日本の自動車産業の最大功労者といえる豊田章一郎が死去した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/039bbce8ad037a1f017b235962c6bc1da76b7c54



 名古屋市出身の私は、否応なしにトヨタとさまざまの接点を持っていた。以下は、私がタクシー運転手だったとき、章一郎夫妻を松坂屋まで送ったときのことを書いた。



http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827890.html



私が、短時間ではあるが、豊田章一郎夫妻を客として送迎したときの印象をいえば、巨大企業のトップ、特権階級としての傲慢さや奢りはいささかもなく、謙虚で誠実な人柄が伝わってきた。

 息子の章雄氏も、年季の入った自宅で油まみれになってエンジンと取り組んでいた姿を垣間見た。

 「ああ、これがトヨタなのだ……」

 と強く感銘を受けた。とともに、「職人国家」としての自律的な面目と矜持を感じた。



 トヨタが営利第一主義の奥田・張体制下でレクサスブランドを立ち上げるまで、章一郎時代は、私の知る限り、「大衆車に生きる」という強い意志とプライドを感じる企業だった。これは鈴木修前スズキ会長も同じだった。

 トヨタは、まさに1960〜1990年までの「日本時代」をナショナルなど家電業界とともに代表する企業だった。



 この時代の日本製品は、すべて素晴らしかった。もう、こんな良いものを作れる時代は二度と来ないかもしれない。

 なぜなら、竹中平蔵=小泉純一郎が安定雇用を破壊し、労働者の企業に対する帰属意識と誠実へのプライドを破壊してしまったからだ。

 現在、大半の日本企業の主力は「派遣労働者」であり、「生涯を捧げる帰属企業」という「愛社精神」を持った労働者を追放してしまったのだ。



 トヨタもまた、奥田・張時代、派遣社員に依存する体制になってから、貧しい一般大衆ではなく金持ち目当ての、営利第一主義レクサスブランドを前面に押し出し、トヨタの本当の骨格であるはずのカローラを軽視し、滅多矢鱈の多様化車種による売り上げ第一主義に陥っていった。



 私も、名古屋市のディーゼル車使用禁止令が出るまで、タウンエースバンを長く利用したのだが、章一郎が経営を取り仕切っていた1980年代は、会社がうまく機能していた印象で、修理などのメンテナンスにも不満はなかった。

 しかし、ギャンブラーと評される奥田碩がトップに就任した1995年あたりから、代理店が利益第一主義に陥り、顧客の信頼を失っていったように思う。



 私の車も、車検に出すと、ブレーキパッドを全部交換したはずだったのに、車検後、ブレーキがキーキー鳴り出し、調べてみれば、費用だけとって実際には、まったく変えていなかったことが判明した。(カローラ愛知、黄金店)

 私は詐欺だと憤り、怒鳴り込んだことがあった。



 以来、私は車をスズキに変えて、現在までスズキの軽自動車しか使っていない。

 トヨタは利益率の高いレクサスブランドを立ち上げてから、明らかに大衆車を軽視するようになったと思う。だが、スズキは章一郎時代のトヨタにあった大衆奉仕の精神を持ち続けてきた。

 鈴木修が引退してから、たぶんスズキも金儲け優先の高級ブランド化して、「大衆に奉仕する」職人国家日本の精神を失うのではないかと一抹の危惧を抱いているのだが、さて、これからどうなることやら……。



 竹中平蔵・小泉純一郎らの努力により日本社会は、職人国家の精神を失って500兆円もの内部留保=投機資産を抱く「金融国家」に転じたわけだが、自動車産業だけは、まだ職人国家の伝統の上に世界に君臨しているといってよい。

 しかし、欧米は、その日本職人集団と張り合える自信を失って、姑息な排除手段に出ている。



 それがEUやカリフォルニア州による化石燃料原動機車の排除だ。

 

 EU、ガソリン車の新車販売禁止 35年までに

 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR27EZ50X21C22A0000000/



 各国のガソリン車禁止・ディーゼル車販売禁止の状況 2022年10月5日

 https://blog.evsmart.net/ev-news/global-petrol-gas-car-ban/#:~:text=2022%E5%B9%B49%E6%9C%88%E3%81%AB,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82



 私は、EUや北米の化石燃料禁止圧力は、世界の原子力産業の元締めであるロスチャイルドが、原発電力を復活させるための歴史的な陰謀であると理解している。

 エネルギーを原発にシフトしたって、CO2総排出量が抑制される可能性が見当たらない。それはロスチャイルドが保有する世界の原子力利権を復活させることが目的なのだ。

 

  原発が温暖化対策にならない5つの理由

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 現在、国連にとって代わって世界を政治的に支配しようとしているダボス会議グループ(ユダヤ金融資本)は、世界中のすべてのエネルギーを電気に一本化し、それをコンピュータで管理することで人々を管理する「グレートリセット」と呼ばれるビジョンに邁進している。

 日本のリニア新幹線や世界のEV自動車路線は、この電気社会化路線の上にある。自民党政権は、ダボス会議グループの1セクションにすぎないのだ。



 なぜ電気かといえば、コンピュータによるコントロールが実に容易だからだ。また電気機器は電磁波干渉に弱いので、EMP爆弾を使えば、一瞬にして容易に人々の生活を完全破壊できる。

 もしも、森林資源やガスなどを使われると,集中的なコントロールがきかず、EMP電磁波干渉とも無縁で、人々は、それぞれのライフスタイルを守ることができるので、世界を支配したがっている連中にとっては、とても困ることになる。

 支配階級にとって、人々は規則正しく、同じ生き方をしてもらわないと困るのだ。



 EV自動車も、リニアも、それに依存しようとすれば、結局原発電気に依存しなければならなくなる。ガスや石油資源の暴騰を招いているウクライナ戦争も、実は、そうした狙いのなかで計画されているのかもしれない。

 だが、EV自動車は、本質的な致命的弱点を抱えている。それはエネルギー密度が、化石燃料の30分の1しかなく、おまけにバッテリーの寿命も化石車エンジンの1〜2割程度しかないということだ。



  電気自動車を買うのはやめた方がいい 2020年12月17日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827429.html



 「便利社会」の幻想 2021年05月11日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827265.html



   原子力産業の陰謀 2022年11月23日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5990824.html



 テスラのEVカーは、素晴らしい性能だが、満充電に12時間以上かかる。おまけにEV充電設備は非常に少なく、いつでも電力喪失に怯えて走らねばならない。

 極めつきは高価なバッテリーを三年米に取り替えねばならず、その費用は新車を買うに等しい。だから、幻想が醒めた現在、テスラの株価は暴落して回復できないでいる。

 だが、こんなことは分かりきっていたことだ。



 トヨタ経営陣は、そうした弱点を理解し、EV化社会の運命を見抜いていた。

 車というものは、数万点の部品の集積であり、その一つ一つに改良、淘汰、選別の歴史があり、中国がわずか数年で、「ものになる」自動車を作ろうとしても100%無理な話であることは原動機自動車に長年携わってきた者なら誰でも分かることだ。

 自動車という商品は、そんなに甘いものではない。200年にわたる改良進化の歴史の肩の上に存在できるのであって、新規参入できるような甘い技術ではないのだ。



 安全快適な自動車を生産するためのハードルは、あまりに巨大で高い。100年以上の歴史を前提にして、やっと生産することができるが、それでもリコールは絶え間なく必要になる。中国企業のEVカーは、世界の恐ろしいリコールの嵐をまだ経験していない。

 だから、新興電気自動車産業が、交通機関として通用する可能性は極めて低い。

 現在の中国製EVカーは、ほとんど欧米や日本の自動車産業を利用し、またパクったものであり、これから淘汰排除される運命しか残されていない。



 トヨタや欧米自動車の合弁企業を利用して盗もうとしても、習近平政権が西側政権や企業排除の方針を示している以上、これから台湾侵攻などに伴って、中国内のトヨタなど合弁企業は一斉に撤退することになるだろう。

 その後、中国人が独自に自動車産業を維持できるかといえば、無理な話だ。



 自動車は、ダボス会議組の意図するような総電気化システムに変えることは不可能だ。

 結局、化石燃料から離れることはできないだろう。

 むしろ、化石燃料が供給困難になったとしても、昔の木炭車が復活することになるだろうと予想している。もちろん、もっとスマートな燃料に姿を変えるはずだが……例えばペレット・マーブル燃料のようなものだ。



 それとともに、資本主義、新自由主義の時代も終わりを迎え、再び、豊田章一郎の時代にあった「職人国家=日本」が復活するしかないと考えている。

 職人国家は、大量生産による薄利多売、使い捨て文明ではなく、消費者のきめ細かなニーズに答えた多様性をもち、使い捨てでなく、徹底的に修理再生され、次の世代にも受け継がれてゆく息の長い製品になるだろうと思う。



 それは「商品」ではなく「道具」に戻ってゆくのだ。