もう数日後には、尖閣諸島に漁民を装った中国民兵が大挙上陸して、領有宣言したというニュースを聞くはずだ。



 だが、日米安保条約を持ち出して、あたかも「中国による領土侵犯に対して米軍が武力行使して日本を守ってくれるにちがいない」、と考えるのは早計である。

 というのは、安保条約には、「米軍が侵略軍に対して武力を行使する」という項目は、どこにも存在しない。

 存在するのは、「security commitment」すなわち「日米共通の危険に対処する」という第一条の条文だけで、これが武力行使を意味するとは、どこにも書いていない。

 https://globe.asahi.com/article/13077339



 実際、日米安保条約が締結された1951年以降、日本は、ソ連による歯舞諸島軍事侵攻と、韓国による竹島の軍事占拠という二回の領土侵略を受けているが、米軍は何一つ行動を起こさなかったので、二回とも易々と領土を一方的に強奪されてしまった。

 他方で、日本が米国に軍事基地を提供し、首都圏の管制圏を独占させるという国際的にも極めて不平等な片務的負担だけを強いられてきた。



 アメリカは、たびたび尖閣諸島に安保条約が適用されると発言してきた。

 https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS03H3O_T00C17A2MM8000/



 だが、歯舞や竹島でも同じことを言いながら、何もせずに強奪に任せたのであり、尖閣の場合だけ、米軍が軍事対処をする可能性は少ない。

 ただ、今回は、南シナ海スプラトリー諸島を軍事攻撃する可能性が高く、中国に軍事的打撃を与えるという目的で、占領された尖閣諸島を爆撃する可能性は高い。



 だが、またしてもトランプのアメリカ第一主義の壁が立ちはだかる。

 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46774470Z20C19A6MM8000/



 トランプは、日米安保を不平等条約であると決めつけていて、アメリカは日本を防衛する義務があるが、日本はアメリカを防衛しないと不満タラタラだ。

 そこで、日本に対し、安保条約による在日米軍の負担を数倍に嵩上げすることを要求している。

 今回の、中国による尖閣侵攻が実現した場合、あの取引大好き博徒、トランプが、ここぞとばかり、尖閣への軍事対応と引き換えに日本側負担を劇的に重くする駆け引きを行うのは、ごく自然な成り行きだろう。



 だから、一気に勝負をかけるのではなく、ネチネチと中国軍を攻撃するフリをし続けて、日本から金を分捕る駆け引きを行うとみるべきだ。

 一方で、日本側は、「もみ手さすり手、エヘラエヘラの晋三」の下、仮に海保や海上自衛隊に大きな犠牲が出ても、腹を据えて中国軍を撃退して領土を防衛する気概はまるで存在しない。

 したがって、尖閣問題は、一気呵成にカタがつく可能性は低く、北方領土と似た超長期的な紛争になってしまうだろう。中国側は、最初から北方領土紛争をモデルにしている可能性が大きい。



 しかし、国内世論は完全に沸騰し、中国に進出している日本企業は、大慌てで撤退を始めることになり、これも数十兆円の損失を被って、命からがら逃げ帰ってくることになるだろう。

 だが、国内はコロナ禍で、リーマンショックの数倍、デリバティブ破綻が重なれば、数百倍の、ニューデール恐慌が裸足で逃げ出すほどの大恐慌が待っている。



 すでに、国内企業の多くが、小泉・竹中路線により、まともな物作り実業、イノベーションの育成を放棄し、金融カネ転がしで儲けるだけの虚業体質に劣化してしまっている。

 今、日本企業が、かつてのように世界のイノベーションを牽引できるかといえば、ほぼ不可能だ。自民党は、日本の大学研究を破壊してしまっているので、建て直すだけで数十年を要するのだ。



 私は、今後の日本の進路について、ビルロジャーズが指摘したとおり、観光と農業、教育、食事に特化したような第一次産業国になるしかないと考えている。



 あまりにも正鵠! ジム・ロジャーズの警告! 2019年07月29日

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-821.html



 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-621.html



 もう日本には、世界の産業を勃興させ、牽引する力はほどんど存在しない。

 わずかに世界的な企業として君臨してきた、トヨタ・キャノン・ソニー・東芝も、すべて溺死寸前である。

 トヨタやユニクロは、中国軍による尖閣侵攻と同時に、中国から撤退するしかないだろう。人質にされるからだ。イオンも、すべてのモールを放棄するしかないだろう。

 命からがら逃げ帰ってきても、どこにも居場所がないのだ。



 ニューデール大恐慌の数十倍、数百倍の規模が約束された世界的なリセッションに対して、もしも持ちこたえられる企業があるとすれば、それは、すでに中国に見切りをつけて撤退したスズキ自動車くらいだろうか?

 日立や三菱、東芝も、原発への拘泥が祟って、もうボロボロ、いつ倒産の白旗が揚がるか注視されている現状だ。



 トヨタも、結局、巨大なリセッションのなかで唯一のニーズとして、スズキの真似をして安価な軽自動車を作って第三世界に売ることくらいしか延命手段がない。

 もう世界中にレクサスを買ってくれる人など、ほとんどいなくなるのだ。



 私は、このブログで、この日が来ることを繰り返し予言してきた。

 生産手段も資本も持たない我々が生き延びる手段は、小さな共同体を作って山奥で芋を作りながら生き延びるしかないと書いてきた。



 何度も恐縮だが、山奥の過疎村、耕作放棄地を開墾して、馬鈴薯や甘藷を作れば一反で数名の年間食料が確保できる。食べるものさえあれば、こっちのものだ。

 廃屋で雨露をしのぎ、ここでたくさんのイノベーションを生み出しながら、たくさんの食品を生産する。

 人間、空気と食料と、少しの衣類と、道具類と、雨露をしのげる暖かい場所さえあれば、子孫を増やしながら生き延びる共同体を作り出すことができる。



 かつて、北海道の原生林を開拓してきた明治時代の人々の生活を再現してゆかねばならない。

 竹中平蔵が持ち込んだ、金融などという虚業を捨てて、再び食料生産などの実業に戻らなければならない。

 汗と必死の努力で、真っ黒になって芋作りから始めなければならない。

 

 もしも、そんな共同体生活が耐えられなくて、大都会での虚飾生活から離れられないとすれば、何が起こるのか?

 大都会では、食料の奪い合いが起こり、人格や人間性の崩壊が起こることになる。女性たちは強姦され、子供が外に出て遊ぶことはできなくなる。

 遺体を始末する組織も失われ、そこら中に死体が放置され白骨化する時代がやってくる。



 誰もが「まさか」と思っているだろうが、今の官僚制度、日本政府の劣化ぶりを見ていると、そうなるしかないのだ。

 だから山奥で、数十名程度の小さな共同体、昔の客家に近いイメージを持って、助け合って生活を防衛してゆくしかない。



 新自由主義のような金儲け一辺倒の思想は、毛嫌いされて追放される。

 みんなが、人の笑顔だけを最高の価値として、他人を大切にして生きる時代がやってくる。

 ある意味、人類における究極の到達点とも思えるライフスタイルがやってくると、私は予想している。