大家族生活 その1 白川郷 2010年02月06日

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 辻パイプオルガン工房で知られた白川町黒川出身の百歳になった祖母が先日、逝去した。

 このとき、老衰で動けない私の両親や、遠方居住の兄弟姉妹に代わって、親身になって世話を焼いていただいた親戚がいた。

 祖母の甥の嫁にあたる縁戚女性であった。痒いところに手が届くような素晴らしく献身的介護をしていただき、心から感謝するとともに、一方で、失礼ながら、彼女は、どうして、これほどまで人に親切にできるのか、民俗学的興味も湧いていた。



 彼女は合掌造りで知られた白川郷で昭和初期に産まれた。岐阜県には北の白川村と南の白川町がある。白川神道のご縁でもなさそうだが、不思議な因縁で祖母の甥と結ばれることになった。

 彼女の実家も荻町に近い合掌造り、医師の家だったらしいが、あの平沢勝英とも血縁があるらしい。

 白川郷出身者は、医師や牧師が多いという。他人を救うような職業だ。終生クリスチャンだった祖母の最期を看取り、葬儀ミサを行ってくれたのも、親戚筋の白川郷出身、木下牧師であった。



 白川郷は、1930年代末に、ナチスの迫害を逃れて日本に亡命したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの著書『日本美の再発見』のなかに、『この辺の風景は、もうまったく日本的でない。少なくとも私がこれまで一度も見た事のない景色だ。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ。』と紹介され、その僻遠さもあって、秘境マニアの聖地となった。

 

 もう一つ、白川郷を世に広く知らしめたのは、柳田国男である。柳田は、明治42年の旅行の紀行を「北国紀行」と「秋風帖」の両方に書いているが、秋風帖から遠山家に関する部分を抜き書きしてみよう。(6月4日、遠山喜代松氏宅で昼食をとったと北国紀行にある)



 【御母衣にきて遠山某という旧家に憩う。今は郵便局長。家内の男女42人、有名なる話となりおれども、必ずしも特殊の家族制にあらざるべし。

 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。

 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。

 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。

 里の家は皆草葺の切妻なり。傾斜急にして前より見れば家の高さの八割は屋根なり。横より見れば四階にて、第三階にて蚕を養う。屋根を節約して兼ねて風雪の害を避けんために、かかる西洋風の建築となりしなるべし。戸口を入れば牛がおり、横に垂れむしろを掲げてのぼれば、炉ありて主人座せり。】引用以上



 白川郷は、日本における代表的な大家族制度の村であった。ここでは一軒の家に42名の男女が居住していたと書かれているが、70代後半の親戚女性の記憶では、すでに大家族制度の思い出がほとんどない。

 

 すでに戦前、白川郷における大家族居住習慣は崩壊していた。それは、おそらく、徴兵制と学校教育により外の世界の情報が知られたことにより、戸主以外の男女が封建的束縛を受ける不条理な因習に対する反感が満ちていたせいであろう。

 明治の繊維産業勃興により、飛騨の女たちは「女工哀史」で知られる信州岡谷周辺の紡績工場に出稼ぎに連れ出されるようになり、苛酷な重労働でありながら、賃金労働と自由の片鱗を知っていった。

 とりわけ白川郷の女たちにとって、監獄的奴隷労働とさえ言われた紡績女工の仕事でさえ、故郷の毎日の生活を思えば、苦痛とも思えなかった。

 紡績女工は一日の拘束が14時間とも言われたが、白川郷の娘たちは、一日18時間もの、物心ついてから死ぬまで続く、プライバシー皆無の拘束労働を強いられていたからである。



 とりわけ、江戸時代中頃、養蚕産業が白川郷に持ち込まれてから、戸主夫婦以外の同居人たちは、あたかも奴婢のような存在となった。人生のすべてを奴隷労働に費やす悲惨な境遇に置かれた。

 冬期、積雪により、半年近くも外部と隔絶される苛酷な自然環境、狭い住居に数十名もの男女が同居するため、彼らは何よりもプライバシーに飢えていた。

 娘たちは高山の酒造・紡織産業が起こると、それに憧れて勝手に出奔するようになり、戦前には大家族が廃れていたのである。



 白川郷の由緒は、「平家の落人」といわれているが、山下 和田 小坂 新井 松古 木下といった名字から考えると、隣村の五箇山ほど確実性はない。しかし、鎌倉仏教勃興期、親鸞・嘉念坊善俊・赤尾道宗らが、この地方に真宗を布教し、大規模な拠点としていた歴史がある。

 平安時代以降、江戸時代までの日本では、権力の支配を受けない自給自足共同体が、むしろ都に住むよりも暮らしやすかったと考えられ、深い山々と豪雪によって隔絶された白川郷には、真宗がもたらした思想学問もあり、むしろ、桃源郷のような、穏やかで素晴らしい生活拠点だったのではないだろうか。



 この白川郷の住民を苛酷労働で苦しめるようになったのは、戦国時代、この気候風土が煙硝を製造するのに適していることが知られてからである。

 それは加賀藩前田家の領地であった五箇山で始まり、白川郷に伝播した。民家の縁下に屎尿と青草を積み上げておけば硝酸カリの結晶が採集できることが知られ、ポルトガル商人からの高価な輸入に頼らずとも、自前で鉄砲火薬が製造できることになり、各藩は目の色を変えて、この製造を強要することになった。



 それまで、あまりの山深い僻地ゆえに見返られることもなかった、この地がにわかに宝の山となり、高山藩も加賀藩も合掌村落住民たちに極秘の重労働を強いるようになった。

 白川郷のような大家族生活は、平安〜室町時代の田舎では決して珍しいものではなく、鎌倉時代に領地を与えられた「一所懸命領主」の館では、ほとんどの一族・使用人(兵士・小作人)が大きな家で共同生活をしていたと考えられる。

 ただ女性の生理や妊娠・出産といったイベントを「穢れ」として嫌った(血にまみれるため)男たちによって、別棟を建てて住まわせたことから、徐々に、戸別生活が拡大したと考えることができる。

 ところが白川郷では、5メートルもの積雪があり、合掌家屋以外での生活が不可能だったため、遅くまで大家族共同生活の習慣が残ったのであろう。



 江戸時代、家康による民衆統治システムの要であった「五人組制度」により、そうした集団生活がバラバラに切り離され、一夫一婦制度が持ち込まれるまで、日本各地に、多夫多妻制度に近い共同体生活が残っていた。

 本来、一夫一婦制度を必要としたのは、我子に権力や財産を相続される必要のある武家階級や上流階級だけであった。妻が自由に誰とでも寝たのでは、我が子の特定ができなくなってしまうから、厳重な一夫一婦制の束縛を持ち込む必要があったのだ。



 ところが、一般庶民、地位のない農民にとっては、受け継がせるべき財産も権力もなく、ただ男女の自然な営みにより、勝手に子が産まれ、それを、みんなの力で育てるというスタイルで十分であった。

 これは極めて効率的であり、困ったときも、即座にみんなの力を借りられるから、楽しい気楽な共同体生活を送ることができた。

 このため、江戸期まで「持たざる民衆」の多くが、そうした共同体スタイルで生きていたと考えられる。それを、年貢納税管理のために「一戸独立」と「五人組連帯」制度を強要したのが家康であった。

 したがって、江戸時代以前の、自然環境の苛酷な地方では、白川郷のような巨大家屋による大家族共同体システムは決して珍しいものではなかった。むしろ、共同体なくして過疎地方の生活は成り立たなかったと考えるべきだろう。



 白川郷は、硝煙製造要求と苛酷な自然環境に加えて、深い山々に囲まれた狭い土地のため、分家が困難であったことなどにより、効率的な大家族共同生活を強いられてきたのである。

 だが、先に述べたように、村人たちは藩の要求により煙硝製造・養蚕などの激務を強いられるようになり、苛酷な生活に苦しむようになった。そこに文明開化がやってきて、明治、徴兵と学校教育が持ち込まれるようになり、他所の生活事情が知られるようになると、奴隷労働に甘んじていた下層生活者たちは、自由の天地を求めて高山や諏訪・岡谷、日本海沿岸などに飛び出すようになり、大家族生活は実質的に崩壊していったのである。



 だが、千年近い大家族生活で育まれた価値観は簡単に廃れるものではなく、合掌造りにたくさんの人が住まなくなっても、助け合い生活の風土風習が残ることになった。

 大家族ではプライバシーが損なわれるのは事実だが、一方で、上に引用した秋風帖に柳田が述べているように、白川郷に住む人々にとって「孤独」という概念は存在しなかった。

 その人生の価値観は「一人はみんなのために、みんなは一人のために」であって、「人助け」こそ人生最大の喜びであった。



 冒頭で述べたように、白川郷出身者たちは「人助け」が大好きだ。

 「人を助ける」ことを人生最大の価値と認識しているのである。だから医者や牧師になる人が多い。あの平沢勝英も、最初は警察官として人助けを目指したのだろう。(現場の警官よりも警察官僚になってしまったことが、躓きだったが・・・)

 それは、大家族共同体生活のなかで育まれた価値観なのである。もっとも、世界文化遺産に指定されてから観光産業でボロ儲けの味を知った村人が増えてから、白川郷の人情も変わったといわれることを苦言として添えておかねばならないのが残念だ。(昨年、久しぶりに訪れたとき思い知らされることになった)

 余談ながら、白川郷同様、山深さ、僻遠さではひけを取らない『遠山郷』には、まだ人情が風化せずに残っていることを書き添えておく。風化は「カネの風」によるものだから。

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  大家族生活 その2 客家

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 かつて我々は、山と海、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。だから、それは等しく自然を分け合う、分散した大家族生活であった。都市を必要としない生活スタイルであった。

 だが、賃金労働が自然の恵みに頼らない生活スタイルを生み出し、集中しながら、互いに孤立した小家族を要求してきたのである。すなわち、効率的に稼働する工業生産のための都市を求めたのである。

 したがって、小家族の必然性、命脈は資本主義の崩壊とともに消え去ることを理解する必要がある。すなわち、都市は、資本主義生産とともに消えゆくということを。



 賃金労働という頼りを失った我々に残された唯一の延命手段は、信頼のおける仲間たちと団結し、昔のように、自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかないと繰り返し指摘してきた。

 みんなで助け合って暮らせば、一のものを十にすることができる。十のエネルギーを費やしてきたものが一の力で可能になる。



 どういうことかというと、孤立した小家族の場合は、三人であっても冷蔵庫や洗濯機をはじめ、あらゆる生活機器を一軒に一台以上必要とするわけだ。しかし大家族で住めば、冷蔵庫も洗濯機も数十名に一台あればよいことになり、小家族生活が、いかに浪費に満ちていたか理解できるはずだ。

 それどころか、子供の面倒を見るときでも、調理をするときでも、介護をするときでも、洗濯をするときでも、小家族では、一人の母親が、すべてを行わねばならず、極めて重労働であったものが、大家族では、それぞれ任務を分担してこなすことができて、あらゆる生活が実に効率的であって、経費も労力も数分の一になるということだ。



 小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だから生きるための労力が大幅に軽減される。だが、それよりも、はるかに重要な本質がある。「大家族にはプライバシーがない」と心配している方に、この本当の意味は、「大家族には孤独がない」と言い換えていただきたいということだ。

 大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。



 人は一人では決して生きられない。みんなで助け合い、支え合ってこそ、人生が成り立つのである。

 我々は資本主義に洗脳され、小家族で対立し、他人を羨み、見栄を張るだけの利己主義的な競争生活に慣らされてきた。しかし、大家族では、見栄など何の意味も持たない。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」 つまり、他人を大切にする利他思想だけが大家族を支えてゆく。

 そこには競争から生まれる人間疎外もない。あらゆる人間関係の苦悩から解き放たれ、他人に対立する自我、利己思想も消えてゆく。そうして、共同体の一部品としての人格が成立するようになる。



 しかし問題点もある。

 、共同体の構成員が増えすぎたとき、みんなの目が行き届かない死角が増えて、人間疎外が発生し、団結を崩壊させる腐食が起きることになるからだ。

 だから、共同体には適正人員というものがある。それは、おそらく数十名、多くても百名程度であろう。

 それ以上に増えたら、内部に落ちこぼれとともに、突出した権力者や生活格差が発生し、平等や連帯が消える代わりに規則や束縛、制裁システムが成立することになる。こうなれば単に領主と農奴の関係になってしまうから、もはや共同体ではなく、予防のために分割させねばならないことになる。



 これは、1980年代までの日本社会が、戦後地方における農業共同体の倫理観、価値観の上に作られてきて、日本国家全体が互いを思いやる共同体という要素が大きく、世界的にもすばらしい社会性が成立していたわけだが、中曽根政権の誕生を境に、利己主義と格差が社会を覆い、規則や束縛が人々をがんじがらめにして人間性を矮小化させ、それが共同体利他思想によって成り立っていた日本国家を崩壊させていったプロセスを見れば、理解できると思う。

 すなわち、日本は差別・格差によって共同体を失ったために滅びているのである。



 共同体の適正システムというものは、長い共同体生活の歴史に学ぶ必要があり、我々は、世界各地にある大家族共同体から多くを学ぶことにしよう。

 先に白川郷について、少しだけ紹介したが、大家族の合理・不合理について研究しておくことは、これから子供たちの新しい未来を用意してやるために一番大切なことだ。



 世界に大家族共同体は数多いが、もっともよく知られた共同体は客家(ハッカ)であろう。

 中国に本拠を置いているが、台湾・ベトナム・フィリピン・タイ・マレーシアなど東アジアの多くの国に、数千年の昔から居住している人々であり、「華僑」の多くが客家であるともいわれる。



 客家は、漢族でありながら、どの地方語とも異なる彼ら独自の「客家語」を話すことから、何か特別な由緒を持つ民族であると考えられているが、その歴史を調べても、古代中国史に登場せず、はっきりしたことは分からない。

 しかし、彼らの大部分が、好んで山岳地帯に暮らしている事情が、その出自にヒントを与えているかもしれない。(客家語は唐宋北方中国語の古語といわれ、数字発音などが、現在の日本語の読みに近い)



 宇野政美が「客家は『失われた古代ユダヤ』である」と講演で主張している。

 その「移民性」の激しさ故に、ユダヤ人・アルメニア人・インド人(印僑)などとともに、」『世界四大移民』 『流浪の民族 『中国のユダヤ人』などと表現されることがあるが、古代ユダヤとの関係は、今のところはっきりしない。

 しかし、中国には開封という地域にユダヤ社会があったと記録されていて、これが客家であったという記述も最近知った。(客家研究者、高城桂蔵が、北宋時代に客家のユダヤ人移民が開封におり、皇帝が7つの姓を与えたと書いている)

 筆者は宇野の主張に不信感があったが、考え方を改める必要があると思いはじめている。



 客家について、はっきりと言えることは、恐ろしく教育水準が高く、中国と周辺諸国で歴史的な指導者を輩出し続けてきたということである。

 ごく一部を挙げても以下の通りである。

 洪秀全・孫文・朱徳・眷小平・リー・クァンユー・葉剣英・コラソン・アキノ・李鵬・朱鎔基・胡耀邦・楊尚昆・台湾の宋一族など、 歴史上の人物でも、唐の張九齢・王陽明・徳川光圀の師であった朱舜水など、あまりにも多すぎて、とても書ききれない。言い換えれば、中国の歴史、権力史を作り出してきた核心に客家がいる。それどころか、台湾の宋一族はシティグループの実質的なオーナーとも言われており、世界金融資本の黒幕といっても過言ではなさそうだ。



 どうして、これほど教育熱心なのかといえば、共同体の結束が固く、すべての子供たちが、「個人の子供」ではなく「みんなの子供」という認識が成立していることが大きい。

 客家には「円楼」という丸い砦のような建物に数十家族が共同生活をする民俗風習がある。

 これは、古代中国から現代に至るまで、中国では、問題が起きると、帰属する氏族結社(中国人は政府を信用せず、身内結社に頼る)に解決が委ねられ、話し合いがつかないと「械闘」という戦闘争議が起きる風習があり、他の結社に襲われて一夜にして一族が殺されるといった氏族間戦争が珍しくなかったことから、襲われても籠城戦に持ち込めるように、氏族ごとに頑強な城を構築した習慣によるものだ。

 とりわけ客家は、その言葉の意味が「よそ者」であるように、地方社会で疎外、攻撃の対象になりやすかったので、こうした生活スタイルが定着した。



 この円楼の周囲が数階建ての居住区で、真ん中が広場になっていて、共同体のすべての仕事が、すべての構成員に、一つの隠し立てもなく見える仕組みになっている。

 このことが、円楼居住者の平等感と連帯感を生み出した。居住者は、すべて同じ条件の部屋に住み、すべて、分け隔て、隠し立てのない行事に参加する。共同生活のすべてが見えて、平等に参加できる仕組みである。



 こうした差別のない生活がもたらす思想は、徹底した連帯感と利他主義である。

 居住者のすべてが疎外感を感じず、平等感を満喫し、同じ円楼に住む者は、血肉を分けた兄弟よりも親しく、愛情を抱くことになる。



 これが客家の驚くほど高い教育水準を産んだ。

 「わが円楼の子供たちは、すべて自分の子供であり、子供たちのために最高の未来を用意してやりたい」 と居住者は考え、できる限りの教育環境を用意し、また進学援助を惜しまない。

 これが、客家が世界最高の人材を生み続けてきた秘密である。

 孫文も眷小平も葉剣英も朱徳も、こんな客家の利他思想に育まれ、自分が周囲の大人たちからもらった恩義を、国家に奉仕することを通じて返すための努力を続けた。

 客家は利他思想の故郷であり、ゆりかごであった。



 実は、筆者の新潟の従兄弟の嫁さんが台湾客家の出身で、やはり、徹底的な利他主義で、実に外向的で親切な人だ。

 しかし、出身一族の利益に奉仕することも、夫に奉仕する以上であった。出身客家が訪れると、その接待費用が嵩むのに音を上げていたというのが本音だ。

 身近にいる白川郷出身者も客家出身者も、内向的な姿を見たことがなく、徹底的に明るい人たちだ。そして実に親切、他人の世話を焼くことに生き甲斐を感じている。

 大家族で生活すると、人は、このように利他思想を身につけ、明るく親切な人間性になる。



 逆に、閉鎖的な小家族で育った一人っ子は、ほとんどの場合、唯我独尊、自分の思い通りにならないと面白くなく、すぐにヒステリーを起こしたりして、他人の迷惑行為をすることが多い。

 これは、子供たちの育て方が根本的に間違っているからであって、子供は大勢のなかに投げ込んで、たくさんの人たちに祝福され、抱かれ、愛され、それによって人見知りをせずに利他思想を自然に身につけることが、最高の素晴らしい人生を約束されるのである。

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 大家族生活 その3 母系氏族社会 2010年02月10日

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 白川郷では、かつて一戸に数十名の男女が共同生活する民俗習慣があった。独立した一戸における大人数家族の生活スタイルは、どのようなものだったのだろう?



 かつて、白川村に大家族生活が存在した時代では、戸主夫婦以外の男女は、もちろん兄弟姉妹・叔父叔母・甥・姪などの血縁であり、近親交配の悲惨な結果も、先祖から伝わる経験則のなかで十分に理解されていたはずだから、戸内家族間での性交は戸主夫婦が専用個室で行う以外もちろん許されなかった。



 大きな広い戸内であっても、寝場所は意外に小さく、デイ(男部屋)チョウダ(女部屋)は、それぞれ10畳ほどしかなく、ここに20名近くが寝ることもあったようだ。

 これは、人の目が行き届かないと、男女の間違いが起きるという用心が働いていたのだろうことと、極寒の土地なので、寄り集まって寝る必要があったのだろう。当然、プライバシーなどカケラもないが、慣れれば、それを不快と感じる者も少なかったようだ。



 正式に婚姻できるのは戸主のみでありながら、健康な男女の性欲まで封じ込めることなどできないから、家の者たちは他の家の男女と交際し、婚姻せずに肉体的に結ばれることになった。

 男女の性交は、離れた田に作られていた農作小屋や、夜這い用に設けられた小さな出入口(にじり戸)から、示し合わせて、二階や三階の小部屋に行ってすませていたようだ。

 男女の関係は固定することが普通だったが、婚姻の束縛がないため、比較的、自由に相手が変わったようだ。しかし、「男が女を捨てる」場面では、家族の女たちから一斉に口を極めて罵られたと記録にある。



 他に楽しみもない深い山里のため、みんなせっせと子作りエッチに勤しんでいたため、なかには十名近い子を産む母もいた。

 こうして産まれた子は、すべて「家の子」として育てられ、父親側には帰属せず、母の家に帰属することになった。

 こうした男女関係を民俗学では「妻問婚」と呼んでいる。



 【ウィキ引用:妻問婚とは夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られる婚姻形態で、普通、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続する。 かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、古代日本人など。

 彼らの家には幾つかの区切りがあり、女性達は共同の広間と自室を持っていて、夫は夜間にその部屋に通う。一人の女性に複数の男性が通うことも多く、結果、女性が妊娠した場合は、遺伝上の父親(ジェニター)ではなく一族の長である女性が認めた男性が女性の夫、子供の社会的な父(ペイター)となる。子は母親の一族に組み入れられ、妻の実家で養育される。社会的な父には扶養の義務があり、畑仕事などで一家を養う。



 男系社会における妻問婚

 古代日本は基本的に一夫多妻制の男系社会ではあったが、財産は女子が相続し、社会的な地位は男子が相続する形態を取っていたと考えられている。基本的に、女子は社会的地位(位階)は夫に準じ、経済力は実家を引き継ぐが、男子は社会的地位は父に準じ経済力は妻の実家に準じる。女子の後見人は兄弟や一族の男性であり、男子の後見人はやはり一族の主だった男性である。】引用以上



 ウィキ引用に指摘されているのは、妻問婚には母系と男系の二つの様式があるということだが、白川郷の場合は後者になる。

 すなわち、中世封建領主(内ヶ島氏)の荘園として拡大した白川郷にあっては、戸主は大領主に帰属する小領主であって、年貢・軍役などの義務、財産を相続するのは男系男子であった。

 しかし、内ヶ島氏が登場する以前は、真宗門徒の自治的な地域であった可能性が強く、室町時代以前頃までは、おそらく母系氏族社会であっただろう。



 母系社会にあっては、家を支配する家長は母親であり、権力・財産を相続するのも母の血統である。このことの意味は、束縛のない自由な性交が許される環境ということだ。

 婚姻による束縛のない自由な男女関係にあっては、父の子を特定することはできず、母の子だけが特定されるため、必ず母系氏族社会になる。また、分散した小家族で暮らすよりも、はるかに効率的な大家族生活を好むようになる。



 したがって、人類の権力史が始まる以前、草創期の大部分が母系氏族社会であったと考えられる。男系社会が登場するのは、男の権力、財産、すなわち国家の登場と共にであった。男の権力・財産を相続させるために、母を束縛する男系社会が成立したのである。



 父の財産と権力を、父の特定された子に相続させようとすれば、母親を家に束縛して貞操を要求することになり、小家族の方が束縛に都合がよいため大家族生活など成立しない。

 大家族共同体生活は、もっぱら母系氏族社会の生活様式である。白川郷に大家族生活が残ることの意味は、実は、中世に至るまで、母系氏族社会の本質を色濃く残していた地域ということがいえよう。

 早い時期から男系社会になっていれば、妻を束縛しにくい大家族は廃れ、小家族になりやすいのである。



 世界に、同じような妻問婚と母系氏族社会の伝統を残している地域がいくつかある。なかでも、テレビ番組取材などで取り上げられて知られた地域には情報が多い。



 【モソ人:http://blog.livedoor.jp/open_eyes/archives/cat_322581.html

 雲南省と四川省の境界線上に位置する「秘境」濾沽湖付近にのみ居住する「モソ人」と呼ばれる人々がいる。人口は約1万人で、人数的には民族と扱いうるが、「族」を形成するだけの勢力を持たないため、正確な表記は「モソ族」ではなく、あくまで「モソ人」とされる。公式な少数民族の中にその名を見つけることはできない。



 モソ人は系統的には雲南省の麗江地区を生活拠点としているナシ(納西)族から枝分かれした一派といわれているが、ナシ族とは明らかに異質な文化や風習を持つ。中でも特徴的なのが、「通い婚」という結婚形態だ。



 これは男性が必要な時だけ妻のもとに訪れるという慣習。「通い婚」は「アシャ(阿夏)婚」ともいう。「アシャ」とは、モソ語で「親愛なる伴侶」という意味。男女とも成人になると、男性が金・銀・玉を贈り、女性は飾り物を返礼して交際をするようになる。

男性は妻と共に生活する義務はなく、昼間は実家で暮らし、夜になると妻のもとへと通う。妻と一夜を過ごしたのち、翌朝再び実家へ帰るという生活を繰り返す。



 モソ人の家族には、「父親」や「夫と妻」という役割は存在せず、また私たちが普通に考える「父と子」という関係も存在しない。父親である男性は「父」や「夫」ではなく単に「おじさん」と呼ばれている。子どもたちは生みの母親だけではなく、母の実家の全員で育てる。一家の家長は女であり、代々女が家を継いでいく。



 複数の男性と肉体関係を持つことに関して、モソ人の女性はオープンであり、兄弟で父親が違うことも珍しくない。「一夫一妻制」ではないため、「未婚の母」「私生児」「未亡人」という言葉も存在しない。



 家事も子育ても女性の実家まかせだから、男性にとっては羨ましいようにも思えるが、モソ人社会は「女の国」と呼ばれるほどの母系社会であり、家財などを管理するのも家長である女性の仕事である。立場の弱い男性は女性に頭が上がらないということらしい。】引用以上



 これを見ると、白川郷の大家族によく似ている。違うのは、白川郷では、すでに領主支配が確立し、徴兵・納税のために男子を優先させる男系家族制度が成立しており、家を支配し、財産を相続する家父長は、男性であり、戸主の長男が跡目を継ぐシステムになっていたということである。

 しかしながら、封建領主が登場する以前の白川郷では、引用したモソ族とほとんど同じ生活スタイルであったろうことが容易に察せられるのである。

 すなわち、大家族共同生活の伝統は、母系氏族社会の伝統である。



 【台湾アミ族:http://blog.katei-x.net/blog/2008/12/000721.html

●部族−氏族構成 ガサウ>マリニナアイ>ロマの三層構造で構成される。

・ガサウ:祖先or故地を同じくする集団≒同生地族

・マリニナアイ:具体的に系譜関係を辿れる範囲の自律的集団≒母系出自集団

・ロマ:集団の基本単位≒単位集団



 ●ロマの母系制規範 ロマの長は、多くの場合最年長の女性。ロマの家屋敷、田畑は家長が所有。財産は基本的には母から娘へと相続。姓も母系継承。首長などの地位は、母方オジからオイへと継承。基本的には婿入り婚規範。(※現在のアミでは、これらの母系制的な様相はほとんどみられなくなっているそうです)



 母親を「太陽(cidar)」と称す。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩帯びに付いた円形の貝殻、腰帯に付いた鈴などはすべて太陽である母親を象徴。歌の中にも母親という言葉が頻出。】引用以上



 アミ族は台湾原住民、高砂族の最大部族で、アニミズムの母系氏族社会を持つ。かつて日本が台湾を植民地化し併合していた歴史があることから、アミ族の人たちで日本に帰化し、完全に溶け込んでいる人も多い。

 筆者の昔の職場にもいたが、とても従順で、妻や母親など女性の意のままに支配される傾向があった。

 身体能力の高い人が多く、郭源治・陽仲壽・陽耀勲 などプロ野球選手を輩出している。台湾政財界にも多くの人材を送り込んでいる。



 母系氏族社会にあっては、男性権力を尊重することはなく、生理・妊娠・出産など女性の自然な営みを大切にする傾向があり、非常に融和的である。

 アミ族は、戦後まで「首狩り」の風習が残るほど獰猛ともいえるほどの台湾先住民社会にあって、唯一、そうした残酷な習慣を持たない部族であった。これも、家父長が母親であったことの属性によるものだろう。



 ドラビタ族・モソ族・アミ族も、すべて、とても穏やかで友好的な人たちであり、母系氏族社会では、男性の権力闘争や戦闘が少ないため、友好的で心暖かい人たちが多い。

 先に述べたように、客家では世界的な指導者を輩出し続けている。白川郷からも、「人を救う」ことに人生を捧げる人たちが輩出されている。



 他人の犠牲の上に、利己主義的な欲望を満たそうとする人たちは、決して大家族から生まれないのである。それは、人間疎外の上に築かれた小家族制度によって生み出されるのであり、たくさんの家族に祝福されて、暖かく育った子供たちが、戦闘を好み、利己的な蓄財や権力を好むこともない。



 我々は、小家族制度が生み出してきた矮小姑息な人間性と、大家族制度が生み出してきた、広い暖かい人間性の意味について、今、深く考えるべきである。

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 大家族生活 その4 小家族の破綻から大家族共同体へ 2010年02月16日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2332603.html

  転載なし

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 大家族生活、その5 ヤマギシ会 2010年02月20日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2348506.html



 日本の大家族、農業共同体の草分けといえば、100年近い前に、武者小路実篤らによって設立された『新しき村』であろう。

 これは現在でも埼玉県で農業を主体に実際に自立生活し、二十数名の参画者によって維持されている。

 

 同じ時代、1930年頃から、スターリンソ連で農業共同体「コルホーズ」が作られ、国家崩壊までの約60年間、共同体農業が展開されたが、共産党独裁による官僚主導の弊害で、一種の強制収容所、あるいは隔離所の様相を帯びていた。

 そこでは支配階級として君臨する官僚たちの利権を優先させ、参画者を家畜のように扱う体制から、人々は勤労意欲を失い、立派な計画はあっても収穫物は腐敗し、輸送も滞り、無気力と貧苦に喘いでいた。

 体制の観念的な屁理屈によって上から押しつけられた共同体計画が、どれほど、ひどい人権抑圧と人間性破壊をもたらすかの見本を示しただけの惨惨たる結果に終わったのである。



 同じ轍を踏んで、中国でも1960年頃から「人民公社」が計画され、中国全土に農業共同体が組織されたが、結果はコルホーズと同じく惨惨たるものになり、官僚権力の腐敗を加速させ、大躍進運動などで数千万人の餓死者を出したとも噂された。これは後の「文化大革命」によって、実権派・富裕層に対する凄惨な大殺戮の下地を作ることになった。



 我々は、『大家族共同体』が、官僚支配下に置かれたなら、必ずタテマエ優先によって人間性が崩壊し、人々が意欲喪失することで崩壊に至ることを、これらの例から、しっかりと記憶しておくことにしよう。

 それは底辺の生活者の要求から産み出されるものでなければならず、参画者全員の意欲を昂揚させる民主的自治に委ねられなければならないのである。



 日本では、資本主義的競争価値観が孤立化家族を産み出したことはあっても、それに逆行する大家族共同体を結成し、その良さをアピールする民衆運動は極めて少なかった。

 冒頭に述べた『新しき村』をはじめ、資本主義の弊害が目立ち始めた時代にアンチテーゼとして登場した大正デモクラシーや幸徳秋水・大杉栄らによる社会主義・アナキズム思想運動から、いくつかの試行錯誤が行われたにとどまる。



 また、1960年代に、小規模ながら、ヒッピー運動から派生した「部族共同体運動」(榊七夫らによる)が長野県富士見町などで営まれたこともあった。

 これらは、ただ一つの例外を除いて、ほとんど有力な勢力となりえなかった。

  その「ただ一つの例外」こそ『ヤマギシ会』であった。



 ヤマギシズムは、ちょうどイスラエルの入植者共同体「キブツ」が登場するのと時を同じくして1953年に登場し、この両者だけが、現在、数万人を超える参画者を有し、経済的に優位な自立的地位を獲得し、世界的に共同体として成功を収めている稀少な例である。(キブツは、現在では「工業共同体=軍事産業」に転化している)

 すでにブログでも何度も取り上げているが、筆者は、ヤマギシ会の本拠地である伊賀市が近いこともあり、これまで大きな関わりをもって見守ってきた。



 創立者の山岸巳代蔵(1901~1961)は、幸徳秋水の影響を受けたアナキストであったといわれる。元々、近江八幡市の篤農家であった巳代蔵は、養鶏と農業によるエコロジー循環農業を、おそらく日本で最初に主張し、実践した人物であった。



 今でいう『炭素循環農法』の理論を60年前に最初に確立したとも言えるだろう。その骨格は、ニワトリを自家飼料によって平飼いし、小屋内で発酵堆肥を作り、それを農地に返すというものであった。もちろん当初から農薬や化成肥料は逆効果と明確に認識されていたし、「手間のかからない安全で豊かな農業」を目指していた。



 「養鶏農業による勤労生活」こそが人間生活が目指すべき最大の価値と捉え、蓄財や権力の価値を否定し、私有財産制度を社会腐敗の根源と認識していた。

 しかし、一方で、当時の社会的価値観である「立身出世・末は博士か大臣か・世界に冠たる日本国家」の全体主義的思想から自由ではなく、一種の「優生保護思想」がかいま見えることが、後に大きな問題を引き起こしてゆくことになった。



 ヤマギシズムは、当初、思想運動の側面が色濃く、分けても、1956年から伊賀市柘植の春日山実顕地で行われた「特別講習研鑽会」によって、明確に「私有財産を拒否する農業共同体」、当時で言う「コミューン」思想を主軸に据えていた。

 1959年に「世界急進Z革命団山岸会」と改名し、非合法な監禁に近い洗脳工作を行ったとされ、マスコミなどから大規模なバッシングを受けることになった。

 この事件以降、「アカの過激派団体」と見なされることが多くなり、ヤマギシズムは一時的な停滞に陥った。(実際には、ヤマギシズムは共産主義とは何の関係もないが、日本の保守右翼勢力から激しく攻撃された。国家主義者は「共同体」という思想が気に食わなかったのだ。)



 筆者も、ヤマギシズムを初めて知ったのは1969年だったが、1974年に、この「特講」に参加している。

 このとき、ヤマギシズムの代表を勤め、特講の最高幹事だったのが新島淳良であり、奇しくも、彼は筆者が毛沢東思想に傾斜していた時代の教師ともいえる存在であった。



 実は、1960年代後半から燃え上がった「学園闘争・全共闘運動」のなかで、最期に赤軍派などの大量殺人が摘発され、一気に意欲消沈、運動が崩壊してゆくなかで、主役であった戦闘的な若者たちの多くが、こうしたコミューン運動に幻想を抱き、ヤマギシズムに共鳴して、参画していったのである。



 思想的オピニオンリーダーの一人であり、日本を代表する中国革命思想研究者だった新島淳良は、早稲田大学教授の地位をなげうって、全財産をヤマギシ会に提供し、一家で参画したのだった。(本人は死去したが妻や子供たちは、まだ参画している)

 当時、筆者も「ベ平連運動」に共鳴していた一人だが、ベトナム戦争での無意味な人殺しを拒否した在日米軍脱走兵などがヤマギシ会に匿われていたと記録されている。筆者自身は立川のローカル活動家であって、鶴見俊輔らと直接の交際はなかった。



 1980年代からは、資本主義の人間疎外に疑問を抱いた人たちから、農業コンミューンによる人間性回復、循環型社会のモデルとして受け入れられるようになり、世界最大の農業系コミューンとしての地位を確立した。

 現在、日本各地に32箇所、ブラジルやスイス・韓国などの日本以外の国に6箇所の合計38箇所の地に実顕地がある。(一部ウィキ引用)



 筆者はヤマギシズムに1980年前後から数年間、アルバイトとしてかかわり、その本質を観察した時期がある。

 すでに、この当時から、全共闘後世代の競争主義価値観に洗脳された世代の参画により、金儲け至上主義や盲目的な科学技術信仰による弊害が散見されるようになっていた。

 例えば、効率的生産のための農薬使用であったり、平飼いを根本原理とするはずのヤマギシズム養鶏にケージ飼育が持ち込まれたりと、思想の腐敗堕落を想起させるほどの深刻な改悪が持ち込まれているのを目撃し、ショックを受けた思い出がある。



 後に聞いた噂では、代表者がベンツで移動したり、国内食品大手との連携生産が行われたりと、まるで資本主義企業化に向かっているような情報が流れた。

 この間のヤマギシズムの崩壊については、以下のHPなどを参照していただきたい。ドイツなどでは「カルト宗教」として認識されているようだ。

http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/



 しかし、筆者が初めてヤマギシズムを訪れた1970年前後は違った。

 参画者はトタン製ドーム住居に住み、粗末で貧しい生活をしていたが、その表情、人相は光り輝き、筆者は、その人間性の素晴らしさ、粗末な衣服を身につけて化粧もしない女性たちの、あまりの美しさに感動を通り越して、完全に魅入られ、いつかヤマギシズムに参画したいと痛烈な意欲を抱いた。

 春日山で、ヤマギシの卵を初めて食べたときの強烈な感動を未だに忘れることができない。それは、薫り高く、素晴らしく味わい深く、体を癒すものであり、筆者がそれまで食べた食物のなかで真の最高峰であった。

 このときの感動が、筆者をして、いつかヤマギシ卵を自分で生産してみたいという強い志を抱かせたものだ。

 だが、それから十年後に訪れたヤマギシの卵には、かつての輝きが失われていた。女性たちは十分に輝いて見えたが、虚ろな影が漂いはじめていた。



 ヤマギシズムに現れた、さまざまの矛盾、問題の根源を追求してゆくと、創立者であった山岸巳代蔵その人の思想に行き当たる。

 以下、『百万人のエジソンを』から引用 http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/library/page025.html#lcn007



 【私はキリストや釈迦が遺した足跡を,直接見ていないから,後世の人達よりの,間接的資料から観たものに過ぎませんが,彼等は先天的に相当優れたものを,持って生れていたやに想像しても,間違いないと思っています。

 又あの人達でなく共,あれ等の人に劣らぬ人も,世界の各所に実在したと思いますし,その秀でた因子は,直子は無く共傍系にあったものが,現代の誰かに組み合わされて,伝承されてあるかとも思われます。

 今彼等と同じ又は,彼等以上の優秀な遺伝子を持って,よき機会に恵まれた人が,百万人一千万人と実在したなれば,世界はどんなに変るでしょうか。そして,白痴・低能・狂暴性・悪疾病遺伝子の人達に置換されたなれば,物心両面の幸福条件・社会風潮等を,如何に好転さすかに思い至るなれば,何を置いても,この人間の本質改良に出発せざるを得ないでしょう。後略】



 これを読むと、巳代蔵が明らかにヒトラーに類する優生保護思想、すなわち「人類は『優れたもの』を目指すべきだ」という発想が読み取れる。

 こうした「スグレ主義」を指標にしている思想運動は、必ず全体主義に陥り、循環型社会志向から逸脱し、「全人類の持続可能な再生産社会」を破壊する勢力となってゆく。

 ヒトラーナチズムはもちろん、旧日本軍も、オウム真理教も、三菱もトヨタも、果てはユダヤ勢力イルミナティも、すべて、その本質は優生保護思想であり「スグレ主義」であり、「自分たちは世界の支配階級であって、他の人類は自分たちに奉仕するために誕生した家畜に過ぎない」 とタルムードに明記された、愚かな全体主義に至る必然性を持つのである。



 だが、人類の本質は「スグレ主義者」たちが夢想するような完璧志向ではない。それは不完全であり、愚かさと賢さのヤジロベー運動であり、人が失敗し、自分の不完全さを思い知らされるための道程なのである。

 巳代蔵の思想に内在した「優生保護思想」の結果、無農薬有機農法、あるいは炭素循環農法を志向したはずのヤマギシズム農業に、効率最優先、金儲け主義などが持ち込まれ、農薬使用によって近隣の無農薬農家に致命的ダメージを与えるような犯罪的実態まで報告されるようになった。

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 大家族生活 その6 続 ヤマギシ会 2010年02月26日

http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2371533.html



 ヤマギシズムの本質は「私有財産の否定」である。

 参画者は、すべての私有財産を無条件に提供することを求められる。だが、近年、ヤマギシ会内部の矛盾によって、参画を断念し、離会した人たちから多数の財産返還訴訟が起こされ、最高裁による返還判例も定着したようだ。



 とまれ、これは参画者に運命共同体としての「背水の陣」を求めると同時に、人間共同体を紡ぐ糸が何であるのか、人が人生で頼るべき真実は何であるのか、思想哲学の原点を確立させるという意味が大きい。



 共同体を作るにあたって、『私有財産』が、なぜこれほど重要なのか?

 それは、エンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」のなかで指摘しているように、無私有の原始共同体社会のなかから「私有財産の成立と継承」というメカニズムによって疎外され孤立した家族を産み出し、共同体を崩壊させて国家に変えていった本質だからなのである。



 つまり、私有財産の蓄積を野放しにすれば、必ず、共同体内部に格差や妬み、差別が生まれて崩壊し、やがて、それは階級対立を産み出し、強い者たちが弱い者たちを組織の制度、武力によって利用し、支配する仕組みの大組織、すなわち人間疎外の国家が成立すると考えられるからである。



 ヤマギシズムは、その逆をやろうとした。すなわち、私有財産を消すことで国家を崩壊させ、孤立家族制度を破壊し、人間疎外のない大家族共同体に戻そうとしているのである。

 筆者が、当ブログで一貫して主張してきたことも、まさにこれなのだ。それは共産主義の本質でもある。しかし、誤解なきよう言っておくが、人類史上、共産主義が真に実現したことは原始社会を除けば皆無である。ソ連体制や中国は、共産主義とはほど遠いインチキまみれの官僚独裁国家にすぎなかった。これまで登場した「社会主義・共産主義」なるものは、ただの一度として差別をなくし、人間を解放したことなどないのである。

 これに対して、ヤマギシ社会は、個人の間に生まれる財産格差、差別をなくすことで、真の共産主義を目指したと言えよう。



 人類史のすべてにおいて、その始まりは無私有の母系氏族共同体であった。この共同体は、どうして崩壊し、私有財産を認めた父系社会の国家に変わっていったのか?

 それは、共同体全体が平等な構成員によって支えられた、「全体で一個の人格」だった時代から、分かち合うことのない私有財産が生まれ、特定の権力が発生することによって、共同体の団結が崩壊し、複数の人格、差別が成立していったことからはじまった。



 共同体社会とはいっても、人の能力には大きな個人差がある。ある者は肉体的に優れ、ある者は耐久力に優れ、ある者は頭脳に優れ、ある者は弁舌に優れるといった具合に、人には大きな個性の差異があり、このことによって、人間関係に優劣が発生することが避けられない。

 例えば、大飢饉が起きたとき、食料を発見したり、生産したりする能力に優れた者がいれば、共同体構成員は彼に大きな期待をかけ、その指示に従うようになり、権力が発生することになる。

 また、部族間戦争が起きたときなど、戦闘力の強大な者がいれば、やはり構成員は彼を頼り、従うようになる。



 おおむね、能力の高い者は、生理的に男子に偏ることが避けられない。なぜなら、女性には出産・子育てという巨大な能力を与えられており、男性は、それを支えて子孫を残す役目を与えられているわけだから。

 (このことが、男性が、どれほど望んでも決して得られない女性の圧倒的優位を与えていて、これに対する根源的コンプレックスが男系社会への渇望になっているメカニズムも知っておきたい)



 このようにして、構成員のなかで尊敬され、また軽蔑される序列ができあがり、差別の秩序が成立するようになる。これは猿のような動物社会でも同じ原理が働いている。

 そこで、部族共同体にはボスが発生し、権力が集中するようになる。このとき、ボスが一代限りで消滅するなら問題は起きないが、ボスに対する強い信仰(甘え)が成立するほどだと、権力が無条件にボスの子に引き継がれることが起きるようになる。「ボスは凄い」という信仰が人々を洗脳し、そうさせるのである。



 ボスの権威・権力・財産が、その子に引き継がれるシステムが成立するために、ボスの子を特定する必要があるわけで、そのためにボスと性交する母親は他の男と交わらないようにするため、厳格な貞操を要求されるようになる。

 これが貞操家族の起源であり、ボスの血統継承が目的なのだから、最初、必ず一夫多妻制として出発する。後に一夫一婦制が成立する事情は、虐げられる立場の女性の権利拡大要求が成功したからにすぎない。

 ボスの子がボスになる社会では、権力が血統によって継承される『王権』の成立ということになり、これが父系社会の成立であり、同時に国家の起源なのである。



 地上のあらゆる国家が、このメカニズムによって成立しており、国家の本質は、ボスの特権継承システムと考えて差し支えないだろう。したがって、すべての国家にボスが成立しており、ボスが消える社会こそ、同時に国家が消える社会である。ボスこそ国家の本質だ。だからこそ、天皇制と日本国が切り離せないわけだ。



 ところが、ヤマギシ社会では、このボスを消してしまった。

 ボス、すなわち指導部に「絶対者がいない」「無固定」というシステムが、ヤマギシ社会の核心であるとされた。

 また創立者、山岸巳代蔵の意図によって、指導部は統一されず、複数に分割された。中央調正機関と実顕地本庁で、これは同等の権限を持っていて、互いに暴走を監視し、補完しあうシステムといわれている。



 実際に、中央機関が金儲けの効率から、ヤマギシズムの本質をなす平飼養鶏を捨てて効率的なケージ飼育に切り替えようとしたとき、実顕地からの抵抗で阻止されたともいわれる。

 こうして、相互に対立することで、一方的な暴走が防がれる体制は、とても優れたものであると同時に、はるかに深い意味が隠されている。



 今、多くの人々が、世界大恐慌が身近な生活恐慌に深化するプロセスを毎日のように思い知らされ、それが、いつ自分に及んで、路傍を彷徨わねばならないときがくるかもと恐れているはずだ。こうした不安を、どのように解決するのか?

 おそらく、ほとんどの人たちが、筆者の主張しているように効率的な『大家族生活』を目指す必要があると考えはじめていると思う。



 その時期は、筆者は今年であると指摘してきた。いよいよ今年、仕事がなくなった者たちが孤立生活を捨てて、みんなで寄り集まって助け合い生活を始めなければならない時が来ている。

 それが実現できなければ、我々に残された運命は、飢えて路頭を彷徨い朽ちてゆくことしかない。



 このとき、すでに半世紀を超す経験を積んだヤマギシ会の歴史が、これから目指すべき社会について、たくさんの知恵を与えてくれるのだ。

 単に、集まって、みんなで暮らせば問題が解決するなどと甘いことを考えてはいけない。

 長い資本主義的価値観の洗脳のなかで、孤立し、対立し、制裁しあうような人間疎外の関係を当然と思いこまされてきた我々が、助け合って、支え合って生き抜いてゆく新たな価値観を獲得するには、極めて大きな障害が横たわっている。



 ほとんどの人は利己的価値観を当然と考えているが、そのままで大家族共同体を始めても必ず失敗が約束されている。

 なぜなら、共同体は、構成員が他人を思いやる『利他主義』思想を身につけない限り絶対にうまく機能しないからだ。



 すなわち、構成員が利己主義に洗脳されているならば、共同体組織を自分の利権のために利用しようとする輩が必ず登場し、他の構成員を不快にさせて、組織を崩壊させてしまうことが明らかなのだ。

 また真の利他思想を身につけるには、単に講習会や学習会をやった程度では無理だ。多くの失敗の経験を積み、困難、苦難を共に味わい、乗り越える経験のなかでしか真に身につかないのだ。



 このとき、上に述べた「ヤマギシズム式二元指導部」の考えが有効になるだろう。つまり、問題が発生したときに、それを公平に解決するシステムとして、組織の権力を一元化せず、二元化することが、とても大切なのである。

 一元化すれば、組織は権力者によって暴走する可能性が強くなる。利他主義思想が不十分な段階ではなおさらのことだ。しかし、二元化し、相互に監視するシステムにすれば、暴走を抑制し、誤った方針が是正される可能性が高くなる。



 もちろん、一元化のときのような効率性は落ちるだろうが、それでも暴走し破滅するよりマシなのである。

 一元指導部は弁護士なき裁判所のようなものであり、選挙なき国会のようなものだ。北朝鮮や中国のような運命になりたくなければ、我々は二元対立指導体制を研究すべきだろう。



 我々は、世界でも希な共同体成功例であるヤマギシ会から、多くのものを学ぶ必要がある。

 人間がやっているのだから失敗は避けられない。ヤマギシ会にも、これまでたくさんの失敗があり、愚行もあった。しかし、その思想的本質である私有財産なき大家族共同体社会を成功させ、圧倒的な実力、安定性を獲得している組織は他にない。



 かといって、我々が困ったときヤマギシ会に参画すればよいというほど簡単なものではない。

 ヤマギシ会側だって、世界大恐慌で食えなくなったから便宜的に入会したいという程度の発想で参画されたのでは迷惑だろう。利他思想が身についていない人が入ったとしても、起きる結果は目に見えているのだ。



 筆者がヤマギシの特別講習研鑽会に参加したとき、幹事が最初に言ったことが、「ヤマギシでは、みんなで入る風呂が最後まで汚れない」

 ということだった。



 ヤマギシ参画者は、必ず他人の利益に奉仕する思想を身につけることが求められ、例えば、風呂に入るときでも、他の人がきれいな風呂に浸かれるように、必ず体を十分に洗ってから入浴するのである。

 これこそ、ヤマギシズムの核心的思想であり、すなわち共同体が利他思想によってでしか成立できない本質を示すものであった。

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大家族生活 その7 家族とは何か 2010年03月03日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2420907.html



 我々は、ほとんどの場合、生まれ落ちてから家族のなかで育てられ、周囲の人間関係のなかで必要なことを学びながら、自分がやるべきことを自覚し、それを実現しながら年齢を重ねてゆく。

 人は、「自分自身」(自我)を自覚するに至る段階までは、養育者のペットのような客体的存在であって、環境に依存して「生かされる」しかない運命だ。



 しかし、たくさんの経験を積んで、やがて養育者に甘えない「主体的な自分」を自覚することになり、「自分の意志」で対象的世界を変えられる段階にまで成長することになる。

 ここで人は客体的存在から主体的存在へ、受動的存在から能動的存在へと革命的飛躍を遂げるのである。すなわち「自立し、一人前になった」ということだ。もちろん、そのプロセスは千差万別で、人によって異なるものだが。



 一人前になった人がやるべきこととは何か?

 最初に自分の命を保全することである。自分が今日食べる食事、保温、安全な寝場所の確保であり、明日の食事、寝場所の確保である。そうして、周囲で自分の生きるモチベーションを支えてくれる人間関係を確保し、安定した快適な生活を送れるよう努力することが人生の仕事といえよう。



 やがて(可能ならば)異性と結ばれ、性欲を満たし、子を設け、育て、老いて死ぬのが人生のすべてだ。人生とは、これ以上でも以下でもない。

 付け加えるなら、好奇心を満たそうとするモチベーションがあることくらいだろう。人は周囲を知りたいものだ。知ることによって、より快適な生活が保障されるようになるからだ。



 今、資本主義国大衆の多くが望んでいるような、周囲にいる人々を蹴落として、自分が優位に立つことが人生の本当の目的ではない。

 有名になることも、他人に秀でることも、蓄財や権力を得ることも、決して人生の普遍的目的ではない。それは人を利用するだけの歪んだ社会によって変形した精神の要求なのだ。それは金儲けと人間疎外を正当化する資本主義による洗脳の産物なのである。



 それは周囲の生き物に怯えて噛みついて回る、病んだ狂犬のように不自然な姿であることを知っておく必要がある。自然のなかで、のびのびと生きている犬は、特別な理由がなければ噛みつきなどしない。しかし、狂犬病に罹ったり、理由なく殴られたりして、不自然なストレスを与えられれば、暴走して周囲に噛みつくようになる。



 人間が、名声・所有欲・権力・蓄財に幻想を抱いて、他人の迷惑も顧みず暴走する理由は、ストレスを与えられた狂犬と似たようなものだと知る必要がある。

 資本主義社会は、人を金儲けのために利用しようと強烈なストレスを強要する社会だ。このなかで、我々はストレスに苛まれ、狂犬のように、怯えて周囲に噛みつき、利己的な欲望に突き動かされて、うろつき回る人生を強いられているのである。



 あらゆる犯罪の根源は、資本主義の生んだ金儲け主義のストレスから生まれるものであり、人の不幸の大部分が、そこから生成されていることに気づかねばならない。



 人が他人に秀でたいと思うようになる理由は、人から疎外され、軽蔑され、悲しい思いを強いられた経験が重なり、秀でることで注目を浴びて、大切にされたいという思いから生み出されるモチベーションである。

 他人から軽蔑されたことのない人間は、決して秀でたいとも思わないのだ。例えば、天皇家で育つ子供たちは、すべてガツガツした自己主張の饑餓など微塵も見えないではないか?



 人は人間関係におけるコンプレックスを解放したいと願うもので、例えば、見下されたなら見返してやろうと思い、愛されたなら愛してやろうと思う。

 人は自分のもらったものを他人に帰す性質を持っている。

 同じもので返せないときは、別のもので返すことになる。例えば、学校で肉体的に脆弱なことが原因で虐められた悔しさを、学業で返したり、地位や蓄財で返したりというメカニズムである。

 こうして、さまざまなコンプレックスが原因で、社会的差別のシステムができあがり拡大してゆくのである。



 人生も社会も、複雑怪奇に見えても、実際には驚くほど単純なメカニズムで成立しているものであり、今、我々が直面している格差・階級社会のメカニズムも、その原因を探せば、小さなコンプレックスの積み重ねということになる。

 したがって、差別・格差社会を解決するために、一番大切なことは、人の心を傷つけない暖かい社会を作ることであり、コンプレックスの解消が、権威・権力や蓄財に結びつかないように、そのメカニズムをすべての子供たちに、きとんと学ばせる必要があるだろう。



 解決の難しい、差別や格差をもたらす社会的コンプレックスを作り出してきた最大のメカニズムは家族制度にある。

 例えば、人口過多社会における家族では、「夫婦が一人っ子を育てる」ことしか許されないようになり、子育てに優しく助言してくれる老いた両親も、親身になって相談に乗ってくれる友人もいない。

 小さな家では両親と共に住むことができず、子供の学歴や、ブランド品を購入する見栄張り競争のために付き合っている友人が心を開くこともない。



 こうした環境で育つ子供は、「他人と仲良くする」という基本的な能力が発達せず、人間に対して恐ろしく無知で、独善的、自分勝手な人間性になってしまう事態が避けられない。

 我慢をすることの大切さも教えられず、周囲は、すべて自分の欲求を満たすための奴隷のようなつもりになってしまう。叱られても、その意味も理解できず、無意味に殴られた狂犬のような精神状態に陥るだけだ。殴られる恐怖で、一時的におとなしくなったとしても、その心は怯えて歪み、やがて他人に対する無意味な攻撃性・凶暴性に転化してゆくことが多い。



 小家族では、子供に自分勝手な利己主義が育まれることになりやすい。

 だが、家族が両親と一人っ子だけの「核家族」でなく、老人や兄弟姉妹など、たくさんの人によって構成されているなら、子はたくさんの愛情を受けてのびのびと育ち、開放的な人間になり、人間とはどのようなものかを知るたくさんの機会に恵まれることになる。

 大家族では、子供たちに、他人の利益に奉仕する利他主義が育まれるのである。



 そもそも、人類史の大部分の生活が「大家族共同体」であった。9割以上は「母系氏族社会」であった。そして、今のような一夫一婦制ではなかった。

 共同体の生活様式は実に多用だが、母系氏族社会にあっては、男女の関係は固定されたものではなく、複数の関係を結ぶのが普通であった。それは「多夫多妻制」に近いものであった。

 現代にあって、我々が洗脳されている倫理である「貞操観念」は、資本主義における小家族制度維持のための虚構にすぎない。



 男女とも貞操が洗脳による虚構にすぎないという真実は、夫婦生活がいかに危ういものか、ほとんどの夫婦が実感しているところだろう。

 すなわち、女性は妻であっても、目の前に魅力的な男が現れたなら、実に簡単になびいて、現実の生活を捨てて跳んでしまうことが少なくないし、男性も、若く魅力的な女性が現れたなら、いとも簡単に浮気するものであって、夫婦という制度が、便宜的な虚構にすぎないことに気づかぬ夫婦はいないはずだ。



 ところが、これでは男性の権力を、その子に継承する相続システムを求める封建的思想にとって非常に困るもので、母親が誰とでも寝たのでは、自分の子供が分からなくなってしまう。

 そこで、母親に貞操を強要するために、苛酷な倫理や残酷な刑罰を考え出した。



 イスラム・モスリムに今なお残るように、夫以外の男性と性交した女性は、例え暴行されて犯されたとしても厳罰に処せられ、その多くは残酷に処刑されてしまうことになっている。

 イスラムでは、毎日のように、こうした自由な心の女性たちが見せしめに殺害され続けている。処刑の理由は、女性を男性の奴隷とすることで、父系社会、家父長社会の秩序を維持するという観念にすぎないのである。



 日本でも、封建社会、男性優位社会の残渣観念が残り、夫婦における貞操を要求する法的制度が成立している。

 しかし、現実には、「財産・権力・地位を我が子に受け継がせる」ことのできない貧しい大衆にとっては、「我が子を特定する」ということは無意味であり、父の子が誰であっても構わない。母親に経済力がありさえすれば、邪魔な父親などいない方がよいことになり、母子家庭が激増しているのである。

 今や、日本にあって、「父の子を特定する」必要のある大衆など、ごく一部であって、下層大衆ではフリーセックス、多夫多妻制が実態化しているのが現実である。



 例えば、私有財産を否定するヤマギシ会にあっては、一応、名目上の結婚制度は存在しているものの、その実態は、1人が生涯で5〜10回の離婚再婚を繰り返しているのであり、これはヤマギシ会に限らず、「子を特定する必要」のない共同体社会では、必然的な現象であることを知っておく必要がある。

 逆に、このことが、男女関係の本質を物語っている。

 結婚は虚構であり欺瞞である。その本質は男性権力社会にあって、男性の子を特定し、その子に権力財産を相続させるものでしかない。

 したがって、その必要のない共同体社会、母系氏族社会では、多夫多妻制、乱婚が常識となる。ただし遺伝的劣化の見地から、白川郷のように共同体内部での血縁性交が許されなくなるということだけだ。



 これから、大恐慌が進行することで、財産をなくした大衆が激増し、受け継がせるべき財産も権力も所有しない大衆にあっては、もはや結婚制度が有名無実化することが避けられない。

 人々は、結婚制度の拘泥から解放されて、今、目の前にいる人と自由に恋愛し、性交するようになるだろう。というより、事実上、とっくに、そうした自由結婚の社会が到来している。



 イスラム諸国が、近年、女性の貞操に対して、残酷極悪な弾圧処刑を繰り返すようになった本当の理由は、実はイスラム圏にあっても、もはや父系社会、男性権力が無意味になり、男性の子を特定し、財産を継承させるシステムが不要になっている結果、女性たちが自由な恋愛を望み始めた事情を恐怖していることによるものだ。

 イスラムにあっても、おそらく数年以内に、父系社会は崩壊し、女性が家族から解放されて自由に恋愛できる社会が到来することだろう。



 社会は小家族から大家族へ、孤立した人間関係から、共同体へ、父系社会から母系社会へと今、巨大な変革が始まっている!

 我々は、結婚という制度を拒否し、誰とでも自由に恋愛し、性交する社会を実現すべきであり、私有財産の継承という制度を否定すべきである。

 共同体を結成し、そのなかで誕生した子供たちは、すべて共同体全員の子として共有し、育てる社会を実現するべきである。

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 引用以上

 十数年前に書いたブログ記事だが、今は少し考え方が変わっている。

 家族関係や生活スタイルに合理性を求めるよりも、一人ひとりの人生における数千年、数万年、数百、数千世代の魂の連鎖のなかで、学び、進化してゆくプロセスは、すべて異なるものであって、いつでも人間は成長してゆけばよいものではないと思うようになった。



 ときには、退化が必要な場合もある。あるいは人類が滅亡して、魂が次の人類に移ることもあると考えるようになった。 

 つまり、人生とは、我々が想定しているよりも桁違いに自由度の高いものであって、どんな失敗、間違い、行き過ぎ、集団自殺でさえ絶対精神に向かうプロセスで必要な場合もあるということだ。

 どんな負の要素でも、それは霊的人生にとって必要で避けられないものだと分かってきた。だから、上に書いたブログでは、私はまだ「理想」を追求していたのだが、それは優生学的な「優れ主義」が残っていたからだ。だが、今は違う。

 人には間違いが必要なときもある。どんな失敗でも霊的人生には必要なのだ。