2010年02月

    nougyou 大家族生活 その6 続 ヤマギシ会

     ヤマギシズムの本質は「私有財産の否定」である。
     参画者は、すべての私有財産を無条件に提供することを求められる。だが、近年、ヤマギシ会内部の矛盾によって、参画を断念し、離会した人たちから多数の財産返還訴訟が起こされ、最高裁による返還判例も定着したようだ。
     とまれ、これは参画者に運命共同体としての「背水の陣」を求めると同時に、人間共同体を紡ぐ糸が何であるのか、人が人生で頼るべき真実は何であるのか、思想哲学の原点を確立させるという意味が大きい。

     共同体を作るにあたって、『私有財産』が、なぜこれほど重要なのか?
     それは、エンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」のなかで指摘しているように、無私有の原始共同体社会のなかから「私有財産の成立と継承」というメカニズムによって疎外され孤立した家族を産み出し、共同体を崩壊させて国家に変えていった本質だからなのである。
     つまり、私有財産の蓄積を野放しにすれば、必ず、共同体内部に格差や妬み、差別が生まれて崩壊し、やがて、それは階級対立を産み出し、強い者たちが弱い者たちを組織の制度、武力によって利用し、支配する仕組みの大組織、すなわち人間疎外の国家が成立すると考えられるからである。

     ヤマギシズムは、その逆をやろうとした。すなわち、私有財産を消すことで国家を崩壊させ、孤立家族制度を破壊し、人間疎外のない大家族共同体に戻そうとしているのである。
     筆者が、当ブログで一貫して主張してきたことも、まさにこれなのだ。それは共産主義の本質でもある。しかし、誤解なきよう言っておくが、人類史上、共産主義が真に実現したことは原始社会を除けば皆無である。ソ連体制や中国は、共産主義とはほど遠いインチキまみれの官僚独裁国家にすぎなかった。これまで登場した「社会主義・共産主義」なるものは、ただの一度として差別をなくし、人間を解放したことなどないのである。
     これに対して、ヤマギシ社会は、個人の間に生まれる財産格差、差別をなくすことで、真の共産主義を目指したと言えよう。

     人類史のすべてにおいて、その始まりは無私有の母系氏族共同体であった。この共同体は、どうして崩壊し、私有財産を認めた父系社会の国家に変わっていったのか?
     それは、共同体全体が平等な構成員によって支えられた、「全体で一個の人格」だった時代から、分かち合うことのない私有財産が生まれ、特定の権力が発生することによって、共同体の団結が崩壊し、複数の人格、差別が成立していったことからはじまった。

     共同体社会とはいっても、人の能力には大きな個人差がある。ある者は肉体的に優れ、ある者は耐久力に優れ、ある者は頭脳に優れ、ある者は弁舌に優れるといった具合に、人には大きな個性の差異があり、このことによって、人間関係に優劣が発生することが避けられない。
     例えば、大飢饉が起きたとき、食料を発見したり、生産したりする能力に優れた者がいれば、共同体構成員は彼に大きな期待をかけ、その指示に従うようになり、権力が発生することになる。
     また、部族間戦争が起きたときなど、戦闘力の強大な者がいれば、やはり構成員は彼を頼り、従うようになる。
     おおむね、能力の高い者は、生理的に男子に偏ることが避けられない。なぜなら、女性には出産・子育てという巨大な能力を与えられており、男性は、それを支えて子孫を残す役目を与えられているわけだから。
     (このことが、男性が、どれほど望んでも決して得られない女性の圧倒的優位を与えていて、これに対する根源的コンプレックスが男系社会への渇望になっているメカニズムも知っておきたい)

     このようにして、構成員のなかで尊敬され、また軽蔑される序列ができあがり、差別の秩序が成立するようになる。これは猿のような動物社会でも同じ原理が働いている。
     そこで、部族共同体にはボスが発生し、権力が集中するようになる。このとき、ボスが一代限りで消滅するなら問題は起きないが、ボスに対する強い信仰(甘え)が成立するほどだと、権力が無条件にボスの子に引き継がれることが起きるようになる。「ボスは凄い」という信仰が人々を洗脳し、そうさせるのである。

     ボスの権威・権力・財産が、その子に引き継がれるシステムが成立するために、ボスの子を特定する必要があるわけで、そのためにボスと性交する母親は他の男と交わらないようにするため、厳格な貞操を要求されるようになる。
     これが貞操家族の起源であり、ボスの血統継承が目的なのだから、最初、必ず一夫多妻制として出発する。後に一夫一婦制が成立する事情は、虐げられる立場の女性の権利拡大要求が成功したからにすぎない。
     ボスの子がボスになる社会では、権力が血統によって継承される『王権』の成立ということになり、これが父系社会の成立であり、同時に国家の起源なのである。
     地上のあらゆる国家が、このメカニズムによって成立しており、国家の本質は、ボスの特権継承システムと考えて差し支えないだろう。したがって、すべての国家にボスが成立しており、ボスが消える社会こそ、同時に国家が消える社会である。ボスこそ国家の本質だ。だからこそ、天皇制と日本国が切り離せないわけだ。

     ところが、ヤマギシ社会では、このボスを消してしまった。
     ボス、すなわち指導部に「絶対者がいない」「無固定」というシステムが、ヤマギシ社会の核心であるとされた。
     また創立者、山岸巳代蔵の意図によって、指導部は統一されず、複数に分割された。中央調正機関と実顕地本庁で、これは同等の権限を持っていて、互いに暴走を監視し、補完しあうシステムといわれている。
     実際に、中央機関が金儲けの効率から、ヤマギシズムの本質をなす平飼養鶏を捨てて効率的なケージ飼育に切り替えようとしたとき、実顕地からの抵抗で阻止されたともいわれる。
     こうして、相互に対立することで、一方的な暴走が防がれる体制は、とても優れたものであると同時に、はるかに深い意味が隠されている。

     今、多くの人々が、世界大恐慌が身近な生活恐慌に深化するプロセスを毎日のように思い知らされ、それが、いつ自分に及んで、路傍を彷徨わねばならないときがくるかもと恐れているはずだ。こうした不安を、どのように解決するのか?
     おそらく、ほとんどの人たちが、筆者の主張しているように効率的な『大家族生活』を目指す必要があると考えはじめていると思う。
     その時期は、筆者は今年であると指摘してきた。いよいよ今年、仕事がなくなった者たちが孤立生活を捨てて、みんなで寄り集まって助け合い生活を始めなければならない時が来ている。
     それが実現できなければ、我々に残された運命は、飢えて路頭を彷徨い朽ちてゆくことしかない。

     このとき、すでに半世紀を超す経験を積んだヤマギシ会の歴史が、これから目指すべき社会について、たくさんの知恵を与えてくれるのだ。
     単に、集まって、みんなで暮らせば問題が解決するなどと甘いことを考えてはいけない。
     長い資本主義的価値観の洗脳のなかで、孤立し、対立し、制裁しあうような人間疎外の関係を当然と思いこまされてきた我々が、助け合って、支え合って生き抜いてゆく新たな価値観を獲得するには、極めて大きな障害が横たわっている。
     ほとんどの人は利己的価値観を当然と考えているが、そのままで大家族共同体を始めても必ず失敗が約束されている。
     なぜなら、共同体は、構成員が他人を思いやる『利他主義』思想を身につけない限り絶対にうまく機能しないからだ。

     すなわち、構成員が利己主義に洗脳されているならば、共同体組織を自分の利権のために利用しようとする輩が必ず登場し、他の構成員を不快にさせて、組織を崩壊させてしまうことが明らかなのだ。
     また真の利他思想を身につけるには、単に講習会や学習会をやった程度では無理だ。多くの失敗の経験を積み、困難、苦難を共に味わい、乗り越える経験のなかでしか真に身につかないのだ。

     このとき、上に述べた「ヤマギシズム式二元指導部」の考えが有効になるだろう。つまり、問題が発生したときに、それを公平に解決するシステムとして、組織の権力を一元化せず、二元化することが、とても大切なのである。
     一元化すれば、組織は権力者によって暴走する可能性が強くなる。利他主義思想が不十分な段階ではなおさらのことだ。しかし、二元化し、相互に監視するシステムにすれば、暴走を抑制し、誤った方針が是正される可能性が高くなる。
     もちろん、一元化のときのような効率性は落ちるだろうが、それでも暴走し破滅するよりマシなのである。
     一元指導部は弁護士なき裁判所のようなものであり、選挙なき国会のようなものだ。北朝鮮や中国のような運命になりたくなければ、我々は二元対立指導体制を研究すべきだろう。

     我々は、世界でも希な共同体成功例であるヤマギシ会から、多くのものを学ぶ必要がある。
     人間がやっているのだから失敗は避けられない。ヤマギシ会にも、これまでたくさんの失敗があり、愚行もあった。しかし、その思想的本質である私有財産なき大家族共同体社会を成功させ、圧倒的な実力、安定性を獲得している組織は他にない。
     かといって、我々が困ったときヤマギシ会に参画すればよいというほど簡単なものではない。
     ヤマギシ会側だって、世界大恐慌で食えなくなったから便宜的に入会したいという程度の発想で参画されたのでは迷惑だろう。利他思想が身についていない人が入ったとしても、起きる結果は目に見えているのだ。

     筆者がヤマギシの特別講習研鑽会に参加したとき、幹事が最初に言ったことが、「ヤマギシでは、みんなで入る風呂が最後まで汚れない」
     ということだった。
     ヤマギシ参画者は、必ず他人の利益に奉仕する思想を身につけることが求められ、例えば、風呂に入るときでも、他の人がきれいな風呂に浸かれるように、必ず体を十分に洗ってから入浴するのである。
     これこそ、ヤマギシズムの核心的思想であり、すなわち共同体が利他思想によってでしか成立できない本質を示すものであった。

     今年、筆者も大家族共同体の結成に向かうことになるだろう。
     もう、このままでは食べてゆくことさえできない。都市の路上には、餓死者が散乱する事態が、そこまで迫っている。
     そうした光景を見せつけられたなら、我々は、否応なしに、もっとも合理的な解決策である農業共同体の結成に向かうしかない。
     安定するまでの数年間は、おそらく苛酷な試行錯誤の日々が続くことだろう。米など無理で、芋を食いながら堪え忍ぶ苦渋の日々を過ごさねばならない。

     だが、そのなかで心を安らがせてくれるのは、参画者の利他思想だけであり、互いの思いやりによって我々は、どんな困苦からでも救われるのだ。
     人は、どうせ死ぬ運命にあるのだから、一緒に生きている人たちの笑顔を見られるなら、死などどうして怖いことがあろうか?
     我々は「連帯を求めて孤立を恐れず」、利他思想の元に結集し、力を合わせて農業共同体を目指すしかないのである。

     このとき力及ばず、死を迎えたとしても、利他思想に包まれる喜びのなかで迎える死は貴いものであり、何の後悔もないだろう。
     だが、手をこまねいて失敗し、悲惨な運命を迎える必要はない。日本に先駆者として屹立するヤマギシズムから、学べるものを、たくさん学んでゆけばよい。

    yamagisi大家族生活、その5 ヤマギシ会

     日本の大家族、農業共同体の草分けといえば、100年近い前に、武者小路実篤らによって設立された『新しき村』であろう。
     これは現在でも埼玉県で農業を主体に実際に自立生活し、二十数名の参画者によって維持されている。
     
     同じ時代、1930年頃から、スターリンソ連で農業共同体「コルホーズ」が作られ、国家崩壊までの約60年間、共同体農業が展開されたが、共産党独裁による官僚主導の弊害で、一種の強制収容所、あるいは隔離所の様相を帯びていた。
     そこでは支配階級として君臨する官僚たちの利権を優先させ、参画者を家畜のように扱う体制から、人々は勤労意欲を失い、立派な計画はあっても収穫物は腐敗し、輸送も滞り、無気力と貧苦に喘いでいた。
     体制の観念的な屁理屈によって上から押しつけられた共同体計画が、どれほど、ひどい人権抑圧と人間性破壊をもたらすかの見本を示しただけの惨惨たる結果に終わったのである。

     同じ轍を踏んで、中国でも1960年頃から「人民公社」が計画され、中国全土に農業共同体が組織されたが、結果はコルホーズと同じく惨惨たるものになり、官僚権力の腐敗を加速させ、大躍進運動などで数千万人の餓死者を出したとも噂された。これは後の「文化大革命」によって、実権派・富裕層に対する凄惨な大殺戮の下地を作ることになった。
     我々は、『大家族共同体』が、官僚支配下に置かれたなら、必ずタテマエ優先によって人間性が崩壊し、人々が意欲喪失することで崩壊に至ることを、これらの例から、しっかりと記憶しておくことにしよう。
     それは絶対に、底辺の生活者の要求から産み出されるものでなければならず、参画者全員の意欲を昂揚させる民主的自治に委ねられなければならないのである。

     日本では、資本主義的競争価値観が孤立化家族を産み出したことはあっても、それに逆行する大家族共同体を結成し、その良さをアピールする民衆運動は極めて少なかった。
     冒頭に述べた『新しき村』をはじめ、資本主義の弊害が目立ち始めた時代にアンチテーゼとして登場した大正デモクラシーや幸徳秋水・大杉栄らによる社会主義・アナキズム思想運動から、いくつかの試行錯誤が行われたにとどまる。
     また、1960年代に、小規模ながら、ヒッピー運動から派生した「部族共同体運動」(榊七夫らによる)が長野県富士見町などで営まれたこともあった。
     これらは、ただ一つの例外を除いて、ほとんど有力な勢力となりえなかった。
     
     その「ただ一つの例外」こそ『ヤマギシ会』であった。
     ヤマギシズムは、ちょうどイスラエルの入植者共同体「キブツ」が登場するのと時を同じくして1953年に登場し、この両者だけが、現在、数万人を超える参画者を有し、経済的に優位な自立的地位を獲得し、世界的に共同体として成功を収めている稀少な例である。(キブツは、現在では「工業共同体」に転化している)
     すでにブログでも何度も取り上げているが、筆者は、ヤマギシ会の本拠地である伊賀市が近いこともあり、これまで大きな関わりをもって見守ってきた。

     創立者の山岸巳代蔵(1901~1961)は、幸徳秋水の影響を受けたアナキストであったといわれる。元々、近江八幡市の篤農家であった巳代蔵は、養鶏と農業によるエコロジー循環農業を、おそらく日本で最初に主張し、実践した人物であった。
     今でいう『炭素循環農法』の理論を60年前に最初に確立したとも言えるだろう。その骨格は、ニワトリを自家飼料によって平飼いし、小屋内で発酵堆肥を作り、それを農地に返すというものであった。もちろん当初から農薬や化成肥料は逆効果と明確に認識されていたし、「手間のかからない安全で豊かな農業」を目指していた。
     「養鶏農業による勤労生活」こそが人間生活が目指すべき最大の価値と捉え、蓄財や権力の価値を否定し、私有財産制度を社会腐敗の根源と認識していた。
     しかし、一方で、当時の社会的価値観である「立身出世・末は博士か大臣か・世界に冠たる日本国家」の全体主義的思想から自由ではなく、一種の「優生保護思想」がかいま見えることが、後に大きな問題を引き起こしてゆくことになった。

     ヤマギシズムは、当初、思想運動の側面が色濃く、分けても、1956年から伊賀市柘植の春日山実顕地で行われた「特別講習研鑽会」によって、明確に「私有財産を拒否する農業共同体」、当時で言う「コミューン」思想を主軸に据えていた。
     1959年に「世界急進Z革命団山岸会」と改名し、非合法な監禁に近い洗脳工作を行ったとされ、マスコミなどから大規模なバッシングを受けることになった。
     この事件以降、「アカの過激派団体」と見なされることが多くなり、ヤマギシズムは一時的な停滞に陥った。
     筆者も、ヤマギシズムを初めて知ったのは1969年だったが、1974年に、この「特講」に参加している。
     このとき、ヤマギシズムの代表を勤め、特講の最高幹事だったのが新島淳良であり、奇しくも、彼は筆者が毛沢東思想に傾斜していた時代の教師ともいえる存在であった。

     実は、1960年代後半から燃え上がった「学園闘争・全共闘運動」のなかで、最期に赤軍派などの大量殺人が摘発され、一気に意欲消沈、運動が崩壊してゆくなかで、主役であった戦闘的な若者たちの多くが、こうしたコミューン運動に幻想を抱き、ヤマギシズムに共鳴して、参画していったのである。
     思想的オピニオンリーダーの一人であり、日本を代表する中国革命思想研究者だった新島淳良は、早稲田大学教授の地位をなげうって、全財産をヤマギシ会に提供し、一家で参画したのだった。(本人は死去したが妻や子供たちは、まだ参画している)
     当時、筆者も「ベ平連運動」に共鳴していた一人だが、ベトナム戦争での無意味な人殺しを拒否した在日米軍脱走兵などがヤマギシ会に匿われていたと記録されている。筆者自身は立川のローカル活動家であって、鶴見俊輔らと直接の交際はなかった。

     1980年代からは、資本主義の人間疎外に疑問を抱いた人たちから、農業コンミューンによる人間性回復、循環型社会のモデルとして受け入れられるようになり、世界最大の農業系コミューンとしての地位を確立した。
     現在、日本各地に32箇所、ブラジルやスイス・韓国などの日本以外の国に6箇所の合計38箇所の地に実顕地がある。(一部ウィキ引用)

     筆者はヤマギシズムに1980年前後から数年間、アルバイトとしてかかわり、その本質を観察した時期がある。
     すでに、この当時から、全共闘後世代の競争主義価値観に洗脳された世代の参画により、金儲け至上主義や盲目的な科学技術信仰による弊害が散見されるようになっていた。
     例えば、効率的生産のための農薬使用であったり、平飼いを根本原理とするはずのヤマギシズム養鶏にケージ飼育が持ち込まれたりと、思想の腐敗堕落を想起させるほどの深刻な改悪が持ち込まれているのを目撃し、ショックを受けた思い出がある。

     後に聞いた噂では、代表者がベンツで移動したり、国内食品大手との連携生産が行われたりと、まるで資本主義企業化に向かっているような情報が流れた。
     この間のヤマギシズムの崩壊については、以下のHPなどを参照していただきたい。ドイツなどでは「カルト宗教」として認識されているようだ。
    http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/

     しかし、筆者が初めてヤマギシズムを訪れた1970年前後は違った。
     参画者はトタン製ドーム住居に住み、粗末で貧しい生活をしていたが、その表情、人相は光り輝き、筆者は、その人間性の素晴らしさ、粗末な衣服を身につけて化粧もしない女性たちの、あまりの美しさに感動を通り越して、完全に魅入られ、いつかヤマギシズムに参画したいと痛烈な意欲を抱いた。
     春日山で、ヤマギシの卵を初めて食べたときの強烈な感動を未だに忘れることができない。それは、薫り高く、素晴らしく味わい深く、体を癒すものであり、筆者がそれまで食べた食物のなかで真の最高峰であった。
     このときの感動が、筆者をして、いつかヤマギシ卵を自分で生産してみたいという強い志を抱かせたものだ。
     だが、それから十年後に訪れたヤマギシの卵には、かつての輝きが失われていた。女性たちは十分に輝いて見えたが、虚ろな影が漂いはじめていた。

     ヤマギシズムに現れた、さまざまの矛盾、問題の根源を追求してゆくと、創立者であった山岸巳代蔵その人の思想に行き当たる。
     以下、『百万人のエジソンを』から引用 http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/library/page025.html#lcn007

     【私はキリストや釈迦が遺した足跡を,直接見ていないから,後世の人達よりの,間接的資料から観たものに過ぎませんが,彼等は先天的に相当優れたものを,持って生れていたやに想像しても,間違いないと思っています。
     又あの人達でなく共,あれ等の人に劣らぬ人も,世界の各所に実在したと思いますし,その秀でた因子は,直子は無く共傍系にあったものが,現代の誰かに組み合わされて,伝承されてあるかとも思われます。
     今彼等と同じ又は,彼等以上の優秀な遺伝子を持って,よき機会に恵まれた人が,百万人一千万人と実在したなれば,世界はどんなに変るでしょうか。そして,白痴・低能・狂暴性・悪疾病遺伝子の人達に置換されたなれば,物心両面の幸福条件・社会風潮等を,如何に好転さすかに思い至るなれば,何を置いても,この人間の本質改良に出発せざるを得ないでしょう。後略】

     これを読むと、巳代蔵が明らかにヒトラーに類する優生保護思想、すなわち「人類は『優れたもの』を目指すべきだ」という発想が読み取れる。
     こうした「スグレ主義」を指標にしている思想運動は、必ず全体主義に陥り、循環型社会志向から逸脱し、「全人類の持続可能な再生産社会」を破壊する勢力となってゆく。
     ヒトラーナチズムはもちろん、旧日本軍も、オウム真理教も、三菱もトヨタも、果てはユダヤ勢力イルミナティも、すべて、その本質は優生保護思想であり「スグレ主義」であり、「自分たちは世界の支配階級であって、他の人類は自分たちに奉仕するために誕生した家畜に過ぎない」 とタルムードに明記された、愚かな全体主義に至る必然性を持つのである。

     だが、人類の本質は「スグレ主義者」たちが夢想するような完璧志向ではない。それは不完全であり、愚かさと賢さのヤジロベー運動であり、人が失敗し、自分の不完全さを思い知らされるための道程なのである。
     巳代蔵の思想に内在した「優生保護思想」の結果、無農薬有機農法、あるいは炭素循環農法を志向したはずのヤマギシズム農業に、効率最優先、金儲け主義などが持ち込まれ、農薬使用によって近隣の無農薬農家に致命的ダメージを与えるような犯罪的実態まで報告されるようになった。

     しかし、ヤマギシズムも、今、その問題点が糾弾されるようになり、参画者から脱退する人たちも激増し、大きな歴史的岐路に立たされている。
     しかし、この時期に、資本主義と世界経済が自滅崩壊し、まさにヤマギシズム思想と生活が人類救済の主軸に位置すべき社会的必然性を持つようになり、巳代蔵が創立期に意図した、「持続可能なエコロジー農業共同体」として再構築し、日本人民を救うことができるのか、本当に問われている。

     字数の都合で止めるが、次回もヤマギシズム問題を取り上げる

    kazoku 
     

     http://www.dokidoki.ne.jp/home2/yh1305/diary01-01.html#1/1
     【指定された場所と時間に指定されたセリフを言うというエキストラのアルバイトを始めた役者志望の男。周囲の人間はセリフにない言葉をまったく受け付けない。実は周囲の人間もすべて指定されたセリフをしゃべっているだけのエキストラにすぎず、これまでそれに気付いていなかったのは彼一人だけだと知らされ愕然とする。】

     そう、現代社会は、学校、会社はおろか家族・友人の会話まで、指定された常識を逸脱しないように言うべき台詞が定められている。もし逸脱でもすれば、朝青龍や国母のような一斉バッシングを受けるハメになるわけだ。
     その制裁は恐ろしいものだ。『良識』やら『品格』やら、糾弾している本人さえ、たぶん分かっていない空虚な批判が飛び交い、朝青龍は優勝しながら引退を強要され、国母は実力ナンバー1でありながら、オリンピック参加を辞退させられかけた。「逸脱すれば追放と死刑が待っている恐怖社会」というべきだろう。

     戦前、治安維持法、大政翼賛会体制の元で「天皇崇拝命令」に従わなかったり、「お上」の命令で戦争に協力することを断ったりしたなら『非国民』と決めつけられて、社会からつまはじきにされ、抹殺された洗脳統制社会が、いまや再び復活しているのだ。
     家族のなかですら、血を分けた親子の間ですら、ホンネを言うことは許されない。タテマエだけの乾ききった世界。これこそ、ジョージ・オーウェルが『1984年』のなかで予言した、権力による超管理社会の到来を実質で成就したものではないか?

     見せかけだけの自由と権利、コントロールされた『反抗』、体制の家畜として従順に生きる限りは衣食住が保障されるが、体制に疑問を持った瞬間、そこには屠殺が待っている。こんな社会は、いったい何のために用意されたのか?

     それは、人類を家畜として支配しようとする特定の勢力によるものだと決めつければ簡単であり、実際に、ロスチャイルドを代表とするユダヤ・タルムード信奉勢力の歴史を見れば、『シオンの議定書』に書かれているとおり、緻密に計算された恐るべき『ワンワールド社会』に向かっていることが明らかだが、実は、それで決着がつくほど単純なものではない。

     自分の間違いを棚に置いて他人の間違いばかりを糾弾し、鬼の首を取ったように喜び勇んで制裁しようとする人たちは、決してユダヤ勢力ばかりではなく、自分の両親兄弟であり友人であり、上司であり、教師や役人たちである。
     社会の真実に目を向ける機会がいくらでもありながら、臭いモノにフタをし、見ざる言わざるを決めて、現実から背を向け続けてきたのは、いったい誰なんだ?
     ネットの匿名性を利用して、姑息に身元を隠しながら、恥知らずに他人を誹謗中傷しているのは誰なんだ?
     道端で倒れているホームレスを、気の毒にさえ思わず、汚い、嫌なものを見たと一目散に逃げているのは誰なんだ?

     結局、自分自身が、それに対処できる実力も自信もなく、真正面から向かい合う誠意もないことを思い知らされ続け、せいぜい虚勢を張りながら、囲われて、安全地帯で生きる人生に逃避しているのが実態ではないのか?
     どうして、日本人は、こんな愚か者ばかりになってしまったのか?  人を臆病で矮小で無能な弱虫にしてしまった最大の原因は何だったのか?
     その最大の理由は、人々が連帯を忘れたことだ。小家族になり、対話せず、孤立する人生を強いられているからだと私は思う。

     我々が小家族にされてしまった理由は、工場労働力の効率的稼働のために近辺への居住を求めた企業の要求であった。
     資本主義の金儲けシステムに依存していれば楽ちんに食べてゆけるから、賃金労働をしていれば、自給自足では手の届かない贅沢ができるから・・・・みんな、先を争って、資本家の奴隷に身売りしていったのだ。

     大自然に抱かれる野生を売り渡し、他人の不幸の上にあぐらをかいて、金儲けだけを目的にした仕事に無批判に従事する家畜に成りはてたのは誰だ?。
     「正しいこと、間違っていること」を言う、人間として当然の姿勢さえ売り渡し、会社に盲目的に従ってきたのは誰だ?
     見ざる、言わざる、聞かざるを決め込んで、賃金のために人間性を売り渡してきたのは誰だ?

     かつて我々は、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。
     だが、資本主義の勃興とともに、人々は企業に依存する賃金労働家畜に転落させられていった。大家族で団結し、連帯して、創意工夫、知恵を出し合って生活を切り開くのではなく、企業の用意したぬくぬくとした座布団に座って、指示されたことだけをやっていれば安泰であるかのような家畜的人生が人々を支配していった。

     だが、そんな『資本主義畜産社会』とでもいうべき管理社会が、突如、音を立てて崩壊しはじめた。
     1990年、我々は鉄壁の大資本、山一証券が崩壊する姿を見た。バブル崩壊は、戦後資本主義を次々になぎ倒していったが、アメリカによる金融資本主義の巨大な隆盛によって需要が牽引され、一段落するかに見えた。
     しかし結局、それは幻想に過ぎず、投機というゼロサムゲームの詐欺市場による集金システムにすぎなかった。それは2007年末に、ツインタワーのように崩壊を始めた。
     世界の商品市場は一気に需要を失い、労働者が路頭に放り出される時代がやってきた。

     いまや、賃金労働という生活基盤を失った我々に残された手段は、再び昔のように自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかない。野山に放り出された我々は、基本的に農業による自給自足を目指すしか生き延びる手段がないのだ。
     だが絶望することはない。みんなで助け合って、株主や経営者の儲けのためにではなく、自分たちの生活のために行う労働には、金儲けのために人間性を無視して追い立てる鬼もいない。疲れたら休めばいい。
     それは愛があって人間疎外がなく、とても楽しく、意欲をかき立てられるものなのだ。

     小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だが、「大家族にはプライバシーがない」と心配する人が多いだろう。だが・・・プライバシーとは何だったのか?
     それは、冒頭に述べたような愚かで無意味なバッシングから逃避するためのものでしかなかった。それは仮面家族のなかで、本当の自分に戻って癒されるための部屋だった。
     だが、本当の自分をさらけ出して、ホンネだけで生きられる社会があるとすれば、そこには隠すものもなく、プライバシーも必要なくなるだろう。
     必要なことは、いつでも一緒に生きる仲間が優しく癒してくれる生活だったのだ。孤独から解放されることだったのだ。
     大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。そこにはバッシングでなく暖かい癒しがある。

     さて、こうしたバッシング、姑息に身元を隠しながら他人を攻撃して自己満足する類の矮小な人間性は、どのようなメカニズムで生まれるのか? と考えるなら、結局、孤立させられた小家族と私有財産制度から生まれると筆者は考えている。
     東海アマの掲示板で、悪意に満ちたバッシング、嫌がらせ書き込みを執念深く続ける「カイロ」(カ)などを見ていても、その内容は、実に陳腐矮小な私有財産への執着にすぎない。
     「人間が、どのように共同して楽しく生きてゆくか」
     という前向きな問題提起が存在せず、人生観の根底が腐敗崩壊していると思うしかない劣悪なものであり、おごり高ぶり、ねじ曲がった卑屈なプライドを守ろうと必死になっている姿が哀れというしかない。

     これまで、掲示板に悪意書き込みを続けた者の多くが、おそらく小家族の偏狭な価値観に育った「一人っ子」であろうと考えている。
     彼らの特徴は、徹底して自分勝手であり、他人に対する思いやりのカケラもないことである。カイロなどは、「ホームレスになったのは自己責任だから死んで当然」と書いていて、自分がホームレスに転落する可能性を、まるで理解しておらず笑ってしまう。
     彼のような悪意性の高い人物こそ、みんなから嫌われて誰からも援助を受けられず、最期はホームレスに転落する運命が約束されているのだ。

     このまま小家族ライフスタイルが続くなら、無数のカイロが登場し、矮小偏狭な人間性で埋め尽くされた社会になるであろうことに戦慄を覚えざるをえない。
     結局、「私有財産(権力・地位・蓄財)の多寡により人間の値打ちを評価する」という価値観がのさばっている以上、こうしたゴミどもが次々に形を変えて登場してくるわけで、良き人間性の若者たちを育てるためには、何をおいても大家族共同体で、他人をいたわり支え合って生きるという価値観を身につけさせるしかないと確信している。

     筆者は、近所の中津川市福岡にある「満天星温泉」によく行く。300円で気持ちのい鉱泉銭湯だが、困ったことに、最近は公共浴場におけるマナーを理解していない者が増えていて、辟易する機会が多い。
     体を流さず浴槽に入る者など初歩的で、体を洗って、ついた洗剤を流さず、いきなり浴槽に入る者、タオルを浴槽内で使う者、なかには浴槽内で体を洗う者など、それも結構な年代のオッサンがやっている。
     見ているだけでウンザリし、注意するよりも、「もう二度と来るものか」と思ってしまうことが多い。

     筆者の子供時代、まだ各戸に風呂はなく、銭湯が一般的であって、庶民は誰でも銭湯に通ったものだ。当時は、ご意見番の世話焼き老人がたくさんいたもので、子供が浴槽に体を洗わずに入ろうとすれば、親身に注意してくれたものだ。
     愛情たっぷりの気持ちが伝わってきた時代だから、こちらも、ありがたく小言を頂戴した。風呂のマナーというのは、共同体生活にとって本当に大切なものだ。
     我々が他人と協調して生きているという現実を、風呂ほど端的に物語ってくれるものはない。自分勝手な利己主義洗脳者が公衆浴場に入ると、たった一人で数百名の楽しみを無茶苦茶に破壊してしまうからだ。

     日本で唯一、成功している大規模な無私有の共同体がある。
     そこでは、小さな風呂に数百名が入るが、最後まで湯が汚れない。それは、みんな風呂に入る前に、徹底的に体を洗うからだ。それは共同体の基本マナーなのだ。
     次回は、共同体の運営について、日本最大の共同体ヤマギシズムを見てみたい。

     

     

     

    unnan 

     白川郷では、かつて一戸に数十名の男女が共同生活する民俗習慣があった。独立した一戸における大人数家族の生活スタイルは、どのようなものだったのだろう?

     かつて、白川村に大家族生活が存在した時代では、戸主夫婦以外の男女は、もちろん兄弟姉妹・叔父叔母・甥・姪などの血縁であり、近親交配の悲惨な結果も、先祖から伝わる経験則のなかで十分に理解されていたはずだから、戸内家族間での性交は戸主夫婦が専用個室で行う以外もちろん許されなかった。
     大きな広い戸内であっても、寝場所は意外に小さく、デイ(男部屋)チョウダ(女部屋)は、それぞれ10畳ほどしかなく、ここに20名近くが寝ることもあったようだ。
     これは、人の目が行き届かないと、男女の間違いが起きるという用心が働いていたのだろうことと、極寒の土地なので、寄り集まって寝る必要があったのだろう。当然、プライバシーなどカケラもないが、慣れれば、それを不快と感じる者も少なかったようだ。

     正式に婚姻できるのは戸主のみでありながら、健康な男女の性欲まで封じ込めることなどできないから、家の者たちは他の家の男女と交際し、婚姻せずに肉体的に結ばれることになった。
     男女の性交は、離れた田に作られていた農作小屋や、夜這い用に設けられた小さな出入口から、示し合わせて、二階や三階の小部屋に行ってすませていたようだ。
     男女の関係は固定することが普通だったが、婚姻の束縛がないため、比較的、自由に相手が変わったようだ。しかし、「男が女を捨てる」場面では、家族の女たちから一斉に口を極めて罵られたと記録にある。
     他に楽しみもない深い山里のため、みんなせっせと子作りエッチに勤しんでいたため、なかには十名近い子を産む母もいた。
     こうして産まれた子は、すべて「家の子」として育てられ、父親側には帰属せず、母の家に帰属することになった。
     こうした男女関係を民俗学では「妻問婚」と呼んでいる。

     【ウィキ引用:妻問婚とは夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られる婚姻形態で、普通、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続する。 かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、古代日本人など。
     彼らの家には幾つかの区切りがあり、女性達は共同の広間と自室を持っていて、夫は夜間にその部屋に通う。一人の女性に複数の男性が通うことも多く、結果、女性が妊娠した場合は、遺伝上の父親(ジェニター)ではなく一族の長である女性が認めた男性が女性の夫、子供の社会的な父(ペイター)となる。子は母親の一族に組み入れられ、妻の実家で養育される。社会的な父には扶養の義務があり、畑仕事などで一家を養う。
     男系社会における妻問婚
    古代日本は基本的に一夫多妻制の男系社会ではあったが、財産は女子が相続し、社会的な地位は男子が相続する形態を取っていたと考えられている。基本的に、女子は社会的地位(位階)は夫に準じ経済力は実家を引き継ぐが、男子は社会的地位は父に準じ経済力は妻の実家に準じる。女子の後見人は兄弟や一族の男性であり、男子の後見人はやはり一族の主だった男性である。】引用以上

     ウィキ引用に指摘されているのは、妻問婚には母系と男系の二つの様式があるということだが、白川郷の場合は後者になる。
     すなわち、中世封建領主(内ヶ島氏)の荘園として拡大した白川郷にあっては、戸主は大領主に帰属する小領主であって、年貢・軍役などの義務、財産を相続するのは男系男子であった。
     しかし、内ヶ島氏が登場する以前は、真宗門徒の自治的な地域であった可能性が強く、室町時代以前頃までは、おそらく母系氏族社会であっただろう。

     母系社会にあっては、家を支配する家長は母親であり、権力・財産を相続するのも母の血統である。このことの意味は、束縛のない自由な性交が許される環境ということだ。
     婚姻による束縛のない自由な男女関係にあっては、父の子を特定することはできず、母の子だけが特定されるため、必ず母系氏族社会になる。また、分散した小家族で暮らすよりも、はるかに効率的な大家族生活を好むようになる。
     したがって、人類の権力史が始まる以前、草創期の大部分が母系氏族社会であったと考えられる。男系社会が登場するのは、男の権力、財産、すなわち国家の登場と共にであった。男の権力・財産を相続させるために、母を束縛する男系社会が成立したのである。

     父の財産と権力を、父の特定された子に相続させようとすれば、母親を家に束縛して貞操を要求することになり、小家族の方が束縛に都合がよいため大家族生活など成立しない。
     大家族共同体生活は、もっぱら母系氏族社会の生活様式である。白川郷に大家族生活が残ることの意味は、実は、中世に至るまで、母系氏族社会の本質を色濃く残していた地域ということがいえよう。
     早い時期から男系社会になっていれば、妻を束縛しにくい大家族は廃れ、小家族になりやすいのである。

     世界に、同じような妻問婚と母系氏族社会の伝統を残している地域がいくつかある。なかでも、テレビ番組取材などで取り上げられて知られた地域には情報が多い。

     【モソ人:http://blog.livedoor.jp/open_eyes/archives/cat_322581.html
     雲南省と四川省の境界線上に位置する「秘境」濾沽湖付近にのみ居住する「モソ人」と呼ばれる人々がいる。人口は約1万人で、人数的には民族と扱いうるが、「族」を形成するだけの勢力を持たないため、正確な表記は「モソ族」ではなく、あくまで「モソ人」とされる。公式な少数民族の中にその名を見つけることはできない。
     モソ人は系統的には雲南省の麗江地区を生活拠点としているナシ(納西)族から枝分かれした一派といわれているが、ナシ族とは明らかに異質な文化や風習を持つ。中でも特徴的なのが、「通い婚」という結婚形態だ。
     これは男性が必要な時だけ妻のもとに訪れるという慣習。「通い婚」は「アシャ(阿夏)婚」ともいう。「アシャ」とは、モソ語で「親愛なる伴侶」という意味。男女とも成人になると、男性が金・銀・玉を贈り、女性は飾り物を返礼して交際をするようになる。
    男性は妻と共に生活する義務はなく、昼間は実家で暮らし、夜になると妻のもとへと通う。妻と一夜を過ごしたのち、翌朝再び実家へ帰るという生活を繰り返す。
    モソ人の家族には、「父親」や「夫と妻」という役割は存在せず、また私たちが普通に考える「父と子」という関係も存在しない。父親である男性は「父」や「夫」ではなく単に「おじさん」と呼ばれている。子どもたちは生みの母親だけではなく、母の実家の全員で育てる。一家の家長は女であり、代々女が家を継いでいく。
    複数の男性と肉体関係を持つことに関して、モソ人の女性はオープンであり、兄弟で父親が違うことも珍しくない。「一夫一妻制」ではないため、「未婚の母」「私生児」「未亡人」という言葉も存在しない。
    家事も子育ても女性の実家まかせだから、男性にとっては羨ましいようにも思えるが、モソ人社会は「女の国」と呼ばれるほどの母系社会であり、家財などを管理するのも家長である女性の仕事である。立場の弱い男性は女性に頭が上がらないということらしい。】引用以上

     これを見ると、白川郷の大家族によく似ている。違うのは、白川郷では、すでに領主支配が確立し、徴兵・納税のために男子を優先させる男系家族制度が成立しており、家を支配し、財産を相続する家父長は、男性であり、戸主の長男が跡目を継ぐシステムになっていたということである。
     しかしながら、封建領主が登場する以前の白川郷では、引用したモソ族とほとんど同じ生活スタイルであったろうことが容易に察せられるのである。
     すなわち、大家族共同生活の伝統は、母系氏族社会の伝統である。

     【台湾アミ族:http://blog.katei-x.net/blog/2008/12/000721.html
    ●部族−氏族構成 ガサウ>マリニナアイ>ロマの三層構造で構成される。
    ・ガサウ:祖先or故地を同じくする集団≒同生地族
    ・マリニナアイ:具体的に系譜関係を辿れる範囲の自律的集団≒母系出自集団
    ・ロマ:集団の基本単位≒単位集団
    ●ロマの母系制規範 ロマの長は、多くの場合最年長の女性。ロマの家屋敷、田畑は家長が所有。財産は基本的には母から娘へと相続。姓も母系継承。首長などの地位は、母方オジからオイへと継承。基本的には婿入り婚規範。(※現在のアミでは、これらの母系制的な様相はほとんどみられなくなっているそうです)
    母親を「太陽(cidar)」と称す。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩帯びに付いた円形の貝殻、腰帯に付いた鈴などはすべて太陽である母親を象徴。歌の中にも母親という言葉が頻出。】引用以上

     アミ族は台湾原住民、高砂族の最大部族で、アニミズムの母系氏族社会を持つ。かつて日本が台湾を植民地化し併合していた歴史があることから、アミ族の人たちで日本に帰化し、完全に溶け込んでいる人も多い。
     筆者の昔の職場にもいたが、とても従順で、妻や母親など女性の意のままに支配される傾向があった。
     身体能力の高い人が多く、郭源治・陽仲壽・陽耀勲 などプロ野球選手を輩出している。台湾政財界にも多くの人材を送り込んでいる。

     母系氏族社会にあっては、男性権力を尊重することはなく、生理・妊娠・出産など女性の自然な営みを大切にする傾向があり、非常に融和的である。
     アミ族は、戦後まで「首狩り」の風習が残るほど獰猛ともいえるほどの台湾先住民社会にあって、唯一、そうした残酷な習慣を持たない部族であった。これも、家父長が母親であったことの属性によるものだろう。

     ドラビタ族・モソ族・アミ族も、すべて、とても穏やかで友好的な人たちであり、母系氏族社会では、男性の権力闘争や戦闘が少ないため、友好的で心暖かい人たちが多い。
     先に述べたように、客家では世界的な指導者を輩出し続けている。白川郷からも、「人を救う」ことに人生を捧げる人たちが輩出されている。
     他人の犠牲の上に、利己主義的な欲望を満たそうとする人たちは、決して大家族から生まれないのである。それは、人間疎外の上に築かれた小家族制度によって生み出されるのであり、たくさんの家族に祝福されて、暖かく育った子供たちが、戦闘を好み、利己的な蓄財や権力を好むこともない。

     我々は、小家族制度が生み出してきた矮小姑息な人間性と、大家族制度が生み出してきた、広い暖かい人間性の意味について、今、深く考えるべきである。

    enrou 大家族生活 その2 客家

     国家と大企業の従順な家畜となることで、身も心も、価値観も人生観も売り渡し、代わりに、衣食住、中流生活の幻想を与えられてきた日本人の生活は、国家・組織・企業の破滅とともに崩壊し、今夜の糧を求めて彷徨う非情な野生に放り出されることになるだろう。

     国家も企業も力を失い、地域社会も親戚も友人も助けてくれない。追いつめられた饑餓のなかでは、これまでの一夫一婦制小家族生活では、とても生き抜いてゆくことができない。
     それは、あまりに非効率であり、企業の雇用、営業利益という支えを失った社会では通用しないのである。
     というよりも、小家族の成立は異動の容易、工場労働力の効率的稼働のために近辺への居住を求めた企業の要求であったことに気づかなければならない。

     かつて我々は、山と海、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。だから、それは等しく自然を分け合う、分散した大家族生活であった。都市を必要としない生活スタイルであった。
     だが、賃金労働が自然の恵みに頼らない生活スタイルを生み出し、集中しながら、互いに孤立した小家族を要求してきたのである。すなわち、効率的に稼働する工業生産のための都市を求めたのである。
     したがって、小家族の必然性、命脈は資本主義の崩壊とともに消え去ることを理解する必要がある。すなわち、都市は、資本主義生産とともに消えゆくということを。

     賃金労働という頼りを失った我々に残された唯一の延命手段は、信頼のおける仲間たちと団結し、昔のように、自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかないと繰り返し指摘してきた。
     みんなで助け合って暮らせば、一のものを十にすることができる。十のエネルギーを費やしてきたものが一の力で可能になる。

     どういうことかというと、孤立した小家族の場合は、三人であっても冷蔵庫や洗濯機をはじめ、あらゆる生活機器を一軒に一台以上必要とするわけだ。しかし大家族で住めば、冷蔵庫も洗濯機も数十名に一台あればよいことになり、小家族生活が、いかに浪費に満ちていたか理解できるはずだ。
     それどころか、子供の面倒を見るときでも、調理をするときでも、介護をするときでも、洗濯をするときでも、小家族では、一人の母親が、すべてを行わねばならず、極めて重労働であったものが、大家族では、それぞれ任務を分担してこなすことができて、あらゆる生活が実に効率的であって、経費も労力も数分の一になるということだ。

     小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だから生きるための労力が大幅に軽減される。だが、それよりも、はるかに重要な本質がある。「大家族にはプライバシーがない」と心配している方に、この本当の意味は、「大家族には孤独がない」と言い換えていただきたいということだ。
     大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。

     人は一人では決して生きられない。みんなで助け合い、支え合ってこそ、人生が成り立つのである。
     我々は資本主義に洗脳され、小家族で対立し、他人を羨み、見栄を張るだけの利己主義的な競争生活に慣らされてきた。しかし、大家族では、見栄など何の意味も持たない。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」 つまり、他人を大切にする利他思想だけが大家族を支えてゆく。
     そこには競争から生まれる人間疎外もない。あらゆる人間関係の苦悩から解き放たれ、他人に対立する自我、利己思想も消えてゆく。そうして、共同体の一部品としての人格が成立するようになる。

     しかし問題点もある。
     、共同体の構成員が増えすぎたとき、みんなの目が行き届かない死角が増えて、人間疎外が発生し、団結を崩壊させる腐食が起きることになるからだ。
     だから、共同体には適正人員というものがある。それは、おそらく数十名、多くても百名程度であろう。
     それ以上に増えたら、内部に落ちこぼれとともに、突出した権力者や生活格差が発生し、平等や連帯が消える代わりに規則や束縛、制裁システムが成立することになる。こうなれば単に領主と農奴の関係になってしまうから、もはや共同体ではなく、予防のために分割させねばならないことになる。

     これは、1980年代までの日本社会が、戦後地方における農業共同体の倫理観、価値観の上に作られてきて、日本国家全体が互いを思いやる共同体という要素が大きく、世界的にもすばらしい社会性が成立していたわけだが、中曽根政権の誕生を境に、利己主義と格差が社会を覆い、規則や束縛が人々をがんじがらめにして人間性を矮小化させ、それが共同体利他思想によって成り立っていた日本国家を崩壊させていったプロセスを見れば、理解できると思う。
     すなわち、日本は差別・格差によって共同体を失ったために滅びているのである。

     共同体の適正システムというものは、長い共同体生活の歴史に学ぶ必要があり、我々は、世界各地にある大家族共同体から多くを学ぶことにしよう。
     先に白川郷について、少しだけ紹介したが、大家族の合理・不合理について研究しておくことは、これから子供たちの新しい未来を用意してやるために一番大切なことだ。

     世界に大家族共同体は数多いが、もっともよく知られた共同体は客家(ハッカ)であろう。
     中国に本拠を置いているが、台湾・ベトナム・フィリピン・タイ・マレーシアなど東アジアの多くの国に、数千年の昔から居住している人々であり、「華僑」の多くが客家であるともいわれる。

     客家は、漢族でありながら、どの地方語とも異なる彼ら独自の「客家語」を話すことから、何か特別な由緒を持つ民族であると考えられているが、その歴史を調べても、古代中国史に登場せず、はっきりしたことは分からない。
     しかし、彼らの大部分が、好んで山岳地帯に暮らしている事情が、その出自にヒントを与えているかもしれない。(客家語は唐宋北方中国語の古語といわれ、数字発音などが、現在の日本語の読みに近い)

     宇野政美が「客家は『失われた古代ユダヤ』である」と講演で主張している。
     その「移民性」の激しさ故に、ユダヤ人・アルメニア人・インド人(印僑)などとともに、」『世界四大移民』 『流浪の民族 『中国のユダヤ人』などと表現されることがあるが、古代ユダヤとの関係は、今のところはっきりしない。
     しかし、中国には開封という地域にユダヤ社会があったと記録されていて、これが客家であったという記述も最近知った。(客家研究者、高城桂蔵が、北宋時代に客家のユダヤ人移民が開封におり、皇帝が7つの姓を与えたと書いている)
     筆者は宇野の主張に不信感があったが、考え方を改める必要があると思いはじめている。

     客家について、はっきりと言えることは、恐ろしく教育水準が高く、中国と周辺諸国で歴史的な指導者を輩出し続けてきたということである。
     ごく一部を挙げても以下の通りである。
     洪秀全・孫文・朱徳・�眷小平・リー・クァンユー・葉剣英・コラソン・アキノ・李鵬・朱鎔基・胡耀邦・楊尚昆・台湾の宋一族など、 歴史上の人物でも、唐の張九齢・王陽明・徳川光圀の師であった朱舜水など、あまりにも多すぎて、とても書ききれない。言い換えれば、中国の歴史、権力史を作り出してきた核心に客家がいる。それどころか、台湾の宋一族はシティグループの実質的なオーナーとも言われており、世界金融資本の黒幕といっても過言ではなさそうだ。

     どうして、これほど教育熱心なのかといえば、共同体の結束が固く、すべての子供たちが、「個人の子供」ではなく「みんなの子供」という認識が成立していることが大きい。
     客家には「円楼」という丸い砦のような建物に数十家族が共同生活をする民俗風習がある。
     これは、古代中国から現代に至るまで、中国では、問題が起きると、帰属する氏族結社(中国人は政府を信用せず、身内結社に頼る)に解決が委ねられ、話し合いがつかないと「械闘」という戦闘争議が起きる風習があり、他の結社に襲われて一夜にして一族が殺されるといった氏族間戦争が珍しくなかったことから、襲われても籠城戦に持ち込めるように、氏族ごとに頑強な城を構築した習慣によるものだ。
     とりわけ客家は、その言葉の意味が「よそ者」であるように、地方社会で疎外、攻撃の対象になりやすかったので、こうした生活スタイルが定着した。

     この円楼の周囲が数階建ての居住区で、真ん中が広場になっていて、共同体のすべての仕事が、すべての構成員に、一つの隠し立てもなく見える仕組みになっている。
     このことが、円楼居住者の平等感と連帯感を生み出した。居住者は、すべて同じ条件の部屋に住み、すべて、分け隔て、隠し立てのない行事に参加する。共同生活のすべてが見えて、平等に参加できる仕組みである。

     こうした差別のない生活がもたらす思想は、徹底した連帯感と利他主義である。
     居住者のすべてが疎外感を感じず、平等感を満喫し、同じ円楼に住む者は、血肉を分けた兄弟よりも親しく、愛情を抱くことになる。

     これが客家の驚くほど高い教育水準を産んだ。
     「わが円楼の子供たちは、すべて自分の子供であり、子供たちのために最高の未来を用意してやりたい」 と居住者は考え、できる限りの教育環境を用意し、また進学援助を惜しまない。
     これが、客家が世界最高の人材を生み続けてきた秘密である。
     孫文も�眷小平も葉剣英も朱徳も、こんな客家の利他思想に育まれ、自分が周囲の大人たちからもらった恩義を、国家に奉仕することを通じて返すための努力を続けた。
     客家は利他思想の故郷であり、ゆりかごであった。

     実は、筆者の新潟の従兄弟の嫁さんが台湾客家の出身で、やはり、徹底的な利他主義で、実に外向的で親切な人だ。
     しかし、出身一族の利益に奉仕することも、夫に奉仕する以上であった。出身客家が訪れると、その接待費用が嵩むのに音を上げていたというのが本音だ。
     身近にいる白川郷出身者も客家出身者も、内向的な姿を見たことがなく、徹底的に明るい人たちだ。そして実に親切、他人の世話を焼くことに生き甲斐を感じている。
     大家族で生活すると、人は、このように利他思想を身につけ、明るく親切な人間性になる。

     逆に、閉鎖的な小家族で育った一人っ子は、ほとんどの場合、唯我独尊、自分の思い通りにならないと面白くなく、すぐにヒステリーを起こしたりして、他人の迷惑行為をすることが多い。
     これは、子供たちの育て方が根本的に間違っているからであって、子供は大勢のなかに投げ込んで、たくさんの人たちに祝福され、抱かれ、愛され、それによって人見知りをせずに利他思想を自然に身につけることが、最高の素晴らしい人生を約束されるのである。

      大家族生活 その1 白川郷

     辻パイプオルガン工房で知られた白川町黒川出身の百歳になった祖母が先日、逝去した。
     このとき、老衰で動けない私の両親や、遠方居住の兄弟姉妹に代わって、親身になって世話を焼いていただいた親戚がいた。
     祖母の甥の嫁にあたる縁戚女性であった。痒いところに手が届くような素晴らしく献身的介護をしていただき、心から感謝するとともに、一方で、失礼ながら、彼女は、どうして、これほどまで人に親切にできるのか、民俗学的興味も湧いていた。

     彼女は合掌造りで知られた白川郷で昭和初期に産まれた。岐阜県には北の白川村と南の白川町がある。白川神道のご縁でもなさそうだが、不思議な因縁で祖母の甥と結ばれることになった。
     彼女の実家も荻町に近い合掌造り、医師の家だったらしいが、あの平沢勝英とも血縁があるらしい。
     白川郷出身者は、医師や牧師が多いという。他人を救うような職業だ。終生クリスチャンだった祖母の最期を看取り、葬儀ミサを行ってくれたのも、親戚筋の白川郷出身、木下牧師であった。

     白川郷は、1930年代末に、ナチスの迫害を逃れて日本に亡命したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの著書『日本美の再発見』のなかに、『この辺の風景は、もうまったく日本的でない。少なくとも私がこれまで一度も見た事のない景色だ。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ。』と紹介され、その僻遠さもあって、秘境マニアの聖地となった。
     
     もう一つ、白川郷を世に広く知らしめたのは、柳田国男である。柳田は、明治42年の旅行の紀行を「北国紀行」と「秋風帖」の両方に書いているが、秋風帖から遠山家に関する部分を抜き書きしてみよう。(6月4日、遠山喜代松氏宅で昼食をとったと北国紀行にある)

     【御母衣にきて遠山某という旧家に憩う。今は郵便局長。家内の男女42人、有名なる話となりおれども、必ずしも特殊の家族制にあらざるべし。
     土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
     狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。
     首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。
     里の家は皆草葺の切妻なり。傾斜急にして前より見れば家の高さの八割は屋根なり。横より見れば四階にて、第三階にて蚕を養う。屋根を節約して兼ねて風雪の害を避けんために、かかる西洋風の建築となりしなるべし。戸口を入れば牛がおり、横に垂れむしろを掲げてのぼれば、炉ありて主人座せり。】引用以上

     白川郷は、日本における代表的な大家族制度の村であった。ここでは一軒の家に42名の男女が居住していたと書かれているが、70代後半の親戚女性の記憶では、すでに大家族制度の思い出がほとんどない。
     
     すでに戦前、白川郷における大家族居住習慣は崩壊していた。それは、おそらく、徴兵制と学校教育により外の世界の情報が知られたことにより、戸主以外の男女が封建的束縛を受ける不条理な因習に対する反感が満ちていたせいであろう。
     明治の繊維産業勃興により、飛騨の女たちは「女工哀史」で知られる信州岡谷周辺の紡績工場に出稼ぎに連れ出されるようになり、苛酷な重労働でありながら、賃金労働と自由の片鱗を知っていった。
     とりわけ白川郷の女たちにとって、監獄的奴隷労働とさえ言われた紡績女工の仕事でさえ、故郷の毎日の生活を思えば、苦痛とも思えなかった。
     紡績女工は一日の拘束が14時間とも言われたが、白川郷の娘たちは、一日18時間もの、物心ついてから死ぬまで続く、プライバシー皆無の拘束労働を強いられていたからである。

     とりわけ、江戸時代中頃、養蚕産業が白川郷に持ち込まれてから、戸主夫婦以外の同居人たちは、あたかも奴婢のような存在となった。人生のすべてを奴隷労働に費やす悲惨な境遇に置かれた。
     冬期、積雪により、半年近くも外部と隔絶される苛酷な自然環境、狭い住居に数十名もの男女が同居するため、彼らは何よりもプライバシーに飢えていた。
     娘たちは高山の酒造・紡織産業が起こると、それに憧れて勝手に出奔するようになり、戦前には大家族が廃れていたのである。

     白川郷の由緒は、「平家の落人」といわれているが、山下 和田 小坂 新井 松古 木下といった名字から考えると、隣村の五箇山ほど確実性はない。しかし、鎌倉仏教勃興期、親鸞・嘉念坊善俊・赤尾道宗らが、この地方に真宗を布教し、大規模な拠点としていた歴史がある。
     平安時代以降、江戸時代までの日本では、権力の支配を受けない自給自足共同体が、むしろ都に住むよりも暮らしやすかったと考えられ、深い山々と豪雪によって隔絶された白川郷には、真宗がもたらした思想学問もあり、むしろ、桃源郷のような、穏やかで素晴らしい生活拠点だったのではないだろうか。

     この白川郷の住民を苛酷労働で苦しめるようになったのは、戦国時代、この気候風土が煙硝を製造するのに適していることが知られてからである。
     それは加賀藩前田家の領地であった五箇山で始まり、白川郷に伝播した。民家の縁下に屎尿と青草を積み上げておけば硝酸カリの結晶が採集できることが知られ、ポルトガル商人からの高価な輸入に頼らずとも、自前で鉄砲火薬が製造できることになり、各藩は目の色を変えて、この製造を強要することになった。

     それまで、あまりの山深い僻地ゆえに見返られることもなかった、この地がにわかに宝の山となり、高山藩も加賀藩も合掌村落住民たちに極秘の重労働を強いるようになった。
     白川郷のような大家族生活は、平安〜室町時代の田舎では決して珍しいものではなく、鎌倉時代に領地を与えられた「一所懸命領主」の館では、ほとんどの一族・使用人(兵士・小作人)が大きな家で共同生活をしていたと考えられる。
     ただ女性の生理や妊娠・出産といったイベントを「穢れ」として嫌った(血にまみれるため)男たちによって、別棟を建てて住まわせたことから、徐々に、戸別生活が拡大したと考えることができる。
     ところが白川郷では、5メートルもの積雪があり、合掌家屋以外での生活が不可能だったため、遅くまで大家族共同生活の習慣が残ったのであろう。

     江戸時代、家康による民衆統治システムの要であった「五人組制度」により、そうした集団生活がバラバラに切り離され、一夫一婦制度が持ち込まれるまで、日本各地に、多夫多妻制度に近い共同体生活が残っていた。
     本来、一夫一婦制度を必要としたのは、我子に権力や財産を相続される必要のある武家階級や上流階級だけであった。妻が自由に誰とでも寝たのでは、我が子の特定ができなくなってしまうから、厳重な一夫一婦制の束縛を持ち込む必要があったのだ。

     ところが、一般庶民、地位のない農民にとっては、受け継がせるべき財産も権力もなく、ただ男女の自然な営みにより、勝手に子が産まれ、それを、みんなの力で育てるというスタイルで十分であった。
     これは極めて効率的であり、困ったときも、即座にみんなの力を借りられるから、楽しい気楽な共同体生活を送ることができた。
     このため、江戸期まで「持たざる民衆」の多くが、そうした共同体スタイルで生きていたと考えられる。それを、年貢納税管理のために「一戸独立」と「五人組連帯」制度を強要したのが家康であった。
     したがって、江戸時代以前の、自然環境の苛酷な地方では、白川郷のような巨大家屋による大家族共同体システムは決して珍しいものではなかった。むしろ、共同体なくして過疎地方の生活は成り立たなかったと考えるべきだろう。

     白川郷は、硝煙製造要求と苛酷な自然環境に加えて、深い山々に囲まれた狭い土地のため、分家が困難であったことなどにより、効率的な大家族共同生活を強いられてきたのである。
     だが、先に述べたように、村人たちは藩の要求により煙硝製造・養蚕などの激務を強いられるようになり、苛酷な生活に苦しむようになった。そこに文明開化がやってきて、明治、徴兵と学校教育が持ち込まれるようになり、他所の生活事情が知られるようになると、奴隷労働に甘んじていた下層生活者たちは、自由の天地を求めて高山や諏訪・岡谷、日本海沿岸などに飛び出すようになり、大家族生活は実質的に崩壊していったのである。

     だが、千年近い大家族生活で育まれた価値観は簡単に廃れるものではなく、合掌造りにたくさんの人が住まなくなっても、助け合い生活の風土風習が残ることになった。
     大家族ではプライバシーが損なわれるのは事実だが、一方で、上に引用した秋風帖に柳田が述べているように、白川郷に住む人々にとって「孤独」という概念は存在しなかった。
     その人生の価値観は「一人はみんなのために、みんなは一人のために」であって、「人助け」こそ人生最大の喜びであった。

     冒頭で述べたように、白川郷出身者たちは「人助け」が大好きだ。
     「人を助ける」ことを人生最大の価値と認識しているのである。だから医者や牧師になる人が多い。あの平沢勝英も、最初は警察官として人助けを目指したのだろう。(現場の警官よりも警察官僚になってしまったことが、躓きだったが・・・)
     それは、大家族共同体生活のなかで育まれた価値観なのである。もっとも、世界文化遺産に指定されてから観光産業でボロ儲けの味を知った村人が増えてから、白川郷の人情も変わったといわれることを苦言として添えておかねばならないのが残念だ。(昨年、久しぶりに訪れたとき思い知らされることになった)
     余談ながら、白川郷同様、山深さ、僻遠さではひけを取らない『遠山郷』には、まだ人情が風化せずに残っていることを書き添えておく。風化は「カネの風」によるものだから。

     筆者は、アメリカの虚構経済というパイの存在によって成り立っていた「砂上の楼閣」である浪費経済体制が崩壊した今、国民の孤立した不経済な浪費生活スタイルが許されなくなり、再び効率的な大家族生活スタイルに帰るしかないと確信している。
     このため、世界各地の大家族共同体生活や、日本における大家族の歴史研究を通して、今後、我々が目指すべき大家族共同体のあり方を研究したいと考えている。
     我々は、もはや今年から、これまでにように孤立させられた一夫一婦制小家族分離生活を捨てて、大家族共同体生活に回帰しなければならないと考えている。
     
     これまで人間不信、人間疎外によって、孤立した家族、利己主義の価値観に洗脳されてきた我々が、大家族のなかで、上手に他人とつきあって共同体生活を運営してゆくのは、極めて大きな困難が伴うと覚悟しなければならない。
     人間不信、疎外感に洗脳されて、他人を信じられない人たちを、どのように大家族共同体生活に導いていったらよいのか、シリーズで問題提起しようと考えている。sirakwa

    anpo 日本国最大のセキュリティ 日米安保条約を問う

     日本国家における最大のセキュリティは日米安全保障条約である。
     これが、どれほど欺瞞に満ちたものか、大多数の日本国民は、その真実を知らない。
     「アメリカが日本を守ってくれる?」
     バカ言え! 冗談じゃない、アメリカが守るのはアメリカ特権階級(フリーメーソン)の利権だけだ! 目糞を取って、よく見つめな、耳糞かっぽじって、よく聞きな、鼻糞ほじって、よく嗅ぎな・・・・

     http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101364 より引用
    日米安保条約第五条によれば、

    【日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
    either Party in the territories under the administration of Japan とは、日本の行政管理下内での両国共ではなく、いずれかの国、すなわち日本の主権に対して治外法権を持つアメリカ合衆国の大使館、領事館とアメリカ合衆国軍事基地が一方のPartyであり、アメリカ合衆国の治外法権の施設を除いた部分の日本国の地区がもう一つのPartyであるという定義をすることもできる。
    この定義に基づけば、それらのいずれか一方が自分にとって危険であると認識 した時、「共通の危機(common danger)」に対処する。アメリカ合衆国軍の行動は、「共通の危機(common danger)」が対象であり、「共通の危機(common danger)」とは、日本国内のアメリカ合衆国の施設と、その他の部分の日本に共通の危機のことである。つまり、日本国内のアメリカ合衆国の施設(軍事基地等)とその周辺(日本の一部地区)に対する危機に限定されると考えることもできる。アメリカ合衆国軍が行動する場合は、アメリカ合衆国憲法に従わねばならないと条文で規定されている。また、アメリカ合衆国憲法では他国(日本など)のアメリカ合衆国軍基地が攻撃を受けた時は、自国が攻撃を受けたと見なされ自衛行動を許すが、他国(日本)の防衛を行う規定はない。】

     日米安保条約のどこを探しても、アメリカが「日本国民の生命財産を他国の軍事的脅威から守る」などとは一言も書かれていない。それどころか、日本国家を守るとも書かれていない。存在するのは、日本国内おけるアメリカの財産を守るという宣言のみである。
     その対象は、日本に対する侵略国だけでない。実は、日本(の反米勢力)から日本国内の駐留基地などアメリカ資産を守るということが日米安保の本当の意味なのである。
     駐留米軍の銃口は、これまで言われてきたように仮想敵国であるソ連(ロシア)や中国、北朝鮮に向けられているのではない。本当は日本国民に向けられてきたのだ。

     アメリカという国家は、建国以来、自国特権階級の利益を保全したことはあっても、他国の権益、他国人民の利益を守ったことは皆無である。それどころか、自国市民の利益を守ったことさえない。
     アメリカは徹頭徹尾、唯我独尊、利己主義の国家であり、他国を自国のために利用することはあっても、他国のために自国が損をするようなことは絶対にしない国なのである。
     自国の権益に役立たない他国の防衛などするものか。日本に駐留し、米軍を展開している本当の事情を知らなければならない。

     それは、アメリカが日本を利用し、骨の髄までしゃぶり尽くすための装置だったのである。日本の反米勢力に対する軍事的威圧だったのである。
     また、日本列島の地理的条件を利用し、中国・朝鮮半島・ロシアを攻撃するための基地として利用しているのであって、日本を侵略する他国がいたとしても、それがアメリカの国益に適うなら絶対に止めることはない。
     そんな国益(厳密にはアメリカ特権階級の権益)絶対優先の米軍に「思いやり予算」と称して、日本は数千億円の無条件寄付を行い、安保のためと称して、紙屑になる運命を約束された米国債を1000兆円近く、ありがたく買い取らせていただいてきたわけだ。

     アメリカという国家は、地上最大最悪の陰謀国家である。それは一世紀や二世紀の伝統ではない。1776年にイギリス植民地から独立したとき、すでに建国者たちは陰謀にまみれていた。
     アメリカを独立させた者たちは、ロスチャイルドの支配するフリーメーソンであって、まさに、ロスチャイルド帝国に奉仕するための国家を作り出したのだ。

     フリーメーソンの中心勢力はロスチャイルドに代表されるユダヤ人である。アメリカはユダヤ人の利権を守り、構築する目的で建国されたのである。
     だから建国から現在に至るまで、すべての大統領がフリーメーソンであり、アメリカの金庫であるFRBを支配し、全米の巨大企業を支配し、政府の統制を受けずに勝手にドルを印刷しているのもフリーメーソンの結社員である。
     オバマ大統領の右腕、ガイトナー財務長官、ルービン・サマーズ・ブレジンスキーらは全員ユダヤ人である。そしてアメリカで最高の利益を上げ続ける巨大企業の経営者たちも、大部分がユダヤ人であり、フリーメーソンである。

     ユダヤ国家であるイスラエルを建国したのもアメリカの力であり、現在、イスラエルが国際法を無視した暴虐な侵略占領を続けていられるのも、すべてアメリカの強大な尽力によるものである。
     この意味で、アメリカの真の支配者はユダヤ・フリーメーソンである。その証拠に、アメリカの国璽であるピラミッドアイや双頭の鷲はイスラエル国家機関に行っても普通に見られる象徴である。両者は同じ国家と言ってもよいほどだ。
     
    参考資料
    http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/kokuren.htm
    http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/keimason.html
    http://www.asyura.com/sora/bd19992/msg/671.html

     「陰謀論」と単純に嘲笑する連中に言っておくが、イスラエル・ユダヤは、3000年前から人類最悪の陰謀民族であった。旧約聖書 創世記第三十四章を見よ
     http://www.nunochu.com/bible/01_genesis/gen44.html
     これがユダヤという民族の、恐るべき陰謀の特質を余すところなく示している。
     ヤコブの娘デナがヒビ人に陵辱され、その復讐のために、相手の部族に「全員、割礼をすれば結婚を許す」と持ちかけ、そのために化膿して苦しんでいるときにヤコブの息子たちはヒビの男たちをを襲い、皆殺しにした。

     まさに、ユダヤとは、こうした陰謀を行う者たちである。
     その末裔が、他人の住む土地を勝手に奪い、虐殺するイスラエル人であり、アメリカ特権階級なのである。
     アメリカの歴史は、侵略と虐殺の血塗られた歴史であった。

     コロンブスが勝手に「発見した」と称して、先住民を虐殺しながらポルトガル・スペイン人が植民地化していたアメリカ大陸に対し、イギリス清教徒たちが、旧権力の束縛、軛を逃れて自由の天地を目指した。
     しかし、その手段は、先住民たちへの殺戮に次ぐ殺戮、強奪であった。アメリカの歴史は、イスラエルとまったく同じ、勝手な移住と殺戮の正当化だったのだ。

     戦後、「共産主義の脅威から守る」と称して朝鮮やベトナムに軍事侵攻したが、実際にやったことは、何の罪もない民衆の大殺戮と軍需産業のニーズを生み出すための巨大な戦闘消耗、自国権益の確保だけであった。
     アメリカは、自国の若者と、被侵略国の民衆の命を犠牲にして、軍需産業のための巨大な消耗、つまりニーズを作り続けてきた。軍備が古くなったり、余ってくると、新たな侵略先をでっちあげて若者たちを送り込み、自国の貧しい若者たちの命をカネに替え続けてきたのだ。

     アメリカとは何だ? その正体は、フリーメーソンに組織された大金持ち、特権階級の利権を守るための国家システムに他ならない。

     この本質を見抜くことができるなら、そして、徹頭徹尾、金儲けの利権によって動いているアメリカ国家システムを知るならば、日米安保条約も同じように、アメリカの利権だけによって成立している事情が分かり、戦後、これまで沖縄や基地周辺住民が味わってきた苦渋の意味も理解できるはずだ。

     もう一度言う、日米安保条約は日本国民を絶対に守らない。守るのはアメリカの権益だけだ。
     これを維持するのは日本国民に対する究極の犯罪行為である。自民党が、それを行い、50年以上続いてきた。しかし民主党政権に変わっても安保を維持するという。
     このことは、つまり民主党政権もアメリカフリーメーソンの利権を擁護するという姿勢を示しているわけだ。
     それもそのはず、鳩山由紀夫首相こそは日本フリーメーソンの高位にある中心人物だからである。
     つまり、民主党も自民党と同様、フリーメーソン政権である。それもそのはず、「二大政党対立」政権交代システムは、フリーメーソンが考え出した政権安定策だからだ。

     筆者は、江戸期250年間、世界にも希な長期安定政権が成立した理由として、家康が構築した「二分化対立システム」の存在を挙げてきた。

     家康は、幕府創建当時、抵抗勢力となりそうな全国の組織を、どのように統治するか腐心し、結局、すべての組織を二分化し、対立させることで、幕府権力が、その調停者として君臨できることに気づいた。
     これは、家康が幼少期、今川家の人質として、太平記を学んでいたことが大きかっただろう。太平記は南北朝対立百年の記録であり、人々が二分化されて対立すると、どれほど深刻な対立が延々と続くか? 権力がトクをするかに気づいたわけだ。

     そこで、まず宗教軍事勢力であった修験道を、天台宗系と真言宗系に統一した。当時、出羽系や宇佐系など多数あったものを、すべて二分化統一し、互いに反目させたのである。
     13系統もあった神道は白川系と吉田系に二分化して対立させた。木地屋や大工の組織、奉行所から火消しまで同じようにさせた。
     これで対立させられた組織はいがみ合い、その調停のために幕府権力を必要とし、世界的にも希な安定政権が成立したという仕組みである。

     同じことをフリーメーソンはアメリカでやった。アメリカのすべての政治組織を民主党系と共和党系に二分化したのだ。これで、互いにいがみ合い、政権交代をさせることで、大衆の欲求不満を解消するシステムができあがった。

     これで、もうお分かりと思うが、同じシステムが日本政界に持ち込まれたのである。政界には自民党と民主党、いずれもフリーメーソンの操り人形だけがいる。社共市民勢力は排除されて矮小化し、消えてしまった。

     今回は、本題のセキュリティから逸脱したが、世の中の仕組みとは、このようなものだと読者に警告しておきたかった。

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