在日者の非常に多い名古屋市中村区で育った私は、子供の頃から、在日朝鮮・韓国人との関わりが多く、差別の実態を思い知らされてきた。
また、小中学校で、私は同級生の在日者子弟から激しいイジメを受け続け、生涯にわたるトラウマを抱えている。
さらに、東京で反戦活動を行っていたときは、高田馬場での立ちんぼ仕事から在日者の経営する解体工事屋で働いたこともあった。
このとき、戦争中の朝鮮問題について茶飲話を聞いて強く記憶に残っている。
だから、普通の日本人よりは肌身感覚として在日差別の実態を知っている方だと思う。
現在、慰安婦強制連行問題、強制徴用問題では、ほとんどの若者が韓国左派勢力による捏造だと認識していることは、ネットYouTubeの朝鮮半島問題コンテンツから鮮明に見える。
それは一部事実なのだが、私は、朝鮮半島問題を自分の体験を通じて知っている分だけ、今の若者たちとはかなり違った認識を持っているので説明したい。
私は、若い頃から、日本人による朝鮮・韓国人差別の実態を目撃してきた。
また、北海道の雨竜ダム問題や炭坑労働者問題をたくさん学んできたので、強制徴用者に対して凄まじい虐待と虐殺があった事実を知っている。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828100.html
また、子供の頃から周囲で見られた朝鮮人蔑視も肌身で知っている。
私の子供の頃から若い頃の、1960~70年代のことを思い出すと、まず在日者と部落出身者に対する、今では想像もできないほど激しい差別意識があったことを、どうしても言っておかねばならない。
今はもう存在しない私の実家は中村区で、いわゆる「被差別地域」にあった。
近くには烏森(カラスの森)という地名や万場(よろずの場)という地名があった。百メートルほど離れた惣兵衛川という用水脇には未解放部落があって、子供の頃はいつでも川で毛皮をなめす人がいて、ホルモンを焼く良い臭いが漂っていた。
未解放部落とカラスの森は、そこが江戸時代に処刑場だったことを意味している。私は図書館で記録を探したが、なぜか地図や記述が空白だったことに驚かされた。歴史資料に地名さえ出てこない。
1960年代の部落問題糾弾の嵐のなかで、未解放部落に関する一切の資料が削除(廃棄)されていたのだ。それは触れてはならない漆黒の闇に変わっていた。
我が家も地図の空白地帯のなかにあった。
だが、たぶん1980年代くらいまで、明治の差別時代に生きていた人たちの証言によって、そこに何があったのかを知ることができた。
やがて、その地域に住んでいる人に対する呼び名を知った。それは「四つ」というものだった。四つとは四足の獣を意味する言葉で、部落出身者に対する名古屋地方の差別用語だった。
我が家が、中村区のその土地に居を構えた理由は、父親が国鉄名古屋機関区のSL運転員で、職場から徒歩10分程度で通える、地価が異様に安い土地だったからだ。田んぼを購入し、機関区仲間の手を借りて、石炭残滓を埋め立てて土地を造成した。
石炭殻にはヒ素が含まれているので、たぶん井戸水に混入した影響によって、水道が整備されるまで家族には病気が多発した。
私は、通った学校で、ひどくイジメを受けた。それは、たぶん私が住んでいた地域と関係があり、私はいじめっ子によって「四ツ」と呼ばれたのだ。
だが、そのいじめっ子たちは、実は、大門という赤線に寄生する在日者暴力団の子弟だった。後に、同級生が殺人罪で無期懲役になっていることを知った。
私の若い頃の記憶をたどると、当時の日本社会は、かなりひどい権威主義社会で、家柄とか財産とか地位がものをいう社会だった。
在日者は部落民とともに、ひど差別を受けていた。就職を受け入れてくれる企業は、同じ在日系でなければ土木関係、飲食水商売関係など限られていた。ただ芸能・スポーツ関係は、昔から「河原者」と呼ばれた被差別者の仕事だったので、日本の代表的な芸能スポーツ人には、在日者・部落出身者が多く、もしも在日者がいなければ業界が成立しないほどである。
例えば、プロ野球には金田正一、張本勲以下、プロスポーツでは力道山、大木金太郎以下、芸能界では五木ひろし、都はるみ以下、まず日本を代表する実力者の半分くらいではないかと思う。
全国の遊戯産業や土建産業、夜の街、水商売の半分以上もたぶん在日者で、ついでにいえば、暴力団の8割がそうだと公安調査庁幹部が発言している。
山口組も篠田組長以外の幹部全員が在日といわれている。
逆に、一般社会では、在日者や部落民を差別意識で嫌悪する人が多く、在日者は肩身の狭い思いを強いられていた。
在日者を「チョン」とか「チャンコロ」と蔑称する者も多く、在日者は社会の底辺でしか生きてゆくことができなかった。
こんな価値観が、1900年前後、李朝崩壊時に、朝鮮半島から大量の移住者がやってきてから、日本人のなかで一般化してしまったのだ。
最初にやってきたのは崩壊した李朝官僚たちで、彼らは、秀吉が連れ帰った陶工たちの里に住むことが多かった。田布施や加世田もその1つだ。
次に日本が朝鮮を正式に併合してからは、朝鮮の被差別民である白丁の人々が差別と蔑視を忌避して移住してきた。
彼らは、日本敗戦後、爆撃で荒廃した土地に多く住み着いた。中村区もその1つだ。
朝鮮人が日本庶民から蔑視された理由で思い当たるのは、大正昭和期は、ほとんどの庶民が銭湯を利用していたので、入浴文化が日本と異なり、サウナに入って川で体を洗う朝鮮式の習慣を日本でも行った在日者が、湯船を体を洗う在日者を嫌悪したことがあった。
関東大震災直後、六千数百名の在日者が東京で自警団によって虐殺されたのは、そんな在日者嫌悪感が原因だったという指摘もある。
こうした文化習慣の違いが激しい差別意識を生み出し、大量殺戮と在日差別を生み出していたから、太平洋戦争でも、戦時徴用を受けた朝鮮人に対する差別意識には凄まじいものがあった。
だから、「日本人は朝鮮で良いことをした」という今の日本賛美コンテンツの氾濫の裏側に、凄まじい虐待と人権侵害があったことを私はよく知っている。
だから、私は、「慰安婦問題の真実」というとき、当時の朝鮮人女衒が朝鮮貧しい婦女子を「良い仕事がある」と売春に連れ出した事実を、在日者から直接聞いていると同時に、今の韓国左派が言う通りの「日本軍による強制連行」や性的虐待があったであろうと推察せざるをえないのだ。
それは雨竜ダムや新宿戸山の731部隊跡地に埋められた大量の朝鮮人遺骨が真実を訴えている。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827395.html
朝鮮人 従軍慰安婦問題などについて 2009年08月18日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1420631.html
上の記事は14年前に書いたもので、当時はまだ日本人の朝鮮人差別や虐待について強く憤っていた時代のものだ。
最近では、北朝鮮の指示を受けた韓国左派勢力と両班階級残党が共謀して、反日運動に慰安婦問題を利用してきたことが次々に暴露され、韓国人の主張の嘘を意識するようになっている。
韓国における反日運動の多くに、北朝鮮による工作を示す事実が明らかにされつつある。
https://www.youtube.com/watch?v=PbaPIzsLwiU&ab_channel=%E6%97%A5%E3%83%86%E3%83%ACNEWS
これによって、「日本が朝鮮併合時に人権侵害の悪事を働いた」という韓国世論の嘘が暴露されているのだが、一方で、雨竜や戸山の遺骨が、「日本もひどいことをした」という事実を永遠に告発し続けている。
https://www.sasanobohyo.com/kokenji
そもそも「強制徴用など存在しない、すべて有償自発労働者だ」という説明はひどい嘘だ。
私の母親は、戦時中、17歳くらいのときに、新潟で半強制徴用に遭っている。軍需工場に無理やり駆り出され、航空機製造などの下働きをさせられたのだ。
日本人の大半が強制徴用されているのに、兵役を免除された「日本国民」である朝鮮人が平和な生活に放置されているはずがない。
日本は現在価値で数百兆円のインフラ投資を朝鮮に対して行ったのだから、住民が戦争に際して放置されるはずがない。
当然、「日本人としての義務」として強制徴用に遭ったことは間違いないのだが、しかし、それは在日朝鮮人を蔑視して、関東大震災で6000名の在日者を殺戮してみせた日本社会に送られたとき、いったい何が起きるのか? 容易に想像がつくはずだ。
最悪のケースが、人体実験による殺戮で知られた731部隊の跡地に埋められた朝鮮人遺骨の山だった。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827631.html
だから、私は、現在のネット情報、YouTubeコンテンツの主流である「日本は朝鮮で良いことしかしていない」かのようなデマ情報に対して、何があったのか、自分の目と足と頭で調べるよう、若者たちに促すために、この文章を作った。

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