ほとんどの人は、「人生は成功するためのものだ」と思いこんでいるから、世間には「成功を賛美する情報」しか存在しない。
しかし、霊的真実をいえば、「人は失敗するために生きている」のだ。「失敗するために生まれてくる」と言ってもいい。
その目的は、前世における失敗=カルマを返すためだ。
この人生では前世における失敗を同じように繰り返すことになる。そして、失敗を克服できればカルマは消えるので、すべてのカルマが消えたなら、新しい人生(輪廻転生)は必要でなくなるから、あの世で左うちわで暮せばいいわけだ。
ヘーゲルの言う「絶対精神」に到達したことになる。残念ながら酒池肉林の快楽に耽溺できる世界ではなさそうだが…。
この世に生まれて苦しい思いをする意味は、失敗し、カルマを克服することである。つまり、もう同じ失敗をしなくてすむ段階だ。
苦しさに耐えかねて自殺する人も多いが、残念ながら次の人生でも同じ失敗が待っている。カルマを克服できるまで、延々と同じ失敗を繰り返さねばならない。
私自身も、生まれてこの方、無数ともいえる失敗を重ねながら、一度も成功者とみなされないまま、もうすぐ、あの世に戻ってゆく運命なのだが、しかし、たくさんの失敗こそ、私がこの世に生まれてきた目的だったことを、この年になって、やっと理解できるようになった。
我々、人間が、この世=物質的世界に誕生してきた意味は、失敗を重ねて真実を理解することだ。
釈迦は、これを「業」=カルマと呼んだ。
以下のサイトは、比較的わかりやすくカルマの意味を教えてくれている。
https://www.youtube.com/watch?v=duCk2dcz9Lc&ab_channel=%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E8%AB%96by%E8%8F%8A%E8%B0%B7%E9%9A%86%E5%A4%AA
カルマの意味は、失敗の反対である「成功」を考えれば分かりやすい。
ひとつの人生で、たくさんの成功を得ると、それは心の奥底にある蔵に積み上げられ、人生や人格を彩る要素となる。
「成功体験」というのは、その人生の「無意識領域」に積み上げられた方法論でありプログラムである。
成功体験は、脳の奥深くに沈殿し、無意識の所作、判断の基底情報となる。
何度も同じ成功体験を繰り返せば、それが、その人の属性となり、人生のプログラムとなる。だから企業を成功させる人は、何度も同じように成功させる。
逆に、失敗させる人も、失敗の意味を理解するまで同じ失敗を繰り返すことが多い。
例えば、車を運転していて、信号無視を繰り返して事故を起こさずにいると、いつのまにか、それが無意識の成功体験として、無意識が信号無視を容認するようになるのだが、リスクが上がるため、信号無視をしない人の何百倍の確率で事故を引き起こすことになる。
だから、成功体験化した習慣とは、本当に恐ろしいものだ。
車の運転のような仕事は、ほとんど無意識領域に支配されることが多いので、事故を起こさない人は、必ず、無意識で危険な行為をしないよう、意識して安全運転の習慣(クセ)を身につけている。
確認が甘いクセとか、スピードを出しすぎるクセとかを身につけてしまうと、いずれ確実に事故として返ってくる。これが無意識の王=カルマの所業である。
山歩きでも同じだ。危険な斜面でバランスを崩さないためには、普段からバランスを崩さないで慎重に歩く無意識のクセをつけていないと、いつか雪道や泥道で転倒して滑落してしまう。
私は、山の超人だった小西政継が、よく転倒したエピソードを知って心配していたが、彼はヒマラヤで転倒して帰らぬ人になった。
人を騙すクセをつけて、成功体験を重ねてしまうと超恐ろしい結末が待っている。
成功体験は自分に対する自信を増幅させるので、最初は小さな万引きであっても、やがて立派な詐欺師になる。
そして取り返しのつかない結末に至る。「人は騙すもの」という習慣をつけてしまえば、人の愛によって得られる心休まる日々を永久に失ってしまうのだ。
詐欺の人生も、延々と繰り返される。死刑になったり、被害者の怒りで殺されたりしてもカルマが解消するわけではないので、同じ詐欺を繰り返す。
詐欺や窃盗の成功者が安息の人生を得られた例など見たことがない。私の家の近所にもいる。彼は警察まで騙すことに成功したが、今は怯えて家の外に出られなくなっている。
私は相当な被害を受けたので、まだ彼を許してはいないが、私がこうした運命に遭うのも、前世のカルマが原因だと理解している。
霊的には、この男は前世でも、私に関与したことになる。運命は解決するまで延々と同じことが繰り返されるのだ。
「地獄」を紹介する物語でも、同じ苦痛が延々と繰り返されるところがミソだ。拷問の火で焼き殺されても、すぐに再生して、同じ拷問が繰り返される。これが地獄の意味である。
だから、私は前世でも今と同じ運命に遭っていたことにある。
上のリンクにも出てくるが、釈迦は、因果応報論のなかで、自分の些細な行いも含めて、人生で行ったすべての行為に結果が生まれると指摘している。
「自分が撒いた種は必ず芽を出す」
良い種も悪い種も、必ず大きな運命に成長して、自分の人生を左右すると言っている。
人間として生まれてきたことの意味は「失敗する」ことなのだから、すべての人が大なり小なりの間違いを抱えている。
この世に、誰一人として完璧な人がいないのは、そのためだ。
すべての間違いを悟り克服できたなら、もう肉体としての人間に生まれてくる意味が消えるのだから、完全無欠の人間などいるはずがないのだ。
生まれてくる子供達も、前世でカルマを返せなかった人たちが新しい肉体を得て登場してくるのだから、やはり欠点だらけということになる。
だから、人生とは失敗し、その意味を学ぶための人生である。
私は、10年以上前まで、「よりよき社会」を求めて努力するための人生であると思っていた。
だが、今は少し違う。「より良き社会」は失敗の結果にすぎない。人生の本当の意味は、「よき社会を求める」ことではないことが分かり始めた。
人生には、ものすごく多様なバリエーションがあってもいいのだ。失敗の意味を突き詰めるために、もっと失敗を深化させる場合だってある。さらに大きな失敗を求める人生だってある。
つまり、カルマを増やし、より深くする人生だって必要なことがある
。
私は、かつて霊能者から、ナチスで人々を虐殺していた人たちが北朝鮮に生まれ変わっていると聞いたことがある。
彼らも、ナチスと同じことを繰り返している。自分の肉体と人生を使って、ナチスの被害者の体験をしているし、加害者として同じことを繰り返す者もいる。
「カルマ」というものは、それがカルマと意識=認識された段階で、はじめてカルマとして成立し、「地獄の業」として人生に作用することになるようだ。
だから、自分のやっていることが「悪事」であるとの認識がなければカルマは成立しない。だが、成立した段階から地獄に突入することになる。
反省しはじめてから、本当の地獄が始まるのだ。
もう一度書くが、人間として生まれたという意味は、肉体によって失敗=カルマを知ることだから、釈迦であろうとキリストであろうと、同じように間違いを抱えているから、彼らを神格化する必要などない。同じ人間として生まれ、同じ苦悩を抱えているが、前世の経験や理解が深いだけだ。
それを神格化して利益を貪り、あらたな悲劇や苦悩を再生産するということは、宗教自体が一つの巨大カルマであることを意味している。
だから、キリストは自ら「石造りの建物=教会に自分はいない」と言ったし、釈迦は比丘尼に「霊界のことなど考える必要はない=不記」と言った。
巨大な伽藍や、巨大な宗教的形象がある理由は、それを金儲けに利用しているだけのことなのだ。
本当の救世主は、一人ひとりのカルマを知る心にあるというのが正解だろう。
みんながカルマを理解すれば、その社会は、もう存在理由が失われてしまう。
だから、人間世界に最期まで残る国家民族は、たぶん独裁権力のロシアや中国、北朝鮮なのだろう。
日本人は、人類のなかでは、割合カルマの少ない民族なので、日本国家は早く滅ぶことになる。たぶん、世界で最初に滅亡するのかもしれない。
この世に生きる本当の理由は「カルマ」すなわち失敗することなのだ。
もしも日本人が生き残る必要があるとすれば、もしかしたら、それは性の問題かもしれない。
日本は「性の抑圧」が強い国だ。男尊女卑を国是としているような朝鮮半島、韓国などより、日本女性の地位は遅れている。
だから、日本では、トランスジェンダーのような性の解放がこれから激増するのだろう。これも霊的な必然性といえるかもしれない。
もちろんイスラム諸国は、日本より性の抑圧がはるかに強いので、このカルマが、どんな形で社会に現れるのか興味深いことだ。
私は、これから日本やイスラム諸国など性の抑圧が強い民族では、物凄い勢いでジェンダーフリーの波が押し寄せるのではないかと予想している。
これから一夫一婦制や、イスラムのような一夫多妻制に大きな文化的変革が起きるような気がしている。
それは、たぶん心を依存(帰属)する「家族」が、一夫一婦制ではなく共同体になると考え、そのことに焦点を当ててブログを書き続けている。
まだ遠い先かもしれない。今のところは、はっきりした兆候は確認できないが、もしも核戦争による大虐殺のような巨大イベントが起きれば、急速に進展するような気がする。
まだ、我々はたくさんの失敗を重ねなければならないのかもしれない。

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