原発反対運動を半世紀続けてきて、たくさんの推進論、否定論と向き合ってきたが、「どのような理由」で原発を推進するのか、反対するのか、深い心の基準を定めている人は、それほど多くない。
今回は、私が原発に反対する理由と、その意味について触れる。
私が、原発推進派と付き合ってきて、もっとも強く感じたことは、「一人の人=個人」の立場から発言している人を、ほとんど見かけないということだ。
私には、推進勢力から凄まじい人格攻撃、嫌がらせが絶え間なく続けられているが、その全員が、こそこそと身元を隠し、IPアドレスもプロクシを何段にも設定して身元を知られることを恐れている。
絶対に自分の身元がバレないように、隠れて私を攻撃し続けている理由は、なんだろう?
反撃を、よほど恐れているのだろう。こちらが反論できないように、どこの誰だがわからないように隠蔽工作し、メディアを利用して、遠くからこそこそと、嘘を並べ立てて人格を貶めようとする。
私が信用できない人物であるかのように大宣伝しているのだ。これは、私だけでなく、ほとんどの反原発派に対して行われている。
まともに、身元を明らかにし、正論で私を論破しようとする者はほぼいない。
私としては、「原発の必要性」という正論で勝負してくれる人を待望してきたが、過去半世紀、そんな人物は皆無だった。
結局のところ、自分に自信を持っている人、つまり心の奥底にある正義感から発言している人は、攻撃者のなかに皆無であることを意味している。みんな、心のどこかに、後ろめたい意識を抱いているようにさえ見える。
彼らのIPアドレスを辿ってみると、ほとんど自民党保守系の政治団体に行きつく。多くは、自民党本部内の統一教会系出版社のIPが使われていた。
つまり、日本会議、国際勝共連合といった組織の構成員によって行われている。
「原発推進世論」を作り出すため、反原発派を潰す「情報工作」を組織として行っているわけだ。
彼らは、所属組織に思想的洗脳を受けて「原発推進=核武装」を正義と思い込んで、邪魔になる反原発派を潰す活動に意義を感じて行っている。
自分を警察官か消防官のような、職業的義務に埋没させて、反対派への破壊工作を行っているわけだ。
しかし、本当に自分一人で生きてゆかねばならないとき、自分と家族を守るために、何を守り、何を否定すべきなのか、きちんと考えている者は一人もいない。
日本会議とか国際勝共連合という反共団体は、日本国の核武装を推進し、日本を軍事国家にして「世界に冠たる日本」を演出したいようだ。
(実際には、統一教会は、日本を韓国の属国にするというのが本音のようだが)
彼らの大半が、組織に埋没した一種の洗脳状態にあって、「一人の人間として、未来を守るために何をする必要があるのか」という視点を理解できなくなっている。
というより、自分が一人の個人であることを忘れてしまっている。
結局のところ、「原発を利用して日本を核武装させなければならない」という洗脳された野望に邪魔になる私達、反原発派を、どんな汚い手を使っても排除したいという共有意思のなかにいる。
また企業やアカデミーの、原発推進議論を見ていて気づくことは、そのプロジェクトの総合的な危険性や将来のデメリットを見ようとせず、目先の利権だけしか目に入っていないことだ。
そこには、「一人の人間として」という視点は皆無で、自分の立場、権威、所属する組織の利権、利益しか目に入っていない。
原発プロジェクトの利権を、何がなんでも死守したいという意思に拘束されている。
結局、彼らにとっての人生とは、所属・帰属する集団の利権に奉仕するためだけの人生なのだろうか?
原発を稼働させれば、プルトニウムでいえば数十万年という人類存在期間をはるかに超える超長期にわたって、物凄い発癌毒性が続くのだから、子どもたちの未来のためには、そうした猛毒物質をこの世に増やすことが、どれほど人類の未来を破壊するものか、少し考えれば、誰にでも簡単に理解できるはずだ。
それを「頭がいい」と自惚れている高学歴で権威あるとされる連中が、「科学技術のために」とか「国家のために」とか、さまざまな屁理屈をつけて、取り返しのつかない猛毒汚染が目に入らないかのように、原発絡みの自分の利権を守るために原発を正当化し、推進するのだ。
私にとってショックだったのは、反原発市民運動の旗手として尊敬していた分子生物学者のK氏が、自分のX線ゲノム研究のなかで、助手に妊婦を採用し、「5ミリシーベルト以下の被曝量だったから安全」と発言したことだった。
K氏は、ECRRが一般人の年間許容量を0.1ミリシーベルト以下に設定していることを十分知っているはずだ。
5ミリシーベルトを被曝した胎児に何が起きたのかも知っていたはずだ。
https://www.rerf.or.jp/programs/roadmap/health_effects/uteroexp/physment/
私はK氏を尊敬していたので、この事実を知ったとき強烈な衝撃が走った。
結局、彼は「一人の人間として」という視点を排除して、「一人の学者として」という立場を守ろうとしたのだと思った。
原子力情報資料室の言論のなかにも、ときどきK氏と同じ立場のものを見つけてがっかりすることが多い。
確かに、被曝の本質は、ロシアンルーレットのようなもので、被曝線量が増えるということは、弾倉の弾が増えることを意味するので、直接死を意味するものではないにしても、実弾の入った銃でロシアンルーレットをやること自体を我々は拒絶しなければならない。
反原発学者ならば、なおさらだ。
テレビに出てる脳科学者の中野信子は、IQが150以上あることで知られているが、大下容子ショーのなかで、「電力需給のため、日本は原発を復活させる必要がある」というような発言をした。
私は、フクイチ原発事故以降、東大出身者が、どれほど原発を擁護し、その被害の隠蔽に加担してきたか思い知らされているが、この番組を見ていて、どんなに頭が良くても、学歴が高くとも、人には見えるものと見えないものがあるのだと知った。
ちょうどそれは、幽霊が見える人と見えない人の違いのようなものかもしれない。
幽霊が見えない理由は、「そんなものがあるはずがないという先入観」によるものだ。
人が依存する学歴や権威、蓄財が、ものごとの全体像を見る邪魔をしているのだ。人は、幼い頃から積み重ねた先入観念のなかで生きていて、視界の半分は先入観といってもよいほどだ。
それは五感から入ってくる情報を処理するときに、先入観念によって取捨選択をすることから、そうなる。
だから、中野信子のように、学歴や権威にどっぷりと浸った利権の人生を送っていれば、エネルギー需給は見えても、子どもたちの未来を見ることはできなくなる。
学者や企業経営者、権力関係者に、人生の真実、全体像が見えない理由は、彼らが「勝ち組」として「優越感」のなかに生きているからで、人間の目を曇らせ、厚い鱗を目に貼るものこそ、この優越感なのだ。
すなわち、「原発を否定することが、自分の優越感を否定することになる」から、どうしても原発否定を受け入れられないように私には思えた。
私が、半世紀のあいだに、原発問題を議論した相手のうち、物事の本質を見ることができない「Akimekura」というべき人々は、すべて、「守るべき自分の権威、立場を持っている人」だった。
原発に利権を持たない人には、なんの抵抗もなく、人類の未来に対する危機感を理解してもらうことができる。
しかし、「原発が必要」と洗脳されてしまっている人は、アクチノイド(超ウラン元素)汚染の恐ろしさを、どれほど力説しても、頭に入らないように思える。
私は、原発推進派の人たちは、全員、「人が何によって生きているのか」理解できていない人に思える。
学歴や権威や蓄財による優越感、差別意識、それを生み出している競争意識に洗脳されてしまっていて、「人生とは何か?」という思索を拒絶する人たちなのだ。
私が、もう人生の出口が見え始めた年齢に差し掛かって、やっと見えてきた人生の本当の意味は、結局、人間にとっての究極の真理に気づくことである。
仏教でいえば「悟り」ということになるが、ずいぶんたくさんの失敗や不義理、間違いを重ねた私が、半世紀にわたる反原発活動のなかで得たものは、
「人間は屁理屈や思想で生きているわけではない。日常的な肌身感覚のなか、他人との心のやり取り、そして笑顔に元気をもらって生きている」
ことである。
「エネルギーの確保」などと大上段に構えている人であっても、そんな発想は、脳味噌の奥に隠れた糞溜めの屁理屈にすぎず、人生にとって大切なものではない。
本当に大切なものは、自分を支えてくれている人との交流であり笑顔なのだ。
今も、私を誹謗中傷し続けている愚かな連中も、その思想的信念は実に矮小で浅はかなもので、「日本の国家主義・強国主義から優越感を得たい」というチンケな発想しかない。
そんなゴミのような優越感より、自分を支えてくれる家族の笑顔の方が百万倍も大切であることに気づいていないのだ。
その大切な、自分を支えてくれている人たちのために、何が必要なのか?
それは、放射能や化学物質に汚染されない安全な未来であり、子どもたちが豊かな生活を享受するための豊かな自然環境なのだ。
我々は、子どもたちの持続可能な未来のために、未来を絶望的に押しつぶす原発に反対しなければならない。
今回は、私が原発に反対する理由と、その意味について触れる。
私が、原発推進派と付き合ってきて、もっとも強く感じたことは、「一人の人=個人」の立場から発言している人を、ほとんど見かけないということだ。
私には、推進勢力から凄まじい人格攻撃、嫌がらせが絶え間なく続けられているが、その全員が、こそこそと身元を隠し、IPアドレスもプロクシを何段にも設定して身元を知られることを恐れている。
絶対に自分の身元がバレないように、隠れて私を攻撃し続けている理由は、なんだろう?
反撃を、よほど恐れているのだろう。こちらが反論できないように、どこの誰だがわからないように隠蔽工作し、メディアを利用して、遠くからこそこそと、嘘を並べ立てて人格を貶めようとする。
私が信用できない人物であるかのように大宣伝しているのだ。これは、私だけでなく、ほとんどの反原発派に対して行われている。
まともに、身元を明らかにし、正論で私を論破しようとする者はほぼいない。
私としては、「原発の必要性」という正論で勝負してくれる人を待望してきたが、過去半世紀、そんな人物は皆無だった。
結局のところ、自分に自信を持っている人、つまり心の奥底にある正義感から発言している人は、攻撃者のなかに皆無であることを意味している。みんな、心のどこかに、後ろめたい意識を抱いているようにさえ見える。
彼らのIPアドレスを辿ってみると、ほとんど自民党保守系の政治団体に行きつく。多くは、自民党本部内の統一教会系出版社のIPが使われていた。
つまり、日本会議、国際勝共連合といった組織の構成員によって行われている。
「原発推進世論」を作り出すため、反原発派を潰す「情報工作」を組織として行っているわけだ。
彼らは、所属組織に思想的洗脳を受けて「原発推進=核武装」を正義と思い込んで、邪魔になる反原発派を潰す活動に意義を感じて行っている。
自分を警察官か消防官のような、職業的義務に埋没させて、反対派への破壊工作を行っているわけだ。
しかし、本当に自分一人で生きてゆかねばならないとき、自分と家族を守るために、何を守り、何を否定すべきなのか、きちんと考えている者は一人もいない。
日本会議とか国際勝共連合という反共団体は、日本国の核武装を推進し、日本を軍事国家にして「世界に冠たる日本」を演出したいようだ。
(実際には、統一教会は、日本を韓国の属国にするというのが本音のようだが)
彼らの大半が、組織に埋没した一種の洗脳状態にあって、「一人の人間として、未来を守るために何をする必要があるのか」という視点を理解できなくなっている。
というより、自分が一人の個人であることを忘れてしまっている。
結局のところ、「原発を利用して日本を核武装させなければならない」という洗脳された野望に邪魔になる私達、反原発派を、どんな汚い手を使っても排除したいという共有意思のなかにいる。
また企業やアカデミーの、原発推進議論を見ていて気づくことは、そのプロジェクトの総合的な危険性や将来のデメリットを見ようとせず、目先の利権だけしか目に入っていないことだ。
そこには、「一人の人間として」という視点は皆無で、自分の立場、権威、所属する組織の利権、利益しか目に入っていない。
原発プロジェクトの利権を、何がなんでも死守したいという意思に拘束されている。
結局、彼らにとっての人生とは、所属・帰属する集団の利権に奉仕するためだけの人生なのだろうか?
原発を稼働させれば、プルトニウムでいえば数十万年という人類存在期間をはるかに超える超長期にわたって、物凄い発癌毒性が続くのだから、子どもたちの未来のためには、そうした猛毒物質をこの世に増やすことが、どれほど人類の未来を破壊するものか、少し考えれば、誰にでも簡単に理解できるはずだ。
それを「頭がいい」と自惚れている高学歴で権威あるとされる連中が、「科学技術のために」とか「国家のために」とか、さまざまな屁理屈をつけて、取り返しのつかない猛毒汚染が目に入らないかのように、原発絡みの自分の利権を守るために原発を正当化し、推進するのだ。
私にとってショックだったのは、反原発市民運動の旗手として尊敬していた分子生物学者のK氏が、自分のX線ゲノム研究のなかで、助手に妊婦を採用し、「5ミリシーベルト以下の被曝量だったから安全」と発言したことだった。
K氏は、ECRRが一般人の年間許容量を0.1ミリシーベルト以下に設定していることを十分知っているはずだ。
5ミリシーベルトを被曝した胎児に何が起きたのかも知っていたはずだ。
https://www.rerf.or.jp/programs/roadmap/health_effects/uteroexp/physment/
私はK氏を尊敬していたので、この事実を知ったとき強烈な衝撃が走った。
結局、彼は「一人の人間として」という視点を排除して、「一人の学者として」という立場を守ろうとしたのだと思った。
原子力情報資料室の言論のなかにも、ときどきK氏と同じ立場のものを見つけてがっかりすることが多い。
確かに、被曝の本質は、ロシアンルーレットのようなもので、被曝線量が増えるということは、弾倉の弾が増えることを意味するので、直接死を意味するものではないにしても、実弾の入った銃でロシアンルーレットをやること自体を我々は拒絶しなければならない。
反原発学者ならば、なおさらだ。
テレビに出てる脳科学者の中野信子は、IQが150以上あることで知られているが、大下容子ショーのなかで、「電力需給のため、日本は原発を復活させる必要がある」というような発言をした。
私は、フクイチ原発事故以降、東大出身者が、どれほど原発を擁護し、その被害の隠蔽に加担してきたか思い知らされているが、この番組を見ていて、どんなに頭が良くても、学歴が高くとも、人には見えるものと見えないものがあるのだと知った。
ちょうどそれは、幽霊が見える人と見えない人の違いのようなものかもしれない。
幽霊が見えない理由は、「そんなものがあるはずがないという先入観」によるものだ。
人が依存する学歴や権威、蓄財が、ものごとの全体像を見る邪魔をしているのだ。人は、幼い頃から積み重ねた先入観念のなかで生きていて、視界の半分は先入観といってもよいほどだ。
それは五感から入ってくる情報を処理するときに、先入観念によって取捨選択をすることから、そうなる。
だから、中野信子のように、学歴や権威にどっぷりと浸った利権の人生を送っていれば、エネルギー需給は見えても、子どもたちの未来を見ることはできなくなる。
学者や企業経営者、権力関係者に、人生の真実、全体像が見えない理由は、彼らが「勝ち組」として「優越感」のなかに生きているからで、人間の目を曇らせ、厚い鱗を目に貼るものこそ、この優越感なのだ。
すなわち、「原発を否定することが、自分の優越感を否定することになる」から、どうしても原発否定を受け入れられないように私には思えた。
私が、半世紀のあいだに、原発問題を議論した相手のうち、物事の本質を見ることができない「Akimekura」というべき人々は、すべて、「守るべき自分の権威、立場を持っている人」だった。
原発に利権を持たない人には、なんの抵抗もなく、人類の未来に対する危機感を理解してもらうことができる。
しかし、「原発が必要」と洗脳されてしまっている人は、アクチノイド(超ウラン元素)汚染の恐ろしさを、どれほど力説しても、頭に入らないように思える。
私は、原発推進派の人たちは、全員、「人が何によって生きているのか」理解できていない人に思える。
学歴や権威や蓄財による優越感、差別意識、それを生み出している競争意識に洗脳されてしまっていて、「人生とは何か?」という思索を拒絶する人たちなのだ。
私が、もう人生の出口が見え始めた年齢に差し掛かって、やっと見えてきた人生の本当の意味は、結局、人間にとっての究極の真理に気づくことである。
仏教でいえば「悟り」ということになるが、ずいぶんたくさんの失敗や不義理、間違いを重ねた私が、半世紀にわたる反原発活動のなかで得たものは、
「人間は屁理屈や思想で生きているわけではない。日常的な肌身感覚のなか、他人との心のやり取り、そして笑顔に元気をもらって生きている」
ことである。
「エネルギーの確保」などと大上段に構えている人であっても、そんな発想は、脳味噌の奥に隠れた糞溜めの屁理屈にすぎず、人生にとって大切なものではない。
本当に大切なものは、自分を支えてくれている人との交流であり笑顔なのだ。
今も、私を誹謗中傷し続けている愚かな連中も、その思想的信念は実に矮小で浅はかなもので、「日本の国家主義・強国主義から優越感を得たい」というチンケな発想しかない。
そんなゴミのような優越感より、自分を支えてくれる家族の笑顔の方が百万倍も大切であることに気づいていないのだ。
その大切な、自分を支えてくれている人たちのために、何が必要なのか?
それは、放射能や化学物質に汚染されない安全な未来であり、子どもたちが豊かな生活を享受するための豊かな自然環境なのだ。
我々は、子どもたちの持続可能な未来のために、未来を絶望的に押しつぶす原発に反対しなければならない。

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