物質に摩擦や圧力などのエネルギーを与えると、電荷が分離し、再結合しようとする電気エネルギーが生まれる。

 この電荷は、ただちに周囲に再結合して電磁気現象を起こして失われるが、導電体と絶縁体を組み合わせると、遠方にまで伝播させることができる。



 この原理を発見し、電気を人間生活に利用できるようにしたのが、1700年代末のクーロン・ファラデーら、多数の研究者であった。 

 1800年代に入ると、ボルタが電池を発明し、ファラデーやマクスウェル、ヘルムホルツ、キルヒホフらは、ヒーターやモーターの原理も明らかにしている。



 「第二の火」と呼ばれる電気ほど、人類社会を大きく変えたものはない。19世紀は「電気と動力の世紀」であった。

 20世紀に入ると「第三の火」と呼ばれる原子力が登場するが、電気が人間社会の利便化に巨大な貢献をしたのに対し、原子力は、戦争と人類滅亡のみに貢献している。



 「電気は神の天恵であるが、原子力は悪魔の罠」とも言えるだろう。

 原子力の見せかけの凄みと、中身の悪魔性が理解できるようになるまで、つまり、新しいエネルギーを戦争に使ってやろうとする愚劣さを克服しないかぎり、人類の本当の意味(精神的な)の進化はありえないのだろうと私は思う。



 人類は、今後、電気をどのように利用するようになるのだろう?



 我々が注目しておかねばならないのは、地球規模、人類史規模のマクロな視点でみるとき、電気が人間社会に巨大な影響力を及ぼし始めたのは、実は、まだ、戦後70数年にすぎず、家電の開発を通して、食料やシェルターと並ぶ、人間生活の基幹要素の地位を占めるようになったのも、わずか、この数十年にすぎないことである。



 日常のなかに組み込まれている電気の歴史は、想像以上に浅い。半世紀前、電気の通わない山中の僻村などいくらでもあった。

 日本で冷蔵庫や洗濯機、テレビが日常生活に組み込まれたのは、おそらく1960年代であって、マイコンが開発され、それらが電子化したのも、1980年代であり、まだ40年に満たない歴史しかないのだ。



 このように急激な発展を遂げた要素というものは、人類史の普遍的法則=史的弁証法からいえば、急激に衰退する要素を含んでいる。



 電気は、我々の時代に急激な発展を遂げたが、もしかすると、我々の目の黒いうちに、急激に衰退するかもしれない可能性を秘めていると考えるべきである。



 電気は、実は、いまだ完全なる完成に達してない。未発見の電磁気現象もたくさんあって、分からないことが多すぎるのである。

 例えば、トヨタ車が北米で不可解な暴走を繰り返した問題は、まだメカニズムも分からないのに、政治的に決着させられてしまっていて、だからこそテスラの自動運転車が原因不明の事故を繰り返しているのである。



 すべての法則が明らかにされていないことは何を意味するのか?

 つまり、まだまだ、利用形態が激変するような革命が待ち構えているかもしれないことを意味している。

 ある日、突然、電気が人間社会に有害であると決めつけられて、存在理由を失うかもしれない。



 例えば、携帯電話やスマホについて、電磁波が痴呆症の原因であったりする致命的な障害が発見されるかもしれない。

 また、巨大な送電インフラが、とんでもなく危険な代物であると分かるかもしれない。





 私が、半世紀前から指摘してきた「電気利用の大革命の必然性」は、発電が、中央集権的な「スケールメリットの法則」を外れて、必要なときに必要な分だけ発電する「現場発電」に向かう社会的要請による必然的な流れのことである。



 「スケールメリット発電」、すなわち水力・火力・原発などの巨大発電施設は、その成立時から致命的な欠陥を抱え続けてきた。

 それは、必ず巨大な送電インフラを必要とするという本質であり、日本中を埋め尽くす莫大な電柱と電線、送電ロスが、電力を効率的に利用する巨大な足かせになっている現実であり、そこから白血病を引き起こす制動X線が放射されている可能性も指摘されていて、これが、このまま容認されたまま未来に向かうことなどありえないのである。



 例えば、電動工具を見ても、今、すでにコードレスの時代がやってきていて、効率的な電池開発とともに、邪魔な電気配線の排除する流れを否定することは不可能であり、次は掃除機などの家電類にそれが及んでいる。

 そうなれば当然、次の課題は、各家庭に配電する電線の存在であり、すでに燃料電池発電や太陽光発電などの戸別発電を利用している家庭や工場では、電線配電への依存が著しく減少する傾向にある。



 ところが、困ったことに、中央集権的発電、わけても原子力発電には、国の巨大な利権が絡んでいて、電線インフラが排除されてゆけば、原発や火力、ひいては自民党政権に巨大な利権を与えてきた電力会社そのものが存在理由を失うという現実である。



 実は、こうした危機意識は、すでに燃料電池が開発された1960年代から電力経営陣や官僚たちの間で顕著であり、70年代に入って、コジェネシステムが実用化されようとした段階で、政府によって激しい妨害に遭い続けているのである。



 太陽光発電も燃料電池発電も、世界をリードしてきたのはシャープや三洋・東芝・日立など日本の家電業界であった。

 ところが、もしコジェネ現場発電システムが実用化され、電気利用コストも下がってしまうと、原発や電力会社の存立が危機に陥ることは避けられず、自然エネルギー、現場発電コジェネシステムの普及を、あの手この手で官僚たちが妨害を続けてきた。



 補助金を出さないとか、無用の法規制をかけるとか、太陽光やコジェネシステムのコストを実際よりも大幅に高く見積もってみたり、健縁康被害があるかのように宣伝してみたり、逆に、原発が安全であるかのようなウソを宣伝してみたり、原発コストを極端に低く見積もってウソに満ちた大宣伝を繰り返したりしている。

 この政府による自家発電システムへの妨害が功を奏して、世界のトップを走っていた日本の自然エネやコジェネ業界は、瀕死の状態にまで追い込まれた。



 シャープも、太陽光発電について、国の妨害がなければ台湾企業に買収されることもなかったであろうし、三洋も消えることもなかっただろう。

 また、日立、東芝が愚かな原発依存に走って自滅することもなかったであろう。



 政府官僚による、中央集権的発電システム=原発を守るという姿勢は、時代の趨勢に逆行し、電気関連企業の努力を台無しにしてしまった。

 東芝を潰すのは日本政府である。次に、日立と三菱を潰すのも自民党と日本政府の、スケールメリットと利権への執着である。

 

 現在、太陽光発電買い取りなどで一見、再生可能自然エネルギーを支援しているように見えるが、これは、実は、原発を延命させる口実でしかない。

 政府も電力も、再生エネルギーへの努力をしていますという、姑息なアリバイ証明でしかない。



 それが証拠に、燃料電池や太陽光発電のコストについて、政府は原発電力より高く付くとデタラメな宣伝を行い、実際のコストを見せることを妨害しているのである。



 この資源エネルギー庁の、電力コスト試算のインチキぶりには開いた口が塞がらない。



  http://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/saiene/renewable/family/index.html





cost1.jpg



 このようなデタラメ試算が、日本政府の悪質な詐欺ペテン体質を象徴している。



 ここでは、原発電気が一番安くてキロワットあたり 8.9円と、世界的詐欺師でさえ裸足で逃げ出すような真っ赤なウソを平然と書いている。

 原発巨大事故は、地球上で10年に一度起きている。この処理費用は、メルトダウン一基あたり数十兆円かかるのが常識であって、フクイチ事故の場合は、完全に復旧させるのは不可能だが、暫定復旧だけでも100年以上、100兆円はかかるのである。



 原発事故一回で、日本全国の電力料金の100年分はかかるだろう。事故を過小評価し、控えめに見積もったコストでも、原発はキロワットあたり数百円以上である。

 つまり、日本政府は、電力事故をコストに含めないと宣言している。他の再生エネルギーは、もちろん、すべての費用だけでなく、政府による搾取までコストに含めている。

 ここまでウソをついても、日本政府が原発の利権を守りたい姿勢がありありと分かるだろう。



 燃料電池発電=コジェネシステムの発電コストは、いかほどなのか?



 政府系のエネルギー調査会による試算では、キロワットあたり12円前後となっている。

 これは資源エネ庁のインチキ絵図によれば、水力発電に匹敵するコストである。

 http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/cost_wg/004/pdf/004_10.pdf



 ところが、この試算にも、驚くようなウソが含まれている。

 何がウソかというと、燃料発電コジェネシステムには、送電インフラと、その維持費用が不要なのであって、現場発電によるコスト削減分が含まれていない。

 燃料電池発電コストは、そのまま消費者による買電コストになるが、供給電力には、電力会社による商業的な利益とともに、原発事故の後始末代金まで乗せられるのである。



 例えば、東電の場合、キロワットあたりの電力価格は20円前後である。原発電力が8.9円と書かれているのに、この差額は何かといえば、東電によるぼったくりとともに、フクイチ事故の後始末代金が乗せられているのである。

 だが、燃料電池システムでは、維持費用を含めても、そのままキロワットあたり12円前後である。送電インフラの分担も、原発事故の分担も必要ないのである。



 実は、この程度の試算は、半世紀前でも同じであり、燃料電池発電システムは、半世紀前に完成していたのである。それが公になれば、原発も電力会社も潰れるという事情から、これまで隠されてきただけのことだ。

 我々は、自民党政権が原発を延命させるためのウソに欺されてきたのである。

  

https://selectra.jp/info/price/denki-hikaku/1kwh



 現在、自家用車がガソリン1リットルで走行できる距離を10Kmとしておこう。電気自動車が、1キロワットで走行できる距離も10Km前後である。

 コスト比較が分かりやすいので、現在のガソリンがリットル150円として、電気代は20〜30円程度であり、電気自動車のコスト的優位性が明らかである。

 これはバッテリーの耐久性が問題になるので、その分も相殺すれば、多少異なる結果になる。



 おまけに、トヨタの販売している燃料電池車は、そのまま家庭用発電所になるのだ。車庫に置いてあるだけで50キロワット発電所と同じなのである。



 燃料電池コジェネシステムの水素源は、都市ガスを前提にしてキロワット12円だが、燃料電池車用のインフラが整備され、水素コストが下がれば、おそらく10円程度まで下がるのではないだろうか?

 こうなれば20〜30円の供給電力は勝負にならない。

 だから、私は燃料電池発電の普及が原発と電力企業を追放すると昔から指摘してきた。



 残された問題は、水素の供給インフラの整備と、コジェネシステムの耐久性問題だけであるが、これも、10年に一度巨大事故を起こして人類の未来を破滅に向かわせる原発に比べればたいしたことはない。

 

 電力供給インフラ=送電網が無用となり、電力企業が潰れてしまえば、現場発電の新しい技術開発も雨後の竹の子のように生えてくるはずだ。

 供給だけではない。電力利用機器の合理化も進み、電力省エネ技術は革新を繰り返し、今の電力量の数分の一以下しか必要としない時代がやってくるだろう。



 また現場発電は、燃料電池だけでなく、フリーエネルギーの技術も無数に現れるに違いない。

 こうした事態は、エントロピーのような必然であり、強い力で歴史を進めてゆくのである。



 我々の目の黒いうちに、原発も電力企業も倒産が近づき、次なる課題は、主のいない放射能施設を誰が管理するのかという新たな、極めて深刻な問題が我々の前に立ち塞がるであろう。