人には、本人も理解していない隠された蛇口が、たくさんぶらさがっている。
「人間には知られざる能力が、たくさんある」と言い換えてもよい。
自分についている蛇口を開けると、何が流れ出してくるのか知っておくのは大切なことだ。
例えば、私についていうと、私は子供のころから文章を書くのが好きだった。
学校の作文の時間など、文章を書き始めると、勝手に手が動き出して、何も考えなくとも、次々に文章を書き進めることができた。
私には「文章の蛇口」がついていた。頭のなかで普段から活字が泳ぎ回っていて、何かを書き始めると、いっせいに噴き出してくるようなイメージだった。
だから、この年になるまで、文章が書けないで困ったことはなかったが、数年前から「ネタ詰まり」が現れて書けなくなることがあり、いよいよ認知症に蝕まれてきたことを自覚させられている。
たぶん、忘れっぽさの激化に関係した脳の老化や異常から来ていると思う。おそらく微少脳梗塞(ラクナ梗塞)による機能低下と関係しているように思える。
千葉の友人は、フィギアスケートに詳しくて、尋ねると、恐ろしい勢いで知識が噴出してきて、聞いてる私がついてゆけずにチンプンカンプンで、オタオタしてしまう。
「オタク」は恐ろしいと、いつも思う。
専門的な「こだわり」分野について、特別な興味を抱いて自分で吸収した知識は、学校などで上から与えら、テスト合格のため無理に詰め込んだ知識と違って、その人の血肉に溶け込んでいるのだ。
それは、必要に応じて自在に噴出させることができる。それは「知識と認識の違い」といえるかもしれない。
私自身はギャンブル才能が皆無なので行かないのだが、昔のある友人は、普段はのんびりしてて、反応が鈍いタイプなのに、パチンコ屋の前にくると人相が一変し、まるで別人になってしまい、もの凄い集中力でパチンコを打ちはじめ、大量の景品を手にしてくる。
「好きこそ、ものの上手なれ」というわけだ。
そんなのを見るたび、「人には隠された才能があるものだ」と、いつも感銘させられる。
人は、心に秘めた「関心領域」とでもいうべき秘密の金庫を持っていて、何かのタイミングで金庫の扉が開くと、そこに蠢く魑魅魍魎が飛び出してきて暴れ回るのだ。
こんなとき、その人の瞳はダイヤモンドのように、キラキラと輝いていることが多い。
どんなに茫洋とした見かけで、凡庸に見える人でも、その心の中の隠された金庫には、恐ろしいエネルギーが秘められていて、何かのきっかけで、金庫の扉が開くと、普段の姿からは想像もつかない、恐ろしい能力が出てくるものだ。
人は追い詰められ窮地に陥ると、ネズミのように「猫を噛む」ことがある。
たぶん自分自身でも気づいていない、心の奥底に秘めている金庫には何が入っているのか? 知っておくことが、これからやってくる恐ろしい時代を生き抜くために必要だと私は考える。
いわゆる「火事場の馬鹿力」というヤツだが、山奥で突然、クマに襲われたり、女性が暴力的痴漢に遭ったりしたとき、自分に何ができるのか、知っているのと知らないのとでは、結果に大きな違いが出てくる。
ロッククライミングなんかやってると、「先に行けない、後にも引けない」なんて恐怖の局面が出てくることが珍しくない。
一応、ロープで安全確保はしているのだが、実はあれは、せいぜいおまじない程度でしかない。落ちて無傷である可能性は少ない。たいていは、数メートル落下する間に必ず怪我をするし、ピンが抜けることも多い。まあ、死の確率を減らすことはできるが。
どうにも行き詰まったとき、最後は、心の金庫にしまってある引き出しの多さがものをいう。
クライミングで、にっちもさっちもいかなくなったとき、金庫の引き出しを総動員して、解決法を思い浮かべ、度胸を決めてそれを実行するのだが、多くの場合はうまくゆく。うまくいかないときは、迷いがあるときだ。
心の金庫は、窮地に追い込まれたとき、無意識に自分を守ってくれる心の奥底にある最後の防波堤のようなものだ。
また、他人から理不尽な圧迫、人身や財産の被害を受けたとき、それに対して強固に反撃できる精神力があふれ出てくるのも、ここからだ。
これは、テストステロンとも関係があるようだ。
実は、私はブログに何回か書いたが、すぐ近所に住むAという人物から、数年以上にわたってたび重なる嫌がらせと窃盗被害を受け続けていて、激怒し、強烈な殺意さえ抱いているのだが、Aがこれまでの経験に存在しない、恐ろしいほど狡猾で知能の高い人物であるため、未だに解決できないでいる。
Aは高度な知能を持った多重人格者で、自由自在に別人になりきる能力を持っている。
私がAによる被害を訴えた警察官の前では、善良な老人になりきってみせ、人相さえ虫も殺さぬような姿に変えて見事に警官を騙し、警官は私を被害妄想と決めつけ、逆に私を精神病院に入院させようとした。
だが、あるときはサイコパス的な異常者になり、異常な激怒を見せ、凶悪な人相に激変して周囲の人間を恐怖させていた。
だから、周囲で長年、彼を知っている者は、Aの真実に気づいている。
もの凄い報復性格で、調べてゆくうちに、バイクの男性を後ろから車ではねて殺害したことさえある。これも普通の過失事故として処理されていた。他にも、強盗殺人を行った疑いさえある。
また、証拠隠滅の達人で、私のところから盗んだものは、必ず、私が、どこかにしまい忘れたように工作してゆく。
ときには、知らないうちに返却されたりする。それは家宅捜索されたとき足のつくものだ。盗まれた無線機の製造番号を公開したら、数日後に、私が忘れたように装って車のなかに返されていた。
また私のところから盗んだあと(主に窃盗に使える工具類が多い)、どこかに車で出かけるので、たぶん盗んだものをアジトなどに隠しているのだろう。
たぶん、まだ現役の泥棒のように見える。
私は、Aについて、入手できる限りの情報を調べたが、プロの泥棒であることを悟られないための、あらゆる工作をしているのに驚愕させられた。
だが、以前、聞いていたAから出た自分の情報、例えば「プロのコックとして定年まで勤め上げ、年金暮らし」というのを調べてみると、全部ウソであることが分かった。
今の家屋敷は、たぶん犯罪で作った資産なのだろうと思う。
以前、夫婦で侵入され、山菜を盗まれたことがあったので、たぶんA夫婦はグルで窃盗団を行っていたのだと確信した。
Aの周到な証拠隠滅工作は、慎重というより、ものすごく気の小さいことを意味していて、だから、絶えず自分の犯行が暴露されるのを恐れているのだろうと思う。
一方で、自分には圧倒的な自信を持っていて、どんな犯罪でもためらわずやってみせるという強固な自負心され感じられる。
それを、もの凄い場数の経験によって裏打ちしているのだ。まさに天然記念物級の犯罪者だ。
私としては、Aに対し「強烈な殺意」を抱いているとはいうものの、まさか、それを実行することもできず、悶々と悔しさをこらえて毎日を過ごしているのだが、監視カメラやセンサーなど、あらゆる対策を講じても、Aは悠々とすり抜けてゆく。
監視カメラの弱点を知り尽くしていて、土砂降りの深夜など赤外線が届かないようなときに侵入する。また満月には来ず、新月の容易に隠れることができるときに来る。
何回か監視カメラに写ったが、裁判で証拠として採用されるには、やや弱いのだ。
一方で、私は間質性肺炎のため、あらゆる意欲や体力、精神力が減退していて、Aに対する反撃の気持ちがあっても気力が涌かなかった。対抗する準備さえできなかった。
ゴミ屋敷のようになった我が家に侵入して(部屋の貴重品箱まで開けられた)、私のだらしない生活を見て、Aは完全に私をなめきっていて、すでに10回近くも我が家に侵入し、あらゆる道具を盗んでいった。
いつでも、盗まれたのではなく、私が「しまい忘れた」ように工作してゆくのだが。
私自身は、冒頭に紹介した「心の金庫」を開けることさえできなかったのだ。
ブログを書くことがやっとの毎日なので、私の反撃は、このブログに書き留めることしか残されていない。
はたして、私の人生で出会った最悪の加害者に、私はどのような対抗ができるのだろうか、こうしてブログに書きながら考えているわけだ。
Aについては、近所にすむ知人には詳しく話している。またこのブログは、地域でも数十名の人が読んでくれているので、私がこのまま朽ちても、知る人は知ることになる。
だから、今、私のやれることは、Aに関する情報を読者に伝えておくことしかない。
現在、前回の泥棒に満足したのか止まっているが、今後もAの侵入は続くだろう。まさに病気というしかなく、たぶん80歳近いので、認知症異常も含まれているだろう。
私はといえば、「心の閉ざされた金庫」をどうしたら開けられるのか、30代の頃の強烈な実行力、問題解決力が復活できるのか? が問題なのだ。
それは、たぶん体力の回復とともに可能になると思う。
だから、毎日、必死になって体力と精神力を回復させようとしている。
生涯に出会った、もっとも恐ろしい敵を、これから撃破できるのか? それとも、私は、Aに蹂躙され放題で、あの世に逃げ出すしかないのか?
あるいは、若い頃からの悪夢だった、絞首刑で人生を終えるのか?
「心の金庫」に委ねるしかないのだ。
さて最後に、これから我々日本人というより人類は、第二次世界大戦以来の恐ろしい体験を強いられると思う。ちょうど、今のウクライナ民衆が体験されられているのと同じようなものだ。
たぶん、日本列島が核攻撃を受けるのも時間の問題だと思う。
我々が目の黒いうちに、とんでもない時代がやってくる。それはウクライナの戦場どころではない。出口王仁三郎によれば、
【今度は神様とロシアの戦争じゃ。原子爆弾など神様の眼から見たら線香花火に等しい。だが、悪魔は今の原爆の何千倍もある奴や、毒素弾、生物弾など最終兵器を作るので大三災はこれからだぜ、本当の火の雨じゃ。お筆先に『世界の人民三分になるぞよ』とあるのは三割の事ではない。ホンマの三分じゃ。三分どころか二分も難しい。】
という70年前の予言が、どうやら実現しそうな雲行きなのだ。
だから、これまでのような常識的な判断で、生き抜いてゆくことが困難な可能性が強い。どうしても、心の金庫にしまいこんだ、最後の力を出さなければならなくなる。
私のように、Aに蹂躙されても半分眠ったままだったなら、簡単にあの世に行かねばならなくなる。
ここで、人生の全力を出し尽くして生き抜くことが、次の人生にとっても、重要な経験になるような気がする。
今こそ覚醒しなければならないのではないか? 私も、あなたも……。
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