以下は三菱UFJ信託の認知症報告
認知症の現状と将来推計
https://www.tr.mufg.jp/shisan/mamori/dementia/02.html
WHOの報告書によれば、世界の認知症有病数は現在、およそ3,560万人。そして、2030年までに2倍の6,570万人、2050年までに3倍の1億1,540万に増えると予測されている。
日本では、実際にどのくらいの人が認知症を発症していて、将来はどの程度の人が認知症を発症すると予想されているかを表したのが下のグラフ。

65歳以上の高齢者のうち認知症を発症している人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上ることが厚生労働省研究班の調査で明らかになっている。
2025年には730万人へ増加し、65歳以上の5人に1人が認知症を発症すると推計される。
高齢になるにつれ、認知症の割合は増加するとも予想されている。85歳以上では、55%以上の方が認知症になるともいわれ、今は大丈夫であっても、将来は適切な判断ができなくなる。
***********************************************************************
引用以上
日本人の認知症は、2025年、4年後に、1.3億人中、730万人になるということは、人口の約6%だが、認知症には「予備軍」というべき、正常者と異なる階層があるので、実際には20%前後が、軽度〜重度の認知症を発症する可能性がある。
これを書いている私も、もしかしたら予備軍ではないかと深刻に思えるほど、物忘れがひどくなっている。
まあ、5人に一人が正常な知能を失うと思って間違いなさそうだ。80才を過ぎたら悲惨だ。6割近い人が認知症のカテゴリーに入り、ちょっと呆けてる人も含めれば、おそらく大半の人々が知的能力に問題を生じ、結果、詐欺の被害に遭いやすくなる。
私の子供時代、今から60年ほど前には、これほどの認知症はいなかった。老人たちは、今よりもはるかにしっかりし、知的能力も高かったのだ。
忍び寄る「総認知症社会」の恐怖 2021年04月30日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1479.html
死より怖い認知症 2021年06月26日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1536.html
医学界は、認知症の激増について、タウ蛋白とか、アミロイドβとか、アルミニウムイオンとか、原因を物質的問題として捉えるのが好きだが、私にいわせればピント外れもいいところだ。
昔、精神病の原因を物質的、器質的問題に帰結させようとした東大医学部教授、臺弘という人物がいて、脳にメスを入れれば器質的に解決できると思い込んで、数百名の人々を廃人化させた挙げ句、死なせた。
日本の医学界は、臺浩もそうだが、731部隊出身者の影響が多くて、人間に対する優しさ、同情や連帯感が乏しく、医師の特権にあぐらをかいた優越感に煽られて問題を物質的・器質的に解決する方法論が主流を占めている。
だから、認知症問題も、精神病問題と同じで、物質的な解決法しか頭に浮かばない。
だが、それは完全に問題の本質を見誤っている。人間の自然な摂理、ホメオステーシスへの理解が倒錯しているとしか思えない。
最近、認知症を治療する薬が発表されたが、1クールが600万円もかかると報道されている。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000103.000067873.html
そりゃ、それくらいカネをかければ、タウ蛋白やアミロイドβを脳内から消す薬を作れるかもしれないが、昔、心身ともに健全だった老人は、そんな薬を使わなくとも、毎日の労働や入浴、深い睡眠といった日常生活の習慣によって脳内の認知症誘発物質を消し去っていた。
https://wired.jp/2020/01/14/scientists-now-know-how-sleep-cleans-toxins-from-the-brain/
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/life/133.html
そもそも、薬によって認知症を治療するというのは、精神病治療と同じで、明らかに本末転倒であり、人間の自然な摂理、自然治癒に対する理解力が不足している。
別の言い方をすれば、ドイツ医学がもたらした唯物論的物質主義の悪弊を引きずっている。
認知症原因物質が脳内に溜まる理由は、脳の血流、全身の体液循環が悪いからだ。体のホメオステーシスが正常に機能していないせいだ。
だから、脳内の血流を上げることこそ、認知症対策の要であるはずだ。全身の体液の循環を活発にすれば、脳血流も増大するので、一日のうち1時間くらいは、激しく体液が循環するような運動を行えば、認知症リスクも劇的に下がるはずだ。
最近、「歩く」という素朴な行為こそが人間の健康の基本であるといわれるようになっている。
https://www.gakken.jp/manpo/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%A8%E4%B8%80%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%AD%A9%E6%95%B0/%E2%91%A2%E6%AD%A9%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E8%89%AF%E3%81%84/
理由は、人間が立つ動物であるため、血液が重力によって下腿に溜まる傾向がある。これを循環させるのに、ふくらはぎの運動が必要になり、歩くことで、「第二の心臓」といわれるふくらはぎを活発に使う結果、停滞血液を心臓に押し戻す静脈の活動も活性化する。
以前は、一日1万歩が推奨されたが、現在では7000歩で十分といわれる。ただし、その3割は、やや負荷の高い歩き方をする。例えば坂道を上がる、重いモノを持つ、など心臓の負荷を高める時間を作ることが重要といわれる。
私も、それを実践しているのだが、慣れてくると、坂道を上がりながら激しく呼吸しないと、体の調子が悪化するような気がする。
私の場合は、歩かないと息切れを起こして苦しくなってしまう。
私は、元々腎臓が悪くて、蛋白質を過剰にとると尿量が減って、頭痛や下痢が出たりした。しかし、5年くらい、ほぼ毎日歩いて激しく呼吸し、全身の体液を循環させることで、腎臓の機能が正常に戻り、尿量も普通になり、肉や魚も食べられるようになった。
だから「歩くことは命の母」という言葉が身に染みている。
結論をいえば、認知症が激増した本当の理由は、「歩かなくなり、体液循環が減少し、脳内の認知症誘発物質の蓄積が多くなった」せいだ。
毎日、7000歩歩いていれば、600万円の認知症薬は必要ない。
なぜ、歩かなくなったかといえば、それは社会が便利になりすぎたせいだ。
具体的には、車とコンピュータIT社会がもたらした弊害なのだ。これを排除してしまえなどとはいわないが、少なくとも、体液の健全な循環を保証できる生活を確保する必要がある。
ときにはコンピュータを捨てて、手計算や手書き文章を作ってみる必要がある。
脳と肉体の健全性を失うような「便利さ」は、人間社会に百害あって一利もない。
自民党政権=日本政府は、現在、竹中平蔵の号令の下で、「スマートシティ=スーパーシティ」への「グレートリセット」を行うと表明している。
これが、どんなものかというと、100%の電化社会である。淡路島に造られたスーパーシティには、リニア新幹線が乗り入れ、生活のあらゆる要素がIT・AI化されることになる。
街中には、無数の監視カメラがセットされ、誰が、いつ、どこで、何をしたかという情報がすべて記録され、管理される。
こんなグレートリセットの行き着く先は、総認知症社会以外ありえない。人々は、社会的便利さの押しつけによって、本来自然に持っている人間としての基本能力がすべて退化させられてゆくのだ。
逆に、我々が健全な肉体と能力、脳を取り戻そうとするなら、グレートリセットの逆をいけばいい。
何よりも歩く、運動して汗をかく、豊かな自然を森林浴によって楽しみ、全身の筋肉を喜ばせる。
私が提唱しているのは、例えば、名古屋港から御嶽山まで、安全に走行できる自転車道を整備し、20Kmに一カ所、オアシスを置き、食事、温泉、宿泊を楽しめるようにする。そこに長距離サイクリングの新しい文化が生まれる。
人々は汗をかき、筋肉を喜ばせながら、認知症のない社会を作り出すのだ。
認知症の現状と将来推計
https://www.tr.mufg.jp/shisan/mamori/dementia/02.html
WHOの報告書によれば、世界の認知症有病数は現在、およそ3,560万人。そして、2030年までに2倍の6,570万人、2050年までに3倍の1億1,540万に増えると予測されている。
日本では、実際にどのくらいの人が認知症を発症していて、将来はどの程度の人が認知症を発症すると予想されているかを表したのが下のグラフ。

65歳以上の高齢者のうち認知症を発症している人は推計15%で、2012年時点で約462万人に上ることが厚生労働省研究班の調査で明らかになっている。
2025年には730万人へ増加し、65歳以上の5人に1人が認知症を発症すると推計される。
高齢になるにつれ、認知症の割合は増加するとも予想されている。85歳以上では、55%以上の方が認知症になるともいわれ、今は大丈夫であっても、将来は適切な判断ができなくなる。
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引用以上
日本人の認知症は、2025年、4年後に、1.3億人中、730万人になるということは、人口の約6%だが、認知症には「予備軍」というべき、正常者と異なる階層があるので、実際には20%前後が、軽度〜重度の認知症を発症する可能性がある。
これを書いている私も、もしかしたら予備軍ではないかと深刻に思えるほど、物忘れがひどくなっている。
まあ、5人に一人が正常な知能を失うと思って間違いなさそうだ。80才を過ぎたら悲惨だ。6割近い人が認知症のカテゴリーに入り、ちょっと呆けてる人も含めれば、おそらく大半の人々が知的能力に問題を生じ、結果、詐欺の被害に遭いやすくなる。
私の子供時代、今から60年ほど前には、これほどの認知症はいなかった。老人たちは、今よりもはるかにしっかりし、知的能力も高かったのだ。
忍び寄る「総認知症社会」の恐怖 2021年04月30日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1479.html
死より怖い認知症 2021年06月26日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1536.html
医学界は、認知症の激増について、タウ蛋白とか、アミロイドβとか、アルミニウムイオンとか、原因を物質的問題として捉えるのが好きだが、私にいわせればピント外れもいいところだ。
昔、精神病の原因を物質的、器質的問題に帰結させようとした東大医学部教授、臺弘という人物がいて、脳にメスを入れれば器質的に解決できると思い込んで、数百名の人々を廃人化させた挙げ句、死なせた。
日本の医学界は、臺浩もそうだが、731部隊出身者の影響が多くて、人間に対する優しさ、同情や連帯感が乏しく、医師の特権にあぐらをかいた優越感に煽られて問題を物質的・器質的に解決する方法論が主流を占めている。
だから、認知症問題も、精神病問題と同じで、物質的な解決法しか頭に浮かばない。
だが、それは完全に問題の本質を見誤っている。人間の自然な摂理、ホメオステーシスへの理解が倒錯しているとしか思えない。
最近、認知症を治療する薬が発表されたが、1クールが600万円もかかると報道されている。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000103.000067873.html
そりゃ、それくらいカネをかければ、タウ蛋白やアミロイドβを脳内から消す薬を作れるかもしれないが、昔、心身ともに健全だった老人は、そんな薬を使わなくとも、毎日の労働や入浴、深い睡眠といった日常生活の習慣によって脳内の認知症誘発物質を消し去っていた。
https://wired.jp/2020/01/14/scientists-now-know-how-sleep-cleans-toxins-from-the-brain/
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/life/133.html
そもそも、薬によって認知症を治療するというのは、精神病治療と同じで、明らかに本末転倒であり、人間の自然な摂理、自然治癒に対する理解力が不足している。
別の言い方をすれば、ドイツ医学がもたらした唯物論的物質主義の悪弊を引きずっている。
認知症原因物質が脳内に溜まる理由は、脳の血流、全身の体液循環が悪いからだ。体のホメオステーシスが正常に機能していないせいだ。
だから、脳内の血流を上げることこそ、認知症対策の要であるはずだ。全身の体液の循環を活発にすれば、脳血流も増大するので、一日のうち1時間くらいは、激しく体液が循環するような運動を行えば、認知症リスクも劇的に下がるはずだ。
最近、「歩く」という素朴な行為こそが人間の健康の基本であるといわれるようになっている。
https://www.gakken.jp/manpo/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%A8%E4%B8%80%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%AD%A9%E6%95%B0/%E2%91%A2%E6%AD%A9%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AB%E8%89%AF%E3%81%84/
理由は、人間が立つ動物であるため、血液が重力によって下腿に溜まる傾向がある。これを循環させるのに、ふくらはぎの運動が必要になり、歩くことで、「第二の心臓」といわれるふくらはぎを活発に使う結果、停滞血液を心臓に押し戻す静脈の活動も活性化する。
以前は、一日1万歩が推奨されたが、現在では7000歩で十分といわれる。ただし、その3割は、やや負荷の高い歩き方をする。例えば坂道を上がる、重いモノを持つ、など心臓の負荷を高める時間を作ることが重要といわれる。
私も、それを実践しているのだが、慣れてくると、坂道を上がりながら激しく呼吸しないと、体の調子が悪化するような気がする。
私の場合は、歩かないと息切れを起こして苦しくなってしまう。
私は、元々腎臓が悪くて、蛋白質を過剰にとると尿量が減って、頭痛や下痢が出たりした。しかし、5年くらい、ほぼ毎日歩いて激しく呼吸し、全身の体液を循環させることで、腎臓の機能が正常に戻り、尿量も普通になり、肉や魚も食べられるようになった。
だから「歩くことは命の母」という言葉が身に染みている。
結論をいえば、認知症が激増した本当の理由は、「歩かなくなり、体液循環が減少し、脳内の認知症誘発物質の蓄積が多くなった」せいだ。
毎日、7000歩歩いていれば、600万円の認知症薬は必要ない。
なぜ、歩かなくなったかといえば、それは社会が便利になりすぎたせいだ。
具体的には、車とコンピュータIT社会がもたらした弊害なのだ。これを排除してしまえなどとはいわないが、少なくとも、体液の健全な循環を保証できる生活を確保する必要がある。
ときにはコンピュータを捨てて、手計算や手書き文章を作ってみる必要がある。
脳と肉体の健全性を失うような「便利さ」は、人間社会に百害あって一利もない。
自民党政権=日本政府は、現在、竹中平蔵の号令の下で、「スマートシティ=スーパーシティ」への「グレートリセット」を行うと表明している。
これが、どんなものかというと、100%の電化社会である。淡路島に造られたスーパーシティには、リニア新幹線が乗り入れ、生活のあらゆる要素がIT・AI化されることになる。
街中には、無数の監視カメラがセットされ、誰が、いつ、どこで、何をしたかという情報がすべて記録され、管理される。
こんなグレートリセットの行き着く先は、総認知症社会以外ありえない。人々は、社会的便利さの押しつけによって、本来自然に持っている人間としての基本能力がすべて退化させられてゆくのだ。
逆に、我々が健全な肉体と能力、脳を取り戻そうとするなら、グレートリセットの逆をいけばいい。
何よりも歩く、運動して汗をかく、豊かな自然を森林浴によって楽しみ、全身の筋肉を喜ばせる。
私が提唱しているのは、例えば、名古屋港から御嶽山まで、安全に走行できる自転車道を整備し、20Kmに一カ所、オアシスを置き、食事、温泉、宿泊を楽しめるようにする。そこに長距離サイクリングの新しい文化が生まれる。
人々は汗をかき、筋肉を喜ばせながら、認知症のない社会を作り出すのだ。
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