「日本凄い」ブームがメディアに拡散されるようになったのは、たぶん2011年フクイチ事故後である。
日本社会全体が、得体の知れない放射能汚染の恐怖に怯え、沈み込んでいた2011年、沈鬱な空気のなかに「日本凄い」という番組が、雨後の竹の子のように登場してきた。
https://dent-sweden.com/whats-japan/great-japan
https://www.mag2.com/p/news/231657
http://lakatan.net/archives/47103472.html
https://www.youtube.com/watch?v=TfhYX66uMvw
https://www.youtube.com/watch?v=lYQef1xlx5Y
2018年の今でも、傾向が変わることはなく、相変わらずバカの一つ覚えのように「日本は凄い」とやって、高い視聴率を集めている。
この何が間違っているか? といえば、凄いのが日本だけで、日本人は優秀だとのナルシズムに収束するように論理構成されているところである。
そりゃ、自分たちが褒められれば、競争社会に怯えながら生きてきた我々は、安心するし、いい気持ちになるわいな。
だが、ナルシズムに浸って、良き未来が開けるか? といえば、むしろ逆だろう。
「自分たちは凄い、だが隣国はひどい国だ」
なんて、民族的優越感に満ちた国ぐるみの差別意識が育ってきて、やがてナショナリズムによる愚劣な戦争に向かうことになりそうだ。
「凄いもの」なら世界中にある。ピラミッドも空中庭園も凄い。アンコールワットもトムも、アポロンもインカもアステカもマチュピチュももっと凄い。
別に日本人でなくとも、現代人が再現できない超精密で、凄みのある技術など、どこにでもあるのだ。
現代人が偉そうに言うなら、清水建設や竹中工務店が、パルテノン神殿を、2500年前、当時の材料と道具と技術だけで再現してみやがれ! てんだ。
2500年前の日本といえば、やっと弥生時代と米作農耕が始まった頃で、建物なんぞ、木組みの粗末な小屋しかなかった。
もちろんクレーンなんてないから、人間の肉体が扱える最大の木材しか利用できなかった。
アンコールワットの超精密な石組みを、鎌倉時代の材料と道具と技術だけで再現してみやがれ!
鎌倉時代にあったものといえば、荒っぽい石垣に、木造家屋、それに着物と日本刀くらいだろうに。アンコール遺跡なんて、逆立ちしたって手が届かない。
私の記憶では、戦後、最初に「日本凄い宣伝」を自民党政権が組織的に始めたのは1980年代の中曽根康弘=国際勝共連合政権=日本会議ではなかったかと思う。
中曽根は「単一民族の日本」という標語を掲げ、「世界に冠たる日本」を自慢するファッシスト志向の人物であった。
もちろん、本当の日本人はアイヌ民族だけでなく、たくさんの民族が集まってできた民族集合体であって、中曽根が歴史についてお粗末な無知をさらけ出しただけという結果に終わった。
実は「日本人の優秀さ」があるとすれば、メンデルの法則通りに、多様性があり、先祖が遠く乖離した異民族の交配により、劣性遺伝子が発現しにくくなっているということなのである。
単一性の強い民族は、遺伝学的に弱くなり、民族全体に劣化が進むのは常識であって、逆に互いに離れた異民族が交配すれば、知的にも肉体的にも優秀になるのである。
瀬戸内晴美が中曽根のことを「ペラペラと燃える」と評したように、ナショナリズムをペラペラと煽る、優秀病患者が弱者に対する同情を排除して、強者に対する憧れだけで日本社会をペラペラと燃えるだけの軽薄社会に変えようとしたわけだ。
中曽根の希望通り、単一化した日本民族だったなら、今頃は、知的肉体的に劣性遺伝子ばかりが発現した気の毒な民族になっていたことだろう。
そもそも、「自分たちが優れている」と優越感にのめりこむナショナリズムが何をもたらすのか?
それは、障害者など弱者に対する思いやりを軽視、蔑視し、強いもの、美しいもの、立派なもの、優れたものに対するコンプレックスと憧れだけの軽薄で愚かな社会を生み出してゆくしかないのだ。
私は、2011年に起きた巨大放射能事故が、日本人の未来にもたらす恐怖を払拭したくて、恐ろしい現実を直視できず、目先の優越感に埋没したいという臆病で卑劣なネトウヨどもの陳腐な発想から来ているのだろうと考えているのだが。
実は「日本凄いブーム」は、今回が初めてではない。太平洋戦争に突入する前に、日清戦争と満州事件が起きた頃にも、国を挙げての空前の「日本凄いブーム」があったのだ。



日清戦争は、1894年、翌年に台湾併合、日露戦争が1904年、朝鮮併合が1910年、満州事変は1931年、これらは、国際的には弱小国とみなされていた日本が、次々に列強を撃破し、近隣諸国を植民地化して拡大してゆく日の出の勢いの時代であり、戦争に勝ち、他国領土を併合して拡大するたびに、日本国民は狂喜乱舞し、提灯行列で祝賀し、「日本は凄い国だ」と熱烈に陶酔していた時代である。
こうしたナショナリズムの優越感の凄まじい爆発的な増長、思い上がりの結果、超無謀な太平洋戦争に突入し、日本国民は450万人も命を失い、固有の領土であった北方四島を失い、巨大な損失を被ることになる。
今の「日本凄いブーム」はちょっと違う。先に書いたように、日本経済は、1990年代の山一証券倒産を嚆矢とするバブル崩壊から立ち直れず、現代日本を支え続けた巨大産業である弱電業界が次々に崩壊し、あまつさえ、東日本の広範な国土が恐ろしい放射能汚染に見舞われ、日本人の未来は暗雲に包まれ、民族的な誇り、心の拠り所を失って、社会は格差が拡大し、貧しい若者たちは不安定な奴隷人生を強いられる。
こんな嫌な社会に、何か気持ちよくさせてくれる心の希望はないものか? という要望から来ている部分もありそうだ。
しかし、一方で、戦前の「日本凄いブーム」が、民族的優越感から国家的ファッシズムに向かったように、現実を直視せず、あたかも架空でしかないゲームの世界が真実であるかのように勘違いさせられ、極右的な統制社会を正当化する日本人も激増していることに、我々は強い危機意識を持つべきだろう。
かつて8000万人中、5%の国民が戦争の犠牲になったような凄まじい暴走地獄社会の最初の兆候が「日本凄いブーム」だと、私は考えずにはいられないのである。
これによって、日本社会には戦前のような「日本凄い同調圧力」が成立しつつある。
歴史から何一つ学ぶことがなく、また民族同調を強要して、自滅した愚行の轍を踏みたいのか? と、私は強く危機意識を抱くのである。
「美しい日本」なんて、具体性のない、観念の妄想を掲げて登場した安倍晋三政権もまた、中曽根に憧れてナルシズム政権を作りたい意思が丸見えだが、このような低俗下劣な人物が、日本国民を地獄の底に連れ込んでゆくのだと思うべきなのだ。
日本社会全体が、得体の知れない放射能汚染の恐怖に怯え、沈み込んでいた2011年、沈鬱な空気のなかに「日本凄い」という番組が、雨後の竹の子のように登場してきた。
https://dent-sweden.com/whats-japan/great-japan
https://www.mag2.com/p/news/231657
http://lakatan.net/archives/47103472.html
https://www.youtube.com/watch?v=TfhYX66uMvw
https://www.youtube.com/watch?v=lYQef1xlx5Y
2018年の今でも、傾向が変わることはなく、相変わらずバカの一つ覚えのように「日本は凄い」とやって、高い視聴率を集めている。
この何が間違っているか? といえば、凄いのが日本だけで、日本人は優秀だとのナルシズムに収束するように論理構成されているところである。
そりゃ、自分たちが褒められれば、競争社会に怯えながら生きてきた我々は、安心するし、いい気持ちになるわいな。
だが、ナルシズムに浸って、良き未来が開けるか? といえば、むしろ逆だろう。
「自分たちは凄い、だが隣国はひどい国だ」
なんて、民族的優越感に満ちた国ぐるみの差別意識が育ってきて、やがてナショナリズムによる愚劣な戦争に向かうことになりそうだ。
「凄いもの」なら世界中にある。ピラミッドも空中庭園も凄い。アンコールワットもトムも、アポロンもインカもアステカもマチュピチュももっと凄い。
別に日本人でなくとも、現代人が再現できない超精密で、凄みのある技術など、どこにでもあるのだ。
現代人が偉そうに言うなら、清水建設や竹中工務店が、パルテノン神殿を、2500年前、当時の材料と道具と技術だけで再現してみやがれ! てんだ。
2500年前の日本といえば、やっと弥生時代と米作農耕が始まった頃で、建物なんぞ、木組みの粗末な小屋しかなかった。
もちろんクレーンなんてないから、人間の肉体が扱える最大の木材しか利用できなかった。
アンコールワットの超精密な石組みを、鎌倉時代の材料と道具と技術だけで再現してみやがれ!
鎌倉時代にあったものといえば、荒っぽい石垣に、木造家屋、それに着物と日本刀くらいだろうに。アンコール遺跡なんて、逆立ちしたって手が届かない。
私の記憶では、戦後、最初に「日本凄い宣伝」を自民党政権が組織的に始めたのは1980年代の中曽根康弘=国際勝共連合政権=日本会議ではなかったかと思う。
中曽根は「単一民族の日本」という標語を掲げ、「世界に冠たる日本」を自慢するファッシスト志向の人物であった。
もちろん、本当の日本人はアイヌ民族だけでなく、たくさんの民族が集まってできた民族集合体であって、中曽根が歴史についてお粗末な無知をさらけ出しただけという結果に終わった。
実は「日本人の優秀さ」があるとすれば、メンデルの法則通りに、多様性があり、先祖が遠く乖離した異民族の交配により、劣性遺伝子が発現しにくくなっているということなのである。
単一性の強い民族は、遺伝学的に弱くなり、民族全体に劣化が進むのは常識であって、逆に互いに離れた異民族が交配すれば、知的にも肉体的にも優秀になるのである。
瀬戸内晴美が中曽根のことを「ペラペラと燃える」と評したように、ナショナリズムをペラペラと煽る、優秀病患者が弱者に対する同情を排除して、強者に対する憧れだけで日本社会をペラペラと燃えるだけの軽薄社会に変えようとしたわけだ。
中曽根の希望通り、単一化した日本民族だったなら、今頃は、知的肉体的に劣性遺伝子ばかりが発現した気の毒な民族になっていたことだろう。
そもそも、「自分たちが優れている」と優越感にのめりこむナショナリズムが何をもたらすのか?
それは、障害者など弱者に対する思いやりを軽視、蔑視し、強いもの、美しいもの、立派なもの、優れたものに対するコンプレックスと憧れだけの軽薄で愚かな社会を生み出してゆくしかないのだ。
私は、2011年に起きた巨大放射能事故が、日本人の未来にもたらす恐怖を払拭したくて、恐ろしい現実を直視できず、目先の優越感に埋没したいという臆病で卑劣なネトウヨどもの陳腐な発想から来ているのだろうと考えているのだが。
実は「日本凄いブーム」は、今回が初めてではない。太平洋戦争に突入する前に、日清戦争と満州事件が起きた頃にも、国を挙げての空前の「日本凄いブーム」があったのだ。



日清戦争は、1894年、翌年に台湾併合、日露戦争が1904年、朝鮮併合が1910年、満州事変は1931年、これらは、国際的には弱小国とみなされていた日本が、次々に列強を撃破し、近隣諸国を植民地化して拡大してゆく日の出の勢いの時代であり、戦争に勝ち、他国領土を併合して拡大するたびに、日本国民は狂喜乱舞し、提灯行列で祝賀し、「日本は凄い国だ」と熱烈に陶酔していた時代である。
こうしたナショナリズムの優越感の凄まじい爆発的な増長、思い上がりの結果、超無謀な太平洋戦争に突入し、日本国民は450万人も命を失い、固有の領土であった北方四島を失い、巨大な損失を被ることになる。
今の「日本凄いブーム」はちょっと違う。先に書いたように、日本経済は、1990年代の山一証券倒産を嚆矢とするバブル崩壊から立ち直れず、現代日本を支え続けた巨大産業である弱電業界が次々に崩壊し、あまつさえ、東日本の広範な国土が恐ろしい放射能汚染に見舞われ、日本人の未来は暗雲に包まれ、民族的な誇り、心の拠り所を失って、社会は格差が拡大し、貧しい若者たちは不安定な奴隷人生を強いられる。
こんな嫌な社会に、何か気持ちよくさせてくれる心の希望はないものか? という要望から来ている部分もありそうだ。
しかし、一方で、戦前の「日本凄いブーム」が、民族的優越感から国家的ファッシズムに向かったように、現実を直視せず、あたかも架空でしかないゲームの世界が真実であるかのように勘違いさせられ、極右的な統制社会を正当化する日本人も激増していることに、我々は強い危機意識を持つべきだろう。
かつて8000万人中、5%の国民が戦争の犠牲になったような凄まじい暴走地獄社会の最初の兆候が「日本凄いブーム」だと、私は考えずにはいられないのである。
これによって、日本社会には戦前のような「日本凄い同調圧力」が成立しつつある。
歴史から何一つ学ぶことがなく、また民族同調を強要して、自滅した愚行の轍を踏みたいのか? と、私は強く危機意識を抱くのである。
「美しい日本」なんて、具体性のない、観念の妄想を掲げて登場した安倍晋三政権もまた、中曽根に憧れてナルシズム政権を作りたい意思が丸見えだが、このような低俗下劣な人物が、日本国民を地獄の底に連れ込んでゆくのだと思うべきなのだ。

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