ビートたけしのテレビタックルを見ていて、東国原英夫が「中小零細企業=町工場は非効率だから淘汰すべし」みたいな主張を繰り返して、タケシから「だから、おまえは宮崎県知事選に落選するんだ!」と突っ込まれていた。

 https://www.tv-asahi.co.jp/tvtackle/backnumber/0443/



 私は、そのまんま東という男が、もう少しマシな人間性かと思っていたので、ウンザリ、がっかりだった。こんな男は、これからの時代、真っ先に淘汰するべきだ。

 九州の男たちは、とりわけ競争意識が激しく、男尊女卑思想からくる序列やランク付けを気にする者が多いことに気づいていたので、東国原も「無駄なものは淘汰せよ」という優生保護思想に洗脳されているように思えたからだ。



 その後も、中小企業を擁護すると見せかけた古田貴之という千葉工大教授が、「菓子生産をIT化して、手作業の職人を開発に回すべし」のようなことを言った。

 このとき、阿川佐和子が「ケーキの職人さんたちはクリームを塗りたいんだ」と述べたので、少し救われた気がした。



 菓子職人たちは、粉をこねて、クリームを塗りつける作業に楽しさと生きがいを感じている。これをAIに与えることは、自分の人生を支える肌身感覚を放棄するに等しいのだ。

 またAIが人間の能力をまるごとコピーできるかのような幻想を抱いている古田に対して、インパール作戦の司令官、牟田口廉也の「大和魂があれば勝てた」の究極的錯覚に似たものを感じた。



 このことは、本当に下積み現場で仕事をして、肌身感覚を身につけた者にしか分からない。人間は屁理屈に生きているのではない。肌身感覚に生きているのだ。

 東国原よ古田よ、おまえたちこそAIに代替されても誰も困らない。プログラム回答を聞いていた方が、まだマシだ。誰も競争主義に洗脳された妄想を聞きたがる者などいないだろう。



 AIの作った心のこもらない、不味そうな生菓子など食いたくもない。

 理由は、AIも医学も、いまだに「気・霊」のメカニズムの1%も理解できないほどの無知蒙昧だからだ。だが、我々は肌身で感じる「気の世界」に生きているのだ。

 彼らは、手でこねて気の入ったパン種と、機械でこねた大量生産のパン種が同じ味のパンを作れると勘違いしているようだ。そうでないことは、手こねパン屋が繁盛していることで証明されている。



 東国原も古田も石田も、特権意識が強いせいか、庶民の価値観が全然分かってない。

 一人一人の生きている個性を無視して、それより上に国家や金儲け競争があるかのような洗脳にどっぷりと浸かりこんでいる。

 一人一人の人生が国家や競争よりも下だと思い込んでいるのだ。こんな優越主義思想は必ず「優生保護思想」に向かい、最終的にナチスのT4作戦のように、精神障害者や知的障害者をガス室で抹殺するという発想に向かうしかない。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828568.html



 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828186.html



 れいわ新撰組の大西恒樹氏が発した「命の選別」=障害者の抹殺排除思想こそ、東国原の行き着く「同じ穴の狢」というしかない。



 中小零細企業は、「日本」という国の骨格である。これまで何度も書いてきたが、日本という国の本質は「職人国家」である。

 それは資本主義のもたらした大量生産、金儲け至上主義から生み出された「工業化国家」の対極にある。

 職人は、消費者と相対して、きめ細やかにニーズに対応し、消費者の心に奉仕しようとする思想の体現者である。



 それは三井高利の「三方良し思想」の延長にある。

 https://www.itochu.co.jp/ja/about/history/oumi.html



 『商売は菩薩の業(行)、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの』

 こうした思想は、比叡山から勃興した鎌倉仏教の聖たちが全国に広めたもので、足下の近江地方では、とりわけ行き届いて共有された「利他主義」の思想だった。



 「日本の職人芸」とは、使う人が、そのモノ=製品によって菩薩道を歩めるものと期待して職人が心をこめて作り出したもので、だからこそ完全に破棄するしかないまで「使い切る」ことが「成仏の道」であり、無駄なく再利用に再利用を重ねて、原材料、製品、作る人、使う人、結果がすべて菩薩の道であった。廃棄されるとき、それが成仏だった。

 これが鎌倉仏教の根本思想だったのだ。

 そのことは、今でも比叡山や永平寺の僧たちの日常的な修行、作法のなかに垣間見える。



 そうした「菩薩道=成仏の思想」を誰が受け継いできたのか?

 大企業か? 違う! 彼らは資本主義の生み出した鬼っ子であり、金儲け至上主義の「餓鬼道」であった。

 消費者の心に寄り添い、連帯してきたのは、中小零細企業だった。金儲けだけを目的にするのではなく、その製品を使う消費者の喜ぶ姿を思い浮かべながら、きめ細やかなニーズに対応した製品を、儲けも少なく、奉仕の精神で作り続けてきた人々、それは中小零細企業群だった。



 日本を支えてきたのは中小零細企業だ。その心は、三井高利らが述べた「菩薩道」だった。

 だから、自民党による大企業保護主義の政治のなかで翻弄され続けながらも生き残ってきた中小零細企業群は、自分たちが最低限の生活しかできなくとも、消費者の喜ぶ顔を生きがいにして生き抜いてきた。



 それを「効率が悪いから淘汰せよ」と言う、東国原と、その背後にいる竹中平蔵、堀江貴文ら、そして彼らを代表する思想である「新自由主義」こそ、人間が何を食べて何を呼吸して生きているのかさえ理解できないで、金だけがすべてと思い込まされた「悪魔道」に生きる「餓鬼亡者」である。



 「悪魔道」の特徴は、「スケールメリット」目先の合理化を大上段に構えて、「金儲けの効率」をご本尊として崇め奉る宗教である。

 そこには、生きている一人一人の人生と笑顔など微塵も存在しない。ただ金庫にしまいこんだ札束と口座の数字が増えることだけが人生の喜びになっている。

 巨大企業は、すべて、金儲けだけが人生の価値と信じ込まされている連中に支配されている。



 だが、本当の人間は、預金通帳の数字を生きがいにして生きているわけではない。

 今、自分の心を支えてくれている、目の前にいる人の笑顔によって生きているのだ。

 竹中平蔵も堀江貴文も、菅義偉も東国原英夫も、もし自分を支えてくれている笑顔が消えたなら、たちまち元気を失って、棺桶に近づく運命しか残されていない。



 我々は「笑顔を食べて生きている」といってもよい。

 しかし、その笑顔を破壊する結果しか生まない「金儲け至上主義者」たちは、自分の心を支えてくれているものを、まるで理解できないのだ。



 もしも、自分の人生を本当に支えているものが何なのか? 知ったなら、日本の菩薩道を支えてきた中小零細企業群を「非効率だから淘汰する」なんて妄言を吐けるわけがない。

 日本は、これからも末永く中小零細企業によって支えられてゆく国である。

 それどころか、もっときめ細やかに、庶民の生活と笑顔に寄り添った、一人一人の人生に奉仕する「三方良し」社会を気づいてゆくことが、鎌倉仏教が教えた「菩薩道=成仏の思想」の使命であると私は思う。



 追記



 朝から激しくカラスが騒いでいる。こんなときは、世界のどこかで巨大地震が起きる。トルコ地震の前も同じだった。



 千葉に電話したら、まったく同じでカラスが大騒ぎしていて不気味と言っていた。



 東大阪市に電話したらカラスが消えているとのこと。



 もしかしたら震源は関西に近いかもしれない。



 トルコ地震の後、普通は数回連鎖する巨大地震がまったく起きていない。これは連鎖地震でM8近いものだ。



 飲料水や持ち出しモノ靴など点検を