2009年09月

    今春、親族が集まって百歳の祝いをしたばかりの祖母が23日他界した。
     最期は老衰により経口で飲食物を摂取できなくなり、後期高齢者医療制度により、病院がカネにならない延命治療を嫌がるようになったため、祖母は意識のないまま病院で死を迎えることもできず、老人ホームに戻された。
     ホームでは強制栄養注入も不可能で、本人の延命治療否定誓約があったために結局、餓死という形になった。しかし、死に顔はやすらかで満足そうだった。

     数年前から老いた両親が世話をできる状態ではないため、老人ホームに入所し全面的介護だったが、転倒すれば骨折という状態になり、矢も尽き刀も折れて人生のすべてを全うして他界するという末期であり、ここまでくれば、葬儀も哀しみではなく、めでたい転生の祝いということだ。

     彼女を身近に見てきた孫の一人として、その人生は、後に続く我々に、人生の本質を考えるうえでの大きな指針を示してくれたと思う。
     人生は生まれた入口から死という出口に向かってのみ歩いてゆく。それ以外の選択肢は許されていないのである。人生の本質は、「どのように死を迎えるか?」にある。
     彼女は決して人生を飾らず、あるがまま、なすがまま、さらさらと流れゆく小川のように惜しまず見せてくれた。その死に顔には微塵の後悔もない。毛ほどの虚飾もない。ただ真実だけを見せてくれた。
     
     人は何のために生まれ、何を行い、どのように死に、どこへ行くのか? 人生とは何か? 人生とは何か? 人生とは何か? 「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」
     限りなき疑問に、ひとつの答えを示してくれた祖母の一生だった。

     彼女は1910年(明治43年)9月1日生まれだから、実際には99歳だが、数えで百歳ということで親族で祝った。昔は生誕日をそのまま届けるより、吉日に合わせて届けたことが多く、本当の誕生日と戸籍上の誕生日が一致することの方が少なかったようなので、数ヶ月程度の違いなどありふれていた。

     生まれは現在の四日市市富田町だが、幼いうちに一家揃って岐阜県加茂郡白川町黒川というところに引っ越した。元々親族がいたらしいが、事情は定かではない。黒川では富田屋という雑貨店を営業したが、やがてツケ債権回収不能で倒産する結果となった。貧しい寒村の黒川ではツケでしか売れず、そのツケも回収できなかったのだ。
     小学校は、辻パイプオルガン工房があるので有名な旧黒川小学校で、実家は、そのすぐ下にあった。今行っても、本当に山深い、平家落武者伝説の残る奥の奥の山里だ。ここでは人口よりも狸やキツネやウサギの数が圧倒的に多い。 今では温暖化によって静岡と立場が変わって緑茶と椎茸で有名になっているが、かつては内陸気候の寒さで、苛酷な生活を強いられた貧村だった。長寿村だが、彼女と同級生は、たった一人しか生き残っていないと聞いていた。

     彼女の生まれた1910年という年を調べてみると、幸徳秋水らが検挙された大逆事件が起こり、平沼騏一郎らによるでっち上げ弾圧で数十名が冤罪処刑された。以来、日本の社会主義運動は戦後まで沈滞を強いられた。 そして8月22日、日韓併合があった。1945年のポツダム宣言まで、35年間、朝鮮半島は日本の領土となり、後に、大勢の朝鮮人が奴隷に等しい扱いで日本に連れてこられ、炭坑やダム工事現場で辛酸を嘗め、多くが殺害された。

     1918年、祖母が黒川小学校生のころにスペイン風邪が全世界に流行し、中国やアフリカの未統計国を含めれば、一億人を超す死者が出たともいわれている。当時の世界人口の5%程度が死亡したとみられ、黒川でも多くの死者が出たと記録されている。
     1914年から勃発した第一次世界大戦も、このスペイン風邪(新型インフルエンザ)によって戦闘員500万人が死亡したことで、参戦国が戦意を失って終結することになった。

     祖母は、尋常小学校を卒業すると、名古屋に洋裁を学びに出た。当時、「日本のチベット」ともいわれた山深い黒川の里を出て名古屋に向かった。徒歩で峠をいくつも超えて、9時間もかかって恵那(大井)駅に向かったと語っていた。

     80年近い前だが、やがて知立の造り酒屋の事務員となり、家の妻が病死した後に後妻となった。そこには父を含む先妻の幼子が三人いた。だが、主人、つまり祖父が奔放な性格のために酒屋は倒産し、夜逃げを繰り返すことになった。年齢の近い父を連れてさんざん経済的な苦労を重ねて育て上げた。そして、泣きながら父を出征に送り出したこともあった。
     父は生還率数%の陸軍歩兵特殊部隊から無事に帰還したが、母との結婚後、年齢の近い姑として特異な苦悩があったようだ。 年齢の近い嫁姑が同居すると激しい軋轢が生じることになる。このため彼女は息子の家を離れて自立の道を選んだ。
     以来、多くを会社員で過ごし、洋裁や細工物造りの教師も行いながら、我々孫や親族、キリスト教会で知り合った若い娘たちの面倒を見続けて静かに老いていった。

     彼女の人生で、一番凄いことといえば、おそらく飛騨川バス転落事故だっただろう。
     1968年8月18日、奇しくも彼女の育った白川町の国道41号、において乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち2台が、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故で、日本バス事故史上における最悪の事故となったものだ。

     これは、当時、祖母が勤務していた奥様ジャーナルという団地新聞社が主催した乗鞍岳観光バスツアーで、750人以上が参加した。このなかに主宰社係員として彼女がいた。しかも、彼女の乗っていたバスこそ、転落した五号車だった。
     当時、凄まじい豪雨のために白川口から名古屋に引き返す事態となり、上麻生に向かうと、すでに土砂崩れが始まり、通行車両が立往生していた。
     この連絡のために、彼女は土砂降りを厭わずバスを降りて他のバスに向かった。このとき、突如、崩れ落ちてきた土砂に押し流されて107名の乗車した二台のバスが飛騨川にゆっくりと転落していった。助かった者は、わずか三名だった。

     いかな気丈な祖母といえどもショックは凄まじいものだったにちがいないが、社長も家族を失うにとどまらず、その後会社も破綻した。その上、法的な後始末のために、彼女は無給で長期間、苛酷な仕事を強いられることになった。
     しかし、一言も文句もいわず、最後まで担当者社員としての責務を全うしたのである。
     この事故は、その後の日本の道路行政に巨大な影響を与えることになった。また日本災害史上でも伊勢湾台風や洞爺丸台風と同様、重大事件として防災関係者にとって大きな指標であり続けている。
     祖母の人生にとっても、あまりに強烈な打撃であり、その後、数十年も慰霊に奔走する日々が続くことになった。そして、彼女一人だけが生き残っている重みをもって、その後の人生を支え続けたにちがいない。

     孫として彼女の印象を一言でいえば、一度として「辛い、苦しい、悲しい」という弱音を聞いた記憶がない。本当に強靱な女性だった。
     母は正反対に、ひどく弱い、すぐに悲鳴をあげるお嬢様タイプの女性だったので、祖母としては面食らうばかりで、相当に強いことも言ったようだ。これを母は最近まで恨んでいた。
     しかし、亡くなった時間に、霊能者である甥の元に現れ、母に対して「きついことをいってゴメンね」と繰り返し謝罪したと聞いて、心の底から宥恕(ゆうじょ→わだかまりを許すことで解放)したようだ。

     ちなみに、甥のY君は高校生だが霊の見える子で、今回も葬儀にすべてつきあってくれて、死んだ後にも祖母の霊通信を伝えてくれた。親族に霊能者が一人いるだけで、周囲は本当に助かり、救われるものだ。
     彼の話では、葬儀の最中、教会の棺の上に光り輝くイエスの姿が見えたということで、驚きを隠さなかった。また、棺の周囲に数十名の霊の姿が見えたそうだ。
     筆者は遺体の上に覆い被さるような青いオーラが見えて、死んだ人がオーラを出すことを知らなかったので驚いた。みんながいたから、挨拶したさに霊が肉体に戻りたかったのかもしれない。見ていた家族は、みな祖母の口が動きそうだったと証言している。

     彼女は、第一次世界大戦からはじまって、日中戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と激動の時代を強靱に生き抜いてきた人だ。
     彼女の生きた、この百年は、人類史にとっても最大の激動だったと断言できるだろう。彼女の生まれた年に地球上には16億人の人間がいたが、死んだ今年には70億人の人間がいる。実に4倍以上だ。かつて、これだけ猛烈に人間が増えた時代はなかったように思う。

     その一人一人が誕生の扉からこの世に登場し、人生の軌跡があり、感動があり、やがて必ず死の扉を叩かねばならない運命を持っている。
     そう誰一人、その運命を免れる者はいない。死はやがて必ず自分にやってくる。祖母のような自然死であろうと、病死であろうと、死刑の刑死であろうと、昭和天皇のような無理で悲惨な死であろうと、事故死であろうと、すべて同じ死であり、差別に満ちた人類社会でありながら、誕生と死という側面において、一切の差別の存在しない、完全無欠の平等が保障されていることを知っておかねばならない。

     祖母はまれにみる強靱な心と肉体の持ち主だったが、若い頃にクリスチャンとなり、以来70年間、欠かすことなくプロテスタント系教会で信仰を続けた。
     筆者も幼いとき、祖母に連れられて毎週、教会の日曜学校に通ったものだ。40年前から行っている死刑制度廃止運動も、この頃、必死に読んだ聖書の影響があるのかもしれない。
     彼女らが設立した守山区の教会は事情があって消滅してしまったが、最期に出会った代官町のキリスト教会で親戚筋の牧師らに看取られて幸福な最期を迎えることができた。遺体は本人の遺志により献体に供された。

     親族最長老であり、最長寿記録を作っての死だったが、彼女の人生を振り返れば、人の一生の本質を余すところなく語ってくれているような気がするのだ。
     「人生、立って半畳、寝て一畳、天下をとっても二合半」
     やるべきことをすべてやっても、たくさんやり残しても、人よりも余分に生きても、短くても、不足でも、余っても、人の一生はたかがしれているし、同時に長く、重く、辛く、切なく、嬉しく、心暖かいものだ。
     100の部屋を持つ豪邸に住んでも、寝るのは一部屋だけだ。たくさんの美人妻を囲っても、寝るのは一人だけだ。ベンツに乗っても、軽自動車と同じ時間でしか走れない。どんな絶世の美女を妻にしても、三日で飽きる。どんなブス妻でも三日で慣れる。
     よく、よく考えてごらん。人は人でしかない。人を超えることは絶対にできない。どんなにカネを貯めても、権力を得ても、人を一歩も超えることはできない。みんな最初から最後まで平等なんだよ。

     彼女は小さな贅沢すら好まず、欲の極めて薄い人だった。爪に火を灯すようにして貯めた金を、すべて教会や親族に分け与えて静かに去っていった。
     趣味といえば海外旅行と洋裁、細工物造りだったが、1970年代に、北朝鮮やソ連、東欧諸国を繰り返し訪問していたのが唯一の贅沢と言えるかもしれない。しかし、細工物の材料は、いつも古新聞や広告紙など廃棄物を利用していた。
     子供が大好きで、86歳まで幼稚園の手伝を続けていたほどだ。
     本当に丈夫な人で、90歳を超えてから老人ケア施設にボランティアに出かけた。そして自分より20歳以上も若い「老人」たちの車椅子を押し続けたのだ。
     施設に行ったとき、みんな被ケア者だと思った。しかし、彼女は自分をケアボランティアだと言った。
     そして誰よりも、元気よく車椅子を押して長い時間歩いた。今、天国に行って、また他人の車椅子を押して歩いているにちがいない。

    今春、親族が集まって百歳の祝いをしたばかりの祖母が23日他界した。
     最期は老衰により経口で飲食物を摂取できなくなり、後期高齢者医療制度により、病院がカネにならない延命治療を嫌がるようになったため、祖母は意識のないまま病院で死を迎えることもできず、老人ホームに戻された。
     ホームでは強制栄養注入も不可能で、本人の延命治療否定誓約があったために結局、餓死という形になった。しかし、死に顔はやすらかで満足そうだった。

     数年前から老いた両親が世話をできる状態ではないため、老人ホームに入所し全面的介護だったが、転倒すれば骨折という状態になり、矢も尽き刀も折れて人生のすべてを全うして他界するという末期であり、ここまでくれば、葬儀も哀しみではなく、めでたい転生の祝いということだ。

     彼女を身近に見てきた孫の一人として、その人生は、後に続く我々に、人生の本質を考えるうえでの大きな指針を示してくれたと思う。
     人生は生まれた入口から死という出口に向かってのみ歩いてゆく。それ以外の選択肢は許されていないのである。人生の本質は、「どのように死を迎えるか?」にある。
     彼女は決して人生を飾らず、あるがまま、なすがまま、さらさらと流れゆく小川のように惜しまず見せてくれた。その死に顔には微塵の後悔もない。毛ほどの虚飾もない。ただ真実だけを見せてくれた。
     
     人は何のために生まれ、何を行い、どのように死に、どこへ行くのか? 人生とは何か? 人生とは何か? 人生とは何か? 「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」
     限りなき疑問に、ひとつの答えを示してくれた祖母の一生だった。

     彼女は1910年(明治43年)9月1日生まれだから、実際には99歳だが、数えで百歳ということで親族で祝った。昔は生誕日をそのまま届けるより、吉日に合わせて届けたことが多く、本当の誕生日と戸籍上の誕生日が一致することの方が少なかったようなので、数ヶ月程度の違いなどありふれていた。

     生まれは現在の四日市市富田町だが、幼いうちに一家揃って岐阜県加茂郡白川町黒川というところに引っ越した。元々親族がいたらしいが、事情は定かではない。黒川では富田屋という雑貨店を営業したが、やがてツケ債権回収不能で倒産する結果となった。貧しい寒村の黒川ではツケでしか売れず、そのツケも回収できなかったのだ。
     小学校は、辻パイプオルガン工房があるので有名な旧黒川小学校で、実家は、そのすぐ下にあった。今行っても、本当に山深い、平家落武者伝説の残る奥の奥の山里だ。ここでは人口よりも狸やキツネやウサギの数が圧倒的に多い。 今では温暖化によって静岡と立場が変わって緑茶と椎茸で有名になっているが、かつては内陸気候の寒さで、苛酷な生活を強いられた貧村だった。長寿村だが、彼女と同級生は、たった一人しか生き残っていないと聞いていた。

     彼女の生まれた1910年という年を調べてみると、幸徳秋水らが検挙された大逆事件が起こり、平沼騏一郎らによるでっち上げ弾圧で数十名が冤罪処刑された。以来、日本の社会主義運動は戦後まで沈滞を強いられた。 そして8月22日、日韓併合があった。1945年のポツダム宣言まで、35年間、朝鮮半島は日本の領土となり、後に、大勢の朝鮮人が奴隷に等しい扱いで日本に連れてこられ、炭坑やダム工事現場で辛酸を嘗め、多くが殺害された。

     1918年、祖母が黒川小学校生のころにスペイン風邪が全世界に流行し、中国やアフリカの未統計国を含めれば、一億人を超す死者が出たともいわれている。当時の世界人口の5%程度が死亡したとみられ、黒川でも多くの死者が出たと記録されている。
     1914年から勃発した第一次世界大戦も、このスペイン風邪(新型インフルエンザ)によって戦闘員500万人が死亡したことで、参戦国が戦意を失って終結することになった。

     祖母は、尋常小学校を卒業すると、名古屋に洋裁を学びに出た。当時、「日本のチベット」ともいわれた山深い黒川の里を出て名古屋に向かった。徒歩で峠をいくつも超えて、9時間もかかって恵那(大井)駅に向かったと語っていた。

     80年近い前だが、やがて知立の造り酒屋の事務員となり、家の妻が病死した後に後妻となった。そこには父を含む先妻の幼子が三人いた。だが、主人、つまり祖父が奔放な性格のために酒屋は倒産し、夜逃げを繰り返すことになった。年齢の近い父を連れてさんざん経済的な苦労を重ねて育て上げた。そして、泣きながら父を出征に送り出したこともあった。
     父は生還率数%の陸軍歩兵特殊部隊から無事に帰還したが、母との結婚後、年齢の近い姑として特異な苦悩があったようだ。 年齢の近い嫁姑が同居すると激しい軋轢が生じることになる。このため彼女は息子の家を離れて自立の道を選んだ。
     以来、多くを会社員で過ごし、洋裁や細工物造りの教師も行いながら、我々孫や親族、キリスト教会で知り合った若い娘たちの面倒を見続けて静かに老いていった。

     彼女の人生で、一番凄いことといえば、おそらく飛騨川バス転落事故だっただろう。
     1968年8月18日、奇しくも彼女の育った白川町の国道41号、において乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち2台が、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故で、日本バス事故史上における最悪の事故となったものだ。

     これは、当時、祖母が勤務していた奥様ジャーナルという団地新聞社が主催した乗鞍岳観光バスツアーで、750人以上が参加した。このなかに主宰社係員として彼女がいた。しかも、彼女の乗っていたバスこそ、転落した五号車だった。
     当時、凄まじい豪雨のために白川口から名古屋に引き返す事態となり、上麻生に向かうと、すでに土砂崩れが始まり、通行車両が立往生していた。
     この連絡のために、彼女は土砂降りを厭わずバスを降りて他のバスに向かった。このとき、突如、崩れ落ちてきた土砂に押し流されて107名の乗車した二台のバスが飛騨川にゆっくりと転落していった。助かった者は、わずか三名だった。

     いかな気丈な祖母といえどもショックは凄まじいものだったにちがいないが、社長も家族を失うにとどまらず、その後会社も破綻した。その上、法的な後始末のために、彼女は無給で長期間、苛酷な仕事を強いられることになった。
     しかし、一言も文句もいわず、最後まで担当者社員としての責務を全うしたのである。
     この事故は、その後の日本の道路行政に巨大な影響を与えることになった。また日本災害史上でも伊勢湾台風や洞爺丸台風と同様、重大事件として防災関係者にとって大きな指標であり続けている。
     祖母の人生にとっても、あまりに強烈な打撃であり、その後、数十年も慰霊に奔走する日々が続くことになった。そして、彼女一人だけが生き残っている重みをもって、その後の人生を支え続けたにちがいない。

     孫として彼女の印象を一言でいえば、一度として「辛い、苦しい、悲しい」という弱音を聞いた記憶がない。本当に強靱な女性だった。
     母は正反対に、ひどく弱い、すぐに悲鳴をあげるお嬢様タイプの女性だったので、祖母としては面食らうばかりで、相当に強いことも言ったようだ。これを母は最近まで恨んでいた。
     しかし、亡くなった時間に、霊能者である甥の元に現れ、母に対して「きついことをいってゴメンね」と繰り返し謝罪したと聞いて、心の底から宥恕(ゆうじょ→わだかまりを許すことで解放)したようだ。

     ちなみに、甥のY君は高校生だが霊の見える子で、今回も葬儀にすべてつきあってくれて、死んだ後にも祖母の霊通信を伝えてくれた。親族に霊能者が一人いるだけで、周囲は本当に助かり、救われるものだ。
     彼の話では、葬儀の最中、教会の棺の上に光り輝くイエスの姿が見えたということで、驚きを隠さなかった。また、棺の周囲に数十名の霊の姿が見えたそうだ。
     筆者は遺体の上に覆い被さるような青いオーラが見えて、死んだ人がオーラを出すことを知らなかったので驚いた。みんながいたから、挨拶したさに霊が肉体に戻りたかったのかもしれない。見ていた家族は、みな祖母の口が動きそうだったと証言している。

     彼女は、第一次世界大戦からはじまって、日中戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と激動の時代を強靱に生き抜いてきた人だ。
     彼女の生きた、この百年は、人類史にとっても最大の激動だったと断言できるだろう。彼女の生まれた年に地球上には16億人の人間がいたが、死んだ今年には70億人の人間がいる。実に4倍以上だ。かつて、これだけ猛烈に人間が増えた時代はなかったように思う。

     その一人一人が誕生の扉からこの世に登場し、人生の軌跡があり、感動があり、やがて必ず死の扉を叩かねばならない運命を持っている。
     そう誰一人、その運命を免れる者はいない。死はやがて必ず自分にやってくる。祖母のような自然死であろうと、病死であろうと、死刑の刑死であろうと、昭和天皇のような無理で悲惨な死であろうと、事故死であろうと、すべて同じ死であり、差別に満ちた人類社会でありながら、誕生と死という側面において、一切の差別の存在しない、完全無欠の平等が保障されていることを知っておかねばならない。

     祖母はまれにみる強靱な心と肉体の持ち主だったが、若い頃にクリスチャンとなり、以来70年間、欠かすことなくプロテスタント系教会で信仰を続けた。
     筆者も幼いとき、祖母に連れられて毎週、教会の日曜学校に通ったものだ。40年前から行っている死刑制度廃止運動も、この頃、必死に読んだ聖書の影響があるのかもしれない。
     彼女らが設立した守山区の教会は事情があって消滅してしまったが、最期に出会った代官町のキリスト教会で親戚筋の牧師らに看取られて幸福な最期を迎えることができた。遺体は本人の遺志により献体に供された。

     親族最長老であり、最長寿記録を作っての死だったが、彼女の人生を振り返れば、人の一生の本質を余すところなく語ってくれているような気がするのだ。
     「人生、立って半畳、寝て一畳、天下をとっても二合半」
     やるべきことをすべてやっても、たくさんやり残しても、人よりも余分に生きても、短くても、不足でも、余っても、人の一生はたかがしれているし、同時に長く、重く、辛く、切なく、嬉しく、心暖かいものだ。
     100の部屋を持つ豪邸に住んでも、寝るのは一部屋だけだ。たくさんの美人妻を囲っても、寝るのは一人だけだ。ベンツに乗っても、軽自動車と同じ時間でしか走れない。どんな絶世の美女を妻にしても、三日で飽きる。どんなブス妻でも三日で慣れる。
     よく、よく考えてごらん。人は人でしかない。人を超えることは絶対にできない。どんなにカネを貯めても、権力を得ても、人を一歩も超えることはできない。みんな最初から最後まで平等なんだよ。

     彼女は小さな贅沢すら好まず、欲の極めて薄い人だった。爪に火を灯すようにして貯めた金を、すべて教会や親族に分け与えて静かに去っていった。
     趣味といえば海外旅行と洋裁、細工物造りだったが、1970年代に、北朝鮮やソ連、東欧諸国を繰り返し訪問していたのが唯一の贅沢と言えるかもしれない。しかし、細工物の材料は、いつも古新聞や広告紙など廃棄物を利用していた。
     子供が大好きで、86歳まで幼稚園の手伝を続けていたほどだ。
     本当に丈夫な人で、90歳を超えてから老人ケア施設にボランティアに出かけた。そして自分より20歳以上も若い「老人」たちの車椅子を押し続けたのだ。
     施設に行ったとき、みんな被ケア者だと思った。しかし、彼女は自分をケアボランティアだと言った。
     そして誰よりも、元気よく車椅子を押して長い時間歩いた。今、天国に行って、また他人の車椅子を押して歩いているにちがいない。


    今春、親族が集まって百歳の祝いをしたばかりの祖母が23日他界した。
     最期は老衰により経口で飲食物を摂取できなくなり、後期高齢者医療制度により、病院がカネにならない延命治療を嫌がるようになったため、祖母は意識のないまま病院で死を迎えることもできず、老人ホームに戻された。
     ホームでは強制栄養注入も不可能で、本人の延命治療否定誓約があったために結局、餓死という形になった。しかし、死に顔はやすらかで満足そうだった。

     数年前から老いた両親が世話をできる状態ではないため、老人ホームに入所し全面的介護だったが、転倒すれば骨折という状態になり、矢も尽き刀も折れて人生のすべてを全うして他界するという末期であり、ここまでくれば、葬儀も哀しみではなく、めでたい転生の祝いということだ。

     彼女を身近に見てきた孫の一人として、その人生は、後に続く我々に、人生の本質を考えるうえでの大きな指針を示してくれたと思う。
     人生は生まれた入口から死という出口に向かってのみ歩いてゆく。それ以外の選択肢は許されていないのである。人生の本質は、「どのように死を迎えるか?」にある。
     彼女は決して人生を飾らず、あるがまま、なすがまま、さらさらと流れゆく小川のように惜しまず見せてくれた。その死に顔には微塵の後悔もない。毛ほどの虚飾もない。ただ真実だけを見せてくれた。
     
     人は何のために生まれ、何を行い、どのように死に、どこへ行くのか? 人生とは何か? 人生とは何か? 人生とは何か? 「我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?」
     限りなき疑問に、ひとつの答えを示してくれた祖母の一生だった。

     彼女は1910年(明治43年)9月1日生まれだから、実際には99歳だが、数えで百歳ということで親族で祝った。昔は生誕日をそのまま届けるより、吉日に合わせて届けたことが多く、本当の誕生日と戸籍上の誕生日が一致することの方が少なかったようなので、数ヶ月程度の違いなどありふれていた。

     生まれは現在の四日市市富田町だが、幼いうちに一家揃って岐阜県加茂郡白川町黒川というところに引っ越した。元々親族がいたらしいが、事情は定かではない。黒川では富田屋という雑貨店を営業したが、やがてツケ債権回収不能で倒産する結果となった。貧しい寒村の黒川ではツケでしか売れず、そのツケも回収できなかったのだ。
     小学校は、辻パイプオルガン工房があるので有名な旧黒川小学校で、実家は、そのすぐ下にあった。今行っても、本当に山深い、平家落武者伝説の残る奥の奥の山里だ。ここでは人口よりも狸やキツネやウサギの数が圧倒的に多い。 今では温暖化によって静岡と立場が変わって緑茶と椎茸で有名になっているが、かつては内陸気候の寒さで、苛酷な生活を強いられた貧村だった。長寿村だが、彼女と同級生は、たった一人しか生き残っていないと聞いていた。

     彼女の生まれた1910年という年を調べてみると、幸徳秋水らが検挙された大逆事件が起こり、平沼騏一郎らによるでっち上げ弾圧で数十名が冤罪処刑された。以来、日本の社会主義運動は戦後まで沈滞を強いられた。 そして8月22日、日韓併合があった。1945年のポツダム宣言まで、35年間、朝鮮半島は日本の領土となり、後に、大勢の朝鮮人が奴隷に等しい扱いで日本に連れてこられ、炭坑やダム工事現場で辛酸を嘗め、多くが殺害された。

     1918年、祖母が黒川小学校生のころにスペイン風邪が全世界に流行し、中国やアフリカの未統計国を含めれば、一億人を超す死者が出たともいわれている。当時の世界人口の5%程度が死亡したとみられ、黒川でも多くの死者が出たと記録されている。
     1914年から勃発した第一次世界大戦も、このスペイン風邪(新型インフルエンザ)によって戦闘員500万人が死亡したことで、参戦国が戦意を失って終結することになった。

     祖母は、尋常小学校を卒業すると、名古屋に洋裁を学びに出た。当時、「日本のチベット」ともいわれた山深い黒川の里を出て名古屋に向かった。徒歩で峠をいくつも超えて、9時間もかかって恵那(大井)駅に向かったと語っていた。

     80年近い前だが、やがて知立の造り酒屋の事務員となり、家の妻が病死した後に後妻となった。そこには父を含む先妻の幼子が三人いた。だが、主人、つまり祖父が奔放な性格のために酒屋は倒産し、夜逃げを繰り返すことになった。年齢の近い父を連れてさんざん経済的な苦労を重ねて育て上げた。そして、泣きながら父を出征に送り出したこともあった。
     父は生還率数%の陸軍歩兵特殊部隊から無事に帰還したが、母との結婚後、年齢の近い姑として特異な苦悩があったようだ。 年齢の近い嫁姑が同居すると激しい軋轢が生じることになる。このため彼女は息子の家を離れて自立の道を選んだ。
     以来、多くを会社員で過ごし、洋裁や細工物造りの教師も行いながら、我々孫や親族、キリスト教会で知り合った若い娘たちの面倒を見続けて静かに老いていった。

     彼女の人生で、一番凄いことといえば、おそらく飛騨川バス転落事故だっただろう。
     1968年8月18日、奇しくも彼女の育った白川町の国道41号、において乗鞍岳へ向かっていた観光バス15台のうち2台が、集中豪雨に伴う土砂崩れに巻き込まれて増水していた飛騨川に転落し、乗員・乗客107名のうち104名が死亡した事故で、日本バス事故史上における最悪の事故となったものだ。

     これは、当時、祖母が勤務していた奥様ジャーナルという団地新聞社が主催した乗鞍岳観光バスツアーで、750人以上が参加した。このなかに主宰社係員として彼女がいた。しかも、彼女の乗っていたバスこそ、転落した五号車だった。
     当時、凄まじい豪雨のために白川口から名古屋に引き返す事態となり、上麻生に向かうと、すでに土砂崩れが始まり、通行車両が立往生していた。
     この連絡のために、彼女は土砂降りを厭わずバスを降りて他のバスに向かった。このとき、突如、崩れ落ちてきた土砂に押し流されて107名の乗車した二台のバスが飛騨川にゆっくりと転落していった。助かった者は、わずか三名だった。

     いかな気丈な祖母といえどもショックは凄まじいものだったにちがいないが、社長も家族を失うにとどまらず、その後会社も破綻した。その上、法的な後始末のために、彼女は無給で長期間、苛酷な仕事を強いられることになった。
     しかし、一言も文句もいわず、最後まで担当者社員としての責務を全うしたのである。
     この事故は、その後の日本の道路行政に巨大な影響を与えることになった。また日本災害史上でも伊勢湾台風や洞爺丸台風と同様、重大事件として防災関係者にとって大きな指標であり続けている。
     祖母の人生にとっても、あまりに強烈な打撃であり、その後、数十年も慰霊に奔走する日々が続くことになった。そして、彼女一人だけが生き残っている重みをもって、その後の人生を支え続けたにちがいない。

     孫として彼女の印象を一言でいえば、一度として「辛い、苦しい、悲しい」という弱音を聞いた記憶がない。本当に強靱な女性だった。
     母は正反対に、ひどく弱い、すぐに悲鳴をあげるお嬢様タイプの女性だったので、祖母としては面食らうばかりで、相当に強いことも言ったようだ。これを母は最近まで恨んでいた。
     しかし、亡くなった時間に、霊能者である甥の元に現れ、母に対して「きついことをいってゴメンね」と繰り返し謝罪したと聞いて、心の底から宥恕(ゆうじょ→わだかまりを許すことで解放)したようだ。

     ちなみに、甥のY君は高校生だが霊の見える子で、今回も葬儀にすべてつきあってくれて、死んだ後にも祖母の霊通信を伝えてくれた。親族に霊能者が一人いるだけで、周囲は本当に助かり、救われるものだ。
     彼の話では、葬儀の最中、教会の棺の上に光り輝くイエスの姿が見えたということで、驚きを隠さなかった。また、棺の周囲に数十名の霊の姿が見えたそうだ。
     筆者は遺体の上に覆い被さるような青いオーラが見えて、死んだ人がオーラを出すことを知らなかったので驚いた。みんながいたから、挨拶したさに霊が肉体に戻りたかったのかもしれない。見ていた家族は、みな祖母の口が動きそうだったと証言している。

     彼女は、第一次世界大戦からはじまって、日中戦争、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と激動の時代を強靱に生き抜いてきた人だ。
     彼女の生きた、この百年は、人類史にとっても最大の激動だったと断言できるだろう。彼女の生まれた年に地球上には16億人の人間がいたが、死んだ今年には70億人の人間がいる。実に4倍以上だ。かつて、これだけ猛烈に人間が増えた時代はなかったように思う。

     その一人一人が誕生の扉からこの世に登場し、人生の軌跡があり、感動があり、やがて必ず死の扉を叩かねばならない運命を持っている。
     そう誰一人、その運命を免れる者はいない。死はやがて必ず自分にやってくる。祖母のような自然死であろうと、病死であろうと、死刑の刑死であろうと、昭和天皇のような無理で悲惨な死であろうと、事故死であろうと、すべて同じ死であり、差別に満ちた人類社会でありながら、誕生と死という側面において、一切の差別の存在しない、完全無欠の平等が保障されていることを知っておかねばならない。

     祖母はまれにみる強靱な心と肉体の持ち主だったが、若い頃にクリスチャンとなり、以来70年間、欠かすことなくプロテスタント系教会で信仰を続けた。
     筆者も幼いとき、祖母に連れられて毎週、教会の日曜学校に通ったものだ。40年前から行っている死刑制度廃止運動も、この頃、必死に読んだ聖書の影響があるのかもしれない。
     彼女らが設立した守山区の教会は事情があって消滅してしまったが、最期に出会った代官町のキリスト教会で親戚筋の牧師らに看取られて幸福な最期を迎えることができた。遺体は本人の遺志により献体に供された。

     親族最長老であり、最長寿記録を作っての死だったが、彼女の人生を振り返れば、人の一生の本質を余すところなく語ってくれているような気がするのだ。
     「人生、立って半畳、寝て一畳、天下をとっても二合半」
     やるべきことをすべてやっても、たくさんやり残しても、人よりも余分に生きても、短くても、不足でも、余っても、人の一生はたかがしれているし、同時に長く、重く、辛く、切なく、嬉しく、心暖かいものだ。
     100の部屋を持つ豪邸に住んでも、寝るのは一部屋だけだ。たくさんの美人妻を囲っても、寝るのは一人だけだ。ベンツに乗っても、軽自動車と同じ時間でしか走れない。どんな絶世の美女を妻にしても、三日で飽きる。どんなブス妻でも三日で慣れる。
     よく、よく考えてごらん。人は人でしかない。人を超えることは絶対にできない。どんなにカネを貯めても、権力を得ても、人を一歩も超えることはできない。みんな最初から最後まで平等なんだよ。

     彼女は小さな贅沢すら好まず、欲の極めて薄い人だった。爪に火を灯すようにして貯めた金を、すべて教会や親族に分け与えて静かに去っていった。
     趣味といえば海外旅行と洋裁、細工物造りだったが、1970年代に、北朝鮮やソ連、東欧諸国を繰り返し訪問していたのが唯一の贅沢と言えるかもしれない。しかし、細工物の材料は、いつも古新聞や広告紙など廃棄物を利用していた。
     子供が大好きで、86歳まで幼稚園の手伝を続けていたほどだ。
     本当に丈夫な人で、90歳を超えてから老人ケア施設にボランティアに出かけた。そして自分より20歳以上も若い「老人」たちの車椅子を押し続けたのだ。
     施設に行ったとき、みんな被ケア者だと思った。しかし、彼女は自分をケアボランティアだと言った。
     そして誰よりも、元気よく車椅子を押して長い時間歩いた。今、天国に行って、また他人の車椅子を押して歩いているにちがいない。


    syokei 大恐慌の本当の意味 その1

     今起きている世界大恐慌という事態が、「百年に一度」どころか、人類史のなかで、並ぶものもないほどの巨大な激動であって、ある意味では第三次世界大戦よりも深刻な結果を招くことを理解できない人がほとんどだ。

     「経済恐慌など、首をすくめて待っていれば、いつか通り過ぎるさ」
     と勘違いしている人ばかりだが、そんな生やさしいものではないと警鐘を鳴らし続ける必要がある。
     筆者は、これが近代資本主義の崩壊を招くと何度も書いてきた。というより、さらに本質的な男性権力社会の終焉であると書いてきた。

     「男性権力社会の終わり」とは、どういう意味か?

     200年以上前、ワットによる蒸気機関がもたらしたとされる近代資本主義を成立させた本当の理由は、実は4000年前に、女性を中心とした原始共産社会が崩壊し、男性権力どうしの競争・闘争社会が産まれたことにあったと筆者は考える。
     4000年間にわたる男性権力社会特有の競争による進化が資本主義を生みだしたのであり、それが限界に達して自己崩壊を始め、今大恐慌のクライマックスに達して爆発していると考えている。
     そう考えるに至った理由を、以下に解説しよう。

     自由な性交が可能な社会では、産まれた子を特定できるのは母子関係だけだというメカニズムにより母系氏族社会が成立する。
     これは、アメリカインディアンをはじめ、文明以前の人間遺跡の大部分で母系氏族社会の痕跡が明らかにされてきたことから明らかだ。
     数十万年のあいだ、女性たちを中心に運営されてきた人類社会に、4000年ほど前、初めて男性が女性よりも経済力で優位に立つ社会が成立したことが、競争を原理とする資本主義社会の、そもそもの始まりであったと考える。

     なぜ男性が女性よりも優位に立ったのか?
     それは長い歴史のなかで生産力を向上させる知恵が集積し、世代を超えて受け伝えられ、それを自由で力の強い男性の方が子育てに束縛される女性よりも利用しやすかったからだろう。
     男性は女性よりも力が強く、自由な時間が多い分、知恵も発達する。したがって生産力も強くなり、それを背景に女性に対して優位に立てるのである。
     4000年ほど前に、チグリス・ユーフラテ河畔で、組織的農業が勃興した。これにより、男性の生産力が飛躍的に大きくなる契機があったと考えられ、母系氏族社会が崩壊させられ、男性優位の社会が成立したのである。

     ここに「強い男性群」が出現し、社会の主導権を握るようになった。男性は女性よりも多くの私有財産を蓄積し、社会を支配する権力を掌握するようになった。
     そうなれば、男性は、誰の子か分からない子に権力や財産を相続させるのでなく、「自分の血筋の子」に、自分の財産と権力を末永く受け継がせたいと願うようになる。

     これによって、誰の子かはっきりさせるために、女性を束縛し、貞操を要求するようになった。自分の妻を定め、自分の子を特定するようになった。
     これが人類史にあって「家族」が発生した唯一の原理なのだ。
     そうして男性が家父長となる家族が成立すると、今度は、集合的集落全体を家族として統括する大家父長、集落の長が成立し、それが国家へと発展してゆくことになる。すなわち国家とは、男性優位社会の必然的発展なのである。
     この意味で、財産、家族と国家の成立は、同じ理由、同じ起源であることを知っておく必要がある。

     男性の私有財産、権力を、その男性の特定された子供に相続させるためのシステムとして家族が成立し、その家族制度を守る必要から国家が発展してゆく。
     これらは男性権力の成立によって登場した制度であり、男性権力の崩壊によって失われる制度でもあるのだ。すなわち、国家が崩壊すれば家族や私有財産も崩壊し、女性主導社会が回復するのである。

     男性の権力・財産を、その子に相続させるシステムを維持するために、女性の自由な交際意欲、性交を暴力によって弾圧し、女性を男性に従属した家畜・奴隷とするための家族制度が成立したわけだが、それを思想的に正当化するために、宗教という洗脳教育が必要となった。
     その最初の教典こそが「旧約聖書」であった。

     だから旧約聖書では、女性が男性の家畜としての地位に貶められるように、暴力で激しく弾圧し、例えば、浮気した女性は投石で殺害するように命じている。それが、今日、現代、たった今もイスラム社会に受け継がれ、たくさんの女性たちが不倫を理由に毎日、殺害され続けているのである。

     男性の家畜・奴隷に貶められた女性を救済し、人類は皆平等であることを示すためにイエスが登場し、「汝、罪なき者は、この女を撃て」という一節が示されたわけだが、イスラムやユダヤ教に、それが浸透することはなかった。

     こうして、男性の私有財産と家族を守ることで、人々は、家父長である男性の財産と権力を拡大することが人生の目的であるかのように錯覚し、洗脳されるようになった。
     旧約聖書の思想がもたらしたものは、家族・私有財産・国家の強化発展だったというべきだろう。

     男たちの財産と権力が保障される思想社会では、男たちは自分こそ一番でありたいと願う見栄に支配されるようになる。
     競争し、相手を蹴落とし、縄張りを拡大し、自分の権力と財産と、その象徴を後世に残すことが良い人生であるとの男性社会特有の価値観が成立していった。
     これが女性の支配する社会ならば、決して競争原理が成立することはない。それは女性が、闘争を目的とせず、安全な子育てと共存の社会を目指そうとするからだ。

     だが、4000年前、人類は母系氏族社会を崩壊させ、男性権力の優位を確立した。これによって、縄張り争いの戦争が繰り返され、女たちが奴隷化され、残酷な殺戮と破壊が続いた。
     しかし、やがて、人間の愚かな競争に哀しみを感ずる女たちの願いによって、低俗な縄張り争い、直接の国家間戦争から、よりスマートな経済代理競争へと変遷し、国家の縄張りの代わりに、経済の縄張りを拡大する資本主義競争へと進化したのである。

     そうして200年前、近代資本主義が勃興し、人々は見せかけの平等社会を目指し、国家や家父長の縄張り争いの代わりに蓄財競争を始めた。だが、資本主義もまた、男性優位社会の必然的帰結にすぎない。
     その証拠に、企業が成立すると、経営者の目標、価値観は「自分が一番になりたい」という愚かな発想だけに収斂し、拡大競争に没頭して、最期は自滅するというパターンを繰り返してきただけではないか?
     ダイエーを見よ! その愚劣を見せつけられながら、同じことを繰り返し、「一番になりたい競争」の妄想から目が覚めることのないイオンや各ホームセンター経営者、ユニクロや吉野屋、大規模商業施設のオーナーたちの発想を見よ!
     これらは4000年前から繰り返された国家縄張り争い、拡大競争とどこが違うのか? その本質は、まったく同じであって、経営者たちの、「自分は選ばれたエライ人間だ」と思いたいだけの、競争妄想に支配されたカルマというしかない。

     「競争を原理としてしか成立できない資本主義」とは男性権力社会から産まれた必然的な結果である。男性が人間社会の主導権を得たことにより、国家と私有財産、家族が成立し、それが資本主義社会に至ったのである。
     そして、その資本主義競争も、今限界に達し、すべてを破壊して人間社会に終焉をもたらそうとしている。

     男性による男性のための社会では、見栄張り競争、縄張り拡大競争が社会原理となり、その本質は資本主義社会に至っても変わることはなく、必ず、現実や実態を無視した、見栄の欲望に引きずられるままの金儲け競争に支配されることになる。
     このため、アメリカ金融資本は、地球や人間社会の秩序を破滅させてまで、金儲け競争に勝とうと必死になり、現実に人類社会を崩壊させてしまったのである。

     こうした愚劣な競争主義に洗脳されている根源には、女性が差別され男性の奴隷としてしか生きられない仕組みがあるのだ。
     それを思想的に支えてきたのが旧約聖書であり、それを教典とするユダヤ教とイスラム教であり、また旧約聖書を新約と同等の教典として扱ってきたカトリックであり、プロテスタント宗派であった。

     ユダヤ思想は旧約聖書を原点としており、その上に独善的なタルムード教典を構築し、ユダヤ教徒の特権選民意識と、世界人民の奴隷化を目指した。
     同じように、イスラム教徒にも旧約聖書の上にコーランが打ち立てられ、残酷な女性差別奴隷化の思想が強要されてきた。
     そして、それは、人々に際限のない金儲け競争、権力への憧憬、特権への妄想、洗脳を産み出し、キリスト教徒にも、贅沢、浪費生活による特権階級への憧れ、優越生活への幻想を産み出してきた。
     こうした積み重ねによって、地球資源は金儲けのために破壊され尽くし、地上のカネは、金融資本の詐欺によって、すべて奪われていった。

     今、地球上、人類社会で動いている必要な、「実体経済」と呼ばれる流動するカネは7000兆円にすぎないが、金融資本が勝手にカネを印刷することで、それは7京円(最近では11京円説が出ている)にも達した。
     これらの価値が、この大恐慌によってめちゃくちゃに崩壊し、印刷されたカネは、すべて木の葉、紙屑に変わろうとしている。
     これによって、人間社会の価値、財産がすべて破壊されるのである。

     本当は人間と自然しか存在しないはずの、この地球の上に、カネという幻想、妄想の産物を最大の価値と勘違いさせられた人たちが膨大に産み出され。
     それが崩壊したとき、本来の姿である自分と自然がいることを忘れて、「何もかも失った」と勘違いし、巨大なパニックが起こり、このために巨大な殺戮が起きようとしている。

     これらは、すべて男性が女性を差別し、家畜や奴隷として利用してきた社会の誤った原理がもたらしたものであった。
     この大恐慌では、それが根源から失われることになり、したがって、男性の虚構が崩壊し、女性たちの真実が回復するのである。


     大恐慌の本当の意味 その1

     今起きている世界大恐慌という事態が、「百年に一度」どころか、人類史のなかで、並ぶものもないほどの巨大な激動であって、ある意味では第三次世界大戦よりも深刻な結果を招くことを理解できない人がほとんどだ。

     「経済恐慌など、首をすくめて待っていれば、いつか通り過ぎるさ」
     と勘違いしている人ばかりだが、そんな生やさしいものではないと警鐘を鳴らし続ける必要がある。
     筆者は、これが近代資本主義の崩壊を招くと何度も書いてきた。というより、さらに本質的な男性権力社会の終焉であると書いてきた。

     「男性権力社会の終わり」とは、どういう意味か?

     200年以上前、ワットによる蒸気機関がもたらしたとされる近代資本主義を成立させた本当の理由は、実は4000年前に、女性を中心とした原始共産社会が崩壊し、男性権力どうしの競争・闘争社会が産まれたことにあったと筆者は考える。
     4000年間にわたる男性権力社会特有の競争による進化が資本主義を生みだしたのであり、それが限界に達して自己崩壊を始め、今大恐慌のクライマックスに達して爆発していると考えている。
     そう考えるに至った理由を、以下に解説しよう。

     自由な性交が可能な社会では、産まれた子を特定できるのは母子関係だけだというメカニズムにより母系氏族社会が成立する。
     これは、アメリカインディアンをはじめ、文明以前の人間遺跡の大部分で母系氏族社会の痕跡が明らかにされてきたことから明らかだ。
     数十万年のあいだ、女性たちを中心に運営されてきた人類社会に、4000年ほど前、初めて男性が女性よりも経済力で優位に立つ社会が成立したことが、競争を原理とする資本主義社会の、そもそもの始まりであったと考える。

     なぜ男性が女性よりも優位に立ったのか?
     それは長い歴史のなかで生産力を向上させる知恵が集積し、世代を超えて受け伝えられ、それを自由で力の強い男性の方が子育てに束縛される女性よりも利用しやすかったからだろう。
     男性は女性よりも力が強く、自由な時間が多い分、知恵も発達する。したがって生産力も強くなり、それを背景に女性に対して優位に立てるのである。
     4000年ほど前に、チグリス・ユーフラテ河畔で、組織的農業が勃興した。これにより、男性の生産力が飛躍的に大きくなる契機があったと考えられ、母系氏族社会が崩壊させられ、男性優位の社会が成立したのである。

     ここに「強い男性群」が出現し、社会の主導権を握るようになった。男性は女性よりも多くの私有財産を蓄積し、社会を支配する権力を掌握するようになった。
     そうなれば、男性は、誰の子か分からない子に権力や財産を相続させるのでなく、「自分の血筋の子」に、自分の財産と権力を末永く受け継がせたいと願うようになる。

     これによって、誰の子かはっきりさせるために、女性を束縛し、貞操を要求するようになった。自分の妻を定め、自分の子を特定するようになった。
     これが人類史にあって「家族」が発生した唯一の原理なのだ。
     そうして男性が家父長となる家族が成立すると、今度は、集合的集落全体を家族として統括する大家父長、集落の長が成立し、それが国家へと発展してゆくことになる。すなわち国家とは、男性優位社会の必然的発展なのである。
     この意味で、財産、家族と国家の成立は、同じ理由、同じ起源であることを知っておく必要がある。

     男性の私有財産、権力を、その男性の特定された子供に相続させるためのシステムとして家族が成立し、その家族制度を守る必要から国家が発展してゆく。
     これらは男性権力の成立によって登場した制度であり、男性権力の崩壊によって失われる制度でもあるのだ。すなわち、国家が崩壊すれば家族や私有財産も崩壊し、女性主導社会が回復するのである。

     男性の権力・財産を、その子に相続させるシステムを維持するために、女性の自由な交際意欲、性交を暴力によって弾圧し、女性を男性に従属した家畜・奴隷とするための家族制度が成立したわけだが、それを思想的に正当化するために、宗教という洗脳教育が必要となった。
     その最初の教典こそが「旧約聖書」であった。

     だから旧約聖書では、女性が男性の家畜としての地位に貶められるように、暴力で激しく弾圧し、例えば、浮気した女性は投石で殺害するように命じている。それが、今日、現代、たった今もイスラム社会に受け継がれ、たくさんの女性たちが不倫を理由に毎日、殺害され続けているのである。

     男性の家畜・奴隷に貶められた女性を救済し、人類は皆平等であることを示すためにイエスが登場し、「汝、罪なき者は、この女を撃て」という一節が示されたわけだが、イスラムやユダヤ教に、それが浸透することはなかった。

     こうして、男性の私有財産と家族を守ることで、人々は、家父長である男性の財産と権力を拡大することが人生の目的であるかのように錯覚し、洗脳されるようになった。
     旧約聖書の思想がもたらしたものは、家族・私有財産・国家の強化発展だったというべきだろう。

     男たちの財産と権力が保障される思想社会では、男たちは自分こそ一番でありたいと願う見栄に支配されるようになる。
     競争し、相手を蹴落とし、縄張りを拡大し、自分の権力と財産と、その象徴を後世に残すことが良い人生であるとの男性社会特有の価値観が成立していった。
     これが女性の支配する社会ならば、決して競争原理が成立することはない。それは女性が、闘争を目的とせず、安全な子育てと共存の社会を目指そうとするからだ。

     だが、4000年前、人類は母系氏族社会を崩壊させ、男性権力の優位を確立した。これによって、縄張り争いの戦争が繰り返され、女たちが奴隷化され、残酷な殺戮と破壊が続いた。
     しかし、やがて、人間の愚かな競争に哀しみを感ずる女たちの願いによって、低俗な縄張り争い、直接の国家間戦争から、よりスマートな経済代理競争へと変遷し、国家の縄張りの代わりに、経済の縄張りを拡大する資本主義競争へと進化したのである。

     そうして200年前、近代資本主義が勃興し、人々は見せかけの平等社会を目指し、国家や家父長の縄張り争いの代わりに蓄財競争を始めた。だが、資本主義もまた、男性優位社会の必然的帰結にすぎない。
     その証拠に、企業が成立すると、経営者の目標、価値観は「自分が一番になりたい」という愚かな発想だけに収斂し、拡大競争に没頭して、最期は自滅するというパターンを繰り返してきただけではないか?
     ダイエーを見よ! その愚劣を見せつけられながら、同じことを繰り返し、「一番になりたい競争」の妄想から目が覚めることのないイオンや各ホームセンター経営者、ユニクロや吉野屋、大規模商業施設のオーナーたちの発想を見よ!
     これらは4000年前から繰り返された国家縄張り争い、拡大競争とどこが違うのか? その本質は、まったく同じであって、経営者たちの、「自分は選ばれたエライ人間だ」と思いたいだけの、競争妄想に支配されたカルマというしかない。

     「競争を原理としてしか成立できない資本主義」とは男性権力社会から産まれた必然的な結果である。男性が人間社会の主導権を得たことにより、国家と私有財産、家族が成立し、それが資本主義社会に至ったのである。
     そして、その資本主義競争も、今限界に達し、すべてを破壊して人間社会に終焉をもたらそうとしている。

     男性による男性のための社会では、見栄張り競争、縄張り拡大競争が社会原理となり、その本質は資本主義社会に至っても変わることはなく、必ず、現実や実態を無視した、見栄の欲望に引きずられるままの金儲け競争に支配されることになる。
     このため、アメリカ金融資本は、地球や人間社会の秩序を破滅させてまで、金儲け競争に勝とうと必死になり、現実に人類社会を崩壊させてしまったのである。

     こうした愚劣な競争主義に洗脳されている根源には、女性が差別され男性の奴隷としてしか生きられない仕組みがあるのだ。
     それを思想的に支えてきたのが旧約聖書であり、それを教典とするユダヤ教とイスラム教であり、また旧約聖書を新約と同等の教典として扱ってきたカトリックであり、プロテスタント宗派であった。

     ユダヤ思想は旧約聖書を原点としており、その上に独善的なタルムード教典を構築し、ユダヤ教徒の特権選民意識と、世界人民の奴隷化を目指した。
     同じように、イスラム教徒にも旧約聖書の上にコーランが打ち立てられ、残酷な女性差別奴隷化の思想が強要されてきた。
     そして、それは、人々に際限のない金儲け競争、権力への憧憬、特権への妄想、洗脳を産み出し、キリスト教徒にも、贅沢、浪費生活による特権階級への憧れ、優越生活への幻想を産み出してきた。
     こうした積み重ねによって、地球資源は金儲けのために破壊され尽くし、地上のカネは、金融資本の詐欺によって、すべて奪われていった。

     今、地球上、人類社会で動いている必要な、「実体経済」と呼ばれる流動するカネは7000兆円にすぎないが、金融資本が勝手にカネを印刷することで、それは7京円(最近では11京円説が出ている)にも達した。
     これらの価値が、この大恐慌によってめちゃくちゃに崩壊し、印刷されたカネは、すべて木の葉、紙屑に変わろうとしている。
     これによって、人間社会の価値、財産がすべて破壊されるのである。

     本当は人間と自然しか存在しないはずの、この地球の上に、カネという幻想、妄想の産物を最大の価値と勘違いさせられた人たちが膨大に産み出され。
     それが崩壊したとき、本来の姿である自分と自然がいることを忘れて、「何もかも失った」と勘違いし、巨大なパニックが起こり、このために巨大な殺戮が起きようとしている。

     これらは、すべて男性が女性を差別し、家畜や奴隷として利用してきた社会の誤った原理がもたらしたものであった。
     この大恐慌では、それが根源から失われることになり、したがって、男性の虚構が崩壊し、女性たちの真実が回復するのである。


     大恐慌の本当の意味 その1
     今起きている世界大恐慌という事態が、「百年に一度」どころか、人類史のなかで、並ぶものもないほどの巨大な激動であって、ある意味では第三次世界大戦よりも深刻な結果を招くことを理解できない人がほとんどだ。

     「経済恐慌など、首をすくめて待っていれば、いつか通り過ぎるさ」
     と勘違いしている人ばかりだが、そんな生やさしいものではないと警鐘を鳴らし続ける必要がある。
     筆者は、これが近代資本主義の崩壊を招くと何度も書いてきた。というより、さらに本質的な男性権力社会の終焉であると書いてきた。

     「男性権力社会の終わり」とは、どういう意味か?

     200年以上前、ワットによる蒸気機関がもたらしたとされる近代資本主義を成立させた本当の理由は、実は4000年前に、女性を中心とした原始共産社会が崩壊し、男性権力どうしの競争・闘争社会が産まれたことにあったと筆者は考える。
     4000年間にわたる男性権力社会特有の競争による進化が資本主義を生みだしたのであり、それが限界に達して自己崩壊を始め、今大恐慌のクライマックスに達して爆発していると考えている。
     そう考えるに至った理由を、以下に解説しよう。

     自由な性交が可能な社会では、産まれた子を特定できるのは母子関係だけだというメカニズムにより母系氏族社会が成立する。
     これは、アメリカインディアンをはじめ、文明以前の人間遺跡の大部分で母系氏族社会の痕跡が明らかにされてきたことから明らかだ。
     数十万年のあいだ、女性たちを中心に運営されてきた人類社会に、4000年ほど前、初めて男性が女性よりも経済力で優位に立つ社会が成立したことが、競争を原理とする資本主義社会の、そもそもの始まりであったと考える。

     なぜ男性が女性よりも優位に立ったのか?
     それは長い歴史のなかで生産力を向上させる知恵が集積し、世代を超えて受け伝えられ、それを自由で力の強い男性の方が子育てに束縛される女性よりも利用しやすかったからだろう。
     男性は女性よりも力が強く、自由な時間が多い分、知恵も発達する。したがって生産力も強くなり、それを背景に女性に対して優位に立てるのである。
     4000年ほど前に、チグリス・ユーフラテ河畔で、組織的農業が勃興した。これにより、男性の生産力が飛躍的に大きくなる契機があったと考えられ、母系氏族社会が崩壊させられ、男性優位の社会が成立したのである。

     ここに「強い男性群」が出現し、社会の主導権を握るようになった。男性は女性よりも多くの私有財産を蓄積し、社会を支配する権力を掌握するようになった。
     そうなれば、男性は、誰の子か分からない子に権力や財産を相続させるのでなく、「自分の血筋の子」に、自分の財産と権力を末永く受け継がせたいと願うようになる。

     これによって、誰の子かはっきりさせるために、女性を束縛し、貞操を要求するようになった。自分の妻を定め、自分の子を特定するようになった。
     これが人類史にあって「家族」が発生した唯一の原理なのだ。
     そうして男性が家父長となる家族が成立すると、今度は、集合的集落全体を家族として統括する大家父長、集落の長が成立し、それが国家へと発展してゆくことになる。すなわち国家とは、男性優位社会の必然的発展なのである。
     この意味で、財産、家族と国家の成立は、同じ理由、同じ起源であることを知っておく必要がある。

     男性の私有財産、権力を、その男性の特定された子供に相続させるためのシステムとして家族が成立し、その家族制度を守る必要から国家が発展してゆく。
     これらは男性権力の成立によって登場した制度であり、男性権力の崩壊によって失われる制度でもあるのだ。すなわち、国家が崩壊すれば家族や私有財産も崩壊し、女性主導社会が回復するのである。

     男性の権力・財産を、その子に相続させるシステムを維持するために、女性の自由な交際意欲、性交を暴力によって弾圧し、女性を男性に従属した家畜・奴隷とするための家族制度が成立したわけだが、それを思想的に正当化するために、宗教という洗脳教育が必要となった。
     その最初の教典こそが「旧約聖書」であった。

     だから旧約聖書では、女性が男性の家畜としての地位に貶められるように、暴力で激しく弾圧し、例えば、浮気した女性は投石で殺害するように命じている。それが、今日、現代、たった今もイスラム社会に受け継がれ、たくさんの女性たちが不倫を理由に毎日、殺害され続けているのである。

     男性の家畜・奴隷に貶められた女性を救済し、人類は皆平等であることを示すためにイエスが登場し、「汝、罪なき者は、この女を撃て」という一節が示されたわけだが、イスラムやユダヤ教に、それが浸透することはなかった。

     こうして、男性の私有財産と家族を守ることで、人々は、家父長である男性の財産と権力を拡大することが人生の目的であるかのように錯覚し、洗脳されるようになった。
     旧約聖書の思想がもたらしたものは、家族・私有財産・国家の強化発展だったというべきだろう。

     男たちの財産と権力が保障される思想社会では、男たちは自分こそ一番でありたいと願う見栄に支配されるようになる。
     競争し、相手を蹴落とし、縄張りを拡大し、自分の権力と財産と、その象徴を後世に残すことが良い人生であるとの男性社会特有の価値観が成立していった。
     これが女性の支配する社会ならば、決して競争原理が成立することはない。それは女性が、闘争を目的とせず、安全な子育てと共存の社会を目指そうとするからだ。

     だが、4000年前、人類は母系氏族社会を崩壊させ、男性権力の優位を確立した。これによって、縄張り争いの戦争が繰り返され、女たちが奴隷化され、残酷な殺戮と破壊が続いた。
     しかし、やがて、人間の愚かな競争に哀しみを感ずる女たちの願いによって、低俗な縄張り争い、直接の国家間戦争から、よりスマートな経済代理競争へと変遷し、国家の縄張りの代わりに、経済の縄張りを拡大する資本主義競争へと進化したのである。

     そうして200年前、近代資本主義が勃興し、人々は見せかけの平等社会を目指し、国家や家父長の縄張り争いの代わりに蓄財競争を始めた。だが、資本主義もまた、男性優位社会の必然的帰結にすぎない。
     その証拠に、企業が成立すると、経営者の目標、価値観は「自分が一番になりたい」という愚かな発想だけに収斂し、拡大競争に没頭して、最期は自滅するというパターンを繰り返してきただけではないか?
     ダイエーを見よ! その愚劣を見せつけられながら、同じことを繰り返し、「一番になりたい競争」の妄想から目が覚めることのないイオンや各ホームセンター経営者、ユニクロや吉野屋、大規模商業施設のオーナーたちの発想を見よ!
     これらは4000年前から繰り返された国家縄張り争い、拡大競争とどこが違うのか? その本質は、まったく同じであって、経営者たちの、「自分は選ばれたエライ人間だ」と思いたいだけの、競争妄想に支配されたカルマというしかない。

     「競争を原理としてしか成立できない資本主義」とは男性権力社会から産まれた必然的な結果である。男性が人間社会の主導権を得たことにより、国家と私有財産、家族が成立し、それが資本主義社会に至ったのである。
     そして、その資本主義競争も、今限界に達し、すべてを破壊して人間社会に終焉をもたらそうとしている。

     男性による男性のための社会では、見栄張り競争、縄張り拡大競争が社会原理となり、その本質は資本主義社会に至っても変わることはなく、必ず、現実や実態を無視した、見栄の欲望に引きずられるままの金儲け競争に支配されることになる。
     このため、アメリカ金融資本は、地球や人間社会の秩序を破滅させてまで、金儲け競争に勝とうと必死になり、現実に人類社会を崩壊させてしまったのである。

     こうした愚劣な競争主義に洗脳されている根源には、女性が差別され男性の奴隷としてしか生きられない仕組みがあるのだ。
     それを思想的に支えてきたのが旧約聖書であり、それを教典とするユダヤ教とイスラム教であり、また旧約聖書を新約と同等の教典として扱ってきたカトリックであり、プロテスタント宗派であった。

     ユダヤ思想は旧約聖書を原点としており、その上に独善的なタルムード教典を構築し、ユダヤ教徒の特権選民意識と、世界人民の奴隷化を目指した。
     同じように、イスラム教徒にも旧約聖書の上にコーランが打ち立てられ、残酷な女性差別奴隷化の思想が強要されてきた。
     そして、それは、人々に際限のない金儲け競争、権力への憧憬、特権への妄想、洗脳を産み出し、キリスト教徒にも、贅沢、浪費生活による特権階級への憧れ、優越生活への幻想を産み出してきた。
     こうした積み重ねによって、地球資源は金儲けのために破壊され尽くし、地上のカネは、金融資本の詐欺によって、すべて奪われていった。

     今、地球上、人類社会で動いている必要な、「実体経済」と呼ばれる流動するカネは7000兆円にすぎないが、金融資本が勝手にカネを印刷することで、それは7京円(最近では11京円説が出ている)にも達した。
     これらの価値が、この大恐慌によってめちゃくちゃに崩壊し、印刷されたカネは、すべて木の葉、紙屑に変わろうとしている。
     これによって、人間社会の価値、財産がすべて破壊されるのである。

     本当は人間と自然しか存在しないはずの、この地球の上に、カネという幻想、妄想の産物を最大の価値と勘違いさせられた人たちが膨大に産み出され。
     それが崩壊したとき、本来の姿である自分と自然がいることを忘れて、「何もかも失った」と勘違いし、巨大なパニックが起こり、このために巨大な殺戮が起きようとしている。

     これらは、すべて男性が女性を差別し、家畜や奴隷として利用してきた社会の誤った原理がもたらしたものであった。
     この大恐慌では、それが根源から失われることになり、したがって、男性の虚構が崩壊し、女性たちの真実が回復するのである。


    toire 震災非常用トイレ

     阪神大震災や中越震災の体験談をみると、何が大変だったのか? 順序をつけると、トイレを挙げる人が多い。
     水や食料は比較的容易に入手できる。食べられないとはいっても、せいぜい二日程度だろう。周辺からの救援物資の最初に水と食料が到着するからだ。
     しかし、入れたなら出さなければいけない。そのトイレが問題なのだ。

     新潟山古志村あたりなら、野山がたくさんあって、ちょっと林に入って用を足せば、それほど大きな問題にならなかった。しかし、避難施設に入ってからが問題だった。
     体育館のトイレなど、せいぜい数名分しか設置されていないから、数百名が生活するなかで、朝など間に合うはずがない。我慢して膀胱炎になった女性も多いと聞いた。かなりの人が腎臓を悪化させたことだろう。
     阪神大震災では本当に大変だったらしい。山古志村のような野山も林もないから、公園の木陰や道端で用を足すしかなく、ちょっと口では言えないほどの悲惨さがあったようだ。
     こんな状況で、マンホールのフタを外して緊急トイレを作ったなどのレポートもあったが、誰でもできるわけでなく、そのマンホールさえ破損していたら、かなり困ったことになる。

     筆者は、こうした緊急事態の際のトイレとして、非常に有効なシステムを5年ほど前から実験している。
     最初、中津川市の山奥に引っ越してきたとき、購入した当地は山林にちょっとした平地があっただけで、電気も水道も下水もなかった。そこで合併浄化槽を自作したわけだが、なかなかうまく機能せず困っていたところ、今、福島県にお住まいのKさんが、EMBCシステムを紹介してくれて自腹で導入してくれた。

     これが、とんでもないスグレモノで、以来、我が家のトイレは一度もくみ取りしたことがないが汚物も紙もどこにもない。すべて分解消失してしまっているのだ。悪臭も皆無、最終放水槽は透明で金魚が泳ぎ回っている。
     その気になれば飲んでも大丈夫、実際に最初の頃はウイスキーを割って飲んだりしていた。今は、電気代を節約することもあって若干浄化力を落とし、廃液をなるべく畑に液肥として散布している。浄化しすぎると肥料成分まで消えてしまうのだ。

     EMBCとは、「複合発酵システム」のことで、EMを開発した比嘉照夫氏と共同研究していた高島康豪氏が開発したバクテリア浄化システムのことだ。(高島氏は静岡市にある高島酒造の経営者)
     複合発酵とは、単独種の菌と違って、80種類ものバクテリアが互いに共生関係を保ち、好気性と嫌気性が相互に産生物質を利用しあって複合的に作用するもので、一般的な浄化槽菌に比べて数十、数百倍の浄化能力を持っている。
     この複合菌群は地球上のすべての大気・土壌中で活動し、実際に地球を浄化し続けている主役である。
     これの凄いところは、有機物だけでなく、ダイオキシンやPCB、放射能まで分解してしまうところで、既成の科学では分析しきれない超絶的能力がある。

     EMと似たようなものと思われているが、本質的に違うのは、EMモルトが80種類のバクテリアを最初から種菌として入れているのに対し、EMBCモルトには生菌はまったく入っておらず、代わりに菌培養酵素が含まれている。
     酵素だけで分解菌が活動するわけがないのだが、実際に培養すれば、ほぼEMと同じような複合菌群が出てくるのだ。

     これは、大気中に浮遊する数万種類のバクテリアがいて、培養酵素と栄養さえあれば、簡単に増殖するからで、EMBCモルト1リットルに対して、18リットルの湯(39度)、1.5キロの糖蜜を攪拌する。このとき大気中のバクテリア芽胞を入れるのに、日本酒醸造に似た櫂突を使い30分ほど空気を入れながら液を揉むことになる。そうして暖かいところに寝かせ、ときどき攪拌とガス抜きをすれば、ほぼEMに似た浄化バクテリアができあがる。

     これを浄化槽のなかに、五人用なら100リットルも投入して、強めの曝気をかければ、半月程度で、紙もウンコも完全に消失してしまうのである。EMでも、ほぼ似たようなものだが、EMBCは、浄化する現地のバクテリアを自然な形で複合発酵(共生関係)させるので、EMのような拮抗相互抑制が起きにくく、より自然な浄化が行われるという仕組みである。

     この浄化培養液は、5人用の場合、二ヶ月に一回程度、5リットルほど追加していかないと劣化することがあり、どうしても、ときどき培養しなければいけない。
     ところが、今ではEMBCモルトが非常に高価になってしまったために入手が困難になり、筆者の場合は、柳田ファームのバイオエナジー水を利用して培養している。
     人により方法は異なるが、筆者の場合、柳田バイオエナジー水5リットル、湯13リットル、糖蜜(黒砂糖)1.5キロ、EMモルト0.5リットルを39度で櫂突攪拌、ときどきガス抜きし一ヶ月放置するだけだ。
     これを二ヶ月に一度5リットルずつ浄化槽に補充している。大切なのは、浄化槽の攪拌で、25ワットのブロアー二基を運転し、タイマーを使って1時間に10分以上、内部をポンプで循環させながら攪拌している。これで紙もウンコも完全に消えてしまう。

     さて、問題の震災トイレだが、トイレの上部はどれでも同じようなものだ。震災では水の便が悪いので、水洗は使いづらく、ボットン方式にするしかない。
     普通なら肥だめが腐敗して悪臭が出るが、500〜1000リットルのポリタンク便槽に最初から50〜100リットルのEM(EMBC)浄化培養液を入れておけば、ほとんど臭いは出ない。
     これだけでも、すばらしいことだ。これに、さらに曝気ブロアーを運転して内部を攪拌するようにすれば、浄化が激しく進み、もちろん紙もウンコも消えてしまう。オーバーフローした上澄み液は、ほとんど臭いのない優れた完熟液肥として、そのまま畑に利用できるだけでなく、一般の側溝などに流しても、流路を浄化する効果がある。筆者宅では金魚が楽しそうに泳いでいる。
     驚いたのは、誤って腹部を大きく傷つけた瀕死の金魚が完全に回復してしまったことで、この廃液は、どうやら傷を回復させる効果があるようなのだ。これまでサギや猫に取られる以外に病死した金魚は皆無である。

     このシステムは、あらゆる有機汚物を浄化する能力を持っており、まさに人類救済の切札と確信し、筆者は「人類救済技術」と銘打ってHPで紹介している。 現実問題として、1m四方くらいの上部構造は通常トイレと同じでよく、下部構造は、市販の500〜1000リットル農業用ポリタンクが利用できる。震災時の電気供給は、20ワット程度の太陽電池を利用すればよい。
     必要な設備は、20ワットくらいの曝気ブロアーだけだ。汲み取りメンテナンスがなくとも、タンク上部にオーバーフロー弁を作って側溝や畑に流すようにすれば、汲み取りも不要である。問題になるような悪臭は皆無だろう。それどころか、畑には素晴らしい作物ができることを保障する。
     二ヶ月に一度培養液を補充するのと洗浄くらいがメンテになる。

     なお、当座、EM培養液で代用しても結果は似たようなものだ。EMBCと比べて浄化力は落ちるが、悪臭もなく基本性能はそれほど変わらないと思う。場合によっては、飯山式乳酸菌や島本酵素の利用も有効だと思う。
     普通のヨーグルトを数キロ投入するだけでも違う。分解するのはヨーグルトの生菌ではなく、その産生物質により屎尿分解適合乳酸菌が産まれてくるのである。あるいは、良好な発酵を行っている山の腐食落葉を入れても良いと思う。

     上部構造は工事現場用のトイレが流用できるが、水洗が多いので、この場合、タンクは最低1000リットル、ブロアーも40ワットくらいは欲しい。オーバーフロー排水が多いので、浄化力を強くする必要がある。
     一日の浄化容量は、100人分あたりが限度かもしれない。それ以上だと分解しきれない生処理液が出てくる可能性があり、対策が必要になるだろう。畑に大きな穴を掘って浸透投入する必要があるかもしれない。

     EM複合発酵菌群は、元々は自然界の浄化システムを観察し、その本質を流用したものである。深い山中では、落葉が堆積し、地表面でEMと同じ複合発酵浄化がおこなわれている。
     これを、そのまま培養したものがEM(有用微生物浄化)システムだと思えばよい。バクテリアの主体は、主に乳酸菌と酵母だといわれる。全国に、こうした微生物資材はたくさん商品化されていて、島本微生物や飯山式乳酸菌など、結局、同じような本質を持っているようだ。
     だから特定の商品にこだわらず、自分なりの考えで乳酸菌と酵母を主体にした複合発酵を目指せばよいわけだ。

     この特徴は、まったくの無臭ということで、全国の畜舎も、こうした微生物処理の知識を持っていたなら、悪臭問題など簡単に消えてしまう。
     といいつつ、実は筆者はニワトリの飼育で大失敗をした。悪臭をEMで消せるつもりで飼育したが、まったくダメで、近所に大迷惑をかけてしまった。
     これはオカラ発酵飼料が大雨で腐敗したためだったが、技術の過信は禁物だ。筆者宅でも、腐敗オカラを十分曝気できれば問題は生じなかったが、そんな設備はなく、土の上に置いたオカラは悪臭を放ち、EMをかける程度では解決できなかった。

     EM浄化システムは、自然界で長い時間をかけて行われている浄化プロセスを人為的に短縮したものである。土の上で三年かかる浄化を三日で行うのである。このためにエネルギーを投入する。その主体がブロアーによる曝気であり、ポンプによる循環攪拌なのだ。
     この行程がなく、土の上だけで分解させるなら、自然界と同じ時間がかかるということを肝に銘ずる必要がある。

     とりあえず、震災対策の公衆トイレを設置する場合、ボットン方式で500リットル、水が使えるなら水洗方式で1000リットル以上のタンクを用意し、なかで曝気して屎尿を分解する。
     このとき初期投入のEM培養液が100リットル以上と覚えていただきたい。結果として、悪臭皆無のボットントイレが人々を救ってくれるだろう。オーバーフロー廃水は畑で液肥として再利用できると知っていただきたい。


     震災非常用トイレ

     阪神大震災や中越震災の体験談をみると、何が大変だったのか? 順序をつけると、トイレを挙げる人が多い。
     水や食料は比較的容易に入手できる。食べられないとはいっても、せいぜい二日程度だろう。周辺からの救援物資の最初に水と食料が到着するからだ。
     しかし、入れたなら出さなければいけない。そのトイレが問題なのだ。

     新潟山古志村あたりなら、野山がたくさんあって、ちょっと林に入って用を足せば、それほど大きな問題にならなかった。しかし、避難施設に入ってからが問題だった。
     体育館のトイレなど、せいぜい数名分しか設置されていないから、数百名が生活するなかで、朝など間に合うはずがない。我慢して膀胱炎になった女性も多いと聞いた。かなりの人が腎臓を悪化させたことだろう。
     阪神大震災では本当に大変だったらしい。山古志村のような野山も林もないから、公園の木陰や道端で用を足すしかなく、ちょっと口では言えないほどの悲惨さがあったようだ。
     こんな状況で、マンホールのフタを外して緊急トイレを作ったなどのレポートもあったが、誰でもできるわけでなく、そのマンホールさえ破損していたら、かなり困ったことになる。

     筆者は、こうした緊急事態の際のトイレとして、非常に有効なシステムを5年ほど前から実験している。
     最初、中津川市の山奥に引っ越してきたとき、購入した当地は山林にちょっとした平地があっただけで、電気も水道も下水もなかった。そこで合併浄化槽を自作したわけだが、なかなかうまく機能せず困っていたところ、今、福島県にお住まいのKさんが、EMBCシステムを紹介してくれて自腹で導入してくれた。

     これが、とんでもないスグレモノで、以来、我が家のトイレは一度もくみ取りしたことがないが汚物も紙もどこにもない。すべて分解消失してしまっているのだ。悪臭も皆無、最終放水槽は透明で金魚が泳ぎ回っている。
     その気になれば飲んでも大丈夫、実際に最初の頃はウイスキーを割って飲んだりしていた。今は、電気代を節約することもあって若干浄化力を落とし、廃液をなるべく畑に液肥として散布している。浄化しすぎると肥料成分まで消えてしまうのだ。

     EMBCとは、「複合発酵システム」のことで、EMを開発した比嘉照夫氏と共同研究していた高島康豪氏が開発したバクテリア浄化システムのことだ。(高島氏は静岡市にある高島酒造の経営者)
     複合発酵とは、単独種の菌と違って、80種類ものバクテリアが互いに共生関係を保ち、好気性と嫌気性が相互に産生物質を利用しあって複合的に作用するもので、一般的な浄化槽菌に比べて数十、数百倍の浄化能力を持っている。
     この複合菌群は地球上のすべての大気・土壌中で活動し、実際に地球を浄化し続けている主役である。
     これの凄いところは、有機物だけでなく、ダイオキシンやPCB、放射能まで分解してしまうところで、既成の科学では分析しきれない超絶的能力がある。

     EMと似たようなものと思われているが、本質的に違うのは、EMモルトが80種類のバクテリアを最初から種菌として入れているのに対し、EMBCモルトには生菌はまったく入っておらず、代わりに菌培養酵素が含まれている。
     酵素だけで分解菌が活動するわけがないのだが、実際に培養すれば、ほぼEMと同じような複合菌群が出てくるのだ。

     これは、大気中に浮遊する数万種類のバクテリアがいて、培養酵素と栄養さえあれば、簡単に増殖するからで、EMBCモルト1リットルに対して、18リットルの湯(39度)、1.5キロの糖蜜を攪拌する。このとき大気中のバクテリア芽胞を入れるのに、日本酒醸造に似た櫂突を使い30分ほど空気を入れながら液を揉むことになる。そうして暖かいところに寝かせ、ときどき攪拌とガス抜きをすれば、ほぼEMに似た浄化バクテリアができあがる。

     これを浄化槽のなかに、五人用なら100リットルも投入して、強めの曝気をかければ、半月程度で、紙もウンコも完全に消失してしまうのである。EMでも、ほぼ似たようなものだが、EMBCは、浄化する現地のバクテリアを自然な形で複合発酵(共生関係)させるので、EMのような拮抗相互抑制が起きにくく、より自然な浄化が行われるという仕組みである。

     この浄化培養液は、5人用の場合、二ヶ月に一回程度、5リットルほど追加していかないと劣化することがあり、どうしても、ときどき培養しなければいけない。
     ところが、今ではEMBCモルトが非常に高価になってしまったために入手が困難になり、筆者の場合は、柳田ファームのバイオエナジー水を利用して培養している。
     人により方法は異なるが、筆者の場合、柳田バイオエナジー水5リットル、湯13リットル、糖蜜(黒砂糖)1.5キロ、EMモルト0.5リットルを39度で櫂突攪拌、ときどきガス抜きし一ヶ月放置するだけだ。
     これを二ヶ月に一度5リットルずつ浄化槽に補充している。大切なのは、浄化槽の攪拌で、25ワットのブロアー二基を運転し、タイマーを使って1時間に10分以上、内部をポンプで循環させながら攪拌している。これで紙もウンコも完全に消えてしまう。

     さて、問題の震災トイレだが、トイレの上部はどれでも同じようなものだ。震災では水の便が悪いので、水洗は使いづらく、ボットン方式にするしかない。
     普通なら肥だめが腐敗して悪臭が出るが、500〜1000リットルのポリタンク便槽に最初から50〜100リットルのEM(EMBC)浄化培養液を入れておけば、ほとんど臭いは出ない。
     これだけでも、すばらしいことだ。これに、さらに曝気ブロアーを運転して内部を攪拌するようにすれば、浄化が激しく進み、もちろん紙もウンコも消えてしまう。オーバーフローした上澄み液は、ほとんど臭いのない優れた完熟液肥として、そのまま畑に利用できるだけでなく、一般の側溝などに流しても、流路を浄化する効果がある。筆者宅では金魚が楽しそうに泳いでいる。
     驚いたのは、誤って腹部を大きく傷つけた瀕死の金魚が完全に回復してしまったことで、この廃液は、どうやら傷を回復させる効果があるようなのだ。これまでサギや猫に取られる以外に病死した金魚は皆無である。

     このシステムは、あらゆる有機汚物を浄化する能力を持っており、まさに人類救済の切札と確信し、筆者は「人類救済技術」と銘打ってHPで紹介している。 現実問題として、1m四方くらいの上部構造は通常トイレと同じでよく、下部構造は、市販の500〜1000リットル農業用ポリタンクが利用できる。震災時の電気供給は、20ワット程度の太陽電池を利用すればよい。
     必要な設備は、20ワットくらいの曝気ブロアーだけだ。汲み取りメンテナンスがなくとも、タンク上部にオーバーフロー弁を作って側溝や畑に流すようにすれば、汲み取りも不要である。問題になるような悪臭は皆無だろう。それどころか、畑には素晴らしい作物ができることを保障する。
     二ヶ月に一度培養液を補充するのと洗浄くらいがメンテになる。

     なお、当座、EM培養液で代用しても結果は似たようなものだ。EMBCと比べて浄化力は落ちるが、悪臭もなく基本性能はそれほど変わらないと思う。場合によっては、飯山式乳酸菌や島本酵素の利用も有効だと思う。
     普通のヨーグルトを数キロ投入するだけでも違う。分解するのはヨーグルトの生菌ではなく、その産生物質により屎尿分解適合乳酸菌が産まれてくるのである。あるいは、良好な発酵を行っている山の腐食落葉を入れても良いと思う。

     上部構造は工事現場用のトイレが流用できるが、水洗が多いので、この場合、タンクは最低1000リットル、ブロアーも40ワットくらいは欲しい。オーバーフロー排水が多いので、浄化力を強くする必要がある。
     一日の浄化容量は、100人分あたりが限度かもしれない。それ以上だと分解しきれない生処理液が出てくる可能性があり、対策が必要になるだろう。畑に大きな穴を掘って浸透投入する必要があるかもしれない。

     EM複合発酵菌群は、元々は自然界の浄化システムを観察し、その本質を流用したものである。深い山中では、落葉が堆積し、地表面でEMと同じ複合発酵浄化がおこなわれている。
     これを、そのまま培養したものがEM(有用微生物浄化)システムだと思えばよい。バクテリアの主体は、主に乳酸菌と酵母だといわれる。全国に、こうした微生物資材はたくさん商品化されていて、島本微生物や飯山式乳酸菌など、結局、同じような本質を持っているようだ。
     だから特定の商品にこだわらず、自分なりの考えで乳酸菌と酵母を主体にした複合発酵を目指せばよいわけだ。

     この特徴は、まったくの無臭ということで、全国の畜舎も、こうした微生物処理の知識を持っていたなら、悪臭問題など簡単に消えてしまう。
     といいつつ、実は筆者はニワトリの飼育で大失敗をした。悪臭をEMで消せるつもりで飼育したが、まったくダメで、近所に大迷惑をかけてしまった。
     これはオカラ発酵飼料が大雨で腐敗したためだったが、技術の過信は禁物だ。筆者宅でも、腐敗オカラを十分曝気できれば問題は生じなかったが、そんな設備はなく、土の上に置いたオカラは悪臭を放ち、EMをかける程度では解決できなかった。

     EM浄化システムは、自然界で長い時間をかけて行われている浄化プロセスを人為的に短縮したものである。土の上で三年かかる浄化を三日で行うのである。このためにエネルギーを投入する。その主体がブロアーによる曝気であり、ポンプによる循環攪拌なのだ。
     この行程がなく、土の上だけで分解させるなら、自然界と同じ時間がかかるということを肝に銘ずる必要がある。

     とりあえず、震災対策の公衆トイレを設置する場合、ボットン方式で500リットル、水が使えるなら水洗方式で1000リットル以上のタンクを用意し、なかで曝気して屎尿を分解する。
     このとき初期投入のEM培養液が100リットル以上と覚えていただきたい。結果として、悪臭皆無のボットントイレが人々を救ってくれるだろう。オーバーフロー廃水は畑で液肥として再利用できると知っていただきたい。



     震災非常用トイレ

     阪神大震災や中越震災の体験談をみると、何が大変だったのか? 順序をつけると、トイレを挙げる人が多い。
     水や食料は比較的容易に入手できる。食べられないとはいっても、せいぜい二日程度だろう。周辺からの救援物資の最初に水と食料が到着するからだ。
     しかし、入れたなら出さなければいけない。そのトイレが問題なのだ。

     新潟山古志村あたりなら、野山がたくさんあって、ちょっと林に入って用を足せば、それほど大きな問題にならなかった。しかし、避難施設に入ってからが問題だった。
     体育館のトイレなど、せいぜい数名分しか設置されていないから、数百名が生活するなかで、朝など間に合うはずがない。我慢して膀胱炎になった女性も多いと聞いた。かなりの人が腎臓を悪化させたことだろう。
     阪神大震災では本当に大変だったらしい。山古志村のような野山も林もないから、公園の木陰や道端で用を足すしかなく、ちょっと口では言えないほどの悲惨さがあったようだ。
     こんな状況で、マンホールのフタを外して緊急トイレを作ったなどのレポートもあったが、誰でもできるわけでなく、そのマンホールさえ破損していたら、かなり困ったことになる。

     筆者は、こうした緊急事態の際のトイレとして、非常に有効なシステムを5年ほど前から実験している。
     最初、中津川市の山奥に引っ越してきたとき、購入した当地は山林にちょっとした平地があっただけで、電気も水道も下水もなかった。そこで合併浄化槽を自作したわけだが、なかなかうまく機能せず困っていたところ、今、福島県にお住まいのKさんが、EMBCシステムを紹介してくれて自腹で導入してくれた。

     これが、とんでもないスグレモノで、以来、我が家のトイレは一度もくみ取りしたことがないが汚物も紙もどこにもない。すべて分解消失してしまっているのだ。悪臭も皆無、最終放水槽は透明で金魚が泳ぎ回っている。
     その気になれば飲んでも大丈夫、実際に最初の頃はウイスキーを割って飲んだりしていた。今は、電気代を節約することもあって若干浄化力を落とし、廃液をなるべく畑に液肥として散布している。浄化しすぎると肥料成分まで消えてしまうのだ。

     EMBCとは、「複合発酵システム」のことで、EMを開発した比嘉照夫氏と共同研究していた高島康豪氏が開発したバクテリア浄化システムのことだ。(高島氏は静岡市にある高島酒造の経営者)
     複合発酵とは、単独種の菌と違って、80種類ものバクテリアが互いに共生関係を保ち、好気性と嫌気性が相互に産生物質を利用しあって複合的に作用するもので、一般的な浄化槽菌に比べて数十、数百倍の浄化能力を持っている。
     この複合菌群は地球上のすべての大気・土壌中で活動し、実際に地球を浄化し続けている主役である。
     これの凄いところは、有機物だけでなく、ダイオキシンやPCB、放射能まで分解してしまうところで、既成の科学では分析しきれない超絶的能力がある。

     EMと似たようなものと思われているが、本質的に違うのは、EMモルトが80種類のバクテリアを最初から種菌として入れているのに対し、EMBCモルトには生菌はまったく入っておらず、代わりに菌培養酵素が含まれている。
     酵素だけで分解菌が活動するわけがないのだが、実際に培養すれば、ほぼEMと同じような複合菌群が出てくるのだ。

     これは、大気中に浮遊する数万種類のバクテリアがいて、培養酵素と栄養さえあれば、簡単に増殖するからで、EMBCモルト1リットルに対して、18リットルの湯(39度)、1.5キロの糖蜜を攪拌する。このとき大気中のバクテリア芽胞を入れるのに、日本酒醸造に似た櫂突を使い30分ほど空気を入れながら液を揉むことになる。そうして暖かいところに寝かせ、ときどき攪拌とガス抜きをすれば、ほぼEMに似た浄化バクテリアができあがる。

     これを浄化槽のなかに、五人用なら100リットルも投入して、強めの曝気をかければ、半月程度で、紙もウンコも完全に消失してしまうのである。EMでも、ほぼ似たようなものだが、EMBCは、浄化する現地のバクテリアを自然な形で複合発酵(共生関係)させるので、EMのような拮抗相互抑制が起きにくく、より自然な浄化が行われるという仕組みである。

     この浄化培養液は、5人用の場合、二ヶ月に一回程度、5リットルほど追加していかないと劣化することがあり、どうしても、ときどき培養しなければいけない。
     ところが、今ではEMBCモルトが非常に高価になってしまったために入手が困難になり、筆者の場合は、柳田ファームのバイオエナジー水を利用して培養している。
     人により方法は異なるが、筆者の場合、柳田バイオエナジー水5リットル、湯13リットル、糖蜜(黒砂糖)1.5キロ、EMモルト0.5リットルを39度で櫂突攪拌、ときどきガス抜きし一ヶ月放置するだけだ。
     これを二ヶ月に一度5リットルずつ浄化槽に補充している。大切なのは、浄化槽の攪拌で、25ワットのブロアー二基を運転し、タイマーを使って1時間に10分以上、内部をポンプで循環させながら攪拌している。これで紙もウンコも完全に消えてしまう。

     さて、問題の震災トイレだが、トイレの上部はどれでも同じようなものだ。震災では水の便が悪いので、水洗は使いづらく、ボットン方式にするしかない。
     普通なら肥だめが腐敗して悪臭が出るが、500〜1000リットルのポリタンク便槽に最初から50〜100リットルのEM(EMBC)浄化培養液を入れておけば、ほとんど臭いは出ない。
     これだけでも、すばらしいことだ。これに、さらに曝気ブロアーを運転して内部を攪拌するようにすれば、浄化が激しく進み、もちろん紙もウンコも消えてしまう。オーバーフローした上澄み液は、ほとんど臭いのない優れた完熟液肥として、そのまま畑に利用できるだけでなく、一般の側溝などに流しても、流路を浄化する効果がある。筆者宅では金魚が楽しそうに泳いでいる。
     驚いたのは、誤って腹部を大きく傷つけた瀕死の金魚が完全に回復してしまったことで、この廃液は、どうやら傷を回復させる効果があるようなのだ。これまでサギや猫に取られる以外に病死した金魚は皆無である。

     このシステムは、あらゆる有機汚物を浄化する能力を持っており、まさに人類救済の切札と確信し、筆者は「人類救済技術」と銘打ってHPで紹介している。 現実問題として、1m四方くらいの上部構造は通常トイレと同じでよく、下部構造は、市販の500〜1000リットル農業用ポリタンクが利用できる。震災時の電気供給は、20ワット程度の太陽電池を利用すればよい。
     必要な設備は、20ワットくらいの曝気ブロアーだけだ。汲み取りメンテナンスがなくとも、タンク上部にオーバーフロー弁を作って側溝や畑に流すようにすれば、汲み取りも不要である。問題になるような悪臭は皆無だろう。それどころか、畑には素晴らしい作物ができることを保障する。
     二ヶ月に一度培養液を補充するのと洗浄くらいがメンテになる。

     なお、当座、EM培養液で代用しても結果は似たようなものだ。EMBCと比べて浄化力は落ちるが、悪臭もなく基本性能はそれほど変わらないと思う。場合によっては、飯山式乳酸菌や島本酵素の利用も有効だと思う。
     普通のヨーグルトを数キロ投入するだけでも違う。分解するのはヨーグルトの生菌ではなく、その産生物質により屎尿分解適合乳酸菌が産まれてくるのである。あるいは、良好な発酵を行っている山の腐食落葉を入れても良いと思う。

     上部構造は工事現場用のトイレが流用できるが、水洗が多いので、この場合、タンクは最低1000リットル、ブロアーも40ワットくらいは欲しい。オーバーフロー排水が多いので、浄化力を強くする必要がある。
     一日の浄化容量は、100人分あたりが限度かもしれない。それ以上だと分解しきれない生処理液が出てくる可能性があり、対策が必要になるだろう。畑に大きな穴を掘って浸透投入する必要があるかもしれない。

     EM複合発酵菌群は、元々は自然界の浄化システムを観察し、その本質を流用したものである。深い山中では、落葉が堆積し、地表面でEMと同じ複合発酵浄化がおこなわれている。
     これを、そのまま培養したものがEM(有用微生物浄化)システムだと思えばよい。バクテリアの主体は、主に乳酸菌と酵母だといわれる。全国に、こうした微生物資材はたくさん商品化されていて、島本微生物や飯山式乳酸菌など、結局、同じような本質を持っているようだ。
     だから特定の商品にこだわらず、自分なりの考えで乳酸菌と酵母を主体にした複合発酵を目指せばよいわけだ。

     この特徴は、まったくの無臭ということで、全国の畜舎も、こうした微生物処理の知識を持っていたなら、悪臭問題など簡単に消えてしまう。
     といいつつ、実は筆者はニワトリの飼育で大失敗をした。悪臭をEMで消せるつもりで飼育したが、まったくダメで、近所に大迷惑をかけてしまった。
     これはオカラ発酵飼料が大雨で腐敗したためだったが、技術の過信は禁物だ。筆者宅でも、腐敗オカラを十分曝気できれば問題は生じなかったが、そんな設備はなく、土の上に置いたオカラは悪臭を放ち、EMをかける程度では解決できなかった。

     EM浄化システムは、自然界で長い時間をかけて行われている浄化プロセスを人為的に短縮したものである。土の上で三年かかる浄化を三日で行うのである。このためにエネルギーを投入する。その主体がブロアーによる曝気であり、ポンプによる循環攪拌なのだ。
     この行程がなく、土の上だけで分解させるなら、自然界と同じ時間がかかるということを肝に銘ずる必要がある。

     とりあえず、震災対策の公衆トイレを設置する場合、ボットン方式で500リットル、水が使えるなら水洗方式で1000リットル以上のタンクを用意し、なかで曝気して屎尿を分解する。
     このとき初期投入のEM培養液が100リットル以上と覚えていただきたい。結果として、悪臭皆無のボットントイレが人々を救ってくれるだろう。オーバーフロー廃水は畑で液肥として再利用できると知っていただきたい。


    rantan もしも電気が切れたなら

     PISCOのもの凄いデータから東海・関東大地震の切迫を感じ、いよいよ震災後の生活を考えはじめた。
     地震予知のホームページを主宰している以上、とうに食料や水などの備蓄は済ませているが、それでも、関東〜東海の巨大地震ともなれば、おそらくインフラ復旧は困難か、絶望的な状態になると予想できるので、これまでのような短期的な備蓄ではなく、数年を見た長期のインフラ切断生活を準備する必要があると思った。

     五年間ニワトリを飼育していて思うことだが、ヤツラはエサと水と運動場さえあれば、何の問題もなく幸せそうに生き続けている。筆者宅のニワトリも五齢目だが、今でも毎日卵を産んでくれている。
     連中は幸せだ。野生ならば、簡単にイタチやキツネなんかに食われてしまうが、筆者がさんざん苦労して二重三重のバリケードネットをこさえて、毎日エサと水をもらって卵を産んでいるだけだ。
     その卵も、筆者が蛋白制限なので、最近ではほとんどニワトリに返しているが、このときだけは、ヤツラがチラノザウルス直系子孫の片鱗を見せるのだ。

     我々も、名誉や利権、贅沢な衣服・食事・車や高級電化生活なんて高望みをせずに、ただ仲間とともに生きている現実の生活だけに目を向ければ、ニワトリと同じように、エサと水と、身を守るバリケードさえあれば余生を全うできることを理解する必要がある。
     震災は、あらゆるインフラや個人財産、消費生活を破壊する。しかし、人間が生きるために本当は何が必要か思い知らせてくれるのだ。そして、生きるということの真の意味をも思い知らせてくれる。
     何を大切にしなければならなかったか? ということだ。

     昔、登山を始めた頃、上に登って何が起きるか分からない恐怖心から、ナタだのストーブだの、余計なアクセサリーをたくさん抱えて重い荷物に苦しんで登ったものだ。
     白旗史郎が、「写真を撮りたければ、しっかりした重い三脚が必要」なんて言うものだから、まともに信じて、数万円もする4キロもの三脚を持参し、さんざん膝を痛めたものだが、やがて、そんなことはウソだと分かった。
     要はぶれない工夫をすることだったのだ。熊に何度も出遭ったがナタやナイフは必要なかった。重い燃料ストーブもやがて軽いガス式に換え、今では、おにぎりや菓子類でこなすので、ほとんど持参しない。水筒もペット飲料だけだ。やがて、登山でもハイキング程度の装備ですむようになった。
     冬山でも、重い冬山用シュラフなど持参しなくともシュラフカバーと羽毛服だけで寝られることが分かるようになり、かたつむりのような大げさ装備が、40リットル中型ザックの軽快装備に代わり、厳冬期テント二泊三日もこなせるようになった。

     震災対策の装備も同じで、あれもこれもと思い浮かぶが、たいてい実際には役に立たないものが多く、たくさん揃えすぎると、本当に必要なものが何であるのか、分かりにくくなってしまう。
     まずは、人が生きるために、本当に必要なものは何か? 原点に返って、何度も想像してイメージトレーニングすることが必要だ。そうして、無駄なものを排除し、必要なものを徹底的に整理し、最小限の身軽な装備にすることが大切だ。それでこそ、震災の大混乱のなかで問題を的確に解決できる。

     さて、そこで震災の結果、どうなるか? を想像してみよう。
     一番の問題は、電気や水道、ガスなど公共インフラが切断されてしまうことだ。これまでの震災では、数日か数十日程度で復旧することができた。それは被災範囲が小さく、周囲の健全地域からの救援があったからだが、今度の、東海地震や新関東大震災では、そういうわけにはいかない。
     おそらく、インフラの復旧は困難で、あるいは永久に望めない可能性もある。浜岡原発がメルトダウンすれば、関東東海の広い地域が永久に居住不能になることを理解しておく必要があり、被曝を逃れて移動する以外の手段は存在しない。

     まずは、その移動だが、大震災級の場合は、道路インフラもまともに破壊され、仮に破壊を免れた幹線道路があったとしても人々が殺到し、事実上、移動は不可能なる可能性が強い。また、自動車が無事だったとしても、燃料の入手が困難だ。
     こんなときは、何が役に立つのか? まずは徒歩の実力を普段から訓練することだ。それに加えて折りたためる軽い自転車があれば十分だろう。自動車の通行不能な道でも、担いで歩くことができるのだ。

     幸い原発放射能放出がなくとも、東海地震クラスの大規模なインフラ破壊では回復に数ヶ月〜数年は見る必要があるだろう。その間、人々は公共インフラなしで過ごさなければいけない。
     このとき、贅沢は論外として、人が生きるために、何が本当に必要なのか、しっかり確認できていれば、それほどあわてる必要もないだろう。

     生きるために、まず食べて飲むことが必要だ。食料と水だ。それから、病気にならない程度の、雨風を凌ぐ暖かいバリケードも必要だ。衣類と簡単な衛生設備、トイレ、こんなところで数年間を過ごすことを予想しよう。
     一番の問題は電気だ。我々は、電気漬けの生活にどっぷりと浸って生きてきた。電気のない世界など想像もできなくなっている。しかし、インフラのなかで、もっとも脆弱なのが電気なのだ。それは、ただ一本の送電線の切断で、長い停電が起きてしまう。大震災では、無数の電線がやられてしまう。阪神大震災では、復旧行程での被災電線発火事故もたくさん起きた。

     電気インフラが、どれほど生活を支えているのか?
     灯りがない、テレビが見られない、パソコンも携帯電話も電池切れで補充ができないからオシマイ。携帯など通信も補充ができないからダメだ。冷蔵庫も冷えず食品が腐り出す。洗濯機も動かない。
     こんなとき、河原でのキャンプ生活の体験が生きてくるだろう。だから、子供たちには必ず経験させなければいけない。

     田舎に住んでいる筆者宅でも大変だ。電気が止まれば、モーター類が動かないから、まず井戸ポンプが作動せず水が使えない。したがってトイレも流せない。浄化槽も浄化機能が働かない。もちろんパソコンも使えないから、当HPもオサラバということになる。
     そこで、井戸には、どうしても緊急事態用に手押しポンプの設置が必要だ。コメリHCで2万円程度で売られているので、井戸を持っている方は、とりあえず購入された方がよいと思う。面倒だが、これで水洗トイレでもバケツで利用できるようになる。
     32ミリ径なので、同径の塩ビパイプを買って、つないで井戸に入れるだけで使える。筆者の子供時代も、これだったので懐かしくてたまらない。なお、井戸掘りは、ユンボの入る場所なら、井戸屋に頼むより造園屋あたりに頼んだ方が安くあがるかもしれない。

     浄化槽は、発電機で毎日数時間運転すれば、なんとかなるだろう。廃液は肥料成分が多いので捨てるのはもったいない。可能ならばポンプで畑に送って散布すべきだ。
     灯りは、とりあえず安い石油ランタンが売られているから、それで間に合うだろう。中国製だと安全は保障できないが。筆者は、最近、カインズで売られていた490円の中国製ランタンを五台購入した。
     明るさは10ワット程度だが、冬場は一晩中つけておけるストーブ代わりにもなるので重宝だ。
     このところ夜になると石油ランタンを灯して、実用性や問題点を観察しているが、五台すべて火を灯すと30ワット以上の明るさになり、とりあえず本も読めるようになり不自由は感じない。
     テレビやパソコンなしのランプ生活も、とても良いもので、その2700Kの色調に郷愁を感じて心地よい。蛍光灯に戻すと、とても味気なく感じるほどだ。
     ランプの灯りで、友との語らいも、酒も進むにちがいない。遠達性の強い灯りなので実用は一台でも十分だろう。灯油の消費量は、一晩で50〜100cc程度だろう。18リットルあれば、毎日使っても半年は大丈夫。他の電池式ランタンは、充電インフラが遮断されるので、数日しか使えない。

     問題の食糧だが、筆者は、昨年20坪あった畑を拡張して70坪にした。山を拓いたので傾斜があり、作りたかった水田は無理だが、ジャガイモは良く育った。上手に育てれば、おおむね300キロは収穫できる。
     今年は木を伐採するのをためらったため200キロの収穫にとどまったが、その後、サツマイモを植えて、来月100キロ収穫予定だ。これで二人くらいは1年間生き延びることが可能だ。おおむね、一人一日芋1キロでお釣りがくるだろう。腹半分でも死ぬことはない、安心して生きてゆける。
     時期を変えれば、ジャガイモ・トウモロコシ・サツマイモと次々に収穫できる。肥料は近所の牛舎からタダ同然で入手できるが、今は、ある方から教えていただいている、無肥料・無耕起・無農薬・無除草栽培に取り組もうと思っている。

     都会生活では、こんな根源対策は不可能であり、せいぜい備蓄程度しかやれることはない。仕事も収入もない現状で、生き延びたければ過疎の田舎に、仲間とともに逃げて、芋作りから自給自足生活を模索するしかない。せめて、都会でもプランターで芋作りのノウハウを蓄積すべきだ。
     大都会で、定常的な仕事と収入を得て、インフラが供給されることを前提にした生活は、震災と経済破局でオシマイになると十分自覚しなければいけない。そして、おそらく二度と復活しない。

     すでに大勢の失業者が出ていて、半年の失業給付も切れて、あとは銀行強盗でもやらなければ生きてゆけないほど追いつめられている。
     この期に及んで、民主党あたりに期待をかけて、大都会でのかつての生活スタイルを復活させようと思うのは実に浅はかで、時代が本質的に変わって、もう生産ニーズなどかつての数十分の一しかないのだから仕事も激減する。
     しかし人が生きてゆくためには、最低限の生活でも食べてゆかねばならない。こうなれば、田舎に行って土地を確保し、芋を植えて自給自足で生き延びる以外の生活スタイルはありえないと、とっくに理解していなければ、これから震災のダブルパンチに遭っても、もはや生き延びる可能性はないと覚悟すべきだ。

     対策項目は、移動・通信・食料・水・衣類・暖房・灯り・シェルターとあるが、震災時にあって、家が破壊された場合は、緊急シェルターが必要になる。
     このとき、すぐに役立つのは登山装備であり、とりあえずテントとシュラフで厳冬期でも生き延びることができる。石油ランタンを灯せば暖房と灯りが確保できる。普段から登山やハイキングを楽しんでいる人、キャンプ生活を楽しんでいる人は、こうした事態に臨機応変の機転がきくから、こうした遊びが、非常時にいかに役に立つか十分に知らされるものだ。

     落ち着いたなら、適当な小屋を確保することになる。長期利用のトイレの問題は、筆者は柳田ファームの協力で、EMBCシステムトイレを実験してきた。
     これは、とんでもないスグレモノで、水洗トイレの排水を、浄化槽で完全に浄化し、糞便もトイレ紙もすべて消失してしまい、出てくる水は飲めるほどのものだ。筆者宅では過去五年間、重大問題なく稼働している。
     このトイレシステムについては、別に詳細に語る必要があり、次回に掲示したい。

     

     


      PISCOのもの凄いデータから東海・関東大地震の切迫を感じ、いよいよ震災後の生活を考えはじめた。
     地震予知のホームページを主宰している以上、とうに食料や水などの備蓄は済ませているが、それでも、関東〜東海の巨大地震ともなれば、おそらくインフラ復旧は困難か、絶望的な状態になると予想できるので、これまでのような短期的な備蓄ではなく、数年を見た長期のインフラ切断生活を準備する必要があると思った。

     五年間ニワトリを飼育していて思うことだが、ヤツラはエサと水と運動場さえあれば、何の問題もなく幸せそうに生き続けている。筆者宅のニワトリも五齢目だが、今でも毎日卵を産んでくれている。
     連中は幸せだ。野生ならば、簡単にイタチやキツネなんかに食われてしまうが、筆者がさんざん苦労して二重三重のバリケードネットをこさえて、毎日エサと水をもらって卵を産んでいるだけだ。
     その卵も、筆者が蛋白制限なので、最近ではほとんどニワトリに返しているが、このときだけは、ヤツラがチラノザウルス直系子孫の片鱗を見せるのだ。

     我々も、名誉や利権、贅沢な衣服・食事・車や高級電化生活なんて高望みをせずに、ただ仲間とともに生きている現実の生活だけに目を向ければ、ニワトリと同じように、エサと水と、身を守るバリケードさえあれば余生を全うできることを理解する必要がある。
     震災は、あらゆるインフラや個人財産、消費生活を破壊する。しかし、人間が生きるために本当は何が必要か思い知らせてくれるのだ。そして、生きるということの真の意味をも思い知らせてくれる。
     何を大切にしなければならなかったか? ということだ。

     昔、登山を始めた頃、上に登って何が起きるか分からない恐怖心から、ナタだのストーブだの、余計なアクセサリーをたくさん抱えて重い荷物に苦しんで登ったものだ。
     白旗史郎が、「写真を撮りたければ、しっかりした重い三脚が必要」なんて言うものだから、まともに信じて、数万円もする4キロもの三脚を持参し、さんざん膝を痛めたものだが、やがて、そんなことはウソだと分かった。
     要はぶれない工夫をすることだったのだ。熊に何度も出遭ったがナタやナイフは必要なかった。重い燃料ストーブもやがて軽いガス式に換え、今では、おにぎりや菓子類でこなすので、ほとんど持参しない。水筒もペット飲料だけだ。やがて、登山でもハイキング程度の装備ですむようになった。
     冬山でも、重い冬山用シュラフなど持参しなくともシュラフカバーと羽毛服だけで寝られることが分かるようになり、かたつむりのような大げさ装備が、40リットル中型ザックの軽快装備に代わり、厳冬期テント二泊三日もこなせるようになった。

     震災対策の装備も同じで、あれもこれもと思い浮かぶが、たいてい実際には役に立たないものが多く、たくさん揃えすぎると、本当に必要なものが何であるのか、分かりにくくなってしまう。
     まずは、人が生きるために、本当に必要なものは何か? 原点に返って、何度も想像してイメージトレーニングすることが必要だ。そうして、無駄なものを排除し、必要なものを徹底的に整理し、最小限の身軽な装備にすることが大切だ。それでこそ、震災の大混乱のなかで問題を的確に解決できる。

     さて、そこで震災の結果、どうなるか? を想像してみよう。
     一番の問題は、電気や水道、ガスなど公共インフラが切断されてしまうことだ。これまでの震災では、数日か数十日程度で復旧することができた。それは被災範囲が小さく、周囲の健全地域からの救援があったからだが、今度の、東海地震や新関東大震災では、そういうわけにはいかない。
     おそらく、インフラの復旧は困難で、あるいは永久に望めない可能性もある。浜岡原発がメルトダウンすれば、関東東海の広い地域が永久に居住不能になることを理解しておく必要があり、被曝を逃れて移動する以外の手段は存在しない。

     まずは、その移動だが、大震災級の場合は、道路インフラもまともに破壊され、仮に破壊を免れた幹線道路があったとしても人々が殺到し、事実上、移動は不可能なる可能性が強い。また、自動車が無事だったとしても、燃料の入手が困難だ。
     こんなときは、何が役に立つのか? まずは徒歩の実力を普段から訓練することだ。それに加えて折りたためる軽い自転車があれば十分だろう。自動車の通行不能な道でも、担いで歩くことができるのだ。

     幸い原発放射能放出がなくとも、東海地震クラスの大規模なインフラ破壊では回復に数ヶ月〜数年は見る必要があるだろう。その間、人々は公共インフラなしで過ごさなければいけない。
     このとき、贅沢は論外として、人が生きるために、何が本当に必要なのか、しっかり確認できていれば、それほどあわてる必要もないだろう。

     生きるために、まず食べて飲むことが必要だ。食料と水だ。それから、病気にならない程度の、雨風を凌ぐ暖かいバリケードも必要だ。衣類と簡単な衛生設備、トイレ、こんなところで数年間を過ごすことを予想しよう。
     一番の問題は電気だ。我々は、電気漬けの生活にどっぷりと浸って生きてきた。電気のない世界など想像もできなくなっている。しかし、インフラのなかで、もっとも脆弱なのが電気なのだ。それは、ただ一本の送電線の切断で、長い停電が起きてしまう。大震災では、無数の電線がやられてしまう。阪神大震災では、復旧行程での被災電線発火事故もたくさん起きた。

     電気インフラが、どれほど生活を支えているのか?
     灯りがない、テレビが見られない、パソコンも携帯電話も電池切れで補充ができないからオシマイ。携帯など通信も補充ができないからダメだ。冷蔵庫も冷えず食品が腐り出す。洗濯機も動かない。
     こんなとき、河原でのキャンプ生活の体験が生きてくるだろう。だから、子供たちには必ず経験させなければいけない。

     田舎に住んでいる筆者宅でも大変だ。電気が止まれば、モーター類が動かないから、まず井戸ポンプが作動せず水が使えない。したがってトイレも流せない。浄化槽も浄化機能が働かない。もちろんパソコンも使えないから、当HPもオサラバということになる。
     そこで、井戸には、どうしても緊急事態用に手押しポンプの設置が必要だ。コメリHCで2万円程度で売られているので、井戸を持っている方は、とりあえず購入された方がよいと思う。面倒だが、これで水洗トイレでもバケツで利用できるようになる。
     32ミリ径なので、同径の塩ビパイプを買って、つないで井戸に入れるだけで使える。筆者の子供時代も、これだったので懐かしくてたまらない。なお、井戸掘りは、ユンボの入る場所なら、井戸屋に頼むより造園屋あたりに頼んだ方が安くあがるかもしれない。

     浄化槽は、発電機で毎日数時間運転すれば、なんとかなるだろう。廃液は肥料成分が多いので捨てるのはもったいない。可能ならばポンプで畑に送って散布すべきだ。
     灯りは、とりあえず安い石油ランタンが売られているから、それで間に合うだろう。中国製だと安全は保障できないが。筆者は、最近、カインズで売られていた490円の中国製ランタンを五台購入した。
     明るさは10ワット程度だが、冬場は一晩中つけておけるストーブ代わりにもなるので重宝だ。
     このところ夜になると石油ランタンを灯して、実用性や問題点を観察しているが、五台すべて火を灯すと30ワット以上の明るさになり、とりあえず本も読めるようになり不自由は感じない。
     テレビやパソコンなしのランプ生活も、とても良いもので、その2700Kの色調に郷愁を感じて心地よい。蛍光灯に戻すと、とても味気なく感じるほどだ。
     ランプの灯りで、友との語らいも、酒も進むにちがいない。遠達性の強い灯りなので実用は一台でも十分だろう。灯油の消費量は、一晩で50〜100cc程度だろう。18リットルあれば、毎日使っても半年は大丈夫。他の電池式ランタンは、充電インフラが遮断されるので、数日しか使えない。

     問題の食糧だが、筆者は、昨年20坪あった畑を拡張して70坪にした。山を拓いたので傾斜があり、作りたかった水田は無理だが、ジャガイモは良く育った。上手に育てれば、おおむね300キロは収穫できる。
     今年は木を伐採するのをためらったため200キロの収穫にとどまったが、その後、サツマイモを植えて、来月100キロ収穫予定だ。これで二人くらいは1年間生き延びることが可能だ。おおむね、一人一日芋1キロでお釣りがくるだろう。腹半分でも死ぬことはない、安心して生きてゆける。
     時期を変えれば、ジャガイモ・トウモロコシ・サツマイモと次々に収穫できる。肥料は近所の牛舎からタダ同然で入手できるが、今は、ある方から教えていただいている、無肥料・無耕起・無農薬・無除草栽培に取り組もうと思っている。

     都会生活では、こんな根源対策は不可能であり、せいぜい備蓄程度しかやれることはない。仕事も収入もない現状で、生き延びたければ過疎の田舎に、仲間とともに逃げて、芋作りから自給自足生活を模索するしかない。せめて、都会でもプランターで芋作りのノウハウを蓄積すべきだ。
     大都会で、定常的な仕事と収入を得て、インフラが供給されることを前提にした生活は、震災と経済破局でオシマイになると十分自覚しなければいけない。そして、おそらく二度と復活しない。

     すでに大勢の失業者が出ていて、半年の失業給付も切れて、あとは銀行強盗でもやらなければ生きてゆけないほど追いつめられている。
     この期に及んで、民主党あたりに期待をかけて、大都会でのかつての生活スタイルを復活させようと思うのは実に浅はかで、時代が本質的に変わって、もう生産ニーズなどかつての数十分の一しかないのだから仕事も激減する。
     しかし人が生きてゆくためには、最低限の生活でも食べてゆかねばならない。こうなれば、田舎に行って土地を確保し、芋を植えて自給自足で生き延びる以外の生活スタイルはありえないと、とっくに理解していなければ、これから震災のダブルパンチに遭っても、もはや生き延びる可能性はないと覚悟すべきだ。

     対策項目は、移動・通信・食料・水・衣類・暖房・灯り・シェルターとあるが、震災時にあって、家が破壊された場合は、緊急シェルターが必要になる。
     このとき、すぐに役立つのは登山装備であり、とりあえずテントとシュラフで厳冬期でも生き延びることができる。石油ランタンを灯せば暖房と灯りが確保できる。普段から登山やハイキングを楽しんでいる人、キャンプ生活を楽しんでいる人は、こうした事態に臨機応変の機転がきくから、こうした遊びが、非常時にいかに役に立つか十分に知らされるものだ。

     落ち着いたなら、適当な小屋を確保することになる。長期利用のトイレの問題は、筆者は柳田ファームの協力で、EMBCシステムトイレを実験してきた。
     これは、とんでもないスグレモノで、水洗トイレの排水を、浄化槽で完全に浄化し、糞便もトイレ紙もすべて消失してしまい、出てくる水は飲めるほどのものだ。筆者宅では過去五年間、重大問題なく稼働している。
     このトイレシステムについては、別に詳細に語る必要があり、次回に掲示したい。

     



      PISCOのもの凄いデータから東海・関東大地震の切迫を感じ、いよいよ震災後の生活を考えはじめた。
     地震予知のホームページを主宰している以上、とうに食料や水などの備蓄は済ませているが、それでも、関東〜東海の巨大地震ともなれば、おそらくインフラ復旧は困難か、絶望的な状態になると予想できるので、これまでのような短期的な備蓄ではなく、数年を見た長期のインフラ切断生活を準備する必要があると思った。

     五年間ニワトリを飼育していて思うことだが、ヤツラはエサと水と運動場さえあれば、何の問題もなく幸せそうに生き続けている。筆者宅のニワトリも五齢目だが、今でも毎日卵を産んでくれている。
     連中は幸せだ。野生ならば、簡単にイタチやキツネなんかに食われてしまうが、筆者がさんざん苦労して二重三重のバリケードネットをこさえて、毎日エサと水をもらって卵を産んでいるだけだ。
     その卵も、筆者が蛋白制限なので、最近ではほとんどニワトリに返しているが、このときだけは、ヤツラがチラノザウルス直系子孫の片鱗を見せるのだ。

     我々も、名誉や利権、贅沢な衣服・食事・車や高級電化生活なんて高望みをせずに、ただ仲間とともに生きている現実の生活だけに目を向ければ、ニワトリと同じように、エサと水と、身を守るバリケードさえあれば余生を全うできることを理解する必要がある。
     震災は、あらゆるインフラや個人財産、消費生活を破壊する。しかし、人間が生きるために本当は何が必要か思い知らせてくれるのだ。そして、生きるということの真の意味をも思い知らせてくれる。
     何を大切にしなければならなかったか? ということだ。

     昔、登山を始めた頃、上に登って何が起きるか分からない恐怖心から、ナタだのストーブだの、余計なアクセサリーをたくさん抱えて重い荷物に苦しんで登ったものだ。
     白旗史郎が、「写真を撮りたければ、しっかりした重い三脚が必要」なんて言うものだから、まともに信じて、数万円もする4キロもの三脚を持参し、さんざん膝を痛めたものだが、やがて、そんなことはウソだと分かった。
     要はぶれない工夫をすることだったのだ。熊に何度も出遭ったがナタやナイフは必要なかった。重い燃料ストーブもやがて軽いガス式に換え、今では、おにぎりや菓子類でこなすので、ほとんど持参しない。水筒もペット飲料だけだ。やがて、登山でもハイキング程度の装備ですむようになった。
     冬山でも、重い冬山用シュラフなど持参しなくともシュラフカバーと羽毛服だけで寝られることが分かるようになり、かたつむりのような大げさ装備が、40リットル中型ザックの軽快装備に代わり、厳冬期テント二泊三日もこなせるようになった。

     震災対策の装備も同じで、あれもこれもと思い浮かぶが、たいてい実際には役に立たないものが多く、たくさん揃えすぎると、本当に必要なものが何であるのか、分かりにくくなってしまう。
     まずは、人が生きるために、本当に必要なものは何か? 原点に返って、何度も想像してイメージトレーニングすることが必要だ。そうして、無駄なものを排除し、必要なものを徹底的に整理し、最小限の身軽な装備にすることが大切だ。それでこそ、震災の大混乱のなかで問題を的確に解決できる。

     さて、そこで震災の結果、どうなるか? を想像してみよう。
     一番の問題は、電気や水道、ガスなど公共インフラが切断されてしまうことだ。これまでの震災では、数日か数十日程度で復旧することができた。それは被災範囲が小さく、周囲の健全地域からの救援があったからだが、今度の、東海地震や新関東大震災では、そういうわけにはいかない。
     おそらく、インフラの復旧は困難で、あるいは永久に望めない可能性もある。浜岡原発がメルトダウンすれば、関東東海の広い地域が永久に居住不能になることを理解しておく必要があり、被曝を逃れて移動する以外の手段は存在しない。

     まずは、その移動だが、大震災級の場合は、道路インフラもまともに破壊され、仮に破壊を免れた幹線道路があったとしても人々が殺到し、事実上、移動は不可能なる可能性が強い。また、自動車が無事だったとしても、燃料の入手が困難だ。
     こんなときは、何が役に立つのか? まずは徒歩の実力を普段から訓練することだ。それに加えて折りたためる軽い自転車があれば十分だろう。自動車の通行不能な道でも、担いで歩くことができるのだ。

     幸い原発放射能放出がなくとも、東海地震クラスの大規模なインフラ破壊では回復に数ヶ月〜数年は見る必要があるだろう。その間、人々は公共インフラなしで過ごさなければいけない。
     このとき、贅沢は論外として、人が生きるために、何が本当に必要なのか、しっかり確認できていれば、それほどあわてる必要もないだろう。

     生きるために、まず食べて飲むことが必要だ。食料と水だ。それから、病気にならない程度の、雨風を凌ぐ暖かいバリケードも必要だ。衣類と簡単な衛生設備、トイレ、こんなところで数年間を過ごすことを予想しよう。
     一番の問題は電気だ。我々は、電気漬けの生活にどっぷりと浸って生きてきた。電気のない世界など想像もできなくなっている。しかし、インフラのなかで、もっとも脆弱なのが電気なのだ。それは、ただ一本の送電線の切断で、長い停電が起きてしまう。大震災では、無数の電線がやられてしまう。阪神大震災では、復旧行程での被災電線発火事故もたくさん起きた。

     電気インフラが、どれほど生活を支えているのか?
     灯りがない、テレビが見られない、パソコンも携帯電話も電池切れで補充ができないからオシマイ。携帯など通信も補充ができないからダメだ。冷蔵庫も冷えず食品が腐り出す。洗濯機も動かない。
     こんなとき、河原でのキャンプ生活の体験が生きてくるだろう。だから、子供たちには必ず経験させなければいけない。

     田舎に住んでいる筆者宅でも大変だ。電気が止まれば、モーター類が動かないから、まず井戸ポンプが作動せず水が使えない。したがってトイレも流せない。浄化槽も浄化機能が働かない。もちろんパソコンも使えないから、当HPもオサラバということになる。
     そこで、井戸には、どうしても緊急事態用に手押しポンプの設置が必要だ。コメリHCで2万円程度で売られているので、井戸を持っている方は、とりあえず購入された方がよいと思う。面倒だが、これで水洗トイレでもバケツで利用できるようになる。
     32ミリ径なので、同径の塩ビパイプを買って、つないで井戸に入れるだけで使える。筆者の子供時代も、これだったので懐かしくてたまらない。なお、井戸掘りは、ユンボの入る場所なら、井戸屋に頼むより造園屋あたりに頼んだ方が安くあがるかもしれない。

     浄化槽は、発電機で毎日数時間運転すれば、なんとかなるだろう。廃液は肥料成分が多いので捨てるのはもったいない。可能ならばポンプで畑に送って散布すべきだ。
     灯りは、とりあえず安い石油ランタンが売られているから、それで間に合うだろう。中国製だと安全は保障できないが。筆者は、最近、カインズで売られていた490円の中国製ランタンを五台購入した。
     明るさは10ワット程度だが、冬場は一晩中つけておけるストーブ代わりにもなるので重宝だ。
     このところ夜になると石油ランタンを灯して、実用性や問題点を観察しているが、五台すべて火を灯すと30ワット以上の明るさになり、とりあえず本も読めるようになり不自由は感じない。
     テレビやパソコンなしのランプ生活も、とても良いもので、その2700Kの色調に郷愁を感じて心地よい。蛍光灯に戻すと、とても味気なく感じるほどだ。
     ランプの灯りで、友との語らいも、酒も進むにちがいない。遠達性の強い灯りなので実用は一台でも十分だろう。灯油の消費量は、一晩で50〜100cc程度だろう。18リットルあれば、毎日使っても半年は大丈夫。他の電池式ランタンは、充電インフラが遮断されるので、数日しか使えない。

     問題の食糧だが、筆者は、昨年20坪あった畑を拡張して70坪にした。山を拓いたので傾斜があり、作りたかった水田は無理だが、ジャガイモは良く育った。上手に育てれば、おおむね300キロは収穫できる。
     今年は木を伐採するのをためらったため200キロの収穫にとどまったが、その後、サツマイモを植えて、来月100キロ収穫予定だ。これで二人くらいは1年間生き延びることが可能だ。おおむね、一人一日芋1キロでお釣りがくるだろう。腹半分でも死ぬことはない、安心して生きてゆける。
     時期を変えれば、ジャガイモ・トウモロコシ・サツマイモと次々に収穫できる。肥料は近所の牛舎からタダ同然で入手できるが、今は、ある方から教えていただいている、無肥料・無耕起・無農薬・無除草栽培に取り組もうと思っている。

     都会生活では、こんな根源対策は不可能であり、せいぜい備蓄程度しかやれることはない。仕事も収入もない現状で、生き延びたければ過疎の田舎に、仲間とともに逃げて、芋作りから自給自足生活を模索するしかない。せめて、都会でもプランターで芋作りのノウハウを蓄積すべきだ。
     大都会で、定常的な仕事と収入を得て、インフラが供給されることを前提にした生活は、震災と経済破局でオシマイになると十分自覚しなければいけない。そして、おそらく二度と復活しない。

     すでに大勢の失業者が出ていて、半年の失業給付も切れて、あとは銀行強盗でもやらなければ生きてゆけないほど追いつめられている。
     この期に及んで、民主党あたりに期待をかけて、大都会でのかつての生活スタイルを復活させようと思うのは実に浅はかで、時代が本質的に変わって、もう生産ニーズなどかつての数十分の一しかないのだから仕事も激減する。
     しかし人が生きてゆくためには、最低限の生活でも食べてゆかねばならない。こうなれば、田舎に行って土地を確保し、芋を植えて自給自足で生き延びる以外の生活スタイルはありえないと、とっくに理解していなければ、これから震災のダブルパンチに遭っても、もはや生き延びる可能性はないと覚悟すべきだ。

     対策項目は、移動・通信・食料・水・衣類・暖房・灯り・シェルターとあるが、震災時にあって、家が破壊された場合は、緊急シェルターが必要になる。
     このとき、すぐに役立つのは登山装備であり、とりあえずテントとシュラフで厳冬期でも生き延びることができる。石油ランタンを灯せば暖房と灯りが確保できる。普段から登山やハイキングを楽しんでいる人、キャンプ生活を楽しんでいる人は、こうした事態に臨機応変の機転がきくから、こうした遊びが、非常時にいかに役に立つか十分に知らされるものだ。

     落ち着いたなら、適当な小屋を確保することになる。長期利用のトイレの問題は、筆者は柳田ファームの協力で、EMBCシステムトイレを実験してきた。
     これは、とんでもないスグレモノで、水洗トイレの排水を、浄化槽で完全に浄化し、糞便もトイレ紙もすべて消失してしまい、出てくる水は飲めるほどのものだ。筆者宅では過去五年間、重大問題なく稼働している。
     このトイレシステムについては、別に詳細に語る必要があり、次回に掲示したい。

     


     政権交代

     8月30日の衆院選挙で、予測通り、民主党が300議席を超える圧勝で、自民党は結党以来の壊滅的大敗を喫した。
     政権交代が実現した理由は、「自民党が大衆を食わせてゆけない、役に立たない政党である」と多くの大衆が認識したことに尽きるだろう。

     それでは、大衆が民主党を選んだというよりは、自民党を見捨てたことにより棚ぼた式に政権が転がり込む民主党が、有権者大衆を食わせてゆけるのか? といえば、メンバーを見る限り、自民党と変わらない二世三世のろくでもないボンボン議員ばかりで、「大衆を食わせるには何をしたらよいのか」という問題に、真正面からピントの合っていそうな冴えた議員は、ほとんど見あたらない。

     鳩山政権も、まともな判断力があるなら、藤原直哉あたりを主任アドバイザーや経産省に任命して、至急の経済対応策を実行させれば、とりあえずは当面を凌げるように思えるが、メンツや論功合戦に夢中になって、自惚れに目がくらみそうな連中ばかりで、そうした冷静な判断は無理だろう。

     結局のところ、何をしていいか分からず、打つ手は裏に填り、大衆は失望するばかりとなるにちがいない。
     正直、今起きている世界大恐慌は、松下政経塾あたりで議員に憧れる、ろくな苦労も知らないアホボンボンあたりが手を出して何とかなるほど甘い事態ではない。場合によっては日本人の多くが死滅を免れ得ないほどの凄まじい動乱を呼び起こさずにはおかない巨大災厄なのだ。
     残念だが、この有史以来ともいえる人類遭難に当たって、人々を正しい方向に導いてゆける人材は、民主党にも皆目見あたらないと言うしかない。それどころか、今、どれほど恐ろしい事態が起きているのか、まともに理解している党員も見あたらないのだ。
     年末までに、ドル切り下げかアメロ導入、金融封鎖という恐慌パニックが避けられない情勢にあることを民主党の誰が見ているのか? バラマキ政策なんか主張している場合か?

     おそらく民主党政権は早々に行き詰まるしかない。こうなれば、大衆はプーチンのような、強引至極の強権独裁支配者を熱望することになり、日本の右傾化、独裁政権化が避けられない流れになると危惧している。
     (もし、日本でプーチンのように登場するとすれば、田中真紀子や橋下徹、そして小朝クラスの大真打実力者は北川正恭あたりか? ユダヤ金融資本は寺島実郎を担ぎ出すか?)

     筆者は、自民党政権のまま日本政府が倒壊した方が問題がスッキリして、本質が見えやすいと考えていた。下手に民主党が余計な悪あがきをすれば、「何が間違っていたのか?」見えにくくなってしまうことを心配している。
     放っておいても、株価超大暴落は避けられず、BIS規制による銀行群の崩壊から預金封鎖、為替凍結、輸出入停止の流れは、時間の問題だった。こうなれば、大衆は自民党の存在と、それを支持してきたという事実が何を意味していたのか? はっきりと思い知らされることだろう。
     しかし、大衆の「食えない」という不安と怒りは、自民党を潰すという結果をもたらす形しかありえず、政権交代は誰も止められない必然的なものだっただろう。

     自民党は、このまま責任問題をめぐって内紛が続き崩壊してしまいそうだ。おそらく、まともな形で復活することは難しいだろう。しかし、「まともでない形」で復権することがないとはいえない。
     どういうことか?
     麻生内閣の官房副長官が官僚のトップにあたるポストだが、これには漆間巌という自衛隊幹部や警察庁長官など、国内の治安・公安を一手に支配してきた人物が就任している。こいつがクセ者だ。

     2009年3月5日、漆間は記者団懇談の席で、小沢民主党代表の秘書が東京地方検察庁に逮捕される状況下にあった西松建設違法献金事件の捜査に関して、「検察は西松建設の違法献金事件で自民党側を立件できないと思う」と発言した。
     日本政府最高幹部が、小沢と同じように、西松建設側から二階俊博をはじめ、自民党議員関係者が多数献金を受けていた事実が明らかなのに、立件するのは民主党だけで自民党に捜査が及ばないと断言したのである。
     警察畑トップを歩んできた漆間の経歴から、検察とツーカーの間柄であるのが当然であって、いわば検察の代理コメントをしたようなもので、さすがの記者クラブもオフレコをひっくり返して大きなニュースになり、「国策捜査を証明するものだ」との指弾を浴びることになった。

     漆間は、自衛隊時代から日本を代表する高級スパイだったといわれる。ということは、おそらくCIAのエージェントでもあるのだろう。同じように、西松事件を自民党に有利な立場で立件した漆間の盟友といわれる東京高検検事長の大林宏も、一貫して公安スパイ調査官、公安検事を歩んできた人物で、強硬な反共主義者であり、三鷹事件・下山事件などをでっちあげた正力松太郎の陰謀弾圧路線を継ぐ者たちといわれている。
     彼らが共謀して西松建設疑惑をでっちあげ、小沢一郎を陥れたことは明白で、彼らこそ、日本の闇権力の代表者と目する点では、多くの闇権力研究者たちが同意している。
     筆者の元には、漆間〜大林の闇権力が、民主党に罠を仕掛け、大規模な転倒を狙っているとの情報が少なからず寄せられている。副島隆彦も以下のように指摘している。

     【だから、私は、小沢一郎にあと3年は生きていて欲しい、と本当に思う。これだけだ、と言っていい。敵たちにとって恐(こわ)いのは小沢一郎だけだ。小沢に急に先立たれると、私たち日本国民は、すぐに、「テルミドールの反動(はんどう)」に見舞われることになる。 思想家である私には、このことがよく分かる。 鳩山や、岡田や、菅では、悪人(ワル)たちが、策動を巡らして、ゴロツキ政治屋と、極悪官僚たちと、メディアと、アメリカの謀略部隊が、仕組んで襲いかかれば、半年と保(も)たないで政権を転覆させられる。今のところは、小沢一郎が、手塩にかけて育てている若い、経験の未熟な政治家たちでは、太刀打ちできない。】

     日本社会は、実に残酷な謀略が渦巻いてきた。そもそも明治新政権創立のときに、北朝天皇家の系譜を継ぐ孝明天皇を、薩長幹部は一家皆殺しにしてしまったのだ。
     今いる明治・大正・昭和・平成天皇は、実は、このときでっちあげられたニセモノ、大室寅之輔の子孫であり、孝明天皇直系ではない。とはいっても、元より万世一系天皇なんてのは妄想もいいとこで、現実には、そんな都合のよいメデタイ家系が存在するはずがないが、それにしても、西郷・大久保・井上・伊藤らが岩倉具視と共謀した天皇暗殺は残酷な殺人謀略であった。
     このとき天皇が、長州奇兵隊力士隊にいた大室寅之輔にすり替えられたのは明白で、その証拠は、北朝系譜の天皇が、明治になって突然、「南朝こそ正統」と言い始め、朝敵であったはずの楠木正成像を皇居に建立したことからも明らかである。

     以来、日本政府の政権本流では、こうした類の謀略が当たり前のように続いていたが、マスコミも権力で統制してきたために、真実が民衆のなかに伝わることはなかった。これらの謀略は、後に研究者によって暴露されたのである。

     日本近代史における、もっとも悪質な謀略は、戦争を除けば、正力松太郎によって行われた朝鮮人大虐殺である。
     関東大震災が発生したとき、かねてから在日朝鮮人と社会主義者の撲滅殺戮を計画していた警視庁ナンバー2、正力松太郎は、マスコミに「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、各地で強姦強盗など暴動を繰り返している」と流言飛語を流布した。
     この結果、六千名を超える朝鮮人が、デマに扇動された大衆によって虐殺されたのである。社会主義者、大杉栄、伊藤野枝は幼子を含めて一家皆殺しにあった。

     正力松太郎という人物は、日本近代史のなかで謀略・黒幕という視点で最大の大物であり、極悪非道とは、この男のことを言う大悪人であった。「日本を守る」と称する右翼の総元締めでありながら、戦後はCIAのスパイに任命されていた事実が公に確認された。
     戦後、労働運動に起きた、三鷹・松川・下山・白鳥などたくさんの左翼弾圧のための謀略事件の黒幕は、すべてこの男が命令したものであり、岸信介や児玉誉士夫、中曽根康弘らとともに指揮したと断言してもよい。

     戦後の保守政権を支えた陰謀は、すべて正力松太郎の系譜にある。正力や岸の死後、それを引き継いだのは統一教会の支援を受けた中曽根康弘だが、老いた中曽根を継ぐ者が現れていた。
     それが、漆間巌(内閣官房副長官)と大林宏(東京高検検事長)である。彼らは日本会議を中心に、右翼知識人を集め、保守政権を永続的に支える陰謀を繰り返してきた。田母神俊雄も彼らの盟友であると指摘されている、
     問題なのは、彼らが合法的活動だけでなく、正力直系の非合法活動にも極めて長けていることだ。
     例えば、植草一秀が痴漢に填められたり、自民党りそな資金問題を調査していた記者たちが次々と不審死を遂げている背景に、彼らの陰謀が行われている可能性が強いことだ。

     漆間は、まるで日本のプーチンのように、政権幹部の私的な弱みを握り、これをネタにして脅しながら政権を泳いできた。例えば、森元首相の息子に関係した麻薬売春問題や、プチエンジェル事件のような児童売春に関与した政治家たちのネタを入手し、官僚トップの座を守って、政権に影響力を保持してきたといわれる。
     そして漆間に逆らう者に対しては、小沢が西松献金で填められたように、その個人的な弱みにつけこんで、風評によって社会から抹殺しようとしてきただけでなく、おそらく暴力団系の非合法実行部隊とも関係がありそうだ。

     このような人物と、正力の系譜にある非合法陰謀組織があるとするなら、これから民主党幹部に対して、巨大な罠が仕掛けられることは間違いないと見るべきである。

     漆間や大林ら闇権力の得意技は、植草事件を見れば分かるように、まっとうな発言をする者に対し、痴漢や泥棒容疑などで、二度と立ち直れないほどの社会的名誉、政治生命を根底から破壊することである。
     このために、アグネス・チャンや野田聖子などを使って、日本に苛酷な性犯罪糾弾組織や法的規制を次々に敷設していった。今では、18歳以下が児童性犯罪とされるようになり、やがて、18歳以下の出演する性的興奮を催すビデオを所持しただけで犯罪とされるようになりそうだ。
     これこそ、漆間の得意技であり、こうした無茶苦茶な規制法をバックに、まっとうな人々を次々に罠に填めて、刑務所にぶちこんで政治的、社会的生命を絶とうとする意図なのだ。

     漆間や大林らが統一教会と協力しながら暗躍したとしても、この社会や権力が崩壊する流れを止めることは絶対にできないが、しかし、一時的にスターリンソ連で起きたような、苛酷な暗黒統制社会に持ち込むことは可能だ。
     性犯罪をはじめ、あらゆる犯罪適用を拡大し、処罰を苛酷化し、多くの大衆を犯罪者に仕立て上げ、密告によって次々に強制収容所に送り込むような暗黒社会がやってくる事態に向けて進む可能性は強い。
     だからこそ、我々は、彼らの自滅を待つために、過疎地の田舎に避難し、農業で自給自足を原則に、暗黒の時代をやり過ごす必要があるだろう。


     政権交代

     8月30日の衆院選挙で、予測通り、民主党が300議席を超える圧勝で、自民党は結党以来の壊滅的大敗を喫した。
     政権交代が実現した理由は、「自民党が大衆を食わせてゆけない、役に立たない政党である」と多くの大衆が認識したことに尽きるだろう。

     それでは、大衆が民主党を選んだというよりは、自民党を見捨てたことにより棚ぼた式に政権が転がり込む民主党が、有権者大衆を食わせてゆけるのか? といえば、メンバーを見る限り、自民党と変わらない二世三世のろくでもないボンボン議員ばかりで、「大衆を食わせるには何をしたらよいのか」という問題に、真正面からピントの合っていそうな冴えた議員は、ほとんど見あたらない。

     鳩山政権も、まともな判断力があるなら、藤原直哉あたりを主任アドバイザーや経産省に任命して、至急の経済対応策を実行させれば、とりあえずは当面を凌げるように思えるが、メンツや論功合戦に夢中になって、自惚れに目がくらみそうな連中ばかりで、そうした冷静な判断は無理だろう。

     結局のところ、何をしていいか分からず、打つ手は裏に填り、大衆は失望するばかりとなるにちがいない。
     正直、今起きている世界大恐慌は、松下政経塾あたりで議員に憧れる、ろくな苦労も知らないアホボンボンあたりが手を出して何とかなるほど甘い事態ではない。場合によっては日本人の多くが死滅を免れ得ないほどの凄まじい動乱を呼び起こさずにはおかない巨大災厄なのだ。
     残念だが、この有史以来ともいえる人類遭難に当たって、人々を正しい方向に導いてゆける人材は、民主党にも皆目見あたらないと言うしかない。それどころか、今、どれほど恐ろしい事態が起きているのか、まともに理解している党員も見あたらないのだ。
     年末までに、ドル切り下げかアメロ導入、金融封鎖という恐慌パニックが避けられない情勢にあることを民主党の誰が見ているのか? バラマキ政策なんか主張している場合か?

     おそらく民主党政権は早々に行き詰まるしかない。こうなれば、大衆はプーチンのような、強引至極の強権独裁支配者を熱望することになり、日本の右傾化、独裁政権化が避けられない流れになると危惧している。
     (もし、日本でプーチンのように登場するとすれば、田中真紀子や橋下徹、そして小朝クラスの大真打実力者は北川正恭あたりか? ユダヤ金融資本は寺島実郎を担ぎ出すか?)

     筆者は、自民党政権のまま日本政府が倒壊した方が問題がスッキリして、本質が見えやすいと考えていた。下手に民主党が余計な悪あがきをすれば、「何が間違っていたのか?」見えにくくなってしまうことを心配している。
     放っておいても、株価超大暴落は避けられず、BIS規制による銀行群の崩壊から預金封鎖、為替凍結、輸出入停止の流れは、時間の問題だった。こうなれば、大衆は自民党の存在と、それを支持してきたという事実が何を意味していたのか? はっきりと思い知らされることだろう。
     しかし、大衆の「食えない」という不安と怒りは、自民党を潰すという結果をもたらす形しかありえず、政権交代は誰も止められない必然的なものだっただろう。

     自民党は、このまま責任問題をめぐって内紛が続き崩壊してしまいそうだ。おそらく、まともな形で復活することは難しいだろう。しかし、「まともでない形」で復権することがないとはいえない。
     どういうことか?
     麻生内閣の官房副長官が官僚のトップにあたるポストだが、これには漆間巌という自衛隊幹部や警察庁長官など、国内の治安・公安を一手に支配してきた人物が就任している。こいつがクセ者だ。

     2009年3月5日、漆間は記者団懇談の席で、小沢民主党代表の秘書が東京地方検察庁に逮捕される状況下にあった西松建設違法献金事件の捜査に関して、「検察は西松建設の違法献金事件で自民党側を立件できないと思う」と発言した。
     日本政府最高幹部が、小沢と同じように、西松建設側から二階俊博をはじめ、自民党議員関係者が多数献金を受けていた事実が明らかなのに、立件するのは民主党だけで自民党に捜査が及ばないと断言したのである。
     警察畑トップを歩んできた漆間の経歴から、検察とツーカーの間柄であるのが当然であって、いわば検察の代理コメントをしたようなもので、さすがの記者クラブもオフレコをひっくり返して大きなニュースになり、「国策捜査を証明するものだ」との指弾を浴びることになった。

     漆間は、自衛隊時代から日本を代表する高級スパイだったといわれる。ということは、おそらくCIAのエージェントでもあるのだろう。同じように、西松事件を自民党に有利な立場で立件した漆間の盟友といわれる東京高検検事長の大林宏も、一貫して公安スパイ調査官、公安検事を歩んできた人物で、強硬な反共主義者であり、三鷹事件・下山事件などをでっちあげた正力松太郎の陰謀弾圧路線を継ぐ者たちといわれている。
     彼らが共謀して西松建設疑惑をでっちあげ、小沢一郎を陥れたことは明白で、彼らこそ、日本の闇権力の代表者と目する点では、多くの闇権力研究者たちが同意している。
     筆者の元には、漆間〜大林の闇権力が、民主党に罠を仕掛け、大規模な転倒を狙っているとの情報が少なからず寄せられている。副島隆彦も以下のように指摘している。

     【だから、私は、小沢一郎にあと3年は生きていて欲しい、と本当に思う。これだけだ、と言っていい。敵たちにとって恐(こわ)いのは小沢一郎だけだ。小沢に急に先立たれると、私たち日本国民は、すぐに、「テルミドールの反動(はんどう)」に見舞われることになる。 思想家である私には、このことがよく分かる。 鳩山や、岡田や、菅では、悪人(ワル)たちが、策動を巡らして、ゴロツキ政治屋と、極悪官僚たちと、メディアと、アメリカの謀略部隊が、仕組んで襲いかかれば、半年と保(も)たないで政権を転覆させられる。今のところは、小沢一郎が、手塩にかけて育てている若い、経験の未熟な政治家たちでは、太刀打ちできない。】

     日本社会は、実に残酷な謀略が渦巻いてきた。そもそも明治新政権創立のときに、北朝天皇家の系譜を継ぐ孝明天皇を、薩長幹部は一家皆殺しにしてしまったのだ。
     今いる明治・大正・昭和・平成天皇は、実は、このときでっちあげられたニセモノ、大室寅之輔の子孫であり、孝明天皇直系ではない。とはいっても、元より万世一系天皇なんてのは妄想もいいとこで、現実には、そんな都合のよいメデタイ家系が存在するはずがないが、それにしても、西郷・大久保・井上・伊藤らが岩倉具視と共謀した天皇暗殺は残酷な殺人謀略であった。
     このとき天皇が、長州奇兵隊力士隊にいた大室寅之輔にすり替えられたのは明白で、その証拠は、北朝系譜の天皇が、明治になって突然、「南朝こそ正統」と言い始め、朝敵であったはずの楠木正成像を皇居に建立したことからも明らかである。

     以来、日本政府の政権本流では、こうした類の謀略が当たり前のように続いていたが、マスコミも権力で統制してきたために、真実が民衆のなかに伝わることはなかった。これらの謀略は、後に研究者によって暴露されたのである。

     日本近代史における、もっとも悪質な謀略は、戦争を除けば、正力松太郎によって行われた朝鮮人大虐殺である。
     関東大震災が発生したとき、かねてから在日朝鮮人と社会主義者の撲滅殺戮を計画していた警視庁ナンバー2、正力松太郎は、マスコミに「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、各地で強姦強盗など暴動を繰り返している」と流言飛語を流布した。
     この結果、六千名を超える朝鮮人が、デマに扇動された大衆によって虐殺されたのである。社会主義者、大杉栄、伊藤野枝は幼子を含めて一家皆殺しにあった。

     正力松太郎という人物は、日本近代史のなかで謀略・黒幕という視点で最大の大物であり、極悪非道とは、この男のことを言う大悪人であった。「日本を守る」と称する右翼の総元締めでありながら、戦後はCIAのスパイに任命されていた事実が公に確認された。
     戦後、労働運動に起きた、三鷹・松川・下山・白鳥などたくさんの左翼弾圧のための謀略事件の黒幕は、すべてこの男が命令したものであり、岸信介や児玉誉士夫、中曽根康弘らとともに指揮したと断言してもよい。

     戦後の保守政権を支えた陰謀は、すべて正力松太郎の系譜にある。正力や岸の死後、それを引き継いだのは統一教会の支援を受けた中曽根康弘だが、老いた中曽根を継ぐ者が現れていた。
     それが、漆間巌(内閣官房副長官)と大林宏(東京高検検事長)である。彼らは日本会議を中心に、右翼知識人を集め、保守政権を永続的に支える陰謀を繰り返してきた。田母神俊雄も彼らの盟友であると指摘されている、
     問題なのは、彼らが合法的活動だけでなく、正力直系の非合法活動にも極めて長けていることだ。
     例えば、植草一秀が痴漢に填められたり、自民党りそな資金問題を調査していた記者たちが次々と不審死を遂げている背景に、彼らの陰謀が行われている可能性が強いことだ。

     漆間は、まるで日本のプーチンのように、政権幹部の私的な弱みを握り、これをネタにして脅しながら政権を泳いできた。例えば、森元首相の息子に関係した麻薬売春問題や、プチエンジェル事件のような児童売春に関与した政治家たちのネタを入手し、官僚トップの座を守って、政権に影響力を保持してきたといわれる。
     そして漆間に逆らう者に対しては、小沢が西松献金で填められたように、その個人的な弱みにつけこんで、風評によって社会から抹殺しようとしてきただけでなく、おそらく暴力団系の非合法実行部隊とも関係がありそうだ。

     このような人物と、正力の系譜にある非合法陰謀組織があるとするなら、これから民主党幹部に対して、巨大な罠が仕掛けられることは間違いないと見るべきである。

     漆間や大林ら闇権力の得意技は、植草事件を見れば分かるように、まっとうな発言をする者に対し、痴漢や泥棒容疑などで、二度と立ち直れないほどの社会的名誉、政治生命を根底から破壊することである。
     このために、アグネス・チャンや野田聖子などを使って、日本に苛酷な性犯罪糾弾組織や法的規制を次々に敷設していった。今では、18歳以下が児童性犯罪とされるようになり、やがて、18歳以下の出演する性的興奮を催すビデオを所持しただけで犯罪とされるようになりそうだ。
     これこそ、漆間の得意技であり、こうした無茶苦茶な規制法をバックに、まっとうな人々を次々に罠に填めて、刑務所にぶちこんで政治的、社会的生命を絶とうとする意図なのだ。

     漆間や大林らが統一教会と協力しながら暗躍したとしても、この社会や権力が崩壊する流れを止めることは絶対にできないが、しかし、一時的にスターリンソ連で起きたような、苛酷な暗黒統制社会に持ち込むことは可能だ。
     性犯罪をはじめ、あらゆる犯罪適用を拡大し、処罰を苛酷化し、多くの大衆を犯罪者に仕立て上げ、密告によって次々に強制収容所に送り込むような暗黒社会がやってくる事態に向けて進む可能性は強い。
     だからこそ、我々は、彼らの自滅を待つために、過疎地の田舎に避難し、農業で自給自足を原則に、暗黒の時代をやり過ごす必要があるだろう。



     政権交代

     8月30日の衆院選挙で、予測通り、民主党が300議席を超える圧勝で、自民党は結党以来の壊滅的大敗を喫した。
     政権交代が実現した理由は、「自民党が大衆を食わせてゆけない、役に立たない政党である」と多くの大衆が認識したことに尽きるだろう。

     それでは、大衆が民主党を選んだというよりは、自民党を見捨てたことにより棚ぼた式に政権が転がり込む民主党が、有権者大衆を食わせてゆけるのか? といえば、メンバーを見る限り、自民党と変わらない二世三世のろくでもないボンボン議員ばかりで、「大衆を食わせるには何をしたらよいのか」という問題に、真正面からピントの合っていそうな冴えた議員は、ほとんど見あたらない。

     鳩山政権も、まともな判断力があるなら、藤原直哉あたりを主任アドバイザーや経産省に任命して、至急の経済対応策を実行させれば、とりあえずは当面を凌げるように思えるが、メンツや論功合戦に夢中になって、自惚れに目がくらみそうな連中ばかりで、そうした冷静な判断は無理だろう。

     結局のところ、何をしていいか分からず、打つ手は裏に填り、大衆は失望するばかりとなるにちがいない。
     正直、今起きている世界大恐慌は、松下政経塾あたりで議員に憧れる、ろくな苦労も知らないアホボンボンあたりが手を出して何とかなるほど甘い事態ではない。場合によっては日本人の多くが死滅を免れ得ないほどの凄まじい動乱を呼び起こさずにはおかない巨大災厄なのだ。
     残念だが、この有史以来ともいえる人類遭難に当たって、人々を正しい方向に導いてゆける人材は、民主党にも皆目見あたらないと言うしかない。それどころか、今、どれほど恐ろしい事態が起きているのか、まともに理解している党員も見あたらないのだ。
     年末までに、ドル切り下げかアメロ導入、金融封鎖という恐慌パニックが避けられない情勢にあることを民主党の誰が見ているのか? バラマキ政策なんか主張している場合か?

     おそらく民主党政権は早々に行き詰まるしかない。こうなれば、大衆はプーチンのような、強引至極の強権独裁支配者を熱望することになり、日本の右傾化、独裁政権化が避けられない流れになると危惧している。
     (もし、日本でプーチンのように登場するとすれば、田中真紀子や橋下徹、そして小朝クラスの大真打実力者は北川正恭あたりか? ユダヤ金融資本は寺島実郎を担ぎ出すか?)

     筆者は、自民党政権のまま日本政府が倒壊した方が問題がスッキリして、本質が見えやすいと考えていた。下手に民主党が余計な悪あがきをすれば、「何が間違っていたのか?」見えにくくなってしまうことを心配している。
     放っておいても、株価超大暴落は避けられず、BIS規制による銀行群の崩壊から預金封鎖、為替凍結、輸出入停止の流れは、時間の問題だった。こうなれば、大衆は自民党の存在と、それを支持してきたという事実が何を意味していたのか? はっきりと思い知らされることだろう。
     しかし、大衆の「食えない」という不安と怒りは、自民党を潰すという結果をもたらす形しかありえず、政権交代は誰も止められない必然的なものだっただろう。

     自民党は、このまま責任問題をめぐって内紛が続き崩壊してしまいそうだ。おそらく、まともな形で復活することは難しいだろう。しかし、「まともでない形」で復権することがないとはいえない。
     どういうことか?
     麻生内閣の官房副長官が官僚のトップにあたるポストだが、これには漆間巌という自衛隊幹部や警察庁長官など、国内の治安・公安を一手に支配してきた人物が就任している。こいつがクセ者だ。

     2009年3月5日、漆間は記者団懇談の席で、小沢民主党代表の秘書が東京地方検察庁に逮捕される状況下にあった西松建設違法献金事件の捜査に関して、「検察は西松建設の違法献金事件で自民党側を立件できないと思う」と発言した。
     日本政府最高幹部が、小沢と同じように、西松建設側から二階俊博をはじめ、自民党議員関係者が多数献金を受けていた事実が明らかなのに、立件するのは民主党だけで自民党に捜査が及ばないと断言したのである。
     警察畑トップを歩んできた漆間の経歴から、検察とツーカーの間柄であるのが当然であって、いわば検察の代理コメントをしたようなもので、さすがの記者クラブもオフレコをひっくり返して大きなニュースになり、「国策捜査を証明するものだ」との指弾を浴びることになった。

     漆間は、自衛隊時代から日本を代表する高級スパイだったといわれる。ということは、おそらくCIAのエージェントでもあるのだろう。同じように、西松事件を自民党に有利な立場で立件した漆間の盟友といわれる東京高検検事長の大林宏も、一貫して公安スパイ調査官、公安検事を歩んできた人物で、強硬な反共主義者であり、三鷹事件・下山事件などをでっちあげた正力松太郎の陰謀弾圧路線を継ぐ者たちといわれている。
     彼らが共謀して西松建設疑惑をでっちあげ、小沢一郎を陥れたことは明白で、彼らこそ、日本の闇権力の代表者と目する点では、多くの闇権力研究者たちが同意している。
     筆者の元には、漆間〜大林の闇権力が、民主党に罠を仕掛け、大規模な転倒を狙っているとの情報が少なからず寄せられている。副島隆彦も以下のように指摘している。

     【だから、私は、小沢一郎にあと3年は生きていて欲しい、と本当に思う。これだけだ、と言っていい。敵たちにとって恐(こわ)いのは小沢一郎だけだ。小沢に急に先立たれると、私たち日本国民は、すぐに、「テルミドールの反動(はんどう)」に見舞われることになる。 思想家である私には、このことがよく分かる。 鳩山や、岡田や、菅では、悪人(ワル)たちが、策動を巡らして、ゴロツキ政治屋と、極悪官僚たちと、メディアと、アメリカの謀略部隊が、仕組んで襲いかかれば、半年と保(も)たないで政権を転覆させられる。今のところは、小沢一郎が、手塩にかけて育てている若い、経験の未熟な政治家たちでは、太刀打ちできない。】

     日本社会は、実に残酷な謀略が渦巻いてきた。そもそも明治新政権創立のときに、北朝天皇家の系譜を継ぐ孝明天皇を、薩長幹部は一家皆殺しにしてしまったのだ。
     今いる明治・大正・昭和・平成天皇は、実は、このときでっちあげられたニセモノ、大室寅之輔の子孫であり、孝明天皇直系ではない。とはいっても、元より万世一系天皇なんてのは妄想もいいとこで、現実には、そんな都合のよいメデタイ家系が存在するはずがないが、それにしても、西郷・大久保・井上・伊藤らが岩倉具視と共謀した天皇暗殺は残酷な殺人謀略であった。
     このとき天皇が、長州奇兵隊力士隊にいた大室寅之輔にすり替えられたのは明白で、その証拠は、北朝系譜の天皇が、明治になって突然、「南朝こそ正統」と言い始め、朝敵であったはずの楠木正成像を皇居に建立したことからも明らかである。

     以来、日本政府の政権本流では、こうした類の謀略が当たり前のように続いていたが、マスコミも権力で統制してきたために、真実が民衆のなかに伝わることはなかった。これらの謀略は、後に研究者によって暴露されたのである。

     日本近代史における、もっとも悪質な謀略は、戦争を除けば、正力松太郎によって行われた朝鮮人大虐殺である。
     関東大震災が発生したとき、かねてから在日朝鮮人と社会主義者の撲滅殺戮を計画していた警視庁ナンバー2、正力松太郎は、マスコミに「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、各地で強姦強盗など暴動を繰り返している」と流言飛語を流布した。
     この結果、六千名を超える朝鮮人が、デマに扇動された大衆によって虐殺されたのである。社会主義者、大杉栄、伊藤野枝は幼子を含めて一家皆殺しにあった。

     正力松太郎という人物は、日本近代史のなかで謀略・黒幕という視点で最大の大物であり、極悪非道とは、この男のことを言う大悪人であった。「日本を守る」と称する右翼の総元締めでありながら、戦後はCIAのスパイに任命されていた事実が公に確認された。
     戦後、労働運動に起きた、三鷹・松川・下山・白鳥などたくさんの左翼弾圧のための謀略事件の黒幕は、すべてこの男が命令したものであり、岸信介や児玉誉士夫、中曽根康弘らとともに指揮したと断言してもよい。

     戦後の保守政権を支えた陰謀は、すべて正力松太郎の系譜にある。正力や岸の死後、それを引き継いだのは統一教会の支援を受けた中曽根康弘だが、老いた中曽根を継ぐ者が現れていた。
     それが、漆間巌(内閣官房副長官)と大林宏(東京高検検事長)である。彼らは日本会議を中心に、右翼知識人を集め、保守政権を永続的に支える陰謀を繰り返してきた。田母神俊雄も彼らの盟友であると指摘されている、
     問題なのは、彼らが合法的活動だけでなく、正力直系の非合法活動にも極めて長けていることだ。
     例えば、植草一秀が痴漢に填められたり、自民党りそな資金問題を調査していた記者たちが次々と不審死を遂げている背景に、彼らの陰謀が行われている可能性が強いことだ。

     漆間は、まるで日本のプーチンのように、政権幹部の私的な弱みを握り、これをネタにして脅しながら政権を泳いできた。例えば、森元首相の息子に関係した麻薬売春問題や、プチエンジェル事件のような児童売春に関与した政治家たちのネタを入手し、官僚トップの座を守って、政権に影響力を保持してきたといわれる。
     そして漆間に逆らう者に対しては、小沢が西松献金で填められたように、その個人的な弱みにつけこんで、風評によって社会から抹殺しようとしてきただけでなく、おそらく暴力団系の非合法実行部隊とも関係がありそうだ。

     このような人物と、正力の系譜にある非合法陰謀組織があるとするなら、これから民主党幹部に対して、巨大な罠が仕掛けられることは間違いないと見るべきである。

     漆間や大林ら闇権力の得意技は、植草事件を見れば分かるように、まっとうな発言をする者に対し、痴漢や泥棒容疑などで、二度と立ち直れないほどの社会的名誉、政治生命を根底から破壊することである。
     このために、アグネス・チャンや野田聖子などを使って、日本に苛酷な性犯罪糾弾組織や法的規制を次々に敷設していった。今では、18歳以下が児童性犯罪とされるようになり、やがて、18歳以下の出演する性的興奮を催すビデオを所持しただけで犯罪とされるようになりそうだ。
     これこそ、漆間の得意技であり、こうした無茶苦茶な規制法をバックに、まっとうな人々を次々に罠に填めて、刑務所にぶちこんで政治的、社会的生命を絶とうとする意図なのだ。

     漆間や大林らが統一教会と協力しながら暗躍したとしても、この社会や権力が崩壊する流れを止めることは絶対にできないが、しかし、一時的にスターリンソ連で起きたような、苛酷な暗黒統制社会に持ち込むことは可能だ。
     性犯罪をはじめ、あらゆる犯罪適用を拡大し、処罰を苛酷化し、多くの大衆を犯罪者に仕立て上げ、密告によって次々に強制収容所に送り込むような暗黒社会がやってくる事態に向けて進む可能性は強い。
     だからこそ、我々は、彼らの自滅を待つために、過疎地の田舎に避難し、農業で自給自足を原則に、暗黒の時代をやり過ごす必要があるだろう。


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