私がインターネットを始めたのは、MSDOSから最初のウインドウズが登場したころで、1990年くらいではなかったと思う。
「東海アマチュア無線地震予知研究会」というサイトを立ち上げたのは、阪神大震災後の1995年のはずだ。
かれこれ30年くらいネットを見てきて、初期の頃は、自由闊達、悪意ある嫌がらせ介入も少なく、ウイルス汚染の心配も少なく、ウイルス防御ソフトも必要とせず、おまけに、今のように、政治的・宗教的な立場からの不本意な関与が多いネット監視統制もなくて、今よりも格段に質の高い情報が、無数に存在し、しかも自由に無償で手に入れることが可能だった。ほとんどの映画も無償で自由に閲覧可能だった。もちろん、エロサイトでも、海苔弁やぼかし皆無の、ダイレクトなエッチが閲覧できた。
いわば、「インターネット黄金時代」があった。それは1997年あたりまでではなかっただろうか?
確か95年くらいだったと思うが、私はネット上の「未来住宅のビジョン」に関係するサイトを見ていて、非常に奇妙な印象を抱かされた。
そこに、数十年後の未来住宅のイメージが、具体的に描かれ、たくさん掲載されていたのだが、どれもこれも、今の住宅感覚からみて極めて奇妙だったのだ。
普通、未来の住宅といえば、より太陽光や星空など、自然とダイレクトに接触する環境を取り入れて、採光窓を大きくし、いざとなったら機密性、耐候性の高いプライバシーも守れる住宅に早変わりするような機能的イメージを持っていた。
だから、大きな軒を採用し、屋根も自由に開閉できて、室内を太陽光で包み込めるような明るさを持つのが未来住宅だと思い込んでいた。
ところが、そのサイトに掲載されていたのは、まるで草原にニョキニョキと生えている石灰ドームのような住宅群で、どれも屋根が丸くて、窓が小さくて、とうてい自然と融和した住宅とは思えなかった。
「これが未来の住宅だって?」
今、ネット上の、どこを探しても、当時のこんなビジョンを見つけることはできない。完全に削除され顧みられなくなっている。
1995年といえば、まだ異常気象はハシリの頃で、その後、我々の常識を越えるような気象災害が頻繁に現れるようになるのだが、そのときは、まだ戦後の一般的な気象条件が続いていた。
まるで高射砲陣地のような、あるいは要塞のような、あたかも戦争勃発を前提に設計したのかと思うような住宅群は、ネット上のビジョンのまま消えていったかに見えた。
だが違った……。その後、今世紀に入って、異常気象は我々の想像力が追いつかないほど激烈なものとなり、風速100メートルなんて、まるで巨大竜巻の中のような超暴風が珍しくなくなった。
以下は、たった今、昼前に出ている気象庁の台風情報だ。

最大瞬間風速70メートルの台風が、明日にも沖縄を通過してゆく。
海水温が28度以上だと、台風は海からエネルギーの補給を受けて、無制限に巨大に発達してゆくらしい。
8月の凄まじい猛暑を受けて、沖縄付近の海水温は30度もあるので、短時間にカテゴリー5レベルの巨大台風に成長するのだ。
https://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/data/db/kaikyo/knowledge/taifuu_suionteika.html
アメリカでも、ハリケーン・カトリーナをはじめとして、毎年のようにカテゴリー5クラスの凶暴なハリケーンが襲うようになり、もはやアメリカの住宅は、トルネードとともに、暴風との戦いを前提にして設計しなければならなくなっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A
毎年、レベルが上がってゆく、凄まじい猛暑から、台風もハリケーンもトルネードも、もはや過去の常識が通用しない恐怖の猛獣化している。これに巻き込まれたなら、助かるのは奇跡でしかない。
2013年に発生したタイフーン・ハイエンはフィリピンを直撃し、最大瞬間風速105メートルによって、一説によれば1万人近い死者が出たといわれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%9025%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E9%A2%A8%E7%AC%AC30%E5%8F%B7
カトリーナもハイエンも、共通するのは、中心気圧が890HP台まで発達したことで、日本で、この規模の台風に襲われたのは、1959年の伊勢湾台風である。このときは、瞬間風速60メートルを超える風と高潮で、私の家も大きな被害を受けて、5000名が死亡している。
だが、海水温が30度もあれば、容易に800HP台の台風が成立すると言われている。
すでに40度近い猛暑が定着したといえる気象遷移のなかで、もう風速70メートルなど序の口、たぶん100メートルに達する台風も登場するにちがいない。
こうなると、家屋に軒があると台風に吹き飛ばされる翼を持っているようなもので、石などが飛んできて、窓を破られたとき、大きな窓だと、内部に吹き込んだ風で、一瞬にして屋根を破壊される。
したがって、軒の小さな、窓の小さな、角の丸い家だけが、凄まじい暴風に対抗することができるのである。
そこで、冒頭に紹介した、1995年頃、ネット上に出回っていた「未来住宅のビジョン」が大きな意味を持ってくる。
つまり、この要塞のような未来住宅は、どう考えても、今の超異常気象による超大型台風の襲来を前提にして設計されたものだったのだ。
建築家や芸術家、作家、脚本家などには、霊的感性が非常に高く、集合無意識におけるアカシックレコードから情報を得ている人が多いという。
そんな人は、数万年も過去や、数万年もの未来の情報がアタマに浮かびビジョンを見ることができる。
たぶん、30年後の日本がどんな危機に晒されているか、容易に見抜くことができたのではないだろうか?
これから必要な住宅は、大自然との調和ではない。それは殺人的猛暑と、殺人的暴風の侵略を耐え忍ぶ要塞だったのだ。
私は、これから海抜700メートルの涼しい地域に人々が移住するだろうと予言した。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1232.html
風通しの良い海抜700メートルでは、台風による暴風の威力も一段と激しいものになることは避けられない。
それを前提に、強固な要塞ハウスを設計しようとするなら、風の影響を最小限に抑えるため、全体に丸く、風に飛ばされない強靱な地盤接合を持ち、軒は小さく、窓も小さく取るしかない。
どうしても太陽光と融合したいなら、開閉式の富士山山頂気象観測ドームのようなものを家の上部に設置し、これを自動開閉式にするしかないだろう。
家の構造材料も、たぶん鉄筋コンクリートを用いることになる。もしコンクリート砂によるラドン被曝が心配なら、構造体ブロックをドーム状に積んでゆくしかない。
100メートルの風の威力が、どれほど凄まじいかというと、
https://isabou.net/Convenience/aviso/news_20131112.asp
https://www.youtube.com/watch?v=JN572cZFVOM
上の動画は、わずか風速70メートルであり、100メートルに遠く及ばないのだが……。 もちろんゴルフ場の鉄骨がくにゃくにゃになって倒壊したのは、台風15号の千葉県における影響で、我々は目撃したのだが、これも伊勢湾台風にも満たない最大瞬間風速58メートルであった。
https://www.youtube.com/watch?v=7Lp8zM-JYWU
風速100メートルが押し寄せたら、何が起きるか想像がつくだろうか?
通常の日本家屋では、軒が大きいため、たちまち屋根を飛ばされてしまう。また、近隣の街路樹や広告塔などが、まるで爆弾のように吹き飛ばされてきて、家の壁に激突するのだ。
そんなことを考えると、これからの住宅、とりわけ高地の住宅では、従来の日本家屋のイメージや、自然融合型住宅は、一切通用しない。
暴風に対する要塞でなければならず、おまけに猛暑対策も兼ねていなければならない。
以下に、そんな超凶暴暴風対策家屋の例を示す
https://ameblo.jp/amepro7/entry-12403882781.html
上のリンク先に見えている家でも、私には不満だ。なぜなら、時速100キロで飛んでくる材木や鉄骨、看板が家の壁に激突したとき弱すぎるように見える。
壁は鉄筋コンクリートの厚さ15センチ程度は必要になりそうだ。
おまけに太陽光の熱を吸収しにくいように、色調は白が望ましい。
これらを考えると、何もかも、1995年に示されていた未来住宅の奇っ怪なビジョンそのままになってしまう。
そのビジョンを作った人は、完全に未来が見えていた。
なんとか、当時のビジョンをもう一度見せてもらいたいものだ。
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