球磨川水害
https://news.yahoo.co.jp/articles/095d8b5f2ec7afb83ea06dc048c772554348bef0
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/626212/
今回の球磨川大水害について、支流の川辺川ダム構想を地元住民が否定したことが原因との主張が繰り返されている。
https://www.youtube.com/watch?v=5B4fJw_ly2M&t=124s
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74031
しかし、発電治水目的で作られた、たくさんのダムが、過去に大規模水害時にダムを守るため放流を行った結果、多数の人命財産を破壊している。
洪水対策のためのダム事前放流について 2019年10月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-904.html
この原因は、ダム建設事業主体である電力土木事業協会の運営規程にあることは、何度も書いた。
http://www.jepoc.or.jp/tecinfo/library.php?_w=Library&_x=detail&library_id=180
ここには、事前放流の水量が回復しなかった場合、「ダム管理者が利水事業者に賠償する」と書かれている。利水事業者というのは、ダム発電を行う電力企業のことだ。
つまり、「集中豪雨が来ることで、下流の安全を守るために事前放流したとき、もしも放流分が大雨で回復しなければ、ダム管理者に賠償させる」というのだ。
こんな規定があれば、ダム管理者は賠償に臆病になって事前放流をするわけがない。
流域住民の財産と権利よりも、発電利権を優先させた電力事業者たちは、いまだに、この規定を放棄していない。
こんな住民無視の姿勢で運営されているのが、全国の発電ダムなのだ。
ダムを治水発電目的で造るのはいいが、中国三峡ダムと同じで、「干魃になれば蓄水し、大雨になれば放流して下流域に大洪水を起こす」という構図であり、治水目的が聞いて呆れる実態である。
そもそも、河川洪水から流域を守る方法として、治水ダムを建設するという一択だけで戦後のダム建設が進められてきたが、なぜダムばかりがもてはやされてきたかといえば、それが関係者、政治家にとって利権の巣窟だからである。
すなわち、大きなダムが計画されれば、それは電力企業からのリベートによって、地域の政治家たちを潤すものだったから、建設に対する歯止めが効かなくなっていた。
だが、大河川にダムが造られると、治水や発電以上のデメリットも多数存在する。下流の水量が少なくなることで、生態系が変わってしまい、河川漁撈ができなくなる。
戦前まで材木運搬などで大きな存在感のあった河川水運が、水量減少で運行不可能になり、水運のために行われてきた浚渫も無意味になるため、河川の包容水量に貢献しなくなり、水運が廃止された河川は、土砂が貯まって「天井川」に変化してゆき、ますます洪水に弱くなってゆく。
江戸時代の水防治水事業として広く行われてきた「洪水防止、遊水池システム」がダムによって不要とされ、埋め立てられて住居地や農地に変えられてゆく。
自然流下は河川水の浄化にも大きな役割を果たしていたが、ダムで流水が枯渇すると、水質は著しく悪化し、豊富な水によって支えられてきた生態系も崩壊する。
水量が減れば、人里は、洪水の記憶を忘れて、どんどん河川に近づいてゆく。河原は平坦で利用価値が高いからだ。しかし数百年に一度の大洪水になったとき、極端な被害が出やすくなる。
私は、ダムによる治水事業は、従来信仰されてきたほどのメリットがあるようには思えない。むしろデメリットが多いのだ。
それでは、近年の異常気象、数百年に一度という大洪水を防止するには、高橋洋一や藤井聡の言うようにダム建設しかないのか?
違う、ダム建設技術のなかった江戸時代の水防技術をもう一振り返るべきだ。
古い水郷都市、例えば柳川市などでは、河川護岸工事に、蛇籠に石を詰めて川岸に並べ柳を植えて、その根が育つと、コンクリート護岸にも劣らない強度を持った風光明媚な岸辺が作られる。
中村哲は、アフガニスタンのガンベリ砂漠緑化事業に、この方式を用いた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E7%9A%84%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E5%B7%A5%E6%B3%95
江戸時代、繰り返された水害に悩まされた藩は、ダムではなく、遊水池をたくさん作り、洪水になれば、その土手を切って一時的な池を作ることで対処するようになった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1182.html
こうした伝統的水防技術を見直せば、決壊による巨大惨禍のリスクがあるダムよりも、はるかに有効な治水効果をもたらすはずだ。
さらに、河川水運を復活させて、浚渫することにより、河川の包容水量が大きくなり、洪水防止に役立つのだ。
球磨川の地図を見ても、かつて、おそらく洪水防止のための大規模な遊水池があったと思われる地形がたくさんある。
近代になって、これらが埋め立てられ、生活地に変わってしまっている。これは遊水池の利用価値が高いことから、やむをえないのだが、人類による環境破壊から、これほどの自然激変が起きている以上、安全な洪水対策のために、遊水池事業を見直すべきではないのか?
球磨川周辺は、まだまだ人口流出の多い過疎地域なので、一部を移転し、大規模な遊水池を数十カ所に作ることは十分可能であり、ダム建設の数十分の一以下の費用で、それが可能だろう。ただリベート狙いの政治家にとって面白くないだけだ。
球磨川に川辺川ダムのような巨大ダムを造らせないことは、環境保護の観点から重要である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E8%BE%BA%E5%B7%9D%E3%83%80%E3%83%A0
「ダムのない川」として知られていた長良川も「河口堰」建設以来、著しい水質悪化と漁撈低迷に悩んでいる。鮎の遡上も減った。
今、日本で本当にダムのない川といえば、四万十川しかなくなってしまった。
ただし四万十川にも「堰堤」はあるが、これは決壊しても巨大災厄にはならない。
川辺川ダムは、堰堤高さ108メートルという巨大ダムであり、熊本地震クラスの規模の直下型地震に襲われれば、ひとたまりもなく崩壊し、下流域の数万人を殺す可能性がある。
藤井聡や高橋洋一は、中央構造線に近い危険な場所に、巨大時限爆弾を作れと言いたいのか?
そんな人殺しダムの代わりに、多数の遊水池を作り、浚渫するという方法が頭に浮かばないのか?
何度も言うが、伝統的治水技術が軽視されてきた理由は、決して水防効果が小さいという問題ではなく、ダム工事の利権に目がくらんだだけのことだ。
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余談
大西つねき「命の選別が政治家の使命」発言に対して、木村英子参議院議員が批判文を公開したので転載する。
https://eiko-kimura.jp/2020/07/15/activity/1053/
2020/07/15
今回の大西氏の「命、選別しないとだめだと思いますよ。はっきり言いますけど、その選択が政治なんですよ」という発言を聞いて、施設にいた頃の私のトラウマを思いだし、背筋がぞっとしました。
「命の選別」それが政治によって決められる世の中になったら、常時介護の必要な重度障害者の私は真っ先に選別の対象になるでしょう。
障害を持った幼い時から自分の命を誰かに預けなければ生きていけない私にとって、他者に従うことは絶対でした。私の命、私の身体、私の生活、すべてを他者にゆだねるということは、支配されてしまうことです。
「命の選別」、この言葉は、私が幼いころから抱いていた、「殺されるかもしれない」という避けがたい恐怖を蘇らせました。大西氏の発言は、自分の命を人に預けなければ生きていけない人たちにとって、恐怖をあたえる発言であり、高齢者だけではなく障害者も含めた弱者全体を傷つけた暴言であると思います。
「人は生きているだけで価値がある」という理念を掲げた政党であるれいわ新選組の一員から、今回の発言が出たことに、私は耳を疑いました。
とても悲しかった。そして、地域で差別と闘ってきた私の35年間の活動が否定されたようで、とても悔しく、怒りを抑えられませんでした。
大西氏の発言についての当事者の意見を聞く会において、当事者たちが涙ながらに意見を訴えたにも関わらず、大西氏は自分の主張がいかに正しいかを話すだけで、当事者の必死な訴えに理解を示そうとはしませんでした。
さらに、命の選別発言の動画に対して、謝罪と撤回をホームページに載せたにも関わらず、当事者の話を聞いたその翌日に、再び動画を公開し、これからも命の選別の主張を続けていこうという意思表示に私たちは恐怖を拭い去れません。
大西氏の処分は総会で決まることになっていますが、私は、今回の大西氏の発言は、決して許すことはできません。
しかし、これは大西氏だけの問題ではなく、社会全体の問題でもあると思います。程度の差はありますが、大西氏と似たような考えを持つ人は少なくありません。
幼い時から障がい者と健常者が分けられず、日頃から関係性があれば相手の苦しみを想像することができたと思いますが、現状は、障がい者と健常者が、一緒に学び、一緒に働き、一緒に生きる社会の構造にはなってはおらず、お互いを知らないことで、誤解や偏見が蔓延してしまい、無意識のうちに差別が生まれてしまっているのです。
今回の発言は、まさに分けられていることの弊害なのです。
れいわ新選組は憲政史上初、重度の障害をもった国会議員を生み出し、社会に迷惑とされている弱者が政治に参加するという誰もやったことのないことを実現した初めての党です。
誰一人として排除されない社会を作るために、それぞれの苦しみや怒りを抱えた当事者が政治に関わることによって変えていける、それが誰もが生きやすい社会を作るために一番必要な政治のあり方だと私は思います。
今回の件で、弱者に対する差別が明るみに出ましたが、私は、自らの掲げる理念である「共に学びあい、共に助けあい、共に互いを認めあい、共に差別をなくし、共に生きる」を実現し、「誰もが生きやすい社会」を作るために、これからも差別と向き合い続けて、政治を変えていきたいと思います。
命の選別をするのが政治ではなく、命の選別をさせないことこそが、私が目指す政治です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/095d8b5f2ec7afb83ea06dc048c772554348bef0
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/626212/
今回の球磨川大水害について、支流の川辺川ダム構想を地元住民が否定したことが原因との主張が繰り返されている。
https://www.youtube.com/watch?v=5B4fJw_ly2M&t=124s
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74031
しかし、発電治水目的で作られた、たくさんのダムが、過去に大規模水害時にダムを守るため放流を行った結果、多数の人命財産を破壊している。
洪水対策のためのダム事前放流について 2019年10月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-904.html
この原因は、ダム建設事業主体である電力土木事業協会の運営規程にあることは、何度も書いた。
http://www.jepoc.or.jp/tecinfo/library.php?_w=Library&_x=detail&library_id=180
ここには、事前放流の水量が回復しなかった場合、「ダム管理者が利水事業者に賠償する」と書かれている。利水事業者というのは、ダム発電を行う電力企業のことだ。
つまり、「集中豪雨が来ることで、下流の安全を守るために事前放流したとき、もしも放流分が大雨で回復しなければ、ダム管理者に賠償させる」というのだ。
こんな規定があれば、ダム管理者は賠償に臆病になって事前放流をするわけがない。
流域住民の財産と権利よりも、発電利権を優先させた電力事業者たちは、いまだに、この規定を放棄していない。
こんな住民無視の姿勢で運営されているのが、全国の発電ダムなのだ。
ダムを治水発電目的で造るのはいいが、中国三峡ダムと同じで、「干魃になれば蓄水し、大雨になれば放流して下流域に大洪水を起こす」という構図であり、治水目的が聞いて呆れる実態である。
そもそも、河川洪水から流域を守る方法として、治水ダムを建設するという一択だけで戦後のダム建設が進められてきたが、なぜダムばかりがもてはやされてきたかといえば、それが関係者、政治家にとって利権の巣窟だからである。
すなわち、大きなダムが計画されれば、それは電力企業からのリベートによって、地域の政治家たちを潤すものだったから、建設に対する歯止めが効かなくなっていた。
だが、大河川にダムが造られると、治水や発電以上のデメリットも多数存在する。下流の水量が少なくなることで、生態系が変わってしまい、河川漁撈ができなくなる。
戦前まで材木運搬などで大きな存在感のあった河川水運が、水量減少で運行不可能になり、水運のために行われてきた浚渫も無意味になるため、河川の包容水量に貢献しなくなり、水運が廃止された河川は、土砂が貯まって「天井川」に変化してゆき、ますます洪水に弱くなってゆく。
江戸時代の水防治水事業として広く行われてきた「洪水防止、遊水池システム」がダムによって不要とされ、埋め立てられて住居地や農地に変えられてゆく。
自然流下は河川水の浄化にも大きな役割を果たしていたが、ダムで流水が枯渇すると、水質は著しく悪化し、豊富な水によって支えられてきた生態系も崩壊する。
水量が減れば、人里は、洪水の記憶を忘れて、どんどん河川に近づいてゆく。河原は平坦で利用価値が高いからだ。しかし数百年に一度の大洪水になったとき、極端な被害が出やすくなる。
私は、ダムによる治水事業は、従来信仰されてきたほどのメリットがあるようには思えない。むしろデメリットが多いのだ。
それでは、近年の異常気象、数百年に一度という大洪水を防止するには、高橋洋一や藤井聡の言うようにダム建設しかないのか?
違う、ダム建設技術のなかった江戸時代の水防技術をもう一振り返るべきだ。
古い水郷都市、例えば柳川市などでは、河川護岸工事に、蛇籠に石を詰めて川岸に並べ柳を植えて、その根が育つと、コンクリート護岸にも劣らない強度を持った風光明媚な岸辺が作られる。
中村哲は、アフガニスタンのガンベリ砂漠緑化事業に、この方式を用いた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E7%9A%84%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E5%B7%A5%E6%B3%95
江戸時代、繰り返された水害に悩まされた藩は、ダムではなく、遊水池をたくさん作り、洪水になれば、その土手を切って一時的な池を作ることで対処するようになった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1182.html
こうした伝統的水防技術を見直せば、決壊による巨大惨禍のリスクがあるダムよりも、はるかに有効な治水効果をもたらすはずだ。
さらに、河川水運を復活させて、浚渫することにより、河川の包容水量が大きくなり、洪水防止に役立つのだ。
球磨川の地図を見ても、かつて、おそらく洪水防止のための大規模な遊水池があったと思われる地形がたくさんある。
近代になって、これらが埋め立てられ、生活地に変わってしまっている。これは遊水池の利用価値が高いことから、やむをえないのだが、人類による環境破壊から、これほどの自然激変が起きている以上、安全な洪水対策のために、遊水池事業を見直すべきではないのか?
球磨川周辺は、まだまだ人口流出の多い過疎地域なので、一部を移転し、大規模な遊水池を数十カ所に作ることは十分可能であり、ダム建設の数十分の一以下の費用で、それが可能だろう。ただリベート狙いの政治家にとって面白くないだけだ。
球磨川に川辺川ダムのような巨大ダムを造らせないことは、環境保護の観点から重要である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E8%BE%BA%E5%B7%9D%E3%83%80%E3%83%A0
「ダムのない川」として知られていた長良川も「河口堰」建設以来、著しい水質悪化と漁撈低迷に悩んでいる。鮎の遡上も減った。
今、日本で本当にダムのない川といえば、四万十川しかなくなってしまった。
ただし四万十川にも「堰堤」はあるが、これは決壊しても巨大災厄にはならない。
川辺川ダムは、堰堤高さ108メートルという巨大ダムであり、熊本地震クラスの規模の直下型地震に襲われれば、ひとたまりもなく崩壊し、下流域の数万人を殺す可能性がある。
藤井聡や高橋洋一は、中央構造線に近い危険な場所に、巨大時限爆弾を作れと言いたいのか?
そんな人殺しダムの代わりに、多数の遊水池を作り、浚渫するという方法が頭に浮かばないのか?
何度も言うが、伝統的治水技術が軽視されてきた理由は、決して水防効果が小さいという問題ではなく、ダム工事の利権に目がくらんだだけのことだ。
****************************************************************
余談
大西つねき「命の選別が政治家の使命」発言に対して、木村英子参議院議員が批判文を公開したので転載する。
https://eiko-kimura.jp/2020/07/15/activity/1053/
2020/07/15
今回の大西氏の「命、選別しないとだめだと思いますよ。はっきり言いますけど、その選択が政治なんですよ」という発言を聞いて、施設にいた頃の私のトラウマを思いだし、背筋がぞっとしました。
「命の選別」それが政治によって決められる世の中になったら、常時介護の必要な重度障害者の私は真っ先に選別の対象になるでしょう。
障害を持った幼い時から自分の命を誰かに預けなければ生きていけない私にとって、他者に従うことは絶対でした。私の命、私の身体、私の生活、すべてを他者にゆだねるということは、支配されてしまうことです。
「命の選別」、この言葉は、私が幼いころから抱いていた、「殺されるかもしれない」という避けがたい恐怖を蘇らせました。大西氏の発言は、自分の命を人に預けなければ生きていけない人たちにとって、恐怖をあたえる発言であり、高齢者だけではなく障害者も含めた弱者全体を傷つけた暴言であると思います。
「人は生きているだけで価値がある」という理念を掲げた政党であるれいわ新選組の一員から、今回の発言が出たことに、私は耳を疑いました。
とても悲しかった。そして、地域で差別と闘ってきた私の35年間の活動が否定されたようで、とても悔しく、怒りを抑えられませんでした。
大西氏の発言についての当事者の意見を聞く会において、当事者たちが涙ながらに意見を訴えたにも関わらず、大西氏は自分の主張がいかに正しいかを話すだけで、当事者の必死な訴えに理解を示そうとはしませんでした。
さらに、命の選別発言の動画に対して、謝罪と撤回をホームページに載せたにも関わらず、当事者の話を聞いたその翌日に、再び動画を公開し、これからも命の選別の主張を続けていこうという意思表示に私たちは恐怖を拭い去れません。
大西氏の処分は総会で決まることになっていますが、私は、今回の大西氏の発言は、決して許すことはできません。
しかし、これは大西氏だけの問題ではなく、社会全体の問題でもあると思います。程度の差はありますが、大西氏と似たような考えを持つ人は少なくありません。
幼い時から障がい者と健常者が分けられず、日頃から関係性があれば相手の苦しみを想像することができたと思いますが、現状は、障がい者と健常者が、一緒に学び、一緒に働き、一緒に生きる社会の構造にはなってはおらず、お互いを知らないことで、誤解や偏見が蔓延してしまい、無意識のうちに差別が生まれてしまっているのです。
今回の発言は、まさに分けられていることの弊害なのです。
れいわ新選組は憲政史上初、重度の障害をもった国会議員を生み出し、社会に迷惑とされている弱者が政治に参加するという誰もやったことのないことを実現した初めての党です。
誰一人として排除されない社会を作るために、それぞれの苦しみや怒りを抱えた当事者が政治に関わることによって変えていける、それが誰もが生きやすい社会を作るために一番必要な政治のあり方だと私は思います。
今回の件で、弱者に対する差別が明るみに出ましたが、私は、自らの掲げる理念である「共に学びあい、共に助けあい、共に互いを認めあい、共に差別をなくし、共に生きる」を実現し、「誰もが生きやすい社会」を作るために、これからも差別と向き合い続けて、政治を変えていきたいと思います。
命の選別をするのが政治ではなく、命の選別をさせないことこそが、私が目指す政治です。

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