もう時間の問題で、中国軍が尖閣諸島の実力占拠を行おうとしている。

 これは習近平の計画、「2020年台湾軍事侵攻計画」のなかで、尖閣諸島を台湾攻撃のための軍事拠点とし、基地を建設するという戦略があり、この計画に沿って、短期間に尖閣を埋め立てて軍事基地を建設するために、もう待ったなしで実力占拠し領有宣言をしなければならないからだ。



 「アメリカが許さない」と考えるのは幻想にすぎない。現実問題として、1951年第一次安保条約以降、ソ連軍による歯舞軍事占拠と、韓国軍による竹島軍事占拠が起きたが、アメリカは何一つ行動を起こさなかったため、日本政府は侵略占拠に対しなすすべを知らず、未だに不法占拠、実効支配が続いている。



 アメリカは、もちろん反対声明を出すだろうし、スプラトリー諸島、中国軍事基地に対する攻撃の流れのなかで、尖閣上陸軍も攻撃する可能性があるのだが、これが日本の領土を防衛するという「アメリカの意思」と勘違いすることは許されない。

 アメリカは駆け引きの国であり、尖閣防衛に費やした費用は、全面的に日本政府に負担を要求するにちがいないし、それどころか、日本列島の米軍駐留費用や権益を劇的に高める要求を行うのは確実だろう。



 アメリカは、いつでも中国と背後で手を結んで、日本を裏切る可能性があるのだ。

 それはニクソンの米中国交回復のなかで示された。このとき、台湾はゴミのように見捨てられた。

 トランプが大声で叫んできたように「アメリカンファースト」=アメリカの利益第一主義であり、アメリカが中国と和解した方がトクと判断すれば、尖閣を中国に引き渡して、日本政府を裏切るのは屁のカッパと思うべきだ。



 当面の問題は、戦後、初めて、自衛隊が中国軍と戦闘を行う局面が登場するにちがいないということだ。

 実際に、軍事衝突のなかで、相当大量の犠牲者が出ることは避けられない。

 ここで、中国軍の侵略に対し、我々、平和主義者は、どのような姿勢を示すべきか、直接問われることになる。



 この直接の戦闘行為を、どのように評価するのかという問題で、戦争ゲームに薫陶された若者たちは、軟弱な平和主義論に嫌悪感を示し、安倍政権支持に傾いていったという経緯がある。



 私は平和主義者であり、国家という虚構が、偉そうな屁理屈を並べて、国家権力によって戦争にかり出された民衆どうしで殺し合うという局面に胸が痛む。とんでもなく愚かなことだと思う。

 しかし、現実に、武器を持って日本領土に侵入してきた者たちに、「右の頬を打たれたなら、左の頬を差し出せ」という思想でゆくのだろうか?

 それは、とても素晴らしいことかもしれないが、非現実的妄想である。



 もっと現実的な分かりやすい例えを書くと、突然、暴力を否定する自分を襲ってきて命を奪おうとする人に対し、どんな態度をとるべきかと考える。

 私は、殺されるのはイヤだから、逃げたり、反撃したり、ときには自分を守るため、相手を殺してしまったりするだろう。

 しかし、だからといって、自分の平和主義までもが死ぬわけではない。



 ここで哲学的屁理屈を持ち出すと、人間の思考を分析すると、「即自と対自」の二つに分かれる。

 「即自」は、あまり思索的ではない、一時的、あるいは感情的反応であり、女性はそれが得意だ。

 「対自」というのは、いつでも対象世界を分析して、感性よりも知性を重んじて、論理的に問題を解決しようとする姿勢である。

 ここで、いきなり自分が襲われた場合に、大半の人が取る行動は「即自的」であり、知性が反応する前に感性が反応して、自分を防衛し、ときに防衛のために攻撃する。



 「対自的」というのは、「よーく考えて行動しよう」と理性や思索を重んじる姿勢であり、我々が自分を平和主義と規定する場合、対自的な思索の結果、そうなるのだ。

 「即自的」に、暴力に対して暴力で反応したって、それで「対自的な思想性」が崩壊するわけではない。



 私は死刑廃止論者ではあり、人殺しに反対している。だが、自分が武器で襲われる局面で、右の頭を撃たれたら左の頭を差し出すわけにはいかない。

 自分の命を守るために反撃し、場合によっては相手の命を奪うことも辞さない。

 これは即自的反応として、当然のことであり、別に理性的である必要はない。



 また、家族が殺されて、激怒のあまり、「即時的に」加害者を殺してしまったって、それは、人間として当然の反応である。

 家族を理不尽に殺された人が、怒りのあまり、加害者を死刑にするよう要求するのも当然であり合理性があるのだ。

 しかし、後々、理性を取り戻したとき、感情的になって行き過ぎなかったかを反省してもらいたいだけなのだ。



 このような立場で、日本領土に侵略目的で上陸してくる他国の軍隊を攻撃することも、「即自的反応」の延長であって、戦争が好きだから防衛攻撃をするわけではない。

 中国軍が理不尽に尖閣諸島に軍事侵攻をかけた場合、これを撃退することには、いろいろな意味で合理性があり、これを支持したからといって右翼になったわけではない。



 我々が、日本の軍国化に反対してきた本当の理由は、軍国化・核武装を推進してきた、正力松太郎・岸信介・中曽根康弘・笹川良一らの本当の狙いが、戦前の国家主義を復活させる目的があったからで、若者を「お国のために」と欺して戦場に送り、若者たちの命を金に換えるような支配者の陰謀を感じて反対したからなのだ。



 殴らりかかられたなら、黙って殴られる必要はない。中国軍が不当に日本領土を侵略しようとすれば、これと戦って撃退するのは正当である。我々は、中国に支配されて、凄まじい暴虐を受けているウイグルのようになりたくないのだ。

 むしろ後ろで足を引っ張っている二階らの親中勢力の方が、はるかに問題だ。

 例え平和主義であったとしても、侵略に対して、毅然とした姿勢を示して、それを許さない行動をとることは、正しいのだ。



 ただ、行き過ぎたことをやって、中国と同じ土俵で戦う必要はない。我々は、我々の土俵で戦うべきなのだ。

 戦争になったとしても、世界中の理性的な人々の支持を得られるような節度、規律を持って対峙することが必要である。

 むしろ、この戦争を利用して、一気に日本を軍事国家に持ってゆこうとする自民党や維新の勢力に対して、強い警戒をするべきだ。



 私は、極東情勢についていえば、習近平の今年中の台湾軍事侵攻計画に対して、尖閣諸島を守り抜くことは、台湾との連携を深化させる上で、極めて大切だと考える。

 台湾は、地政学的に、いずれ日本と対等合併すべきだと考えている。そうなれば、劣化した日本社会に、台湾のイノベーションが、新鮮な刺激を与えてくれて、日本全体が活性化して良い社会に向かうと希望を抱いている。

 台湾と日本が合併すれば、もう中国は二度と侵略の意思を持たなくなるだろう。



 「核戦争になった場合は?」



 戦略的な核戦争が起きる可能性は非常に少なく、もしそうなれば中国は北京や上海に水爆を落とされて永久に終わってしまうからだ。

 しかし、戦闘局面によっては、戦術核が使用される可能性は少なくない。

 TNT換算1000トン程度の戦術核は、使われる可能性があるが、それも確率は非常に小さい。むしろ、EMP電磁波爆弾で、極東地域の電気的電子的インフラが壊滅する可能性の方が大きいだろう。



 中国の強硬な姿勢から、戦闘は避けられないが、今の段階では、例え平和主義者であっても、中国の帝国主義的姿勢に断固反対の意思を示していかないと、戦闘が戦争に進んでいったとき、日本国内では、再び大政翼賛会のような運動が起きると思うべきだ。



 ところで、もし尖閣軍事侵略が中止されるとしたなら、それは習近平の失脚しかありえない。もしも長江大水害が放置され三峡ダムが決壊でもしたなら、ほぼ100%、習近平どころか中国共産党一党独裁体制が完全に崩壊し、中国は、8つの国に分裂するはずだ。

 そうなることを期待しよう。