人類には本能的に与えられている共通の意識が存在しているというのが、ユングの理論の根底にあった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0

 ユダヤ人唯物論者であった友人のフロイトと対立した理由は、ユングが、おそらく、唯心論的アプローチをも持っていたことだろうとの指摘もある。
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=5265&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

 したがって、現在、(WIKIに見られるような)唯物論的アプローチのみで説明されている「集合無意識論」の解説の大半が間違いであると私は思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%90%88%E7%9A%84%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98

 ユングは、本能を示す物質的、遺伝的な共有から集合無意識を語ったのではない。おそらく、彼はヘーゲルの提示した「絶対精神」による心霊的な、あるいは超常的な実存のことを示していたのだ。

 つまり、人の心は、その人だけの作り出した世界ではなく、生まれる前から死後に至るまで、個性の仮面の下に、誰もが共有している普遍的実体が存在すると言っているのである。人生の経験を積む必要のないアイデンティティを、集合無意識と呼び、すぐれて我々は「人の心」と呼ぶ。
 私個人は、本能について、人類全体の過去生の上にに積み立てられた霊的記憶であると考えている。

 https://xn--ccke5d6a8fj3i7afn.com/2017/07/24/muishiki/

  http://www.j-phyco.com/category1/entry5.html

 この原理をわかりやすくいえば、笹川良一が提唱した「人類皆兄弟」という理屈になるのだが、地球上のすべての人々の意識に共有される心の実体があると信じたのは、ユングや笹川だけではない。
 釈迦やヘーゲルや、多くのスピリチュアリストたちが、口を揃えて「人はカルマを浄化して神=仏の存在に至る」と説いてきた。

 ユングが、ことさら強く意識したのは、誰に教えられなくとも、ほとんどの人が共通の行動を取ることになる。生まれて、すぐに母の乳を飲み、周囲にいる人を愛し、やがて立ち上がって大人になるための階段を、一人で上がってゆくのだが、これを本能という概念に帰着させるのは、あまりにも軽すぎるような気がする。

 集合無意識があるからこそ、我々は人種の壁を越え、民族や国家の壁を超えて、すぐに仲良くなれるのである。
 無意識のなかで「人類皆兄弟」と笹川標語を認識しているからだ。
 政治的に教育され、洗脳された後付けの思い込みのなかで、「日本人だけが優秀」と勘違いさせられている若者が増えたが、そんな若者でも、多数の民族が交流する場面に押し込まれれば、無意識のうちに、なぜか教えられなくとも共有するアイデンティティのなかで喜怒哀楽を表現するようになるのだ。

 昨日、ユーチューブの妙佛チャンネルを聞いてて、彼が安倍晋三を持ち上げ、放射能汚染を軽視しているようなので、少し文句を書いたのだが、たちまち、右翼の軽薄な若者が食いついてきて「日本から出て行け」と常套文句を書かれた。
https://www.youtube.com/watch?v=PZESI02ta2s&feature=em-comments

 安倍信者の若者なのだろうが、自分の気に入らない書き込みがあると、たちまち「日本から出て行け」と書くのが特徴で、論理的説明がひどく苦手なようなののは、彼らの大好きな安倍晋三に似ている。

abesinja1.jpg
 
 まあ、安倍信者に何を説明しても、戦争ゲームばかりが大好きで、戦争の本質や、その後の悲惨な結果など何一つ考えたこともなさそうな、彼らに何を説明しても、「気にいらなければ日本から出て行け」で終わってしまうので、どこまでいっても絶望的に不毛である。

 しかし、彼らの大好きな安倍晋三=自民党が、4月から、数百万人規模の外国人単純労働者=多くは韓国人、インドネシア・ベトナム人を受け入れる法律を作った。
 もちろん、彼らになりすました中国人も、百万人の単位で日本に入ってくるのは確実である。

 すると、極右の「愛国日本人」である若者は、かつて中曽根康弘が「単一民族国家」と称して、民族的に純化された日本人だけを優先するような政策を採ろうとしたのだが、これが右翼=国粋主義者の共有アイデンティティだったはずなのに、「日本から出て行け」が大好きな若者たちは、今度は、自分が日本から追い出されることになってしまいかねないことが分かっているだろうか?

 本来、民族の純血など存在しないと考える私は、安倍晋三の超愚策によって、日本民族の「特別信仰」というか、奇妙な優越感が、地域社会に浸透する外国人によって、生活のあらゆる面から崩壊してゆく事態は、歓迎するわけではないが、歴史の必然なのだろうと思うしかない。

 日本もまた、戦前は、帝国主義国家であった。台湾・フィリピン・朝鮮を日本国土に編入し、さらに東アジア一帯、インドシナ半島や中国までも領有を目指した。
 このように他国を侵略した以上、別の形で、他国から侵略されるのも因果応報の必然なのである。

 そうして、民族的軋轢が、社会問題の一つの柱となって、これからの日本人を執拗に苦しめる事態が始まるのだが、最初に述べた「集合無意識」の視点から見れば、いかなる民族、人種であっても「人類皆兄弟」なのであり、人間として共有するアイデンティティ(この場合は、本能と言い換えても間違いないかもしれない)は、まったく同じである真実を理解しておけば、これから発生するであろう深刻な民族問題も、しっかりとした原理的姿勢で乗り越えることができるだろう。

 もう少し別の視点、霊的世界の視点からいうと、我々の輪廻転生は、地球上のあらゆる民族に跨がって続くものであり、時には人種も性別をも超える。
 人間として、あらゆる経験ができるようにセットされているようで、過去生が泥棒であっても、来生は名僧であったり、殺人被害者であったりするのだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=oAxrBq6C3nQ

 (アンビリバボが、たくさんの輪廻転生番組を作っていたのだが、一斉に削除されている。一説では、某宗教団体が教義に合わない動画を削除させているとか、K科学とやらだ)

 冒頭に述べた「集合無意識」の視点に戻ると、こうした人類全体をつなぐ共有意識体=集合無意識と、過去生から来生に跨がる、心の個性を定める法則を知る上で、理解の基準になるのは「カルマ」という概念であろう。

 人の個性を定めるのはカルマである。もしも、カルマ(この場合は、心の奥底に沈んだ本性的な矛盾ということにしよう)を無数の人生経験で解消したならば、輪廻転生の意味が失われ、もう人間界、物質界に転生登場する意味がないのだから、永遠に霊界にいて、やがてイデー=絶対精神に飲み込まれていくことになる。

 人類史全体を原理的に俯瞰するとすれば、その根底に流れる必然性こそがカルマであると何度も書いてきた。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-487.html

 私は、民族間の差別、性別間の差別、戦争が克服されたときが、人類社会のカルマの終焉であり、このとき、物質的人間社会の必然性は失われ、人類全体が霊的存在に変わると考えている。

 こんなことを書いても、理解できる人は多くはないだろう。
 ただ、今回書きたかったことは、「集合無意識」という得体の知れない、人類全体が共有するアイデンティティ=価値観のようなものが我々の無意識を支配しているかもしれないこと。
 そうして、それは人類全体のカルマによって定められる心の法則であることを、私なりの表現で残しておきたかったのだ。

 私は、もうすぐ人類が滅亡の日を迎えるような気がしているが、これはカルマを解消しての終焉、消滅ではなく、カルマが極限まで増幅された慣れの果ての自爆であるように思えるのだ。
 いってみれば、人類は「自爆テロ」によって自らを消滅させようとしている。

 このシチエーションは、半世紀前に手塚治虫が繰り返し書き続けたものだ。
 この事態については、スエデンボルグが300年前に本に記録していた。
 https://spiritual358.hatenablog.com/entry/2015/06/22/000000

 霊界の大半が、大嵐によって流されてしまうが、ごく一部の人々が生き残って新しい世界を拓いてゆく。
 同じことを、出口王仁三郎も語っている。これを大立替と呼んでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=0jV1JfHnnao

 出口は、日本人は3分になると預言しているが、これが3割なのか3%なのかは分からない。我々の大部分は死んでしまうので、次に生まれ変わってこられるのは、よほど霊的に浄化された人だけのようだ。
 私は、永遠の闇に落ちてゆくことを覚悟している。振り返ってみても、ろくでもない人生だったからだが、もう次にカルマを解消する新たな人生を得られない運命であるとしても、諦めはつく。
 せめて、次の新たな人生が得られる、心の解放された人々の幸運を祈る。