戦前の人口は、おおむね8000万人、国民一人あたり5500万円もの戦費を用立てたことになる。無論、そんなことできるはずがない。どんなに無理をしても、繊維産業以外ろくな産業のなかった日本国民が一人5000万円以上も用立てることは不可能だ。

 貧しかった戦前の日本にあった玉手箱=打ち出の小槌とは何だったのか?



 日本が太平洋戦争に総額いくらを費やしたか、知っていますか

国家予算の280倍、今で換算すると… 加谷 珪一 現代ビジネスより

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78078?page=6



 12月8日は太平洋戦争開戦の日である。無茶な戦いと言われたこの戦争だが、実際のところ日本にとってどのくらいの経済的負担があったのか。経済評論家の加谷珪一氏が、戦費を推計したうえで戦争と経済の関係を解説する(本記事は2017年8月16日に掲載された記事の再掲です)。



 国家予算の280倍をどう用意したのか



戦争に多額の費用がかかることは多くの人が認識しているが、実際にどの程度の金額が戦争に費やされるのかについて詳しく知る人は少ない。



 突出して規模の大きかった太平洋戦争には、いったいいくらの戦費が投入されたのだろうか。実は、太平洋戦争における戦費の実態はよく分かっていない。戦争中といっても、日本政府は毎年予算を組み、記録も存在している。それでも金額がはっきりしないのには主に二つの理由がある。



 ひとつは軍部が暴走し、東南アジアの占領地域において軍票(手形の一種)や独自の現地通貨を乱発し、この財源をもとに資金を現地調達したため、その分の金額がはっきりしないことである。



 もうひとつは、太平洋戦争が日本経済の基礎体力を完全にオーバーした戦争であり、これによって激しい財政インフレが発生。戦争期間中からすでに日本円の貨幣価値がかなり毀損してしまったからである。



 戦費の実態はよく分からないと述べたが、ある程度までなら推測することができる。旧大蔵省が戦後まとめた資料によると、太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7600億円となっている。



 金額だけ聞くと意外に少ないと感じるかも知れないが、日中戦争開戦時のGDP(厳密にはGNP)が228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると何と33倍になる。また、国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では280倍という天文学的数字である。



 もっとも、この数字には少々カラクリがある。太平洋戦争の戦費はあまりにも膨大で、税金を使って調達することは不可能だった。このため、戦費のほとんどは日銀による国債の直接引き受けによって賄われた。



 現在の量的緩和策にも通じるところがあるが、日銀が無制限に輪転機を回すということなので、当然のことながらインフレが発生する。



 戦争中は価格統制が敷かれていたことからあまり顕在化しなかった(これも現在に通じる)が、それでも戦争が始まると物価水準はどんどん上がっていった。この財政インフレは終戦後、準ハイパーインフレとして爆発することになったわけだが、戦費の実態を考える時には、このインフレ率を考慮なければならない。



 さらに、日本軍は占領地域に国策金融機関を設立し、現地通貨や軍票(一種の約束手形)などを乱発して無謀な戦費調達を行った。これによって各地域の経済は破壊され、日本国内をはるかに超えるインフレが発生したが、占領地域におけるインフレの実態は、よく分かっていない。



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 いずれにせよ、占領地域では相当のインフレになっているにもかかわらず、名目上の交換レートは従来のまま据え置かれたので、書類上、日本円ベースの軍事費が膨れ上がる結果となる。



 無理にもほどがある



 当時の国内のインフレ率を適用し、さらに現地のインフレ率を国内の1.5倍と仮定した場合、実質的な戦費の総額はおよそ2000億円と計算される。仮にこの数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍に、国家予算との比率は74倍になる。



先ほどの比率に比べればかなり小さくなったが、それでも途方もない金額であることに変わりはない。現在の価値に置き換えれば、4400兆円もの費用を投入したことになる。



 これらの戦費負担については、最終的には、預金封鎖によって国民から財産を強制徴収する形で埋め合わせが行われた。税率が高い人では資産の9割が徴収されており、富裕層の多くはこれによって財産のほとんどを失うことになった。



 では、戦争のもう一方の当事者である米国の様子はどうだったのだろうか。太平洋戦争は米国にとっても大きな戦争だったが、それでも日本と比べると相対的な負担は軽い。



 米国における第2次世界大戦の戦費総額は約3000億ドル。開戦当時の米国のGDPは920億ドルなので、GDP比は3.2倍となる。米国は太平洋戦争と同時に、欧州では対独戦争を戦っている。極めて大規模な戦争を2つ遂行しているにもかかわらず、この程度の負担で済んでいることを考えると、米国経済の基礎体力の大きさが分かるだろう。



 ちなみに第1次大戦の時に英国が投じた戦費総額も当時のGDPの3.8倍程度であった。国家の存亡をかけた全面戦争であっても、無制限にお金をかけられるわけではない。GDPの3倍から4倍程度というのが、無理なく全面戦争を遂行できる限界値であるとみてよい。



 その点からすると、太平洋戦争は最初から無理のあった戦争という解釈にならざるを得ない。



 ダイエー創業者の中内功氏が徴兵され戦地に赴いた際、日本軍が飢えに苦しむ中、米兵が基地内でアイスクリームを自由に食べているのを見て衝撃を受けたという話は有名だが、数字上の体力差はこうした日常的な光景にも反映されることになる。



 日露戦争との激しすぎる落差



 これほど無謀な戦争に反対する意見もなかったわけではない。当時は、現在のGDPに相当する概念はなく、企業の生産力や輸送力などの統計データから国力を算定していたが、一連のデータから対米戦争の遂行は不可能という分析は行われていた。



 それにもかかわらず、開戦が決断され、全土が焼け野原になるまでそれを止めることはできなかったのは、なんとも残念なことだ。



 太平洋戦争の特殊性は、明治期に行われた日清戦争・日露戦争と比較するとさらに際立つ。日清戦争開戦当時のGDPは13億4000万円で、戦費総額のGDPは0.17倍だった。現在の日本にあてはめると約85兆円という金額になる。一方、日露戦争の開戦当事のGDPは約30億円で、戦費総額のGDP比は0.6倍だった。



 両者ともそれなりに大きい金額だが、決して拠出不可能な水準ではなく、実際に、戦争終了後の日本経済に対して深刻な影響は与えていない。



 ちなみに日露戦争の戦費の多くは、当時、覇権国家であった英国ロンドンのシティ(現在の米国ウォール街に相当)において外債を発行することで調達された。



 外債の発行は難航が予想されたが、英米の投資銀行が積極的に関与したことや、当時の日本側の責任者であった高橋是清(のちに蔵相、首相。二・二六事件で暗殺)が見事なプレゼンテーションを行ったことで、ほぼ全額の調達に成功している。



 世界の投資家を相手に、戦争の目的や合理性をアピールし、十分に納得させた上での外債発行であることを考えると、日露戦争はまさにグローバルな経済・金融システムをフル活用した戦争といってよいだろう。



 一方、太平洋戦争はグローバル・スタンダードであった英国と米国の両方を敵に回し、親米感情が強い中国(国民党)とも戦争をしてしまった。日清・日露戦争とは正反対に、グローバルな動きに完全に背を向けた戦争であった。



 日露戦争当時、シティで調達された英ポンドは、日本には移送されず、そのまま英国の銀行に預金された。その理由は、英国から大量の近代兵器を輸入する必要があり(三笠など当時の主力艦船のほとんどは英国製)、その決済がシティで行われるからである。



 大事な国家予算を外国の民間銀行に預けることには抵抗があったと思われるが、当時の指導者はグローバルな金融システムを熟知しており、合理的な決断をしたものと思われる。



 維新という半ばクーデターに近い形で政権を掌握した明治政府の指導者に対する評価は様々であり、筆者も全面的に賛美する立場ではないが、当時の指導者たちに卓越したリーダーシップとリアリズムが存在したことは間違いない。それと比較した場合、学歴選抜された昭和のエリートが著しく劣っていたことは認めざるを得ないだろう。



 歴史は繰り返す



 歴史を知っている今のわたしたちが、現在の目線で当時の決断を批判することはたやすい。だが、一方で歴史は繰り返すともいわれる。



 「戦争は他の手段を持ってする政治の継続である」というのは、戦争論(クラウゼヴィッツ:1780年〜1831年)の有名な一説だが、政治や外交も最終的には経済問題に行き着くことがほとんどである。つまり、戦争は日常的な経済活動の延長線上に存在することになる。



 実際、各国の戦争遂行能力は、GDP(国内総生産)に比例しており、経済体力を超えて戦争を遂行することはできない。現実を直視せず、結果として日本経済を完全に破綻させてしまった太平洋戦争は、まさに教訓とすべき歴史的事実だが、規模は小さいながらも、わたしたちは今でも同じようなことを繰り返している。



 シャープの液晶投資や東芝の米ウェスティングハウス買収に無理があったことは、当時から何度も指摘されていたが、勇ましい精神論にかき消され、社会で共有されることはなかった。



 日の丸液晶メーカーとして多額の国費が投入されたジャパンディスプレイは、大方の予想通り、経営が立ちゆかなくなり、大規模なリストラを余儀なくされている。見えない形で太平洋戦争の失敗は今でも続いているのだ。



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引用以上



 以下に、大正期〜太平洋戦争前の日本の貿易概括を示す。

 https://www.customs.go.jp/kobe/00zeikan_top.htm/150toukei/3_taisyo.pdf



 この間、日本からの輸出産業は、上位五種がすべて繊維で占められているが、世界的にはたかのしれた金額にすぎない。(10P)

しかも、輸出で外貨を獲得できたのは、わずか10年程度。(9P)その金額も小さい。



 だが、同時期に、日本軍は驚異的な軍備増強を行っている。これは日清・日露戦争勝利をきっかけにした軍拡路線のなかで行われた。

 以下に、太平洋戦争前のアメリカとの戦力比を示す。

 https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%99%82%E3%81%AE%E6%97%A5%E7%B1%B3%E6%88%A6%E5%8A%9B%E6%AF%94



 日本が優位に立っていたといわれる航空機でさえ、日本は3万機弱、アメリカは9万機以上だが、おそらく当時でも1機あたり現在価値で1000〜5000万円程度はかかったはずで、1〜2兆円の出費があったはずだ。

 主力の軍艦は凄まじく、世界最大級の戦艦が、大和・武蔵・陸奥と三隻もあった。

 もっとも、これらの船は、本来の目的を遂行できないまま悲惨に海に沈んだ。

 

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この途方もない海軍力が、どの程度の予算を要したかといえば、おそらく数百兆円、空軍力を合わせれば、数千兆円を要したに違いない。

 さらに、超長大に際限なく伸びていた兵站にかかわる費用を含めて4400兆円という天文学的戦費が冒頭に示されている。

 4400兆円という金額は、世界最大の超大国である現代アメリカの総負債額にも匹敵するのだ。



 ろくな収入がないのに、驚愕の戦費が、いったいどこから誕生してきたのかは、いまだに戦前戦後史最大の謎である。

 この資金に関して、私は何度も書いてきた。これは日本政府が世界最大の麻薬密売組織を作って売りさばいた金なのだと……。



 戦前、日本の代表的輸出品は生糸ではない。アヘンだった。(メディアが絶対に書かない裏話)2020年11月10日

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1306.html



麻薬王 岸信介 2020年11月18日

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1314.html



経過は、この著者が相当な努力で調べている。何度も紹介したが、お読みいただきたい。「アヘン帝国、汚れた歴史」

  http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4E/kuiper_section4E.htm



 ただ、日本(陸軍)が、売りさばいたのは、アヘンなどと生やさしいものではなかった。二反長音蔵は、モルヒネとヘロイン精製の天才であり、日本では星製薬がヘロインを大量生産して、中国・朝鮮・ベトナムなど東アジア全土で売りさばいたのだ。ときには、インドやイランにまで輸出した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8F%8D%E9%95%B7%E9%9F%B3%E8%94%B5



 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-26.html



 https://www.kigyoujitsumu.jp/business/topics/13513/



 後藤新平から岸信介に至るまで、麻薬密売組織であった電通や昭和通商が1900〜1945年までに、世界に麻薬を密売して得た利益は、たぶん数千兆円、岸信介は、この超巨額の資金(M資金)を使って米軍と取引し、岸自身と里見甫、正力松太郎、児玉誉士夫、笹川良一らのA級戦犯を解除させ釈放させた。

 また戦後、自民党(当時は自由党・民主党)の結成資金とした。今の自民党と電通は、麻薬密売から始まったのだ。



 いわば、日本国家はアヘンに立脚していた。アヘンと精製麻薬なしに太平洋戦争は成立していない。

 今、日本政府が、過剰なほど麻薬濫用に強烈に反応し、摘発を続ける理由は、そうした戦前の超絶的悪事を隠蔽するためとしか考えられない。

 「国内で、これほど厳しい取り締まりを行う政府が、麻薬を密売するはずがない」という「常識」を日本国民に洗脳するために意図的に取り締まっているとしか思えない。



 戦後、正力松太郎は初代麻薬王、後藤新平の資金を使って読売新聞社を買収し、日テレなどTV放送産業を成立させたが、このとき、すでに正力はCIAの正式スパイだった。

 https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201609_post_10956/



 そして正力は、麻薬に変わる資金源として原子力に目をつけた。

 平和利用を謳う原子力発電は、核兵器の原料をも蓄積することができる。だから、正力は、発電用軽水炉ではなく、プルトニウム産生用の黒鉛炉を導入した。

 原子力発電を行えば、核ミサイルの原料であるプルトニウム239を得ることができる。これでミサイルを作って外国に売り飛ばし、麻薬に変わる資金源にしようとしたのだ。



 よく核廃棄物のプルトニウムと、ミサイル用プルトニウムは純度が異なるから、核廃棄物から核爆弾はできないという人がいるが、これはプルトニウム保有、正当化のための嘘。



 使用済み核燃料に含まれる核兵器用プルトニウム239の濃度を上げて、核暴走(早発)の原因となるプルトニウム240の含有量を下げる方法など、いくらでもある。

 簡単なのは、運転中の核燃料を頻繁に入れ替えて燃焼度を下げる方法とか、核燃料を原子炉で中性子照射する方法などだ。

 http://kakujoho.net/npt/mm_jpu.html



 すでに何度も書いたが、311東電フクイチは、これを4号機で実行していた疑いがあるのだ。

 つまり、戦後、自民党政権は、秘密裏に麻薬に変わる資金源として、核兵器保有を実行していた疑いが極めて強い。