先に、オウム真理教の処刑された幹部たちの発想も、東電で原発事業に携わっている連中も、安倍政権で人々を欺して私腹を肥やしてる連中も、実は非常に似通っていて、その本質的な共通点は、所属する組織を利用して、その共有する価値観のなかに埋もれて自分を疑おうとしないことだと書いた。



 他人から言われたことだけをやって、何も考えないですむロボット人生は、とても楽ちんに見える。

 組織のなかで、勝ち組になって、上司の覚えが目出度ければ理想の人生である。

 みんな、全体の運命なんか考えずに、ただ自分の良き待遇だけを考えて、主体性を放棄し、命令に従う人生だけを選んできた。



 そして、そんな人生観に対して疑問を投げかける主体性のある人を「異端者」として排除してきたのである。



 戦後、保育園から始まる競争社会の集団洗脳のなかで、人々は、他人を蹴落とす競争は大好きだが、自分の力だけで見いだすイノベーション、創意工夫というのは、もの凄く厄介で嫌いなのだ。

 競争社会の勝ち組にとって、自分だけの心ほど嫌なものはない。



 与えられたことだけを、やれば褒められたが、与えられないこと=自分で見いだすことは、やらされたこともないから極端に苦手というわけである。

 だから組織に埋没して、命令に従うだけのロボット人生を選びたいのである。自分で判断する人生なんて、まっぴらだ。人生のすべてを与えて欲しい、指示してほしい。



 そんな人生を周囲から推奨されてきたし、そうなるべく努力してきたのだから。

 もし、日本社会に致命的な瑕疵があったとするなら、それは、主体性を放棄して「長いものに巻かれる」ことが正義であると勘違いしてきた、人々のこのような価値観であろう。



 巨大な組織に身も心も任せて親方日の丸の座布団でぬくぬくしたい、創意工夫は大嫌いという若者を、戦後競争社会は、大量に生産してきたのだ。



 問題は、所属→ 実は帰属する組織なのである。



 人は一人では生きていけない。自分に自信のない者は、特に威圧感のある権威にすがりつく傾向がある。人を脅かす権威というのは、たくさんの力を集合した組織である。



 腕っ節の強いガキ大将に、たくさんの取り巻きが金魚の糞のようにつく理由も、「虎の威を借る狐」のようなものだ。

 大きな、強い組織に加わっていれば「親方日の丸」で、ただ命令に従ってさえいれば、自分が特別にトクをしてるような気分になれるのである。



 オウムの場合は、物理化学に優れた若者が、目の前で麻原の「空中浮揚」を見せられ、それまで学んできた知識や法則が、まったく役に立たない世界があると知らされ、いっぺんに夢中になってしまった。

 それまでの価値観が逆転させられてしまったのだ。



 https://www.youtube.com/watch?v=rpsrKcJ1efA



 まあ、この程度の空中浮揚は、ただ跳ねているだけでも瞬間写真でインチキだと分かるが、東大やらを出たインテリがコロリと欺されるのだから、決してインチキだけでもないのだろう。



 「麻原は東大で学んだ物理法則さえも超えてしまう超人間だ」



 と信じ込んでしまった彼らは、麻原の言葉までが、本当の神のように絶対服従しなければならないもののように思えた。

 だから、麻原の一挙一頭足や、思いつきの言葉でさえ「神の言葉」のように思い、それは、自分たちが拠り所にしてきた、人間への常識的な価値観さえ超えるものと信じてしまった。



 「地下鉄でサリンを撒くことが人類救済のハルマゲドン」

 という麻原の単純な思いつきを、神の指示として信じ込んでしまった。



 なぜ、こんな馬鹿げた妄想を真に受けてしまったのか?

 私なら、最初から麻原など信用しない。

 世界には常識で理解することのできない、不可解な超能力を示す人は山ほどいるのだ。

 私は若い頃、気を使った物体移動ができたから、この種の超常現象に驚くことはないのだが、日本を代表する学問的権威を学んできた若者は、説明不可能な現象を前にして、どうしていいか分からず、信心という不合理な道に向かうしかなかった。



 自分の心、人生の価値観が、はっきりと見えていなかったのである。であると同時に、それまで依存してきた、彼らの共有するアイデンティティである「優秀な人間」という社会的評価が、真実を見えなくさせてしまったのだと私は思う。



 オウムの死刑囚たちは、麻原という権威に服し、自分個人の人生に対する、他人に対する価値観と責任を、全部、帰属する組織の価値観にすり替えてしまったのだ。



 その意味では、東京電力の金儲けのために放射能をばらまいた連中も、自衛隊員も、公務員も、安倍政権幹部たちも、「自分の主体性を放棄した」という意味で、まったく同じものであり、上の命令に従うことが、帰属する組織に奉仕することであり、個人の主体性を放棄することが、幼い頃から「与えられた人生」に他ならなかった。



 だが、企業という組織も、日本国家という組織も、山根明が君臨したボクシング協会という組織も、オウム真理教という組織も、すべて、組織への依存心=それにしがみついていれば自分は安泰であるという幻想によってのみ成立している。



 だが、ちょっと待て!



 我々は、今から27年前、1991年、「鉄の帝国」と呼ばれて、無数の人々を国家の権威によって殺戮してきた組織が、わずかの期間に根底から瓦解するのを目撃した。



 アメリカと共に世界を制した、あの超大国ソビエト連邦が、一瞬にして崩壊し、この世から消えてしまったのを目撃したのである。



 オウム真理教も、わずか数年で瓦解し、首領の麻原らも処刑されてしまった。

 「鉄の帝国」に対して「電気の帝国」であった東京電力も「おまえはすでに死んでいる」状態ではないか?



 安倍晋三よ、思い上がるな! 日本政府だって、安倍自民党が、これほどデタラメを積み重ね国家の基盤を次々に使い潰している以上、その崩落、日本国滅亡だって、決して遠い話、妄想ではない。それは約束された現実であることを知らねばならない。



 「おごる平家は久しからず」

 栄華を誇った、平清盛も独裁の末、最後は源氏に追い詰められ、惨めな病死を迎えた。

 栄枯盛衰は世の習い。この世に生を受け、滅せぬ者あるべきか。



  祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ。



 秀吉も辞世の句で「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

 と読んでいる。



 どんなに強大で、無限に見えたとしても、歴史上に栄華を続けた例は存在しない。生まれたものは必ず死ぬ、繁栄したものは、必ず衰退する。

 人類だって、本当に必要なカルマを理解したなら、あとは滅亡する運命しか残されていない。



 国家や東京電力なんて組織だって、オウム真理教と本質的に変わらないと知るべきである。自民党も日本政府も、横暴を重ねて民衆から嫌われるなら、やがて崩壊を免れ得ない。

 安倍政権は、オウムのサリン事件と同じようなことをやってるのだから、やがてオウム幹部たちが処刑されたのと同じ運命を享受することになるだろう。



 本当に大切な人生の価値観とは何か?



 それは、みんなが羨むような豪邸を建てることでもなければ、地球上の資産の多くを個人所有することでもない。



 人生、起きて半畳寝て一畳



 テレビを何十台所有しようが、人は一台しか視聴できないのだ。

 車を何十台所有しようが、人は一台にしか乗ることができない。

 何十室のベッドルームを所有しても、人は一部屋にしかいることができない。

 とんでもない美女を何十人侍らしても、人は一人としかやれない。



 人には背丈というものがある。背丈以上のことはできないのだ。背伸びしたって疲れるだけだ。

 適正な人生、適正な生活、これをジャストパフォーマンスと呼んでいる。



  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-77.html



 我々の価値観は、このジャストパフォーマンスでいい。背伸びするな、背丈の人生を歩め。無理のない生活、組織に頼るな、自分を見つめよ。本当の自分に必要なものは何かと問え。

 物質ではなく、人の愛だけを見つめて生きよ。

 これが、我々の価値観なのだ。