統一教会問題を調べていて、4年ほど前に書かれた統一教会機関誌「世界日報」に、自民党の極右女性で、統一教会原理研出身と噂されている杉田水脈を擁護する記事が出ていたのを見つけたので紹介する。



 まずは杉田水脈議員の2018年7月の発言。

 https://www.asahi.com/articles/ASL7R4SB9L7RUTFK00L.html



 自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌への寄稿で、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視した。人権意識を欠いた記述だと批判が上がっている。



 寄稿は18日発売の月刊「新潮45」が掲載。「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題して、「『常識』や『普通であること』を見失っていく社会は『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」などと主張した。



 SNSで「優生思想だ」といった批判が広がると杉田氏は22日、自身のツイッターで、先輩議員から「間違ったこと言ってないんだから、胸張ってればいいよ」などと声をかけられたとし、「自民党の懐の深さを感じます」と投稿した。



 しかし、党内からも批判が相次ぐ。武井俊輔・前外務政務官は19日、寄稿を念頭に「劣情を煽るのは政治ではなくて単なるヘイト」とツイッターで指摘。橋本岳・同党厚生労働部会長は朝日新聞の取材に「生きづらさを抱える人たちが、自分らしく生きられるようにするための福祉行政全般を否定していると受け止められかねない」とした。



 当事者団体も23日、抗議声明を発表した。LGBT法連合会は「LGBTに限らず広く人権の観点から、『生産性』を引き合いに出す主張は疑問」と指摘。LGBT理解増進会は「重大な懸念」を表明し、自民党本部に善処を申し入れた。



 杉田氏は23日、月刊誌の発売後に「ゲイだと名乗る人間」から殺害予告のメールが届いたとして赤坂署に被害届を提出し、関連するツイートを削除。その後、朝日新聞の取材には「コメントできない」と語った。



 杉田氏は2012年に初当選し、2期目。元次世代の党で、自民党が昨年の総選挙で比例中国ブロックに、比例単独候補としては最上位の17位で擁立した。

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 引用以上



 次に、杉田水脈発言を支持する統一教会機関誌(世界日報)の記事



 同性カップル「生産性」、杉田氏の方が常識的だ 2018/8/10

 https://sub.worldtimes.co.jp/politics/88730.html



 同性カップルに「生産性」がないとした月刊誌への寄稿をめぐり、杉田水脈衆院議員(自民党)に対するバッシングが続いている。

 性的少数者の権利拡大を絶対善とし、反対論を封殺するLGBT(性的少数者)至上主義の広がりと、その危険を感じる。



 寄稿の中で、特に問題となっているのは次の部分だ。「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」

 冷静に読めば分かるように「生産性がない」とは同性カップルからは子供が生まれないという意味だ。LGBTであること自体に生産性がないということを言っているのではない。



 つまり、有性生殖という生物学上の事実を指摘し、それを前提にした「夫婦」の関係と、自然には子供ができない同性カップルの関係を、行政が同等に扱おうとする動きがあることに疑問を提起したのだ。

 子供を生むことを「生産性」という経済用語で言い表すことが適切かどうかという点については議論があってもいい。寄稿にはもう少し丁寧に説明すべきだったと思われる部分もある。



 たとえそうであっても、家族法の専門家たちが子供を生み、育てることを「再生産(リプロダクション)」という言葉を使って言い表し、その機能については「再生産機能」と呼んでいることを考慮すれば、杉田氏に対するバッシングは異様である。



 毎日新聞は「性的少数者のことを『生産性がない』などと主張し、厳しい批判を受けた」(8月6日付社説)と書いた。武井俊輔衆院議員(自民党)はツイッターで「一部の特殊な犯罪者やテロリストを除けば、生産性のない人間などいません。劣情を煽るのは政治ではなくて単なるヘイト」と批判したが、論旨を無視した言葉狩りではないか。



 卑劣なレッテル貼りもある。杉田氏は寄稿で「もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます」と述べているにもかかわらず、朝日新聞は「歴史的に少数者を排除してきた優生思想の差別的考えとどこが違うのか」(7月25日付社説)とした。「ナチスの優生思想」という言葉を使って攻撃した国会議員もいる。劣情を煽っているのはどちらなのか、冷静に判断すべきである。



 多様性を認める社会とは、違った意見に耳を傾ける寛容な社会である。LGBT支援運動も多様性を尊重する社会の実現を標榜している。その大義名分と真逆の排他的姿勢を容認することはできない。



 「婚姻障害」除去の危険性

 LGBT支援派と反対派の主張の違いを突き詰めれば、子供が生まれる可能性のある男女の関係を、他の関係よりも特別な関係、つまり「夫婦」として保護する現在の婚姻制度を続けるのか、それとも、“性的多様性”を前提に、「同性婚」をはじめ民法が現在設ける「婚姻障害」を取り除くのか、ということに行き着く。そこには「近親婚」の是非も入るであろう。その危険性を指摘した杉田氏の方がむしろ常識的なのである。

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 引用以上



 杉田水脈発言から半月くらいで出てきた統一教会による擁護論をみて、私は、「やはり杉田は原理研メンバーだったんだな」と確信を深めた。

 統一教会が、杉田擁護に出た真の理由は、彼らが行ってきた「合同結婚式」とも深く関係している。

 統一教会による「合同結婚式」とは、統一教会教義の核心をなす部分であった。



 合同結婚式とは?

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E5%90%8C%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%BC%8F



 統一教会/統一協会では、「神様は人が互いに愛し合う世界を創りたいと思われ、男性と女性とを創られた」という思想がある。

 人間の原罪(罪の根本)は人類始祖のアダムとエバ(イブ)がサタンを中心として愛の関係を結んだことにあるとしており、それを正すためには、神を中心として男女が結婚しなければならないとしている。統一教会/統一協会の教義において、この結婚が最も重要視される。



 草創期は目の前で教祖がカップルを指名したり、信者に希望する相手を書かせたりもしていた。1988年頃から参加人数が多くなったこともあって、写真を見てカップルを決めるようになった。未婚の男女が文鮮明に写真を送り、「マッチング」をしてもらった後、統一教会/統一協会本部から「相対者」(婚約者のこと)となった相手の写真が送られて来て「約婚式」が行なわれる。



 (アマ註=中村敦夫が、初期の合同結婚式で、花嫁に「血分け」と称して、文鮮明がその処女を奪う儀式を行っていたと指摘した。)

 https://ameblo.jp/damedamewanko2/entry-12375408182.html

 https://mikano-kaiji.com/syu-kyo-ka/8155/?usqp=mq331AQIKAGwASCAAgM%3D



 合同結婚式後の初めての性交は一定期間禁止されている。米本和広は、最近では式を挙げても33歳になるまで家庭を持つことを禁じられていると述べている。また米本は、最初の性交に際しては3通りの体位とその順番が決められていると述べている。



 米本は、文鮮明は人の性格、運命、長所、短所および血統的因縁や課題まで見抜く力を持っているとされ、「自分の思いのままに結婚すれば行く先は地獄であり、自分の思いのままにでなくて結婚すれば行く先は天国なのです」と言っていると述べている。



 当人の欠点を補う相手であることに加え、先祖からの因縁や問題のすべてを清算できる夫婦となるに相応しい相手を推薦するという。統一教会/統一協会は理想の家庭を築く運動だとアピールしており全国霊感商法対策弁護士連絡会は、洗脳された信者は「文鮮明が指定する相手であればどんな相手でも良い」という気持ちになっている。



 神様を中心として独身の男女が結ばれる「一般祝福(マッチング)」、結婚している家庭が神様を中心とした家庭として新しい出発をする「既成祝福」、霊界に旅立った配偶者・霊人と祝福を受ける「独身祝福」「霊肉界祝福」がある。

 また、一時は伴侶に先立たれた信者を他の信者と再婚させ、夫婦として祝福する「慰労祝福」というものもあったが、文鮮明は本来の原則にはないものとして、行わなくなった。



 近年は見合い形式で伴侶を捜して祝福を受けるようになっており、また信者の子供達は親同士の計らいで結婚させることができるようになっている。このことはすでに祝福を受けた信者に限られているが、ほとんどの信者が祝福を受けるようになるので、ほとんどの信者の子供達が対象である。



 マッチングサイトで出会ったカップルも増えており、まずは2・5・21日間の「修練会」と呼ばれるものに参加する(最近は出会いの後に参加する場合もある)。修練会では基本的に座学にて、信仰や人生の生き方について学び、そのすべてを受け、家庭部長と呼ばれる人との面接を経た者が「マッチングサイト」に登録する。



 いずれにしても、過去から現在に至るまで教団で祝福する男女のカップルのマッチングは、女性(妻)の方が1〜4歳程度年長である「姉さん女房」となるように組み合わせられる場合が多い。教祖一家である文一族や既成祝福の場合を除き、男性(夫)が年長者であるカップルは稀である。

 以下略

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 引用以上



 統一教会においては、男女が自分の意思で交際し、結婚するという常識的な姿は、いわば原罪であって「悪魔の所業」なのである。教祖が指示した相手と結婚することだけが、「神の意志」としている。

 それなのに、杉田を擁護する論理として次のように言いくるめている。



 【多様性を認める社会とは、違った意見に耳を傾ける寛容な社会である。LGBT支援運動も多様性を尊重する社会の実現を標榜している。その大義名分と真逆の排他的姿勢を容認することはできない。

 LGBT支援派と反対派の主張の違いを突き詰めれば、子供が生まれる可能性のある男女の関係を、他の関係よりも特別な関係、つまり「夫婦」として保護する現在の婚姻制度を続けるのか、それとも、“性的多様性”を前提に、「同性婚」をはじめ民法が現在設ける「婚姻障害」を取り除くのか、ということに行き着く。そこには「近親婚」の是非も入るであろう。その危険性を指摘した杉田氏の方がむしろ常識的なのである。】



 いったい合同結婚式を実施することで、婚姻の自由意志を否定する統一教会のどこに「多様性を認める社会」があるのか、奇怪至極というしかないが、文鮮明の思想は、簡単にいえば、儒教の「男尊女卑思想」から来ているもので、封建的な家父長制度の下で、「女性が夫の性的奴隷、子を産むための道具」として生涯を捧げるという価値観によって作られている。



 合同結婚式というのは、男性に妻という性的奴隷を与える儀式というのが、もっとも正しい。そこには、儒教の女性蔑視思想しかない。女性を男性の性欲家畜としかみない愚劣な思想から来ている、文鮮明による人類社会の汚物であるというしかない。

 暴露された教祖、文鮮明の実態は、まさに「色情狂」というにふさわしい。年端のいかない幼女にまで手を出し、残酷な強制性交を強いていたと告発されている。

 https://ameblo.jp/yoji1970/entry-12564188226.html



 異常性欲者だった文鮮明が、LGBTのような自由な性のあり方を頑強に否定する理由は、自分の性遍歴を美化し正当化するためだった可能性が強い。

 「神」を持ち出して壮大な屁理屈を重ねているが、結局、統一教会の教義は、文鮮明の強欲と異常性癖を正当化するために考え出された理屈であろう。



 統一教会の代理人というべき杉田水脈の発言は、極めて下劣低俗であり、男尊女卑の時代に日本社会を逆行させたいという意図しか見えない。

 彼女の言う「性の常識」というのは、統一教会教義の押しつけでしかなく、おそらく彼女自身も、まったく守れない常識だろう。もし守るなら、儒教的価値観=女性蔑視の論理によって自身のでしゃばった発言も封鎖されてしまうことになるのだから。



 だが、時代の進歩とともに、統一教会が復権させようとしている封建制家父長制度は劣化衰退の一途であり、新たな時代は、男女同権、自由な性を謳歌する時代に突入している。

 統一教会が死守したがっている孤立した家族の価値観は、時代の必然によって「自由な共同体」における多夫多妻制社会へと移行しようとしている。



 だが、杉田が依存する文鮮明の本当の価値観は、封建家父長制であり、一夫多妻制のハーレム社会なのだ。その証拠が「血分け儀式」だった。杉田は、ハーレム性奴隷として一生を送りたいのだろうか?



 「性」が子孫拡大の意味しか持たなかった時代、(杉田は、この時代だけが正義だと思い込んでいるようだ)家父長制家族制度による時代の束縛から解放され、純粋に個人の喜びの要素となっている現在にあっては、性的サイコパスによる人間破壊を別にすれば、どのような性も許されるべきである。

 「他人を傷つけない、束縛しない」という人類共通のルールさえ守れば、好きなように生きて、好きなように自分の人生を終えればよいのだ。



 しかし、「ルールを前提にする」という発想は、本当は間違っている。人々が利他主義の思想=「自分の幸せのために、周囲の人を幸せにする」という発想に生きるようになれば、必然的に他人を不幸にするような愚かな人生を拒否するようになると考えるべきだ。

 LGBT問題については、ちょうど杉田水脈発言の直後に私が書いたブログがあったので紹介する。 



 トランスジェンダーが生まれる理由 2018年07月27日

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-427.html



 トランスジェンダーが激増しはじめたのは十数年前からだと思う。

 テレビではるな愛やマツコが大きな地位を占めて社会的に容認される雰囲気が急拡大したのも大きいだろう。



 街を歩けば、たくさんの女装男性が歩いているのが分かる。またひげを生やした男装女性もたくさんいる。

 なぜ性をトランスしたいのか、その理由を我々は、きちんと考えていないが、やがて復活しようとしているファッシズム同調社会=「日本凄い」価値観の時代に、再び異邦人として無意味で残酷な性弾圧が繰り返されないよう、ちゃんと理由を明らかにしておく必要があるだろう。



 私の子供のころは、人と違う=「異邦人」に対する排斥が、とても大きな時代で、社会全体の「同調性圧力」が非常に強く、「権力に従順に従う一般人」と同じようにしないで主体性や個性を主張する者は、ひどく圧迫され弾圧される時代だった。



 これは、戦前のファッシズムが、民衆の心の底を束縛していたからだろう。

 「他人様と同じようにしなければならない」

 この価値観こそがファッシズムの本質である。



 戦前の「非同調者」の多くが、異民族であり、関東大震災のときには、警視庁警備局長だった正力松太郎が、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」というデマを流したことで、それを本気にした下町の人々が、在日者6000名以上を虐殺したのである。

 ファッシズム=同調圧力が、もっとも残酷な姿を見せた瞬間であった。



 私の子供時代も、まだ異民族や部落出身者への差別観が強い時代で、銀行など、まともな企業や営利組織に気持ちよく受け入れてもらうことは不可能であり、それゆえに、彼らは、芸能界、スポーツ界、土建業界、水商売、賭博業界などでしか働くことしか許されず、だから、都はるみ、五木ひろし、力道山、金田正一、張本勲、王貞治らは、必死になって努力し、その道のトップを張ることができた。



 当時も、トランスジェンダーは決して少なくはなく、「オカマ」などと称され、夜の街で仕事する以外になかったのだが、一般社会の目は冷たく、いつでも白い目で見られる「日陰者」のイメージがついてまわった。

 しかし、今は違う。はるな愛もマツコも、堂々と生まれながらの芸能人のように大らかにふるまっている。

 もう日陰者ではない。



 同調圧力による社会的束縛が薄らいだのが、やっと今世紀に入ってからで、外国における性差別解放運動の影響や、「非同調者」のメディアへの露出が激増したことが大きな理由になっていると思う。

 それまでは、在日者や部落民は「非同調者」として敵視され、トランスジェンダーも、表通りを昼間、堂々と闊歩するなら、悪意ある罵倒を飛ばされたりするので、みんな夜になって、ネオン輝く街のなかでしか、自由闊達に人間性を主張しながら、感情を解放することが許されなかったのだ。

 

 街を歩く女性のうちで、違和感を抱くような頭や体の大きめの人の多くがトランスジェンダーのようだ。

 胎内のテストステロンの影響により性分化のプロセスで、男になることが定まった胎児は、全般に作りが大きくなり、骨盤が小さくなり、中指が長くなる。



 だから、どんなに上手に女装してみても、頭蓋骨と骨盤の作りに紛れようのない性差が現れ、鼻が大きいので違和感を抱かれるし、男装女性が、テストステロンを服用して、ひげを生やしてみても、小さめの頭蓋骨と、大きめの骨盤を隠すことはできない。手足も小さい。



 見る人が見れば、トランス者は一目で分かる。それでも性を変えたい断固とした理由がある。



 最大のものは、過去生の記憶ではないかと私は思う。過去生の多くを、この人生と異なる性で過ごしてしまうと、意識に染みついた習慣から、現在の性に強い違和感を感じ続ける。

 幼児期のうちは前世の意識が大きく残っているので、生活習慣にもそれが現れて、内股で歩いていたり、もの凄く気持ちが優しくて、性差における同調圧力の圧迫を受けることになる。



 しかし、与えられた性における訓練を経て、同化してゆくわけだが、それでも、心の奥底に染みついた性への違和感が消えることがない。

 とりわけ、女性的な心の優しさは、前世の習慣や気質であって、男性として生まれ変わっても、強い違和感をもたらす最大の理由になるのだろうと思う。



 学校で、女性であった前世から持ち越した心優しさのゆえに、同調圧力を要求する同級生から激しくイジメを受けて、男子が自分の肉体から逃避したくなるのは、自然な流れだろう。

 そうして、大人になってトランスジェンダーの道が開かれたときに、自然に移行してゆくと考えられる。

 男としての攻撃性を、どうしても容認できないのである。自分の性、自分の本質ではない人生を装う苦痛が耐えられないのである。



 私自身は、前立腺癌・痛風の治療のため、アンドロキュアという男性ホルモン抑制剤を服用することで、性的な意味での積極性、攻撃性が強く抑制されるようになり、別の言い方をすれば、性欲が皆無となったことで、初めて男性である自分の特性を客観的に見ることができるようになった。



 都会から遠い、山の中の家に住んでいると、性欲から解放されるのは、とてもありがたいことで、今では、目の前に若い魅力的な女性が全裸で立っていても、何一つ性欲を感じず、エロに対する興味が完全に失せたことで、金のかかる無駄な努力を必要としなくなり助かっている。

 若い頃は、エロに対する興味が大きく、エロ小説を書いてみたり、風俗産業に通ってみたり、自分の中の性欲を制御するのに苦労していたが、今では、そんな自分があったことすら忘れてしまっている。



 一方で、大好きだった格闘技にも興味を失ってしまった。また激しい筋肉作業に、ひどく忌避感を抱くようになり、全身の筋力が衰えてしまった。

 同時にテストステロンのもたらす、激しい好奇心や達成感なども失われ、とても穏やかな日常になってしまったことが、良かったのか悪かったのか、若干の後悔もある。



 私の場合は、たぶん過去生で女性だった期間が長かったような気がするが、前世療法を受けていないので、詳しくは分からない。

 でも、子供の頃から非女性的な冒険が好きだったから、たぶん過去生の性癖を持ち越したトランス者と同じではないだろう。男性だったことも多かったと思う。



 トランスジェンダーの区別は、この意味で、多様であって、厳密な論理的区分があるわけでもなく、主観的要素が強くなると思うが、あとは、本人の思い込みや強迫観念、うつ病による逃避行動からのトランスもあるだろう。



 うつ病など、精神的疾患になると精神的に追い詰められ、現実逃避の動機が非常に強まることがある。

 現実に明確な回答が出せないで、何をどうしたらいいか分からないときは、人は、別の部屋に逃げ込んでゆく性質がある。

 このとき、トランスジェンダーも有力な逃避先になるという仕組みである。



 こんなとき、現実逃避としてトランスジェンダーを選び、肉体改造までしてしまってから、やがて自分を取り戻したとき、ますます追い詰められることになる。

 「他人と違う」 という違和感からの攻撃は、相当に深刻なもので、今でも、女装者、男装者に対する「同調圧力」の価値観からの非難は軽視できない。

 そんな自分がうつ病などの逃避から来ていたことに気づいても、社会的非難のなかで、もう元に戻れない。

 だから、こうして道の選択を誤った、現実逃避の結果としてのトランスジェンダーである人が、電車に飛び込み自殺することだって珍しくない。

 おそらく自殺者のかなりを占めるのではないだろうか?



 こんなとき、この狂った社会に生きていて、自分も狂うのが当たり前であって「狂って何が悪い」と開き直れるような精神的強さと、社会全体が道を間違えた人に対する寛容、容認の気風が必要であるが、今我々が向かわされているファッシズム社会では、そうした人々を、ますます死に追いやるシステムに変化しているように思う。



 まずは、せめて我々が、人は必ず失敗するものであり、失敗も含めて人生であるとの包容力、寛容性の高い価値観を持つことが必要であって、その基本は、他人に対する思いやり、優しさではないだろうか?

 

 どんな失敗をしても、それが人生である。

 アングリマーラを殺さない社会が、我々の目指す社会と考える必要があるのだ。

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以上、以下はコメント

 杉田氏の暴言は、自民党代議士と自民党の本当のオーナーが私たち一般国民を、自分たちの欲を満足させるための道具としてしか見ていないことを、とても分かりやすく表現していると思う。

ところで、トランスジェンダーと言うよりホモ?ゲイ?と言われるようなカップルを電車の中で見たことが有る。

随分とくたびれたオーバーコートとジャンパー姿のその二人は、はた目にもお互いがいたわり合っている事が分かる、そんな二人だった。

地位も金もなく、社会から偏見と迫害を受けても貫く、愛情をその二人から感じ取った。

親の子どもへの愛情は何物にも代えがたいと言われるが、命を賭して子供を守るにしても、いくばくかの我欲を垣間見ることに成る。(自分の命をつなげていきたい・・・わが子だけが・・・みたいな。)

しかし、この二人の愛情には、一切の我欲を感じられず、

一種の崇高さ高貴さの高みまで上った愛と、思えた。

排斥されがちな性的嗜好の二人でしたが、他者を、自分の欲得のための道具として扱う「過労死法推進者」とは、違うと、冬に見た二人を思い出していました。

2018-07-29 21:29 投稿者 : きこ



過ぎた不正脈とかいう不細工な糞ババアがなにかいってるが

子孫を残し食うだけの生産性ならミミズやゴキブリと大差あるまい

他を支えることのできるやさしさと これこそが人が人である価値であり証しなのだ

多様性などという言葉を敢えて持ち出す必要は無い

誰かが誰かを支えている、それが幸せなのだ

2018-07-28 13:34 投稿者 : 秀丸



 実は、2006年頃、私は肝臓がひどく悪化したとき、肝性脳症という危険な(認知症に近い)症状が出ると同時に、体が女性化する傾向を持ったことがあった。肝臓で女性ホルモンが分解できなくなったためだ。

 いわば、半強制的にLGBT化したのだが、そのことがきっかけで、性の問題を深く考える時期があった。



 性の差というのは、結局、器官形成期胎児におけるホルモンのバランスによって定まるだけで、男女の本質的な差異は思ったより小さいのではないかと思った。

 確かに、器官形成期にテストステロン暴露を受ければ、頭蓋や性器、骨盤など男性としての特徴が出てくるが、人間の本質が女性であることを思えば、いずれ、男性でも女性化して妊娠出産も可能になるような気がしている。



 これからの社会は、たぶん男女差は小さくなり、やがて男性の妊娠出産が可能になるとすれば、ますますLGBTや男女差別、結婚という制度も無意味になってゆく。

 性差や家族という制度が、多夫多妻制、共同体家族というシステムに変わっていかざるをえないと思っている。

 そのようにして、今度は、人類は長い長い退化と消滅のプロセスに移行し、太陽系や地球と同じように、宇宙から消え去ってゆくのだと思う。