その男は、しょちゅう食事をこぼして服を汚す。どんなに注意していても、こぼしたことに気づかない。だから服は、あっというまにシミだらけになり汚れる。食事するこたつの上掛けも短期間で汚れ、洗濯の回数が多い。

 何度注意されても直らない。本人が意識していても治らない。



 人の話をじっくりと落ち着いて聞いていられない。相手の言葉を聞いた瞬間に、二重三重の連想が脳内で跳びはねて、言葉の裏の裏まで探してしまって、じっと集中して聞いていられないのだ。

 メールの返事も、相手と同じ地平で書けず、数段先を想像して意味不明なことを書いてしまう。だから「アンタとは話が通じない」と呆れ果てられ、コミニュケーションを拒絶されてしまう。



 一つの言葉を知ると、それから無数の連想が脳内を飛び交って、例えば「械闘」なんて言葉を聞けば、意識は遠く弾んで中国に向かい、殺し合いの現場を想像して戦闘の恐怖に叩き込まれるのだ。

 要は想像力が強すぎるのだが、それが人生にマイナスにしか働かない。



 もちろん、私のことだ。原因は医学的に、「ADHD=注意欠陥・多動性障害」ということになっている。

 私の子供時代には、そんな医学概念はなかったから、私は「だらしない子供」というカテゴリーに追いやられていた。

 授業中でも、集中できず、あちらこちらを見たり、きれいな女子を見つめたり、とにかく落ち着きのないこと甚だしく、担任は、何度も母親に苦情を言った。



 もう一つは、好きなことにはとんでもない集中力を発揮し、ウマの合う教師の授業には眼を輝かして興奮してしまう。気に入った科目の成績は、学校でもトップクラスだが、ウマの合わない、自分を否定する教師は大嫌いになり、何一つやる気が起きないから、授業中落書きに専念したりして成績は、学校最下位ということになる。



 簡単に言えば「自分勝手を絵に描いたような少年であり、環境への融合性、親和性、適応性が最低」ということだ。

 だから、周囲からよく虐められた。誤解されてるだけでも、相手にとっては誤解ではない。自分でも分かっているから、ひどいコンプレックスに苛まれた。



 でも、IQは高かった。私は140程度あった。IQが高い理由は、決して「ジアタマがいい」というわけではない。

 私の子供時代、今では信じられないほどの環境汚染があった。実家の数軒先には鋳物工場があって、たえず濃厚な煤塵を周囲に放出し、前の広場には真っ黄色の六価クロムの残滓が堆く積まれていた。空はいつでも灰色だった。



 私は、そんな黄色い砂山で、砂場代わりに遊んでいた。そして、母親が「洗濯物が干せない」と悲鳴を上げるほどの煤塵を呼吸して、喘息になり、アトピー体質になった。

 子供の頃から喘息に苦しんでいて、「生理的過敏症」になった。

 実は、過敏症体質になると、どんな子供でもIQが高くなる。

 https://twitter.com/yuji_ikegaya/status/964073155282137088



 ADHDの解説を見ると、発達障害の一種。特徴的な症状は、年齢に見合わない「不注意さ」、好きなこと以外に関心や興味を示さない「多動性」、思いついたことをよく考えず行動に移してしまう「衝動性」などと書かれていて、脳機能障害の一種であると示唆されている。



 だが、私に言わせれば、「昔、葛根湯医・今ストレス医」といって、明治以前の医師は、どんな病気にでも葛根湯を処方し、「藪医者=葛根湯医」と評されたが、今では、原因不明の病気の理由を、何でもストレスにして、死亡した場合は、何でも心不全にする医者を藪医者と呼ぶ。

 ADHDを脳機能に帰還させるのは、すなわち藪医者=何でもストレス医の手口だ。



 半世紀前、東大に731部隊出身の「台弘」という医学部教授がいて、精神性疾患は器質的問題にすぎないとして、片っ端から脳にメスを入れて切除しはじめた。これでたくさんの人が殺されたのだが、本人は最後まで反省しなかった。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1271.html



 性格的心理的問題を器質性問題にすり替えたり、ストレスにすり替えたりするのは、典型的な藪医者の手口で、本当は、脳が本来持っている感受性と、外部刺激のマッチングの問題が大半なのだ。

 つまり、私のような大気汚染や、大気圏核実験による放射能を胎児被曝したり、サリドマイドなどの化学刺激を与えられたりによって、脳の感受性回路に異変が起こるのだ。



 私も、恐ろしい鋳物工場の煤塵のなかで育たなかったら、ADHDにならずにすんだ可能性が高いと思っている。IQも10以上、下がっていただろう。

 私のADHDは、おそらくアレルギー体質が原因になっていると思う。高IQは、その症状の一つにすぎない。



 いわゆる「過敏症」、環境刺激に対して身を守るために反応が敏感になる現象が高IQを生み、注意欠陥障害を作り出した。

 あの灰色の空が、「ごはんをぼろぼろとこぼす男」を作ったのだ。



 もう一つは、私の場合、とても心配性がひどく、何か約束事をすると、いろいろ想像して、何かまずいことが起きないか想像力を働かせ、予防的措置を講じようとする。

 待ち合わせを約束したときは、30分前に現場に到着し、周囲を調査しようとしてしまう。

 昔、ローリー運送をしていたとき、途中の渋滞や事故が心配だから、何時間も前に現地に到着し、普段のクセで、周辺を調べていたら、セキュリティに引っかかり、親会社の指示で解雇されたことがあった。



 いろいろ想像力が働き過ぎて、「言われたことを指示通りに実行する」ことが、ひどく苦手なのだ。いわゆる「一を聞いて十を知る」タイプなのだが、これは、つまり「余計なことを考える」非常識ということになる。



 学校の成績は極端だったが、受験前に集中して勉強し、名門校にトップで合格したのはいいが、担任が大嫌いになり、学校に行かなくなってしまった。

 しかし、自分の意思で受験したライセンス試験は、司法試験以外は、すべて一発で合格できた。



 「ごはんをこぼすADHD男」は、厳冬期のアルプス縦走や、三日がかりの沢登りも、クライミングも全部一人でやった。他人からは、いつでも散々な評価を受けることが分かりきっていたので、一緒にやりたくともできなかったのだ。

 だから、いつでも孤独だった。人に頼らなくとも、ほぼ、どんな仕事でもこなせる自身があったから、他人とのコミュニケーションも疎かになり、友人が離れていった。



 そりゃそうだ。何か対話していても、突然、自分の頭の中に突拍子もないアイデアが駆け回り、相手の話をまともに聞かないのだから、友人なんてできるはずがない。

 離婚や離職が多いのは当然、交通違反も多いし、事故も多い。一般的な意味での忍耐強い集中力に劣るせいだ。

 これがADHDの一番辛いところだ。



ミスが多い。物忘れが激しい。いつでも、相手を気遣わずに自分の世界から話しかけようとするのでは、自分を好きになってくれる人もいない。

 https://diamond.jp/articles/-/148669?page=2

 結局、人生が黄昏れて、自分の終焉が見え始めても、信頼関係を持てた人は、本当にごくわずか……。ずいぶん寂しい人生になったが、それほど後悔はしていない。



 私は、ずいぶん若い頃から、自分が触れている、見ている「対象的世界」とは、もしかしたら、自分の脳が作り出した虚構、茶番劇にすぎないのではないかと思い続けてきた。

 対象的世界は、自分の心が必要に応じて生み出しているのではないか? このリアリティは、ずいぶん上手に作られた虚構ではないのか?



 自分が、「ある」と思えば「ある」。「ない」と思えば「ない」。

 そう考えないと説明のつかない事象が、あまりにも多すぎるのだ。

 「思ったこと、求めたこと」が実現する世界であり、恐ろしいことが起きるにしても、それも自分の心が求めた結果ではないか? と考えてきた。



 今、私は人生の出口の扉が近づいたことを知り、私がADHDに苦しんだ理由を探している。それは、外にではなく心の内側にある。

 大気汚染のなかで生まれ育った理由は何だったのだろう?

 人生の終末が近づいて、やっとブログをたくさん書いている理由は何なのだろう?



 新型コロナが登場して、資本主義の秩序が崩壊し、あらゆる人々に、これまでの秩序では生き抜けない試練に襲われている。

 自民党保守の権力的支配すら激しく崩壊している。オリンピックは失敗が約束され、たくさんの人々が、会社組織に依存して生きてゆくライフスタイルを奪われている。

 さりとて、自営業で生きてゆく道も極端に狭められている。



 これは何を意味しているのだろう?

 私には「天が、連帯に立ち返れ」と怒鳴りつけているように見える。

 おまえたち一人一人では生きられないのだぞ。一人一人が、人を愛し、利他主義の人生を取り戻せと叫んでいるように思える。



 私は、今日もごはんをポロポロとこぼして、こたつカバーと上着を汚しながら、そんなことを考え続けている。