資本主義とは無制限の繁栄を前提にしなければ成立できないネズミ講のようなものだと何度も書いてきた。
 人を組織して、効率化したシステム、工場生産によって廉価に物資を大量販売することで、薄い利潤であっても莫大な儲けが転がり込んでくる。これによって資本家は、大衆が見たこともないような巨額の富を蓄積し、カネという城に守られた特権階級が成立し、社会は資本家と労働者の階級に分化してゆく。
 そこで、特権階級の自覚を抱いた資本家は、蓄財と地位をますます固め、大きくしようとすることになる。自分たちは、生まれながらに天与の地位と財産を与えられ、大衆に君臨できる特別な身分であると勘違いするようになるのだ。

 実は、この錯覚こそが、2600年前にユダヤ・バビロン捕囚のなかで作り出されたタルムードを信奉するユダヤ教徒たち、つまりバリサイ人たちの末裔にとって、タルムードの根元である「自分たちだけが選ばれた民であって、他のすべての人々は、自分たちに奉仕するための家畜(ゴイム)である」とする思想を正当化する上に欠かせない原理なのだ。
 ユダヤ教徒は、旧約聖書よりもタルムードを優先させねばならない。そこで、世界人民には、神から選ばれた生まれながらの特権階級がいて、一般大衆を奴隷として使役する身分を与えられているとタルムードが指示しているわけだから、そのように社会を身分で区別する制度を次々に生み出すことになった。

 例えば、フリーメーソンという秘密結社が、歴史的に一般大衆のなかに特権階級(上流階級)を作り出す最初の大がかりな目論見だったといえよう。
 この始まりはイギリスの石工組合が、自分たちの利益を組織によって守り、労働を安売りしないように同盟結社を作ったと説明されているが、実際には、キリスト教徒のなかにユダヤ教徒が正体を隠して組織を作ったともいわれ、例えばテンプル騎士団もそうだといわれる。詳しいことは分からないが、その本質は、社会の中に一定の資格をもった人だけに許された秘密結社を作り、特別な連帯感と優越感を抱くシステムと考えれば間違いないと思う。

 国王や貴族はもとより、大衆の中から登場した裁判官や大金持ちや政治家など特権を得た人たちに、特別のアイデンティティ(帰属意識)を与えて連帯感を抱かせ、大衆を蔑視させ、上流階級であることに優越感を持ち、溺れ、傲慢な、いい気分になれるシステムを作り出した。
 そして、一般大衆に、上流階級に対する畏敬、憧れを育て、他人を蹴落として金儲けすれば、その仲間に入れるという目的意識を育むシステムを作り上げたのだ。こうして、大衆が上流階級に憧れ、貧しい者同士の連帯を拒否し、権力と財産を蓄積て上流階級として認められることが人生の目的であり、成功であるとの価値観が、バイサイ人たちの陰謀によってフリーメーソンを通じて着実に世界に作り出されていった。

 こうした上昇志向、大衆のなかにコンプレックスを作り出し、互いに反目させあうという思想こそ、「選ばれた民」を正当化し、ユダヤ教徒の特権と世界支配を目ざす人類社会のなかの基盤となっていった歴史を、我々は明確に認識しなければいけない。
 まさに、この思想によって、資本主義は誕生したのだ。他人よりも、少しでも多くの蓄財をし、フリーメーソン会員に選ばれるように努力することこそ最高の人生であり、このために、あらゆる業務を合理化し、規模を大きくし、技術を深化させることで、より多くの利益を手にし、結果として自分が上流階級に成り上がることができるというわけだ。

 そうして特権階級・上流階級に成り上がってみたものの、そんな彼らに対する劣等感、憧れを抱く一般大衆が続々登場してくるわけで、みんなが特権階級になってしまえば、自分の特権の値打ちが下がるということで、特権階級は、より大きな特権を目指して、より高い上流社会を目指して、死ぬまで倦むことなく走り続けなければならない宿命に至ったのである。

 こうして資本家たちは、より大きな資本家になるために、無制限の企業拡大を目指し、無制限の蓄財を目指し、無制限に労働者を搾り取り、最後の血の一滴まで絞ってカラカラに干上がってしまえばポイ捨てするというゴイムにふさわしい仕打ちを行うようになった。
 読者よ、周囲の会社を見渡してごらん。あらゆる会社が、例え、赤字にならずとも、そこそこの黒字で、会社がうまく回転していても、それに飽きたらず、必ず、より大きな拡大を目指して突っ走る姿を見ることだろう。

 かつてダイエーが、「イチバーン!」を目指し、無制限の拡大を目指して全国展開し、伸びすぎた兵站を補給できずに萎んで自滅した事実を誰一人知らない者はいない。
 それなのに、ダイエーの後を追ったマイカルが、たくさんの拡大主義業者が潰れて消えてしまっているのに、今なおイオンがジャスコが、狸や狐しか住まない野山まで大規模店を次々にオープンさせ、拡張競争を続けてダイエーの通った道を、懲りもせずに踏襲し、劇的な大恐慌に立ちすくんで真っ青になっていることを知っているだろう。
 もちろん、あれほど兵站を伸ばしたなら、恐慌という攻撃の前にひとたまりもないわけで、イオンもジャスコも、ユニーもヨシヅヤも、その他たくさんの大規模小売業者も、雁首を並べて、もう時間の問題で潰れてしまうだろうう。
 ただでさえ、大規模小売店は、今やインターネット通販に取って代わられようとしているのだ。代引規制をしようが、医薬品のように販売規制をしようが、もう遅い。かつて地域社会に根付いた小売店を組織の力で踏みつぶしたように、今度は自分たちが時代のニーズによって踏みつぶされる番がやってきたにすぎない。

 読者よ、よく考えてごらん。この地球は大きいようで小さな天体だ。人類が無制限に増えてゆけば必ず行き詰まるほどの小さな天体にすぎない。空気も土地も、資源も、みんな足りなくなるのだ。そして、資本主義が無制限に拡張しようとしても、商品の購入力、買う人の数、作り出せる原料、市場、あらゆるものが有限の壁に遮られている。
 ものごとには限度があるのだ。無制限の繁栄など許されるはずがない。

 こんなことは幼児ですら理解できる、あまりにも分かり切ったことではないか? パイには限度がある、無限には存在しないのだ。
 なのに、なぜ企業は無限の繁栄を前提してしか成り立たない、拡大主義を続けようとするのか? なぜ、労働者を血の一滴まで搾り取ろうとするのか? なぜ、世界にも社会にも、人にも企業にも、あらゆるものに限度があることをわきまえられないのか? なぜ、分かり切ったことが理解できないのか?

 その正体こそが、最初に述べた、無制限のコンプレックスというものだ。
 すなわち、資本主義、上流階級における見栄張り競争に一度足を踏み入れたなら、それは倒壊し、破滅するまで、永遠に走り続けねばならないメカニズムがあるからなのだ。
 そのメカニズムとは何か? それは競争である。ひとたび競争に魅入られ、他人を蹴落として勝ち上がることに快感を抱いた者たちは、倒れるまで、死ぬまで競争し、周囲が見えなくなり、行く先に断崖絶壁が待ちかまえていても、大岩壁が行く手を塞いでいても、目に入らなくなるのだ。
 
 なぜか? それは、競争に勝ち続けることこそ、自分の特権、他人に秀でた「優れた自分」という幻想を保証するものだからだ。
 ひとたび、自分が他人より優れた人間であり、天に選ばれた民であり、大衆が自分に奉仕するための奴隷・家畜(ゴイム)でしかないと考えたなら、それを自分自身で死ぬまで正当化し続けなければいけない。そうでなければ、これまで大衆をゴイムと嘲笑してきた自分の立場がないではないか?
 そうして資本家、特権階級こそは、人類の有限の資源、環境に目もくれず、自分の特権を保証し続けるために、死ぬまで走り続けなければならないのだ。
 もし走るのをやめたなら、そこで倒れ、朽ちるしかない。自分が否定してきた友愛の論理に負けることになってしまう。いや違う! 戦いこそすべてだ! 競争こそすべてだ! と走り続けなければならないのだ!

 考えてごらん。資本主義は、すべて競争と拡張、ネズミ講の論理だけで成立している。余剰利益が生まれても、それを国家・自治体・株主・経営者・労働者が分け前をよこせ! と要求する。これに対し、資本家は、「いや、もっと会社を大きくし、安定させるために資金が必要だ」と強弁し、余剰利益を設備投資に使うことになり、競争力をつけるために使うのだ。ここでも、競争が会社最大の目的になっていることが分かるはずだ。
 競争を否定し、労働者の豊かな生活に寄与しようとする経営者は、資本主義によって淘汰されるしかないのだ。あらゆるものは合理化されねばならない。資本は増強されねばならない。生産手段は進化しなければならない。労働者は最後の血の一滴まで搾り取られなければならないのだ。これは資本主義のなかで、生産組織を作り、会社として競争を始めた瞬間から、走り続け、倒れ、朽ちるまで続く強制なのだ。
 資本主義はネズミ講のように、無限の展開を要求するのだ。無制限の拡張を要求するのだ。すべての人が死のうとも、利益を追い求めるのだ。そして誰もいなくなった・・・・・。