古代史を調べていて、私は、民族大移動や、新国家設立の条件には、必ず民族の存亡にかかわる巨大な事件があったことに気づいた。

 それは今から30年以上前のことだが、最初に気づいたのは、民俗学に夢中になり、宮本常一や柳田国男を読みあさっていたころだった。



 日本人のルーツを調べていて、神武建国、「弥生人」の登場が、史記における呉越戦争と一致していることに気づいてからだ。

 日本書紀に記された「神日本磐余彦天皇」のことだが、ちょうど神武建国(紀元節)は、BC600年頃とされていて、『史記』「呉太伯世家」に記された呉国の終焉と、ほぼ同じ時期タイミングといっていい。

 http://www7b.biglobe.ne.jp/~wakoku/gotaihaku.html



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)



 だとすれば、神武建国と、呉国敗北の間には、大きな関係がありそうに思えた。

 ちょうど同じころ、私は、文化人類学の「照葉樹林帯文化論」(佐々木高明・中尾佐助)にも熱狂的に夢中になっていたので、民俗学的な視点からも、両者には深い関係があることを確信した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%91%89%E6%A8%B9%E6%9E%97%E6%96%87%E5%8C%96%E8%AB%96



 紀元節の意味は、「弥生人文化の成立」と同時期であり、神武天皇は、ほぼ間違いなく、呉国敗戦による民族大移動によって、呉国民が九州に上陸して、ヤマト国を建設したものと確信させられた。

 

 なぜ、敗戦呉国民が大移動したのかといえば、当時の中国では、敗戦国民を「坑刑」によって皆殺しにする風習が存在したからだ。

https://www.recordchina.co.jp/b43992-s0-c30-d0000.html



 坑刑というのは、大きな穴を掘って、敗戦の民を生き埋めにすることで、春秋戦国時代には普通に行われていた敗戦処理の方法である。一度に数十万人が生き埋めで殺されたとの記録もある。

  https://comic-info.jp/?p=5090



 これで、敗戦呉国民は、水郷地帯(蘇州)で水上生活を送っていた生活様式を利用して、一気に外海に逃げだした。

 行き先は、たぶん定まっていなかったような気もするが、同じ照葉樹林帯(東亜三角弧)である、台湾や日本列島、朝鮮半島南部に上陸したと考えられる。

 だから、呉のライフスタイルである臨海漁撈(文身・潜水)の習慣が「倭のスタイル」として、これらの地域で記録されている。



 倭寇で知られる「倭」というのは、蘇州呉国の逃げ出した人々の末裔国家であると考えれば、合理的にすべて説明可能である。

 このことは郭沫若の日本史解釈でも、神武建国は、「太伯の裔」と書かれている。中国史学会では、呉国民がヤマト国家の祖先という解釈は常識なのだ。



 しかも、古代国家は、決して国境に囲まれた閉鎖空間を意味するものではなく、「交易範囲」と考えるべきであり、この意味で、水上生活者だった「倭」は、九州だけでなく、台湾や済州島、百済、そして山陰地方など広い範囲だったと考える必要がある。

 「倭寇」は、決して九州人だけでなく、台湾人や南朝鮮人も含まれていた。



 このような前提なら、台湾や朝鮮南部に弥生文化が存在すること、AD400年前後に神功皇后による三韓征伐があったことなどが容易に説明できる。つまり、南朝鮮人と日本人は、同じ人種だった。

 また呉越など照葉樹林帯文化圏では稲作が行われ、それが弥生人文化の核心であって、有明海大河口での稲作文化は、照葉樹林帯=東亜三角弧全体での共通文化だったといえる。



 結局、弥生文化というのは、呉越戦争という巨大イベントがもたらしたものであり、それが呉国民上陸によるヤマト建国の原因になったと考えるべきである。

 しかし、それから約800年ほどして(AD300年前後)、大陸から弓月氏を名乗る巨大な集団が日本列島に移住してきた。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B



 この集団は、120県(約20万人)という巨大集団であり、当時の日本人口が100万人前後であったとすれば、民族を一変させてしまうほどの数だった。

 https://www.youtube.com/watch?v=Dmb021Rlql4&ab_channel=JosephOgg

 弓月氏は、先祖地を名乗るツングースの習慣から、古代弓月国(キルギスタン付近)から移動したことを意味し、後に「秦氏」を名乗る。これは秦の始皇帝の末裔を意味するものだ。

 ちなみに、始皇帝も中央アジアツングース民族だったといわれ、弓月出身であっても矛盾はない。



 これが、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」の直接の根拠となる記録であって、日本古代史を見事に説明できる矛盾のないものだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC



このときも、おそらく呉越戦争に匹敵するような民族大移動の原因となった巨大な戦乱か異変があったと思われるが、今のところはっきりしない。

 民族大移動をもたらす原因としては、�ゝ霏腓弊鑞陝´�巨大な気象異変 �5霏腓焚仍格�火 が考えられる。

 もしかしたら、弓月国を滅ぼすような大戦争や巨大噴火があったのかもしれない。



 こうして、「巨大なイベントが、民族大移動の前提条件」であると考えるなら、もしかしたら、南米などで縄文文化が確認されていること、北米先住民が同じツングース系モンゴロイドであることなども、日本の縄文人に、巨大噴火などのイベントがあって、移住を迫られたのかもしれないと考えるしかない。



 今から約7300年前に、屋久島の近くの鬼海カルデラで破局噴火があった。

 https://www.gurutto-oosumi.com/school/oosumishidankai/news/news-2178.html



 この噴火は、九州に居住していた縄文人たちを全滅させる規模だったといわれる。

 しかし、遺跡からは人骨が出土していないことから、何らかの方法で、彼らは巨大噴火を事前に理解し、大移動したものと考えられた。

 一部は、列島を東進北上し、青森や北海道に移動し、アイヌと融合したり、三内丸山遺跡などを作った可能性がある。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E9%81%BA%E8%B7%A1



 しかし、現在の知識水準では理解できないほど、縄文人が優れた知力行動力を持っていた可能性もあることから、もしかしたら海洋を渡って南北アメリカ大陸に移住した可能性も決して小さくない。

 いずれの先住民も、縄文人と同じモンゴロイドなのだ。

 人類は、全員がアフリカのイブの子孫といわれているので、ユーラシア東部と南北米大陸にモンゴロイドが定住していることを説明するためには、同じ民族が大移動を行ったと考えるしかないからだ。



 ちょうど、米大陸に最初の文明が起こった時期と、鬼海カルデラ噴火後の時期とは一致している。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E9%99%B8%E5%8F%B2#%E5%89%8D%E5%8F%B2



 九州縄文人が、北方に移住するとともに、海を渡って南米に移住した可能性を否定することはできない。

 7000年前に、大海洋を渡る技能があったか? という問題があるが、これまでのところ、コンチキ号など原始的大航海の実験からは否定的には思われていない。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AD%E5%8F%B7



 古代縄文人には、数ヶ月に及ぶ大航海のスキルがあった。その天文知識も、末裔であるインカの遺跡などから、現代人でも及ばないほど高度なものだったことが証明されている。

 南米の縄文文化が九州の鬼海噴火によってもたらされた可能性を否定できるものはない。

 https://www.youtube.com/watch?v=Rih3MK9-Txw&ab_channel=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BCch



 https://www.youtube.com/watch?v=lszbr-IjHmw&ab_channel=%E3%83%8F%E3%83%86%E3%83%8A%E8%A6%8B%E8%81%9E%E9%8C%B2