巨大不況といえば歴史的には1930年前後のニューデール大恐慌があり、歴史上最大の世界大恐慌と呼ばれている。いったい何が起きていたのか?

 

世界恐慌

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 世界恐慌は、1929年9月4日頃から始まったアメリカの株価の大暴落に端を発し、1929年10月24日の株式市場の暴落(通称暗黒の木曜日)で世界的にニュースになった。

 1929年から1932年の間に、世界の国内総生産 (GDP) は推定15%減少した。一部の経済は1930年代半ばまでに回復し始めた。しかし、多くの国では、世界恐慌の悪影響は第二次世界大戦が終結するまで続いた。



 世界恐慌は、豊かな国と貧しい国の両方に壊滅的な影響を与えた。個人所得、税収、利益、物価は下落し、国際貿易は50%以上減少した。アメリカの失業率は23%に上昇し、一部の国では33%にまで上昇した。



 世界中の都市、特に重工業に依存している都市は大きな打撃を受けた。多くの国で建設が事実上停止された。農村地域は、農作物の価格が約65%下落したために苦しんだ。鉱業や伐採などの第一次産業に依存している地域が最も被害を受けた。



 日本では何が起きたのか? 昭和恐慌

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 昭和恐慌は、1929年10月にアメリカ合衆国で起き世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響が日本にもおよび、翌1930年から1931年にかけて日本経済を危機的な状況に陥れた、戦前の日本における最も深刻な恐慌。



 昭和恐慌の発端は、第一次世界大戦による戦時バブル(=日本の大戦景気)の崩壊にある。第一次世界大戦中は大戦景気に沸いた日本であったが、戦後ヨーロッパの製品がアジア市場に戻ってくると1920年には戦後恐慌が発生し、それが終息に向かおうとしていた矢先、1922年の銀行恐慌、1923年には関東大震災が次々と起こって再び恐慌に陥った(震災恐慌)。



 当時の日本の産業といえば、生糸、綿などの繊維産業くらいしかなかった。後は木材など第一次産業産品くらいだ。

 日本の輸出先は、生糸についてはアメリカ、綿製品や雑貨については中国をはじめとするアジア諸国であったが、これらの国々はとりわけ世界恐慌のダメージの強い地域であった。

 こういったことから、1930年3月には商品市場が大暴落し、生糸、鉄鋼、農産物等の物価は急激に低下した。次いで株式市場の暴落が起こり、金融界を直撃した。



 この恐慌によって、激しい打撃を受けたのが、生糸に依存していた農村であり、他に生産手段の乏しかった東北の寒村を残酷なほどの貧困が襲った。

 救ってくれるはずの米も、植民地である朝鮮や満州から、開拓民たちの生産した米が輸入されたことで、需要飽和して、貧困に拍車をかけた。

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 翌1931年には東北地方・北海道地方が冷害により大凶作にみまわれた。不況のために兼業の機会も少なくなっていたうえに、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家経済は疲弊し、飢饉水準の窮乏に陥り、貧窮のあまり東北地方や長野県では青田売りが横行して欠食児童や女子の身売りが深刻な問題となった。

 税収入が激減したため小学校教員を含む公務員の給料不払い問題も起こった。また、穀倉地帯とよばれる地域を中心に小作争議が激化した。



 https://www.youtube.com/watch?v=cH5SMjcYqLo

 「三重県の漁村の女房たちは、亭主との間に出来た子供を間引した廉で、1小隊ほども法廷に立たされた」 この村のことと違うかな。ピンときました。

 尋常小学生のころ、母に尋ねたんです。学校で学年別に整列すると、僕らは90人いるのに、1年上の31(昭和6)年生まれだけが、半分くらいしかいない。「なんでかな」。すると、母が「実はな……」と教えてくれた。



 貧しい母親たちは、産んだばかりの赤ん坊を殺して油紙に包んで海に流した。それが波で押し返され、見つかった。産婆も関係しており、姉の同級生の母親も摘発された、と姉からも聴いた。



 その前からあったが、31年が不景気のどん底でひどかったらしい。満州事変の年ですね。当時、今と違って魚はとれたが、値段が安く、輸送手段が乏しかった。人力で荷車を引き、半日がかりで伊勢まで運んだそうだ。

 僕は何とも言えない気持ちになった。事件のころ、僕も母のおなかに入っていたわけで、もう半年早く宿っていたら、同じ運命をたどったんだろうか。何しろ僕は7人きょうだいの一番下でしたから。



 東北地方の農家では、戦後、1960年代くらいまで、子供を育てる見通しが立たないとき、母親が産んだ後の嬰児を川に沈めて死なせるというルポがあったことだ。

 上に挙げた伊勢地方では、戦前の1933年に30余名の嬰児殺しが摘発されているが、東北地方の奥地では、昭和30年代でも、育てられないための子殺しは普通に起きていた。



 昭和恐慌では、生糸だけが唯一の現金手段という地方の村が無数にあって、それが大恐慌で突然ゼロになり、多くの人々が途方に暮れ、子殺しをするしかなかった。

 だから1931年生まれは、特別に人数が少ないということになった。



 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」1934年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。



 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。

 しかし、山裾にある町村は、未曾有の凶作に悩み、木の実・草の根、人間の食べられるものは全部刈り取り掘り尽くし、米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ飢餓地獄にのたうつ惨状、秋田県由利郡直根村百宅部落のごときは、空飛ぶ鳥類さえ斃死したかと思われ、400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。

 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。



 これは家人の働きに出た後の留守居や、でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。



 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、授業を受ける児童の多いこと、一人泣き出せば又一人、背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。



 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、やっと15,6になると、雀の涙ほどの前借金で丁稚とか酌婦に売り出される。

 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、食うや食わずにやっと6年を終えたら、知らぬ他国に涙の生活、彼ら山間奥地の住民は、永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。」



売られゆく娘たち

 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。

 身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。

 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。

 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。  

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 我々は、「おしん」というテレビドラマを通じて昭和恐慌の一端を見せられたが、現実は、おしんは恵まれた方だったというしかない。

 日本が、満州・朝鮮に大規模な植民地政策を行った理由の一つに、この昭和恐慌があった。大都市以外の貧村で、食べてゆくことは、本当に至難の時代であって、命を賭して、外国移民や植民地移民に救いを求めるしかなかったのである。

 亡くなったアントニオ猪木の両親も、そうしてブラジルに渡ったのだ。



 もちろん、アメリカでも凄まじい事態となり、餓死者や自殺者が続出していた。

 ニューヨーク・ウオール街では、株市場が終わると空から人が降ってくるといわれ、大通りは飛び降り自殺者のため、怖くて歩けないとさえ言われた。

 https://www.youtube.com/watch?v=4C-GO9fOa-k



 https://www.youtube.com/watch?v=ApC8U_myIPA



 シカゴとバッファローの市場は閉鎖され、投機業者で自殺した者はこの日だけで11人に及んだ。この日は木曜日だったため、後にこの日は「暗黒の木曜日 」と呼ばれた。



 ケインズ以前の古典経済学は、「行政府による財政出動による経済刺激策は政府の介入は民間の経済活動を圧迫するだけである」との考えが通説となっていたた(クラウディングアウト)。

 ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)の中で、政府による財政出動によって、失われた雇用の創出と有効需要の創出が可能であり、投資の増加が所得の増加量を決定するという乗数理論に基づき、減税・公共投資などの政策により投資を増大させるように仕向けることで、回復可能であることを示した。



 これは、簡単にいえば、景気を定める根底に、「大衆の購買力による需要」があり、財政出動や、雇用促進によってのみ景気が回復することを示したものだ。

 だが、共和党フーバー大統領は、アメリカ支配階級の思想として、「貧乏人に金を渡すことはつけあがせるだけだ」という封建的な偏見から、古典経済学に固執し、「大衆にカネを出さない政府」を続けた。

 (新自由主義創設者)のミルトン・フリードマンは、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとしている。(政府による経済介入を徹底的に否定した)



 ケインズの経済理論は、現代に至るまで基本的に正しい。経済の本質は「需要」であって供給ではない。古典経済学では、供給さえすれば勝手に経済循環が上昇するとの妄想を前提にしていた。経営者を富ませれば、勝手に景気が良くなるというわけで、安倍晋三や麻生太郎のアベノミクスも、同じ古典経済思想に基づいていた。

 高橋是清は、ケインズとほぼ同じ思想であり、雇用と財政出動によって景気を回復させようとした。



 問題は、ケインズが「需要」を大規模に作り出す方策として、ルーズベルトに「戦争による浪費」をけしかけたことだ。

 第一次世界大戦後の景気高揚を再びというわけで、第二次世界大戦によってニューデール大恐慌を克服するという戦略を、アメリカ政府は建てた。

 これによって、日本をブロック経済化で追い詰め、暴走させることで、第二次世界大戦を演出したともいわれる。

 真珠湾攻撃も、太平洋戦争に導くための本当の作戦を建てたのはアメリカ側だといわれ、偽旗作戦であった可能性が強い。

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安倍・麻生のあまりに愚かな経済政策アホノミクス(国債を大増発して大企業株式を買い支える)のせいで、現在、日本は凄まじい円安に苦しみ、あらゆる物価が上昇しているのに、出口がどこにも見当たらないという行き詰まりに喘いでいる。

 だが、円安不況の本番は、これからだ。これから何が起きるのか、加谷珪一が指摘している。



  「世界経済の不況突入」を、世界銀行もIMFもリアルに心配し始めた…日本にも及ぶ「深刻すぎる影響」10月5日

https://gendai.media/articles/-/100640



  全世界的な景気後退(リセッション)懸念が急激に高まっている。背景となっているのは、インフレ抑制を目的とした各国の積極的な利上げ姿勢である。インフレを抑制するには、金利を引き上げて景気を悪くするしか方法がなく、その代償は大きい。世界経済は、不況を取るのか、インフレを取るのかの二者択一となりつつある。



 世界銀行は2022年9月15日、各国の中央銀行が進めている利上げの影響によって、世界経済が景気後退入りする可能性があるとの報告書を発表した。世界銀行だけでなく IMF(国際通貨基金)も景気後退リスクについて言及しており、来年にかけて世界経済が不況に突入する可能性はそれなりに高くなったと見て良い。



 報告書によると各国の中央銀行は、過去50年で最大規模の金利引き上げを実施しており、政策金利について4%程度まで引き上げられると予想。場合によっては6%までの引き上げもあり得るとの見方を示した。これによって世界全体のGDP(国内総生産)成長率はプラス0.5%と大幅に減速するとしている。



 これ以外にも、景気後退リスクへの指摘が相次いでおり、市場もこうした懸念を織り込み始めた。8月時点で3万4000ドルを回復していたダウ平均株価は、9月に入って急速に値を下げ、一時は2万9000ドルを割っている。英国では、新政権の積極財政策と国債大増発が懸念されたこともあり、株安、債券安、通貨安のトリプル安に見舞われた。



 市場に動揺が走っている状況だが、経済学の基本原理を理解している人や、米国の中央銀行にあたるFRB(連邦準備制度理事会)のスタンスをしっかりと見定めている人にとっては、これらは十分に予想された事態といってよい。



多くの人は、まだ明確に認識していないかもしれないが、インフレ対策としての金利引き上げは、意図的に景気を悪化させ、それによって物価の上昇を抑制する施策である。金利が上がれば銀行から資金が借りにくくなり、経済活動は収縮する。通貨高も進むので、輸出企業の業績が悪化し、景気悪化にさらに拍車をかける。景気が悪くなれば、価格を下げないと商品が売れなくなるので、結果的にインフレが抑制されるという仕組みだ。



 インフレが進むと、賃金上昇が物価上昇より遅れ、貯蓄の少ない低所得者層の生活を直撃する。加えて、預金を持っている人は実質的に損失を抱えることになるので、中間層にも深刻な影響が及ぶ。

 中南米やトルコのようにインフレを放置する国もあるが、一般的に先進各国においてインフレ抑制は、最優先の政治課題と考えて良い。



 ところが、短期的にインフレを抑制する手段は金利の引き上げしかなく、金利を上げれば当然のことながら景気は悪化する。乱暴なやり方に見えるかもしれないが、経済学的に見て、短期的にインフレを抑制する方法は金利の引き上げしかなく、実際、日本を除く各国は金利引き上げに動いている。



 つまり、大規模なインフレが発生した時には、インフレによる国民生活への打撃を取るのか、不景気による国民生活への打撃を取るのかという厳しい選択を迫られるのが現実である。

 不景気になったからといって財政出動などの景気刺激策を実施すれば、需要曲線が右シフトしてインフレが悪化するので、簡単には決断できない。



 短期的にできることと言えば、低所得者に対する給付など、需要拡大を伴わない支援策のみである。これがインフレの真実であり、ひとたびインフレが起こってしまうと、対処するのは極めて難しい。

 これは経済学の世界では常識だが、こうした基本概念が、多くの国民や市場関係者に共有されていたとは言い難い。



 日本の場合、デフレが長く続いていたせいか、専門家も含めてインフレの怖さについて理解していない人が多かった。アベノミクスに代表される人為的にインフレを発生させる政策は、失敗した時のリスクが極めて大きく、想定された効果が得られなかった場合でも、インフレの弊害だけ残ってしまう(現在はまさにそうした状態といってよいだろう)。



 賭けの要素が極めて強い政策であり、一部の専門家はそのリスクについて繰り返し指摘していたが、これだけのリスクを抱えた政策であることについて、どれほどの国民が理解していただろうか。

 米国や欧州では量的緩和策がそれなりに効果を発揮したので、状況はまだマシだが、インフレの弊害を軽視していたという点では、日本と大きな違いはない。



 FRBをはじめとする各国の中央銀行が利上げを進めているのは、インフレ抑制が目的であり、副作用として景気が悪化することも想定されていたはずである。ところが米国の株式市場は、利上げが始まった後も、しばらくは上昇を続け、景気悪化を織り込まなかった。



 市場の反応が、あまりにも現実とかけ離れていたことから、業を煮やしたFRBのパウエル議長が強い口調で、インフレ抑制のためには、景気や株価が犠牲になってもやむを得ないというストレートな説明を行い、ようやく市場の目が覚めたというのが現実である(ジャクソンホール会議)。



 今回、発生しているインフレは、原油価格の上昇をきっかけとしたものであり、教科書的に考えればコストプッシュ・インフレということになる。確かに教科書の世界ではそうなるのかもしれないが、複雑な現実社会において、単独の要因で広範囲なインフレが発生することはほとんどない。



原油価格や食糧価格の高騰というコストプッシュ要因に加え、新興国の生活水準向上による世界的な需要拡大、あるいは各国が実施してきた量的緩和策によるマネーの膨張など、需要要因や貨幣要因など複数の要因が密接に絡み合っている。



 このためFRBを中心とする各国の中央銀行は、金利を引き上げると同時に、中央銀行が保有している国債を売却して市中から貨幣を吸収する、いわゆる資産売却をセットにしている。

 リーマンショック以降、FRBは市場に約6兆ドルの資金を供給してきたが、今のペースで金融正常化を進めて行くと、2〜3年の間に2兆ドル以上の資金が回収される見込みである。



 この動きは全世界の金融市場に対して急激な信用収縮をもたらす可能性が高く、とりわけドル資金が大量に流入していた新興国では、資金が急速に米国に戻るため、一部では金融危機の発生も取り沙汰されている。

 もっとも、米国の金利が上昇し、信用収縮が進めば、全世界的なインフレ傾向に歯止めがかかる可能性が見えてくる。だが、それは大規模なリセッションと引き換えであることを忘れてはならない。



 リーマンショック当時、米国は自身が世界経済を混乱させる震源地でありながら、自らへの影響は最小限で済み、欧州や日本、新興国の経済に大打撃を与えた。今回、世界経済がリセッションに陥るのだとすると、震源地はやはり米国ということになるが、米国自身は過剰なマネーを回収し、金融正常化を進めている側なので、前回と同様、影響は最小限にとどまるだろう。

 一方、米国以外の国は大量のドル資金流出という問題を抱え、これに景気後退が追い打ちをかける。



 各国通貨はドルに対して売られているが、とりわけ日本円の下落幅は大きい。このまま米国の利上げが続き、世界経済がリセッションに陥った場合、日本経済には極めて深刻な影響が及ぶ。日銀がすぐに利上げを行うことはほぼ不可能なので、日本側にボールはない。米国経済が、金利の引き上げと景気後退の間で軟着陸することを祈るしかない状況だ。

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 引用以上



 加谷珪一の指摘は、利上げがインフレを抑制させるが、必ず景気後退を招く。この流れは止めようがなく、現在のインフレ規模からいって、アメリカ主導で、過去最悪の利上げが起き、リーマンショックなど比較にならないほどの不況が起きるというわけだ。

 だが、当のアメリカは、大きな痛手を被らない。なぜなら、利上げによって、世界中の投資資金がアメリカに集中するからであり、世界中から信じられないほど値下がりして資源物品を購入できるからである。



 すでに何回か書いたが、日本の総資産は、安倍晋三によるアホノミクスのせいで、現在の為替水準からいえば、2010年当時の3分の1以下に縮小している。

 普通なら円安が輸出産業に恩恵を与えそうなものだが、プラザ合意以降、過去の円高時代に、大企業のほとんどが、海外に生産拠点を移転させていて、ほどんど、円安による輸出メリットは存在していない。

 辛うじて、日本国内に残る中小企業の輸出が有利になる程度だ。



 このままでは、昭和恐慌時代の民衆の塗炭の苦しみが再現されるしかない。

 すでにウクライナ戦争の影響で、小麦価格が世界的に高騰し、第三世界の一部では飢餓が始まっていると報道されている。この影響は16億人に及ぶとされる。

 https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220712/se1/00m/020/026000c



 日本では、おそらく来年から本格的大不況に突入すると予想している。

 何が起きるのか? といえば、昭和恐慌と同じで、人の命が極端に安くなることを意味する。

 若い女性たちは、体を売らないと、まともに食事さえできなくなるかもしれない。

 妊娠、出産は劇的に減ってしまうだろう。望まぬ妊娠から、胎児殺しも激増するかもしれない。



 カネが回らないことは、あらゆる悲劇を生み出すのである。