NASAが、チャレンジャーやアポロ13など、たくさんの失敗を総括して、学んだ「失敗に対処する思想」は、「失敗しない」ための対策ではなく、「失敗するとすれば何が原因なのか予測する」という発想だった。
https://powertraveler.jp/apollo-program-mindset/
「失敗」を人間科学の基礎的な分野と捉えて、学問的に究明する「失敗の科学」は、NASAの数多くの失敗の総括から生まれた。
最近では、失敗を真正面から捉える研究も増えている。
https://orange-yublog.com/sippainokagaku-review/
企業や国家機関など「組織」の失敗の多くは、権力を持った人物が周囲から問題点の指摘を受け入れず、自分の名誉や成果の誇示にこだわることから生まれるといわれる。
2000億円の巨費を投じたハッブル望遠鏡は、NASA担当者の、官僚的で高圧的な姿勢に嫌気がさした下請け関係者が、「いわれたことだけをやる」という消極的姿勢に転じたため、基本的な欠陥を指摘する者がいなくなり、単純なミスを見逃した結果、2000億円とプロジェクトが灰燼に帰してしまった。
https://el.jibun.atmarkit.co.jp/bookshelf/2010/10/hac-b11b.html
プロジェクトというものは、参加者全体が連帯感を持って「プロジェクトに責任を持つ」という意識を共有し、参加者全員が積極的に多重の検証を繰り返すことで全体の信頼性が担保される。
しかし、一部の権力者が自分の権力を見せつけ、陶酔するような傲慢な姿勢で臨めば、関係者が嫌気をさして連帯感が失われ、「言われたことしかしない」消極性に陥り、誰も誤りを指摘する者がいなくなる結果、全体の信頼性が失われるのである。
こんな組織病弊の事例は、現実社会に山ほどありすぎて、むしろ、生き生きとした連帯に支えられたプロジェクトの事例を探す方が困難なほどだ。
韓国や中国の海外プロジェクトで、橋やダムなど建設物の崩壊による大失敗事例がたくさんあるのは、韓国中国の儒教的な序列関係が大きな意味を持っているといわれる。
すなわち、あらゆる組織にカースト的な序列差別があって、上の者は下の者を見下し、連帯しようとせず、序列が下の現場作業者の意見を上が吸収せず、上意下達の一方通行で事業が進められるから、現場=下からの修正ができないというわけだ。
日本企業に失敗が少ないのは、日本の場合、第一線の現場を上層部が大切にする職人社会の習慣が根付いているからだといわれる。
また、職人社会=日本企業の特性として、「段取り八分、仕事は二分」という、準備段階をもっとも重視する(シュミレーションを大切にする)という思想、それに三井高利の思想、「三方よし」が社会全体の連帯をもたらす哲学として根付いているからだともいわれる。
https://www.fujisan.co.jp/product/1281703007/b/2352642/
「すべての参加者を大切にする」思想こそが、プロジェクトを成功に導くもっとも大切な要素なのだ。そうすれば、事業のあらゆる局面であらわれる間違い、欠陥が、第一線の現場によって、たちまち指摘され、修正されて大きな失敗を起こさない。
だが現場を見下しているような上層部だと、現場からの修正・補正の意見はプロジェクトに反映されることはなく、取り返しのつかない大きな失敗に向かうしかなくなるわけだ。
だからプロジェクト最大の武器は、「連帯」であることを理解する必要がある。
前回のブログで、そもそも失敗こそ人生の本質であり、失敗なくして前進はないことを書いた。
人は失敗するものであり、たくさんの失敗と向き合って、少しずつ問題点を洗い出し、失敗を漸進的に克服するものである。失敗を全否定するような人は、結局、大失敗をして自殺に追い込まれるしかない。失敗を人生の糧と捉えて、真正面から向き合う者だけが未来に向かうことができる。
「失敗しない」ための考え方として、「ハインリッヒの法則」が知られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
【傷害を伴った災害を調べると,傷害は伴わないが類似した災害が多数発見されることがよくある。潜在的有傷災害の頻度に関するデータから,同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち,300件は無傷で,29件は軽い傷害を伴い,1件は報告を要する重い傷害を伴っていることが判明した。このことは5000件以上について調べた研究により追認されている。
重い傷害とは保険業者や(米国の)州の補償委員に報告されたものをいい,軽い傷害とは応急手当だけですむ擦り傷や打撲等をいう。
傷害を伴わない災害とは,人間や物資,光線などの移動(スリップ,転倒,飛来,吸入等)を伴う計画外の事象で,傷害や物の損害の可能性があるものをいう。
報告のある傷害(重い傷害)のうちの大多数は死亡事故や手足を切断したような大事故ではない。全部が休業を伴うものでもなく,補償金の支払いを必要とするものでもない。
傷害を伴うにせよ伴わないにせよ,すべての災害の下には,おそらく数千に達すると思われるだけの不安全行動と不安全状態が存在する。】
一部引用以上
330件の失敗=災害のうち、300件は無傷、29件は軽度傷害 1件は重度障害(致死含む)であると統計的に確率が抽出されている。
だから、無傷ですんだ300件を軽く考えず、失敗の原因に向き合って理由を確認できれば、全体の安全性が飛躍的に高まるというものだ。
問題は、失敗したとき、その原因に向き合うのか、見ないようにして逃げるのかという姿勢だ。多くの人は、失敗に向き合うことが自尊心を傷つける辛さを伴うことから、すぐに忘れてしまう方を選ぶ。
そうすれば、その失敗から得るものはなく、何度でも同じ失敗を繰り返すようになる。
大切なことは、「なぜ失敗したのか」と真正面から向き合う姿勢なのだ。
同時に、組織の場合は、「失敗と向き合う」リーダーシップが存在するかしないかが問題になる。組織の上位が「失敗と向き合わせてくれない」、例えば、失敗したとき、「馬鹿野郎」と罵倒するだけとか、「低能・無能」と誹謗するとか、同じ問題を繰り返させない努力を軽視するようだと、どんなに失敗を重ねても学ぶもの、改善されるものはない。
船井幸雄は、この問題に深く傾倒し、人を萎縮させるばかりで、失敗を克服できなくする上司の姿勢をとりあげ、部下の能力を伸ばすための方法を指摘した。
https://izmjp.com/extend-your-strengths/
日本のように儒教の影響を受けた「序列社会」では、上下関係の序列を確認することが自尊心の土台になっていて、部下の失敗を見て「罵倒し、怒鳴りつける」ことが自己満足をもたらして納得する人が多い。怒鳴ることで、自分の優越的立場を確認し、陶酔できるのだ。
だが、これは失敗した部下を萎縮させ、失敗の原因から逃避させる結果を生み、問題解決には何一つ貢献しない。
こんな強権社会=中韓のような儒教序列社会が、いつまでも大きな失敗を克服できない最大の理由になっている。
序列を重視する社会に、ものごとのすみやかな実現は存在できない。
習近平が、どれほど強権をふるっても、萎縮している部下たちが自発的に柔軟性のある合理的な行動に向かうことができないのである。
日本も同じで、大きな失敗を繰り返している、三菱、東芝、日立、近鉄、JRなどを見ていると、必ず官僚的な上下の序列関係があって、下位の者が自由に思っていることを口にできない強力な統制風土が構築されている。「物言えば唇寒し……」
組織の官僚たちにとって、安全性や合理性よりも、官僚としての序列と自尊心を守る方がはるかに優先事項なのである。
だからハッブル望遠鏡や、原発問題のような巨大な失敗が馬鹿の一つ覚えのように繰り返されるのだ。
実は、上に挙げた「大失敗連鎖巨大企業」については、私は底辺の現場で直接関係し、「ああ、これが原因で失敗するのか」と思い知らされる体験をたくさん重ねている。
これらの「しくじり先生」たちに共通するのは、強固な序列と官僚主義であり、「職務を怠りなく遂行する」という自己保全の意識はあっても、「プロジェクトを成功させる」という目的実現の意識、それに「みんなで」という連帯感が希薄なこと、「三方よし」ではなく「自分さえ良ければいい」という利己主義が蔓延していることだ。
私に言わせれば、これが儒教序列社会の必然的な成果である。人々が、何よりも自分の序列地位保全を優先させるために、目的実現意思が希薄になるのだ。
逆にいえば、連帯感に満ちたプロジェクトは、まず失敗しない。そんな現場では、最高責任者や上層部に、心優しいリーダーが多く、底辺の現場に密着して苦労をねぎらい、感謝を示してくれることで、作業者が生き生きとしてやる気にあふれているのだ。上司も作業員も兄弟のような雰囲気で仕事を進めている。
私は若い頃に、現場で成功と失敗の分岐点が、プロジェクト現場での連帯感の有無にあることを嫌というほど思い知ってきた。みんなが職場を大切にしようとしている楽しい現場で、失敗や事故など見たことがない。
さて、今回の本題は、AI化される社会の問題である。
AIによる合理化という発想は、研究室の机の上で作られた「理論」であり、上から与えられる一方通行のプロジェクトである。
そこには、開発者=指導部と、導入される現場の相互交流、連帯感は育たない。そもそもAI開発者、推進者たちは、最初から現場を見下し嘲笑し、AIによって革命的に改良してやるという強い自負を持ち込む。
だから、AI導入は必ず上から目線の一方通行だけである。そもそもAI導入成功の暁には、現場から労働者を追放するという果実を思い描いているのだから、労働者に愛情を持ちようがないのだ。
AIの問題は、前回書いたように、例えば自動運転AIでは、人間の総合的な能力の数パーセントもカバーできない不完全なプログラムで、希少な出来事に遭遇したときの事故のリスクが飛躍的に高まること。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6046952.html
AI自動化に麻薬のような依存性ができることで、意識の緊張が低下して、危機管理意識が低下し、事故への対応力が大きく低下すること。
人間というものは、必ず「節約」を求める本能的習性があって、AIに頼れば、心の緊張を節約するようになって、希少事態への警戒心が大きく緩む結果をもたらすこと。
つまり、ズルするように作られている人間にAIなど与えれば、運転中にスマホゲームをやったり、居眠りするようになるに決まっているのだ。法律で規制しても無駄なことだ。
だから、AI自動化のレベルをどんどん上げていっても、それが安全性を保証する結果ではなく、人のズルを増やす結果にしかならないのである。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6037443.html
そもそも、AIの導入は、「負荷の節約」=楽をすることであり、それによって効率性・生産性を高め、合理的な社会を目的にしている。
だが、そんな合理化の発想そのものが、人間性との相性が頗る悪いのである。
つまり、人間の能力を引き出すこと、人生に喜びを生み出すことと、AI自動化は異なるベクトルを持っている。
例えば、「運転の楽しさ」という視点でみれば、居眠りしてても目的地に連れて行ってくれる車に何の喜びがあるだろう?
我々は、車を運転するとき、前方を確認し、アクセルとブレーキとハンドルを操って危険を避けて目的地に移動する行為全体を運転の喜びとして感じている。
AIは、この喜びを奪い、車を無機的なタクシーのような道具に変えてしまう。
こんな緊張感のない関係で、運転を通じて得られる人間諸力の向上が得られるわけがない。
日本の自動車産業は、AI化開発に夢中になっているのだが、その本当の目的は、自動車の売り上げを増やす金儲けであって、車を通じて人を楽しませ、人生の喜びに寄与することを目的にしていない。
これが、豊田章雄君の致命的な陥穽だ。株主の圧力に負けて、自動車運転と人間の人生における意味を勘違いしている。
人=人生の本質は、「困難を克服する」ことであることを、きちんと理解していない。
人生は、困難と失敗と、それを克服し、人生の緊張を楽しむことが人間性の土台であることを、巨大企業の経営者たちはまるで理解せず、ただ金儲けに成功して、自分の権威を挙げ、株価を上げることだけが目的になっていて、「三方よし」の姿勢を見失っているのである。
結論として、AI自動運転は、人間性の解放、向上に寄与しない。それは人々の求めるものではない。単に新自由主義における金儲けの圧力からきているだけで、人間社会の未来と真摯に向き合っていない。
原子力開発のように、未来を破壊する産業と同じで、AI自動化が人間社会を豊かにし、未来を保証するものではないのだ。未来を破壊するものに、未来は存在しない。

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