派遣切り捨てによって明るみに出た労働者の待遇破壊、家畜・奴隷化政策を行った主犯は、自民党の小泉純一郎前首相・竹中平蔵・連合労組の高木剛ら幹部たちである。
 小泉は父親が在日朝鮮人であり、竹中平蔵は野中広務と同じく被差別民出身であり、連合高木は改憲徴兵制復活を目指す元外交官の右翼である。

 本来ならば、自分自身が受けてきた被差別の苦悩体験から、差別を撤廃し、平等な権利獲得を目指すべき立場でありながら、やったことは貧富の格差を徹底して助長し、社会差別を固定固定する悪辣な政策であった。彼らの行ったことは戦後社会における最大の人権破壊に他ならなかった。

 小泉や竹中は、差別そのものに疑問を抱かず、それを肯定し、差別の中で勝ち上がることを目指した。差別制度を温存し、そのなかで与差別者に君臨する道を選んだのである。
 こうした場合、ブッシュのように財閥のお坊ちゃまであるよりも、はるかに苛酷な差別者になる場合が多い。差別制度に負ける人間を自己責任と決めつけ、救済せずに社会から排除・追放する道を選ぶのである。

 とりわけ竹中平蔵の果たした役割は大きかった。竹中は一橋大学を卒業後、ハーバード大学に留学し、そこでロックフェラーの薫陶を受けて金融資本主義の尖兵として訓練された人物である。
 竹中を育てたロックフェラーこそ世界総資産をロスチャイルドと分け合い、歴代大統領のすべての当選を操作し、アメリカをユダヤ・イスラエルに奉仕させるための奴隷国家に変えていった黒幕に他ならない。

 小泉・竹中は団塊世代であった。戦後、朝鮮戦争を契機に、アメリカ経済が活性化したとき、ロックフェラーはアメリカと、それに追従する国家群の人々をアメリカ成功主義思想で洗脳し尽くそうとした。そうした洗脳をまともに受けたのが団塊世代であった。
 例えば、文化でいえばプレスリーからマイケル・ジャクソンへ、ポップアート、コルベットやマスタングなどのアメリカ車ブーム、電化製品、金融資本主義に至るまで、すべて、アメリカンドリームを体現し、他人を蹴落とし、圧倒して成功者になり、贅沢三昧の生活をするのが人々の目標であるかのような価値観を洗脳されていった。

 これらの、いずれも共通する特徴は、人々が助け合い、調和・協調するコラボレーショニズムを否定し、人を圧倒し、踏み倒し、選ばれた人間だけが最高の特権を謳歌する競争・勝ち抜き思想であった。
 団塊世代は、テレビ番組や学校教育を通じて、「選ばれたもの」「凄いもの」に対する幻想を植え付けられ、人とともに助け合うということ、ありふれた幸せを求めるということが愚かなものであって、人を蹴落として、自分だけが選ばれて凄いことをやって、特権を得るということこそ人生の価値であると信じ込まされることになった。

 小泉・竹中そして財界を率いる奥田・御手洗らの世代は、ほとんど全員が、そうした競争主義、贅沢こそ人生勝利の証のような価値観に強烈に洗脳され、同時に、贅沢を得る自由は悲惨な窮乏によって担保されるかのような差別格差を目指したのである。
 すべての人生は自己責任による自由であって、金儲けの自由は餓死の自由によって成り立つものであるという思想であり、競争による蹴落とし合いだけが社会の進歩を担保するという思想である。
 こうした価値観は、もちろん小泉・竹中だけでなく、団塊世代すべてに強烈に定着しており、例えば小沢一郎や菅直人でさえ、競争主義を無条件に賛美していることに注意する必要がある。

 アメリカンドリーム、競争に勝ち抜いて他者を蹴落として君臨し、成功者と呼ばれ畏敬される人生こそ最高価値という思想こそ、社会から共同体、コラボレーショニズムを追放し、金融資本主義による格差・差別の序列化を目指す社会システムの根源にあるものだ。
 戦後社会、団塊世代は、この思想による洗脳の拡大とともに「成功者」を目指し、一旗揚げる場所のない田舎を捨て、みんな同じ生活、助け合いの地方共同体社会を捨てて、競争と成功の都会に集結し、無駄遣い主義、贅沢競争に導かれたのである。

 ロスチャイルド・ロックフェラーら世界金融資本イルミナティが、世界の富すべてを手中にし、権力のすべてを獲得しようとする(何のために? ユダヤ教タルムードによる宗教的信念のために)とき、世界中の人民から助け合い共和社会思想を捨てさせて、競争勝ち抜き合戦に参加させ、落ちこぼれ排除の自己責任論を押しつけるために、こうした競争贅沢文化の洗脳が行われてきたことを我々は、今こそはっきりと知る必要がある。
 そして日本における団塊世代を中心にした洗脳教育の成果こそ、小泉・竹中・奥田・御手洗らなのである。

 彼らの思想、「競争主義と自己責任論」によって、2009年初頭に全国30万人の労働者が切り捨てられて路傍を彷徨う結果となり、夏頃までには、それが1000万人に達し、数百万の人たちが家を追われて路傍で餓死する運命を享受することになった。
 まさしく、世界金融資本と小泉・竹中の求めた成果が、ここに実現しようとしている!

 追記
 小泉・竹中が国民に強要してきた「自己責任論」は人間を地獄に突き落とす悪魔の論理である。
 それは人と人とを相反させ孤立させる。友情・愛情・人情を原理とした助け合いの気持ちを萎えさせ、金儲け競争で対立させ、落ちこぼれを追放し、人々を分裂させ、人間疎外に持ち込むのだ。
 竹中平蔵によれば、こうした競争を正当化し、「勝者になった者が弱者を救済すればよい」と主張するわけだが、人情を排斥することで競争を勝ち抜いた者が、それを思い出して救済を望むはずがない。勝者・強者は敗者・弱者を徹底的に追放・殲滅しようとするのである。

 結局のところ、小泉・竹中の言うところの勝者は、一握りの経済的勝者が他の大多数の人民を滅ぼす結果しか招かないのであり、今起きている事態は、まさしく、それが実現しているものだ。
 だが、人間社会は竹中の考えるような浅ましい仕組みになっていない。それは結局のところ、愛情・友情・人情だけによって支えられ、それから一歩でも外れようものなら必ず滅びてしまう仕組みである。人は情念によって産み出され、生きる気力を獲得し、そして死んでゆく。
 競争や金儲けや利己主義が支える人生など本当は存在しないのだ。それは単に求めた愛情を排斥されたがゆえに、ますます、それを求める憤りの感情から一時的に産み出されるものにすぎない。利己主義は、人生を破滅に追いやるものであって、決して支えるものではないことを思い知らされることになるだろう。

 我々は、これから短期間のうちに小泉純一郎・竹中平蔵・奥田碩・御手洗富士雄・高木剛らの人間的破滅を見せつけられることになるだろう。
 ユダヤ金融資本・イルミナティが、競争主義・贅沢浪費志向による価値観を洗脳している本当の理由は、そうした思想に染まり正当化する人々を自分たちのための奴隷・家畜として利用し、その命を使い捨てにするためなのだ。
 彼らにとって、人とはタルムードを信奉するユダヤ教徒だけなのであり、他のすべての人類は彼らのためのゴイム(家畜)にすぎないのである。
 彼らにとって、もっとも利用しやすい家畜とは、競争主義に洗脳されて、人情を見失い金儲けや贅沢に憧れる愚かな人々の群れである。それは金によって自由に言いなりにすることができるからだ。
 だが、彼らにとって、もっとも手強い困った人種とは、人間の本質が愛であることを知る人々であり、金になびかない人なのである。