私がブログを書き始めて、すでに20年くらいは経ているが、初期のブログは、ヤフーに掲載していたせいで、ヤフーがブログサイトを廃止するとともに消されてしまった。
移行引っ越しが、うまくいかなかったのだ。ごく一部だけ、FC2ブログに転載することができたが、100本くらいは消えてしまった。
30年くらい前に書いた登山紀行文を、最近、noteブログに掲載している。
https://note.com/tokaiama/n/n1e9ab7c6a90c
しかし、noteブログは、投稿の全索引がないため、一定数を超えると古いブログを読むことができなくなるので、私の死後でもブログを保存しておきたいという希望がかなえられず、書き込む意欲が消えた。
2008年3月に、以下のFC2ブログへのコンテンツを出してからツイッターで紹介したら、とたんに7万近いフォロワーのいた私のツイッター・アカウントは永久凍結にされてしまい、3年以上経た今でも復活できないでいる。
再掲 原子力発電は事故を起こさなくとも日本人を殺戮している その1 北海道
2018年05月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-340.html
ツイッター社が私を追放した根拠にしたと称するツイートは以下のとおり。これは、五年も前のツイートを、後出しの基準でありながら遡及して処分したひどい言いがかりで、本当の狙いは、原発批判者の排除であることがよくわかる。
ツイッター社のCEOは、安倍政権とズブズブのお友達なのだ。
http://tokaiama.minim.ne.jp/tuitter/akaunntoteisi.html
ブログの「原発通常運転による健康被害告発コンテンツ」は、その1からその6まであるが、普通に検索しても、なかなか出てこない。
私の書いたものが、グーグルから「好ましからざるブログ」として、原則、検索から排除されだしたのは2014年頃からである。もちろん、ヤフーでも同じだ。
「東海アマブログ」と付箋をつけないと、まず検索にかからない。
ちょうど、「マスコミに載らない海外記事」サイトが、グーグルに対し、同じような告発をしている。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-cf0cdf.html
彼らは、自民党のネット監視団の意向に沿って、自民党権力に都合の悪い言論を意図的に排除しているのである。グーグルは、その国の権力に迎合癒着するのが大好きだ。
たぶん中国共産党の露骨な言論統制=弾圧を見て、「右にならえ」という姿勢なのだろう。
大規模なネット情報統制を自民党政権が行い始めたのは、北村滋(国家安全保障局長=日本のCIA長官に相当)が内閣官房に入ったのと時を同じくしている。こうした情報統制を企画し、強力に実現させた張本人黒幕は、北村滋をおいて他にはいない。
ちなみに北村滋は、杉田や中村とともに東大原理研出身である疑いを強く抱いている。
2014年というのは、2011年の東京電力フクイチ放射能大事故のもの凄い情報統制が確立した年である。
この頃、自民党は青年部の反共グループ(統一教会系)を使って、大規模なネット世論介入を始め、反自民・反権力のアカウントに、執拗な嫌がらせを始めたのである。
これは、大規模で個人的な内容の誹謗中傷で、放射能被曝について批判する我々を、身元をこそこそ隠しながら、あらゆる下劣な誹謗攻撃を行い続けた。
私に対しては、デマ屋とか中卒とか、人間性の腐敗した、ひどい個人攻撃が行われた。
あんまり下劣で悪質なので、トラップを仕掛けてIPアドレスを捕捉したら、大半が同じ区域から発信されていた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-65.html
それは自民党本部のある場所だった。たぶん、自民党関係の出版社あたりに下請け攻撃をやらせていたのだろう。これが「自民党青年部ネット工作部隊」の正体だった。
この自民党青年部ネット工作部隊による、私への個人的な誹謗中傷は、ときに大きな効果を上げた。
ネット上での、私のブログの評判は、頗る芳しからないものとなった。「タクシー運転手風情とか、中卒とか」私の主張が、ドシロウトによる無責任なデマであり、まったく信用できないという評価をすり込まれてしまった人が多かった。
ネット上での私のブログ評価を見てみると、これもひどいものだ。
https://bloguide.net/blog/24734/
まったく笑ってしまうが、この種のブログ評価が非常に政治的な立場で行われていることを知っている人なら、「ああ仕方ないな……」と笑い飛ばすしかない。
冒頭に述べた自民党ネット工作部隊の魑魅魍魎が、あらゆる評価書き込みで、徹底的に誹謗中傷を行い続けて私のブログを潰したいのだから当然だ。
まあ、評価が五分の一ばかりであるならば、FC2ブログで、分野別ランキング2位、日アクセス数1万なんか出るはずがないのだが、東海アマが無価値なブログであるとのレッテルを貼りたい気持ちは分からないでもない。
私=東海アマがネット上の一分野で、蛇蝎のような扱いを受けて嫌われていることも、よく知っている。
それは安倍晋三信者団体のメンバーと、皇国日本信奉者会のメンバーからである。
ことあらば、安倍晋三の悪口を書きまくり、皇族は「ただの人」にすぎない、と書き続けているのだから、安倍や天皇に、特別な思い入れのある人たちが面白いはずがない。
私は、皇室が、我々と何一つ違わない「ただの人」にすぎないと繰り返し書いて、天皇制への刷り込みによる憧れや信仰を捨てよと主張してきたのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-589.html
万世一系の天皇家なんて真っ赤なウソを糾弾し、ただの人が、捏造された権威を身にまとって、人々を欺しているだけだと書いてきたわけだから、天皇制の熱烈な支持者から「非国民」として蛇蝎のように嫌悪されるのは、まったく当然のことだ。
もう一つ、私は死刑制度に一貫して反対してきた。私自身は、自分がいつ暴走して死刑相当の犯罪を犯すかわからない粗暴な人間であることを知っているが、国家が天に成り代わって人の命を奪う資格など存在しないと固く信じている。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-828.html
人は人を裁く資格がない。許されるのは、二度と凶悪犯罪を起こさないように、犯人を閉じ込めておくことくらいだろう。
世界の大半の国が死刑制度を廃止している。神の代理人のような顔をして死刑制度を残しているのは、地球上に残された数少ない全体主義国家だけである。
中国・サウジ・イラン・日本・アメリカなどだ。死刑制度を残しているのは、人類の知的レベルから見て、非常に恥ずべきことである。
ところが、日本では、死刑制度の支持者が実に9割もいる。
これは恐ろしいことだ。私が、死刑制度反対を書くたびに、そうした死刑推進派の人々は、私のブログを嫌悪し、拒絶し、見なくなるのだ。
もしかしたら、私が嫌われる最大の原因が、死刑制度反対の姿勢にあるのではないかと感じている。
これなら、私のブログが最低評価であることも当然のことだ。
どうして、みんな、こんなに死刑が好きなのだろう?
確かに、ヤマユリ園で20名近くを虐殺した植松聖や、京都アニメで、34名を焼き殺した青葉真司は残酷で許せない。池田小事件の宅間守は、もっと許せない。
殺してやりたい!
でも、絞首刑は、もっと残酷なんだ。
これを国の看板で「天に代わって」死刑を実行するのは、天使でもなければ地獄の番人でもない。看守というただの人にすぎない。
首に縄を巻いて、二階から落とし、首の骨を折って、目玉を飛び出させ、糞尿をまき散らせる絞首刑は、どうしてもやりたければ、安倍晋三が直接やるべきだろう。
人間が人間性を見失わない範囲で、法の執行を行うとすれば、せいぜい死ぬまで牢獄に閉じ込めておく程度だろう。殺せば解決するというものではない。
その処刑殺人を日本人の9割が「さまーみろ」とか言いながら支持しているのだから、これは民族のカルマを大きく増やすだけであり、いずれカルマを返す日がやってくる。
この死刑制度に繰り返し反対意見を書いている私は、世間の嫌われ者である。9割の日本人が圧倒的に支持している死刑制度に反対し続けているのだから。
まあ、ブログ評価で星が一つしかもらえないのも当然だろう。
だが、心霊的視点(スピリチュアリズム)から言えば、他人に対して苛酷を求めれば、自分に苛酷が還ってくる。これを因果応報の法則という。
現世で還ってこなくとも、来生で還ってくる。自分の人生での行いは、100%必ず自分に還ってくる。これは釈迦が繰り返し諭してきた真理だ。
私など、今生きているうちに、子供の頃からの悪行が、すべて還ってきて、毎日苦しんでいるのだ。
「対象的世界は、自分の心が作り出す茶番劇である」
人生は客体的に流されてゆくものだと思っているのは、とんでもない間違いだ。実は、人生は、すべて自分の心がカルマに応じて作り出しているのだ。
自分の過去生の総決算が現在の自分の人生である。
こんなことを思ったのは、今から40年以上も前だったが、当時、こんなことを口にすれば、たちまち、周囲から精神病院に送られそうだった。
客体的実存がリアリティを持って存在していて、自分はその中の一つの駒にすぎず、流されてゆく現実があるだけだと99%の人々が確信しているだろう。
その流れのなかで、どれだけ泳げるかが人生の価値だと信じている人も多い。
こんなことを語り始めれば、もの凄い長いブログになってしまうので、ここいらで切り上げるが、我々の人生のリアリティは、決して本物ではない。自分の心の持ち方次第で、対象的世界は、次々に変化してゆく。
自分の心が正しければ、対象世界も正しくなる。
このことに気づいた人のことを「ポジティブ人種」という。自分の心と、対象的世界は無関係であると信じる人のことを「ネガティブ人種」という。
両者は、永遠に交わることなく、それぞれ「カラスの勝手でしょ」世界を歩いてゆくと、ある予言者が語った。
私を嫌っている人々と、私は、もはや永遠に交わらず邂逅することもない。
死刑制度を熱烈に支持する人々が、その残酷な精神を恥じることもない。彼らには、他人に残酷を与えるというカルマが生成され、やがて、それと向き合う日々がやってくるに違いない。
移行引っ越しが、うまくいかなかったのだ。ごく一部だけ、FC2ブログに転載することができたが、100本くらいは消えてしまった。
30年くらい前に書いた登山紀行文を、最近、noteブログに掲載している。
https://note.com/tokaiama/n/n1e9ab7c6a90c
しかし、noteブログは、投稿の全索引がないため、一定数を超えると古いブログを読むことができなくなるので、私の死後でもブログを保存しておきたいという希望がかなえられず、書き込む意欲が消えた。
2008年3月に、以下のFC2ブログへのコンテンツを出してからツイッターで紹介したら、とたんに7万近いフォロワーのいた私のツイッター・アカウントは永久凍結にされてしまい、3年以上経た今でも復活できないでいる。
再掲 原子力発電は事故を起こさなくとも日本人を殺戮している その1 北海道
2018年05月09日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-340.html
ツイッター社が私を追放した根拠にしたと称するツイートは以下のとおり。これは、五年も前のツイートを、後出しの基準でありながら遡及して処分したひどい言いがかりで、本当の狙いは、原発批判者の排除であることがよくわかる。
ツイッター社のCEOは、安倍政権とズブズブのお友達なのだ。
http://tokaiama.minim.ne.jp/tuitter/akaunntoteisi.html
ブログの「原発通常運転による健康被害告発コンテンツ」は、その1からその6まであるが、普通に検索しても、なかなか出てこない。
私の書いたものが、グーグルから「好ましからざるブログ」として、原則、検索から排除されだしたのは2014年頃からである。もちろん、ヤフーでも同じだ。
「東海アマブログ」と付箋をつけないと、まず検索にかからない。
ちょうど、「マスコミに載らない海外記事」サイトが、グーグルに対し、同じような告発をしている。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-cf0cdf.html
彼らは、自民党のネット監視団の意向に沿って、自民党権力に都合の悪い言論を意図的に排除しているのである。グーグルは、その国の権力に迎合癒着するのが大好きだ。
たぶん中国共産党の露骨な言論統制=弾圧を見て、「右にならえ」という姿勢なのだろう。
大規模なネット情報統制を自民党政権が行い始めたのは、北村滋(国家安全保障局長=日本のCIA長官に相当)が内閣官房に入ったのと時を同じくしている。こうした情報統制を企画し、強力に実現させた張本人黒幕は、北村滋をおいて他にはいない。
ちなみに北村滋は、杉田や中村とともに東大原理研出身である疑いを強く抱いている。
2014年というのは、2011年の東京電力フクイチ放射能大事故のもの凄い情報統制が確立した年である。
この頃、自民党は青年部の反共グループ(統一教会系)を使って、大規模なネット世論介入を始め、反自民・反権力のアカウントに、執拗な嫌がらせを始めたのである。
これは、大規模で個人的な内容の誹謗中傷で、放射能被曝について批判する我々を、身元をこそこそ隠しながら、あらゆる下劣な誹謗攻撃を行い続けた。
私に対しては、デマ屋とか中卒とか、人間性の腐敗した、ひどい個人攻撃が行われた。
あんまり下劣で悪質なので、トラップを仕掛けてIPアドレスを捕捉したら、大半が同じ区域から発信されていた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-65.html
それは自民党本部のある場所だった。たぶん、自民党関係の出版社あたりに下請け攻撃をやらせていたのだろう。これが「自民党青年部ネット工作部隊」の正体だった。
この自民党青年部ネット工作部隊による、私への個人的な誹謗中傷は、ときに大きな効果を上げた。
ネット上での、私のブログの評判は、頗る芳しからないものとなった。「タクシー運転手風情とか、中卒とか」私の主張が、ドシロウトによる無責任なデマであり、まったく信用できないという評価をすり込まれてしまった人が多かった。
ネット上での私のブログ評価を見てみると、これもひどいものだ。
https://bloguide.net/blog/24734/
まったく笑ってしまうが、この種のブログ評価が非常に政治的な立場で行われていることを知っている人なら、「ああ仕方ないな……」と笑い飛ばすしかない。
冒頭に述べた自民党ネット工作部隊の魑魅魍魎が、あらゆる評価書き込みで、徹底的に誹謗中傷を行い続けて私のブログを潰したいのだから当然だ。
まあ、評価が五分の一ばかりであるならば、FC2ブログで、分野別ランキング2位、日アクセス数1万なんか出るはずがないのだが、東海アマが無価値なブログであるとのレッテルを貼りたい気持ちは分からないでもない。
私=東海アマがネット上の一分野で、蛇蝎のような扱いを受けて嫌われていることも、よく知っている。
それは安倍晋三信者団体のメンバーと、皇国日本信奉者会のメンバーからである。
ことあらば、安倍晋三の悪口を書きまくり、皇族は「ただの人」にすぎない、と書き続けているのだから、安倍や天皇に、特別な思い入れのある人たちが面白いはずがない。
私は、皇室が、我々と何一つ違わない「ただの人」にすぎないと繰り返し書いて、天皇制への刷り込みによる憧れや信仰を捨てよと主張してきたのだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-589.html
万世一系の天皇家なんて真っ赤なウソを糾弾し、ただの人が、捏造された権威を身にまとって、人々を欺しているだけだと書いてきたわけだから、天皇制の熱烈な支持者から「非国民」として蛇蝎のように嫌悪されるのは、まったく当然のことだ。
もう一つ、私は死刑制度に一貫して反対してきた。私自身は、自分がいつ暴走して死刑相当の犯罪を犯すかわからない粗暴な人間であることを知っているが、国家が天に成り代わって人の命を奪う資格など存在しないと固く信じている。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-828.html
人は人を裁く資格がない。許されるのは、二度と凶悪犯罪を起こさないように、犯人を閉じ込めておくことくらいだろう。
世界の大半の国が死刑制度を廃止している。神の代理人のような顔をして死刑制度を残しているのは、地球上に残された数少ない全体主義国家だけである。
中国・サウジ・イラン・日本・アメリカなどだ。死刑制度を残しているのは、人類の知的レベルから見て、非常に恥ずべきことである。
ところが、日本では、死刑制度の支持者が実に9割もいる。
これは恐ろしいことだ。私が、死刑制度反対を書くたびに、そうした死刑推進派の人々は、私のブログを嫌悪し、拒絶し、見なくなるのだ。
もしかしたら、私が嫌われる最大の原因が、死刑制度反対の姿勢にあるのではないかと感じている。
これなら、私のブログが最低評価であることも当然のことだ。
どうして、みんな、こんなに死刑が好きなのだろう?
確かに、ヤマユリ園で20名近くを虐殺した植松聖や、京都アニメで、34名を焼き殺した青葉真司は残酷で許せない。池田小事件の宅間守は、もっと許せない。
殺してやりたい!
でも、絞首刑は、もっと残酷なんだ。
これを国の看板で「天に代わって」死刑を実行するのは、天使でもなければ地獄の番人でもない。看守というただの人にすぎない。
首に縄を巻いて、二階から落とし、首の骨を折って、目玉を飛び出させ、糞尿をまき散らせる絞首刑は、どうしてもやりたければ、安倍晋三が直接やるべきだろう。
人間が人間性を見失わない範囲で、法の執行を行うとすれば、せいぜい死ぬまで牢獄に閉じ込めておく程度だろう。殺せば解決するというものではない。
その処刑殺人を日本人の9割が「さまーみろ」とか言いながら支持しているのだから、これは民族のカルマを大きく増やすだけであり、いずれカルマを返す日がやってくる。
この死刑制度に繰り返し反対意見を書いている私は、世間の嫌われ者である。9割の日本人が圧倒的に支持している死刑制度に反対し続けているのだから。
まあ、ブログ評価で星が一つしかもらえないのも当然だろう。
だが、心霊的視点(スピリチュアリズム)から言えば、他人に対して苛酷を求めれば、自分に苛酷が還ってくる。これを因果応報の法則という。
現世で還ってこなくとも、来生で還ってくる。自分の人生での行いは、100%必ず自分に還ってくる。これは釈迦が繰り返し諭してきた真理だ。
私など、今生きているうちに、子供の頃からの悪行が、すべて還ってきて、毎日苦しんでいるのだ。
「対象的世界は、自分の心が作り出す茶番劇である」
人生は客体的に流されてゆくものだと思っているのは、とんでもない間違いだ。実は、人生は、すべて自分の心がカルマに応じて作り出しているのだ。
自分の過去生の総決算が現在の自分の人生である。
こんなことを思ったのは、今から40年以上も前だったが、当時、こんなことを口にすれば、たちまち、周囲から精神病院に送られそうだった。
客体的実存がリアリティを持って存在していて、自分はその中の一つの駒にすぎず、流されてゆく現実があるだけだと99%の人々が確信しているだろう。
その流れのなかで、どれだけ泳げるかが人生の価値だと信じている人も多い。
こんなことを語り始めれば、もの凄い長いブログになってしまうので、ここいらで切り上げるが、我々の人生のリアリティは、決して本物ではない。自分の心の持ち方次第で、対象的世界は、次々に変化してゆく。
自分の心が正しければ、対象世界も正しくなる。
このことに気づいた人のことを「ポジティブ人種」という。自分の心と、対象的世界は無関係であると信じる人のことを「ネガティブ人種」という。
両者は、永遠に交わることなく、それぞれ「カラスの勝手でしょ」世界を歩いてゆくと、ある予言者が語った。
私を嫌っている人々と、私は、もはや永遠に交わらず邂逅することもない。
死刑制度を熱烈に支持する人々が、その残酷な精神を恥じることもない。彼らには、他人に残酷を与えるというカルマが生成され、やがて、それと向き合う日々がやってくるに違いない。