https://www.youtube.com/watch?v=jNuX3uyif04
黒川君には、二年ほど前から注目していて、社会分析について、私とよく似た考えが多いのだが、決定的に違うことは、彼は極右思想の持ち主ということだ。
靖国神社に参拝し、天皇制に対し忠誠心を示している。彼の言葉の端々に、全体主義特有の優性思想が滲み出ている。
優性思想というのは、人間がもっとも大切にするべき価値として、一人一人の人生を置くのか、国家や天皇制を置くのかという価値判断であり、一人の人生や命より上位に国や天皇を置く思想のことである。
先の大戦では、「お国のために・天皇のために国民の人生・命を差し出すのは当然」という理屈をこねて、実に400万人を超える人々を死なせた。
まだ最近といってもいいが、れいわ新撰組で、元ウオール街トレーダーの大西つねきが語った「人の命を選別するのが政治家の仕事」という発想こそ、優性思想のエッセンスと言えるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=bMtAA9n1980
我々は、何のために生きているのか? という問いに対し、「天皇や日本国家の繁栄のために生きている」と回答するのが、優性主義者たちの、すぐれて極右思想の論理である。
つまり、黒川あつひこ君は、民主的で、いろいろ正義感に溢れたことを言っているのだが、実は、「お国のために命を捧げるのは当然」と決意して靖国神社に参拝している。
こうした優性思想=すぐれて国家主義が何を生むかといえば、その極端な結果が、ナチスドイツにおけるT4作戦だった。
日本のT4作戦 2018年09月28日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-492.html
オリーブの木の動画では、冒頭に「誰一人置いていかない……」と歌っているのだが、実は「みんな、まとめてガス室に連れていっちゃうぞ……」という意味なのかと思ってしまう。
ガス室でなければ、「みんな、まとめて戦場に連れて行く、誰一人置いていかない」と言ってるのだろうか?
靖国神社を参拝し、天皇制を崇拝し、国家主義を信奉するということは、「お国にとって足手まといになる邪魔な国民は淘汰する」という意味であり、お国の繁栄のためなら戦争も辞さないと言っていることになる。
ちょうど、8月16日、今夜にも尖閣諸島に、中国海軍が漁船を装って押しかけてくるので、いよいよ日中戦争の端緒が開かれる可能性が大きいのだが、「天皇のために、お国のために靖国に参拝する」黒川君は、さっそく自衛隊に入隊して尖閣に駆けつけるのかな?
私だって、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出す」主義ではない。理不尽に侵略してくる軍隊に抵抗するのは当然だと思うが、それはお国のためではなく、天皇のためでもなく、自分や仲間や子孫のためである。
普通は、ロッククライミングを愛好する黒川君のような人生観があれば、極右思想に向かうとは思えないのだが、たぶん、身近にいる極右のイデオローグに感化され、合同結婚式に向かう統一教会の若い娘のように洗脳されきってしまったのだろうと思う。
黒川君よ、はっきりいっておくが、人生は国家や天皇のものではない。一人一人の、何万年にも渡るカルマと個性の上にある苦悩によって定まるもので、何百何千の人生の繰り返しの上に、今の人生があり、それは日本国や天皇なんてチンケなシステムよりも、桁違いに価値の高い、壮大なものだ。
我々の個性は、一個の肉体で収まるものではない。もの凄い数の人生の繰り返しのなかで、学び、カルマを克服して、次々に転生し、次々に新しい人生とカルマを経験してゆくのだ。
今生、身動きも取れない重度障害を患ったとしても、前世には、もの凄く名高い戦士だったかもしれない。国家を代表する有能な人物だったかもしれない。そして、障害と苦悩のなかで学び、来生には人類を救済するために登場する人物かもしれない。
必要だから、苦悩の人生を経験している。来生のためだ。ところが、そんな人々を、ナチスは「お国のために役立たない」として40万人もガス室で虐殺した。
靖国神社というのは、「お国のために死んだ英霊」を祀る虚構であり、全国民に対して「お国のために命を捧げよ!」とメッセージを発し続けている。
逆の見方をすれば、「お国のために役立たない者は死ね」と言っているに等しい。
そんな軽薄すぎる愚かな施設に黒川君は喜んで参拝している。
自民党の政治家が参拝するのは仕方ない。彼らに対する希望も期待もゼロで、自民党は国を壊し、人々を不幸にする存在でしかないから、勝手にやらせておくしかなく、彼らは自らのカルマを増やして、自分の不幸を積み重ねるだけなのだ。
だが、黒川君には期待する人々がいた。そんな人々を本質的に裏切っているのが靖国参拝の極右思想なのだ。
それは、輪廻転生の人生と、国家や天皇制に対する知識、理解が圧倒的に不足しているからだ。
我々は、たまたま今、日本人に生まれているが、その本質は宇宙人であり、偶然地球に生まれただけであり、偶然日本に生まれただけだ。次には、日本に敵対する国に生まれ変わる可能性も大いにある。
あるいは、善良な人生ばかりとは限らず、インパール作戦に放りこまれた兵士だったり、宅間守のような凶悪殺人犯の人生だったりする。生まれた直後に爆弾で吹き飛ばされて殺されたりもする。
我々は、あらゆるシチエーションの人生を自ら選んで経験し、その中から宇宙の本質を学んでゆくのだ。そうして、一歩一歩、ヘーゲルが絶対精神=イデーと呼んだ、矛盾のない、極度に洗練された魂に上昇してゆく。
すべては学びなのだ。それは天皇だって同じだ。明仁氏も、浩宮氏も、もしかしたら前世は、飢えて悲惨に死んでいった運命のホームレスだったかもしれない。
明仁氏の深い思いやりは、そうした苦悩の前世が育んだものだったはずだ。
我々は、苦悩と残酷な運命の人生を経験しなければ、思いやりのある人間性を育むことはできないのだ。
真偽は定かでないが、私は、ある霊能者から、ナチスドイツで、ユダヤ人を迫害し、虐殺していた多くのドイツ人が、北朝鮮に生まれ変わって迫害される人生を経験させられていると聞いたことがある。ありうる話だ。
黒川君よ、天皇は特別な人ではない。我々と何一つ変わらない生身の肉体と頭脳を与えられ、一人の人間として生きている。
その存在理由は、「特別と思われる人生」を人々に示すことだと私は考えている。
こんな「特別な人」が存在することで何が起きるのかを、皆に知らせる使命の下に生まれてきた人だと思っている。
「特別な人」や「特別な国」があれば、その価値が高いと人々は幻想し、独裁や戦争の不幸を生んで行く。
そして、それが滅んで行く姿を人々に示すのだろうと私は思う。
よく日本の天皇制は2600年間続いていると思い込んでいる人がいるが、それは真っ赤な嘘だ。天皇は、過去2000年でおそらく10回近くも血統が途絶えていて、新しい血統に置き換えられている証拠があり、万世一系はひどい虚構だ。
現在の血統は、明治維新で孝明天皇が伊藤博文らに惨殺され、大室寅之佑がニセ天皇になったものの、大正帝は別の近親皇族の子で、近親婚の弊害により受精能力もなかっったから西園寺八郎が昭和帝の父となった。公望とは兄弟だ。
だから西園寺血統では、浩宮が三代目にすぎない。
そんな遺伝子上の血統など、どうでもいい。たぶん天皇制には、黒川君も私も知らない、別の意味が隠されているような気がしている。
もし、人生にとって意味があるとすれば、それは、自分の外に価値を見つけるか、自分の内側に価値を見つけるかという二者択一思考のなかで、人々が真実を発見する一つの仕掛けになっているような気がする。
我々は、最期にたどり着く価値は、いつでも自分の内側にあるものだ。決して外側にはない。
昭和初期、誰もが、黒川君のように、自分の外側に価値を追い求めていた時代、天皇やら国威発揚やら領土拡張やら、日清日露戦争の戦勝に沸いて提灯行列を繰り返していた時代、自分の内側に光り輝く価値を発見していた女性がいた。
金子みすゞという。
彼女は、「みんな違って、みんないい……」と人間社会を喝破したのだ。
天皇を尊敬し、憧れるのではなく、一人一人に、光り輝く価値があると詩の中で言いたかったのだ。
それゆえ、時代の同調圧力は、彼女を殺さずにはおかなかった。
私は、天皇を崇拝する黒川君に、金子みすゞを知って欲しいと思う。もし、その意味を理解できたなら、もう二度と極右思想にかぶれて靖国を参拝することもなくなるだろう。
https://www.chichi.co.jp/web/20180929yazaki/
黒川君には、二年ほど前から注目していて、社会分析について、私とよく似た考えが多いのだが、決定的に違うことは、彼は極右思想の持ち主ということだ。
靖国神社に参拝し、天皇制に対し忠誠心を示している。彼の言葉の端々に、全体主義特有の優性思想が滲み出ている。
優性思想というのは、人間がもっとも大切にするべき価値として、一人一人の人生を置くのか、国家や天皇制を置くのかという価値判断であり、一人の人生や命より上位に国や天皇を置く思想のことである。
先の大戦では、「お国のために・天皇のために国民の人生・命を差し出すのは当然」という理屈をこねて、実に400万人を超える人々を死なせた。
まだ最近といってもいいが、れいわ新撰組で、元ウオール街トレーダーの大西つねきが語った「人の命を選別するのが政治家の仕事」という発想こそ、優性思想のエッセンスと言えるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=bMtAA9n1980
我々は、何のために生きているのか? という問いに対し、「天皇や日本国家の繁栄のために生きている」と回答するのが、優性主義者たちの、すぐれて極右思想の論理である。
つまり、黒川あつひこ君は、民主的で、いろいろ正義感に溢れたことを言っているのだが、実は、「お国のために命を捧げるのは当然」と決意して靖国神社に参拝している。
こうした優性思想=すぐれて国家主義が何を生むかといえば、その極端な結果が、ナチスドイツにおけるT4作戦だった。
日本のT4作戦 2018年09月28日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-492.html
オリーブの木の動画では、冒頭に「誰一人置いていかない……」と歌っているのだが、実は「みんな、まとめてガス室に連れていっちゃうぞ……」という意味なのかと思ってしまう。
ガス室でなければ、「みんな、まとめて戦場に連れて行く、誰一人置いていかない」と言ってるのだろうか?
靖国神社を参拝し、天皇制を崇拝し、国家主義を信奉するということは、「お国にとって足手まといになる邪魔な国民は淘汰する」という意味であり、お国の繁栄のためなら戦争も辞さないと言っていることになる。
ちょうど、8月16日、今夜にも尖閣諸島に、中国海軍が漁船を装って押しかけてくるので、いよいよ日中戦争の端緒が開かれる可能性が大きいのだが、「天皇のために、お国のために靖国に参拝する」黒川君は、さっそく自衛隊に入隊して尖閣に駆けつけるのかな?
私だって、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出す」主義ではない。理不尽に侵略してくる軍隊に抵抗するのは当然だと思うが、それはお国のためではなく、天皇のためでもなく、自分や仲間や子孫のためである。
普通は、ロッククライミングを愛好する黒川君のような人生観があれば、極右思想に向かうとは思えないのだが、たぶん、身近にいる極右のイデオローグに感化され、合同結婚式に向かう統一教会の若い娘のように洗脳されきってしまったのだろうと思う。
黒川君よ、はっきりいっておくが、人生は国家や天皇のものではない。一人一人の、何万年にも渡るカルマと個性の上にある苦悩によって定まるもので、何百何千の人生の繰り返しの上に、今の人生があり、それは日本国や天皇なんてチンケなシステムよりも、桁違いに価値の高い、壮大なものだ。
我々の個性は、一個の肉体で収まるものではない。もの凄い数の人生の繰り返しのなかで、学び、カルマを克服して、次々に転生し、次々に新しい人生とカルマを経験してゆくのだ。
今生、身動きも取れない重度障害を患ったとしても、前世には、もの凄く名高い戦士だったかもしれない。国家を代表する有能な人物だったかもしれない。そして、障害と苦悩のなかで学び、来生には人類を救済するために登場する人物かもしれない。
必要だから、苦悩の人生を経験している。来生のためだ。ところが、そんな人々を、ナチスは「お国のために役立たない」として40万人もガス室で虐殺した。
靖国神社というのは、「お国のために死んだ英霊」を祀る虚構であり、全国民に対して「お国のために命を捧げよ!」とメッセージを発し続けている。
逆の見方をすれば、「お国のために役立たない者は死ね」と言っているに等しい。
そんな軽薄すぎる愚かな施設に黒川君は喜んで参拝している。
自民党の政治家が参拝するのは仕方ない。彼らに対する希望も期待もゼロで、自民党は国を壊し、人々を不幸にする存在でしかないから、勝手にやらせておくしかなく、彼らは自らのカルマを増やして、自分の不幸を積み重ねるだけなのだ。
だが、黒川君には期待する人々がいた。そんな人々を本質的に裏切っているのが靖国参拝の極右思想なのだ。
それは、輪廻転生の人生と、国家や天皇制に対する知識、理解が圧倒的に不足しているからだ。
我々は、たまたま今、日本人に生まれているが、その本質は宇宙人であり、偶然地球に生まれただけであり、偶然日本に生まれただけだ。次には、日本に敵対する国に生まれ変わる可能性も大いにある。
あるいは、善良な人生ばかりとは限らず、インパール作戦に放りこまれた兵士だったり、宅間守のような凶悪殺人犯の人生だったりする。生まれた直後に爆弾で吹き飛ばされて殺されたりもする。
我々は、あらゆるシチエーションの人生を自ら選んで経験し、その中から宇宙の本質を学んでゆくのだ。そうして、一歩一歩、ヘーゲルが絶対精神=イデーと呼んだ、矛盾のない、極度に洗練された魂に上昇してゆく。
すべては学びなのだ。それは天皇だって同じだ。明仁氏も、浩宮氏も、もしかしたら前世は、飢えて悲惨に死んでいった運命のホームレスだったかもしれない。
明仁氏の深い思いやりは、そうした苦悩の前世が育んだものだったはずだ。
我々は、苦悩と残酷な運命の人生を経験しなければ、思いやりのある人間性を育むことはできないのだ。
真偽は定かでないが、私は、ある霊能者から、ナチスドイツで、ユダヤ人を迫害し、虐殺していた多くのドイツ人が、北朝鮮に生まれ変わって迫害される人生を経験させられていると聞いたことがある。ありうる話だ。
黒川君よ、天皇は特別な人ではない。我々と何一つ変わらない生身の肉体と頭脳を与えられ、一人の人間として生きている。
その存在理由は、「特別と思われる人生」を人々に示すことだと私は考えている。
こんな「特別な人」が存在することで何が起きるのかを、皆に知らせる使命の下に生まれてきた人だと思っている。
「特別な人」や「特別な国」があれば、その価値が高いと人々は幻想し、独裁や戦争の不幸を生んで行く。
そして、それが滅んで行く姿を人々に示すのだろうと私は思う。
よく日本の天皇制は2600年間続いていると思い込んでいる人がいるが、それは真っ赤な嘘だ。天皇は、過去2000年でおそらく10回近くも血統が途絶えていて、新しい血統に置き換えられている証拠があり、万世一系はひどい虚構だ。
現在の血統は、明治維新で孝明天皇が伊藤博文らに惨殺され、大室寅之佑がニセ天皇になったものの、大正帝は別の近親皇族の子で、近親婚の弊害により受精能力もなかっったから西園寺八郎が昭和帝の父となった。公望とは兄弟だ。
だから西園寺血統では、浩宮が三代目にすぎない。
そんな遺伝子上の血統など、どうでもいい。たぶん天皇制には、黒川君も私も知らない、別の意味が隠されているような気がしている。
もし、人生にとって意味があるとすれば、それは、自分の外に価値を見つけるか、自分の内側に価値を見つけるかという二者択一思考のなかで、人々が真実を発見する一つの仕掛けになっているような気がする。
我々は、最期にたどり着く価値は、いつでも自分の内側にあるものだ。決して外側にはない。
昭和初期、誰もが、黒川君のように、自分の外側に価値を追い求めていた時代、天皇やら国威発揚やら領土拡張やら、日清日露戦争の戦勝に沸いて提灯行列を繰り返していた時代、自分の内側に光り輝く価値を発見していた女性がいた。
金子みすゞという。
彼女は、「みんな違って、みんないい……」と人間社会を喝破したのだ。
天皇を尊敬し、憧れるのではなく、一人一人に、光り輝く価値があると詩の中で言いたかったのだ。
それゆえ、時代の同調圧力は、彼女を殺さずにはおかなかった。
私は、天皇を崇拝する黒川君に、金子みすゞを知って欲しいと思う。もし、その意味を理解できたなら、もう二度と極右思想にかぶれて靖国を参拝することもなくなるだろう。
https://www.chichi.co.jp/web/20180929yazaki/
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