何度も書いたが、儒教思想にとって最大の価値は、権力・見栄・メンツである。

 このうち朝鮮民族を地獄の底まで束縛し続けるのがメンツであり、「朝鮮人は日本人より上」という優越意識である。



 日本発祥とする、あらゆるものが、実は朝鮮・韓国発祥であるとする。

 桜は韓国発祥であり、ソメイヨシノは済州島で作り出された。染井村の桜なんて関係ない。剣道も空手も柔道も日本刀も寿司も、日本文化のすべては韓国朝鮮が与えたものという非常識なデマを韓国の若者たちは、本気で信じているようだ。



https://matome.naver.jp/odai/2134096136038282101



 天皇でさえ韓国が与えたと、韓国の若者たちは信じるようになっている。



 元を正せば、日本書紀に弓月氏(秦氏)が、百済を経て日本にやってきたと明記されてるので、韓国人が、天皇は韓国から渡ったと思い込むのも無理はないが、残念ながら今の韓国人は百済人の後裔でもなければ、高麗人の後裔でもなく、沿海州方面の渤海という地域から移動してきたエベンキ族(オロチョン族も同じ民族)であって、秦氏とは直接に関係がなく、天皇を古代ユダヤ人や始皇帝の子孫というならまだしも、韓国人の後裔では気の毒すぎる。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B



 天皇は「私はエベンキ族じゃない」と大声でいうべきであり、「実は金・清の愛新覚羅と同じ女真族なんだ」と小声で言った方がいい。



 なお、オロチョン・エベンキは法外に荒っぽいことでも知られる。アイヌのユーカラにもオロチョン族が襲ってくる恐怖の物語が伝えられている。

 女真は、割合洗練された民族で、漢族の教養も豊かで、養豚農業の騎馬民族という、かなり変なシステムを持っていた。



 ツングースは先祖や先住国を名字に使ったので、弓月といえば、現在のキルギスタンに相当し、秦氏といえば、秦の始皇帝の末裔という意味である。

 彼らが、高句麗にあった扶余という女真族の地域にいたことが記録されている。



 このように、ネット情報時代が進展すれば、ネットワーク化された莫大な情報から、真実がたちまち検証されて明らかになると考えてきたが、どうやら、現実は、多すぎる情報が、若者たちを逆に惑わし、軽い感覚的な共有、ナショナリズムに容易に洗脳される者たちを増やしただけだったのかもしれない。



 天皇独裁国家を渇望する極右勢力が、天皇制を神秘の霧に包み込み、皇紀2700年、万世一系なんて真っ赤な嘘を吹聴して国民を洗脳しているせいで、天皇家の真実を語れないことが、韓国人の誤解に拍車をかけている。



 世界有数のネット環境に恵まれた韓国人が、歴史を本気で調査すれば、たちまち真実が姿を現すはずなのに、出てくるのは自分たちに都合のよい場面だけで、都合の悪い史実には目もくれないのだから、どうすることもできない。

 ネット情報には、「真実を大切にする資質」というものも重要になってくるようだ。



 好例が竹島問題だ。日本が数百年にわたって利用してきた実績を無視して、1946年李承晩が、突然、一方的に領土宣言をして軍事支配を開始した。

 このとき、ここを漁場としてきた島根県民漁師に50名を超す犠牲者が出た。



 日本は敗戦直後で、軍事力は疲弊の極みであり、国際紛争に対処できるような力を失っていたため、李承晩のいいようにされたまま既成事実化してしまった。

 竹島の歴史的経過を調べれば、韓国側に非があることが一目瞭然なのに、ほぼ、すべての韓国人が、身勝手な解釈で領有権を主張するばかりで、真実よりも前に、メンツを求める高すぎる壁に囲まれていることが実によく分かる。



 これは北方四島に等しい強奪なのだが、植民地朝鮮における日本支配に対する骨肉の恨みの顕現といっても間違いでないだろう。

 李承晩の日本に対する憎悪は、大変なものだった。これを見て、岸信介が子飼いの朴正熙にクーデターを起こさせ、大統領にして数兆円もの戦時賠償を与えたともいわれる。



 韓国人の悲願は、「韓国人は日本人より上位」のメンツであり、悲願であると同時に、これは悲劇なのだ。



 私個人は民族ナショナリズムには興味がなく、日本人と韓国・朝鮮人を差別する気持ちなど毛頭ないのだが、今の韓国人のように、あからさまに現実を直視せず、「自分たちの方がおまえたちより上だ」と決めつけたがる姿勢をみているうちに、韓国儒教思想に対する不快感が際立つようになった。



 韓国人に言いたいことは、人間に序列をつけて上下を定めたがる前に、本当に社会を底辺で支えている者は誰なのか直視してみろと言いたい。



 今のままの発想の韓国人なら、北朝鮮が突如、社会主義体制の装飾を捨てて、李朝再興を宣言したなら、王権独裁回帰への否定より、むしろ金正恩が李朝の血を引くのだから、朝鮮王朝を再興させて、ジョンウンを王様にした方がいいと言い出しかねないのだ。

 それほど朝鮮儒教の観念的束縛は凄まじい。



 だから自民党、安倍麻生政権も、実は日本に儒教を再興して、天皇を見せかけのトップとして、最底辺に非正規労働者を置き、さらに一番下に死刑囚を置くような、差別の巨大な体系を作りたい意思が鮮明に見えるのである。

 日本では、儒教という名が通らないので、天皇をトップとする神道を利用しようということになった。



 繰り返すが、儒教の本質は、人間を序列化して、差別し、底辺の奴隷国民(我々のことだぞ!)の命をエライ人の利権のために使い捨てできる社会を作ることである。

 まさに、安倍麻生、自民党=日本会議の究極の目標がここなのだ。

 

 だが、そうは問屋が卸さない!



 今の日本会議、自民党極右勢力のパワーは、実は1970年代から密かに準備され、積み重ねられてきたもので、昔は、生長の家の谷口雅春や、それに賛同する松下幸之助や統一教会、文鮮明やら、まだ生きてた妖怪、岸信介や正力松太郎らが着々と準備してきた成果である。

 1980年代からは、中曽根康弘や、笹川良一らが準備を重ね、1990年代からは、小泉純一郎や竹中平蔵らが、着々と実現してきたのである。



 ちょうど良いタイミングで、コンピュータとネット社会が劇的に発展したので、子供たちや、若者たちを天皇制絶対主義に洗脳する良い機会となった。



 子供たちに、「愛国心=天皇への忠誠心」なるウソ=虚構をすり込むには、人殺しゲームを楽しませるに尽きる。



 人の愛と平等性、助け合い社会の本質を教えないで、他人は自分を迫害し、殺しにくるものだと教えすり込むのが一番なのだ。

 知らない他人は、全部敵である。知らない他国民も敵である。ましてや日本人を下に見ようとする韓国朝鮮人など絶対に許せない!

 こんな思想を、戦争ゲームによってすり込まれ、洗脳されてゆくのだ。



 そうして、「他人をやっつける」ことに至上の恍惚を覚える大量の若者が生産され、秋葉原でファッシストの麻生太郎が演説すると、やんやの大喝采が起きる時代がやってきた。

 若者たちが、アホの安倍・麻生を熱烈に支持し、障害者や劣ったと決めつけた人たちを嘲笑し、侮蔑し、植松聖のように虐殺、迫害する時代がやってきてしまった。