現代ビジネスに面白い記事が出ていた。太平洋戦争の日本軍最高司令官、東条英機についての保阪正康による分析評論だ。



 太平洋戦争に突き進んだ「東條英機世代」の正体がヤバすぎた…「世代」で昭和史を読み解いてみたら 2022年12月10日

 https://gendai.media/articles/-/103197



 東條英機

 太平洋戦争では、民間人80万人を含めて合計310万人が戦死したと言われる。興味深いことに、戦死者は大正11〜13年(1922〜24年)生まれが最も多いボリュームゾーンなのだそうだ。現在も存命しているとすれば、98〜100歳にあたる。



 〈軍医の経験のある医師が書いている原稿で知ったのだが、大正生まれの男子は総数で1340万人だったというのである。このうちのおよその戦死者は200万人であったという。なんのことはない、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争の軍人、軍属の戦死は230万人と言われているのだが、実にその87%は大正生まれが占めている。

 日本の近現代史では、確かに「明治の指導者が企画し、大正生まれを動かして始めた戦争」であり、犠牲になった者が多いのも頷ける。〉(『世代の昭和史』35ページ)



 大正生まれの世代の「人柱」の上に、今日の日本があるという冷厳な事実を噛み締めたい。



 作家の司馬遼太郎(大正12年=1923年生まれ)は、戦死者が最も多い大正11〜13年世代だ。大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)時代に徴兵された司馬は、満州の陸軍戦車学校に進む。成績が良かったおかげで、前線に配属されなかったのが不幸中の幸いだった。



 戦死を免れた司馬は、旧日本軍の愚行を舌鋒鋭く非難する。保阪正康氏は、司馬の著書を引用しながら次のように綴る。

 〈「こんなばかなことを国家の規模でやった。軍人を含めた官僚が戦争をしたのですが、いったい大正から昭和までの間に、愛国心のあった人間は、官僚や軍人の中にどれだけいたのでしょうか。



 むろん戦場で死ぬことは『愛国的』であります。しかし、戦場で潔く死ぬことだけが、愛国心を発揮することではないのです。(略)愛国心はナショナリズムとも違います。ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。

 (略)愛国心、あるいは愛国者とは、もっと高い次元のものだと思うのです。そういう人が、はたして官僚たちの中にいたのか、非常に疑問であります」(『「昭和」という国家』、日本放送出版協会、1998年)



 つまり司馬は、あの戦争に至るプロセスに呆れていて、ああいう道をまっしぐらに突き進んだ国の指導者の愚かさを冷たい目で見つめていると言えるのではないか。〉(『世代の昭和史』46〜47ページ)



 愚かな戦争に突き進んだ日本の過ちを、司馬は作家ならではの絶妙な表現で喝破する。

 〈「日本という国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたのではないでしょうか。その森全体を魔法の森にしてしまった。発想された政策、戦略、あるいは国内の締めつけ、これらは全部変な、いびつなものでした。



 この魔法はどこから来たのでしょうか。魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も現れ、太平洋戦争も現れた。世界中の国々を相手に戦争をするということになりました」(同)



 その上で司馬は、もし織田信長のような人物がいたら、戦争など考えもしなかったであろうと言っている。なぜなら彼にはリアリズムがあったと指摘するのである。結局この国は、「国というものを博打場の賭けの対象にするひとびと」がいたというのである。

 そういうタイプが愛国者を気取っていたという。それが魔法使いの魔法にかけられた人々の心理だったのである。〉(『世代の昭和史』47〜48ページ)



  東條英機と山本五十六…あまりにも対照的な姿

 太平洋戦争の指揮を執り、大正世代の兵士や軍属を200万人も戦死させたのは、明治17年(1884年)生まれの東條英機を中心とする体制だ。

 同い年の生まれには、戦後に内閣総理大臣を務めた石橋湛山、政治家の三木武吉もいる。海軍の山本にしても、石橋や三木にしても、東條ほど好戦的な人物ではなかった。



 彼らとは対照的に、東條英機はイケイケドンドンで太平洋戦争に突き進む。慨嘆すべきことに、日露戦争(1904〜05年)当時に陸軍士官学校在学中だった東條は、本格的な戦闘体験がないまま日本軍の最高指揮官に就いてしまった。保阪正康氏は、東條の発想の特徴を5点にまとめる。



 (1)軍人は職業ではない。「神(天皇)」に仕える神兵である。

 (2)臣民はすべからく天皇に帰一する存在である。

 (3)軍事は国家の主体であり、この動きに意見を挟むことは許されない。

 (4)国益とは戦争によって拡大され、戦争によって守られる。

 (5)妥協は敗北であり、敗北は国家衰退の源である。〉(『世代の昭和史』56ページ)



 〈東條のような戦場体験のない、軍官僚として机の上で戦争を考えていた軍人は、かなり歪んだ命令を出すことが立証されている。要はなぜ東條のような軍官僚が政権を握って、あのような時代をつくったのかが検証される必要がある。〉(『世代の昭和史』57ページ)



 連合艦隊司令長官の山本五十六は、日露戦争中の日本海海戦で最前線に立った経験がある。戦闘中、左手の人さし指と中指を欠損した。保阪正康氏は、山本の発想の特徴を5点にまとめる。



 (1)軍事は政治のコントロールの下にある。

 (2)海軍の政治的意思は軍政の側にあり、この原則は崩すべきではない。

 (3)これからの戦略は航空戦にある。

 (4)枢軸体制に反対し、対米英戦には消極的である。

 (5)海軍内部の条約派(軍縮条約に賛成派)である。〉(『世代の昭和史』58ページ)



 山本五十六

 東條英機や山本五十六が10歳のときに日清戦争、20歳のときに日露戦争が火の手を上げた。〈同世代が亡くなっていることにどれほど思いが込められているか〉〈(※山本五十六とは対照的に)東條の5条件にはその思いが全く込められていない〉(『世代の昭和史』59〜60ページ)と保阪氏は指摘する。



 東條英機ではなく、山本五十六のような軍人が最高指揮官に就いていれば、太平洋戦争はあそこまで泥沼化していなかったのかもしれない。

(近日公開の第2回へ続く)

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 引用以上



 私は、実父が送り込まれた1944年のインパール作戦について書いたことがある。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5957588.html



 「日本軍には狂気がいた」といわれるが、信じがたい愚劣な作戦として、乃木希典が指揮した旅順攻防戦(203高地)が無謀な突撃作戦として有名で、このとき日本軍はロシア軍と同等の16000名の死者と4万人の重傷者を出した。負傷者は日本軍の方がはるかに多かった。



 太平洋戦争でもミッドウェイ・ガダルカナル戦、硫黄島戦、ノモンハン戦、アッツ島戦、インパール作戦など日本軍の狂気を端的に表すような戦闘が記録されている。



 わけても、牟田口廉也中将の指揮したインパール作戦は劣悪であった。

 このとき、牟田口は、兵站を無視し、補給も準備しないまま2000メートル級ビルマ山岳を徒歩で超えようとして、英軍に叩かれて敗北したのだが、敗戦の責任を問われて左遷され、さらに戦後になっても、「あの戦いは、兵に大和魂があれば勝てた」と自分の無能を大和魂にすり替えて弁護したことで知られる。



 このとき、日本軍は、戦争でもっとも大切な兵站を、大和魂だ代用できると思い込んでいた。そうした妄想を唱える代表的な勢力が、陸軍皇道派だった。



 牟田口廉也は、陸軍皇道派に所属していた。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E9%81%93%E6%B4%BE



 皇道派といえば、相沢事件や226事件を引き起こしたことで知られるが、要は、天皇を飾り物にするのではなく、直接、政権を率いて、天皇の個人的意思で、日本国家のすべてを指揮するべきだという主張である。

 これは現在、極右政党といわれる参政党が主張していることと全く同じで、参政党は陸軍皇道派の復活といってもよい。参政党は、赤尾敏の大日本愛国党の継承ともいえる。

 https://ameblo.jp/diet-joy/entry-12744859323.html



 このご時世に天皇主権の復活などは、まさに狂気の沙汰ではあるが、実は、日本の官僚や保守政治家の多くが、民主主義をやめて天皇独裁の名目で、保守独裁を行いたいと考えているようだ。

 参政党と国民民主党は、非常に似た主張であり、たぶん国民民主党も政権を得れば天皇への主権返還を言い出すだろうと思われる。

 彼らの主張は、岸信介と統一教会の文鮮明、それに生長の家の谷口雅春が生み出した「国際勝共連合」、そして「日本会議」が綱領的に掲げているものと同じである。



 日本政府が、「天皇歴」である元号を、世界に流通している西歴と併用して国政に強要している理由も、実は、天皇への主権返還を目論んだ伏線であるといわれている。

 正確には、天皇制を名目にした保守独裁体制を目論んでいるというべきだろう。

 このダブルスタンダードのおかげで、免許証に書かれた元号、西暦の変換に困って更新時期を見失って失敗する人が、毎年数十万人単位で出ているのだが、政府は、やっと数年前から西暦を併用するようになったものの、これが日本のGNPに与えている損失は莫大なものである。



 いまどきのご時世、「特別に選ばれた人間」の存在を世界的に否定し、人類皆平等が世界の潮流であって、西欧の君主制も、大半が博物館入りした民俗学的標本にすぎなくなっているのだが、日本では、いまだに民主主義を完全否定し、天皇へ主権を戻して、個人的独裁に委ねるという陸軍皇道派の主張が繰り返されている。



 だが、これを推進してきた勢力の核心部にいるのは、日本人ではなく、文鮮明のような韓国人なのだ。

 国際勝共連合を作ったのは、岸信介と文鮮明である。そこに、中曽根康弘や笹川良一、児玉誉士夫が加わっていた。この組織は、後に日本会議の母体ともなり合流している。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8B%9D%E5%85%B1%E9%80%A3%E5%90%88



 文鮮明は、日本の天皇主権を回復させようと主張しながら、実は極端な反日思想家であり、日本人を統一教会を利用して、宗教的に洗脳し、巨額のカネを貢がせて利用していたことが知られている。

 そして有名な合同結婚式では、「日本の娘を韓国のクズに嫁がせれば、戦前の復讐になる」と発言し、日本人女性1万人以上を性奴隷として韓国に送り込んだ。



 勝共連合や日本会議の創始者でもある笹川良一と児玉誉士夫は、いずれも朝鮮人だったといわれている。

 笹川良一は文堯と記された朝鮮戸籍があることが暴露された。しかしそれを書いたブログや動画は片っ端から無断削除された。

 https://www.youtube.com/watch?v=dk89quwBoqo&ab_channel=%E9%9B%86%E5%9B%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%28%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%29



  https://ameblo.jp/helios40-okinawa/image-11597448279-12657073120.html



 児玉誉士夫は、朝鮮人子弟であることが、たくさんの書籍に書かれている。

 https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12104397845.html



 そして、戦後日本政治の土台を作った男、岸信介もまた、1900年前後の李朝崩壊時に、朝鮮王朝両班階級だった両親が田布施に移住して生んだ子供であると指摘されている。

 息子の安倍晋太郎は、実は李朝、最期の王、李垠と梨本宮方子の子であると噂され、「自分は朝鮮人だ」と語っている。

 https://japanese.joins.com/JArticle/80386



 つまり、戦後の、日本極右化、天皇主権返還勢力の根幹に朝鮮人がいるわけだ。参政党は、その掌の上で、天皇主権の日本国家を唱えていることになる。

 いったい韓国人にとって、天皇主権の独裁国家が成立することは、どんな意味があるのだろう?

 私には、なんでもいいから、自分たちの影響力が及ぶ保守独裁国家を作りたいという戦略があったとしか考えられない。

 だから、自民党や維新議員の多くを、選挙支援の形で統一教会が取り込んだのである。



 天皇制を賛美する放送メディアの多くにも、韓国人が入っているといわれる。

 電通の元社長、成田豊、経団連元会長の榊原定征、朝日新聞元社長の木村伊量(朴伊量)も朝鮮人、NHK元報道局長も、創価学会会長の池田大作(成太作)も韓国人だ。

 フジTVや日本TVなども過半数の社員が韓国人だといわれ、だから韓国番組が優先的に放映されている。

 https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12104397845.html



 天皇制を推進する主力が韓国人というのは、いったいどうなっているのだろう?



 話は変わるが、私は、保育士の女性たちが園児に虐待を行ったとして逮捕された事件にも異様な狂気を感じている。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/afcc87ae75c8fba7d5fa286650e5dce9c7a07483



 具体的に調べてみると、行為そのものは褒められた話ではないにしても、逮捕されるだけの事例とはとても思えなかった。我々の世代は、このニュースに違和感しか感じないはずだ。

 三人とも、自宅では「良きお母さん」であって、虐待と言うよりしつけに近いものとしか思えなかった。

 私の幼児時代は、こんなレベルではなかったから、子供を殴るのが大好きだった実父などは懲役になって社会的地位を奪われていただろう。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/16e08e5c320362a245c59ad74ebdd9a9df766bff



 この事件に対する倫理観の報道を見て、強烈な違和感を感じた人は多かったはずで、これは逆に報道する側に、なにがしかの狂気が潜んでいるとしか思えなかった。

 それは、今世紀に入ってから、児童ポルノ問題で起きている倫理的強制と同じ質のものである。

 運動会で女子選手や児童が走っている姿を撮影すると、猥褻・痴漢・盗撮で逮捕されるのだ。

 http://blog.livedoor.jp/fuku_log/archives/66396506.html

 https://nishiyokobori-lawoffice.jp/column/no-photographs/



 こうした異様としかいいようのない極端な倫理規制の震源地の多くが統一教会(世界平和家庭統一連合)であるといわれている。

 彼らは、衆参院議員に留まらず、全国の地方議会議員にまで働きかけて、極端な性倫理を強要するようになっている。

 裾野市の「児童虐待事件」も、背後に統一教会の影がちらついているように見える。



 統一教会のこうした道徳倫理教義の多くが旧約聖書から来ているもので、彼らは、人間を規則と権力でがんじがらめに縛り上げて、権力独裁を目指しているのである。

 人間の自然な感情や行為を、「サタンの所業」と決めつけて、統一教会の指示にしたがって束縛のなかで生きる以外に正しい道はないと信者に強要し、さらに、それを社会全体に押しつけているのである。



 このために、全国の報道メディアに多数の信者を送り込み、情報統制を行い極端な性倫理を強要する風潮ができてしまった。

 

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827570.html



 私は、こうした狂気の根底に、旧約聖書の存在があるような気がしている。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5985458.html