わが中津川市は、恵那市と一心同体のような存在で、恵那山の足下に拡がる、それほど大きくもない恵那(中津川)盆地に両雄が並んでいる。

 私が、この地に移住して20年を経るのだが、この20年で、恵那盆地に起きた変化といえば、大型ショッピングモールが乱立したということだ。



 私が移住した2003年には、すでに個人商店の大半が新興スーパーなどに淘汰されていた。スーパーの主役は、中津川駅前のダイエーエコープラザ(1977~1998)や、ユニーアピタ(1997~2017)、地場産業のスマイル(1959〜)、それにバロー(1958年〜)くらいだった。

 恵那市でも、ユニーが撤退してドン・キホーテに代わり、バローグループの創業店舗である恵那店(1974~)と、最新店舗のカネスエの競合になっている。



 ホームセンターは、半世紀前、ジャック&ベティという大型店があったのだが、今はバローホムセン坂本店に代わっている。その後、カーマ(DCM)やコメリが数店舗進出した。

 それから、百円ショップの進出が凄い。ダイソーもすでに古参店になっているが、大きくもない恵那盆地全体で5店舗もあり、他にセリエなども数店舗ある。



 あとは、蛭川の近所にスパーというミニスーパーがあって、これも今は、フランチャイズを脱退して紅梅屋という個人商店に戻っている。

 紅梅屋は、私の祖母が隣村の黒川村出身で、100年以上前に実家が中之平で伊勢屋・冨田屋という二軒の雑貨食品店を経営していたのだが、その頃から商品のやりとりで連携していた店だった。

 こうした土着個人商店に一世紀以上の寿命があって、これほど過疎で衰退しても生き延びているというのは興味深いことだ。



 2023年現在、恵那盆地には、いくつかの大型ショッピングモールができていて、恵那盆地周辺住民の生活物資を供給している。

 一番大きいのは、恵那警察署の裏手にあるDCMを中核としたモールで、バローや赤のれん、ユニクロなど有名店が10店舗くらい集まっている。

 次は、元アピタのルビットタウンで、旧中津川商店街に隣接している。他にも苗木や岩村などにもある。

 私が移住してきた当時とは比較にならない。



 私が驚いたのは、ゲンキーとオオクワの進出だった。これは、中津川リニア岐阜県駅構想が公表されてから進出が始まったのだが、「えっ! 恵那盆地に、こんな店を支える購買力があるのだろうか?」と、強烈な違和感を抱いた。

 いずれも中規模や大型店ばかりで、いくらリニア駅構想で移住する人が増えるとは言っても、ちょっと信じられないほどの売場面積だった。



 案の定、2010年以降、続々と進出してきた小売店舗は、いつ行っても閑古鳥が鳴いていることが多く、日曜でも比較的余裕のある買い物ができる。消費者にとっては選択肢が多くてありがたいことではあるが、経営側にとっては深刻だろう。

 ダイエーもユニーも撤退してしまった中津川・恵那なのに、本当にやっていけるのか? と不可解な思いを抱かざるをえない。



 私は、新自由主義の金儲け信仰に洗脳された経営者たちが、事業拡張妄想のなかで、共倒れに沈んでゆく姿が手に取るように見える気がする。

 このことは、すでにブログで何回か書いている。



 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828567.html



 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827513.html



 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5936772.html



 中津川に進出している企業資本は、「リニア駅計画があるから人口が増える」と無邪気に信じているように思えるが、恐ろしい誤解だと私は思う。

 昨年の出生率は10%低下し、日本国家は人口減少基調に明確に転じたと報道されている。

 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA152UF0V10C22A4000000/



 日本という国は衰退に向かったのだ。滅亡に向かって雪崩落ちていると言い換えてもよい。

 人口というのは、国家の盛衰の明確な指標である。人口が増えている国は国家の内実を増やすことで将来性を保証している。減っている国は、あらゆる要素が衰退し、滅亡に向かってゆくのだ。これほど明瞭で確実性のある指標は他にない。



 すべてのものが発展すれば衰退する。「栄枯盛衰世の習い」というのは日本でも、平家物語や幸若などに述べられている日本文化の基本的な哲学である。

 日本人は、こうした文芸作品を通じて、栄枯盛衰の哲学を心の奥底に刻み込んできたはずなのだが、現代に至って、あたかも「未来永劫に社会が発展を続ける」かのような妄想に囚われた人たちが、拡大膨張だけを目指して競争するという社会になった。



 これは明治期に導入された資本主義の競争理念に教育された結果なのかもしれない。私自身も含めて、幼稚園時代から我々は競争主義に晒され続けてきた。

 お絵かきでもかけっこでも、「競争して勝てば褒められる」という序列主義の価値観を強力に洗脳されてきたことで、「競争に勝たねばならない」という強迫観念だけを人生のモチベーションにしている人が非常に多い。

 それは、格闘技や陸上などスポーツ全般においても同じだ。



 このことで、社会が衰退に向かい、あらゆるものが収束を始めている時代の本質を見ることができず、「自分だけは競争に勝たねばならない」と、幼い頃からの競争価値観に背中を押されるようにして、拡大発展、勝利の妄想に取り込まれてゆく。

 ダイエーやユニーがハマって身動きが取れなくなって撤退した大型商業店の轍に、オークワやゲンキー、バロー、DCMが踏み込み、やはり身動きが取れなくなっている。



 私は、リニア中津川駅が本当に開業できるかどうか甚だ疑問なのだ。理由は、世界でも最悪級の中央構造線=南アルプス破砕帯を通過するリニアトンネルが、無事であり続ける保証が見当たらないからだ。

 日本の土木技術の粋を集めた工事でも、青崩峠(トンネル)を突破できなかった。

 https://www.mapple.net/articles/original/7633/



 仮にリニアトンネルが開通したとしても、破砕帯が数年間も耐える可能性は極めて少なく、結局、リニア計画が頓挫させられる可能性は非常に高い。

 だから、リニアは中央構造線とフォッサマグナまでしか開業することができないと思う。

 10年後になれば分かることだが、リニア開業で人口増加を当て込んだ大規模小売業は、トンネル崩落とともに真っ青になって姿を消すしかないのではないか?



 今日、ネットを眺めていて、神宮外苑の100年間手つかずの素晴らしい森が伐採されたり、近隣のマンション建設によって、世界有数のイチョウ並木が枯死の危機に晒されているというレポートを見つけた。



 坂本龍一が最後まで中止を訴えた「神宮外苑森林伐採・再開発」の元凶は森喜朗! 萩生田光一も暗躍、五輪利権にもつながる疑惑 2023.04.0

 https://lite-ra.com/2023/04/post-6270.html



 イチョウ並木が危ない 始まりは五輪利権 4月6日

https://tanakaryusaku.jp/2023/04/00028627



 この問題も何回かブログに書いている。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6016558.html



 いずれも、原因は、森喜朗や小池百合子と結託した不動産業者たちが、五輪利権の延長で、都民にとって大切な森を利権のために破壊している構図なのだが、私は、こうした報告を見ながら、「もう東京は終わりなのだ」と感慨を持たざるをえない。



 「人々はタワーマンションに住みたがっている」という前提で、残り少ない、都心にある人々の憩いの森を破壊してまで金儲けのタワマン増築路線を突っ走る業者たちを見ていると、最初に述べた、リニアをアテにして我が街に押し寄せている小売業者たちと同じ強欲を見る。



 あたかも、都心部のタワマンに価値があるかのような玉川徹の発言には、本当にがっかりさせられた。こんなことを言うようでは、玉川は原発推進に転じるのではないかとさえ疑ってしまう。 https://article.yahoo.co.jp/detail/b0437aea05127b705041104d24ed200d02625992



 玉川もまた、日本社会が衰退滅亡に転じていることに気づいていない。

 そもそも、自分たちの憩いの原点である森を破壊して商売を拡大するという行為が平然と行われることは、その街が崩壊することの予告だと私は思う。

 その社会が崩壊する前に、住人たちは、自ら街の歴史を作ってきた大切なものを壊し始めるのだ。



 きっと東京は、これから急速に壊れてゆくのだろう。

 出口王仁三郎は、東京に核攻撃がもたらされると予言した。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5912885.html



 昨日墜落した宮古島の自衛隊ヘリは、中国によるロケット攻撃だとの噂がネットを駆け巡っているが、もし事実なら、日中戦争の初弾ということになる。

 こうなれば、第三次世界大戦に向かって、世界中が突っ走ることになるだろう。

 やがて、日本列島への核攻撃も行われるだろう。

 日本という国は、滅亡に向かって雪崩落ちてゆく。しかし、日本に住む人々が途絶えることはないと私は信じたい。