2018年08月

     自民党、安倍政権は、アベノミクスと称する、詐欺としかいいようのないインチキ経済政策を続けているが、これは日本経済を回復させるものでも何でもなくて、ただ政権の人気取りのために、企業株価を高水準に維持するだけという、恐ろしく稚拙で、破壊的な代物である。



     これまでも、繰り返し同じことを書いてきたのだが、まだ書き足りない。



     金子勝や浜矩子は、安倍晋三自民党の詐欺に対して「アホノミクス」という尊称を与えているが、この株価維持(日銀やGPIF、各種共済、「五頭の鯨」と称する株価買い支えシステム)が、どの程度、本当の株価を底上げしてしまっているか、といえば、多くの経済学者が3〜5割と考えている。



     つまり、日本の本当の株価は、日銀介入・GPIF年金介入・郵貯・簡保・共済などのリスク介入がない場合、現在よりも5割近くも低いということであり、世界的な株価暴落が起きて、買い支えの限度を超えた場合、恐ろしいほどの巨大な日本株暴落が約束されているということである。



     海外のハゲタカファンドにとって、これほど分かりやすい、美味しい餌はない。

     なぜなら、株価がどんなに暴落しても、GPIFや日銀が買い支えることが分かりきっているわけだから、暴落株を買い占めて空売りするだけでボロ儲けという仕組みなのである。



     こんな恐ろしい、国民を欺して年金資金を博打に注ぎ込むというインチキ経済政策が五年も続き、今や、我々の年金資金は安定性を失ってボロボロに崩壊し、支払い原資が確保できないため、年金支給開始時期を65歳から70歳に引き上げ、あるいは平均寿命を超える80歳も視野に置いているのである。



     こういう見え透いたインチキ=国民の資産を巨大企業の株価、内部留保のために注ぎ込んで、使い潰してしまうという詐欺ペテンの類いの安倍政権を、未だに支持しているアホ国民が多数いること事態が、本当に奇怪至極というか、まるで、第二次大戦前夜、敗北が約束された戦争に、提灯行列で応えた日本国民のアホぶりを想起させるものである。

     彼らは、自らの残酷な死を提灯行列で祝った。今の安倍政権支持者たちは、太平洋戦争開戦を喜んだ救いのない馬鹿どもと何の変わりがあるというのか?



     日本人の個人投資家の数は2割程度といわれ、それでも総数は3000万人近くが、株を弄んで株価の上下に一喜一憂していると考えられる。

     それゆえに、株遊びに没入している連中は、安倍晋三政権による株価維持政策に簡単に欺されるのである。

     株価が上がればトクしたような錯覚に陥り、どのような合理的な理由で、その株価が存在し、これからどうなるのかについて、きちんと考えようとしない。

     アホノミクスが株価を上げていれば「いいことじゃないか」と単純に喜んでしまう馬鹿ばかりといえるだろう。



     伊藤惇夫氏による、アホノミクスの正体についての説明が、分かりやすいので、ぜひ視聴していただきたい。(表現が穏当すぎる嫌いはあるが)



    https://www.youtube.com/watch?v=1D0JcRmXlE4



    少し古いが(2014)、博打投機の本質は、まったく変わっていない。

     https://www.youtube.com/watch?v=1gZoWR0YS5s



    2017年12月

     年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)や公務員らが加入する共済年金などは、世界的な株高と円安基調が追い風となり、日本株の保有残高が9月末に50兆303億円、外国証券も69兆5184億円といずれも過去最高を更新した。両者を合わせたリスク性資産は約120兆円となり、増加傾向が続いている。



     https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-20/P16TM16JIJUO01



     リスクという言葉の意味は、博打と言い換えてもいい。つまり、五頭の鯨といわれる日銀と年金ファンドGPIFや、郵貯、簡保、共済が、気が狂ったように保有している日本株は、海外ファンドに食い物にされて、爪に火をともすように貯め続けた日本人に、二度と戻ってこない、ボロ負けを約束された博打なのである。



     真面目に営々と商売で積み重ねた利益と老後資金を、安倍晋三という人気が欲しいだけの不肖の馬鹿息子が持ち出して博打に使い込んでしまったのと同じ構図であるが、この資金によってのみ生き延びることを約束された、貧しい日本国民の未来の命をも使い込んでしまっていることが、ことの恐るべき重大性を示しているのだが、多くの国民が、自分が安倍晋三によって餓死させられる運命であることを理解していない。



     持ち出された親は、アテにしていた老後資金を博打で使い潰され、もはや生きてゆく術はなく、路傍に横たわって餓死を待つばかりなのである。

     こうした無謀極まりない、日本国民資産の、ボロ負けが約束された、アベノミクスという名の博打への使い込みの結果、何が生じるかということで、これまでも度々書いてきた。



     大暴落は、突然やってくる。

     現在の株市場は、昔のような企業業績やら、戦争やら、大災害やらの影響で、生産性を基準にして定まるのではなく、大半が、国際投機集団=ハゲタカファンドが狙いを定めた相場の脆弱性に対する陰謀によって定まるのであり、理の存在しない、政権の人気取りだけを目的にした日本株が、ハゲタカのターゲットにされて、根こそぎ食い尽くされるのも当然であって、骨の髄まで食い尽くされるのも時間の問題である。



     何せ、日本企業には、自動車以外、今や、これといって見るべき輸出産業は存在せず、革新的で世界の耳目を集めるようなイノベーションも存在しない。

     安倍政権が、そうしたイノベーションをもたらす研究者たちの生活条件=待遇を切り捨て、崩壊させてしまったからだ。

     ノーベル賞をもたらした基礎科学研究者の充実も、金にならないといって切り捨てたのが自民党である。



     過去の優良株というものは、例えばマイコンやパソコンが発明され世界に普及してゆくときのアップルやマイクロソフト、マン島レースで上位を独占してみせたホンダ、奇跡的な効能を示す新薬開発、世界に生活革新をもたらす新技術など、イノベーションと人を感動させるようなインパクトのある業績が示されて、初めて株買いが殺到し、上がってゆくものであったが、今は違う。



     例えば、東芝を欺して契約詐欺だけで数千億をだまし取ったアメリカのゼネコン、ショーグループのような陰謀による利益が、株価を押し上げる。東芝の致死的な崩落と引き換えに、ショーグループは莫大な株価上昇を獲得している。



     世界の株価を弄んで莫大な利益を上げ続ける「ユダ金」とよばれるハゲタカファンドたちの資金が、いったいどこから出ているのかというと、実は、ハゲタカの標的である、日銀の低金利、マイナス金利から、ジャブジャブと貸し付けられいる奇っ怪な仕組みが存在している。



     金利が低ければ企業は金を借りやすいが、今の日本経済の低迷では、どこも金を借りてくれない。そこで、ハゲタカファンドが超低金利の日銀資金を大喜びで借りてゆくわけだ。

     金を借りる担保もまた、日銀が買い込んでいる国内企業の株式という仕組みだから、貸さないわけにはいかない。



     安倍政権=日本政府が、ハゲタカファンドに貢いだ総額は、おそらく20兆円を超えるだろう。安倍政権は、ユダ金ファンドにとって、世界最高のお得意様であり、鴨ネギである。

     もちろん、安倍自身は痛くもかゆくもない。それは我々からだまし取った年金資金だからだ。 



     日本国民は、こんな愚かで馬鹿げた安倍晋三らの詐欺に、いつまで引っかかり続け、「いつまで欺され続け、いつになったら真実を知ることができるのか?



     私も、何度同じことを書き続けねばならないのか?



     安倍晋三という希代の大嘘つき、詐欺師が、大手を振って、この日本社会を牛耳り、我々の資産を掠め取ってゆく事態をいつまで許容すればいいんだ?



     オウム実行犯が13名も死刑になるなら、今の自民党政権幹部は、全員死刑にされるべきである。 国民の被害はオウム事件どころじゃない。これから、どれほどたくさんの餓死者、窮迫者が出るか見当もつかない。



     人間を金儲けのための部品としか見ない愚劣な経営者も爆発的に増えてゆき、過労死させられる人々も幾何級数的に増えてゆくだろ。

     安倍自民党は先手を打って、過労死でも責任を取らずにすむように法律を改悪してしまった。これは、もはや完全な人道上の犯罪ではないか!



     やがて、株価が暴落する日が来るだろう。例えば、トランプによる25%関税に対し、有効な手段を講じられなかった場合、日本の輸出産業は壊滅し、もう二度と復活することもできなくなるだろうから、株価は際限なく下落してゆく。

     これに対し、GPIFが資金すべてを注ぎ込んでも、間に合わないほどのレベルになるだろう。もう日銀だって買い支えられない。国債の長期金利が上がって取り返しが付かなくなるからだ。



     何が起きるのか? 輸入物資が日本に入らなくなる。

     日本の食料自給率は三割しかない。残りの7割は輸入なのだ。それが暴騰しすぎて買えなくなる。そして石油類も輸入できず、北海道ではマイナス十数度のなかを、暖房もなく羽毛服で耐え忍ばねばならなくなる。

     40度の高温でも、電気代が上がりすぎてクーラーも使えなくなる。

     年金は支払おうにも、原資をすべて使い込んですっからかん。支払う金もない。



     道ばたには餓死者が累々と横たわり、遺体を片付ける公務員さえいなくなる。

     道路は穴ぼこだらけ、補修もできず、水道インフラも、壊れたら補修もできないから、水を手に入れることさえ過酷な仕事になる。



     まあ、これは極論ということなのだが、本当にこうならない保証など、どこにもない。安倍晋三=自民党という存在を許容していれば、いつかは必ずこんな運命が降りかかってくることを知るべきである。 


     自民党、安倍政権は、アベノミクスと称する、詐欺としかいいようのないインチキ経済政策を続けているが、これは日本経済を回復させるものでも何でもなくて、ただ政権の人気取りのために、企業株価を高水準に維持するだけという、恐ろしく稚拙で、破壊的な代物である。



     これまでも、繰り返し同じことを書いてきたのだが、まだ書き足りない。



     金子勝や浜矩子は、安倍晋三自民党の詐欺に対して「アホノミクス」という尊称を与えているが、この株価維持(日銀やGPIF、各種共済、「五頭の鯨」と称する株価買い支えシステム)が、どの程度、本当の株価を底上げしてしまっているか、といえば、多くの経済学者が3〜5割と考えている。



     つまり、日本の本当の株価は、日銀介入・GPIF年金介入・郵貯・簡保・共済などのリスク介入がない場合、現在よりも5割近くも低いということであり、世界的な株価暴落が起きて、買い支えの限度を超えた場合、恐ろしいほどの巨大な日本株暴落が約束されているということである。



     海外のハゲタカファンドにとって、これほど分かりやすい、美味しい餌はない。

     なぜなら、株価がどんなに暴落しても、GPIFや日銀が買い支えることが分かりきっているわけだから、暴落株を買い占めて空売りするだけでボロ儲けという仕組みなのである。



     こんな恐ろしい、国民を欺して年金資金を博打に注ぎ込むというインチキ経済政策が五年も続き、今や、我々の年金資金は安定性を失ってボロボロに崩壊し、支払い原資が確保できないため、年金支給開始時期を65歳から70歳に引き上げ、あるいは平均寿命を超える80歳も視野に置いているのである。



     こういう見え透いたインチキ=国民の資産を巨大企業の株価、内部留保のために注ぎ込んで、使い潰してしまうという詐欺ペテンの類いの安倍政権を、未だに支持しているアホ国民が多数いること事態が、本当に奇怪至極というか、まるで、第二次大戦前夜、敗北が約束された戦争に、提灯行列で応えた日本国民のアホぶりを想起させるものである。

     彼らは、自らの残酷な死を提灯行列で祝った。今の安倍政権支持者たちは、太平洋戦争開戦を喜んだ救いのない馬鹿どもと何の変わりがあるというのか?



     日本人の個人投資家の数は2割程度といわれ、それでも総数は3000万人近くが、株を弄んで株価の上下に一喜一憂していると考えられる。

     それゆえに、株遊びに没入している連中は、安倍晋三政権による株価維持政策に簡単に欺されるのである。

     株価が上がればトクしたような錯覚に陥り、どのような合理的な理由で、その株価が存在し、これからどうなるのかについて、きちんと考えようとしない。

     アホノミクスが株価を上げていれば「いいことじゃないか」と単純に喜んでしまう馬鹿ばかりといえるだろう。



     伊藤惇夫氏による、アホノミクスの正体についての説明が、分かりやすいので、ぜひ視聴していただきたい。(表現が穏当すぎる嫌いはあるが)



    https://www.youtube.com/watch?v=1D0JcRmXlE4



    少し古いが(2014)、博打投機の本質は、まったく変わっていない。

     https://www.youtube.com/watch?v=1gZoWR0YS5s



    2017年12月

     年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)や公務員らが加入する共済年金などは、世界的な株高と円安基調が追い風となり、日本株の保有残高が9月末に50兆303億円、外国証券も69兆5184億円といずれも過去最高を更新した。両者を合わせたリスク性資産は約120兆円となり、増加傾向が続いている。



     https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-20/P16TM16JIJUO01



     リスクという言葉の意味は、博打と言い換えてもいい。つまり、五頭の鯨といわれる日銀と年金ファンドGPIFや、郵貯、簡保、共済が、気が狂ったように保有している日本株は、海外ファンドに食い物にされて、爪に火をともすように貯め続けた日本人に、二度と戻ってこない、ボロ負けを約束された博打なのである。



     真面目に営々と商売で積み重ねた利益と老後資金を、安倍晋三という人気が欲しいだけの不肖の馬鹿息子が持ち出して博打に使い込んでしまったのと同じ構図であるが、この資金によってのみ生き延びることを約束された、貧しい日本国民の未来の命をも使い込んでしまっていることが、ことの恐るべき重大性を示しているのだが、多くの国民が、自分が安倍晋三によって餓死させられる運命であることを理解していない。



     持ち出された親は、アテにしていた老後資金を博打で使い潰され、もはや生きてゆく術はなく、路傍に横たわって餓死を待つばかりなのである。

     こうした無謀極まりない、日本国民資産の、ボロ負けが約束された、アベノミクスという名の博打への使い込みの結果、何が生じるかということで、これまでも度々書いてきた。



     大暴落は、突然やってくる。

     現在の株市場は、昔のような企業業績やら、戦争やら、大災害やらの影響で、生産性を基準にして定まるのではなく、大半が、国際投機集団=ハゲタカファンドが狙いを定めた相場の脆弱性に対する陰謀によって定まるのであり、理の存在しない、政権の人気取りだけを目的にした日本株が、ハゲタカのターゲットにされて、根こそぎ食い尽くされるのも当然であって、骨の髄まで食い尽くされるのも時間の問題である。



     何せ、日本企業には、自動車以外、今や、これといって見るべき輸出産業は存在せず、革新的で世界の耳目を集めるようなイノベーションも存在しない。

     安倍政権が、そうしたイノベーションをもたらす研究者たちの生活条件=待遇を切り捨て、崩壊させてしまったからだ。

     ノーベル賞をもたらした基礎科学研究者の充実も、金にならないといって切り捨てたのが自民党である。



     過去の優良株というものは、例えばマイコンやパソコンが発明され世界に普及してゆくときのアップルやマイクロソフト、マン島レースで上位を独占してみせたホンダ、奇跡的な効能を示す新薬開発、世界に生活革新をもたらす新技術など、イノベーションと人を感動させるようなインパクトのある業績が示されて、初めて株買いが殺到し、上がってゆくものであったが、今は違う。



     例えば、東芝を欺して契約詐欺だけで数千億をだまし取ったアメリカのゼネコン、ショーグループのような陰謀による利益が、株価を押し上げる。東芝の致死的な崩落と引き換えに、ショーグループは莫大な株価上昇を獲得している。



     世界の株価を弄んで莫大な利益を上げ続ける「ユダ金」とよばれるハゲタカファンドたちの資金が、いったいどこから出ているのかというと、実は、ハゲタカの標的である、日銀の低金利、マイナス金利から、ジャブジャブと貸し付けられいる奇っ怪な仕組みが存在している。



     金利が低ければ企業は金を借りやすいが、今の日本経済の低迷では、どこも金を借りてくれない。そこで、ハゲタカファンドが超低金利の日銀資金を大喜びで借りてゆくわけだ。

     金を借りる担保もまた、日銀が買い込んでいる国内企業の株式という仕組みだから、貸さないわけにはいかない。



     安倍政権=日本政府が、ハゲタカファンドに貢いだ総額は、おそらく20兆円を超えるだろう。安倍政権は、ユダ金ファンドにとって、世界最高のお得意様であり、鴨ネギである。

     もちろん、安倍自身は痛くもかゆくもない。それは我々からだまし取った年金資金だからだ。 



     日本国民は、こんな愚かで馬鹿げた安倍晋三らの詐欺に、いつまで引っかかり続け、「いつまで欺され続け、いつになったら真実を知ることができるのか?



     私も、何度同じことを書き続けねばならないのか?



     安倍晋三という希代の大嘘つき、詐欺師が、大手を振って、この日本社会を牛耳り、我々の資産を掠め取ってゆく事態をいつまで許容すればいいんだ?



     オウム実行犯が13名も死刑になるなら、今の自民党政権幹部は、全員死刑にされるべきである。 国民の被害はオウム事件どころじゃない。これから、どれほどたくさんの餓死者、窮迫者が出るか見当もつかない。



     人間を金儲けのための部品としか見ない愚劣な経営者も爆発的に増えてゆき、過労死させられる人々も幾何級数的に増えてゆくだろ。

     安倍自民党は先手を打って、過労死でも責任を取らずにすむように法律を改悪してしまった。これは、もはや完全な人道上の犯罪ではないか!



     やがて、株価が暴落する日が来るだろう。例えば、トランプによる25%関税に対し、有効な手段を講じられなかった場合、日本の輸出産業は壊滅し、もう二度と復活することもできなくなるだろうから、株価は際限なく下落してゆく。

     これに対し、GPIFが資金すべてを注ぎ込んでも、間に合わないほどのレベルになるだろう。もう日銀だって買い支えられない。国債の長期金利が上がって取り返しが付かなくなるからだ。



     何が起きるのか? 輸入物資が日本に入らなくなる。

     日本の食料自給率は三割しかない。残りの7割は輸入なのだ。それが暴騰しすぎて買えなくなる。そして石油類も輸入できず、北海道ではマイナス十数度のなかを、暖房もなく羽毛服で耐え忍ばねばならなくなる。

     40度の高温でも、電気代が上がりすぎてクーラーも使えなくなる。

     年金は支払おうにも、原資をすべて使い込んですっからかん。支払う金もない。



     道ばたには餓死者が累々と横たわり、遺体を片付ける公務員さえいなくなる。

     道路は穴ぼこだらけ、補修もできず、水道インフラも、壊れたら補修もできないから、水を手に入れることさえ過酷な仕事になる。



     まあ、これは極論ということなのだが、本当にこうならない保証など、どこにもない。安倍晋三=自民党という存在を許容していれば、いつかは必ずこんな運命が降りかかってくることを知るべきである。 


     ベトナム戦争は、遠く離れた他国の戦争ではあったが、我々、日本人に与えた影響は巨大なものであった。



     1970年前後の若者文化は、ベトナム戦争の影響と切り離して考えることなどできない。

     岡林信康・高石友也・高田渡・ジョーンバエズ・PPMなど、日本と世界のフォークソングは、ベトナム戦争に対する憤りと、人間性の回復、人間に本当に必要な価値観を考えさせるメッセージソングばかりであった。



     当時は、まだ報道も健全だったので、世界中から、岡村昭彦・本多勝一のような優れたジャーナリストが命を省みずに地獄の戦場に潜入し、生々しいルポルタージュ報道を展開した。

     これらの報道を、我々は、ダイレクトに受け止め、激しく心を揺さぶられ、その残酷さに心を痛めつけられた。

     何もできない我々は、唇を噛んで激しく憤る以外の手段はなく、街頭に出て大声で叫んだ。「アメリカよ、罪なき民衆を殺すな!」



     80年代に入って、こうした人々の内的進化に対し危機感を抱いたCIAが日本芸能界にも介入し、芸能界における左傾化、というより人間性回復運動ともいうべきメッセージソングの傾向を、政治性からかけ離れた恋愛ものに変えてゆくことで、若者たちから怒りのメッセージを奪い、軽薄な営利目的の芸能に変えていった。



     信じられないだろうが、今では不滅の名曲とされる、なごり雪や、神田川も実は、CIAが若者たちを政治への関心から引き離し、恋愛などに変えて洗脳してゆくための文化的操作だったといわれる。

     日本の若者たちを政治への関心と、ベトナム反戦運動から引き剥がす文化的な洗脳工作が行われたのである。



     今はネットから削除されてしまったが、CIAが岡林や高田、高石らを/営利芸能界から追放して、イルカらに変えていったことが書かれている戦後芸能史のサイトがあり、それを読んだ我々を驚愕させたが、数年前まで閲覧可能であったものの、今では、この種の秘密暴露サイトは、CIAや手先の電通によって一掃されている。



     政治性のあるメッセージソング、はすべて、テレビや舞台などから追放され、イルカやかぐや姫、伊勢正三などの、当たり障りの良い、非政治的なものに変えさせていったのである。

     私は最初、信じられなかったが、やがて経過を思い浮かべれば、「なるほど……」と思うしかなかった。



     ベトナム戦争への憤りを共有して、激しい議論、コミュニケーションを重ねた時代が1970年代だとすれば、80年代に入って、日本経済は上昇し、バブルが始まっていた。

     バブル時代の価値観といえば、金儲け一筋、ただ金儲けのためだけに労働者は、資本の奴隷として経営者に奉仕する思想が要求された。

     労働者は、もはや人間ではなく、金を生み出す道具にすぎなくなった。



     記憶しているのは、国立駅前に、お立ち台を作って、営業マンが、朝から自分がどれほど会社の役に立っていなかったかを大声で懺悔されられていて、本当に気の毒で仕方がなかった。

     また、ここまで悲惨な奴隷となってまで企業戦士と言われたいのかと、あきれた。

     私なら、そんな人を人とも思わぬような奴隷告白を命令した上司を思い切り殴り倒して、すぐに解雇されることだろう。

     どうすると、そこまで主体性のない馬鹿になれるのか、不思議で仕方なかった。



     何もかも、金儲けだけが唯一の価値観であり、芸能も文芸も、ありとあらゆるものが落ち着いた、生活の楽しさを踏み潰して、「金を儲けねば人間に非ず」のような愚劣極まりない時代がやってきた。

     豊田商事のような詐欺師が暗躍する時代になった。

     私は、彼らの洗脳された価値観に同調するつもりは、まったくなくて、金儲けにひた走る愚かな連中を横目で軽蔑して、山登りばかりに夢中になっていた。



     ベトナムのあの悲惨に同情し、激しく憤った仲間たちは、どこへ行ってしまったのだ?

     バブル時代、それは、私の人生のなかで、もっとも暗い、不愉快で、嫌な時代だった。

     金儲けに奔走する愚か者たちの価値観に押し潰される毎日。実りのない過酷な労働を強いられ、酒と風俗に入り浸って、あの人間解放の息吹など、遠い異国の妄想にすぎなかったようにさえ思えた。



     何一つ、いい思い出のない長い長い時間の浪費、バブル時代の価値観のなかで、私は孤立し、女性たちにも相手にされないから結婚もできず、飲んだくれ、ふて腐れて、性欲を風俗で満たし、実りなき無意味な時間を過ごした。

     唯一の救いは、タウンエースを改造して泊りながら、日本全国の山登りに出かけたくらいか。90年には、日本百名山を完登することができた。



     それから1997年、長銀や山一証券の倒産を契機に、日本はバブル崩壊後の暗い陰惨な時代に突入していった。

     

    [ベトナム戦争と韓国]



     アメリカは1970年代、ベトナム戦争による、あまりの被害の凄まじさに怯え、国内の反戦運動、反徴兵運動の圧力もあって、アメリカの青年を徴兵して、ベトナムの地獄に送り込むことに及び腰になった。

     ベトナム派兵の主力は、韓国兵になったのである。



    http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html



     朴正熙は、クーデターで、李承晩を追放すると、1961年、渡米してケネディ大統領に援助を求め、交換条件として、ベトナムへの韓国兵派兵を進言した。

     64年から73年まで、実に32万人をベトナムに兵士として送り込んだ。これは、アメリカがベトナム戦争期間中に送り込んだ兵士の総数、55万人の半数近い。



     派兵される韓国兵には、大きな特典が付与された。ベトナム戦争に参戦すれば、アメリカの市民権を与えられたのである。

     韓国では、国家が国民を平然と虐殺する韓国の体質に怯え、なんとか韓国を脱出して日本やアメリカに渡航したいと願う若者が非常に多かった。

     そこで、恐怖のベトナムの先に、アメリカ永住権をちらつかされて、多くの若者が喜んで派兵に応じた。



     アメリカのコリアンタウン、韓国人居住区が成立したのは1965年であり、その規模は、現在では200万人に達している。65年以前は、数万人程度でしかなかった。

     日本のアメリカ移民が、1890年頃から130年の歴史で、120万人しかいないことを考えれば、韓国のアメリカ移民数の異常な多さは、ベトナム戦争と切り離して考えることができない。

     アメリカのコリアンタウンは、まさしくベトナム戦争によって成立したのである。



     派兵された韓国兵の多くは、ベトナム住民、とりわけ婦女子など弱者に対し、法外に荒っぽい仕打ちを行い、虐殺と強姦を繰り返した。

     韓国兵の虐殺趣味によって殺されたベトナム人の多くは婦女子で、総数は1万人を大きく超えているといわれる。

     米兵によるソンミ村事件の比ではない。



      http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-378.html



     これらの事件は隠蔽され、世界に知られるのは、1990年代に入ってからであった。

     虐殺の主体になったのは、全斗煥や盧泰愚率いる猛虎師団や白馬師団など、韓国軍の中核的精鋭であり、後に師団長は、二人とも大統領に上り詰めた。



     ベトナムに派兵された元兵士たちは、99年のハンギョレ新聞による告発に対し、ハンギョレ社を襲撃し、内部を破壊し、編集員たちを負傷されたが、ベトナムでの暴虐に対しては、一切反省を見せず「あれは戦争だったのだから仕方がない」という言い訳に終始した。



     ベトナムでは、韓国兵によって強姦されて出生したライタイハンと呼ばれる混血児も数万人に上るといわれるが、韓国は口をつぐんだままで補償にも一切応じていない。

     その後、ベトナム女性を韓国に嫁として迎える機運があったが、ベトナム政府は、韓国人によるベトナム女性への深刻な暴力、傲慢な対応を知って、これを禁止した。



     韓国人によるベトナム婦女子大虐殺、大強姦は、日本による南京事件大虐殺と同様、民族的なカルマを作り出すものであり、韓国人が、これを正式に謝罪し、補償する日が来るまで、韓国は自らの論理によって、自らを呪縛する自業自得のカルマに陥ることになり、実際にそうなっている。



     韓国の凄まじい独善、利己主義、自己正当化の性癖は、このような事件の積み重ねで、一切反省しないことから、どんどんひどくなり、人類全体からの信用を毀損しているのである。

     日本政府は、南京事件や三光作戦を、形の上で自己批判しており、このような姿勢が、国民的カルマを軽減してゆくことになる。

     「南京事件は存在しない」と強弁する右翼は、韓国人と同じ道を歩んでいると知るべきである。



     


     ベトナム戦争は、遠く離れた他国の戦争ではあったが、我々、日本人に与えた影響は巨大なものであった。



     1970年前後の若者文化は、ベトナム戦争の影響と切り離して考えることなどできない。

     岡林信康・高石友也・高田渡・ジョーンバエズ・PPMなど、日本と世界のフォークソングは、ベトナム戦争に対する憤りと、人間性の回復、人間に本当に必要な価値観を考えさせるメッセージソングばかりであった。



     当時は、まだ報道も健全だったので、世界中から、岡村昭彦・本多勝一のような優れたジャーナリストが命を省みずに地獄の戦場に潜入し、生々しいルポルタージュ報道を展開した。

     これらの報道を、我々は、ダイレクトに受け止め、激しく心を揺さぶられ、その残酷さに心を痛めつけられた。

     何もできない我々は、唇を噛んで激しく憤る以外の手段はなく、街頭に出て大声で叫んだ。「アメリカよ、罪なき民衆を殺すな!」



     80年代に入って、こうした人々の内的進化に対し危機感を抱いたCIAが日本芸能界にも介入し、芸能界における左傾化、というより人間性回復運動ともいうべきメッセージソングの傾向を、政治性からかけ離れた恋愛ものに変えてゆくことで、若者たちから怒りのメッセージを奪い、軽薄な営利目的の芸能に変えていった。



     信じられないだろうが、今では不滅の名曲とされる、なごり雪や、神田川も実は、CIAが若者たちを政治への関心から引き離し、恋愛などに変えて洗脳してゆくための文化的操作だったといわれる。

     日本の若者たちを政治への関心と、ベトナム反戦運動から引き剥がす文化的な洗脳工作が行われたのである。



     今はネットから削除されてしまったが、CIAが岡林や高田、高石らを/営利芸能界から追放して、イルカらに変えていったことが書かれている戦後芸能史のサイトがあり、それを読んだ我々を驚愕させたが、数年前まで閲覧可能であったものの、今では、この種の秘密暴露サイトは、CIAや手先の電通によって一掃されている。



     政治性のあるメッセージソング、はすべて、テレビや舞台などから追放され、イルカやかぐや姫、伊勢正三などの、当たり障りの良い、非政治的なものに変えさせていったのである。

     私は最初、信じられなかったが、やがて経過を思い浮かべれば、「なるほど……」と思うしかなかった。



     ベトナム戦争への憤りを共有して、激しい議論、コミュニケーションを重ねた時代が1970年代だとすれば、80年代に入って、日本経済は上昇し、バブルが始まっていた。

     バブル時代の価値観といえば、金儲け一筋、ただ金儲けのためだけに労働者は、資本の奴隷として経営者に奉仕する思想が要求された。

     労働者は、もはや人間ではなく、金を生み出す道具にすぎなくなった。



     記憶しているのは、国立駅前に、お立ち台を作って、営業マンが、朝から自分がどれほど会社の役に立っていなかったかを大声で懺悔されられていて、本当に気の毒で仕方がなかった。

     また、ここまで悲惨な奴隷となってまで企業戦士と言われたいのかと、あきれた。

     私なら、そんな人を人とも思わぬような奴隷告白を命令した上司を思い切り殴り倒して、すぐに解雇されることだろう。

     どうすると、そこまで主体性のない馬鹿になれるのか、不思議で仕方なかった。



     何もかも、金儲けだけが唯一の価値観であり、芸能も文芸も、ありとあらゆるものが落ち着いた、生活の楽しさを踏み潰して、「金を儲けねば人間に非ず」のような愚劣極まりない時代がやってきた。

     豊田商事のような詐欺師が暗躍する時代になった。

     私は、彼らの洗脳された価値観に同調するつもりは、まったくなくて、金儲けにひた走る愚かな連中を横目で軽蔑して、山登りばかりに夢中になっていた。



     ベトナムのあの悲惨に同情し、激しく憤った仲間たちは、どこへ行ってしまったのだ?

     バブル時代、それは、私の人生のなかで、もっとも暗い、不愉快で、嫌な時代だった。

     金儲けに奔走する愚か者たちの価値観に押し潰される毎日。実りのない過酷な労働を強いられ、酒と風俗に入り浸って、あの人間解放の息吹など、遠い異国の妄想にすぎなかったようにさえ思えた。



     何一つ、いい思い出のない長い長い時間の浪費、バブル時代の価値観のなかで、私は孤立し、女性たちにも相手にされないから結婚もできず、飲んだくれ、ふて腐れて、性欲を風俗で満たし、実りなき無意味な時間を過ごした。

     唯一の救いは、タウンエースを改造して泊りながら、日本全国の山登りに出かけたくらいか。90年には、日本百名山を完登することができた。



     それから1997年、長銀や山一証券の倒産を契機に、日本はバブル崩壊後の暗い陰惨な時代に突入していった。

     

    [ベトナム戦争と韓国]



     アメリカは1970年代、ベトナム戦争による、あまりの被害の凄まじさに怯え、国内の反戦運動、反徴兵運動の圧力もあって、アメリカの青年を徴兵して、ベトナムの地獄に送り込むことに及び腰になった。

     ベトナム派兵の主力は、韓国兵になったのである。



    http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html



     朴正熙は、クーデターで、李承晩を追放すると、1961年、渡米してケネディ大統領に援助を求め、交換条件として、ベトナムへの韓国兵派兵を進言した。

     64年から73年まで、実に32万人をベトナムに兵士として送り込んだ。これは、アメリカがベトナム戦争期間中に送り込んだ兵士の総数、55万人の半数近い。



     派兵される韓国兵には、大きな特典が付与された。ベトナム戦争に参戦すれば、アメリカの市民権を与えられたのである。

     韓国では、国家が国民を平然と虐殺する韓国の体質に怯え、なんとか韓国を脱出して日本やアメリカに渡航したいと願う若者が非常に多かった。

     そこで、恐怖のベトナムの先に、アメリカ永住権をちらつかされて、多くの若者が喜んで派兵に応じた。



     アメリカのコリアンタウン、韓国人居住区が成立したのは1965年であり、その規模は、現在では200万人に達している。65年以前は、数万人程度でしかなかった。

     日本のアメリカ移民が、1890年頃から130年の歴史で、120万人しかいないことを考えれば、韓国のアメリカ移民数の異常な多さは、ベトナム戦争と切り離して考えることができない。

     アメリカのコリアンタウンは、まさしくベトナム戦争によって成立したのである。



     派兵された韓国兵の多くは、ベトナム住民、とりわけ婦女子など弱者に対し、法外に荒っぽい仕打ちを行い、虐殺と強姦を繰り返した。

     韓国兵の虐殺趣味によって殺されたベトナム人の多くは婦女子で、総数は1万人を大きく超えているといわれる。

     米兵によるソンミ村事件の比ではない。



      http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-378.html



     これらの事件は隠蔽され、世界に知られるのは、1990年代に入ってからであった。

     虐殺の主体になったのは、全斗煥や盧泰愚率いる猛虎師団や白馬師団など、韓国軍の中核的精鋭であり、後に師団長は、二人とも大統領に上り詰めた。



     ベトナムに派兵された元兵士たちは、99年のハンギョレ新聞による告発に対し、ハンギョレ社を襲撃し、内部を破壊し、編集員たちを負傷されたが、ベトナムでの暴虐に対しては、一切反省を見せず「あれは戦争だったのだから仕方がない」という言い訳に終始した。



     ベトナムでは、韓国兵によって強姦されて出生したライタイハンと呼ばれる混血児も数万人に上るといわれるが、韓国は口をつぐんだままで補償にも一切応じていない。

     その後、ベトナム女性を韓国に嫁として迎える機運があったが、ベトナム政府は、韓国人によるベトナム女性への深刻な暴力、傲慢な対応を知って、これを禁止した。



     韓国人によるベトナム婦女子大虐殺、大強姦は、日本による南京事件大虐殺と同様、民族的なカルマを作り出すものであり、韓国人が、これを正式に謝罪し、補償する日が来るまで、韓国は自らの論理によって、自らを呪縛する自業自得のカルマに陥ることになり、実際にそうなっている。



     韓国の凄まじい独善、利己主義、自己正当化の性癖は、このような事件の積み重ねで、一切反省しないことから、どんどんひどくなり、人類全体からの信用を毀損しているのである。

     日本政府は、南京事件や三光作戦を、形の上で自己批判しており、このような姿勢が、国民的カルマを軽減してゆくことになる。

     「南京事件は存在しない」と強弁する右翼は、韓国人と同じ道を歩んでいると知るべきである。



     


     1960年代後半、新聞は連日連夜、ベトナム戦争の記事で埋め尽くされた。

     私は、朝日新聞夕刊に連載される本多勝一のルポルタージュに夢中になっていて、もう他の記事が目に入らないほどで、夕刊が届くと真っ先に、貪るように読み、興奮した。

     この情景は、今でも、詳細な部分まで鮮明に覚えているから、よほど激しく感受性を揺さぶられたのだと思う。



     カナダエスキモーやアラビア遊牧民、ニューギニア高地人などのルポから、それは、突然ベトナムの情景に変わった。

     1968年、「戦場の村」の連載が始まったのだ。

     https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%9D%91-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022608013



     1968年、私は高校受験を控えた中学生だったが、もう勉強そっちのけで、毎日ベトナムの人々の運命に心を寄せていた。

     名古屋の街中では、連日のようにベトナム戦争反対の街頭デモが繰り広げられ、私は、密かに家を抜け出して、デモの隊列に加わった。



     当時のベトナム民衆の運命が、どれほど残酷なものだったか? たくさんの文章を並べるよりも、沢田教一らの写真を見た方が、鮮明に心に染みてくる。



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     私は、こうした写真や、たくさんのルポルタージュに、激しく心を揺さぶられ続けた。 「ベトナム戦争に反対し、米軍と戦わなければ人間じゃない」とさえ思った。



     高校に入学しても、すぐにベトナム戦争を語るサークルに加入した。それは、河村名古屋市長が在学中に作った社会科学研だったが、革マル派など党派の影響を受けた者もいた。

     話された内容は、党派的な屁理屈ばかりで、すぐに嫌気がさして寄りつかなくなった。



     学校へは行ったものの、私の心はベトナムにあった。そして、繁華街での激しいデモに参加することに生き生きとした喜びを感じていた。

     やがて、私は東京に出た。とにかく、社会の最前線で、ベトナム反戦の息吹に触れることだけが、私の唯一の喜びになっていたのだ。



     私の世代は、誰一人として、ベトナム戦争の影響から逃れた者はいないだろう。みんな米軍の非道なやり口に憤激していた。

     何か行動を起こさねばやりきれない思いだったのだ。



     私は、多くの縁から、立川の砂川町にある「反戦塹壕」というベトコンを真似た塹壕に向かった。

     そこは立川基地の滑走路の終点に作られていて、ときおり、基地内から銃撃も受けることがあった。 元々、血の気が多い方だったので、危険な臭いがすると入って見たくなって仕方がなかったのだ。

     ここにいると、ときおり右翼の襲撃を受けたりするので、いつでも鉄パイプなどの武器を常備し、身を守る訓練が必要であった。



     私も立川でのデモで、革マル派に襲撃されて、鉄パイプで襲撃されたことがある。体力に自信があったので、「この野郎!」と、どこまでも報復しに行ったのだが。



     クリスチャンの反戦活動家である佐々勝仁という男がいて、ずいぶん自分勝手な人物ではあったが、独善の塊でありながら、どこか憎めない人物だった。彼が塹壕運営の実質的な中心人物であった。

     市民団体もたくさんできていて、加藤克子さんという女性が先鋭的な反戦市民グループを形成していた。、下野純一郎さんという、総会屋をやっていた得体の知れない人物など、たくさんの面白い人物が交錯していて、実に楽しい日々であった。



     集会には、ブント叛旗派や第四インター派が顔を出していたが、そのなかに私と同年の若き副島隆彦がいたような記憶もある。



     当時、すでにセクト主義は頂点に達していて、私は党派の独善が不愉快で、ベ平連グループに接近し、自分で立川ベ平連を勝手に名乗っていた。

     みんな立場は違えども、ベトナム戦争に対する怒りを強く共有していた時代だった。



     仕事は、東京オリンピック以来、自由自在に得られる高度成長時代だったから、金がなくなれば、高田馬場や山谷に顔を出せば、いつでも五千円前後の日当を日払いで稼ぐことができた。

     当時、五千円も稼げば数日間は左うちわで暮らすことができた。



     酒場でも喫茶店でも、若者が出会えば激論が続いたが、心の底にはベトナム戦争に対する激しい思いの共有があったから、コミュニケーションが、これほど強く、深く、心に染みた時代もなかっただろう。



     岡林信康や高田渡など、フォークソングのレベルも、現在とは比べものにならないほど、深い格調の高いメッセージ性を持っていたし、天井桟敷などの演劇にも、強いメッセージ性があり、今の演劇の何十倍もの価値があったと思う。

     もし、日本文芸にルネッサンスという言葉があるとすれば、それは1970年代前半の、この時代の表現を指すのではないだろうか?



     先日、テレビで「ポツンと一軒家」という番組をやっていて、奈良県の山奥で一人暮らしをしていた老人が、国分寺にあった、「ホラ貝」という喫茶店を拠点にした「部族」というコンミューンの出身であることを知って、すでに70歳になろうとしていながら、「この生活こそ、本当のロックンロールだ」という言葉にしびれた。

     反戦塹壕にも、持田君という部族の仲間たちが、日常的に訪れていたので、よく知る者も多かった。



     60年代末から70年代にかけての、あらゆる文化的高揚の、本当の理由が、ベトナム反戦の共有にあったことを、誰が気づいているだろう?



     そのベトナム戦争は、知れば知るほど恐ろしい、人類史上でも希な残酷さを持っていた。



     私が、砂川反戦塹壕にいた一年半の間、毎日数十基の米軍輸送機が立川基地を発着していたが、その飛行機の中は米兵の死体で埋め尽くされていた。

     ベトナム戦争の死者は、8年間で、米兵だけで5万人に上ったといわれるが、それは表向きの数字にすぎない。



     アメリカは、ベトナムに正規軍を派遣しなかったことになっていて「軍事顧問団」という名で派兵されていたが、末期になると、米兵のあまりの戦死者、被害の多さに、韓国や他の親米諸国から、たくさんの志願兵を募ってベトナムに送り込んだのだ。

     彼らの死は正式にカウントされていない。

     戦死者を全部ひっくるめれば、たぶん10万人に近い数字になるだろうし、ベトナム兵側は、その数倍になるだろう。ベトナム民衆の犠牲者に至っては、100万人の単位になるのは確実で、今のイラクよりも凄まじかった。



     ベトナムでの戦死者は、必ず立川の米軍病院死体処理施設に持ち込まれる。重火器による戦死者が大半であるから、ほとんど人間の形をしていない。

     内部を見た者は、屠殺場、畜肉解体場だと言った。



     私にも、遺体処理のアルバイトの仕事の誘いが来たことがある。

     一日日当が2万円だという。当時の平均的なバイトだと、日当が二千円くらいだったと思う。10倍だ。この高さだけで、どのような仕事が想像がついた。



     友人は「やめておけ」と強く忠告した。バイトした者の多くが、精神に異常を来すのだという。なかには発狂する者もいた。

     今から考えると、もの凄い数の霊がいて、遺体処理に関係する者に憑依して、いろいろことをなすのだろうと思った。



     当時の立川基地は、今のようなテロへの警戒もなく、内部に友人がいて通行証を示しさえすれば自由に出入りすることができた。

     もっとも、内部はアメリカ国内だから、精神に異常を来した米兵も非常に多く、ベトコンだと思われて射殺されても、文句は言えなかった。



     内部にPXという売店があって、そこには大麻タバコが自由に売られていた。我々が買っても、何一つ規制がなかった。

     ベトナム戦争中、基地内での麻薬の扱いは極めてルーズで、自由に大麻を購入することができたのだ。

     もし、これを規制してしまえば、ベトナムの地獄に放りこまれた米兵たちが激怒して、米軍上層部に対して深刻な反逆を行うのは分かりきっていたのである。

     

     米兵たちが、ベトナムに派兵されて、何を恐れたかといえば、ベトコンもベトミンも、必ず無数の地下トンネルから湧いて出てくることだった。



     ベトナム戦争は、米軍によるナパーム弾の空爆ばかりが知られているが、本当の実態は、プラトーンやフルメタルジャケットなど、たくさんのベトナム戦争映画に出てくるように、地下との戦いだったのだ。



     深い穴の中にまでナパーム弾の威力は届かなかった。無数に掘られた穴のなかから、無尽蔵にベトナム兵がいて、次々に恐ろしい攻撃をしかけてきた。



     これをみて、「どこかで聞いた」と思うあなたは、硫黄島の戦いを記憶していたのだろう。

     実は、このトンネル作戦は、日本軍の戦法だったのだ。それも、陸軍中野学校の残置諜者に訓練されものだった。



     なぜ、ベトコンやベトミンが日本軍の戦法を使っていたのか?

     それは、太平洋戦争が終結して、各地から兵が帰還するとき、帰還せず、現地の植民地解放運動、独立運動に合流した日本兵が多数いたのだ。

     これは、兵たちの意思ではなく、陸軍中野学校、二俣分校において残置諜者の訓練を受けた兵たちが、上層部の命令によって、現地で独立運動を支援しながら、「大東亜共栄圏構想」に参画組織できる時を待つ作戦だったのである。



     ウィキ引用



    [残留日本兵は「新ベトナム人」とよばれた。日本軍インドシナ駐屯軍参謀の井川省少佐はベトナム名レ・チ・ゴといい、ベトミンに武器や壕の掘り方、戦闘指揮の方法、夜間戦闘訓練などの技術、戦術などを提供した。また井川参謀の部下の青年将校中原光信はベトナム名をヴェト・ミン・ゴックといい、第二大隊教官としてベトミンに協力した[47]。ほかにも石井卓雄、谷本喜久男(第一大隊教官)、猪狩和正(第三大隊教官)、加茂徳治(第四大隊教官)らがいた。 日本敗戦後、ベトミンに協力したインドシナ残留日本兵は766人にのぼる]



     残置諜者といえば、ルバング島に戦後28年間も潜行した、小野田寛郎氏が有名だが、彼もまた残置諜者の訓練施設であった中野学校二俣分校出身であった。

     また、インドネシアにおいて、大戦後、スカルノの独立解放戦線に身を投じた日本兵も数千名に上っているが、多くは中野学校の残置諜者に指揮された者であった。



     つまり、ベトナムの米兵たちが相手にした恐怖のトンネル作戦を指揮していたのは、旧日本軍だった。完璧な秘密が守られていた陸軍中野学校二俣分校は、敗戦後、その凄まじい威力を発揮したのである。



    http://www.geocities.jp/bane2161/rikugunnakanogaxtukou.html


     1960年代後半、新聞は連日連夜、ベトナム戦争の記事で埋め尽くされた。

     私は、朝日新聞夕刊に連載される本多勝一のルポルタージュに夢中になっていて、もう他の記事が目に入らないほどで、夕刊が届くと真っ先に、貪るように読み、興奮した。

     この情景は、今でも、詳細な部分まで鮮明に覚えているから、よほど激しく感受性を揺さぶられたのだと思う。



     カナダエスキモーやアラビア遊牧民、ニューギニア高地人などのルポから、それは、突然ベトナムの情景に変わった。

     1968年、「戦場の村」の連載が始まったのだ。

     https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%9D%91-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022608013



     1968年、私は高校受験を控えた中学生だったが、もう勉強そっちのけで、毎日ベトナムの人々の運命に心を寄せていた。

     名古屋の街中では、連日のようにベトナム戦争反対の街頭デモが繰り広げられ、私は、密かに家を抜け出して、デモの隊列に加わった。



     当時のベトナム民衆の運命が、どれほど残酷なものだったか? たくさんの文章を並べるよりも、沢田教一らの写真を見た方が、鮮明に心に染みてくる。



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     私は、こうした写真や、たくさんのルポルタージュに、激しく心を揺さぶられ続けた。 「ベトナム戦争に反対し、米軍と戦わなければ人間じゃない」とさえ思った。



     高校に入学しても、すぐにベトナム戦争を語るサークルに加入した。それは、河村名古屋市長が在学中に作った社会科学研だったが、革マル派など党派の影響を受けた者もいた。

     話された内容は、党派的な屁理屈ばかりで、すぐに嫌気がさして寄りつかなくなった。



     学校へは行ったものの、私の心はベトナムにあった。そして、繁華街での激しいデモに参加することに生き生きとした喜びを感じていた。

     やがて、私は東京に出た。とにかく、社会の最前線で、ベトナム反戦の息吹に触れることだけが、私の唯一の喜びになっていたのだ。



     私の世代は、誰一人として、ベトナム戦争の影響から逃れた者はいないだろう。みんな米軍の非道なやり口に憤激していた。

     何か行動を起こさねばやりきれない思いだったのだ。



     私は、多くの縁から、立川の砂川町にある「反戦塹壕」というベトコンを真似た塹壕に向かった。

     そこは立川基地の滑走路の終点に作られていて、ときおり、基地内から銃撃も受けることがあった。 元々、血の気が多い方だったので、危険な臭いがすると入って見たくなって仕方がなかったのだ。

     ここにいると、ときおり右翼の襲撃を受けたりするので、いつでも鉄パイプなどの武器を常備し、身を守る訓練が必要であった。



     私も立川でのデモで、革マル派に襲撃されて、鉄パイプで襲撃されたことがある。体力に自信があったので、「この野郎!」と、どこまでも報復しに行ったのだが。



     クリスチャンの反戦活動家である佐々勝仁という男がいて、ずいぶん自分勝手な人物ではあったが、独善の塊でありながら、どこか憎めない人物だった。彼が塹壕運営の実質的な中心人物であった。

     市民団体もたくさんできていて、加藤克子さんという女性が先鋭的な反戦市民グループを形成していた。、下野純一郎さんという、総会屋をやっていた得体の知れない人物など、たくさんの面白い人物が交錯していて、実に楽しい日々であった。



     集会には、ブント叛旗派や第四インター派が顔を出していたが、そのなかに私と同年の若き副島隆彦がいたような記憶もある。



     当時、すでにセクト主義は頂点に達していて、私は党派の独善が不愉快で、ベ平連グループに接近し、自分で立川ベ平連を勝手に名乗っていた。

     みんな立場は違えども、ベトナム戦争に対する怒りを強く共有していた時代だった。



     仕事は、東京オリンピック以来、自由自在に得られる高度成長時代だったから、金がなくなれば、高田馬場や山谷に顔を出せば、いつでも五千円前後の日当を日払いで稼ぐことができた。

     当時、五千円も稼げば数日間は左うちわで暮らすことができた。



     酒場でも喫茶店でも、若者が出会えば激論が続いたが、心の底にはベトナム戦争に対する激しい思いの共有があったから、コミュニケーションが、これほど強く、深く、心に染みた時代もなかっただろう。



     岡林信康や高田渡など、フォークソングのレベルも、現在とは比べものにならないほど、深い格調の高いメッセージ性を持っていたし、天井桟敷などの演劇にも、強いメッセージ性があり、今の演劇の何十倍もの価値があったと思う。

     もし、日本文芸にルネッサンスという言葉があるとすれば、それは1970年代前半の、この時代の表現を指すのではないだろうか?



     先日、テレビで「ポツンと一軒家」という番組をやっていて、奈良県の山奥で一人暮らしをしていた老人が、国分寺にあった、「ホラ貝」という喫茶店を拠点にした「部族」というコンミューンの出身であることを知って、すでに70歳になろうとしていながら、「この生活こそ、本当のロックンロールだ」という言葉にしびれた。

     反戦塹壕にも、持田君という部族の仲間たちが、日常的に訪れていたので、よく知る者も多かった。



     60年代末から70年代にかけての、あらゆる文化的高揚の、本当の理由が、ベトナム反戦の共有にあったことを、誰が気づいているだろう?



     そのベトナム戦争は、知れば知るほど恐ろしい、人類史上でも希な残酷さを持っていた。



     私が、砂川反戦塹壕にいた一年半の間、毎日数十基の米軍輸送機が立川基地を発着していたが、その飛行機の中は米兵の死体で埋め尽くされていた。

     ベトナム戦争の死者は、8年間で、米兵だけで5万人に上ったといわれるが、それは表向きの数字にすぎない。



     アメリカは、ベトナムに正規軍を派遣しなかったことになっていて「軍事顧問団」という名で派兵されていたが、末期になると、米兵のあまりの戦死者、被害の多さに、韓国や他の親米諸国から、たくさんの志願兵を募ってベトナムに送り込んだのだ。

     彼らの死は正式にカウントされていない。

     戦死者を全部ひっくるめれば、たぶん10万人に近い数字になるだろうし、ベトナム兵側は、その数倍になるだろう。ベトナム民衆の犠牲者に至っては、100万人の単位になるのは確実で、今のイラクよりも凄まじかった。



     ベトナムでの戦死者は、必ず立川の米軍病院死体処理施設に持ち込まれる。重火器による戦死者が大半であるから、ほとんど人間の形をしていない。

     内部を見た者は、屠殺場、畜肉解体場だと言った。



     私にも、遺体処理のアルバイトの仕事の誘いが来たことがある。

     一日日当が2万円だという。当時の平均的なバイトだと、日当が二千円くらいだったと思う。10倍だ。この高さだけで、どのような仕事が想像がついた。



     友人は「やめておけ」と強く忠告した。バイトした者の多くが、精神に異常を来すのだという。なかには発狂する者もいた。

     今から考えると、もの凄い数の霊がいて、遺体処理に関係する者に憑依して、いろいろことをなすのだろうと思った。



     当時の立川基地は、今のようなテロへの警戒もなく、内部に友人がいて通行証を示しさえすれば自由に出入りすることができた。

     もっとも、内部はアメリカ国内だから、精神に異常を来した米兵も非常に多く、ベトコンだと思われて射殺されても、文句は言えなかった。



     内部にPXという売店があって、そこには大麻タバコが自由に売られていた。我々が買っても、何一つ規制がなかった。

     ベトナム戦争中、基地内での麻薬の扱いは極めてルーズで、自由に大麻を購入することができたのだ。

     もし、これを規制してしまえば、ベトナムの地獄に放りこまれた米兵たちが激怒して、米軍上層部に対して深刻な反逆を行うのは分かりきっていたのである。

     

     米兵たちが、ベトナムに派兵されて、何を恐れたかといえば、ベトコンもベトミンも、必ず無数の地下トンネルから湧いて出てくることだった。



     ベトナム戦争は、米軍によるナパーム弾の空爆ばかりが知られているが、本当の実態は、プラトーンやフルメタルジャケットなど、たくさんのベトナム戦争映画に出てくるように、地下との戦いだったのだ。



     深い穴の中にまでナパーム弾の威力は届かなかった。無数に掘られた穴のなかから、無尽蔵にベトナム兵がいて、次々に恐ろしい攻撃をしかけてきた。



     これをみて、「どこかで聞いた」と思うあなたは、硫黄島の戦いを記憶していたのだろう。

     実は、このトンネル作戦は、日本軍の戦法だったのだ。それも、陸軍中野学校の残置諜者に訓練されものだった。



     なぜ、ベトコンやベトミンが日本軍の戦法を使っていたのか?

     それは、太平洋戦争が終結して、各地から兵が帰還するとき、帰還せず、現地の植民地解放運動、独立運動に合流した日本兵が多数いたのだ。

     これは、兵たちの意思ではなく、陸軍中野学校、二俣分校において残置諜者の訓練を受けた兵たちが、上層部の命令によって、現地で独立運動を支援しながら、「大東亜共栄圏構想」に参画組織できる時を待つ作戦だったのである。



     ウィキ引用



    [残留日本兵は「新ベトナム人」とよばれた。日本軍インドシナ駐屯軍参謀の井川省少佐はベトナム名レ・チ・ゴといい、ベトミンに武器や壕の掘り方、戦闘指揮の方法、夜間戦闘訓練などの技術、戦術などを提供した。また井川参謀の部下の青年将校中原光信はベトナム名をヴェト・ミン・ゴックといい、第二大隊教官としてベトミンに協力した[47]。ほかにも石井卓雄、谷本喜久男(第一大隊教官)、猪狩和正(第三大隊教官)、加茂徳治(第四大隊教官)らがいた。 日本敗戦後、ベトミンに協力したインドシナ残留日本兵は766人にのぼる]



     残置諜者といえば、ルバング島に戦後28年間も潜行した、小野田寛郎氏が有名だが、彼もまた残置諜者の訓練施設であった中野学校二俣分校出身であった。

     また、インドネシアにおいて、大戦後、スカルノの独立解放戦線に身を投じた日本兵も数千名に上っているが、多くは中野学校の残置諜者に指揮された者であった。



     つまり、ベトナムの米兵たちが相手にした恐怖のトンネル作戦を指揮していたのは、旧日本軍だった。完璧な秘密が守られていた陸軍中野学校二俣分校は、敗戦後、その凄まじい威力を発揮したのである。



    http://www.geocities.jp/bane2161/rikugunnakanogaxtukou.html


      ベトナム戦争が始まったのは、1883年のフランス帝国主義による侵略併合からである。

     終わったのは1973年のニクソン大統領による戦争終結宣言であるから、実に90年間もの間、激しい戦争が続いたことになる。



     最初の戦争は、ベトナムの領有権を主張する清朝とフランスの戦争であり、結果はフランスの勝利とは断定できないほど複雑であった。



     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E4%BB%8F%E6%88%A6%E4%BA%89



     フランスは、アルジェリア・メキシコ・清の三カ所に戦線を拡大し、いずれも膠着が長く続いたが、1887年、ベトナムを含む、インドシナ半島を領有化する宣言を行い、フランス領インドシナ連邦を成立させ、武力支配を開始した。



     1900年代になると、世界的に、反帝国主義、民族運動の機運が成熟し、ベトナムにマルクス主義の知識人組織が成立し、フランスに対する抵抗運動を組織した。

     これには、同じアジアの一角で、日露戦争により、強大なロシア帝国を撃破した日本が、欧州帝国主義列強に対する抵抗運動に火をつけたような側面があった。



     1917年ロシア革命が成功し、コミンテルンが世界の植民地解放運動を支援しはじめた。1930年には、インドシナ共産党が組織され、第二次世界大戦中でも、ホーチミンに指揮されたベトナム独立運動が勢いを拡大していた。



     日本も、当時、完全に帝国主義化しており、第二次大戦で日中戦争の際に中国側の補給ルートであった、ハイフォン港から昆明の仏印鉄道の制圧管理を求めて、ベトナムに進駐した。

     1945年、日本軍は、フランス、インドシナ統治軍を攻撃し、撃破し、ベトナム帝国の独立を宣言 、形の上ではフランス帝国主義を武力追放して、ベトナムの独立に手を貸したことになる。



     だが、ホンネでいえば、ビルマ・フィリピン・インドネシアと同様に、現地政府を傀儡として帝国主義的に君臨する「大東亜共栄圏構想」のなかにあった。

     しかし1945年、ポツダム宣言受託による明確な敗戦処理によって、ベトナムは、近代史上、はじめての本当の独立を勝ち取ることになった。



     当初は、封建王制であるグエン朝による独立であったが、すぐにホーチミンに指揮された大衆独立運動=ハノイ革命によってグエン王朝は追放され、共産党の指導下でベトナム民主共和国が成立した。



     戦後、すぐにフランスはインドシナの奪還を図り、アメリカに持ちかけてフランス植民地連合の復活を容認させた。

     ポツダム会議では、中華民国とイギリス軍の軍事統治によるフランスの支配権が決定し、フランスは独立勢力の主体であるベトナム民主共和国を潰すために傀儡国コーチシナ共和国を建国させた。



     ベトナム共和国は、当初、軍も装備も貧弱だったが、敗戦した日本軍が1000名近くも独立運動に合流したこと、それにコミンテルの指導による植民地解放運動への軍事支援を得て、急速に力をつけ、フランス帝国主義と武力対決する状態になった。



     1946年11月、フランスと、ホーチミン指揮するベトミンは、全面抗戦に突入し、インドシナ戦争の勃発となった。

     フランスは阮朝バオダイ王を担ぎ出してサイゴンに南ベトナム傀儡政府を樹立、ベトミンはハノイに政府を樹立、南北ベトナム抗争が始まった。



     アメリカは、共産主義政権が成立すると、周辺諸国にドミノ的に伝播してゆくとし、徹底的に軍事弾圧を行うと宣言していた。

     ソ連コミンテルンは、植民地解放運動からの共産主義化を目論んでいた。

     ここに、朝鮮戦争を中心として、全世界に及ぶ、東西冷戦が勃発していた。



     こうした反共主義姿勢が、ソ連・中国などを、ますます頑なにし、中国はベトナムに大規模な武器援助を行った。

     これは中国が、アメリカからの侵略に怯え、インドシナ方面の防衛対策としての意味もあった。

     ソ連など共産主義各国は、ベトナムに軍事顧問団を送り込み、元々、700名を超す旧日本軍の極めて優秀な残置諜者(中野学校スパイ)が大量に北ベトナム側を支援していたのに加え、質量とも豊富な軍事国家ができあがった。



     アメリカも、これに対抗して、南ベトナム政府に対し、大規模な軍事支援と、軍事顧問団を送り込み、朝鮮とベトナムは、世界の冷戦のもっとも先鋭な切り口として代理戦争の現場になることを強いられていった。



     1953年、フランスは、ディエンビエンフーに軍事橋頭堡を設置し、数万の防衛隊を置いたが、これに対しベトミン軍は激しい攻撃をかけて完全に陥落させ、1万を超えるフランス兵が捕虜になるという歴史的失態を演じた。

     これを契機にベトナム全土に展開されたフランス軍の要衝すべてが大規模な攻撃を受け、フランスはベトナム戦争において完敗し、撤退することになる。



     1954年、アメリカはフランスの大敗を受けて、反共政策からゴジンジェムという反共主義者を南ベトナム傀儡政権に指名し、阮朝を追放、強固な南北分断を図り、ここに強固な反共を謳う南ベトナム共和国が成立した。

     ゴジンジェム政権の特質は、法外な残酷さで、南ベトナム民衆に対して反共狩りを繰り返し、反政権とされた人々は激しい拷問を受けてから、殺害され、遺体も食い荒らされた。



     また、政権内部の腐敗も著しく、ゴ政権下での南ベトナム民衆の生活は悲惨を極めた。

     この結果、南ベトナム民族解放戦線=ベトコンが自然発生的に組織され、南ベトナム内の反政権の強固な軍事組織に成長していった。

     正式な結成は1960年である。



     1961年、アメリカにケネディ政権が登場する。ケネディは、当初、ベトナム共産化阻止を目的として、アメリカ正規軍の投入を考えたが、これによりソ連を刺激し、第三次世界大戦の勃発が懸念されたため、代わりに軍事顧問団という名の、グリーンベレー特殊部隊600名を投入した。

     また、大規模な殺戮作戦として、ナパーム弾、枯れ葉剤、クラスター爆弾など、現代に至るまで、世界から激しく非難される非人道兵器も投入し、日本軍なみの焼き尽くし殺し尽くす作戦を行った。



     この軍事顧問団は、次々に増派され、翌年には3000名を超える規模になり、1963年には、16000名を超えた。

     もはや、この規模は正規軍投入であると世界中から非難されることになった。



     1963年には、極悪で知られたゴジンジェム政権に対するクーデターが勃発し、ゴは悪名高い秘密警察長官のヌーとともに殺害される。

     ところが、政権を継いだのが、これまたアメリカの傀儡で知られたズオンバンミンだったので、このクーデターを実行したのが、実はCIAであったことが知られた。



     その後も、政権クーデターが繰り返され、1965年には、CIAの懐刀といわれたグエンカオキが首相に就任すると、アメリカの傀儡政権として戦争終結まで安定政権となる。



     ゴジンジェムが、アメリカのコントロールを離れて独走すると、アメリカは、クーデターを計画して、これを殺害したが、この殺害の直後、今度はケネディが暗殺されることになった。



     ゴの殺害から10ヶ月後、昇格したジョンソン大統領は、1964年8月、CIAの陰謀による有名な自作自演のやらせ被害事件 トンキン湾事件を口実に、北ベトナムに対する開戦権限を得て、本格的な戦争参入、北ベトナム侵略の軍事行動を開始した。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E6%B9%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6



     この事件は、アメリカの自作自演やらせ体質を暴露したものともなり、後に、日本軍の真珠湾攻撃も、実はアメリカによる意図的な暴走誘発作戦だったのではないかとの疑惑が語られることになった。



     1965年段階で、ソ連は、ジョンソン政権による大規模な戦争介入の意思に対して、コスイギン首相がハノイ入りして、それまで軽火力武器のみにとどめてきた援助を、重火力に拡大し、本格的な戦争装備の支援に入り、また戦闘対象も、南ベトナム政権ではなく、アメリカの大規模な軍事顧問団に向けられ、いよいよ全面戦争へ火蓋が切って落とされた。



     1965年に、米軍軍事顧問団が攻撃されて多数の死者が出た事件をきっかけに、ジョンソンは本格的な北爆(ローリングサンダー作戦)を命令した。

     このときから、ベトナムは、絶え間なき空爆、ナパーム弾、クラスター爆弾、枯れ葉剤によるアメリカの殺戮作戦によって、1973年のアメリカ敗走に至るまでの8年間、近代戦争史上、最大にして最悪の残酷な戦争が続くことになる。



     この激しい戦争を報道するため、本多勝一、岡村晴彦、沢田教一など、日本の蒼々たるジャーナリストが現地に潜入して、戦争の現場を日本の民衆に伝えた。



     我々の世代は、中学、高校時代に、本多勝一らの取材報道に夢中になって、アメリカによる不条理なベトナム戦争介入に対する激しい憤りを抑えきれず、街頭に繰り出した。

     私の思春期は、ベトナム反戦一色に染まった憤激の青春であった。



     続く 


      ベトナム戦争が始まったのは、1883年のフランス帝国主義による侵略併合からである。

     終わったのは1973年のニクソン大統領による戦争終結宣言であるから、実に90年間もの間、激しい戦争が続いたことになる。



     最初の戦争は、ベトナムの領有権を主張する清朝とフランスの戦争であり、結果はフランスの勝利とは断定できないほど複雑であった。



     https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E4%BB%8F%E6%88%A6%E4%BA%89



     フランスは、アルジェリア・メキシコ・清の三カ所に戦線を拡大し、いずれも膠着が長く続いたが、1887年、ベトナムを含む、インドシナ半島を領有化する宣言を行い、フランス領インドシナ連邦を成立させ、武力支配を開始した。



     1900年代になると、世界的に、反帝国主義、民族運動の機運が成熟し、ベトナムにマルクス主義の知識人組織が成立し、フランスに対する抵抗運動を組織した。

     これには、同じアジアの一角で、日露戦争により、強大なロシア帝国を撃破した日本が、欧州帝国主義列強に対する抵抗運動に火をつけたような側面があった。



     1917年ロシア革命が成功し、コミンテルンが世界の植民地解放運動を支援しはじめた。1930年には、インドシナ共産党が組織され、第二次世界大戦中でも、ホーチミンに指揮されたベトナム独立運動が勢いを拡大していた。



     日本も、当時、完全に帝国主義化しており、第二次大戦で日中戦争の際に中国側の補給ルートであった、ハイフォン港から昆明の仏印鉄道の制圧管理を求めて、ベトナムに進駐した。

     1945年、日本軍は、フランス、インドシナ統治軍を攻撃し、撃破し、ベトナム帝国の独立を宣言 、形の上ではフランス帝国主義を武力追放して、ベトナムの独立に手を貸したことになる。



     だが、ホンネでいえば、ビルマ・フィリピン・インドネシアと同様に、現地政府を傀儡として帝国主義的に君臨する「大東亜共栄圏構想」のなかにあった。

     しかし1945年、ポツダム宣言受託による明確な敗戦処理によって、ベトナムは、近代史上、はじめての本当の独立を勝ち取ることになった。



     当初は、封建王制であるグエン朝による独立であったが、すぐにホーチミンに指揮された大衆独立運動=ハノイ革命によってグエン王朝は追放され、共産党の指導下でベトナム民主共和国が成立した。



     戦後、すぐにフランスはインドシナの奪還を図り、アメリカに持ちかけてフランス植民地連合の復活を容認させた。

     ポツダム会議では、中華民国とイギリス軍の軍事統治によるフランスの支配権が決定し、フランスは独立勢力の主体であるベトナム民主共和国を潰すために傀儡国コーチシナ共和国を建国させた。



     ベトナム共和国は、当初、軍も装備も貧弱だったが、敗戦した日本軍が1000名近くも独立運動に合流したこと、それにコミンテルの指導による植民地解放運動への軍事支援を得て、急速に力をつけ、フランス帝国主義と武力対決する状態になった。



     1946年11月、フランスと、ホーチミン指揮するベトミンは、全面抗戦に突入し、インドシナ戦争の勃発となった。

     フランスは阮朝バオダイ王を担ぎ出してサイゴンに南ベトナム傀儡政府を樹立、ベトミンはハノイに政府を樹立、南北ベトナム抗争が始まった。



     アメリカは、共産主義政権が成立すると、周辺諸国にドミノ的に伝播してゆくとし、徹底的に軍事弾圧を行うと宣言していた。

     ソ連コミンテルンは、植民地解放運動からの共産主義化を目論んでいた。

     ここに、朝鮮戦争を中心として、全世界に及ぶ、東西冷戦が勃発していた。



     こうした反共主義姿勢が、ソ連・中国などを、ますます頑なにし、中国はベトナムに大規模な武器援助を行った。

     これは中国が、アメリカからの侵略に怯え、インドシナ方面の防衛対策としての意味もあった。

     ソ連など共産主義各国は、ベトナムに軍事顧問団を送り込み、元々、700名を超す旧日本軍の極めて優秀な残置諜者(中野学校スパイ)が大量に北ベトナム側を支援していたのに加え、質量とも豊富な軍事国家ができあがった。



     アメリカも、これに対抗して、南ベトナム政府に対し、大規模な軍事支援と、軍事顧問団を送り込み、朝鮮とベトナムは、世界の冷戦のもっとも先鋭な切り口として代理戦争の現場になることを強いられていった。



     1953年、フランスは、ディエンビエンフーに軍事橋頭堡を設置し、数万の防衛隊を置いたが、これに対しベトミン軍は激しい攻撃をかけて完全に陥落させ、1万を超えるフランス兵が捕虜になるという歴史的失態を演じた。

     これを契機にベトナム全土に展開されたフランス軍の要衝すべてが大規模な攻撃を受け、フランスはベトナム戦争において完敗し、撤退することになる。



     1954年、アメリカはフランスの大敗を受けて、反共政策からゴジンジェムという反共主義者を南ベトナム傀儡政権に指名し、阮朝を追放、強固な南北分断を図り、ここに強固な反共を謳う南ベトナム共和国が成立した。

     ゴジンジェム政権の特質は、法外な残酷さで、南ベトナム民衆に対して反共狩りを繰り返し、反政権とされた人々は激しい拷問を受けてから、殺害され、遺体も食い荒らされた。



     また、政権内部の腐敗も著しく、ゴ政権下での南ベトナム民衆の生活は悲惨を極めた。

     この結果、南ベトナム民族解放戦線=ベトコンが自然発生的に組織され、南ベトナム内の反政権の強固な軍事組織に成長していった。

     正式な結成は1960年である。



     1961年、アメリカにケネディ政権が登場する。ケネディは、当初、ベトナム共産化阻止を目的として、アメリカ正規軍の投入を考えたが、これによりソ連を刺激し、第三次世界大戦の勃発が懸念されたため、代わりに軍事顧問団という名の、グリーンベレー特殊部隊600名を投入した。

     また、大規模な殺戮作戦として、ナパーム弾、枯れ葉剤、クラスター爆弾など、現代に至るまで、世界から激しく非難される非人道兵器も投入し、日本軍なみの焼き尽くし殺し尽くす作戦を行った。



     この軍事顧問団は、次々に増派され、翌年には3000名を超える規模になり、1963年には、16000名を超えた。

     もはや、この規模は正規軍投入であると世界中から非難されることになった。



     1963年には、極悪で知られたゴジンジェム政権に対するクーデターが勃発し、ゴは悪名高い秘密警察長官のヌーとともに殺害される。

     ところが、政権を継いだのが、これまたアメリカの傀儡で知られたズオンバンミンだったので、このクーデターを実行したのが、実はCIAであったことが知られた。



     その後も、政権クーデターが繰り返され、1965年には、CIAの懐刀といわれたグエンカオキが首相に就任すると、アメリカの傀儡政権として戦争終結まで安定政権となる。



     ゴジンジェムが、アメリカのコントロールを離れて独走すると、アメリカは、クーデターを計画して、これを殺害したが、この殺害の直後、今度はケネディが暗殺されることになった。



     ゴの殺害から10ヶ月後、昇格したジョンソン大統領は、1964年8月、CIAの陰謀による有名な自作自演のやらせ被害事件 トンキン湾事件を口実に、北ベトナムに対する開戦権限を得て、本格的な戦争参入、北ベトナム侵略の軍事行動を開始した。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E6%B9%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6



     この事件は、アメリカの自作自演やらせ体質を暴露したものともなり、後に、日本軍の真珠湾攻撃も、実はアメリカによる意図的な暴走誘発作戦だったのではないかとの疑惑が語られることになった。



     1965年段階で、ソ連は、ジョンソン政権による大規模な戦争介入の意思に対して、コスイギン首相がハノイ入りして、それまで軽火力武器のみにとどめてきた援助を、重火力に拡大し、本格的な戦争装備の支援に入り、また戦闘対象も、南ベトナム政権ではなく、アメリカの大規模な軍事顧問団に向けられ、いよいよ全面戦争へ火蓋が切って落とされた。



     1965年に、米軍軍事顧問団が攻撃されて多数の死者が出た事件をきっかけに、ジョンソンは本格的な北爆(ローリングサンダー作戦)を命令した。

     このときから、ベトナムは、絶え間なき空爆、ナパーム弾、クラスター爆弾、枯れ葉剤によるアメリカの殺戮作戦によって、1973年のアメリカ敗走に至るまでの8年間、近代戦争史上、最大にして最悪の残酷な戦争が続くことになる。



     この激しい戦争を報道するため、本多勝一、岡村晴彦、沢田教一など、日本の蒼々たるジャーナリストが現地に潜入して、戦争の現場を日本の民衆に伝えた。



     我々の世代は、中学、高校時代に、本多勝一らの取材報道に夢中になって、アメリカによる不条理なベトナム戦争介入に対する激しい憤りを抑えきれず、街頭に繰り出した。

     私の思春期は、ベトナム反戦一色に染まった憤激の青春であった。



     続く 


     日本人というのは、少なくとも、五種類の民族から成り立っていると、私は何度も書いてきた。



     一番古い順からいえば、「日本原人」とでもいうべき、数十万年以上以前の生活痕跡で、例えば、豊橋市の牛川原人というのがあって、石灰岩洞窟が豊富に存在する地域では、カルシウムのため骨が残りやすく、超古代人の痕跡が発見されやすい。



     牛川原人は10万年以上前の更新世地層(石灰岩)から発見されているので、そのくらい昔の人々なのだが、現生人類との関係が明らかにされておらず、現生人類とは無関係の絶滅種であるとの意見が多い。



     明石原人については、発見者が旧石器時代(200万年〜2万年)と主張しただけで、東大史学部の馬鹿な権威主義のせいで、決着がつかないまま焼失してしまった。



     たくさん発見されている日本列島、旧石器時代=更新世層の人類痕跡は、おおむね数万年程度前であり、現生人類との関係は不明瞭なままだ。



     歴史上、明確に「日本列島先住民」として定義されるのは、数万年前の比較的似た時期に、黒潮に乗って、インドネシア方面から航海して、琉球諸島や日本列島に定着した「海洋族」である。



     これは、現在のポリネシア・ミクロネシア住民が、高度な位置観測技術を持っていて、自由自在に超長距離航海を行っている事実から、例えば、インドネシアのような巨大地殻変動帯で、巨大な沈降を伴う土地の消失(例えば仮説であるムー大陸が何かの原因で沈降してしまった場合)が起きた場合、黒潮を利用して、日本列島に大規模な移住が起きたとしても、何一つ、技術的困難も存在せず、自然な流れであって、黒潮が南の世界から日本列島に人々を運んだという仮定には、何一つ不自然が存在しない。



     この人々が、琉球諸島先住民になり、そして日本列島先住民になり、アイヌ民族、そして「縄文人」と呼ばれて定着するようになるのは、ごく自然な流れであると考える。

     人相学でも、DNAでも、琉球人とアイヌには不可分の共通点が少なくない。

     アイヌ民族は、北から南下した陸の民族ではなく、南から北上した海の民族であった。



     寒冷順化を受けた北の民族は、人相学的に、のっぺりした顔立ちとなり、目は切れ長の一重まぶたで小さくなり、乾燥した耳垢になり、寒気に鼻をもぎとられないよう決して高くはないが気道は長くなる。

     農産物が少ないので、主に狩猟や漁労に依存した食事スタイルとなる。



     アイヌの場合、目は大きく二重まぶたで、鼻が高く、水耳垢が多く、手足も長く、南方系海洋族の身体的特徴を備えている。

     毛深さについては、数千年にわたる寒冷順化から来ているのだろう。足指が長いのも、おそらく凍結路で滑らないための寒冷順化であろう。



     2500年前に、米作農耕を携えて、大量の船に乗って、水郷地帯である上海長江下流域にあった呉という国から、たくさんの人々が戦争に負けて九州に移動、上陸した。

     この人たちの文化は「照葉樹林帯文化」と名付けられていて、今の日本の食文化を本質的に規定する、多くの痕跡を残している。



     まずは大河川の汽水域で育てた米を食べることであり、米の副食としてふさわしい、納豆・味噌・醤油・漬物なども同時に伝えられた。

     また、沿岸部、汽水部の、さまざまな海洋・河川生物の食文化も伝えられた。

     おそらく、この敗戦大移住が「神武降臨」ということであり、これを弥生人文明と称し、これが日本史の始まりということになるのだろうと考えている。



     長い、農耕漁労生活は、独特の文化を生み出した。

     狩猟民族に比べて、暖かい、多様な生態系に依存する人々は、割合と食生活に恵まれて、容易に食料が確保できるなら、関心は、他の分野、例えば、生殖や、テリトリー拡大などに向いてゆく。



     弥生人たちは、本質的に、厳しい生活の掟からも解放され、食料の心配も少なく、ただ戦争からの防衛に注意を向けて、自由な性を謳歌していたと考えられる。

     彼らは、米作農耕適地を求めて、上陸した有明海から、船で瀬戸内に入り、東進して大阪へ、紀州を回って静岡まで勢力を伸ばしている。



     この子孫である、日本列島西日本住民には、鷹揚な性文化があり、歌垣など、恋愛を謳歌する交流を楽しみ、また夫婦の束縛に縛られない「夜這い」など、フリーセックスの習慣があり、戦前まで、西日本では、父親が誰であるのかの特定にこだわらない集落的共同体が普通であった。



     こうした社会に突然、4世紀ころ、大量の朝鮮半島のツングース女真族がやってきた。

     いきさつは、日本書記の弓月氏(秦氏)の項にに記されている。

     要は、3世紀から始まった唐と新羅、連合軍との戦争によって、百済国の人々が敗北して、日本列島に逃げ込んできたのである。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B



     ツングースというのは、膠着語系のツングース語を話す人々で、たくさんの民族に分化しているが、日本に移住してきたのは、高句麗から百済に移動した満州族=女真族であり、ツングースの共通項である、単なる狩猟民族ではなく、騎馬民俗文化とともに、養豚農耕まで行っていた、少し変わったというか、文化的に進んだ人々であった。



     これは弓月氏の伝承によれば、秦の始皇帝の末裔で、いったん弓月国(キルギスタン方面)に移動したが、はるばるモンゴルを東進して、満州(扶余=高句麗)に展開した。

     始皇帝の子孫であることを誇りとし「秦氏」という氏姓を使っていた。

     後に、朝鮮半島を南下し、百済国を成立させたのだが、唐との軋轢が起きて戦争になり、敗北移住したのである。



     朝鮮半島に展開した民族の多くがツングース系であり、高句麗方面では女真族が多く、沿海州方面では、純狩猟漁労民族であるエベンキ族(オロチョンも含む)がいた。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%B3%BB%E6%B0%91%E6%97%8F



     なお、現在の韓国民の大半がエベンキの子孫であることがDNAから分かっていて、百済国の女真族との直接の関係は非常に少ないと考えられる。

     北朝鮮には、日本人と同じ女真族の子孫も多いとされている。



    https://kirari-media.net/posts/184



     ツングース系の特徴は、一定の寒冷刺激を受けているので、やはり一重まぶたの切れ長の目で、乾燥耳垢、割合、のっぺりした顔立ちになり、手足が長く、狩猟や騎馬を持っているので、気が強く、戦闘的である。



     なお、朝青龍にそっくりの日大、田中英寿理事長や、今、大問題になっているアマボクシングの山根明会長は、典型的なエベンキ族の特徴を備えている。



      https://trendy15.info/?p=17454



     山根会長の本名は、文甲明で、釜山に兄弟がいると韓国紙が暴露した。





    eve1.jpg













    田中英寿、山根明ともに、明瞭なツングースの特徴を備えていて、朝青龍にもそっくりだ。山根は釜山と書かれているが、おそらく朝鮮戦争時に北から逃げてきたのだろう。



     朝鮮族は、マイナス20度以下の外気のなかで、生き延びてゆくには、命がけの連帯を共有する大家族生活を求められるので、「組の掟」のような束縛も多くなったと思われる。 ちょうど、暴力団の発想と、エベンキ朝鮮族の生活スタイルは、よく似ている。



     日本列島に棲んでいるのは、上の4種類の人々(日本原人はよく分かっていないが)に加えて、渡島や秋田地方に、樺太経由で、オロチョン族が入ってきているのも確実のようだ。

     これは、アイヌのユーカラのなかにオロチョンによるアイヌ襲撃のリアルな情景が描かれているのだが、今はネット上で探せなくなった。



     この問題は、非常に複雑で、本気で書くとなれば膨大な記述になってしまうので、読みにくくもなり、少しずつ小出しに、これからも書いてゆくことにしよう。


     日本人というのは、少なくとも、五種類の民族から成り立っていると、私は何度も書いてきた。



     一番古い順からいえば、「日本原人」とでもいうべき、数十万年以上以前の生活痕跡で、例えば、豊橋市の牛川原人というのがあって、石灰岩洞窟が豊富に存在する地域では、カルシウムのため骨が残りやすく、超古代人の痕跡が発見されやすい。



     牛川原人は10万年以上前の更新世地層(石灰岩)から発見されているので、そのくらい昔の人々なのだが、現生人類との関係が明らかにされておらず、現生人類とは無関係の絶滅種であるとの意見が多い。



     明石原人については、発見者が旧石器時代(200万年〜2万年)と主張しただけで、東大史学部の馬鹿な権威主義のせいで、決着がつかないまま焼失してしまった。



     たくさん発見されている日本列島、旧石器時代=更新世層の人類痕跡は、おおむね数万年程度前であり、現生人類との関係は不明瞭なままだ。



     歴史上、明確に「日本列島先住民」として定義されるのは、数万年前の比較的似た時期に、黒潮に乗って、インドネシア方面から航海して、琉球諸島や日本列島に定着した「海洋族」である。



     これは、現在のポリネシア・ミクロネシア住民が、高度な位置観測技術を持っていて、自由自在に超長距離航海を行っている事実から、例えば、インドネシアのような巨大地殻変動帯で、巨大な沈降を伴う土地の消失(例えば仮説であるムー大陸が何かの原因で沈降してしまった場合)が起きた場合、黒潮を利用して、日本列島に大規模な移住が起きたとしても、何一つ、技術的困難も存在せず、自然な流れであって、黒潮が南の世界から日本列島に人々を運んだという仮定には、何一つ不自然が存在しない。



     この人々が、琉球諸島先住民になり、そして日本列島先住民になり、アイヌ民族、そして「縄文人」と呼ばれて定着するようになるのは、ごく自然な流れであると考える。

     人相学でも、DNAでも、琉球人とアイヌには不可分の共通点が少なくない。

     アイヌ民族は、北から南下した陸の民族ではなく、南から北上した海の民族であった。



     寒冷順化を受けた北の民族は、人相学的に、のっぺりした顔立ちとなり、目は切れ長の一重まぶたで小さくなり、乾燥した耳垢になり、寒気に鼻をもぎとられないよう決して高くはないが気道は長くなる。

     農産物が少ないので、主に狩猟や漁労に依存した食事スタイルとなる。



     アイヌの場合、目は大きく二重まぶたで、鼻が高く、水耳垢が多く、手足も長く、南方系海洋族の身体的特徴を備えている。

     毛深さについては、数千年にわたる寒冷順化から来ているのだろう。足指が長いのも、おそらく凍結路で滑らないための寒冷順化であろう。



     2500年前に、米作農耕を携えて、大量の船に乗って、水郷地帯である上海長江下流域にあった呉という国から、たくさんの人々が戦争に負けて九州に移動、上陸した。

     この人たちの文化は「照葉樹林帯文化」と名付けられていて、今の日本の食文化を本質的に規定する、多くの痕跡を残している。



     まずは大河川の汽水域で育てた米を食べることであり、米の副食としてふさわしい、納豆・味噌・醤油・漬物なども同時に伝えられた。

     また、沿岸部、汽水部の、さまざまな海洋・河川生物の食文化も伝えられた。

     おそらく、この敗戦大移住が「神武降臨」ということであり、これを弥生人文明と称し、これが日本史の始まりということになるのだろうと考えている。



     長い、農耕漁労生活は、独特の文化を生み出した。

     狩猟民族に比べて、暖かい、多様な生態系に依存する人々は、割合と食生活に恵まれて、容易に食料が確保できるなら、関心は、他の分野、例えば、生殖や、テリトリー拡大などに向いてゆく。



     弥生人たちは、本質的に、厳しい生活の掟からも解放され、食料の心配も少なく、ただ戦争からの防衛に注意を向けて、自由な性を謳歌していたと考えられる。

     彼らは、米作農耕適地を求めて、上陸した有明海から、船で瀬戸内に入り、東進して大阪へ、紀州を回って静岡まで勢力を伸ばしている。



     この子孫である、日本列島西日本住民には、鷹揚な性文化があり、歌垣など、恋愛を謳歌する交流を楽しみ、また夫婦の束縛に縛られない「夜這い」など、フリーセックスの習慣があり、戦前まで、西日本では、父親が誰であるのかの特定にこだわらない集落的共同体が普通であった。



     こうした社会に突然、4世紀ころ、大量の朝鮮半島のツングース女真族がやってきた。

     いきさつは、日本書記の弓月氏(秦氏)の項にに記されている。

     要は、3世紀から始まった唐と新羅、連合軍との戦争によって、百済国の人々が敗北して、日本列島に逃げ込んできたのである。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B



     ツングースというのは、膠着語系のツングース語を話す人々で、たくさんの民族に分化しているが、日本に移住してきたのは、高句麗から百済に移動した満州族=女真族であり、ツングースの共通項である、単なる狩猟民族ではなく、騎馬民俗文化とともに、養豚農耕まで行っていた、少し変わったというか、文化的に進んだ人々であった。



     これは弓月氏の伝承によれば、秦の始皇帝の末裔で、いったん弓月国(キルギスタン方面)に移動したが、はるばるモンゴルを東進して、満州(扶余=高句麗)に展開した。

     始皇帝の子孫であることを誇りとし「秦氏」という氏姓を使っていた。

     後に、朝鮮半島を南下し、百済国を成立させたのだが、唐との軋轢が起きて戦争になり、敗北移住したのである。



     朝鮮半島に展開した民族の多くがツングース系であり、高句麗方面では女真族が多く、沿海州方面では、純狩猟漁労民族であるエベンキ族(オロチョンも含む)がいた。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B9%E7%B3%BB%E6%B0%91%E6%97%8F



     なお、現在の韓国民の大半がエベンキの子孫であることがDNAから分かっていて、百済国の女真族との直接の関係は非常に少ないと考えられる。

     北朝鮮には、日本人と同じ女真族の子孫も多いとされている。



    https://kirari-media.net/posts/184



     ツングース系の特徴は、一定の寒冷刺激を受けているので、やはり一重まぶたの切れ長の目で、乾燥耳垢、割合、のっぺりした顔立ちになり、手足が長く、狩猟や騎馬を持っているので、気が強く、戦闘的である。



     なお、朝青龍にそっくりの日大、田中英寿理事長や、今、大問題になっているアマボクシングの山根明会長は、典型的なエベンキ族の特徴を備えている。



      https://trendy15.info/?p=17454



     山根会長の本名は、文甲明で、釜山に兄弟がいると韓国紙が暴露した。





    eve1.jpg













    田中英寿、山根明ともに、明瞭なツングースの特徴を備えていて、朝青龍にもそっくりだ。山根は釜山と書かれているが、おそらく朝鮮戦争時に北から逃げてきたのだろう。



     朝鮮族は、マイナス20度以下の外気のなかで、生き延びてゆくには、命がけの連帯を共有する大家族生活を求められるので、「組の掟」のような束縛も多くなったと思われる。 ちょうど、暴力団の発想と、エベンキ朝鮮族の生活スタイルは、よく似ている。



     日本列島に棲んでいるのは、上の4種類の人々(日本原人はよく分かっていないが)に加えて、渡島や秋田地方に、樺太経由で、オロチョン族が入ってきているのも確実のようだ。

     これは、アイヌのユーカラのなかにオロチョンによるアイヌ襲撃のリアルな情景が描かれているのだが、今はネット上で探せなくなった。



     この問題は、非常に複雑で、本気で書くとなれば膨大な記述になってしまうので、読みにくくもなり、少しずつ小出しに、これからも書いてゆくことにしよう。


     文中、人類全員を埋められる穴の大きさを一辺350mとしましたが、705mであるとの指摘がありました。失礼しました。m(_ _)m





     これは9年前に私が書いたブログ記事だ。



      http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-229.html



     数万個の部品の集積である一台の車の寿命が、たった一つの部品の寿命で定まることを書いたものだ。

     具体的に言えば、大半の車の寿命が定まるのは、例えば、ピストンリング、タイミングベルトやエンジン・シールパッキンなどの部品で、交換すれば、もちろん使えるのだが、エンジンを下ろしたりする手間賃が高く付くので、全体がくたびれてきていると感じたとき、多くは交換せずに、そのまま廃車にしてしまうのである。



     愛着のわいた他の部品が、どれほど健全であっても、たった一つの部品を交換するしかないとき、全体を廃車にするのは心が重いものだ。



     人間だって同じだ。

     鍛え抜いたトライスアロンの現役バリバリの選手が、突如、心筋梗塞を起こして死んでしまう。

     あらゆる肉体部品が、標準よりも桁違いに素晴らしく訓練され、鍛え抜かれて健全なのに、全身のなかで、ただ一カ所、心筋に異常が出ただけで、あっけなく死んでしまうのである。



     「部品の寿命が全体の寿命となる」という不条理が、これほどもの悲しい現実もない。

     人は、全身の隅々までボロボロになるまで生き抜いて、廃屋が朽ち落ちるように死にたいものだ。



     だから、人が死ぬときも、車が廃車になるときも、たくさんの健全な部品が残されていることに口惜しさが生まれ、それらが再利用されることに、一つの救いを見ることもある。



     翻って、社会全体を見渡してみよう。

     人間社会だって、何もかも健全であっても、ただ一つの欠陥によって滅亡してしまうことを知るべきである。



     先に我々は、倉敷市真備町などで、大水害を目撃したが、これは、堤防決壊によるもので、その原因になったのは、河本ダムの放流であった。



     https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180716-00010002-fnnprimev-soci



     何十年もの間、何の不安も抱かずに、ありふれた光景と思い、何の瑕疵もない生活風景と信じ、これが未来永劫続くと思い込んでいたのに、誰も想像さえできない洪水が発生し、突如、生活が完全破壊されてしまう。

     「そんな馬鹿な!」



     という不条理だけが目の前に存在している。

     何もかも健全で、問題などなかったはずなのに、たった一日の大雨で、生活のすべてが破壊されてしまった。

     これは東日本震災の大津波でも、阪神大震災や、中越震災でも同じことが起きていた。

     半世紀以上のも安泰が、未来永劫と信じた安心感も、たったひとときで、根底から破壊される恐怖。



     こうして俯瞰してみれば、人生など、どんな着実な努力を積み重ねていても、たった一つの部品、たった一日の災害で、何もかも失ってしまうものだ。

     津波や洪水が、すべてを奪うのに数分もかからなかった。

     広島の街だって、細工町を中心とした半径数キロメートルの土地は、原爆投下後、数秒で跡形もなく消えた。



     もっと大きな視点でみれば、数万年にわたる人類の営々たる社会もまた、わずかな部品の欠損により、あるいは、たった、ひとときの災厄により、何もかも失ってしまうと思いを至らせるべきなのだ。



     たった一日、数時間、摂氏60度の気温が襲ったなら、該当地域の大半の人々が死滅し、社会は根底から崩壊するだろう。

     これは、ありえない妄想だろうか? そうではない。下手をすれば、今夏でさえ、それを経験させられるかもしれない。

     金儲けのためにボロボロにされた地球環境は、いつでも、どんな反逆だってするだろう。



     トランプや金正恩の思いつきが原因で、ただ一回の高高度核爆発が日本上空で起きたなら、我々は、電気も、ネットも、水道も、食料も、ガソリンも、交通手段も、瞬時にすべてを失うことになる。

     アメリカの試算によれば、EMP爆弾一個で、該当被災地域の9割の人々が二年以内に死滅するそうだ。



     高橋信次は、人類は三億数千万年前に、ベータ星というところで、科学実験の失敗によって星が崩壊し始めたので、やむをえず、地球に向けて空飛ぶ円盤で脱出した子孫だと言っている。

     失敗した実験というのは、どうやらハドロン加速器のようなもので、ブラックホールと核融合の実験をして制御不能になったらしい。



    https://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/10000/



     今、同じことを、欧州ハドロン加速器でやっていて、先日死んだホーキンスが、しつこくブラックホール生成による制御不能事態を警告し続けていたので、再び、同じ失敗を繰り返す可能性もある。

     陽子サイズのマイクロブラックホールの大きさを、数倍超えただけで、取り返しのつかないことになるらしい。



     数万年の歴史があっても、人類社会は、いつでも崩壊を内在させた、実に脆い、危うい社会であることを理解できるだろうか?



     地球上には70億を超える人間が住んでいる。一人平均、50リットルの容積を持つとして、その70億倍は、3500億リットルであり、これが、どの程度の大きさかというと、わずか350立方メートルにすぎない。



     縦横深さ350mの穴を掘れば、人類全員をすっぽり埋めることができる。桐生君が、一辺をたった40秒で駆け抜けることのできる大きさにすぎない。

     かつて、中国には「坑刑」というのがあって、国同士が戦争して決着したとき、負けた側の国民は、全員が穴に放り込まれて生き埋めにされる習慣があった。

     呉越戦争が終結したとき、水郷地帯に暮らした呉国民は坑刑を逃れて大量の船で、朝鮮南岸や、九州に渡って弥生人になったと、私は考えている。



     人類全体を坑刑に処したとき、その穴の一辺は、たったの350mである。

    無限の巨大な集団に見えても、人類は、この程度の存在なのである。

    この危うさを知るならば、人類滅亡という言葉が、はるかに実感をもって迫ってくるはずだ。

     人類は、みんなが思っているよりも、脆く危うく、いつでも消えてしまう儚い存在なのである。

     思い上がるな! 人類よ。 君たちは、自分たちで思い込んでるほど、たいして大きくない。



     むしろ、我々は実にか弱く、手を携えて、助け合って生きてく以外の道はないのだ。

     自分さえ良ければ良いと、金儲けの強欲のために、持続可能な未来を保証する環境を根底から破壊してしまった。

     だから、自然が怒り狂って、今にも人類を焼き尽くそうと太陽熱をかけ、流してしまえと、津波や洪水を発生させ、吹き飛ばしてしまえと巨大台風を発生させる。



    それなのに、自分の強欲が世界の未来を破壊している現実から目を背け、同じような強欲どうしで競争することに夢中になり、負けるのが面白くないから、戦争に進み、「いつでもおまえたちを殺せるぞ!」と恫喝し、ますます強欲利己主義の一本道をひた走る。



     このように、人類は、まるで三歳の幼児程度の知的レベルしかないことを、我々は知っておくべきである。

     だから、この程度の生命体に核の知識を与えても、考えることは人殺し程度であって、未来のために利用できるだけの、心の進化など、とうて及んでいないのである。



     わがまま放題の粗暴な子供たちに、M16とAK47を大量に与えればどうなる? 平和のため、未来のために使うか?

     その場で、殺し合って全滅するのがオチだろう。人類は、その程度の存在であって、この愚かな生物に原子力など決して与えてはならないのだが、残念ながら、現実は、その無知で粗暴な子供たちが、核兵器を開発して、互いに脅し合っているのであって、もう核戦争で、全滅するのが時間の問題だということは、容易に理解できるはずだ。



     何度も書くが、人類を滅亡させるのに、あらゆる部品を壊す必要などまったくない。大切ないくつかの部品を壊せば、簡単に絶滅してしまうと、冒頭から書いてきた。



     人類が生存できる環境など、実に繊細で微妙な条件なのだ。

     良質の水と空気と食料、思いやりの心、未来を大切にする意識の共有、これらの一つでも、条件を低下させれば、簡単に絶滅してしまうのである。



     わずか350mの立方体が人類である。それは、空気と気温と、水と、愛と、本当にわずかな、限られた、狭い条件のなかで生きているにすぎない。

     このことを理解していれば、今の資本主義の強欲が、人類の未来にどう作用するか、誰でも簡単に分かるはずだ。







     







     



     


     文中、人類全員を埋められる穴の大きさを一辺350mとしましたが、705mであるとの指摘がありました。失礼しました。m(_ _)m





     これは9年前に私が書いたブログ記事だ。



      http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-229.html



     数万個の部品の集積である一台の車の寿命が、たった一つの部品の寿命で定まることを書いたものだ。

     具体的に言えば、大半の車の寿命が定まるのは、例えば、ピストンリング、タイミングベルトやエンジン・シールパッキンなどの部品で、交換すれば、もちろん使えるのだが、エンジンを下ろしたりする手間賃が高く付くので、全体がくたびれてきていると感じたとき、多くは交換せずに、そのまま廃車にしてしまうのである。



     愛着のわいた他の部品が、どれほど健全であっても、たった一つの部品を交換するしかないとき、全体を廃車にするのは心が重いものだ。



     人間だって同じだ。

     鍛え抜いたトライスアロンの現役バリバリの選手が、突如、心筋梗塞を起こして死んでしまう。

     あらゆる肉体部品が、標準よりも桁違いに素晴らしく訓練され、鍛え抜かれて健全なのに、全身のなかで、ただ一カ所、心筋に異常が出ただけで、あっけなく死んでしまうのである。



     「部品の寿命が全体の寿命となる」という不条理が、これほどもの悲しい現実もない。

     人は、全身の隅々までボロボロになるまで生き抜いて、廃屋が朽ち落ちるように死にたいものだ。



     だから、人が死ぬときも、車が廃車になるときも、たくさんの健全な部品が残されていることに口惜しさが生まれ、それらが再利用されることに、一つの救いを見ることもある。



     翻って、社会全体を見渡してみよう。

     人間社会だって、何もかも健全であっても、ただ一つの欠陥によって滅亡してしまうことを知るべきである。



     先に我々は、倉敷市真備町などで、大水害を目撃したが、これは、堤防決壊によるもので、その原因になったのは、河本ダムの放流であった。



     https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180716-00010002-fnnprimev-soci



     何十年もの間、何の不安も抱かずに、ありふれた光景と思い、何の瑕疵もない生活風景と信じ、これが未来永劫続くと思い込んでいたのに、誰も想像さえできない洪水が発生し、突如、生活が完全破壊されてしまう。

     「そんな馬鹿な!」



     という不条理だけが目の前に存在している。

     何もかも健全で、問題などなかったはずなのに、たった一日の大雨で、生活のすべてが破壊されてしまった。

     これは東日本震災の大津波でも、阪神大震災や、中越震災でも同じことが起きていた。

     半世紀以上のも安泰が、未来永劫と信じた安心感も、たったひとときで、根底から破壊される恐怖。



     こうして俯瞰してみれば、人生など、どんな着実な努力を積み重ねていても、たった一つの部品、たった一日の災害で、何もかも失ってしまうものだ。

     津波や洪水が、すべてを奪うのに数分もかからなかった。

     広島の街だって、細工町を中心とした半径数キロメートルの土地は、原爆投下後、数秒で跡形もなく消えた。



     もっと大きな視点でみれば、数万年にわたる人類の営々たる社会もまた、わずかな部品の欠損により、あるいは、たった、ひとときの災厄により、何もかも失ってしまうと思いを至らせるべきなのだ。



     たった一日、数時間、摂氏60度の気温が襲ったなら、該当地域の大半の人々が死滅し、社会は根底から崩壊するだろう。

     これは、ありえない妄想だろうか? そうではない。下手をすれば、今夏でさえ、それを経験させられるかもしれない。

     金儲けのためにボロボロにされた地球環境は、いつでも、どんな反逆だってするだろう。



     トランプや金正恩の思いつきが原因で、ただ一回の高高度核爆発が日本上空で起きたなら、我々は、電気も、ネットも、水道も、食料も、ガソリンも、交通手段も、瞬時にすべてを失うことになる。

     アメリカの試算によれば、EMP爆弾一個で、該当被災地域の9割の人々が二年以内に死滅するそうだ。



     高橋信次は、人類は三億数千万年前に、ベータ星というところで、科学実験の失敗によって星が崩壊し始めたので、やむをえず、地球に向けて空飛ぶ円盤で脱出した子孫だと言っている。

     失敗した実験というのは、どうやらハドロン加速器のようなもので、ブラックホールと核融合の実験をして制御不能になったらしい。



    https://plaza.rakuten.co.jp/hhokari/10000/



     今、同じことを、欧州ハドロン加速器でやっていて、先日死んだホーキンスが、しつこくブラックホール生成による制御不能事態を警告し続けていたので、再び、同じ失敗を繰り返す可能性もある。

     陽子サイズのマイクロブラックホールの大きさを、数倍超えただけで、取り返しのつかないことになるらしい。



     数万年の歴史があっても、人類社会は、いつでも崩壊を内在させた、実に脆い、危うい社会であることを理解できるだろうか?



     地球上には70億を超える人間が住んでいる。一人平均、50リットルの容積を持つとして、その70億倍は、3500億リットルであり、これが、どの程度の大きさかというと、わずか350立方メートルにすぎない。



     縦横深さ350mの穴を掘れば、人類全員をすっぽり埋めることができる。桐生君が、一辺をたった40秒で駆け抜けることのできる大きさにすぎない。

     かつて、中国には「坑刑」というのがあって、国同士が戦争して決着したとき、負けた側の国民は、全員が穴に放り込まれて生き埋めにされる習慣があった。

     呉越戦争が終結したとき、水郷地帯に暮らした呉国民は坑刑を逃れて大量の船で、朝鮮南岸や、九州に渡って弥生人になったと、私は考えている。



     人類全体を坑刑に処したとき、その穴の一辺は、たったの350mである。

    無限の巨大な集団に見えても、人類は、この程度の存在なのである。

    この危うさを知るならば、人類滅亡という言葉が、はるかに実感をもって迫ってくるはずだ。

     人類は、みんなが思っているよりも、脆く危うく、いつでも消えてしまう儚い存在なのである。

     思い上がるな! 人類よ。 君たちは、自分たちで思い込んでるほど、たいして大きくない。



     むしろ、我々は実にか弱く、手を携えて、助け合って生きてく以外の道はないのだ。

     自分さえ良ければ良いと、金儲けの強欲のために、持続可能な未来を保証する環境を根底から破壊してしまった。

     だから、自然が怒り狂って、今にも人類を焼き尽くそうと太陽熱をかけ、流してしまえと、津波や洪水を発生させ、吹き飛ばしてしまえと巨大台風を発生させる。



    それなのに、自分の強欲が世界の未来を破壊している現実から目を背け、同じような強欲どうしで競争することに夢中になり、負けるのが面白くないから、戦争に進み、「いつでもおまえたちを殺せるぞ!」と恫喝し、ますます強欲利己主義の一本道をひた走る。



     このように、人類は、まるで三歳の幼児程度の知的レベルしかないことを、我々は知っておくべきである。

     だから、この程度の生命体に核の知識を与えても、考えることは人殺し程度であって、未来のために利用できるだけの、心の進化など、とうて及んでいないのである。



     わがまま放題の粗暴な子供たちに、M16とAK47を大量に与えればどうなる? 平和のため、未来のために使うか?

     その場で、殺し合って全滅するのがオチだろう。人類は、その程度の存在であって、この愚かな生物に原子力など決して与えてはならないのだが、残念ながら、現実は、その無知で粗暴な子供たちが、核兵器を開発して、互いに脅し合っているのであって、もう核戦争で、全滅するのが時間の問題だということは、容易に理解できるはずだ。



     何度も書くが、人類を滅亡させるのに、あらゆる部品を壊す必要などまったくない。大切ないくつかの部品を壊せば、簡単に絶滅してしまうと、冒頭から書いてきた。



     人類が生存できる環境など、実に繊細で微妙な条件なのだ。

     良質の水と空気と食料、思いやりの心、未来を大切にする意識の共有、これらの一つでも、条件を低下させれば、簡単に絶滅してしまうのである。



     わずか350mの立方体が人類である。それは、空気と気温と、水と、愛と、本当にわずかな、限られた、狭い条件のなかで生きているにすぎない。

     このことを理解していれば、今の資本主義の強欲が、人類の未来にどう作用するか、誰でも簡単に分かるはずだ。







     







     



     


     本日、当地は37度、7月下旬には39度もあった。こうなるとクーラーは、あまり役に立たない。扇風機の直接風に晒されていても、サウナの中にいるような気分で、汗が止まらなくなる。



     庭のキュウリもゴーヤも、オクラもピーマンも、すべて葉がしなびてしまっている。昨日、水やりしたばかりだというのに。

     トマトだけは水をやらなくとも割合元気だが。雑草はのびのびと伸びすぎている。

     もの凄い成長で、雨が降った数日後には、草取りを終えたばかりのところでも、元の木阿弥になっている。

     農作物は日照りに弱いな。



     気象庁は、先月、2018年7月の気象が、超異常であったことを発表した。



      7月の気象、記録ずくめ 東日本 平均気温、最高更新/西日本太平洋側 降水量、平年の倍 (毎日新聞)



     https://mainichi.jp/articles/20180802/ddm/041/040/032000c



     この異常気象について、気象庁もNHKも政府機関も、口をそろえて「気球温暖化」と言い張っているのだが、この理屈には、ひどいウソがある。



     そもそも、先進各国が一致した「地球温暖化」の原因である、二酸化炭素増加説は、すでに20年も前に、槌田教授が論破している。



     CO2温暖化脅威説は世紀の暴論

    −寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題−

    1998.12.22 名城大学商学部 槌田 敦



    http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/100/seminar/No72/TCD981222.pdf



     地球温暖化説の学者たちが理由として挙げたのは、「二酸化炭素の増加による温室効果」であるが、槌田氏は、これを真っ赤なウソと決めつけた。



     国連などの環境調査資料から、実は、二酸化炭素の増加によって温暖化が起きるのではなく、温暖化の結果、二酸化炭素が増加するとの真実を明らかにしたのである。



     むしろ、真の原因は、資本の論理だけによって進められた、環境を守る意思のない「森林伐採」にあると指摘している。

     私は、これを見て、本当にその通りだと槌田説に賛辞を送った。



     先進国温暖化研究結果には、化石燃料の無制限の燃焼利用が原因としてきているのだが、地球と森林と人間社会の相関関係を俯瞰すれば、地球環境を破壊して、気象の暴走を招いている最大の要因は、化石燃料ではなく、森林伐採である。

    mori1.jpg







    上の表は、1990年から、わずか5年で、世界の主な森林資源国であるアジア・中南米の森林帯が3%も減っている事実を明らかにしている。



    https://www.youtube.com/watch?v=xPMKBzYXQ9g



    https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=jHz5kMMavas



    mori2.jpg





    このグラフでは、シベリアのタイガ、アマゾン、東アジア熱帯雨林が、商業主義により、どれほど激しく食い荒らされているかを示している。

     実は、炭素を最大に放出しているのも、森林減少による変化なのである。



     このように見れば、槌田教授の指摘こそ、気象暴走の真実を言い当てていた。

     私も、若い頃からの山登りを通じて、自然観察を行う長い経験のなかで、森林伐採や針葉樹独占植樹の弊害を散々見聞してきたから、地球規模で行われている熱帯雨林を中心とした森林伐採が、どれほど地球環境を破壊しているのか、瞬時に合点がいくのである。



     そもそも、地球における大森林帯の役割とは、実は気象緩衝作用であると考えるのは、特異でもなんでもなく、常識的な発想である。

     森林帯は、地球気象のクッションである。暑いときも寒いときも、快適な衣類のように地表を極端な寒暑から保護して、生物にとって大切な揺りかごであった。



     その大切な衣類を、金儲けだけを目的に、剥ぎ取ってしまったならどうなる?

     地表には、極端な寒暖差と、日照や吹雪や砂嵐や、台風、突風、竜巻が襲いかかり、これまで樹林帯によって守られてきた地表の生物たちは、気象暴走の直撃を受けるのである。



     それでは、なぜ、環境研究者たちは、化石燃料と二酸化炭素だけを悪者にしているのか?

     実は、この地球温暖化問題を大規模に拡散した、ある人物と、ある勢力の力が働いているからだ。



     地球温暖化をネタにノーベル賞を授与された人物とは、オクシデンタルペトロリウム経営者のアルゴアである。

     ノーベル賞の競争相手は、ノーベル平和賞の歴史のなかでも、もっともふさわしいと敬愛された、イレーナ・センドラーであったが、ノーベル選考委員会は、ろくでもないデマを飛ばす金儲け目的の企業経営者を選んだ。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC



     アルゴアとは何者か?

     2000年、ブッシュの対立候補として、大統領選に出馬したが敗れたものの、地球温暖化に警鐘を鳴らしたことが理由で、2007年、ノーベル平和賞を授与されたが、彼は受賞後、温暖化を阻止するために、地球規模で原発を大増設し、原子力エネルギー利用に変えることで温暖化を阻止できると説いて回った。



     ところが、原発を推進しまくった彼の本業は、オクシデンタルペトロリウム社のCEOであり、この企業は、世界最大の東欧ウラン鉱を抱えていたのである。

     この会社の創業者は、ゴアの祖父で、アーマンドハマーであり、彼こそはロシア革命の黒幕といわれたユダヤ人大富豪であった。



     このゴアの姿勢によって、彼の真の目的が何であったのか、知られることになった。

     また「もっとも平和賞にふさわしい」と評されたセンドラーを押しのけて授与されたノーベル賞の価値を、未来永劫下落させたともいわれた。

     

     つまり、「地球温暖化説」を主張する学者たちのグループの背後には、国際原子力産業がいて、化石燃料を温暖化の悪者に仕立て上げることによって、原子力産業を有利な位置に押し上げたいという思惑が働いていたのである。



     このため、地球にとって、もっとも大切な環境政策である、「無制限の森林伐採の規制 」という最も大切な観点は、完全に無視され、石油・石炭など化石燃料を、電気に切り替え、ひいては原子力産業を活性化させる目論みにシフトさせられているのである。



     気象の激変を招いているのは無制限の商業的森林伐採であり、石炭や石油の利用拡大は二の次である。

     何はとまれ、熱帯雨林と、ロシア・タイガの無制限の伐採をただちにやめさせ、自然林を復活させなければ、人類の安全な気象環境は成立しなくなるのであり、今年の夏、日本だけでなく、世界中で起きている過去最悪の異様な猛暑もまた、森林伐採の成果なのである。



     もう、「このままでは、人類の生存環境は成立しない」と多くの科学的価値観を持っている人々は認識を共有しているだろう。

     地球は、まさに全土を砂漠化しようとしている。



     グーグルアースで地球を俯瞰してみれば、アフリカからユーラシアにいたる「赤いベルト」が鮮明に目に入る。



     

    mori3.jpg





     地球の砂漠化が、どれほど恐ろしい事態に至っているか一目瞭然の地図であり、やがて砂漠が地球の陸地全土を呑み込み、人類絶滅を約束していることも明らかだ。



     それなのに、世界金融資本は、金儲けだけの論理で、人類滅亡には何の関心も持たず、砂漠化を際限なく進めている。



     実は、こうした砂漠化が進行し始めたのは、実に紀元前数千年前であった。

     紀元前2000年付近では、まだサハラも中東も、中央アジアも、巨大な森林に覆われていたのだ。

     それから、森林と草原における牧畜と畑作が、大規模な森林の後退をもたらしていった。

    http://tocana.jp/2017/03/post_12651_entry.html



     紀元前2000年前後に、エジプト文明とフェニキア文明が、莫大な森林を伐採し、ピラミッド建設などに使う船舶などの建造に利用した。

     ヒッタイトは鉄を発明し、このため、巨大な森林を伐採した。

     地中海の権益を争った神話的世界の無数の戦争物語も、このサハラの大森林があったからこそであり、チグリス・ユーフラテス文明もまた、レバノン杉の皆伐とともに砂漠化し、衰退していった。

     これは、シルクロードにおけるロブノール湖や、ローラン王国の衰退も同じ理由であった。



     わずか2000年ほどで、地球上最大のサハラ大森林が跡形もなく消え失せ、砂漠と化したのである。

     翻って、現代ではどうかといえば、中央アジアの砂漠化は中国の畑作によって進行し、今や北京をも呑み込もうとしている。

     あの広大なアマゾン大森林でさえ、プランテーション産業による環境保護の視野の存在しない金儲け主義によって、もはや風前の灯火といっていいほどまで森林帯の命が追い詰められている。



     カリマンタンやボルネオの大森林は、日本企業によって早くから荒らされ続け、今では、中国企業の、やはり環境を無視した金儲け主義によって、アマゾン同様に風前の灯火である。

     ここには、巨大な森林を伐採すれば、地球環境にどのような障害をもたらすのかという科学的視点は一切なく、また科学者たちは、原子力産業の金づるに固執して、温暖化、気象激変の真の原因を追及せずに、原発推進ばかり掲げている。



     これで人類が滅亡するなといっても、まったく無理な話で、今生きている者たちの目の黒いうちに、地球は究極まで取り返しのつかない砂漠化を起こし、水不足と超激変気象によって滅ぼされると考えるのが、唯一の結論である。


     本日、当地は37度、7月下旬には39度もあった。こうなるとクーラーは、あまり役に立たない。扇風機の直接風に晒されていても、サウナの中にいるような気分で、汗が止まらなくなる。



     庭のキュウリもゴーヤも、オクラもピーマンも、すべて葉がしなびてしまっている。昨日、水やりしたばかりだというのに。

     トマトだけは水をやらなくとも割合元気だが。雑草はのびのびと伸びすぎている。

     もの凄い成長で、雨が降った数日後には、草取りを終えたばかりのところでも、元の木阿弥になっている。

     農作物は日照りに弱いな。



     気象庁は、先月、2018年7月の気象が、超異常であったことを発表した。



      7月の気象、記録ずくめ 東日本 平均気温、最高更新/西日本太平洋側 降水量、平年の倍 (毎日新聞)



     https://mainichi.jp/articles/20180802/ddm/041/040/032000c



     この異常気象について、気象庁もNHKも政府機関も、口をそろえて「気球温暖化」と言い張っているのだが、この理屈には、ひどいウソがある。



     そもそも、先進各国が一致した「地球温暖化」の原因である、二酸化炭素増加説は、すでに20年も前に、槌田教授が論破している。



     CO2温暖化脅威説は世紀の暴論

    −寒冷化と経済行為による森林と農地の喪失こそ大問題−

    1998.12.22 名城大学商学部 槌田 敦



    http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/100/seminar/No72/TCD981222.pdf



     地球温暖化説の学者たちが理由として挙げたのは、「二酸化炭素の増加による温室効果」であるが、槌田氏は、これを真っ赤なウソと決めつけた。



     国連などの環境調査資料から、実は、二酸化炭素の増加によって温暖化が起きるのではなく、温暖化の結果、二酸化炭素が増加するとの真実を明らかにしたのである。



     むしろ、真の原因は、資本の論理だけによって進められた、環境を守る意思のない「森林伐採」にあると指摘している。

     私は、これを見て、本当にその通りだと槌田説に賛辞を送った。



     先進国温暖化研究結果には、化石燃料の無制限の燃焼利用が原因としてきているのだが、地球と森林と人間社会の相関関係を俯瞰すれば、地球環境を破壊して、気象の暴走を招いている最大の要因は、化石燃料ではなく、森林伐採である。

    mori1.jpg







    上の表は、1990年から、わずか5年で、世界の主な森林資源国であるアジア・中南米の森林帯が3%も減っている事実を明らかにしている。



    https://www.youtube.com/watch?v=xPMKBzYXQ9g



    https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=jHz5kMMavas



    mori2.jpg





    このグラフでは、シベリアのタイガ、アマゾン、東アジア熱帯雨林が、商業主義により、どれほど激しく食い荒らされているかを示している。

     実は、炭素を最大に放出しているのも、森林減少による変化なのである。



     このように見れば、槌田教授の指摘こそ、気象暴走の真実を言い当てていた。

     私も、若い頃からの山登りを通じて、自然観察を行う長い経験のなかで、森林伐採や針葉樹独占植樹の弊害を散々見聞してきたから、地球規模で行われている熱帯雨林を中心とした森林伐採が、どれほど地球環境を破壊しているのか、瞬時に合点がいくのである。



     そもそも、地球における大森林帯の役割とは、実は気象緩衝作用であると考えるのは、特異でもなんでもなく、常識的な発想である。

     森林帯は、地球気象のクッションである。暑いときも寒いときも、快適な衣類のように地表を極端な寒暑から保護して、生物にとって大切な揺りかごであった。



     その大切な衣類を、金儲けだけを目的に、剥ぎ取ってしまったならどうなる?

     地表には、極端な寒暖差と、日照や吹雪や砂嵐や、台風、突風、竜巻が襲いかかり、これまで樹林帯によって守られてきた地表の生物たちは、気象暴走の直撃を受けるのである。



     それでは、なぜ、環境研究者たちは、化石燃料と二酸化炭素だけを悪者にしているのか?

     実は、この地球温暖化問題を大規模に拡散した、ある人物と、ある勢力の力が働いているからだ。



     地球温暖化をネタにノーベル賞を授与された人物とは、オクシデンタルペトロリウム経営者のアルゴアである。

     ノーベル賞の競争相手は、ノーベル平和賞の歴史のなかでも、もっともふさわしいと敬愛された、イレーナ・センドラーであったが、ノーベル選考委員会は、ろくでもないデマを飛ばす金儲け目的の企業経営者を選んだ。



    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC



     アルゴアとは何者か?

     2000年、ブッシュの対立候補として、大統領選に出馬したが敗れたものの、地球温暖化に警鐘を鳴らしたことが理由で、2007年、ノーベル平和賞を授与されたが、彼は受賞後、温暖化を阻止するために、地球規模で原発を大増設し、原子力エネルギー利用に変えることで温暖化を阻止できると説いて回った。



     ところが、原発を推進しまくった彼の本業は、オクシデンタルペトロリウム社のCEOであり、この企業は、世界最大の東欧ウラン鉱を抱えていたのである。

     この会社の創業者は、ゴアの祖父で、アーマンドハマーであり、彼こそはロシア革命の黒幕といわれたユダヤ人大富豪であった。



     このゴアの姿勢によって、彼の真の目的が何であったのか、知られることになった。

     また「もっとも平和賞にふさわしい」と評されたセンドラーを押しのけて授与されたノーベル賞の価値を、未来永劫下落させたともいわれた。

     

     つまり、「地球温暖化説」を主張する学者たちのグループの背後には、国際原子力産業がいて、化石燃料を温暖化の悪者に仕立て上げることによって、原子力産業を有利な位置に押し上げたいという思惑が働いていたのである。



     このため、地球にとって、もっとも大切な環境政策である、「無制限の森林伐採の規制 」という最も大切な観点は、完全に無視され、石油・石炭など化石燃料を、電気に切り替え、ひいては原子力産業を活性化させる目論みにシフトさせられているのである。



     気象の激変を招いているのは無制限の商業的森林伐採であり、石炭や石油の利用拡大は二の次である。

     何はとまれ、熱帯雨林と、ロシア・タイガの無制限の伐採をただちにやめさせ、自然林を復活させなければ、人類の安全な気象環境は成立しなくなるのであり、今年の夏、日本だけでなく、世界中で起きている過去最悪の異様な猛暑もまた、森林伐採の成果なのである。



     もう、「このままでは、人類の生存環境は成立しない」と多くの科学的価値観を持っている人々は認識を共有しているだろう。

     地球は、まさに全土を砂漠化しようとしている。



     グーグルアースで地球を俯瞰してみれば、アフリカからユーラシアにいたる「赤いベルト」が鮮明に目に入る。



     

    mori3.jpg





     地球の砂漠化が、どれほど恐ろしい事態に至っているか一目瞭然の地図であり、やがて砂漠が地球の陸地全土を呑み込み、人類絶滅を約束していることも明らかだ。



     それなのに、世界金融資本は、金儲けだけの論理で、人類滅亡には何の関心も持たず、砂漠化を際限なく進めている。



     実は、こうした砂漠化が進行し始めたのは、実に紀元前数千年前であった。

     紀元前2000年付近では、まだサハラも中東も、中央アジアも、巨大な森林に覆われていたのだ。

     それから、森林と草原における牧畜と畑作が、大規模な森林の後退をもたらしていった。

    http://tocana.jp/2017/03/post_12651_entry.html



     紀元前2000年前後に、エジプト文明とフェニキア文明が、莫大な森林を伐採し、ピラミッド建設などに使う船舶などの建造に利用した。

     ヒッタイトは鉄を発明し、このため、巨大な森林を伐採した。

     地中海の権益を争った神話的世界の無数の戦争物語も、このサハラの大森林があったからこそであり、チグリス・ユーフラテス文明もまた、レバノン杉の皆伐とともに砂漠化し、衰退していった。

     これは、シルクロードにおけるロブノール湖や、ローラン王国の衰退も同じ理由であった。



     わずか2000年ほどで、地球上最大のサハラ大森林が跡形もなく消え失せ、砂漠と化したのである。

     翻って、現代ではどうかといえば、中央アジアの砂漠化は中国の畑作によって進行し、今や北京をも呑み込もうとしている。

     あの広大なアマゾン大森林でさえ、プランテーション産業による環境保護の視野の存在しない金儲け主義によって、もはや風前の灯火といっていいほどまで森林帯の命が追い詰められている。



     カリマンタンやボルネオの大森林は、日本企業によって早くから荒らされ続け、今では、中国企業の、やはり環境を無視した金儲け主義によって、アマゾン同様に風前の灯火である。

     ここには、巨大な森林を伐採すれば、地球環境にどのような障害をもたらすのかという科学的視点は一切なく、また科学者たちは、原子力産業の金づるに固執して、温暖化、気象激変の真の原因を追及せずに、原発推進ばかり掲げている。



     これで人類が滅亡するなといっても、まったく無理な話で、今生きている者たちの目の黒いうちに、地球は究極まで取り返しのつかない砂漠化を起こし、水不足と超激変気象によって滅ぼされると考えるのが、唯一の結論である。


     原因不明で頻繁に腸閉塞を起こすようになって、痛みが治まるまで数日間かかるので、その間は、本当に何もできずに、腹を抱えてウンウン唸って寝ているしかない。

     普通は、大建中湯をたくさん飲んで、あまりに痛むときは浣腸してれば自然に治るのだが、だんだん、ひどくなって治りにくくなって困る。

     ひたひたと、あの世が近づいてくる。



     もの凄い前兆が確認されても大きな地震にならないときは、黒点活動が沈滞化しているときで、今年の黒点の沈滞化は過去に例のないほどの異常さで、こんななかにX級フレアをもたらす黒点が出てくると、凄まじい巨大地震を引き起こすトリガーとなると考えている。



    *******************************









     明ちゃんの退位と浩ちゃんの即位というイベントにより、やっと覚えたばかりの「平成」という元号は30年年末を持って消えるということのようだが、この元号の意味について、深く考えていない人は、みんな気づかないうちにファッシズムに呑み込まれ、戦前のように、人生を権力の独裁地獄に委ねることになるのだと私は思う。



     厳密には、2019年4月30日まで「平成」なのだが、過去例では、すべて年度の途中で更新があった場合、新元号の元年で統一されている。

     昭和64年は、1月7日まで昭和のはずだが、平成元年ということにされている。

     1926年は、12月25日まで大正のはずだが、元旦から昭和元年ということにされている。

     これで大正15年5月生まれの母親は、自分が大正生まれなのか、昭和生まれなのか分からないまま92歳を迎えてこの世にしがみついている有様だ。



     元号についていえば、日本の「お上意識」にしがみついた馬鹿役人どもの根底にある正体が、これほど鮮明に見えているものはない。

     政府の、天皇に関係するおかしな制度がたくさんあるなかで、これほど有害無益で困った制度は他にないだろう。



     元号ほど、実用上、困るものはない。世界標準は、西暦であり、AD・BC(アフターデス・ビフォアークライスト)つまりキリストの誕生日を起点にしているという意味では、元号だって似たようなものだと官僚たちは言い張るだろうが、世界は西暦で動いていて、他に有効な年度概念が存在しないのだから、我々が外国語といったとき標準を英語に考えるように、西暦を選択するしかないのである。



     世界で日本だけが元号に固執し続ける理由 東洋経済



    https://toyokeizai.net/articles/-/230509



     大半の人は、西暦と元号を併用させられていながら、それを同時に利用できる人は少ない。数十年前の西暦と和暦を瞬時に照応できる人など、極めて少数だろう。

     時間のスタンダードは、一つで十分であり、二つあれば混乱を招くだけだ。ダブルスタンダードが生み出している社会の混乱は、決して小さくない。



     元号を利用することで、一番困っているのは行政であろう。このダブルスタンダードのおかげで、行政事務は大きな混乱を強いられていて、この取り違えによるミス、損失も決して小さくないはずだ。

     

    http://blogos.com/article/205570/



    https://americagurashi.com/gengou-seireki-kouki/227/



    http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/4655627.html





     なぜ、役人たちは不便極まりない元号を強要しようとするのか?



     もちろん、それは合理性のまったく存在しない、「天皇制」という完全なる虚構の権威を守りたいからという理由しかない。



     天皇制そのものに、海外賓客の接待という機能以外、合理的な根拠が存在しないため、天皇を国家の権威に利用し続けるため、天皇の生死と関連した元号を強制的に使わせることで、国民に天皇を意識させるという理由である。



    (美濃部達吉が「天皇機関説」を天皇の合理性の根拠として提示したが、ファッシストたちは、これも気に入らず美濃部を投獄した)

    http://wakariyasuku.org/tennoukikan



     西暦以外に、実は日本固有の皇紀という時間区分が存在するのだが、藤原不比等ら天智一党が騎馬民族侵略王朝を日本史から隠蔽する目的で、天皇家万世一系説=皇紀を生み出したにだろうと、私は考えている。

     しかし、後醍醐以降、天皇家から武家の世の中になって、どこの馬の骨か分からぬ武家よりも天皇の権威を振りかざすことを求めた権威信奉社会になって、皇紀よりも、個人的な権威である元号がより普及したということだろうか?



     もう一つは、今年は皇紀2678年なのだが、これが皇紀元年、神武即位からの経年ということにされている。

     世界史にあって、この年代に対応する事件があったのは、BC473年の呉越戦争における呉の滅亡年で、200年近い年代差があるが、この当時の日本史年表では、100年など完全に誤差の範囲だったのだから、同一時期である可能性は否定できない。



     つまり、2500年前に、日本史では弥生人文明(遠賀川式文化)が成立したことになっているので、神武は、呉越戦争に敗北した呉が、船で北九州に移住して王朝を確立した人物といえるし、それを裏付ける文献資料として、三世紀の『魏略』『翰苑』に存在する「倭人は太伯の後裔である」との記述が存在している。



     そうすると、藤原不比等らが編纂した皇紀=天皇家万世一系説というものは、朝鮮から移住してきた、自分たち騎馬民族とは異なる民族である弥生人たちこそ、日本の本来の盟主であることを認めてしまう不都合なものになるので、皇紀がますます使いにくくなったのではないだろうか?



     何の合理的な根拠も存在しない「架空」の天皇制



     天皇制のありもしない実体を維持し続けてきたのは、「先例」である。合理的根拠の存在しない制度に権威を付与して、さも実在であるかのように装うためには、世界史のどんな場合でも必ず「先例」が用いられるのである。



     現実に根拠がないのだから、架空の歴史から先例を引っ張り出し、「先人が行った事例をマネする」ことで、その権威を継承するというやり方である。

     天皇家の、これでもかという儀式、作法は、すべて現実の合理的根拠とは無関係に、「先例」によって再現されるだけのもので、根拠がなければ先例を引っ張り出す以外に、人々を納得させる方法がないからであり、このやり方で、さも権威に包まれているような誤解を人々に与えたいだけのものである。



     天皇家万世一系説は、藤原不比等が言い出してから、平泉澄に至るまで、現代では麻生太郎という馬鹿が「Y染色体」まで持ち出して、必死に、男系天皇家系を強権で維持しようとしているわけだが、とりわけ皇室会議の阿呆どもの主張するY染色体なる屁理屈は、学問的に問題にならない痴呆的な詭弁である。



     そもそも、常識的な歴史学の範疇にあっても、天皇家は、たくさん分断が確認されていて、女系天皇もたくさん実在する以上、Y染色体の継続性など何一つ根拠にならない。 中国から「我々は呉の太伯の末裔である」と述べた倭の人々を束ねた最初の人物が神武天皇であるとすれば、神武の正体が呉王夫差の家族であった可能性が小さくない。

     宮崎県の諸塚山には、句呉の太伯が生前に住んでいて、死後に葬られたという伝承がある。



     江上波夫が表した「騎馬民族征服王朝説」によれば、4世紀、日本の文化様式が突如、激しく変化し、騎馬民族の文化が大規模に移入されている。



    http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_05kibaminnzoku_seihukuoutyousetu.html



     このとき、神武の打ち立てた弥生人王朝は、百済から大量に移住した人々によって征服され、ここに騎馬民族王朝が成立したというものであり、当然ながら天皇家は完全に分断されたことになる。



     これは平泉澄らが日本史学にかけてきた呪い=万世一系の洗脳を根底から崩壊させる恐ろしい真実であり、ひいては、天皇家の存在の唯一の根拠である「万世一系の先例」を完全に否定してしまうものであるから、権力迎合の史学界は全力を挙げて、全身全霊で江上波夫を潰しにかかった。



     江上説は、他のいかなる史学説よりも、真実性と無数の証拠によって支えられているにもかかわらず、いまや史学会から葬り去られていて、私のような外野席が怒鳴り散らしているだけという悲惨な有様である。



     だが、真実は、いつまでも隠蔽できるものではない。

     あらゆる証拠が、天皇家、朝鮮渡来説を証明するものであり、ついには明仁氏まで、ご先祖様が高句麗から来たと言い出した。(高野新笠を参照)



     https://www.youtube.com/watch?v=sCZ8xsk8YJI

     (韓国語だが、アップは故飯山一郎、全文が消されてしまったので、やむをえず)



    なお、歴史上、推古・持統・元明・孝謙(称徳)・明正・後桜町ら8名の女性天皇が即位しており、これによって女性には絶対に受け継がれないY染色体の継承など完全に無意味な説明である。皇室会議のアホぶりが、これだけでも十分だ。



     そのほかに、特記しておかなければならない、万世一系説の破綻については、後醍醐のもたらした南北朝両統が、後亀山・後小松で終焉し、足利傀儡王朝に変わったときも、いわゆる「皇統」が断絶している可能性が強いこと。



     そして幕末、孝明天皇が松下村塾生によって殺害され、その息子、祐宮も行方不明になり、明治天皇に奇っ怪な大男が即位したこと。その名を、大室寅之祐といい、長州奇兵隊力士隊に所属していて、西郷や松下村塾関係者によって天皇に送り込まれたことが分かっている。

     このときも、「皇統」は断絶させられている。



     細かい情報では、他にもたくさんの断絶を疑う証拠があるが、歴史的に明瞭なのは4回である。

     つまり、万世一系は、大嘘もいいところで、世界最長政権ともいわれる江戸幕府でさえ、家康の純粋な血統を維持するのは不可能であり、一橋家や御三家など、血統維持のための予備システムを全開にしなければ280年を持ちこたえることなどできなかったのだ。



     元号は合理的根拠の存在しない、無駄無益、百害あって一利もない愚かな権威主義の残渣であって、一秒でも早く、この廃棄を要求すべきである。



    それは、天皇家の権威を、大衆に洗脳する道具としてのみ意味を持つのであって、年号に対するダブルスタンダードの弊害は計り知れない。

     ちょうど、モータリゼーションの爆発過程に路面電車を駆逐したように、年号も不合理で邪魔な存在であると認識し、破棄すべきである。



     皇紀2600年というのも、初期日本史が、極めて杜撰な年号記述を行っていた影響から、事実上、史学にあっては使い物にならない。

     唯一、使い物になるのは西暦しかないのだから、ただちに、西暦に統一し、元号を廃止しなければならない。


     原因不明で頻繁に腸閉塞を起こすようになって、痛みが治まるまで数日間かかるので、その間は、本当に何もできずに、腹を抱えてウンウン唸って寝ているしかない。

     普通は、大建中湯をたくさん飲んで、あまりに痛むときは浣腸してれば自然に治るのだが、だんだん、ひどくなって治りにくくなって困る。

     ひたひたと、あの世が近づいてくる。



     もの凄い前兆が確認されても大きな地震にならないときは、黒点活動が沈滞化しているときで、今年の黒点の沈滞化は過去に例のないほどの異常さで、こんななかにX級フレアをもたらす黒点が出てくると、凄まじい巨大地震を引き起こすトリガーとなると考えている。



    *******************************









     明ちゃんの退位と浩ちゃんの即位というイベントにより、やっと覚えたばかりの「平成」という元号は30年年末を持って消えるということのようだが、この元号の意味について、深く考えていない人は、みんな気づかないうちにファッシズムに呑み込まれ、戦前のように、人生を権力の独裁地獄に委ねることになるのだと私は思う。



     厳密には、2019年4月30日まで「平成」なのだが、過去例では、すべて年度の途中で更新があった場合、新元号の元年で統一されている。

     昭和64年は、1月7日まで昭和のはずだが、平成元年ということにされている。

     1926年は、12月25日まで大正のはずだが、元旦から昭和元年ということにされている。

     これで大正15年5月生まれの母親は、自分が大正生まれなのか、昭和生まれなのか分からないまま92歳を迎えてこの世にしがみついている有様だ。



     元号についていえば、日本の「お上意識」にしがみついた馬鹿役人どもの根底にある正体が、これほど鮮明に見えているものはない。

     政府の、天皇に関係するおかしな制度がたくさんあるなかで、これほど有害無益で困った制度は他にないだろう。



     元号ほど、実用上、困るものはない。世界標準は、西暦であり、AD・BC(アフターデス・ビフォアークライスト)つまりキリストの誕生日を起点にしているという意味では、元号だって似たようなものだと官僚たちは言い張るだろうが、世界は西暦で動いていて、他に有効な年度概念が存在しないのだから、我々が外国語といったとき標準を英語に考えるように、西暦を選択するしかないのである。



     世界で日本だけが元号に固執し続ける理由 東洋経済



    https://toyokeizai.net/articles/-/230509



     大半の人は、西暦と元号を併用させられていながら、それを同時に利用できる人は少ない。数十年前の西暦と和暦を瞬時に照応できる人など、極めて少数だろう。

     時間のスタンダードは、一つで十分であり、二つあれば混乱を招くだけだ。ダブルスタンダードが生み出している社会の混乱は、決して小さくない。



     元号を利用することで、一番困っているのは行政であろう。このダブルスタンダードのおかげで、行政事務は大きな混乱を強いられていて、この取り違えによるミス、損失も決して小さくないはずだ。

     

    http://blogos.com/article/205570/



    https://americagurashi.com/gengou-seireki-kouki/227/



    http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/4655627.html





     なぜ、役人たちは不便極まりない元号を強要しようとするのか?



     もちろん、それは合理性のまったく存在しない、「天皇制」という完全なる虚構の権威を守りたいからという理由しかない。



     天皇制そのものに、海外賓客の接待という機能以外、合理的な根拠が存在しないため、天皇を国家の権威に利用し続けるため、天皇の生死と関連した元号を強制的に使わせることで、国民に天皇を意識させるという理由である。



    (美濃部達吉が「天皇機関説」を天皇の合理性の根拠として提示したが、ファッシストたちは、これも気に入らず美濃部を投獄した)

    http://wakariyasuku.org/tennoukikan



     西暦以外に、実は日本固有の皇紀という時間区分が存在するのだが、藤原不比等ら天智一党が騎馬民族侵略王朝を日本史から隠蔽する目的で、天皇家万世一系説=皇紀を生み出したにだろうと、私は考えている。

     しかし、後醍醐以降、天皇家から武家の世の中になって、どこの馬の骨か分からぬ武家よりも天皇の権威を振りかざすことを求めた権威信奉社会になって、皇紀よりも、個人的な権威である元号がより普及したということだろうか?



     もう一つは、今年は皇紀2678年なのだが、これが皇紀元年、神武即位からの経年ということにされている。

     世界史にあって、この年代に対応する事件があったのは、BC473年の呉越戦争における呉の滅亡年で、200年近い年代差があるが、この当時の日本史年表では、100年など完全に誤差の範囲だったのだから、同一時期である可能性は否定できない。



     つまり、2500年前に、日本史では弥生人文明(遠賀川式文化)が成立したことになっているので、神武は、呉越戦争に敗北した呉が、船で北九州に移住して王朝を確立した人物といえるし、それを裏付ける文献資料として、三世紀の『魏略』『翰苑』に存在する「倭人は太伯の後裔である」との記述が存在している。



     そうすると、藤原不比等らが編纂した皇紀=天皇家万世一系説というものは、朝鮮から移住してきた、自分たち騎馬民族とは異なる民族である弥生人たちこそ、日本の本来の盟主であることを認めてしまう不都合なものになるので、皇紀がますます使いにくくなったのではないだろうか?



     何の合理的な根拠も存在しない「架空」の天皇制



     天皇制のありもしない実体を維持し続けてきたのは、「先例」である。合理的根拠の存在しない制度に権威を付与して、さも実在であるかのように装うためには、世界史のどんな場合でも必ず「先例」が用いられるのである。



     現実に根拠がないのだから、架空の歴史から先例を引っ張り出し、「先人が行った事例をマネする」ことで、その権威を継承するというやり方である。

     天皇家の、これでもかという儀式、作法は、すべて現実の合理的根拠とは無関係に、「先例」によって再現されるだけのもので、根拠がなければ先例を引っ張り出す以外に、人々を納得させる方法がないからであり、このやり方で、さも権威に包まれているような誤解を人々に与えたいだけのものである。



     天皇家万世一系説は、藤原不比等が言い出してから、平泉澄に至るまで、現代では麻生太郎という馬鹿が「Y染色体」まで持ち出して、必死に、男系天皇家系を強権で維持しようとしているわけだが、とりわけ皇室会議の阿呆どもの主張するY染色体なる屁理屈は、学問的に問題にならない痴呆的な詭弁である。



     そもそも、常識的な歴史学の範疇にあっても、天皇家は、たくさん分断が確認されていて、女系天皇もたくさん実在する以上、Y染色体の継続性など何一つ根拠にならない。 中国から「我々は呉の太伯の末裔である」と述べた倭の人々を束ねた最初の人物が神武天皇であるとすれば、神武の正体が呉王夫差の家族であった可能性が小さくない。

     宮崎県の諸塚山には、句呉の太伯が生前に住んでいて、死後に葬られたという伝承がある。



     江上波夫が表した「騎馬民族征服王朝説」によれば、4世紀、日本の文化様式が突如、激しく変化し、騎馬民族の文化が大規模に移入されている。



    http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_05kibaminnzoku_seihukuoutyousetu.html



     このとき、神武の打ち立てた弥生人王朝は、百済から大量に移住した人々によって征服され、ここに騎馬民族王朝が成立したというものであり、当然ながら天皇家は完全に分断されたことになる。



     これは平泉澄らが日本史学にかけてきた呪い=万世一系の洗脳を根底から崩壊させる恐ろしい真実であり、ひいては、天皇家の存在の唯一の根拠である「万世一系の先例」を完全に否定してしまうものであるから、権力迎合の史学界は全力を挙げて、全身全霊で江上波夫を潰しにかかった。



     江上説は、他のいかなる史学説よりも、真実性と無数の証拠によって支えられているにもかかわらず、いまや史学会から葬り去られていて、私のような外野席が怒鳴り散らしているだけという悲惨な有様である。



     だが、真実は、いつまでも隠蔽できるものではない。

     あらゆる証拠が、天皇家、朝鮮渡来説を証明するものであり、ついには明仁氏まで、ご先祖様が高句麗から来たと言い出した。(高野新笠を参照)



     https://www.youtube.com/watch?v=sCZ8xsk8YJI

     (韓国語だが、アップは故飯山一郎、全文が消されてしまったので、やむをえず)



    なお、歴史上、推古・持統・元明・孝謙(称徳)・明正・後桜町ら8名の女性天皇が即位しており、これによって女性には絶対に受け継がれないY染色体の継承など完全に無意味な説明である。皇室会議のアホぶりが、これだけでも十分だ。



     そのほかに、特記しておかなければならない、万世一系説の破綻については、後醍醐のもたらした南北朝両統が、後亀山・後小松で終焉し、足利傀儡王朝に変わったときも、いわゆる「皇統」が断絶している可能性が強いこと。



     そして幕末、孝明天皇が松下村塾生によって殺害され、その息子、祐宮も行方不明になり、明治天皇に奇っ怪な大男が即位したこと。その名を、大室寅之祐といい、長州奇兵隊力士隊に所属していて、西郷や松下村塾関係者によって天皇に送り込まれたことが分かっている。

     このときも、「皇統」は断絶させられている。



     細かい情報では、他にもたくさんの断絶を疑う証拠があるが、歴史的に明瞭なのは4回である。

     つまり、万世一系は、大嘘もいいところで、世界最長政権ともいわれる江戸幕府でさえ、家康の純粋な血統を維持するのは不可能であり、一橋家や御三家など、血統維持のための予備システムを全開にしなければ280年を持ちこたえることなどできなかったのだ。



     元号は合理的根拠の存在しない、無駄無益、百害あって一利もない愚かな権威主義の残渣であって、一秒でも早く、この廃棄を要求すべきである。



    それは、天皇家の権威を、大衆に洗脳する道具としてのみ意味を持つのであって、年号に対するダブルスタンダードの弊害は計り知れない。

     ちょうど、モータリゼーションの爆発過程に路面電車を駆逐したように、年号も不合理で邪魔な存在であると認識し、破棄すべきである。



     皇紀2600年というのも、初期日本史が、極めて杜撰な年号記述を行っていた影響から、事実上、史学にあっては使い物にならない。

     唯一、使い物になるのは西暦しかないのだから、ただちに、西暦に統一し、元号を廃止しなければならない。


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