧約聖書とともにタルムードをユダヤ民族のアイデンティティとしたのである。
     これをバビロニアタルムードと呼んでいる。いわゆるシオニズムも、ここから発祥したと言われる。

     バビロニアタルムードとは?

     現代のユダヤ教徒の教典も、基本的に旧約聖書とタルムードを用いるが、このときのタルムードはパレスチナではなく、このバビロニアタルムードである。
     二千年以上もの長い間、公開が禁止され、ユダヤ教徒の中だけで読まれ続けてきたが、近年の情報交流の中で、とてつもなく恐ろしい内容が世界に知られるようになった。

     特徴を言えば、ほぼ狂気の沙汰と評するしかない凄まじい選民意識であり、恐ろしい傲慢と冷酷である。
     全編を通じて、ユダヤ人の律法を定める形式になっていて、つい数十年前まで門外不出、ユダヤ教徒以外の者が見ることは厳禁されていた。

     我々が驚愕するのは、その極度の卑劣さである。この世に、これほど悪魔的で汚い民族が存在するのかと、正義感の強い大方の日本人がびっくりするだろう。

     タルムードにおける極端な選民思想を象徴するのが、ゴイムという言葉である。
     ゴイとは非ユダヤ人=家畜ブタ。ゴイムというのはゴイの複数形。
     ユダヤ人だけが神に選ばれた人間であり、他の人種は、すべて家畜にすぎないというわけだ。

     ユダヤ人(米国籍)であるデーブスペクターが、討論番組で檄昂して、相手に対し「ゴイ!」と怒鳴る姿を見た方も少なくないだろう。

     いくつか引用してみよう

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     ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。
     あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべて の民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
     人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。

     神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。
     汝らは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。

     「汝殺すなかれ」との掟は「イスラエル人を殺すなかれ」との意なり。ゴイ(非ユダヤ人)、異教徒はイスラエル人にあらず。

     ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。

     ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。

     他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。

     ゴイに我らの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイが我らの教説を知ったならば、彼らは公然と我らを殺すだろう。

     ゴイが我らの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなことは誓って書いてないと言わなければならない。

     涜神者(非ユダヤ人)の血を流す者は、神に生贄を捧ぐるに等しきなり。

    (「世界の真実の姿を求めて」より引用)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     一般に公表されているタルムードの文面の大半は、ダビデの編纂したパレスチナタルムードだけであって、バビロニアタルムードに書かれている、こうした目を剥くような恐ろしい文言は、どこにも出てこない。
     この種の、とてもじゃないが正視できないような文言は、他教徒には絶対に教えてはならないと隠されてきたものであり、我々が真実の情報を知り得て、まだ30年程度しか経っていない。
     インターネットの普及によって、隠しきれないで暴露されたものなのである。
     ユダヤ教徒にとって、本当のタルムードとはバビロニアタルムードなのであって、その本心、正体を示すものである。

     ユダヤ教徒は、必ず二面を持たなければならない。外への見せかけは他民族他教徒を尊重するかのようなフリをしながら、内実は、彼らをゴイム=家畜と蔑視し、殺しても騙しても罪を負う必要はないと断言し、むしろ積極的に秘密裏にキリスト教徒の財産を奪えとまで書かれている。

     実際、中世〜近世のユダヤ教徒は、本当に、キリスト教徒の子供を騙して集め、集団虐殺したと伝承されていて、このためにボグロムという復讐の大虐殺にたびたび遭った。
     ユダヤ人を民族浄化にかけるような激しい憎悪は、子供たちを殺害しても、絶対に自分たちがやったとは言わず、あの手この手で隠蔽する卑劣な姿勢にもあっただろう。

     ボグロムは17世紀に規模を増し、欧州ユダヤ人は、いつでも襲撃の恐怖に脅え続けなければならなかった。
     そこにアメリカ新大陸移民の話が飛び込んできて、多くのユダヤ人が清教徒となってアメリカに渡り、アメリカ合衆国を建国したともいわれる。

    http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc100.html

     つい最近も、アイルランドやカナダの古いカトリック教会の敷地内から、数万人を超える夥しい子供たちの死骸が発掘され、多くは性的拷問を受けていた。
    http://www.afpbb.com/articles/-/3016854

     カトリックはキリスト教だからユダヤ人とは何の関係もないと安易に信じてはいけない。カトリック司祭の8割がユダヤ人で占められている。
     これはユダヤ教徒がキリスト教徒のフリをして、子供たちを生け贄にして殺害する儀式を行ってきたことを意味する。

     もちろん、こんなことをユダヤ教徒が認めるはずもなく、絶対に自白しない。
     イギリスでカトリック教会から多数の子供の虐殺遺体が発見された事件は、イギリス特権階級の黒魔術の儀式とも関係しているらしい。
     その大半がユダヤ人であり、チャーチルでさえユダヤ人であった。

     「ユダヤ人はウソをつく」
     これは個人や本人が悪いというのではない。教典であるタルムードに指示されたとおりに宗教的信念に基づいて生きているからなのである。

     どんな悪事を働くときも絶対に正体を現さないで影に隠れて実行するのである。
     見つかって責められてもシラを切り通す。

     国家を支配する場合でも決して表舞台には登場せず、まずフリーメーソンのような上級特権市民クラブを組織し、その人間関係から中央銀行を支配し、通貨発行権を手に入れることで、その国家を経済的に支配するのである。
     表向きは、国家を誰が支配しているのか、絶対に分からない仕組みである。

     この種の異常な、悪質というしかない人間性は、イエスの時代、新約聖書にもたびたび表現されている。

     ユダヤ教徒の主流をなすパリサイ人に対し、イエスは「マムシの子ら」と激しい憎悪をもって糾弾している。

     パリサイ人は律法学者とも呼ばれ、ちょうど現代のイスラム原理主義者のように、タルムードを厳格に解釈し、書かれている通りに生きることを強要した勢力だが、それが上記に紹介したような凄まじい傲慢と独善であれば、イエスでなくとも激怒したであろう。

     【「イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。『『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。』」(マルコ福音書11章18節)】

     イエスが一番激しく怒ったのは、手数料を取る両替商や市場で金を貸して金利を取る銀行のようなシステムを作ったことだという。
     パリサイ人は通貨を支配し、発行権を握り、経済支配から国家支配を行おうとした。

     後に、彼らの末裔であるフランキスト派の中からロスチャイルド一族が登場し、世界中の通貨発行権を握って、世界資産の大半を保有操作するに至るのだが、話が長くなりすぎるので、各自で調査していただきたい。

     現代に至っても、パリサイ人の末裔たるユダヤ教徒が世界経済を掌握しているのは間違いのないことで、その主役がユダヤ金融資本であり、中核にいるのがFRBである。
     そして、その思想は、タルムードの恐ろしい独善から一歩も進んでいない。

     すなわち、ユダヤ教徒というのはタルムードを教典とする人類最長、最悪、最大の悪魔的カルト集団である。

     それはアメリカ国家を支配し、母国イスラエルを守るための道具に使っていて、米政府の機関であるはずのCIAも事実上、ユダヤカルトが支配している。
     世界中の政府をCIAによって監視し、自分たちの都合のよい政権を作ってきた。

     もちろん戦後自民党政権も、すべてCIAが関与している。

     岸信介・正力松太郎・中曽根康弘は明確にCIA工作員であった証拠が存在している。
     これを排除しようとした田中角栄は、逆に自分が冤罪に堕とされ政界を追放された。
    もちろん安部晋三政権もCIAが不正選挙によって作り出した操り人形にすぎない。

     アメリカがユダヤカルトに乗っ取られていることは、米国憲法1−5に書かれた通貨発行権は連邦議会に属するという文言が、ユダヤ私的銀行集合体にすぎないFRBによって破られ、米国通貨発行権の利権は、すべてユダヤカルトに所属している現実だけでも分かる。

     その端的な証拠が、1ドル札に描かれたピラミッドと目玉で、これがユダヤカルトがその国の経済を支配しているという宣言であるといわれる。
     もちろん日本の千円札にもピラミッドと目玉が描かれている。野口英世の目玉を透かしてみれば誰にでも分かる。

     ユダヤカルトによる金融支配に異を唱え、通貨発行権を米国議会に戻そうとした四人の大統領、リンカーン・ガーフィールド・ハーディング・ケネディは全員、任期中に殺害された。

     ユダヤカルトの支配する通貨に勝手に手をつけた小渕恵三は、在任中に、たちまち殺害された。大平正芳もそうである疑いが強い。

     こうして歴史を見渡せば、イスラエル国を運営するユダヤ人が、パレスチナ先住民をガザに押し込め、非人道的な恐ろしい虐殺を繰り返している本質が浮き彫りになってくるだろう。
     それはタルムードの思想であり、パレスチナ先住民は、彼らにとってゴイム=豚にすぎないのである。
     それを支えているのが、アメリカ政府によるイスラエル支援であることも、アメリカが何者によって支配されているのかを示す事情である。

     バビロン捕囚は、故郷シオン、エルサレムに帰還することを民族的使命として、タルムードを暗唱させることで民族アイデンティティを確立しようとした。

     シオニズムとは?

    「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」
    創世記15:18-21

     「見よ、わたしは彼らを北の国から連れ帰り、彼らを地の果から集める。彼らのうちには、盲人やあしなえ、妊婦、産婦も共にいる。彼らは大きな群れとなって、ここに帰ってくる。」
    「エレミヤ書」31章8節

     「見よ、わたしはこの地をあなたがたの前に置いた。この地にはいって、それを自分のものとしなさい。これは主が、あなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた所である。」
    申命記1:8

     旧約聖書に書かれた、これらの記述を「神の言葉」と捉えて、ローマ帝国によって完全に失われたイスラエル王国の復活が約束されていると信じる勢力をシオニストと呼ぶ。

     パレスチナ先住民が、2000年以上にわたって平和に暮らしてきた土地に、ある日突然、ユダヤ人たちがやってきて勝手に開拓をはじめ、自分たちの領地であると宣言したのは、1800年代後半であったが、最初は、決して武力を背景にした傲慢な手法でなく、ある程度平和的な協定による移住もあった。

     ところがナチズムによる欧州600万人のユダヤ人大虐殺が起きて、恐怖に駆られた人々が、イスラエル建国に救いを求めて、第二次大戦後に大量に押しかけてきた。

     このユダヤ人大虐殺を仕掛けた者こそ、実はイスラエルへのユダヤ民族帰還を使命とするシオニストであったと、最近、あちこちで暴露されるようになった。
     欧州で高い経済的な地位に就き、安定した暮らしをしていたユダヤ人たちを、イスラエルに帰還させるには、なみたいていの力では無理で、大虐殺の恐怖を演出することで脅して帰還させたというのが真実であった。
     インターネットの普及から、たくさんの情報が整理されて伝わるようになり、真実が隠し通せなくなったのである。
     ナチスのホローコスト関係者に、たくさんのユダヤ人が関与していて、ヒトラー自身にもユダヤ人の血が流れていることが明らかになったのである。

     数十万人のユダヤ人が大挙してパレスチナに押しかけてきてキブツという共同体を作って生産活動を始めるようになった。
     こうなると、もはや平和的な手段でなく暴力的な手段で先住民を追い出し、土地を強奪するという方法がとられるようになった。
     多数のパレスチナ人が、侵略者に殺害され、反抗する先住民との膠着した争い続くようになった。

     そうして70年近くが過ぎて、イスラエル国家は近隣のイスラム国家が手を出せないほどの強国になった。
     それも当然である。イスラエルの背後には、世界最大の大金持ち、人類の金融資産の大半を手中にするロスチャイルドはじめ金融資本と、何よりも、ユダヤ人国家であるアメリカ合衆国がついているのだから。

     シオニズムは、まさにタルムードの異常な優越感をそのまま体現していて、パレスチナ先住民を家畜のように扱い、吐き気のするほどの傲慢で残酷な方法で、先住民の土地を強奪し続けている。
     ユダヤ人自身も、目的達成のためなら人殺しでさえ悪とみなされない思想によって、ナチス集団虐殺の犠牲になっている。
     地上にもし悪という言葉があるなら、彼らに捧げられるべきだろう。

     アミシャーブ

     ここで、最初に書いた「失われた十支族」について、日本人にとって、骨の髄まで凍り付くような恐ろしい話を書かねばならない。

     1975年、イスラエル政府は、国家プロジェクトとして「アミシャーブ」を発足させた。
     
     内容は、2700年前にアッシリア侵攻によって消えてしまったイスラエル十支族を探し出してイスラエルに帰還させるというものである。
     もちろん、シオニズムの項で述べた、聖書に預言された聖なる任務で、アビハイルというユダヤ教ラビを責任者として、すでに40年近い活動が続いている。

     すでにインド・エチオピア・中央アジアなどに十支族の末裔を発見し、イスラエルに帰還させている。
     だが、アミシャーブ研究者が一様に口を揃えて指摘するのは、実は十支族の要になるエフライム族など多くが日本にいる。天皇家は完全にユダヤ人であると言う。

     その証拠は、天皇を祭祀長とする日本神道の大部分が、実はユダヤ教を忠実にコピーしたものであること。
     あらゆる祭祀と儀礼がユダヤ教そのものだと彼らは言う。

     実は、天皇家自身の歴史のなかにも、彼らがユダヤ人の末裔であることを示唆する証拠がたくさん揃っている。

     天皇家は西暦300年〜600年前後に、朝鮮半島から移住してきた騎馬民族の子孫であることが明らかになっている。

     日本書紀に記録された弓月氏(秦氏)の大量移住を嚆矢に、百済武寧王の皇子と考えられる継体天皇など、数百年に渡って移民が記録されていて、彼らの先祖を辿ると、扶余高句麗から秦の始皇帝に遡り、さらに弓月=キルギスタンからシルクロードを経てメソポタミアへと遡る歴史が見えてくる。
     それはイスラエルの失われた十支族の痕跡と何一つ矛盾しない。


     「天皇家をイスラエルに帰還させる?」

     そんなことできるはずがない!
     しかし、もし日本列島に人が住めなくなったなら、天皇家は、どこに向かうのか?

     2011年3月11日、日本は巨大震災に見舞われた。
     
     この前に、震源地である日本海溝を掘削する巨大な調査船があった。
     笹川財団の建造した「ちきゅう号」である。
     私は、その乗組員の多くがイスラエル人であるとの記述に驚いたが、震災直後には完全に削除されていた。

     巨大放射能事故を起こした日本の原発を監視するシステムは、すべてイスラエルのマグナBSP社であった。この会社はイスラエルの秘密諜報機関モサドの直営企業であるといわれた。
     マグナ社は福島第一原発の原子炉近傍に監視カメラを設置していた。
     事故後、運転員は、あらゆる事故収拾システムが作動しなかったと証言していた。

     2017年になって、CIA日本駐在員であったスノーデンが
    「日本中のあらゆるインフラ=原発やエネルギー制御システムにモサドが開発したスタクスネットというウイルスを仕掛けて回った。もし日本政府がCIAに反逆すれば、たちまち、それが作動し、経済を大混乱させる仕組み」
     と暴露した。
     http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4767.html

     これだけの情報で「イスラエルがフクイチ事故を起こしたと」断言することには無理があるが、少なくとも、限りない疑わしさがある。
     笹川財団を作った笹川良一もCIAの日本工作員とみなされている。
     CIAとモサドが一心同体であることは世界の常識であり、アメリカのドラマNCISなどに出てくる。

     もう一度言う!
     もし日本列島が人の住めない地域になれば、失われた十支族の子孫である天皇家は、どこへ行くのか?


     ユダヤ金融資本とタルムード

     第一次世界大戦の頃、帝政ロシアをめぐってユダヤ人に関する怪文書が流された。
     「シオンの議定書」と呼ぶ。

     これが公開された当時は、ユダヤ教徒の悪質な支配プロトコルに憤る人々がたくさん出たが、やがてマスコミが「偽書」であると宣言することで、議定書に対する激しい怒りは風化していった。

     ここにプロトコル(議定書=方法論)のエッセンスを並べてみよう。

     人を支配するには金と暴力。
     自由(リベラル)という思想を利用せよ。
     目的は手段を正当化する=ゴイムは欺いてもかまわない。
     強者は何をしてもよい。
     ゴイムに本当のことを知られてはいけない。
     情報を支配せよ。
     代理人に代行させよ=我々に危険が及ばないように。
     キレイ事を言っておけば大衆は欺ける。
     恐怖で脅せ。
     ゴイム同士で争わせよ。
     ゴイムには嘘を教えて惑わせよ。
     ゴイム文明を破壊せよ。

     まるでタルムードの真髄をそのまま並べたような内容で、今から見れば偽書でも何でもなくて、ユダヤ教徒=金融資本のやり口そのものである。

    http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/protocols.html

     これは故 太田龍が生涯をかけて整理して解説しているので任せたい。

     断片的に言えば、我々がテレビやプロ野球に夢中になってる事情は、すべて彼らの罠であり、政治や経済の本質から目を反らせるための仕掛けである。
     我々は、ユダヤ金融資本に奉仕するための家畜として飼育されているのだ。

     安部晋三という阿呆政治家を支持している大衆も、すべて計画的に育てられ洗脳されたB層の操り人形であって、我々の日常生活のすべてが、実はユダヤ金融資本の利権に組み込まれている。
     我々は、ユダヤ資本のために飼育された奴隷なのだと……




    美杉村の坂下さんを訪ねて(1999年著→2017年改訂)

     98年暮れも迫った12月18日の夜、私は美杉村伊勢奥津に隠棲する旧知の坂下晴彦さんを訪ねた。

     美杉村は三重県一志郡の山奥の村(2006年から津市に編入)で、津市や名張市・松坂市などから車で1時間以上かかる僻村なのだが、ローカル鉄道があるので近隣の同条件の村よりは恵まれているかもしれない。

     名前の通り、全村が1000m前後の山また山、植林・杉林が多く、花粉症の方には身の毛もよだつほど恐ろしい地域でもある。

     坂下さんの両親はもともと美杉村出身で、後に四日市市に出て、そこで育った。
     一家を構えてからは津市に居住したのだが、故あって夫婦離別した後、ふるさと美杉村に骨を埋める決心をし、故郷の集落に近い奥津の小さな空き家を借りて独りで住んでいる。

     二人の息子も独立して外国や地方に住んでいて、滅多に人が訪ねてこないのを私は知っているので、標準米を10キロと、少しの味噌と、野菜や牛肉を手土産に持っていった。

     独り暮らしは自堕落になりやすい。何事も面倒くさくなり、ろくに掃除もせず、あげくゴミのなかに棲息する風になりやすい。
     私自身がそうだからよく分かる。だから、たまに訪ねる客人が生活態度を立て直す良い刺激になるのである。

     風情のある竹林に囲まれた古い小さな借家は、美しく澄み切った雲津川に沿って、名張に向かおうとして果たせなかった名松線の終点、伊勢奥津駅の近くにあり、川沿いの借家の対岸にその線路がある。
     県道はバイパスが開通しているので、借家前の狭い旧道は昔と違って車もほとんど通らず、凍り付いたような静けさに満ちている。

     新月の夜、名古屋から車を飛ばし、ダンプの行き交う狭い街道を4時間かかって奥津にたどり着いた。
     借家の隣の空き地に車を停めてライトを消すと、周りは暗黒で何も見えない。
     本当に何も見えない漆黒の闇なのだ。見えるのはネオンと見まごうばかりの絢爛たる天の川ばかり。

    「これは困った」と思っていると、玄関を開ける軋んだ音がして灯りが漏れた。

     「ひさしぶり、元気でしたか」

     と、明るい嬉しそうな声がした。いつもの優しい声だ。

     「今日は、少しばかりの手土産を持ってきました、上等ではありませんが」

     「気を使わないでください。お風呂沸いてますからね」

     重い土産荷物を坂下さんに持たせて、珍しく表玄関から中に入ったが、戸が閉まらなくて閉口した。坂下さんが閉めると抵抗なく閉まった。

     築後100年以上経つ古い家の天井は低く、170センチくらいしかない。
     今時の大柄な青年なら、決まって鴨居に頭をぶつけるだろう。
     建築当時の、この地方の人々の背丈が伺い知れようというものだ。

     旧陸軍の徴兵官は、集められた青年たちの背丈や肉付きを見ただけで、彼が海辺の出身か山奥の出身かを間違いなく見分けられたそうである。

     海辺はタンパク質の豊富な食生活に恵まれ、地引網や漁船漕ぎなど力仕事が多いことから筋骨隆々の大柄な青年になる。
     対して山奥育ちの若者たちはタンパク質の食生活に恵まれず、全体に小柄だが敏捷な者が多い。
     農村部育ちは、豊富な食料があって体格も悪くないが、漁師町の若者ほどの引き締まった剛毅な体躯はなく、敏捷でもない。

     美杉の人たちは、知る限りでは大柄な者は滅多に見ない。奈良県に近い山奥の村の食糧事情がうかがい知れようというものだ。

     通り一遍の挨拶は抜きにして、「飲むでしょ、先にお風呂入ってよ」と坂下さん。

     「こちらこそ気を使わせて申し訳ない、それじゃ遠慮なく」

     風呂場は台所の脇にある。裏口を出たところに風呂釜の焚き口があるのを私は知っている。
     坂下さんは、周りの竹林の廃材や段ボールで風呂を焚いている。
     風呂桶は昔懐かしい五右衛門風呂で、と書いても若い人は知らないだろうが、風呂桶が鉄でできていて、ちょうどドラム缶の下から火をくべるように沸かすのである。

     当然、そのまま入ったのでは足裏を火傷するから木製の床がついている。豊臣秀吉が石川五右衛門を鉄釜で煮殺した故事に因んで五右衛門風呂と名付けられているのである。
     たしか、東海道膝栗毛の弥次喜多道中にも出てたような気がするが。

     ここの風呂は見た目は普通の家庭風呂と変わらないが、四角の風呂桶の大部分はコンクリートで固められ、やっと一人が入れるほどの穴が開いていて、そこに鉄桶が填め込まれている。

     オーバーフローした湯は上部の枠内に納まる仕組みである。穴が小さいので、体重100キロを超える人は、まず入浴不可能であろう。
     坂下さんも小柄な人だが、この地方の昔の人は本当に小さかったのだと思う。ゆったりとした浴槽に慣れた都会の私たちは、誰も面食らっておちおち入浴していられないだろう。

     入浴後、坂下さんは野菜と牛肉で鍋物をつくってくれて、昔話に興じながら、私は持参の薩摩無双を湯で割ってグイグイとやりだした。
     坂下さんは井筒赤ワインだ。冬の鍋には湯割りの焼酎が似合う。気持ちの良い時間が過ぎてゆく。

     居間のガラス窓から、雲津川の土手に生えている竹林が、室内のわずかな灯りに照らし出されて見えている。川は急な土手を20m以上下ったところにあって、せせらぎの音もここまでは聞こえてこない。

     そのとき「ゴトゴト、ゴー」という大きな音が響きわたった。一日に何本しか通過しない名松線の電車が対岸の線路の、小さな橋を渡っているのである。

     「名松線の運行も、あとどれくらい続くだろうね」

     坂下さんは困った顔をした。
     旧国鉄の有名な赤字線であった名張松坂線も、今では第三セクターの運営となり、細々と生きながらえているが、この不景気で累積する赤字の始末が問題になれば、どうなるかわからない。

     名松線が廃止されるなら、この鉄道を頼りに生活を築いている美杉周辺の人々の暮らしが取り返しのつかないほど凋落することは間違いないのである。
     20年ほど前、全国的に地方バス便の合理化ブームがあって、その後、「地方」が激しく崩壊していったことを思い出した。

     美杉村の主要産業である林業も、輸出産業の利益と引き替えに政府が輸入譲歩を重ね続けているために農産物同様、衰退の一途だ。
     台風による風倒木の処分が追い打ちをかけている。政府は大企業の輸出利益のため、一次産業に依存する地方を円高によって売り渡したといえるだろう。
     (2012年頃から円安と外材の高騰から、再び国産材の需要が高まり、美杉地区も至る所で伐採が始まって、山肌はみるみる風通し良く禿げてしまっている。)

     坂下さんは、ここに移り住んで、すでに10年になる。もともと写植屋を開業していたが、コンピュータの発達で需要が激減し、それでは食えなくなった。
     しかし、最初のうちは村内に家庭教師などのアルバイトが結構あって、不自由ながらも最低限の収入はあった。だが、数年前から村の経済が急速に落ちこみ、今では坂下さんの生活を支えてきた細々とした仕事も消えてしまったのである。

     そうした事情が一度に浮かんできたのだろう。急に口数が少なくなった。

     私が、この日、坂下さんを訪ねた目的のひとつは、かつて押しつけた私の古いパソコンに高速のインターネット・モデムをつけてメールのやりとりをしようと考えていたのだが、表情を見ていて私はそれを止めることにした。

     インターネットも月々数千円以上の経費がかかる。今の状態では、これ以上無用の負担を押しつけることはできないと思った。

     その日、気持ちの良いほろ酔い気分で、夜遅くまで語り合った。世界情勢や経済の見通し、この地方の民俗に至るまで話題は尽きなかった。

     私は興奮して
     「いま、莫大な負債によって政府の信頼が揺らぎ、エンゲルスが指摘したように国家が死滅しようとしている。これからは地方と百姓の時代が復活するのだ!」

     と酔った勢いで力説すると、

     「そう思って美杉村に帰ってきたんだけど、早すぎたみたいですね」
     と寂しそうに答えた。

     坂下さんは3DKの借家の大部分が埋まるほどの蔵書を抱えている。何かの話題が出るたびに、その情報の含まれた書籍を出してくれた。蔵書の整理は行き届き、正確に引っぱり出すことができた。

     坂下晴彦さんは1937年生まれ、京都大学で全学連に加盟し、60年安保闘争に携わった。
     三重県庁に就職した後は、三重県内で四日市公害訴訟や芦浜原発反対運動をはじめ、さまざまの住民運動に携わってきた。

     私との縁は芦浜原発反対運動だった。
     70年代半ば、最初は、名古屋大学の河田昌東さんが創設した反原発キノコの会に参加しようとしたのだが、行ってみれば、エリート意識の強い参加者ばかりに、ひどい違和感があって、とても一緒にやれないと思った。

     (2017年注釈=河田さんも、当初は名古屋市科学館のウランイエローケーキの展示が危険だとして公開中止させるなど反原発市民運動の旗手といえる存在だったが、だんだん「科学産業」側の利権に沿った立場に変わっていった。
     放射線ゲノムの研究を始めると妊婦研究員を参加させ、通算5ミリ以下の被曝だったから安全と発言したことで、私は河田さんに対し一気に不審が高まった。
     被曝に閾値など存在しない。5ミリを被曝した胎児には大きなリスクが発生することを知っていたからだ)

     各地の反原発運動の場で知り合った坂下さんは、いつでも心優しい誠実な人で、この人となら一緒にやってゆけると思ったのだ。
     そこで私は反原発運動への意欲を、彼が主導していた芦浜原発反対運動に傾注することにした。

     毎週のように芦浜原発予定地の紀勢町錦に通い、一緒にビラを投函しつづけた。

     坂下さんと、妻になった栄さんとの出会いも、市民運動だった。

     四日市公害訴訟などの運動のなかで、合成洗剤シャンプーの毒性に気づいて警鐘を鳴らそうとしていた三重大学医学部教員の栄さんと知り合い、結婚された。

     正義感に溢れ、誠実で親切な人柄は誰からも好かれ、坂下さんの存在が、この地方の反権力運動を行う人々にとって、どれほど心の支えになってきただろう。誰に対しても優しく、私利私欲のカケラもない人物である。

     「いくつになったんですか? もう知り合って20年以上になるけど、最初見たときと印象が全然変わらないですね、頭に白髪も出ないし、苦労が足らないんと違いますか」

     「私は、もう61歳ですよ。最近ね、やっと白髪が出てきたんですよ、ほら、これ見て」

     「ダメだね、それじゃ苦労色じゃないね。年相応に白く染めたらどうですか」

     坂下さんは私のために、布団乾燥機で寝床を暖かくしてくれた。やがて夜も更け、私たちは深い眠りについた。寒い田舎の一軒家だが、狭い部屋で二人で寝ると、とても暖かく過ごせる。

     翌朝、突然、バイオリンの美しい音色で目が覚めた。ブラームスだっただろうか。目覚まし代わりにCDをセットしてあるのだ。

     窓の外に、深い森のなかの爽やかで神々しい朝日が煌めいている。
     竹林の鮮やかな黄緑が朝日に透き通り、かぐわしい緑の香りが立ちこめているような気がする。
     坂下さんは、こんなすばらしい朝日のなかに棲んでいるのだと、ひどく羨ましく思った。

     坂下さんはとっくに起きて、私のためにパンを焼き、コーヒーを入れてくれた。昨日の夕刊と一緒に配達された朝刊を見ながら、コーヒーの深い香りに酔った。
     ここは水がすばらしく良いので、コーヒーも茶も、とても美味しい。

     外は朝日に輝く峰々が美しく、とても気持ちよかったが、私の車の窓ガラスは厚い霜にびっしりと覆われていた。しばらくエンジンをかけ放しでガラスを暖めないと出て行くこともできない。

     坂下さんの20万キロ近く走った軽バンも霜で真っ白になっている。軽自動車の維持経費は安いが寿命が短い。
     買い換えることができるだろうか。彼は、この車で芦浜に近い紀勢町の干物・鮮魚卸屋さんから仕入れて伊賀地方の反原発家庭に干物を配送しているが、利益がほとんど出ないボランティアになっている事情は、これを最初に始めた私がよく知っている。

     朝から、この地方の戦国領主である北畠氏などの話をはじめ、話題が尽きなかったが、窓ガラスの霜が解けた頃を見計らって、私は一宿のお礼を述べ辞することにした。

     「また、来てください。でも、本当に気を使わないでね」

     「いや、私が食い詰めて転がり込むときの布石なんですよ」

     いつもの暖かい表情で、いつまでも私の車を見送ってくれた。

     一志街道を走る帰路、心優しい坂下さんが夫婦別れした事情を考えていた。

     坂下さんたちが離婚したと聞いたとき、夫婦を知る誰もが、「あの夫婦が!」と絶句した。でも、私には思い当たることがあった。

     奥さんの坂下栄さんは、三重大医学部で検死解剖官として三重県下の不審遺体の解剖を一手に引き受けていた。
     合成洗剤に反対する市民運動の学者としても著名だったが、決して自分勝手な人ではない。
     やはり晴彦さん同様、優しく誠実な人だった。どこにも別れる理由などなかった。

     坂下さんの仕事先で、何か不倫的女性関係があったということを聞いたこともあるが、彼の性格を知る人なら誰でも笑い飛ばす程度のありふれたものだろうと思えたし、実際にそうだった。

     本当の原因は、もっと深いところにあると思えた。

     二人の仲を本当に引き裂いた、ある事件を私は思いだした。

     それは、とても人懐っこくて可愛い、真っ黒な飼犬クロのことだった。
     クロは高茶屋の坂下家に飼われて数年、飼い主に似て裏表のない素直な犬で、訪れる皆に可愛がられていた。ある日、クロに野良犬の恋人ができた。シロとしておこう。

     坂下夫婦はこのカップルを飼うことにした。クロとシロは優しい飼い主の元でのびのびと愛しあい妊娠した。

     しかし、坂下家では生まれる子犬達を育てて行く条件がなかった。引き取ってくれる家も簡単に見つかるとは思えなかったし、仕事が忙しくて駆け回る暇がなかったのだ。

     次第に腹の膨れるシロを見て夫婦は焦り、思いあまって辛い決断をした。彼らを、飼犬処分場に送ることにしたのである。

     クロとシロに別れを告げ、彼らを処分場に連れていった。彼の性格から考えて胸を引き裂かれるような思いだったにちがいない。

     坂下さんは泣きながら家に帰ってきた。取り返しのつかない罪を犯したのではないかと悔やみ続けた。以来、夫婦はめっきり言葉を交わさなくなった。

     この話を聞いたとき、私は「この夫婦は別れるのではないか」と漠然と予感した。

     愛してやまぬ飼犬を、自らの手で処分場に送った夫婦。どんなに合理的思考の持ち主であろうと、心の奥底に、取り返しのつかないほど、回復の見込みのたたないほど絶望的なダメージが生じたはずである。

     二人は、人生にとってもっとも大切な愛の世界に過ちを犯した。守るべき順位を見失ったのである。
     クロシロ夫婦を守るためには、迷惑にならない土地に引っ越したり、ペット団体に連絡して子犬の引き取りを依頼したりの努力をすべきだった。

     坂下夫婦には重苦しい厳冬がもたらされた。見えるもの、聞くもの、触れるものすべてが、自分を責めているように感じられ、そして他人を責めずにはいられなくなる。
     自分を愛せない人が、どうして人を愛することができるだろう。

     夫婦にとって、離別の表向きの理由は何でもよかったのだ。ただ、何かに憤懣をぶつけずにはいられなかった。

     孤独になって、時間をかけることだけが癒される唯一の道だった。

     それから10年、坂下さんにも深刻な老いが近づいてきた。妻であった栄さんも一人暮らしで埼玉に住んでいる。二人とも10年という静かな癒しの時を経て、元の優しく誠実な、落ち着いた人柄に戻っているのだが・・・・・・。

     2017年追記

     2007年の夏、突然、坂下さんから電話がかかってきた。

     「栄が死んだ」

     私は思わず絶句した。
     この年は比較的穏やかで、大きなニュースもない平和な夏が始まっていた。
     栄さんは埼玉の生協研究室に入ったという情報は得ていたが、その後、まったく連絡も途絶えていた。
     栄さんから預かったRDANというGMカウンターは信頼性が高く、これを使うたびに彼女のことを思い出していた。

     合成洗剤の毒性を初めて告発し、たくさんの著書を出版されていた栄さん。日本における市民運動の旗手として、これからも多くの活動を期待されていた。

     埼玉にいると聞いていたが、亡くなったのは大月市に借りていた自宅だった。

     すぐに、私は車に乗って大月に向かった。
     教えられた住所は、大月から奥多摩側に向かう国道を30分ほど走った場所だった。

     小さな家の中に葬儀祭具が並び、息子のアンリ君も来ていた。
     高茶屋にいたときに会ったときは彼は、まだ小学生だったが、いつのまにか立派なオッサンになっていた。
     もう一人の息子ルイ君は外国にいて来られないとのこと。
     遺体は、すでに通夜も済ませ、しかるべく手当されていたようだ。

     私は、玄関に入った瞬間に、家中に、何かもの凄い喜びの感情があることに気づいた。
     実は、私は若い頃、気功を修練した経験があって、その場に漂う気を感じ取る能力を身につけたのである。

     「この、強い喜びの気は栄さんのものですね」
     と私は言った。

     坂下さんも、何か嬉しそうな表情だった。
     みんなが一同に集まり、いまや霊となった栄さんが喜んでいることが、はっきりと分かった。

     もう、わだかまりもない。夫婦の愛情が、やっと元に収まったわけだ。

     その後、坂下さんとは、月に一回程度、メールのやりとりがあった。

     そして2011年3月の巨大震災と放射能事故。

     我々が40年以上前から危惧していた通りの事態が起こってしまった。
     芦浜原発は北川知事らの決断もあり、もはや建設は絶望的になっていたが、一番危ないと予想していた福島第一がやってしまった。
     ついでに言えば、30年も前から、もし原発が巨大事故をやるとすれば福島第一か若狭の美浜と我々の意見は一致していた。

     私は東日本大震災の発生を事前に予測していた。20代後半から始めた地震予知の研究も、地震雲などの宏観では結構なレベルに達したと自負していたが、2003年に移住した蛭川村の我が家は谷底にあり、周囲の宏観が、ほとんど観測できない場所にあって、予知制度は著しく低下した。

     それでも行徳データや、体感異常(巨大地震が近づくと夜中の2時頃に目が冴えて眠れなくなる現象が起きる=これを「丑三つ時の亡霊」と名付けていた)が続いていた。

     (なお、追記を書いてる2017年2月は、ずっと同じ現象があって、再び東日本震災の再来が近づいていると確信している)

     ネットでは私は、トンデモ、デマ人間と決めつけられ、私の予測を信用する者も滅多にいなかったが、私自身は確信があり、原発事故も起きるだろうと予想していたのである。

     坂下さんに何度も電話し相談したが、彼は、重い病に蝕まれ、すでに視力も失いかけていた。

    この原発事故が日本の未来を暗黒に彩るであろうことは容易に想像できた。それを2010年から始めたツイッターで、連日連夜、大量に情報発信してきたが、私の主張を信用する者も多くなかった。

     10年前の坂下さんなら、私を励まし、一緒に大きな行動を起こしたことだろう。私の周囲にいた反原発活動家たちは、みんな疲れ切って、病に伏せる者も多かった。
     私自身も、2011年2月に凍結路でスリップし、肩を複雑骨折し、二度と回復せず、行動に大きな制約が生まれ、クライミングも不可能になった。

     それから、しばらく坂下さんからの連絡が途絶えた。
     噂では、病気治療のため名張市に移住されたとのことだった。

     2015年頃、ネットで検索していて坂下晴彦さんが死亡したとの情報を発見した。
     私には一切連絡がなく、正確な死亡日も原因も分からないままだ。

     あれほど三重県民への公害被害に憤り、巨大企業に人生をかけて圧力をかけ続け、人々の健康を守ろうとしてきた坂下夫妻の死は、ほとんど誰にも知られないまま、二人とも忘れ去られようとしている。






     

     世はセレブと呼ばれる大金持ちに憧れる、馬鹿野郎、馬鹿娘で溢れかえっている。
     いくら幼い頃からの資本主義洗脳のせいだとか言ってみても、自分の脳味噌を使う習慣さえあれば、これほど真実を見失って彷徨い歩く大衆ばかりになることはありえない。

     私から見れば、カネや権力という無価値な虚構に憧れる若者たちは、自分の脳味噌を見失った烏合の衆であり、ハメルーンの笛に踊らされて、屠殺場に連れて行かれる家畜人ヤプーの群れのようにしか見えない。

    (意味不明とほざく若い衆! ヤプーは日本国民の基礎教養だぞ。ついでにハメルーンの笛に連れ去られた130名の子供たちは二度と発見されなかった。)

     「人生はカネじゃないんだよ!」

     物質的満足と精神的満足は違う。この見極めをできないで、物質的満足だけが人生のすべてであるかのように勘違いさせられている一群の人々が、「金持ち=セレブ」になれれば、きっと他人を見下して、人生最高の満足感、痛快な気分になれると勘違いさせられているのである。

     だが、真実は大いに違うのだ。

     「人生、立って半畳、寝て一畳。」

     どんな大金持ちだろうと、貧乏人だろうと、健常者だろうと、障害者だろうと、天皇だろうと、ホームレスだろうと、生涯に与えられる幸せの量も、不幸の量も、何一つ差別がなく、人生の究極、生と死において、全人類の誰もが完全に平等である。

     「みんないっしょ!」
     これが唯一の真実である。

      B層の憧れる物質的充足に満ちた豊かな、「ありすぎる人生」、を想像してごらん。
     余計な金や荷物を持てば人生の負荷が増して大荷物を抱えた苦しい人生になるだけなのだ。

     高級車を何台も保有してると自慢したがる君!
     君の肉体は、同時に何台もの車に乗車できるのか? 
     テレビが30台もあると自慢する人よ、君の目は同時に何台ものテレビを見られるのか?
     豪華な食事を10人分も並べる君よ、君の胃袋は一度に10人分も食えるのか?
     30部屋の豪邸に住む君よ、君は同時に10の部屋に跨って眠れるのかい?
     美しい妻を持ってると自慢する君よ、君の美人妻は君が死にたくなるほど落ち込んだとき、優しく励まして君を地獄から連れ戻してくれるのか?

     人生に本当に必要にして充分なものは、生きてゆくために必要とするものだけだ。必要としないものまで持てば、それはすべて邪魔物であり、処分、処理の手間を増やし、人を疲労させるだけだ。

     食事は食べる分だけあればいい。ベットは一台あればいい。財産なんて必要なだけあればいい。妻は自分に優しい言葉をかけてくれればいい。友達だってたくさんいらない、信じられる者が少しだけいればいい。

     人には「身の丈」という決して超えることのできない制限があって、それを無理に超えようとすれば邪魔な足かせになるだけだ。

     股下60センチの君が90センチのズボンを履いてどうする?
     Mサイズの君が3Lサイズの衣類を身につけてどうする?
     身の丈に合ったものだけが快適だと分からぬか?

     これを「ジャストパフォーマンス」と言い、人生にもっとも大切な価値観であって、これを大切にする人々は、無駄のない、身軽な人生ほど気楽で素晴らしいものはないと知っている人々なのである。

     ジャストパフォーマンスの思想は、人々が資本主義のもたらした競争や強欲に駆り立てられて無駄な生産活動を繰り返して環境汚染による自滅に至る本質的な欠陥を是正するために、一番大切な思想であることを理解していただきたい。

     持続可能な未来は資本主義には不可能だ。資本主義は際限のない競争に晒され、最後は、全人類を道連れに断崖から集団飛び降り自殺するレミングの群れである。

     「必要に応じて必要な生産をする」未来を保証する計画経済の原理を理解するために絶対に必要な価値観がジャストパフォーマンスである。
     

     うちの隣に住む一人暮らしのオッサンは、引っ越してきてから、すでに三回も新車を購入してるが、全部クラウン上級車ばかりだ。
     当地は急な長い坂があって、雪が降れば四駆しか登れない。道も狭いので軽自動車がぴったりなのだが、どうしてもクラウンでないと納得できないらしい。よほど「上級市民」と思われたいのだろう。

     だから雪が降ると、車が動けなくて必死に雪かきをするのだが、それを必要としない軽四駆の私にも、雪かきを強要するから腹が立つ。
     
     近所の別荘地に住む土建屋は道幅以上のハマーに乗ってくる。道が狭いから4トン車なみのハマーなんか走られたら、他の車は大変なことになる。
     どこの駐車場でも二台分に跨って駐めている。
     自分が特別なエライ人間であることを誇示したくて仕方ないわけだ。

     こういうのを「オーバーパフォーマンス」自己陶酔人生と言う。本人は、きっと周囲の人たちを、みんな自分より劣ったアホだと思ってるのだろうが、実は周囲から馬鹿にされてることを理解できない。本人は勘違いして喜んでるわけだ。

     他人より、はるかに多くのカネをため込んで、人の羨む豪華な家や、高級車や美人妻を持って、自分は「エライ人」になってるつもりの真性のアホが無数にいる。

     無駄な所有を自慢することで優越感を満足させている間に、実は社会の本質を見抜いている賢者たちから軽蔑され、アホ呼ばわりされてることに気づいた方がいい。

     大きな家なんか使い心地が悪い。掃除が大変だ。小さな家なら、あちこち動かなくとも何でもできる。住むなら小さな家に限るぞ。
     美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れるんだぞ。ひとたび愛してしまえば容姿なんか何の関係もない。人の苦しみを思い知ってるブスの方が桁違いに優しくて「良き妻」なんだぞ。心を癒してくれる美人妻なんて聞いたことがない。

     人類史を振り返ってみれば、他人より多い所有を自慢し、優越感に浸る馬鹿が絶えた試しがないが、彼らが幸福な人生を送ったという話を聞いたことがない。

     いったい、どんなメカニズムで、蓄財や権力を良き人生と勘違いするようになったのか、ちゃんと知っておくべきである。


     そもそも金持ちとは何か、君は知ってるか?

     それは、労働して正当な対価を得て生活するという人間社会の秩序を無視し、私利私欲だけに突き動かされた蓄財を求め、不当な対価を得て、他者に優越感を抱こうとしている一群の人々のことである。

     資本主義社会では、誰でも当然の権利と勘違いしてる人が多いが、本当の正しい社会、持続可能な未来を作り出すために何をすべきか理解している人々にとって、正当な労働対価以外の蓄財と他人に優越する華美贅沢な生活を求める発想は、利己主義による社会破壊者として嫌悪され、排斥されるべき誤った思想なのである。

     まだ「金持ち」の発生しない時代、人間社会には差別もなく、自由で平等で博愛の社会であった。すべての交換は正しく行われ、詐欺師も発生せず、人々に大きな不満もなかった。

     物々交換の長い歴史の中から、便利さを求めて普遍的交換価値を設けようと考える時代がやってきた。

     人間が労働して対価をもらう。その対価は、はじめ必ず1日分の生活費を単位とする物資であった。

     最初は、それを麦や葡萄酒のような食料で支払ったが、遠方に持ち運ぶ人たちにとって軽くて便利で融通の利く交換価値として通貨が発生したのである。

     旧約聖書に出てくる3500年前の最初の通貨は「シェケル」で、これは銀を意味し、その重さを意味した。
     やがて、それが1シェケルという通貨として通用するようになった。
     これで一日分の生活のすべてをまかなうことができたから、1シェケルとは一日の労働代名詞ということになった。

     まだ、この時代には、通貨はすべて、あらゆる物資と交換可能な兌換通貨であり、あくまでも食料の代替物であった。
     シェケルは一日分の労働対価を意味する交換価値であって、そこには、一つのウソもない。
     このとき人類社会には実物経済しか存在しなかった。

     ところが!

     この通貨というヤツが、人類社会にとって便利なようでもありながら恐ろしい悪魔=虚構=「金持ち」を作り出したのだ。

     金銀銅や小麦やパンや葡萄酒が通貨の役割を果たしている社会にウソはなかった。

     だが、やがて、それらのすべてと交換できる便利な交換価値として発明された「通貨」にはウソが満ちていた。
     人々は便利さに飛びついたが、そこに社会の健全性にとって人類史上最大の巨大な罠が待ちかまえていたことに気づいた人は少なかった。

     最初、通貨の発行権を握り、兌換価値は同じでも、製造単価を下げることで通貨発行者がボロ儲けできることに気づいた一群の人々がいた。

     通貨をより安く大量に作り出す権利を手に入れることで、彼は一日分の対価の何十倍、何百倍という交換価値を不当に手に入れることができるようになったのだ。

     この頃、同時に「金貸しと金利」も成立した。

     これを始めた悪党どもこそ聖書に出てくるユダヤ教徒=パリサイ人である。イエスは通貨を支配して不労所得を重ねる「最初の金持ちども」=パリサイ人を激しく憎悪し、「マムシの子ら」と呼んだ。

     後にフランキスト派と呼ばれるパリサイ人の末裔の中から、世界の富の大半を独占するロスチャイルド一族が登場してくる。
     現代におけるユダヤ金融資本の一味は、すべて、ここから派生している。
     彼らは聖書の時代から現代に至るまで、通貨を支配することで人類を支配する巨大カルトとなったのである。

     イエスの生きたローマ時代に1シェケルが1デナリという名に変わったころ、同じ、一日分の労働対価を意味しながら、貨幣をなす銀の材質と重さが大きく変化してゆく。

     ローマ帝国という国家権力が通貨発行権を握り、どんどん改鋳を進め、銀を軽くし、代わりに銅を使ったりして、兌換性を貶めていった。
     これは世界中の権力者のやる常套的手口の詐欺である。

     さらに紙の発明によって、通貨に究極の欺瞞=詐欺が持ち込まれた。
     紙幣の登場である。
     最初の紙幣は1000年前の中国に登場したようだ。

     紙幣というものは世界共通で、「預かり証文」が原型になり、そのまま交換価値のある通貨として利用され進化を遂げたものである。

     それは最初から「貸してやる側」のものであり、高利貸しの証文をイメージすればよい。
     それは、たちまち硬貨の上位に置かれる通貨として君臨するようになった。

     紙幣の何が問題なのか?

     そのコストが硬貨に比べて桁違いに安いから、紙幣発行権さえ手に入れてしまえば、元手がなくともボロ儲けが可能になったのである。

     今、我々の社会で流通している硬貨の製造コストと金属価値
     1円玉= 14円=0.3円
     5円玉=4円=1.6円
     10円玉=42円=3円
     50円玉= 20円 =3円
     100円玉=73円 =3.4円
     500円玉=43円=3.6円

     紙幣の製造コスト 
    1万円札が20.0円、5000円札が19.5円、1000円札が13.3円

     こうして見れば、紙幣の発行権を握れば、凄まじいボロ儲けが可能であることが分かるだろう。 現在、年間の総発行額は600億円程度であるという。
     この発行権を握っているのは各国中央銀行で、日本の場合は日銀である。

     紙幣の本質は金融詐欺以外の何ものでもない

     紙幣発行権を握った者たち(ほとんどの場合、ユダヤ系カルト集団)は、ただ権利と印刷機だけを持っていれば、無限の富を生み出せる。
     正当な労働対価など、どこにも存在しないのである。

     紙幣を発行して、中央銀行を名乗って銀行に貸し与える。これには一定の金利がついている。
     発行者は印刷機を動かすだけの労働で、無限の富を生み出し、さらに金利でボロ儲けできる仕組みだ。

      https://www.youtube.com/watch?v=el5b2IozYXQ

     アメリカの紙幣発行権を持つのはFRBで、これはアメリカ政府から独立したユダヤ系巨大銀行6社の共同出資による私的金融機関である。
     ところが合衆国憲法1−5では、通貨発行権は連邦議会のみに許された権限であり、私的銀行にすぎないFRBは憲法違反なのである。

     これを誤魔化すためにFRB紙幣は「通貨ではなく少額国債証書」という詭弁が用いられてきた。

     この欺瞞に注目し、FRBから通貨発行権を取り上げようとした4名の大統領、リンカーン・ガーフィールド・ハーディング・ケネディは、全員、在任中に殺害された。

     ドル紙幣には、ピラミッドの上に目玉が描かれた薄気味悪いデザインになってるが、これが有名な「世界を監視するルシファーの眼」で、通貨発行権を死守する世界最強のカルト集団のマークである。
     このマークは、「この通貨の使われる国は我々が支配している」という宣言であると言われる。

     ちなみに日本の千円札にも同じマークが描かれている。野口英世の気味悪い目玉を透かしてみれば、富士山に見せかけたピラミッドの上に目玉が乗ってる構図が鮮明にわかる。
     つまり日本国家も、通貨を支配するカルト集団に支配されてるわけだ。

     これに異議を唱えた日本国=経世会所属の総理大臣らは残酷な運命に見舞われ不可解な死に至っている者が多い。
     
     紙幣の本質は、ただの紙くずにすぎない。狸が持ち出した木の葉にすぎない。金貨銀貨銅貨なら、一定の金属価値が保証されるが、紙幣は「額面の金と交換しますよ(金本位制)」という兌換宣言とともに紙屑から通貨に昇進するわけだが、これは、いつでも反古にできるのである。

     日本の場合は、1932年、ニューデール大恐慌後、相場大暴落があり、為替レートが欧米に極端に有利になったせいもあって、日本紙幣を持った外国資本家が、それを金に変えて外国に持ち去ったため、兌換廃止を宣言するしかなかった。

     1971年、ニクソン大統領は、ドルの金本位制廃止を宣言、兌換を停止したことで、IMFなど世界経済の根底を支えてきた基軸通貨は一夜にして木の葉に変わってしまった。

     背景には、ベトナム戦争の出費増大で米政府予算が枯渇し、ドルを金に替えた方がトクな資本家(実はアメリカに住むユダヤ人であるといわれる)が大量に登場し、アメリカにあった金在庫が失われてしまった事情があったといわれる。

     以来、米国金資産は回復せず、世界各国がIMFを通じてアメリカに貸与して保管しているはずの純金は、実はほとんど存在していないと言われる。
     現在までのアメリカは、国家経済を支えるのに、莫大な米国債を発行し、さらにドルを無制限に印刷して銀行に貸与するという、壮大な詐欺によって成立している。

     ウソ、インチキの極地!
     架空経済を巨大に膨らませた不動産と株

     紙幣というものは貸し付け証文から発展したのだが、紙幣の普及は、物理的な(大きさ重さ)意味で大金の取引を可能にし、詐欺師どもは、より多額、高額の詐欺を次々に編み出した。

     その頂点に君臨するインチキ経済を生み出したのが株式である。

     株取引こそは一日の労働対価が生み出した実体経済を真正面から破壊するインチキ虚構経済の徒花であった。

     企業価値が実体経済で10億円分あったとしても、株式の発行という虚構=詐欺を行うことで、1000億円の実態があるかのように装う虚構経済が成立するようになったのである。

     証券という紙屑の人気が上がれば、株価はどんどん吊り上がってゆく。資産価値は膨大に膨れあがってゆくが、それに見合った実体経済の裏打ちはあるのか?
     株式総額に見合った、正当な労働対価が存在するのか?

    そんなものは存在しない! 何もかもウソに満ちた虚構のカネであって、狸が木の葉で作り出した幻想にすぎないのだ。

      なぜ株市場が登場したのか?

     それは、紙幣発行権を手にして労働対価、実体経済のないボロ儲けに成功した者たち、汚い銀行屋が、より簡便で大きな金儲けのできる仕組みを生み出した結果なのだ。

     株式が登場してからは、もう際限のないインチキ経済が爆発的に世界を制覇した。

     先物取引(デリバティブ)は、あの手この手の博打、詐欺商法を開発した。
     例えばレバレッジという仕組みは、元手の数倍もの資金を、ろくな担保も必要とせず運用できる正真正銘の詐欺である。失敗したなら逃げるだけでよい。
     成功したら博打における親の総取りのようなボロ儲けが可能である。
     倒産に対する保証保険まで成立した。ありとあらゆる経済詐欺師を満足させる仕組みが登場してきたのである。

     国際経済も詐欺に覆われた。
     例えば中国経済が正当な取引の場合、2015年段階で外貨準備高が崩壊していて国家デフォルトを引き起こしているはずなのに、2017年現在さえ、何事もないかのように振る舞っている事情を見れば端的に分かる。

     何をやったか? 国家資産の担保に不動産バブルを利用したのである。
     もちろん中国不動産市場のバブルなど、とっくに破裂してるが、秘密裏に、それが生き続けているかのような工作で世界を騙し、ありもしないバブル価値を作り出し、それで担保を支えている。
     完全な詐欺の世界である。

     世界経済は詐欺で成立している。
     正当な労働対価で裏打ちされた世界経済の総額は7000兆円にすぎないのに、株式や先物、国債などの虚構経済による総額は、実に数十京円=数十倍を超える。
     金持ちとは、この不労所得の分捕り合戦をゲームとして遊んでる連中を指すのだ。

     しょせんゲームでしかないのだから、本業に身が入るはずもなく、農林中金、シャープや東芝の経営者たちは先物遊びによって会社を滅ぼしてしまった。
     日本政府、安倍政権は国民の大切な年金資金を、ほぼ壊滅させ、外国(ユダヤ金融)に垂れ流してしまった。

     翻って「金持ちとは何か?」

     正当な労働対価ではなく、通貨発行権や国家権力の利権を使って、ボロ儲けする一群の人々を意味することを上で説明してきた。

     そもそも人類はみな平等であり、連帯しなければ生きてゆけないように設計されているのに、自分だけ他人に秀でて蓄財し、ますます自分の資産を増やして、たくさんの他人を見下そうとする連中を「金持ち」というのだ。

     こうした連中は、資本主義における教育=競争の強要によって生み出される。「他人を蹴落として利己主義的な蓄財を権力に走ることだけが正義である」と幼いうちから洗脳された者たちの中から登場してくるのである。

     彼らは、自分の愚かな人生を正当化し、優越感を抱くために、儲けた金を決して他者に分配せず、自分の人生を飾り、他人を萎縮させるために使うのである。

     だから一台しか見られないテレビを30台も保有し、一台しか乗れない車を10台も保有し、一部屋でしか眠れない寝室を10も作り、一食しか食べられない食事を10人前も用意させる。
     強欲に導かれて集めた金は、強欲にふさわしい使い道しか残されていない。
     それは他人の幸福のためには絶対に使われない。社会の無駄、悪事を作り出すためだけに存在しているのである。


     彼らは1の労働で100の対価を受け取る利権を作り出した。
     そして、それだけでも飽き足らなくなり、強欲が際限なく膨らんでいった。

     彼らは正当な労働対価で生活する大多数の人々を見下し、自分たちの利権がますます拡大するような不当なシステム作りに成功することが自分たちの聖なる使命だと思いこむようになった。

     金持ちたちは、大衆が正当な労働対価を与えられる社会が面白くないと感じるようになった。
     もっと賃金を安くできるはずだ。もっと、長時間こき使えるはずだ。

     もっと自分たちの特権を強固にし、貧乏人を差別し、睥睨し、君臨できる体制のために、社会を改造しなければならないと使命感を抱くようになった。
     労働者の権利を高める勢力との戦争に勝利しなければならないと。

     文句を言ったり反逆したりする貧乏人どもを徹底的に監視し、反逆の芽を摘み取る強固な国家権力が必要であると考えるようになった。

     そうして、金持ちの利権を強固にし、国民を監視し、国家の役に立たない者は殺してしまえと考える超独善政権が成立するようになった。
     それが麻生太郎であり安部晋三である。

     もうすぐ、安楽死法案が登場してきて、自分たちの利権に役立たない障害者や老人を早く死なせてしまう体制ができることだろう。

     だが、金持ちは、とんでもない勘違いをしていた!

     「自分たち金持ちの使う金で経済が回ってる」
     と彼らは本気で信じていたのだ。
     貧乏人など、経済に与える影響はわずかだ。奴らから搾り取れるだけ搾り取っても国家経済は何の影響も受けない。
     これが消費増税の考え方であった。

     消費税3%を実現したのは1989年竹下内閣であった。
    最初に引き上げたのは、社会党を潰すために登場した村山富市内閣で、実質5%に挙げるとともに、財界へのお土産として原発核開発を容認した。この男は経団連のスパイと呼ぶにふさわしい。

    それから橋本内閣で正式に5%、鳩山は消費税を上げないと公約して民主党政権成立に成功した。
     ところが菅直政権で消費税10%引き上げを提示して民主党政権は完全崩壊した。
     ついでに菅は、経団連の代理人としてベトナムへの原発輸出を始めた。事故時の負担は日本国民の負担という条件付きであった。
     この男も経団連の代理人として働いただけだった。

     後を次いだ野田豚佳彦も戦後最悪の経団連スパイ宰相になり、消費税8%引上げ法案可決。
     あまりの馬鹿さ加減、第二自民党であることを表明した民主党は永久に政権を失うことになった。

     2014年に登場した憲政史上最悪のアホ内閣と評される安部晋三が8%消費税を実行。さらに10%に上げようとしたが、クルーグマンらに「日本が潰れる」と諭され、腰が引けて延期している。

     振り返ってみれば、最初に消費税3%が実施されたのが1989年。
     この年から日本経済は未曾有の巨大不況に突入し、28年後の今でも不況から抜け出すどころか溺死寸前で、中国が不動産バブルを演出して担保価値で持っているように、日本経済は日銀による無制限の株と国債の買い上げという真っ赤なウソ経済だけで生き延びてるフリをしているのである。

     日本経済の内需低迷は、消費税による購買力弾圧とともに存在するのであり、消費税が廃止されれば、たちまち大規模な経済活性化が起きるとクルーグマンはじめ、たくさんの本当の経済学者が指摘している。

     この28年間の巨大不況の正体とは何か?
     それは消費税なのである。
    「税収は社会福祉に使われる」と調子のいい、ウソに満ちた弁明が繰り返されてきたが、もちろん、口先だけのそれが実現した例は皆無で、得られた税収は官僚たちの遊びカネと議員を含む給料の勝手な増額にしかならなかった。

     「消費税を徴収したせいで日本経済は大不況に陥った。」

     この真実の意味するところは何なのか?

     それは、日本経済を真に支えているものは、消費増税で激しく打撃を受ける経済的弱者であるという真実を意味するのである。

     よく考えてみればいい。どんな金持ちだろうが、貧乏人だろうが、一人の人間が生きてゆく上で消費する物資、経済は、決して大きな差があるわけではない。

     大金持ちは、総資産が我々の1000倍もあるとしても、生活実費として使われるのは、せいぜい数倍にすぎない。
     これが実体経済の本当の意味なのだ。

     
     最初に私は、実体経済の真の意味について、一日の適正な労働対価であると書いた。
     日本社会を支えているのは、大金持ちの博打投機ではない。貧しい労働者、生活者たちが日々、使う日用品や食料品の消費によってなのである。

     今や、実体経済の数十倍の虚構経済が社会を支配している、というのは名目にすぎず、たった今でも、株式、先物、不動産などの虚構価値を差し引いた真の日本経済は、たぶん50兆円もない。

     虚構経済の規模が、どんなに大きくとも、それには実体経済=正当な労働対価が存在しないバブルであり風船にすぎないのである。
     それは針で突けば、たちまちこの世から消えてしまう、はかない幻想にすぎない。

     真実の経済は、社会的弱者によって支えられている。

     これが唯一の真実であり、金持ちの持っている正当な労働対価以外の資産は、すべて虚構であり、儚い幻にすぎないのである。
     余分な金は狸のばらまいた木の葉にすぎない。
     正当な労働対価だけが経済の真実であり、実体であり、社会の本質である。

     社会は弱者によって支えられている。
     




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