世の中が大きく動くときには、必ず、先験的に未来を示す指標が現れる。
近年でいえば、1980年代バブル崩壊が、その後の40年にわたる日本経済の停滞と自滅を示唆する現象だった。
日本経済倒壊を示す前兆は、今になって思えば97年の山一証券倒産ではなかっただろうか?
それから小泉純一郎=竹中平蔵政権が現れて、「日本を金融(バクチ)国家に変える」と宣言し、「良いものを作って、人々の未来に奉仕する」という、三井高利が示した「三方良し」の思想、「持続可能な未来」を保証する生産者・商人・消費者の日本的公序良俗習慣を根底から破壊しはじめた。
竹中がアメリカから持ち込んだ「新自由主義」は、(他人を蹴落としての)「金儲けこそ人生最大の価値」という利己主義の思想だった。
https://www.mitsuipr.com/history/columns/003/
全共闘運動、三里塚闘争は、人間性復権運動の前兆だった。あの戦いによって、我々日本人は、「人権は戦って獲得する」ものであることを思い知った。例え運動が潰されても、人々の心に自由や人権のビジョンを点し続けたのだ。
電化革命「三種の神器」は、現代日本の繁栄の前兆だった。世界は日本製品を手本にして、大きな生活革命を開始した。それは今も続いている。
ミッチーブームと東京五輪も、新しい日本の繁栄の大きな前兆だった。それまで社会にくすぶっていた全体主義の残渣が、大きく取り払われていった。
日本が、世界の暗雲のなかに翻弄されはじめた1930年代、それまで大きな希望の光だった生糸産業がニューデール恐慌によって壊滅し、娘たちは身売りを強いられ、東北の田舎では餓死者も続出した「昭和恐慌」が始まった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
1898年、後藤新平が台湾総督府総務長官に就任すると、アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達しようとした。
二つの事象には30年余の時差があるが、実は、これらが人類最悪の太平洋戦争を示唆する前兆だった。
後藤新平は国家が麻薬によって大儲けを企てる先駆者となり、その莫大な利益が戦前の巨大な軍備資金となった。
そして昭和恐慌は、底辺の民衆を極限まで貧しくし、あたかも戦争遂行が貧しさから解放される道筋であるかのように、人々を洗脳していった。
だから、昭和恐慌と後藤新平・里見甫・岸信介らの麻薬密売こそが太平洋戦争を突き動かした原動力となった。
後藤は、死の直前に、正力松太郎の大スポンサーとなって、読売新聞を買収させ、彼を大政翼賛会会長に就任させ、岸や笹川、児玉らとともに、戦争を下支えする世論誘導の機関として機能させた。
正力の狙いは、戦前のヘロインから、戦後は「核開発」へと変化した。
「平和主義者」として知られる天才物理学者、湯川秀樹こそは、日本軍(海軍)原爆開発の主力であり、敗戦前に原爆を製造し、長崎原爆後に、興南道沖で証拠隠滅のために爆発させたが、実は、これこそが、正力松太郎・岸信介らの画策した核兵器開発の出発点であり、現代にまで至る、原発・核開発の先験的な前兆だった。
https://himatubusokuho.blog.jp/archives/20688504.html
このように、時代が大きく変化する前には、いつでも予兆というものがあり、我々は、今起きている、さまざまな社会現象を予兆と捉えて、これから何が起きるのか予測することができる。
私は、今ある現象のなかで、社会の本質的な変化を示す予兆として、一部のテレビ番組に注目している。
その筆頭が「ポツンと一軒家」だ。
それはコロナ禍の前から実現していた番組だが、コロナ禍によって、日本全体の収益構造に大きな齟齬が生じ、新しい産業革命を迫られているなかで、人々がどの方向に歩めば、安定した持続可能な未来を獲得できるのかという問題に光りを与えている。
それは、私が、このブログを書き始めた動機でもあるのだが、我々は、有史以来の古い習慣を脱ぎ捨てて、新しい人間関係の秩序を構築することを迫られているように思える。
とはいっても、それは人間の本質を変えるものではなく、習慣を変えるものだ。
まずは、一夫一婦制という社会制度が実質的に崩壊していることで、例えば封建的な田舎に見える高知県の離婚率は半分近い46%に達しているという。
https://toyokeizai.net/articles/-/405934
つまり、人々は生涯、二回の結婚を経験するのだ。
GYAOで見る英国ドラマを視聴していても、男女の離婚、再婚はごく自然に行われ、「配偶者に一生を捧げる」ことが美徳であるかのような習慣は、もはや廃れている。
これは、もう一夫一婦制の事実上の崩壊といってもいい。結婚は形式だけの選択にすぎない。こうした男女の新しい秩序が、これから変化する社会の前兆であるとするなら、社会の変化してゆく方向は、次に「シェア生活」がやってくることが明らかだ。
つまり、人々は一夫一婦制家族制度を捨てて、共同体に向かうことを意味している。
私は、若い頃から、これから社会が根底的に変化する方向があるとすれば、それは「共同体社会」であると確信し、このブログでも、最初の方にたくさんの文章を掲載してきた。
私の共同体研究によれば、それは20名を中央値として10〜30名程度の集団が、一つの帰属意識を持って団結する生活共同体である。
原則、自給志向で、生産・家事・子育て・介護などを分担しながら共同体を結成する。
それは、過疎の田舎、山奥に、大きな農地とともに、古い大きな民家を使ってシェアする生活スタイルだ。
大きな農地にたくさんの家畜を飼育して、子供たちは動物たちと一緒に育ってゆく。家事や介護、子育ては、共同することで単独の数倍の効率をもって楽にこなせるだろう。
共同体への帰属意識が高まれば私利私欲は自然に消えてゆき、利己主義的発想が薄れ、利他主義的な生き方に快感を感じる人生がやってくる。
ちょうど、ヤマギシ会が1950年代から始めたことと同じだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-819.html
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html
私は、テレビで「ポツンと一軒家」が番組として成立し、最高ランクの視聴率20%超を記録し続けていることは、単なる偶然だとは思っていない。
それは、日本人の「集合無意識」のなかに、山奥での共同体生活への憧憬が芽生え始めていることを示し、それがコロナ禍で崩壊する社会経済の救世主となることを意味していると思う。
すでに、日本中で、たくさんの過疎共同体村が実現している。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html
https://www.sakurano-yama.com/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E4%BC%9A%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%B7%E4%BC%9A
私は、ヤマギシ会のような強大な組織性には賛成できない。組織が強固になれば、必ず官僚制が成立し、そこに利権を前提にした差別が成立するからだ。
だから官僚制の成立しない集団は、せいぜい20名程度だと考えている。30名を超えれば、必ず組織化し、階級差別が成立してくるだろう。
日本人は合理化が大好きなので、すぐに効率化、合理化を進め、会社組織のような生産性を作り出し、上下関係を生み出してしまう。
だが、それでは、これまでの日本社会と本質的に何も変わらないことになってしまう。
それでは「真の人間解放」を実現することはできないのだ。
この問題は、簡単ではないので、別項で解説する。
近年でいえば、1980年代バブル崩壊が、その後の40年にわたる日本経済の停滞と自滅を示唆する現象だった。
日本経済倒壊を示す前兆は、今になって思えば97年の山一証券倒産ではなかっただろうか?
それから小泉純一郎=竹中平蔵政権が現れて、「日本を金融(バクチ)国家に変える」と宣言し、「良いものを作って、人々の未来に奉仕する」という、三井高利が示した「三方良し」の思想、「持続可能な未来」を保証する生産者・商人・消費者の日本的公序良俗習慣を根底から破壊しはじめた。
竹中がアメリカから持ち込んだ「新自由主義」は、(他人を蹴落としての)「金儲けこそ人生最大の価値」という利己主義の思想だった。
https://www.mitsuipr.com/history/columns/003/
全共闘運動、三里塚闘争は、人間性復権運動の前兆だった。あの戦いによって、我々日本人は、「人権は戦って獲得する」ものであることを思い知った。例え運動が潰されても、人々の心に自由や人権のビジョンを点し続けたのだ。
電化革命「三種の神器」は、現代日本の繁栄の前兆だった。世界は日本製品を手本にして、大きな生活革命を開始した。それは今も続いている。
ミッチーブームと東京五輪も、新しい日本の繁栄の大きな前兆だった。それまで社会にくすぶっていた全体主義の残渣が、大きく取り払われていった。
日本が、世界の暗雲のなかに翻弄されはじめた1930年代、それまで大きな希望の光だった生糸産業がニューデール恐慌によって壊滅し、娘たちは身売りを強いられ、東北の田舎では餓死者も続出した「昭和恐慌」が始まった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html
1898年、後藤新平が台湾総督府総務長官に就任すると、アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達しようとした。
二つの事象には30年余の時差があるが、実は、これらが人類最悪の太平洋戦争を示唆する前兆だった。
後藤新平は国家が麻薬によって大儲けを企てる先駆者となり、その莫大な利益が戦前の巨大な軍備資金となった。
そして昭和恐慌は、底辺の民衆を極限まで貧しくし、あたかも戦争遂行が貧しさから解放される道筋であるかのように、人々を洗脳していった。
だから、昭和恐慌と後藤新平・里見甫・岸信介らの麻薬密売こそが太平洋戦争を突き動かした原動力となった。
後藤は、死の直前に、正力松太郎の大スポンサーとなって、読売新聞を買収させ、彼を大政翼賛会会長に就任させ、岸や笹川、児玉らとともに、戦争を下支えする世論誘導の機関として機能させた。
正力の狙いは、戦前のヘロインから、戦後は「核開発」へと変化した。
「平和主義者」として知られる天才物理学者、湯川秀樹こそは、日本軍(海軍)原爆開発の主力であり、敗戦前に原爆を製造し、長崎原爆後に、興南道沖で証拠隠滅のために爆発させたが、実は、これこそが、正力松太郎・岸信介らの画策した核兵器開発の出発点であり、現代にまで至る、原発・核開発の先験的な前兆だった。
https://himatubusokuho.blog.jp/archives/20688504.html
このように、時代が大きく変化する前には、いつでも予兆というものがあり、我々は、今起きている、さまざまな社会現象を予兆と捉えて、これから何が起きるのか予測することができる。
私は、今ある現象のなかで、社会の本質的な変化を示す予兆として、一部のテレビ番組に注目している。
その筆頭が「ポツンと一軒家」だ。
それはコロナ禍の前から実現していた番組だが、コロナ禍によって、日本全体の収益構造に大きな齟齬が生じ、新しい産業革命を迫られているなかで、人々がどの方向に歩めば、安定した持続可能な未来を獲得できるのかという問題に光りを与えている。
それは、私が、このブログを書き始めた動機でもあるのだが、我々は、有史以来の古い習慣を脱ぎ捨てて、新しい人間関係の秩序を構築することを迫られているように思える。
とはいっても、それは人間の本質を変えるものではなく、習慣を変えるものだ。
まずは、一夫一婦制という社会制度が実質的に崩壊していることで、例えば封建的な田舎に見える高知県の離婚率は半分近い46%に達しているという。
https://toyokeizai.net/articles/-/405934
つまり、人々は生涯、二回の結婚を経験するのだ。
GYAOで見る英国ドラマを視聴していても、男女の離婚、再婚はごく自然に行われ、「配偶者に一生を捧げる」ことが美徳であるかのような習慣は、もはや廃れている。
これは、もう一夫一婦制の事実上の崩壊といってもいい。結婚は形式だけの選択にすぎない。こうした男女の新しい秩序が、これから変化する社会の前兆であるとするなら、社会の変化してゆく方向は、次に「シェア生活」がやってくることが明らかだ。
つまり、人々は一夫一婦制家族制度を捨てて、共同体に向かうことを意味している。
私は、若い頃から、これから社会が根底的に変化する方向があるとすれば、それは「共同体社会」であると確信し、このブログでも、最初の方にたくさんの文章を掲載してきた。
私の共同体研究によれば、それは20名を中央値として10〜30名程度の集団が、一つの帰属意識を持って団結する生活共同体である。
原則、自給志向で、生産・家事・子育て・介護などを分担しながら共同体を結成する。
それは、過疎の田舎、山奥に、大きな農地とともに、古い大きな民家を使ってシェアする生活スタイルだ。
大きな農地にたくさんの家畜を飼育して、子供たちは動物たちと一緒に育ってゆく。家事や介護、子育ては、共同することで単独の数倍の効率をもって楽にこなせるだろう。
共同体への帰属意識が高まれば私利私欲は自然に消えてゆき、利己主義的発想が薄れ、利他主義的な生き方に快感を感じる人生がやってくる。
ちょうど、ヤマギシ会が1950年代から始めたことと同じだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-819.html
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html
私は、テレビで「ポツンと一軒家」が番組として成立し、最高ランクの視聴率20%超を記録し続けていることは、単なる偶然だとは思っていない。
それは、日本人の「集合無意識」のなかに、山奥での共同体生活への憧憬が芽生え始めていることを示し、それがコロナ禍で崩壊する社会経済の救世主となることを意味していると思う。
すでに、日本中で、たくさんの過疎共同体村が実現している。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html
https://www.sakurano-yama.com/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E4%BC%9A%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%B7%E4%BC%9A
私は、ヤマギシ会のような強大な組織性には賛成できない。組織が強固になれば、必ず官僚制が成立し、そこに利権を前提にした差別が成立するからだ。
だから官僚制の成立しない集団は、せいぜい20名程度だと考えている。30名を超えれば、必ず組織化し、階級差別が成立してくるだろう。
日本人は合理化が大好きなので、すぐに効率化、合理化を進め、会社組織のような生産性を作り出し、上下関係を生み出してしまう。
だが、それでは、これまでの日本社会と本質的に何も変わらないことになってしまう。
それでは「真の人間解放」を実現することはできないのだ。
この問題は、簡単ではないので、別項で解説する。

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