生きるために大切なことは



 釈迦が弟子の比丘尼から「霊的世界と、どう関わったらいいのか?」と訊ねられて、「無記」(どうでもよいこと)と答えたのは有名な話だ。

 https://ameblo.jp/aimiyume3/entry-12545917112.html

 【目に見えない、今後がどうなるかわからない事や、ものに捉われすぎるよりも、現実の苦しみ、苦しみの原因、苦しみを無くす方法についてしっかりと学び、実践して、苦しみを確実に無くすことが、何よりも重要である。】



 「現実の苦しみをなくすこと」が霊界の存在よりも大切である…ことの意味は、見えない、触れない、理解できない世界のことを無理に考える必要はない。我々は、見える、触れる、理解できる世界に生きているのだから、まずは、自分の目の前にある世界を大切にしなければならない…と指摘しているわけだ。



 なるほど、そうして自分が生きていることの意味を理解していれば、「サタンに入られる、地獄に堕ちる」とかの虚構の妄想で人を脅し、洗脳して金を巻き上げる統一教会の詐欺に騙されて信者になる人もいないはずだ。

 そもそも、「生きているリアリティ」から大きく外れた霊界や儲け話を持ち出す人は、リアリティから目を逸らさせることで人を騙そうとする詐欺師が多いことを知っておくべきだ。



 自分が何によって生かされているのか? 深く考えてゆけば、自分に言葉をかけてくれる人、自分に食事を与えてくれる人、自分に笑顔を投げかけて癒やしてくれる人…たちが、自分の人生を支えてくれていることがわかる。

 それは霊界とか、国際政治とかの訳の分からない虚構世界imaginaryではなく、肌身の感覚でやり取りしている現実のリアルな世界である。



 霊界や世界情勢のことを訳知り顔で言っても、自分の人生が変わるわけではない。しかし、家族の笑顔、苦しみ、自らに降りかかった災難、エッチの喜びなんかは、今すぐ人生を変える問題である。

 墓石だの呪いだの供養だの、人生のリアルからかけ離れた霊界の問題などと比べれば、どっちが大切か誰にでもわかることだ。



 我々の人生は、今、目の前にいる人との、心のやり取りによって成立している。霊界とのimaginaryなやり取りで成立しているわけではない。

 だから、墓石と、かーちゃんのどちらを大切にしなければならない誰でも分かっているはずなのだが、なかには、それが分からない人がいるから困る。

 目の前にいる我が子の食を奪ってでも、高価な墓石を購入しなければならないと信じこんでいる人がいるのだ。



 話は変わるが、私は、半世紀以上前、立川市で反戦運動に参加していた。

 米軍基地の滑走路の前に住み、毎日、ベトナム戦争から死傷兵を満載した輸送機が離着陸した。ここは米軍人の遺体処理場だった。その総数は5万人に及んだ。

 基地の北端、砂川地区では、毎日のように反戦集会が行われ、私も参加した。



 当時の政治運動は、1970年前後だから、新左翼の党派運動が盛んだった時期だ。集会ともなればヘルメットを被った若者たちが、旗を立てて集まっていた。

 デモに行くと、まるで源平合戦のように、「やーやー、われこそは、どこそこの某である、いざ尋常に勝負せよ」のような運動会風の内ゲバが始まるし、機動隊と対峙する様も、まるで鎌倉時代の合戦風景のようだった。



 アメリカなんかでは、ここで車が突っ込んできて、何人かが轢かれて命を落としたりするのだが、日本では、とても儀式的で、激しい内ゲバといっても、のどかな田園の械闘祭を見ているような雰囲気だった。

 機動隊との戦いも、火炎瓶を投げて道路が火の海になっても、最後の一線は超えない倫理観に支配されているような気がした。

 やはり、我々は鎌倉時代に生きているのだと思った。



 当時の、ヘルメットを被った新左翼活動家に共通するのは、驚くほど硬直した観念だった。注ぎ込まれた情報で生成された極度に硬直した世界観があって、柔軟な思考がまったく見られない。

 どこかの誰かが考えた、もっともらしい屁理屈をご宣託のように信じ込んでオウムのように繰り返すことしかできない者が多かった。



 自分の頭の中に作り上げた観念の世界秩序だけで現実を解釈してゆく。今見えている対象的世界の情報から演繹して世界観を修正するという作業がまったくできない人が多かった。

 だから、私はセクト左翼には不快感しか感じず、ベ平連市民運動に加わった。



 また、1960年前後の日本共産党が、原水禁運動がソ連など社会主義国の核武装まで反対するのは間違っている。社会主義の核は正しいのだと主張して、原水禁を分裂させて原水協を作った。おかげで原水禁運動の爆発的盛り上がりは冷水を浴びせられて沈滞するようになったことも、屁理屈によって硬直した左翼運動の本質が見えている。

 今に至るまで、日本共産党は、戦後最大の反核大衆運動を潰した原水協を自己批判していないから、未だに「共産党が指導する正しい原発は推進する」という屁理屈を堅持しているわけだ。



 日本共産党が、結局多くの大衆の支持を得られない本質的な理由は、自分たちの脳味噌の観念に構築した虚構の屁理屈だけを信じ込み、現実にあるリアリティによって観念を修正できないという思想的硬直に不快感を抱く人が多いということは一目瞭然である。

 つまり、共産党も、冒頭に掲げた釈迦の「無記」=現実に存在しない、霊界のような、どうでもいい世界に囚われたままで、「現実の、【生きた人間の生きた時間】を大切にしなければならない」という釈迦の命題が未だに理解できていないわけだ。



 我々が人生を生き抜くために、もっとも必要としているものは、肌身感覚のなかにある人々の笑顔、生きるための、ありふれたやり取りであるのに、硬直した観念に束縛された人たちは、それよりも大事にしなければならない上位の屁理屈があると盲信しているわけだ。



 統一教会員は、文鮮明の作り出した虚構のサタン論を信じ込んで、平然と家族まで騙した。

 共産党は、東西世界対立論を盲信して、ソ連・中国のような自称「社会主義、共産主義」に奉仕するために本当の大衆運動を潰してしまった。

 新左翼も、セクトの屁理屈を洗脳されたまま暴走し、浅間山荘事件に帰結したグループやら、その後、中核派だった糸井重里や、猪瀬直樹らは自民党や右翼に転じたし、ヒッピーだった尾辻秀久は、文字通り極右政治家となった。



 現実のリアリティ、目の前にいる人の笑顔によって支えられていることを自覚している人にとっては、「無記」つまり、どうでもいい屁理屈によって観念を硬直させて暴走する人たちは理解に苦しむのだが、当の本人たちも、観念的妄想の世界から、現実リアリティに戻ってくると、心の統一性を見失い、自分が何者なのか大混乱に陥って苦しむことになる。



 自称にすぎないベ平連に参加した私でさえ、その後、「自分が何者であって、何をしなければならないか、何のために生きているのか」という問いに答えられず悶々とした日々を送るうちに、気づいたら老人になっていた。

 私の知っている元新左翼活動家で、精神異常を来した者も一人や二人ではない。



 最近、私の事実上放棄しているが、まだ生きている掲示板で、ちょっとした論争が起きている。

 http://tokaiama.minim.ne.jp/keijiban6/clipbbs.cgi



 【今の日本にとって、プーチンが悪人かどうかはどうでもよいこと 

 米国とNATOを非難するデモがヨーロッパ各地で頻発していますが、日本人よりはるかに民度の高いヨーロッパ諸国の人は、デモで米国を非難しても、プーチンのプの字も非難しないことを低民度の日本人は知らないようです。

 そのような低レベルの民度の日本人は、テレビの言うことをそのまま信じます。自民党政権による国民洗脳のためのプーチン悪人説をそのまま信じて金科玉条としています。プーチンの悪行をこれでもかと数え上げて、いかに悪人かを力説する人もいます。

 しかし今の日本にとって、プーチンが悪人かどうかはどうでもよいことです。プーチンの悪行は日本には直接関係はないから。かたやウクライナ紛争の真の黒幕の米国とNATO諸国の陰謀は、日本人と大きな関係があります。

 世界制覇によって世界中の富を一手にかき集めたい米国とNATO諸国は、日本を第二のウクライナにして、対中国の代理戦争を日本にやらせるつもりだから。米国軍隊は1人も参戦させないでしょう。

 米国人兵士に代わって日本人が何人死んでも米国は気にしません。日本人にとって、本当の悪人はプーチンと米国のどちらであるかは明らかです。日本人は、本当の悪人のほうを追及するべきです。】

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 私のブログには、コメント欄に、プーチンのロシア侵攻を支持する書き込みがいくつかあるが、共通して、同時に極めて下劣な誹謗中傷が含まれているので削除してしまうのだが、この投稿は削除できない事情がある。



 この人の投稿にも、私は半世紀前の硬直したセクトの論理を感じる。まるで中核派がそのまま生き残っているようにさえ思える。

 私がプーチンのウクライナ軍事侵攻に怒っている理由は、普通に生きている人たちの生活に、プーチンが捏造した事情でミサイルや砲弾を打ち込み、笑顔や命まで奪っているからだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%81%E3%83%A3%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA



 それは「同じ生きている仲間を大切にする」という肌身感情で憤っているのである。



 我々が、人を大切にして生きている人たちから笑顔を奪うことは許されない。

 釈迦は「因果応報」と問うたが、その意味は、我々は他人の喜びを見ることで自分の喜びを得ることができる。人の命と喜びを奪う者は、同時に自分の命と喜びを奪うこと…なのだ。

 人を殺してしまった者の顔には、生涯消えることのない刻印が刻まれる。私は、それが目に出ることを知った。私はたくさんの殺人者と接してきたのだ。

 私の近所に住んで、私のものを盗み続けている泥棒の顔にも、その刻印があった。



 「人を殺すな!」

 これは、我々が生きるための原点なのだ。十戒を持ち出すまでもない。

 平和な生活を送っていたウクライナに、突然プーチンが軍隊を攻め込ませ、すでに数十万人の人々が死んでいる。

 これに対して憤ることには、西側も東側も関係ない。いかなる屁理屈も高尚な理論も関係ない。自分の命と人生を大切にするために、軍事侵攻に反対しなければならないのである。



 だから、私は学歴を捨てて反戦運動に飛び込んだ。

 上の投稿にある「本当の悪人」というのは、平和な他国に侵入して住民を殺しまくるロシア軍であり、命令しているプーチン大統領なのだ。

 もっともも、その背後に隠れた桁違いに恐ろしい勢力があることを私は感じ取っているが、それは昨日のブログに書いた。



 我々にとって、大切なことは、「霊界の有無」でもなければ「ウクライナ紛争の真の黒幕」でもない。

 「平和な人々の暮らしと命が奪われている」ことへの憤りであり、同情なのだ。

 可能ならば、私でもウクライナ義勇軍に参加したいくらいだが、やがて日本でも同じことが起きると予想しているので、今は控えている。



 もう一度書く。我々が生きるために大切にしなければならないものは、今、目の前にいる人の笑顔であり、命であり、心をやり取りする肌身の感覚である。

 政治体制だの東西陣営だのは、どうでもよい「無記」のことだ。

 人殺しを重ねるプーチンは、無条件の悪なのだ。

 【目に見えない、今後がどうなるかわからない事や、ものに捉われすぎるよりも、現実の苦しみ、苦しみの原因、苦しみを無くす方法についてしっかりと学び、実践して、苦しみを確実に無くすことが、何よりも重要である。】

 と釈迦が教えている。