「ランドマーク」とは「目印」のことである。

 人間の記憶はアテにならないもので、どこにでもある、あれふれた景観は「目印」として役に立たない。

 だから、間違えようのない特異性をもった存在が目印として有効である。



 私は1990年代、タクシーの運転手で生活したことがある。名古屋のツバメタクシーとか、近鉄タクシーだ。

 このとき、無線指令室に配車を指示されると、行き方を教えてくれるのだが、教え方は、順路のランドマークになる特異なビルや看板、鉄塔など構造物を起点にして、何筋目を右に回って何軒目とかいうものだった。

 店舗があれば、それが有力なランドマークになった。



 私は、若い頃から民俗学に夢中になっていて、わけても、地方の道路や、古代の民族移動に関心があった。

 私が中津川市に住むことになったのも、ここが古代史における交通の要衝で、民俗学的に興味の尽きない道路文化が残っていたこともある。

 だから、古代道路におけるランドマークが何だったのか、関心を持っていた。



 中津川市には「中山道」という江戸時代からの幹線道路が通っているが、これは奈良時代からの律令で「五畿七道」と定められた「東山道」が改変されたものだ。

 中山道は、江戸時代初期に東山道から付け替えられ、伊那谷ルートが木曽谷ルートに変わった。理由は、中津川大井宿から神坂峠という1600m級の難所を通るため、冬季の通行が困難だったためだろう。



  東山道のルート概念図は以下のとおり。

 https://www.sakaekai.net/pageR3.html



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  なぜ、道筋ではなく地域が塗りつぶされているかというと、実は、古代では、道とは、すなわち「国=行政区画」を意味するものだった。

 律令における「五畿七道」は、基幹道路に付随した行政地域を意味したのだ。

 なぜなら、古代では地域の境界が開発されず原始の状態だったので、境界を定めることができず、代わりに、その国を貫く基幹道路をもって「行政区画地域」の代名詞にしたのである。



 だから、古代国家は、必ず、明確な領地区分ではなく、陸路や海路を中核にした交易範囲によって定まると考えるべきだ。古代では未開の国境などほとんど無意味だった。

 蘇州呉国民が越に敗北して、皆殺しを避けて船で脱出し、台湾(北部)・朝鮮南岸(済州島)・日本列島(有明海周辺)に住み着いて「弥生文化」を形成したと私は考えているが、このルート沿いを船による活動拠点とした人々を「倭寇」という。

 だから「倭国」が区分された特定の地域にあったという定説は無意味で愚かだ。倭の国は、東シナ海の沿岸部における海洋交易範囲だったというべきだ。



 東山道は、京都に発し、列島中央部を横断し、東北青森にまで延びている。これらは街道を核にした、ひとつの国=行政区分であり、同じ民族が暮らしていた。

 東山道の場合は、京都〜東北まで、「東山道人種」とでもいうべき同一の特性、容姿、思想を持った人々が暮らしていた。



 わが中津川市の先住民(遠山氏)も、飯田市遠山郷の人々も、群馬県足利市の人々も、同じ人種であることは、何度も驚かされる体験をしている。

 私の住む蛭川は、群馬県の新田氏に近い人によって開闢されていた。だから、同じ南朝伝説(是良親王伝承や宝篋印塔)が残っている。

 南朝宗良が活躍した東山道周辺では、是良伝説が無数といえるほどあるのだ。



 つまり、京都から岩手県北部まで内陸部、東山道沿いに住む人々は同じ人種であり、京都の天皇や公家と、岩手県の大谷翔平の先祖は、同じ人種だったのである。

 それは、すでにブログに何回か取り上げた。その人種とは、高句麗から百済を経て日本列島に移住してきた天皇家の先祖である人々「女真族」である。



 「女真」という名は、まだ1000年程度しか歴史を遡れないので、4世紀にやってきた騎馬民族の末裔を「女真」と形容することには無理があるが、中国を支配した金・清を作った特別な民族という意味で、無理を承知で私は女真と呼びたい。

 日本書紀に記録が残っているのは、AD300年頃に、日本列島に大規模に移住した弓月氏=秦氏である。

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1940.html



彼らは、後に金や清国を作り、中華王朝として全土に君臨した女真族=満州族になったが、日本にやってきたときは、「秦氏=弓月氏」を名乗った。

 「秦」というのは、「秦の始皇帝」の末裔を意味していた。秦が滅んでから、彼が満州に移り、高句麗や扶余を作り、やがて一部が南下して百済を作ったというわけだ。

 だから、清朝の名は、おそらく秦からとったような気がする。

 その百済武寧王に代表されるツングース騎馬民族が、日本に移住し、江上波夫が描いた「騎馬民族征服王朝」を作ったということになる。



 「弓月」というのは、キルギスタン付近にあった古代国家で、ツングース民族は、先祖の地を名乗る習慣があったから、弓月とか秦とかを名乗っている。

 ちなみに、キルギスタンは「失われたユダヤ十支族」の国ともいわれ、弓月氏→秦氏は古代ユダヤ人の末裔だった可能性が濃厚である。

 東山道沿いの京都祇園(シオン)や、諏訪神社や伊勢外宮にユダヤ教の痕跡(イサク祭など)が濃厚に残っていることが、それを裏付けている。



 「始皇帝の秦」といえば、万里の長城や馳道が有名だが、彼らが歴史に残したのは交通の文化だった。シルクロードも馳道も、2500年前に作られた高速道路といってよい。

 秦の道路文化を特徴づけるのは「駅馬制」である。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E9%A6%AC



 だから秦の末裔の人々は、必ず、基幹街道に駅馬制を敷設した。東山道における、わが中津川の大井宿も、街道最大級の駅馬宿だった。

 http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/4/44868/20181016103016325227/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%96%B9%E5%85%8B%E5%B7%B101%E3%80%8C%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%80%8D.pdf



 なぜ大井宿に馬がたくさん用意されたかというと、それは1600m(標高差1300m)級高所の神坂峠を越える最大級の険路だったからだ。当時の馬は、木曽馬やトカラ馬のような小型馬で、耐久性に乏しいため、苛酷なルートでは、たくさんの馬を必要としたせいである。

 五畿七道における駅馬制が、秦の末裔(秦氏)が伝えたものという伝承には正当性がある。



 さて、今度は東山道が意味する「国=行政区分」ではなく、街道概念図を示す。



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京都を出発して、山また山の中部山岳地帯を突っ切るルートを、迷わずに東北に抜けるのは容易ではない。

 原生林に覆われた、この難ルートを歩くには、誰でも遠くから一目で分かるランドマークが必要だと分かる。

 古代日本の山岳地帯で、ランドマークとして使えるのは、第一に特異な山容の独立峰であり、次に大河川と大きな湖であろう。



 瀬田を出て、最初にランドマークとして使うのは、もちろん左手にある巨大な琵琶湖と、そして、独立峰に近い特異な山容の伊吹山だった。

 伊吹山は、そこから、いきなり濃尾平野が始まるので、どこからでも分かりやすく指呼に使える理想的なランドマークである。



 この脇をかすめて、東山道は中山道と同じルートを東進し、次のランドマークが、分かりやすい巨大な山体を持った恵那山であった。

 恵那山には、「アマテラスオオミカミ」出生の伝説があるが、大宝律令で制定された東山道なのに、なんで神武以前のイザナギ・イザナミが出てくるのかといえば、逆に、私は天照大神こそは、実は秦氏の一族であり、東山道整備後の伝説ではないのかと考えている。



 家康は、東山道があまりに険しいので、木曽谷を通る中山道に付け替えた。木曽谷や伊那谷は、それ自体が分かりやすいランドマークだが、迷いやすい、美濃や上州では、どうしても巨大な山体を持った特異な形状のランドマークが必要だった。

 信濃で使われたのは、八ヶ岳や蓼科山だっただろう。そして、次の目標は浅間山だった。

 上州の山々は多いが、赤城山も、とても分かりやすい山体である。

 こうして、巨大で特異な山容の山々や、琵琶湖や諏訪湖などが東山道のランドマークに使われたことは確実である。

 

  現在、車を運転する大半の人が、ナビを利用していると思うが、私は昔から日本全国を走るのに、山体と大河川というランドマークを利用してきた。

 道というものは、つけられる法則が存在している。

 それは、大昔の道は、ほぼ河川と海岸、大きな尾根に並行してつけられているという法則である。多くの場合は、東山道のようなランドマークを次々に経由するのである。



 このことを覚えておくと、今走っている道が、古代からどのように利用され、どのように変遷してきたか、とても分かりやすく理解できる。

 こうした法則を知っていると、道に迷うことが非常に少なくなる。



 また、登山でも、登山道が沢筋につけられ、滝があると迂回するトラバースになることのような法則があり、そのルートの属性、尾根か沢かトラバースかという性質を記憶しながら歩けば、道に迷うことが非常に少なくなることを覚えておくべきだ。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2143495.html