私は、若い頃から民俗学に興味を抱き、柳田国男・宮本常一、近藤正一(長寿村の研究)などには夢中になった。
有り金残らずはたいて彼らの著作を買い込んだり、図書館に通って、なめ回すように読んだものだ。
しかし、権力者と政権の名前ばかり挙げる権力史学には、あまり興味はなかった。
人並みに、司馬遼太郎の著作は貪るように読んだから、小説に出てくる権力史くらいは知ってるつもりだが、興味の対象だったのは、他国に戦争に出かけられるほど、ゆとりのあった食糧事情とは、どんなものか? とか、川中島決戦のように死傷率8割という激烈な戦争の後、故郷の農作は誰が担ったのか? どのような村のダメージが起こったのか? とかの問題である。
天皇の歴史など、ほとんど何の興味も湧かなかったが、今から30年ほど前、大室寅之祐という人物の存在を知ってから、俄然、興味を抱くようになった。
これを知ったのは鬼塚英昭という作家によってである。
何かの機会で、当時まだ若かった鬼塚さんの講演を聴いて、私が、それまで心にため込んでいた、さまざまの疑問をズバリと氷解させてくれる、衝撃的に素晴らしいものだった。
当時、私も平田国学の調査をしていて、北朝派の天皇が、なんで突然、南朝に鞍替えして楠木正成像を皇居前に建てたのか、いっぺんに疑問が解けて、感激した記憶があり、それから鬼塚さんには夢中になった。
鬼塚氏は、日本の真相というシリーズで動画にアップしているので、これが削除される前に、ぜひダウンロードするなり、熟聴するなりして心に刻んでいただきたい。
https://matome.naver.jp/odai/2146061673118762301
コメント欄には、極右、おそらく自民党や日本会議のネットサポート部隊によると思われる下劣な人格攻撃が大量に書き込まれているので、この動画は、私がツイッターを完全凍結されたように削除攻撃を受ける可能性があり、可能な限り、たくさんの人にダウンロードしていただきたい。
明治維新から戦後に至るまでの保守政権の真実は、すべて、この中に含まれている。
日本の真相1 明治天皇すりかえ
https://www.youtube.com/watch?v=qZve5N-_doI&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PL109AD928958D9EA1&index=2
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&index=3&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&index=4&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相5 すべての戦争は八百長である
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&index=5&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&index=6&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相7 超天才の悪魔
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PL109AD928958D9EA1&index=7
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&index=8&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PL109AD928958D9EA1&index=9
明治天皇の正体が、長州奇兵隊力士隊に所属した大室寅之輔であるという説は、1960年代に司馬遼太郎が、孝明天皇を書いている何かの本に書いていたと思うが、まとめて世に提起したのは1970年代の鹿島昇さんの本だったと思う。
https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%89%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%9A%87%E2%80%95%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E9%B9%BF%E5%B3%B6-%E6%98%87/dp/4915157849
http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/nanboku4-1.html
司馬が書いたのは、孝明天皇が、愛人だった岩倉具視の姉の屋敷に出向いたとき、厠のなかに待ち伏せていた、当時、まだ松下村塾生だった伊藤博文と井上馨が、孝明の肛門から槍を突き入れ(検死の際に殺害痕を残さぬため)、孝明は大量の下血のため、三日三晩苦しみ抜いて死んだというエピソードで、指示したのは岩倉具視だったと書かれていたように思う。
これは、後に漏れ出た噂から、いわゆる倒幕派合議によって松下村塾生が実行したものだが、どんな理由で、孝明天皇を殺さねばならなかったのか?
その動機こそ、明治維新の究極的本質が見えてくるものである。
長州や薩摩の維新勢力の動向よりも、むしろ私の地元、中津川市で書かれた島崎藤村の超大作「夜明け前」のなかに、その秘密が描かれていた。
夜明け前の主人公「青山半蔵」(藤村の実父、島崎正樹)は、若い頃から国学を学び、やがて本居宣長や賀茂真淵、荷田春満と並び称される「国学四大人」平田篤胤の門人となって、実子の鉄胤にも私淑した。
明治期に著名な医学者として知られた中津川苗木藩出身の青山胤通は、平田篤胤の字をもらったほどで、苗木藩全体が「平田国学」の強烈な影響を受けていて、藤村の父も、狂信的といえるほどの平田信者となり、馬篭にあった寺を国学に反するとして放火し、このことで死ぬまで座敷牢に幽閉された話が夜明け前に出てくる。
ちなみに、私が苗木藩蛭川村に移住したのが2003年だが、最初に驚かされたのが蛭川村に、信号とコンビニが一軒もないことだったが、寺も、大正時代に移設された一軒を除いて一つもなかった。
理由は、平田国学を村中で強烈に信奉していたことで、村中の寺と史跡を廃仏毀釈してしまったからである。代わりに、平田国学徒である奥田胤通らが作った「神国教」という超ローカルな神道があって、今でも村の婚姻葬儀など祭祀の90%が神道様式になっている。
平田篤胤とは、どのような人物だったか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4
全国でも、廃仏毀釈が激しく行われた地方といえば、この苗木藩を筆頭に、薩摩藩や加賀藩の北部などが知られているが、真宗の盛んだった地域では、国学の浸透も強くなかったようだ。
実は、吉田松陰らが、討幕運動の思想的核心として採用したのが、この平田国学だったのだ。
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/aozoran/bunsyuu/yoakemae/node3.html
薩摩藩、長州藩はもとより、高須の松平兄弟として知られる尾張藩・会津藩・桑名藩などの藩主、松平氏も、実はみな平田国学の影響を受けており、会津の容保が統幕勢力から敵前逃亡したと非難された問題も、実は国学思想が絡んでいる。
慶喜が大政奉還したことにも、実は国学思想の関与があるといわれる。
明治維新は、平田国学を思想的核心として進められた。
そして、平田国学は、天皇家に関して「南朝正統論」を提起していたのである。
当時の孝明天皇は、もちろん室町時代の後小松以来の北朝系譜であり、平田国学は、北朝皇統を廃し、南朝皇統を再建すべしと強く西郷や大久保らに建議していた。
こうして、北朝系譜である孝明天皇は、松下村塾生によって断絶させられ、息子の祐宮(本物)も行方不明になっている。
なお祐宮は五尺の華奢な体躯で、貴人らしい蹴鞠の名人として知られていたが、明治天皇に即位した「祐宮」は六尺豊かな大男で、蹴鞠などとは縁もゆかりもなく、後見人であった西郷隆盛や山岡鉄舟と、年中相撲をとっていたと記録されている。
また、即位後に、突然、東京への遷都が公表され、それまで朝敵だったはずの南朝、楠木正成が銅像になって皇居に建立された理由も、平田国学の思想によるものであり、具体的な経緯については、鬼塚英昭さんの上のリンクに詳しく述べられている。
孝明と本物の祐宮は維新勢力によって暗殺され、代わりに帝位に就いたのが、長州藩奇兵隊力士であった大室寅之祐である。
このフルベッキ写真は本物である可能性が強いと私は思う。
理由は、西郷とされる写真が、最近発見されたばかりの西郷写真に酷似している。大村益次郎の写真が本物ぽい。大室寅之輔も実物の明治天皇にそっくりという点である。これらは、私には「平田国学決起大会」のように見えるのだ。
大室寅之輔が明治帝に選ばれた理由は、彼の家柄が古くから南朝皇統を主張していたためであった。
寅之祐の姉の4代、後裔が橋本龍太郎、大二郎兄弟になる。そして、寅之輔の出生地が、田布施であることが大問題となるが、これについては、書かねばならないことが、あまりに多すぎて、別の機会に譲る。
後に、明治時代が安定し、明治帝の身辺調査が行われると、実は、寅之祐の出自に明確な根拠がなく、本当に南朝の血を引いているのか、極めて怪しいとする報告が出た。
(この情報は昨年までネット上にあったが、今探しても見つからない)
そこで、宮内庁は、どうやら側室、柳原愛子に、別の人物が種をつけて大正帝を産ませた可能性がある。それは誰か? 行方不明になっている本物の祐宮なのか?
大正帝も、上の鬼塚講演では「子種がなかった」と指摘されているので、昭和帝さえも実子ではない。鬼塚氏は西園寺八郎を挙げている。
(西園寺公望について記憶違いがあり削除しました)
続く
有り金残らずはたいて彼らの著作を買い込んだり、図書館に通って、なめ回すように読んだものだ。
しかし、権力者と政権の名前ばかり挙げる権力史学には、あまり興味はなかった。
人並みに、司馬遼太郎の著作は貪るように読んだから、小説に出てくる権力史くらいは知ってるつもりだが、興味の対象だったのは、他国に戦争に出かけられるほど、ゆとりのあった食糧事情とは、どんなものか? とか、川中島決戦のように死傷率8割という激烈な戦争の後、故郷の農作は誰が担ったのか? どのような村のダメージが起こったのか? とかの問題である。
天皇の歴史など、ほとんど何の興味も湧かなかったが、今から30年ほど前、大室寅之祐という人物の存在を知ってから、俄然、興味を抱くようになった。
これを知ったのは鬼塚英昭という作家によってである。
何かの機会で、当時まだ若かった鬼塚さんの講演を聴いて、私が、それまで心にため込んでいた、さまざまの疑問をズバリと氷解させてくれる、衝撃的に素晴らしいものだった。
当時、私も平田国学の調査をしていて、北朝派の天皇が、なんで突然、南朝に鞍替えして楠木正成像を皇居前に建てたのか、いっぺんに疑問が解けて、感激した記憶があり、それから鬼塚さんには夢中になった。
鬼塚氏は、日本の真相というシリーズで動画にアップしているので、これが削除される前に、ぜひダウンロードするなり、熟聴するなりして心に刻んでいただきたい。
https://matome.naver.jp/odai/2146061673118762301
コメント欄には、極右、おそらく自民党や日本会議のネットサポート部隊によると思われる下劣な人格攻撃が大量に書き込まれているので、この動画は、私がツイッターを完全凍結されたように削除攻撃を受ける可能性があり、可能な限り、たくさんの人にダウンロードしていただきたい。
明治維新から戦後に至るまでの保守政権の真実は、すべて、この中に含まれている。
日本の真相1 明治天皇すりかえ
https://www.youtube.com/watch?v=qZve5N-_doI&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル
https://www.youtube.com/watch?v=_YfXIhybq5U&list=PL109AD928958D9EA1&index=2
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた
https://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes&index=3&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
https://www.youtube.com/watch?v=34HEcM9qvqc&index=4&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相5 すべての戦争は八百長である
https://www.youtube.com/watch?v=kIXzkY8VtLU&index=5&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本
https://www.youtube.com/watch?v=wlfyvOL-OVg&index=6&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相7 超天才の悪魔
https://www.youtube.com/watch?v=1ToSe8A7_wE&list=PL109AD928958D9EA1&index=7
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発
https://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4&index=8&list=PL109AD928958D9EA1
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱
https://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk&list=PL109AD928958D9EA1&index=9
明治天皇の正体が、長州奇兵隊力士隊に所属した大室寅之輔であるという説は、1960年代に司馬遼太郎が、孝明天皇を書いている何かの本に書いていたと思うが、まとめて世に提起したのは1970年代の鹿島昇さんの本だったと思う。
https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%89%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A9%E7%9A%87%E2%80%95%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%AE%E8%AC%8E-%E9%B9%BF%E5%B3%B6-%E6%98%87/dp/4915157849
http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/nanboku4-1.html
司馬が書いたのは、孝明天皇が、愛人だった岩倉具視の姉の屋敷に出向いたとき、厠のなかに待ち伏せていた、当時、まだ松下村塾生だった伊藤博文と井上馨が、孝明の肛門から槍を突き入れ(検死の際に殺害痕を残さぬため)、孝明は大量の下血のため、三日三晩苦しみ抜いて死んだというエピソードで、指示したのは岩倉具視だったと書かれていたように思う。
これは、後に漏れ出た噂から、いわゆる倒幕派合議によって松下村塾生が実行したものだが、どんな理由で、孝明天皇を殺さねばならなかったのか?
その動機こそ、明治維新の究極的本質が見えてくるものである。
長州や薩摩の維新勢力の動向よりも、むしろ私の地元、中津川市で書かれた島崎藤村の超大作「夜明け前」のなかに、その秘密が描かれていた。
夜明け前の主人公「青山半蔵」(藤村の実父、島崎正樹)は、若い頃から国学を学び、やがて本居宣長や賀茂真淵、荷田春満と並び称される「国学四大人」平田篤胤の門人となって、実子の鉄胤にも私淑した。
明治期に著名な医学者として知られた中津川苗木藩出身の青山胤通は、平田篤胤の字をもらったほどで、苗木藩全体が「平田国学」の強烈な影響を受けていて、藤村の父も、狂信的といえるほどの平田信者となり、馬篭にあった寺を国学に反するとして放火し、このことで死ぬまで座敷牢に幽閉された話が夜明け前に出てくる。
ちなみに、私が苗木藩蛭川村に移住したのが2003年だが、最初に驚かされたのが蛭川村に、信号とコンビニが一軒もないことだったが、寺も、大正時代に移設された一軒を除いて一つもなかった。
理由は、平田国学を村中で強烈に信奉していたことで、村中の寺と史跡を廃仏毀釈してしまったからである。代わりに、平田国学徒である奥田胤通らが作った「神国教」という超ローカルな神道があって、今でも村の婚姻葬儀など祭祀の90%が神道様式になっている。
平田篤胤とは、どのような人物だったか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4
全国でも、廃仏毀釈が激しく行われた地方といえば、この苗木藩を筆頭に、薩摩藩や加賀藩の北部などが知られているが、真宗の盛んだった地域では、国学の浸透も強くなかったようだ。
実は、吉田松陰らが、討幕運動の思想的核心として採用したのが、この平田国学だったのだ。
http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/aozoran/bunsyuu/yoakemae/node3.html
薩摩藩、長州藩はもとより、高須の松平兄弟として知られる尾張藩・会津藩・桑名藩などの藩主、松平氏も、実はみな平田国学の影響を受けており、会津の容保が統幕勢力から敵前逃亡したと非難された問題も、実は国学思想が絡んでいる。
慶喜が大政奉還したことにも、実は国学思想の関与があるといわれる。
明治維新は、平田国学を思想的核心として進められた。
そして、平田国学は、天皇家に関して「南朝正統論」を提起していたのである。
当時の孝明天皇は、もちろん室町時代の後小松以来の北朝系譜であり、平田国学は、北朝皇統を廃し、南朝皇統を再建すべしと強く西郷や大久保らに建議していた。
こうして、北朝系譜である孝明天皇は、松下村塾生によって断絶させられ、息子の祐宮(本物)も行方不明になっている。
なお祐宮は五尺の華奢な体躯で、貴人らしい蹴鞠の名人として知られていたが、明治天皇に即位した「祐宮」は六尺豊かな大男で、蹴鞠などとは縁もゆかりもなく、後見人であった西郷隆盛や山岡鉄舟と、年中相撲をとっていたと記録されている。
また、即位後に、突然、東京への遷都が公表され、それまで朝敵だったはずの南朝、楠木正成が銅像になって皇居に建立された理由も、平田国学の思想によるものであり、具体的な経緯については、鬼塚英昭さんの上のリンクに詳しく述べられている。
孝明と本物の祐宮は維新勢力によって暗殺され、代わりに帝位に就いたのが、長州藩奇兵隊力士であった大室寅之祐である。
このフルベッキ写真は本物である可能性が強いと私は思う。
理由は、西郷とされる写真が、最近発見されたばかりの西郷写真に酷似している。大村益次郎の写真が本物ぽい。大室寅之輔も実物の明治天皇にそっくりという点である。これらは、私には「平田国学決起大会」のように見えるのだ。
大室寅之輔が明治帝に選ばれた理由は、彼の家柄が古くから南朝皇統を主張していたためであった。
寅之祐の姉の4代、後裔が橋本龍太郎、大二郎兄弟になる。そして、寅之輔の出生地が、田布施であることが大問題となるが、これについては、書かねばならないことが、あまりに多すぎて、別の機会に譲る。
後に、明治時代が安定し、明治帝の身辺調査が行われると、実は、寅之祐の出自に明確な根拠がなく、本当に南朝の血を引いているのか、極めて怪しいとする報告が出た。
(この情報は昨年までネット上にあったが、今探しても見つからない)
そこで、宮内庁は、どうやら側室、柳原愛子に、別の人物が種をつけて大正帝を産ませた可能性がある。それは誰か? 行方不明になっている本物の祐宮なのか?
大正帝も、上の鬼塚講演では「子種がなかった」と指摘されているので、昭和帝さえも実子ではない。鬼塚氏は西園寺八郎を挙げている。
(西園寺公望について記憶違いがあり削除しました)
続く
コメント
> その動画を否定されてるんですよね・・
>
> 正直言ってボクには難しくてよくわからないですが。
>
> https://twitter.com/harouen/status/707559829401767936
鬼塚さんが削除されたら、再アップよろしくお願いします
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