「民衆はアホばかりだから、タガを締めるシステムが必要だ」
という理屈が、「政府=官僚機構」を正当化する根拠となっている。
「必ず悪さをするヤツが出てくる」から、取締のため、役人や警察力が必要だというわけだ。
国家レベルでは、「必ず悪さをする他国家が出てくる」から、懲らしめるため軍隊が必要だという理屈が人々を納得させる。
つまり、国家とは上のような「人間性悪説」を前提に作られたものだ。
「アホなやつばかりだから国が必要だ」という性悪説は、もっともらしいが、実は違う。本当は、「国を作るからアホばかりになる」のだ。
国家いうのは、権力を持った者が登場し、その権力をどんどん拡大し、自分の勢力を誇示したいという原理から成立するものだ。
作られた権力は美味しい利権に満ちているから、そのシステムを守るために警察力や軍事力が必要になるというメカニズムが圧倒的に正しい。
民衆を性悪説に押し込める理屈は、国家権力から美味い汁を吸い上げている人物だけが用いるものだ。民衆は、国家、環境からの不愉快な抑圧を受けなければ、母の愛と同じ暖かい人間関係を求めるものだ。だから「性善説」が正しい。
権力者が利権を求めて作った国家では、必ず民衆を搾取して、国家が税金の名目で利益を吸い上げるシステムができあがる。これが官僚制度である。
そして、搾取された民衆は、苛酷な生活に苦しみ、不満を権力に向かってぶつけるようになる。これが権力を揺るがすので、これを「アホ」として取締り、民衆の口を封じるため警察力や軍が成立するのである。
軍や警察が大きな力を持つようになると、権力者は、それを利用して、ますます自分の権力や資産を増やそうとし、他国を侵略するようになる。
今起きているロシアによるウクライナ侵攻は、まさに、そのパターンだ。
侵略者プーチンは、人類最大級の30兆円近い私財を貯め込んで、それでも飽き足らず、自分の権力と財産を殖やそうとしている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/89bb1e77b7630dc74d4fda71c10ad2ff34e1df21
プーチンが、ムヒカのように貧しければ、決して侵略などしなかっただろう。人はカネが貯まるほど、ますます強欲が募るのだ。
もう少し深掘りすると、警察力や軍事力が、その暴力的性質ゆえに自分自身を拡大させ、武力・強権によって権力を確立し、本来の国を乗っ取ってしまうというのが国家変遷崩壊のパターンである。
権力者は、軍人でなくとも、必ず軍服を着るようになる。「自分は国民に武力で君臨する。文句のあるやつはぶっ殺してやる」と宣言したいからだ。
例えば、ロシア・ベラルーシとか、ビルマ(ミャンマー)・ベネズエラあたりがそうで、最後には軍人が国家を乗っ取ってしまうと何が起きるのかを端的に示している。
プーチンは、元々KGB=FSBという巨大なスパイ軍隊の長官だったし、ルカシェンコも元々政治家でありながら、権力の座につくと軍服に着替え、軍の武力を背景にした強権政治を続けている。
ビルマやベネズエラは、完全な軍人政権だ。世界中の独裁者が軍服を着たがるのだ。
ついでにいうと、ムヒカは一度も軍服を着たことがない。それどころかスーツを着るのも嫌がっていた。農夫の自由な容姿が一番自分に似合っていると言った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%92%E3%82%AB
独裁国家では、事実上の軍事政権が数十年も強固に続いているが、その本質的暴力性のゆえに、最後は暴力的な権力闘争に明け暮れて自滅するというパターンだ。
中国は、一見、軍事政権ではないように見えるが、実は、習近平も江沢民も軍の後ろ盾がなければ成立できなかった。
それは民衆の望む姿ではない。例えば、ムヒカのような素晴らしい人間性の大統領が生まれたウルグアイでは、国民が一丸となって高揚し、FIFAワールドカップで優勝までしてしまったから、本当の暖かい民主国家が成立すれば、国民は大喜びするものなのだ。
そして、何もかもがうまくゆくようになる。
日本でも井戸の牢獄に20年も閉じ込められたような首相が出てくれば、きっとFIFAで優勝するに違いない。
だが、我々の目指す社会は、「素晴らしい大統領」のいる国家とは少し違う。
国家を悪くするだけの官僚機構のための国家ではなく、「官僚制度のいらない国」(=それは、もはや国ではない)であり、官僚制度にとって換わり、国民が悪事を働かないですむ暖かい社会である。
どういうことか? 「国民は権力のタガを嵌めなければ悪事に向かって暴走する」のではなかったか?
それは違う。人類の歴史では、初期に国家など存在しなかった。ほとんどの場合、「母系氏族社会」であったことが分かっている。そこには、武装警察も収税官僚もいなかった。そこにあったのは「母の愛」であった。
人間は必ず母から生まれ、母に依存して育つのだから、原始社会では母が血族を統括し、母系社会になるのは必然である。
「母の愛」が統括する集団は平和で、争いごとが少なかった。何もかも自然の秩序に従って人々は、豊かな生活を送った。税金も警察もない社会だったのだ。
「愛があれば、権力などいらない」のである。
母系社会が壊れて、男系氏族社会=封建的家父長制社会に取って換わられた理由は何だったのか? たぶん、それはBC5000年頃ではないかと考えられるが、一番大きな原因は、人が増えたことにより、おそらく生きてゆくための資源が減り、奪い合うようになったことだろうと私は思う。
狩りの獲物や、森の恵みが、みんなを養うには不足し、奪い合いが始まると、力の強い男性が圧倒的に有利になる。それはやがて戦争へと発展し、そうなれば、母よりも男の戦闘力が重宝されるようになる。
こうして集団の長は男性に換わってゆく。
男の長は、自らの権力に酔い、私利私欲が芽生え、蓄財で権力を誇示したり、自分の権力を自分の子に委譲しようとするようになる。
「自分の子」を特定するためには、必ず母の自由な性を抑圧し、ハーレムに入れて縛り付けておかねばならなくなる。母の愛は抑圧され、子を産むためだけの「男のための女」へと堕とされてゆく。
このようにして、母系氏族は破壊され、男系氏族、封建的家父長制社会に変わってゆくのだ。
そうなると、集団のなかに差別が生まれ、不満を露わにする者が出てくるから、秩序を守らせるための強権が必要になり、それはやがて警察組織へと発展する。
また集団どうしで、食料や縄張りを争うことで、武装が必要となり、やがて軍隊へと変わり、そうした組織が成立することで、集団は「国家」へと変わってゆく。
それでは、そうした国家がどんどん発展し、互いに滅ぼし合う究極的な戦争を経て、どのような姿に変わってゆくのだろう?
ここで、我々は、「第三次世界大戦後の人類社会の姿」について考える必要がある。
これから起きる、巨大な「最終戦争」のあと、どんな社会がやってこようとしているのか?
「その後の社会」でも、警察や軍隊や、収税システムである官僚制度が必要なのだろうか?
それらが必要な理由は、人々の富を掠め取って私腹を肥やす権力者の存在があったからだ。だが、第三次世界大戦で、たぶん人類の多くが死に絶え、残された人々に、再び、国家による「支配と収奪」が成立するかといえば、たぶん違う。
人々は、第三次世界大戦が起きて、多くの人々が死んだ理由を深く考え、戦争が起きた原因である権力者による「私利私欲の収奪システム」が問題であったことに気づくだろう。
そこで、人類社会を住みやすくするためには、国家と官僚制度を復活させるのではなく、官僚や武装組織に代わる何かを考えようとする。
それは「人の心のありかた」だと気づくようになる。人類の草創期、母系社会だった時代は、愛に満ちていた。愛があれば制度による抑圧は必要なかった。
このことを思いおこすなら、本当に必要なものは、国家という檻ではなく、人の愛だったのだと気づくのだ。
それは「利他主義」という思想で表される。
利他主義の意味は、「自分が幸せになりたければ他人を幸せにしろ」ということだ。
人の幸せに奉仕することなくして自分の幸せはありえない。という思想なのだ。
人々が不満を持ち暴走することを、警察や軍隊によって抑圧するのではなく、不満を持つ人々を幸せにすることで問題を解決できるという「心のあり方」が利他思想なのだ。
巨大な殺戮のあと、人類は利他思想がなければ滅亡しかないことを思い知るだろう。
私利私欲に奉仕するだけの利己主義は、その延長に戦争しかない。利他主義の未来には平和と愛の社会しかない。
この認識理解を人類が共有できるなら、もはや警察や軍隊、そして国家は必要を失う。
人類社会から国家が死滅してゆくのだ。
こうして、人類は発生から数百万年かけて進化してきた道を、おなじくらいの時間をかけて消滅へと向かう。
やがて、太陽系の終末がやってくるとともに、地球も終焉を迎えるのである。

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