ナチ政府の「安楽死プロパガンダ映画」が、私たちに教えてくれること
回帰するナチズム
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75140
京都に住むALSの女性患者を死に至らせた医師が逮捕され、安楽死に関する議論に注目が集まっている。ここでは、第二次大戦中のナチ政府下で作られた映画から、安楽死を問い直す。
一本の映画
ある映画をこれから紹介する。この映画のことを忘れないでいてほしい。本稿の目的は、この映画を2020年の今、日本語であらためて、一人でも多くの人に伝えることに尽きる。
主な登場人物は三人。一人はハナ・ハイトという女性。もう一人は、ハナの夫であり、病理学者のトーマス・ハイト。そして、もう一人、ハナとトーマスの友人である医師のベルンハルト・ラング。トーマスとラングは幼なじみで、大学でも医学を一緒に学んだ。
トーマスは研究の道に進み、大学教授(病理学)となり、ラングは臨床の道に進み、開業医となる。トーマスはラングを通じてハナと知り合い、結婚するのだが、周囲の者は、ハナと結婚するのはラングだと思っていた。ラングは結婚せず、ハナとトーマスの友人であり続ける。
ハナとトーマスの生活は幸せそのものだった。ところが、トーマスがミュンヒェンのペッテンコーファー研究所に所長として招聘されるという知らせが届いた頃から、ハナの身体に異常があらわれ始める。階段でつまずく。手がしびれてピアノが途中で弾けなくなる。目も見えにくくなる。トーマスはハナに、友人のラングに診察してもらうよう薦め、ハナはそうする。
ラングがハナに下した診断は「多発性硬化症」だった。多発性硬化症は神経疾患の一つで、30歳前後で最も多く発症すると言われている。多発性(multiple)というのは、いろいろな症状が出るという意味で、視覚障害、歩行障害、手足のしびれや運動麻痺といった症状が見られる。
多発性硬化症は、今日では、再発や進行を防止するさまざまな治療法が確立されている病気だが、この映画では治療法のない病気として描かれている。
トーマスは深いショックを受けながらも、ハナの治療のため新薬の開発に努めるが、最終的に挫折する。自分が(この映画では)不治の病であることを知らされたハナは、トーマスにこう訴える。
「私が最後の瞬間まで、あなたのハナでいられるように助けてちょうだい。あなたの知らないハナ、耳も聞こえず、話しもできず、白痴(idiotisch)[差別的な表現だが、原語をそのまま日本語にした(市野川)]になったハナでは絶対にいや。そんなこと私には耐えられない。……そうなる前にあなたは私を救ってくれると約束して、トーマス。そうするのよ、トーマス。私を本当に愛しているのなら、そうするのよ」
そして、トーマスはハナに致死薬を与え、ハナは死ぬ。
いかなる場合でも延命につくすことが医師の責務であると考えるラングは、そのことを知り、トーマスを激しく叱責する。しかし、そのラングも、ある出来事をきっかけに、自分のそうした考えに疑問を抱き始める。
「私は妻を苦しみから解放した」
ラングは、自分が以前に治療して、何とか一命をとりとめさせた、ある子どもの母親から手紙を受け取る。そこには「私たちを助けることができるのは、もうあなたしかいません」と書かれてあった。ラングは往診のため、その両親の家を訪ねるが、そこには子どもはいない。ラングが子どもはどこかと尋ねると、父親は無愛想にこう答える。
「子どもはどこかですって? 施設ですよ。目は見えないし、何も聞こえやしない。おまけに全くの白痴(idiotisch)だ[原語をそのまま日本語にした(市野川)]。そうそう、あなたは見事に治してくれましたよ、ねえ先生。哀れな子を安らかに死なせてくれる代わりにね」
ラングは「助けてくれ」という母親の訴えが、施設にいる自分の子どもを安らかに死なせてやってくれ、という意味であることをそこで悟る。
一方、トーマス・ハイトは、ハナの兄の訴えがもとで、殺人罪で裁判にかけられる。トーマスの弁護人は、ハナの死は多発性硬化症による自然死であり、トーマスは無実だと弁明するつもりでおり、ラングもトーマスを擁護するつもりで、証言台に立つ。
しかし、ラスト・シーンで被告のトーマスは、法廷で自ら次のように訴える。映画の脚本をそのまま引用する。
裁判長(苛立ちながら)「ベッカー医務参事官は、ハイト教授の投与した致死薬が効き始める前に、呼吸中枢に生じた硬化病巣によって死がもたらされた可能性もあると証言しました。(急き立てながら)あなたもその可能性を認めますか?(…)ハナ・ハイト夫人の病状に関するあなたの所見からすれば、この両方が原因で彼女が死亡したというということはありえますか?」ラング医師、沈黙。裁判長は答えを待つ。
ハイト(興奮して身を乗り出す)「ラング氏は私の妻が死亡する2時間前に、妻はまだ2ヶ月、生き長らえるとおっしゃっていました。しかも、その診断は客観的に見て、ゆるぎないものだ、と」(裁判長と検事、互いに驚いて顔を見合わせる)
弁護人(あわてて小声でささやく)「あなたは自分の無罪を棒にふる気ですか、ハイト教授!」
ハイト(立ち上がり、堂々と話し始める。早口で)「弁護士さん、わかっています。しかし、私はもう黙っていることはできない! 私はもう何も怖くない。人びとに轍を残そうとする者は、先陣を切らねばならない。私は自分が被告だとも、もう思っていません。なぜなら、私は自分のしたことによって、私にとって最も大切な存在を失うという罰をすでに受けたからです。
(厳しい口調になりながら)いいや、私は被告なんかじゃない! 私の方こそ告訴します! 私は、人民に奉仕するという役目を医師と、そして裁判官がまっとうすることを妨げている条文を告訴します。だから私は、私のしたことをもみ消そうなどとも思っていません。私は自分で自分を裁きます!
(ほとんど叫び声になりながら)なぜなら、どんな結果になろうとも、これは警告となり、人びとを眠りから覚ます呼び声となるのだから!(静かに)真実を告白します。私は不治の病にあった自分の妻を彼女の望みによって、その苦しみから解放したのです。私の今の人生は彼女の決定に捧げられています。そして、その決定は、妻と同じ運命に会うかもしれないすべての人間にもあてはまるのです。
(頭を垂れながら、消え入るような声で)判決をお願いします」
この映画の題名は『私は訴える(Ich klage an)』という。自分は、多発性硬化症におかされた妻の望みにしたがって、彼女に積極的安楽死をおこなったが、それを殺人罪に問う今の法律を、私の方が訴える、というトーマス・ハイトの主張を一言でまとめた題名だ。
「Ich klag an」という表現は、反ユダヤ主義を背景としたフランスのドレフェス事件に際して作家のE・ゾラがおこなった告発「私は弾劾する(J’accuse)」(1898年)のドイツ語訳でもある。
『私は訴える』がつくられた背景
NHKは昨年(2019年)6月、『彼女は安楽死を選んだ』という番組を放映した。ハナの多発性硬化症と同じ神経難病の一つである多系統萎縮症の女性が、日本では認められていない積極的安楽死をスイスで受けて死んでゆく様子が、その最期の瞬間までカメラで撮影され、放映された。
そして、京都で生活していたALSの女性患者を、昨年(2019年)11月、死に至らしめた嘱託殺人の容疑で、医師2人が本年(2020年)7月23日に逮捕された。京都新聞(2020年7月23日付)の報道によると、厚生労働省の医系技官だったそのうちの1人は、「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた」。
さらに、同じく京都新聞の2020年7月30日の報道によると、亡くなったALSの女性は、上のNHKの番組を見て、「自殺ほう助への思い」を「強めていった」という 。
特に後者の報道に接して、私が、自責の念とともに思ったのは、上の『私は訴える』という映画が、いつ、どこで、どういう意図の下でつくられ、上映されたか、ということを、昨年6月の番組の制作にかかわったNHKの人びとが知っていたら、同番組はもう少し違うものになっただろうし、その番組を見たALSの女性も、安楽死について、あるいは異なる考えを持ちえたかもしれない、ということだ。
自責の念というのは、『私は訴える』について私は自分の論文等で繰り返し紹介してきたけれども*2、それらの私の情報発信が、NHKの少なくともスイスでの安楽死に関する昨年6月の番組の制作者たちにはおそらく届いておらず、そして、そのことが京都のALSの女性の死、さらにはNHKの番組でとりあげられた女性の死と無関係ではないかもしれないと思うからである。映画『私は訴える』のことを、私はもっと多くの人たちに知らせるよう、努力すべきだった。
『私は訴える』は、ナチ政府が自分たちの安楽死計画を正当化し、それをドイツ国民に受け入れさせるために制作・上映したプロパガンダ映画である。ゆえに、ドイツ国内では今でもその視聴が大きく制限されているが、2008年にアメリカの会社がこの映画の英語の字幕付DVDの販売を開始し、今では日本でもアマゾン経由で買える(ドイツのアマゾン等でも買えるが、輸入のみで、ドイツ国内の業者がこれを販売することはできない)。
京都の嘱託殺人事件と安楽死の問題については、すでに美馬達哉が脳神経内科医、また社会学者として行き届いた考察をこのサイトでもおこなっている。美馬はそこで、「生きる価値が無いとされた心身障害者や高齢者が次々と有無を言わさず強制的に安楽死させられた」ナチの安楽死計画は、「安楽死に批判的な論者が必ず挙げるが」「さすがに極端すぎる例」と述べている。
それにも私は大筋で異論ないが、映画『私は訴える』はそうではない。その内容は、昨年6月のNHKの『彼女は安楽死を選んだ』とそう変わらず、関連情報を一切ふせて放映すれば、今も、いや今こそ、多くの人がこれに共感するだろう。
私たちを当惑させるのは、美馬の言うとおり「極端すぎる例」であるナチの安楽死計画を、しかし、当のナチ政府は80年近く前に、すぐれて今日的な映画でもって、人びとに受け入れさせようとしたということなのである。
ナチの安楽死計画
ドイツでは1939年の9月1日に、三つのことが起きている。
一つは、この日にドイツ軍がポーランドに侵攻して、二日後の9月3日に第二次世界大戦が始まる。もう一つは、ヒトラーの安楽死計画の秘密の実施命令書がこの日付で出されている。そして、最後に、この同じ日に、ナチ政府は1933年7月制定の断種法(遺伝病子孫出生防止法)で合法化した不妊手術を、原則、中止するという命令を出している。
優生学は、人間の淘汰を出生前におこなうことをその本義としている。ドイツにおける1939年9月1日は、だから、優生学が終わり、それとは異なる出生後の淘汰としての安楽死計画が開始された日として理解できるが、他方で、ナチの安楽死計画の犠牲者の多くは、その前に断種法にもとづく強制的不妊手術の被害者でもあるという事実を忘れてはならない。
1939年9月1日付の命令書にもとづいて開始された安楽死計画に対し、しかし、ヒトラーは1941年8月24日に口頭で中止を命じる。なぜか。カトリック教会を中心に、強い抗議と非難が向けられたからだ。安楽死計画は秘密裏に実施されたが、それでも何万人もの成人や子どもが殺されたのだから、到底、隠しおおせることはできなかった。
実際にはこの中止命令後も、安楽死計画は1945年まで続けられたが、ナチ政府は、この中止命令と入れ代わりに、安楽死計画の必要性をドイツ国民に納得させるための宣伝政策に一層、力を注ぐ。
その一つとして上映されたのが『私は訴える』である。この映画は1940年から制作が開始されていたが、それが完成してベルリンで初上映されたのは、1941年8月29日。安楽死計画の中止命令の5日後である。この映画の制作と並行して、ナチ政府は以下の2つの条文からなる安楽死法案を1940年の秋には仕上げていた*3。
第1条 不治の病により、自身苦しむ者又は他人を苦しめる者、又は死に至ることが確実な病気にかかっている者は、その者の明確な要請にもとづき、かつ、特別な権限を与えられた医師の許可にもとづいて、致死扶助(Sterbehilfe)を得ることができる。
第2条 不治の精神病のため、持続的な拘禁を必要とし、かつ自身で生命を維持することのできない者の生命は、医師の処置によって、当人が気づかず、苦痛の伴わない方法で、自然死に先立って終わらせることができる。
すでに開始していた安楽死計画に法的根拠を与えるためのこの法案が、しかし、実際に可決され、敵国の知るところとなれば、格好の攻撃材料を敵国に与えてしまうという懸念から、ヒトラーはこの法案を却下し、制定は戦争に勝利してからだと考えたが、その来るべき安楽死法の下地をドイツ国民の間に広げておくことも、映画『私は訴える』の目的の一つだった。それゆえの、ラストシーンでのトーマス・ハイトの演説なのである。
ナチ政府が実際におこなったことは、『私は訴える』で描かれたことの正反対である。第二次世界大戦の開始とともに、総力戦の足手まといとされた人たちを、本人の意思に関係なく、またその家族に何も知らせず、死に至らしめていた。にもかかわらず、ナチ政府は、自己決定にもとづく安楽死という物語を利用しながら、それとは真逆の安楽死計画を人びとに受け入れさせようとした。
ナチの宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスは、「最良のプロパガンダは間接的に機能する」という考えを信条にしていたと言われるが、自己決定のこうした反転的利用こそ、間接的で最良のプロパガンダだったと言えよう。
『私は訴える』のような映画や番組の放映が、ナチの安楽死計画を自動的に再来させると考えるのは、短絡的に過ぎる。しかし、そのような映画や番組の裏側で、それとは真逆のことが起きうるということを歴史は教えている。
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引用以上
すでに、私のブログのなかで「安楽死問題」を繰り返し取り上げてきた。「東海アマブログ・T4作戦」などで検索していただければ出てくる。
この映画の解説を見て、「楢山節考」を思い出した人も多かったかもしれない。
私自身が、この先、経済的生存条件を失ったなら、「おりん」のように消えていかねばならないという危機感がある。だから、ハナの決断は、自分に重ねて重苦しくのしかかってくる。
私の友人の娘が、311フクイチ事故の放射能によって、この映画の主人公、ハナと同じ病気、「多発性硬化症」になった。
私は、それまで多発性硬化症について、何の知識もなかったが、調べてゆくうちに、「甲状腺被曝」と大きな関係があるかもしれないと気づいた。
千葉県では、フクイチ事故の巨大被曝事件以降、多発性硬化症が7倍になったという記事があった。その後、この記事は削除されて見つけられなくなった。
千葉市に住む友人も、事故後、甲状腺を犯されて、今では毎週医者に行ってチラージンをもらってきて服用しなければ生活できなくなった。
千葉県では、フクイチ事故後、ヨウ素131による甲状腺障害が数百倍に増えたとの情報があるが、政府と原子力産業は、見事なまでに情報を隠蔽し、消してしまっている。
実際に、福島県における小児甲状腺癌の発生率は、約300倍に達している。
しかし、福島県はインチキ専門家の被曝隠蔽を目的とした会議(機関?)は作ったが、事故後、自然発生の300倍の異常発生が起きている甲状腺癌について、星北斗らは、「放射能とは何の関係もない」と、最初から結論だけを死守するという、呆れを通り越して、精神異常者、論理破綻者というしかない、歴史に残るような超愚劣な対応を重ねている。
もしかしたら、秘密裏に原爆開発を進めていたナチスは、大量の放射能を環境に放出していて、ハナは、そのヨウ素131を吸入させられたかもしれない、と思った。
今では、多発性硬化症の原因が、リウマチや膠原病などと同じ免疫過剰で、脊髄神経系を攻撃するところから来ていることが分かったが、まだ完全に有効な治療法は確立しておらず、相変わらず難病指定になっている。
放射能被曝は、免疫系を激しく破壊することが分かっている。政府は、東電の株価を守ることを、被曝者の健康被害よりも、はるか上位に置いているから、決して放射能との因果関係を明らかにしようとしない。
今では、ハナの時代に比べてステロイド療法が進化しているので、ハナのように死を求める人もほとんどいないが、原因不明の難病は人間を追い詰め、心をへし折ろうとする。
実は、私も免疫系難病=進行性肺疾患にかかっているので、毎日悪化する肺と必死に戦っている。
医療は、X線CTを撮りまくって、患者の肺から組織片を取り出し、大量のステロイドを投与して、治療しているつもりになっているが、私は数百ミリシーベルトのX線照射や、肺穿刺細胞診が、どれほど病気を悪化させるか容易に想像がついたので、一切、医療を信用せず、ただ森林浴と呼吸トレーニングだけで自家治療しようと決めているのだ。
おかげで、普通は6年目に呼吸不全で死ぬことになっているIPFだが、6年目の今年、未だに酸素も必要としていない。
ハナは、当時、多発性硬化症を不治の病と決めつけられ、進行性の病状悪化を告げられて絶望して死を求めたが、もし医療を信用せずに、私のように我が道を歩んでいたなら、おそらく相当高齢まで生き続けられたのではないかと思った。
医療は、現実的に言えば、患者を治すためではなく、医者の名誉や蓄財のためにあるのだから。本気で患者を治したい医師は、いったいどれくらいの割合いると思う?
だいたい、知的レベルの競争をしたがる社会では、知性は必ず名誉欲に堕落してゆくものだ。社会全体で、権威を信奉する幻想の上に、虚構の医療が作られてゆく。
肺胞細胞を必死に復活させようとしている肺組織に対し、数百ミリシーベルトの放射線を浴びせて、「診断のための放射線被曝は被曝ではありません」と耳を疑いたくなるような虚構のなかに住んでいる医師たちに、本当に患者の病気を治す意思があるとは、とても思えないのだ。
病気はマニュアルで確定診断するものでなければ、マニュアルで治すものでもない。
患者への思いやりと愛と、自然治癒力で治すものだと、私は言いたい。
引用した本文のなかに出てくる、医師の思い上がった独善と傲慢のなかで、真の回復の機会を失って殺されてゆく医療とは何だろうと、私は思い続けている。
本題の「安楽死」から大きく外れてしまったが、別の機会に取り上げたい。
回帰するナチズム
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75140
京都に住むALSの女性患者を死に至らせた医師が逮捕され、安楽死に関する議論に注目が集まっている。ここでは、第二次大戦中のナチ政府下で作られた映画から、安楽死を問い直す。
一本の映画
ある映画をこれから紹介する。この映画のことを忘れないでいてほしい。本稿の目的は、この映画を2020年の今、日本語であらためて、一人でも多くの人に伝えることに尽きる。
主な登場人物は三人。一人はハナ・ハイトという女性。もう一人は、ハナの夫であり、病理学者のトーマス・ハイト。そして、もう一人、ハナとトーマスの友人である医師のベルンハルト・ラング。トーマスとラングは幼なじみで、大学でも医学を一緒に学んだ。
トーマスは研究の道に進み、大学教授(病理学)となり、ラングは臨床の道に進み、開業医となる。トーマスはラングを通じてハナと知り合い、結婚するのだが、周囲の者は、ハナと結婚するのはラングだと思っていた。ラングは結婚せず、ハナとトーマスの友人であり続ける。
ハナとトーマスの生活は幸せそのものだった。ところが、トーマスがミュンヒェンのペッテンコーファー研究所に所長として招聘されるという知らせが届いた頃から、ハナの身体に異常があらわれ始める。階段でつまずく。手がしびれてピアノが途中で弾けなくなる。目も見えにくくなる。トーマスはハナに、友人のラングに診察してもらうよう薦め、ハナはそうする。
ラングがハナに下した診断は「多発性硬化症」だった。多発性硬化症は神経疾患の一つで、30歳前後で最も多く発症すると言われている。多発性(multiple)というのは、いろいろな症状が出るという意味で、視覚障害、歩行障害、手足のしびれや運動麻痺といった症状が見られる。
多発性硬化症は、今日では、再発や進行を防止するさまざまな治療法が確立されている病気だが、この映画では治療法のない病気として描かれている。
トーマスは深いショックを受けながらも、ハナの治療のため新薬の開発に努めるが、最終的に挫折する。自分が(この映画では)不治の病であることを知らされたハナは、トーマスにこう訴える。
「私が最後の瞬間まで、あなたのハナでいられるように助けてちょうだい。あなたの知らないハナ、耳も聞こえず、話しもできず、白痴(idiotisch)[差別的な表現だが、原語をそのまま日本語にした(市野川)]になったハナでは絶対にいや。そんなこと私には耐えられない。……そうなる前にあなたは私を救ってくれると約束して、トーマス。そうするのよ、トーマス。私を本当に愛しているのなら、そうするのよ」
そして、トーマスはハナに致死薬を与え、ハナは死ぬ。
いかなる場合でも延命につくすことが医師の責務であると考えるラングは、そのことを知り、トーマスを激しく叱責する。しかし、そのラングも、ある出来事をきっかけに、自分のそうした考えに疑問を抱き始める。
「私は妻を苦しみから解放した」
ラングは、自分が以前に治療して、何とか一命をとりとめさせた、ある子どもの母親から手紙を受け取る。そこには「私たちを助けることができるのは、もうあなたしかいません」と書かれてあった。ラングは往診のため、その両親の家を訪ねるが、そこには子どもはいない。ラングが子どもはどこかと尋ねると、父親は無愛想にこう答える。
「子どもはどこかですって? 施設ですよ。目は見えないし、何も聞こえやしない。おまけに全くの白痴(idiotisch)だ[原語をそのまま日本語にした(市野川)]。そうそう、あなたは見事に治してくれましたよ、ねえ先生。哀れな子を安らかに死なせてくれる代わりにね」
ラングは「助けてくれ」という母親の訴えが、施設にいる自分の子どもを安らかに死なせてやってくれ、という意味であることをそこで悟る。
一方、トーマス・ハイトは、ハナの兄の訴えがもとで、殺人罪で裁判にかけられる。トーマスの弁護人は、ハナの死は多発性硬化症による自然死であり、トーマスは無実だと弁明するつもりでおり、ラングもトーマスを擁護するつもりで、証言台に立つ。
しかし、ラスト・シーンで被告のトーマスは、法廷で自ら次のように訴える。映画の脚本をそのまま引用する。
裁判長(苛立ちながら)「ベッカー医務参事官は、ハイト教授の投与した致死薬が効き始める前に、呼吸中枢に生じた硬化病巣によって死がもたらされた可能性もあると証言しました。(急き立てながら)あなたもその可能性を認めますか?(…)ハナ・ハイト夫人の病状に関するあなたの所見からすれば、この両方が原因で彼女が死亡したというということはありえますか?」ラング医師、沈黙。裁判長は答えを待つ。
ハイト(興奮して身を乗り出す)「ラング氏は私の妻が死亡する2時間前に、妻はまだ2ヶ月、生き長らえるとおっしゃっていました。しかも、その診断は客観的に見て、ゆるぎないものだ、と」(裁判長と検事、互いに驚いて顔を見合わせる)
弁護人(あわてて小声でささやく)「あなたは自分の無罪を棒にふる気ですか、ハイト教授!」
ハイト(立ち上がり、堂々と話し始める。早口で)「弁護士さん、わかっています。しかし、私はもう黙っていることはできない! 私はもう何も怖くない。人びとに轍を残そうとする者は、先陣を切らねばならない。私は自分が被告だとも、もう思っていません。なぜなら、私は自分のしたことによって、私にとって最も大切な存在を失うという罰をすでに受けたからです。
(厳しい口調になりながら)いいや、私は被告なんかじゃない! 私の方こそ告訴します! 私は、人民に奉仕するという役目を医師と、そして裁判官がまっとうすることを妨げている条文を告訴します。だから私は、私のしたことをもみ消そうなどとも思っていません。私は自分で自分を裁きます!
(ほとんど叫び声になりながら)なぜなら、どんな結果になろうとも、これは警告となり、人びとを眠りから覚ます呼び声となるのだから!(静かに)真実を告白します。私は不治の病にあった自分の妻を彼女の望みによって、その苦しみから解放したのです。私の今の人生は彼女の決定に捧げられています。そして、その決定は、妻と同じ運命に会うかもしれないすべての人間にもあてはまるのです。
(頭を垂れながら、消え入るような声で)判決をお願いします」
この映画の題名は『私は訴える(Ich klage an)』という。自分は、多発性硬化症におかされた妻の望みにしたがって、彼女に積極的安楽死をおこなったが、それを殺人罪に問う今の法律を、私の方が訴える、というトーマス・ハイトの主張を一言でまとめた題名だ。
「Ich klag an」という表現は、反ユダヤ主義を背景としたフランスのドレフェス事件に際して作家のE・ゾラがおこなった告発「私は弾劾する(J’accuse)」(1898年)のドイツ語訳でもある。
『私は訴える』がつくられた背景
NHKは昨年(2019年)6月、『彼女は安楽死を選んだ』という番組を放映した。ハナの多発性硬化症と同じ神経難病の一つである多系統萎縮症の女性が、日本では認められていない積極的安楽死をスイスで受けて死んでゆく様子が、その最期の瞬間までカメラで撮影され、放映された。
そして、京都で生活していたALSの女性患者を、昨年(2019年)11月、死に至らしめた嘱託殺人の容疑で、医師2人が本年(2020年)7月23日に逮捕された。京都新聞(2020年7月23日付)の報道によると、厚生労働省の医系技官だったそのうちの1人は、「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた」。
さらに、同じく京都新聞の2020年7月30日の報道によると、亡くなったALSの女性は、上のNHKの番組を見て、「自殺ほう助への思い」を「強めていった」という 。
特に後者の報道に接して、私が、自責の念とともに思ったのは、上の『私は訴える』という映画が、いつ、どこで、どういう意図の下でつくられ、上映されたか、ということを、昨年6月の番組の制作にかかわったNHKの人びとが知っていたら、同番組はもう少し違うものになっただろうし、その番組を見たALSの女性も、安楽死について、あるいは異なる考えを持ちえたかもしれない、ということだ。
自責の念というのは、『私は訴える』について私は自分の論文等で繰り返し紹介してきたけれども*2、それらの私の情報発信が、NHKの少なくともスイスでの安楽死に関する昨年6月の番組の制作者たちにはおそらく届いておらず、そして、そのことが京都のALSの女性の死、さらにはNHKの番組でとりあげられた女性の死と無関係ではないかもしれないと思うからである。映画『私は訴える』のことを、私はもっと多くの人たちに知らせるよう、努力すべきだった。
『私は訴える』は、ナチ政府が自分たちの安楽死計画を正当化し、それをドイツ国民に受け入れさせるために制作・上映したプロパガンダ映画である。ゆえに、ドイツ国内では今でもその視聴が大きく制限されているが、2008年にアメリカの会社がこの映画の英語の字幕付DVDの販売を開始し、今では日本でもアマゾン経由で買える(ドイツのアマゾン等でも買えるが、輸入のみで、ドイツ国内の業者がこれを販売することはできない)。
京都の嘱託殺人事件と安楽死の問題については、すでに美馬達哉が脳神経内科医、また社会学者として行き届いた考察をこのサイトでもおこなっている。美馬はそこで、「生きる価値が無いとされた心身障害者や高齢者が次々と有無を言わさず強制的に安楽死させられた」ナチの安楽死計画は、「安楽死に批判的な論者が必ず挙げるが」「さすがに極端すぎる例」と述べている。
それにも私は大筋で異論ないが、映画『私は訴える』はそうではない。その内容は、昨年6月のNHKの『彼女は安楽死を選んだ』とそう変わらず、関連情報を一切ふせて放映すれば、今も、いや今こそ、多くの人がこれに共感するだろう。
私たちを当惑させるのは、美馬の言うとおり「極端すぎる例」であるナチの安楽死計画を、しかし、当のナチ政府は80年近く前に、すぐれて今日的な映画でもって、人びとに受け入れさせようとしたということなのである。
ナチの安楽死計画
ドイツでは1939年の9月1日に、三つのことが起きている。
一つは、この日にドイツ軍がポーランドに侵攻して、二日後の9月3日に第二次世界大戦が始まる。もう一つは、ヒトラーの安楽死計画の秘密の実施命令書がこの日付で出されている。そして、最後に、この同じ日に、ナチ政府は1933年7月制定の断種法(遺伝病子孫出生防止法)で合法化した不妊手術を、原則、中止するという命令を出している。
優生学は、人間の淘汰を出生前におこなうことをその本義としている。ドイツにおける1939年9月1日は、だから、優生学が終わり、それとは異なる出生後の淘汰としての安楽死計画が開始された日として理解できるが、他方で、ナチの安楽死計画の犠牲者の多くは、その前に断種法にもとづく強制的不妊手術の被害者でもあるという事実を忘れてはならない。
1939年9月1日付の命令書にもとづいて開始された安楽死計画に対し、しかし、ヒトラーは1941年8月24日に口頭で中止を命じる。なぜか。カトリック教会を中心に、強い抗議と非難が向けられたからだ。安楽死計画は秘密裏に実施されたが、それでも何万人もの成人や子どもが殺されたのだから、到底、隠しおおせることはできなかった。
実際にはこの中止命令後も、安楽死計画は1945年まで続けられたが、ナチ政府は、この中止命令と入れ代わりに、安楽死計画の必要性をドイツ国民に納得させるための宣伝政策に一層、力を注ぐ。
その一つとして上映されたのが『私は訴える』である。この映画は1940年から制作が開始されていたが、それが完成してベルリンで初上映されたのは、1941年8月29日。安楽死計画の中止命令の5日後である。この映画の制作と並行して、ナチ政府は以下の2つの条文からなる安楽死法案を1940年の秋には仕上げていた*3。
第1条 不治の病により、自身苦しむ者又は他人を苦しめる者、又は死に至ることが確実な病気にかかっている者は、その者の明確な要請にもとづき、かつ、特別な権限を与えられた医師の許可にもとづいて、致死扶助(Sterbehilfe)を得ることができる。
第2条 不治の精神病のため、持続的な拘禁を必要とし、かつ自身で生命を維持することのできない者の生命は、医師の処置によって、当人が気づかず、苦痛の伴わない方法で、自然死に先立って終わらせることができる。
すでに開始していた安楽死計画に法的根拠を与えるためのこの法案が、しかし、実際に可決され、敵国の知るところとなれば、格好の攻撃材料を敵国に与えてしまうという懸念から、ヒトラーはこの法案を却下し、制定は戦争に勝利してからだと考えたが、その来るべき安楽死法の下地をドイツ国民の間に広げておくことも、映画『私は訴える』の目的の一つだった。それゆえの、ラストシーンでのトーマス・ハイトの演説なのである。
ナチ政府が実際におこなったことは、『私は訴える』で描かれたことの正反対である。第二次世界大戦の開始とともに、総力戦の足手まといとされた人たちを、本人の意思に関係なく、またその家族に何も知らせず、死に至らしめていた。にもかかわらず、ナチ政府は、自己決定にもとづく安楽死という物語を利用しながら、それとは真逆の安楽死計画を人びとに受け入れさせようとした。
ナチの宣伝相のヨーゼフ・ゲッベルスは、「最良のプロパガンダは間接的に機能する」という考えを信条にしていたと言われるが、自己決定のこうした反転的利用こそ、間接的で最良のプロパガンダだったと言えよう。
『私は訴える』のような映画や番組の放映が、ナチの安楽死計画を自動的に再来させると考えるのは、短絡的に過ぎる。しかし、そのような映画や番組の裏側で、それとは真逆のことが起きうるということを歴史は教えている。
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引用以上
すでに、私のブログのなかで「安楽死問題」を繰り返し取り上げてきた。「東海アマブログ・T4作戦」などで検索していただければ出てくる。
この映画の解説を見て、「楢山節考」を思い出した人も多かったかもしれない。
私自身が、この先、経済的生存条件を失ったなら、「おりん」のように消えていかねばならないという危機感がある。だから、ハナの決断は、自分に重ねて重苦しくのしかかってくる。
私の友人の娘が、311フクイチ事故の放射能によって、この映画の主人公、ハナと同じ病気、「多発性硬化症」になった。
私は、それまで多発性硬化症について、何の知識もなかったが、調べてゆくうちに、「甲状腺被曝」と大きな関係があるかもしれないと気づいた。
千葉県では、フクイチ事故の巨大被曝事件以降、多発性硬化症が7倍になったという記事があった。その後、この記事は削除されて見つけられなくなった。
千葉市に住む友人も、事故後、甲状腺を犯されて、今では毎週医者に行ってチラージンをもらってきて服用しなければ生活できなくなった。
千葉県では、フクイチ事故後、ヨウ素131による甲状腺障害が数百倍に増えたとの情報があるが、政府と原子力産業は、見事なまでに情報を隠蔽し、消してしまっている。
実際に、福島県における小児甲状腺癌の発生率は、約300倍に達している。
しかし、福島県はインチキ専門家の被曝隠蔽を目的とした会議(機関?)は作ったが、事故後、自然発生の300倍の異常発生が起きている甲状腺癌について、星北斗らは、「放射能とは何の関係もない」と、最初から結論だけを死守するという、呆れを通り越して、精神異常者、論理破綻者というしかない、歴史に残るような超愚劣な対応を重ねている。
もしかしたら、秘密裏に原爆開発を進めていたナチスは、大量の放射能を環境に放出していて、ハナは、そのヨウ素131を吸入させられたかもしれない、と思った。
今では、多発性硬化症の原因が、リウマチや膠原病などと同じ免疫過剰で、脊髄神経系を攻撃するところから来ていることが分かったが、まだ完全に有効な治療法は確立しておらず、相変わらず難病指定になっている。
放射能被曝は、免疫系を激しく破壊することが分かっている。政府は、東電の株価を守ることを、被曝者の健康被害よりも、はるか上位に置いているから、決して放射能との因果関係を明らかにしようとしない。
今では、ハナの時代に比べてステロイド療法が進化しているので、ハナのように死を求める人もほとんどいないが、原因不明の難病は人間を追い詰め、心をへし折ろうとする。
実は、私も免疫系難病=進行性肺疾患にかかっているので、毎日悪化する肺と必死に戦っている。
医療は、X線CTを撮りまくって、患者の肺から組織片を取り出し、大量のステロイドを投与して、治療しているつもりになっているが、私は数百ミリシーベルトのX線照射や、肺穿刺細胞診が、どれほど病気を悪化させるか容易に想像がついたので、一切、医療を信用せず、ただ森林浴と呼吸トレーニングだけで自家治療しようと決めているのだ。
おかげで、普通は6年目に呼吸不全で死ぬことになっているIPFだが、6年目の今年、未だに酸素も必要としていない。
ハナは、当時、多発性硬化症を不治の病と決めつけられ、進行性の病状悪化を告げられて絶望して死を求めたが、もし医療を信用せずに、私のように我が道を歩んでいたなら、おそらく相当高齢まで生き続けられたのではないかと思った。
医療は、現実的に言えば、患者を治すためではなく、医者の名誉や蓄財のためにあるのだから。本気で患者を治したい医師は、いったいどれくらいの割合いると思う?
だいたい、知的レベルの競争をしたがる社会では、知性は必ず名誉欲に堕落してゆくものだ。社会全体で、権威を信奉する幻想の上に、虚構の医療が作られてゆく。
肺胞細胞を必死に復活させようとしている肺組織に対し、数百ミリシーベルトの放射線を浴びせて、「診断のための放射線被曝は被曝ではありません」と耳を疑いたくなるような虚構のなかに住んでいる医師たちに、本当に患者の病気を治す意思があるとは、とても思えないのだ。
病気はマニュアルで確定診断するものでなければ、マニュアルで治すものでもない。
患者への思いやりと愛と、自然治癒力で治すものだと、私は言いたい。
引用した本文のなかに出てくる、医師の思い上がった独善と傲慢のなかで、真の回復の機会を失って殺されてゆく医療とは何だろうと、私は思い続けている。
本題の「安楽死」から大きく外れてしまったが、別の機会に取り上げたい。
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