1894年に、清朝の属国であった李氏朝鮮が、「東学党の乱」の鎮圧のため、清朝に出兵を要請したことで、日本は「居留民保護」を名目に、朝鮮に出兵し、清国との戦争が勃発した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89



 翌年、日本の軍事的勝利に終わり、清国は朝鮮の宗主権を手放し、日本に権利を割譲した。これが「朝鮮独立記念日」である。多くの韓国の若者は、日本敗戦時に「戦勝国韓国が独立した日」と勘違いしているが、事実は、日本が李朝独立を日本の軍事力で成立させたのだ。

 このとき、李朝は事実上内部崩壊し、国家権力の体をなしていなかった。

 1897年に李氏朝鮮は完全に瓦解し、「大韓帝国」と国名を変えているが、国家権力は日本が代行し、国家としての存在を失っている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE



 1906年、日本は、大韓帝国を傀儡化し、韓国統監府を設立、1910年、大韓帝国を廃止させ、朝鮮総督府として併合し、完全に日本国の一部となった。

 李朝崩壊の1897〜1910年までの期間、朝鮮半島の両班階級など有力者が大挙して日本に移住したといわれる。行く先は、秀吉が陶工を連れ帰って定住させた有田、薩摩加世田や田布施などが多かったといわれる。



 1910年、朝鮮総督府成立以降は、1945年まで朝鮮半島は日本国の正式領土となったことで、今度は、大韓帝国時代の奴隷階級である白丁も含む下層階級が「日本人」の権利を与えられ、大量に日本に移住した。

 1945年の在日朝鮮人は210万人と公式に説明されているが、実際には記録されない密入国も多く、300万人を大きく超えていたという説もある。



 関東大震災の起きた1923年に、全国で、すでに移住者が数百万人規模といわれている。大韓帝国総人口が1300万人だったので、渡航者を300万人とするなら、実に国民の4人に1人が日本人として日本に移住したことになる。

 名古屋市中村区で育った私の記憶でも、クラスの数割が在日といってもよかったほどだ。その地域的な人間性は、新潟出身の母親にとって苛酷なものだった。

 ちなみに、中村区の暴力団の99%は在日といわれる。もちろん山口組弘道会もそうだ。

 

 https://www.jica.go.jp/Resource/jica-ri/ja/news/topics/20230413_01.html



 関東大震災直後、東京では、民間人や軍関係者による在日朝鮮人の大虐殺事件が起きた。これは、戦争を除けば、日本史上における最大最悪の恥ずべき闇歴史である。

 これほどの規模で起きた民族ジェノサイドは、世界史的にも後生に残されるべき悪質な虐殺事件であった。



  関東大震災朝鮮人虐殺事件

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6



 1923年の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である。正確な犠牲者数は不明であるが、論者の立場により、推定犠牲者数に数百名〜約6000名と、非常に幅広い差がある。



 (アマ註=記録では6440名だが、軍部が隠蔽を図ったので、実際には数割多いといわれている。「毒を入れた」とデマを流したのは、当時、警視庁警備局長、後に大政翼賛会総裁、読売新聞社主となった正力松太郎で、関東のメディアは正力のデマを信用せず無視したが、仙台河北新報が騙されて首都圏に情報を逆流させ、それを信じた民間によって虐殺が始まった)

 https://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html



 (正力の指示を受けて)内務省が各地の警察署に下達した内容の中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容があった。この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、朝鮮人や、間違われた中国人、内地人であるところの日本人(ろう者など)が殺傷される被害が発生した。



 東京日日新聞(一六八六七号)に「火をのがれて生存に苦しむ牛込」「雨と火と朝鮮人との三方攻め」といふ題下にて、次の如き記事が載せてあつた。 「火に見舞れなかつた唯一つの地として残された牛込の二日夜は、不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警戒する為め、青年団及び学生の有志達は警察、軍隊と協力して、徹宵し、横丁毎に縄を張つて万人を附し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気立ち、小中学生なども棍棒を携へて家の周囲を警戒し、宛然在外居留地に於ける義勇兵出動の感を呈した。市ヶ谷町は麹町六丁目から、平河町は風下の関係から(此所新聞紙破れて不詳)又三日朝二人連の鮮人が井戸に猫イラズを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した。」  下野新聞(九月六日)に「東京府下大島附近」「鮮人と主義者が掠奪強姦をなす」と云ふ題下にて次の如き記事が記載されていた。

 「東京府下大島附近は、多数の鮮人と支那人とが空家に入り込み、夜間旺に掠奪強姦をなし、又社会主義者は、市郡に居る大多数の鮮人や支那人を煽動して内地人と争闘をなさしめ、そして官憲と地方人との乱闘内乱を起させ様と努めて居る許りでなく、多数罹災民の泣き叫ぶのを聞いて、彼等は革命歌を高唱して居るので、市民の激昂はその局に達して居る。」



 正確な犠牲者数は不明だが、2008年3月の中央防災会議では、震災全体の犠牲者の1〜数パーセントが殺害によるものと推定されている(すなわち、一千〜数千人)。

  当時の官庁記録としては、司法庁報告書では民間で殺害し起訴された件数として朝鮮人233人、内地人58名、中国人3名。戒厳業務詳報によれば軍によって殺害された人数は少なくとも朝鮮人39人、内地人27人、軍民共同の殺害による犠牲者として朝鮮人約215名(うち約200は中国人との説あり)である。

 内務省は248名、朝鮮総督府東京出張員は見込み数として813名を挙げている。朝鮮人犠牲者には死亡原因が災害か虐殺か区別せず1人200円(日本内地人死者・行方不明者への御下賜金は1人16円)の弔慰金が832名へ支払われた 。



 山本内閣は9月7日に治安維持令を公布した。この戒厳令が解除された11月15日までの東京・神奈川・埼玉・千葉の被災地1府3県民の市民的・政治的自由が停止した状態の中で、大震災発生直後の9月1日午後3時以降、東京や横浜などで「社会主義者及び鮮人の放火多し」「不逞鮮人暴動」といったデマが発生していったが、デマの中には警察や軍が流したものもあった。

 

 これらの報道や伝聞による噂に接し不安を煽られた各地の民衆や有志によって自警団が結成されたが、中には地域の管轄警察の主導・指導で組織された自警団もあった。これら自警団の一部によって朝鮮人・日本人・中国人らが虐殺されていった。陸軍や警察はこの混乱を奇貨として社会主義者や労働運動家らの抹殺を画策し、10名が軍隊に虐殺された亀戸事件および無政府主義者が憲兵大尉らに殺害された甘粕事件が実行されたが、こうした「白色テロ」に対する責任追及や批判は低調だった。



 当時の社会にとっては治安維持と被災者救援活動の一環であり、軍や政府や警察が威信を取り戻したとして歓迎される状況になっていた。

 黒澤明の自伝『蝦蟇の油―自伝のようなもの』の中では、当時中学2年生だった黒澤の関東大震災時の体験が語られている。その中に黒澤の父親が長い髭を生やしているという理由で朝鮮人に間違われ暴徒に囲まれた話や、黒澤が井戸に書いたラクガキを町の人々が「朝鮮人が井戸に毒を入れたという目印」だと誤解し騒ぎになるというエピソードがある。

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 引用以上



 私は、関東大震災時における朝鮮人大虐殺の原因について関心を持って調べた時期があった。

 私は、自分が在日者の非常に多い名古屋市中村区で育ち、在日者と深い関わりがあったこと、東京で反戦活動をしていた時期、朝鮮人の経営する解体屋で仕事をした経験が少なからずあり、慰安婦問題など、さまざまな対話をしたこと。



 後にタクシーの運転手時代、韓国から渡航して日本で働く女性たちの送迎を行っていたとき、たくさんの対話を通じて、さまざまな事情を知ったこと。(当時、日本語が話せる女性が多かった)

 などから、私なりに、東京の下町の人々が在日者を大虐殺した事情について得るところがあった。



 タクシー乗務を行っていると、記録されない世間の裏事情を直接見聞することができて、民俗学を志していた私にとっては、宝石のような貴重な体験だった。

 民俗学を目指す者は、必ずタクシー乗務を数年経験すべきと私は考えている。日本の裏社会の実態を知らないで偉そうに民俗学を口にするなと言いたい。



 まず、大虐殺の最大の理由として気づいていたのは、日本に移住してきた朝鮮人が、母国の生活習慣を直接日本に持ち込んで、潔癖な日本人の看過しがたい顰蹙をかっていたことだ。東京の下町の人々は、生活倫理に非常に厳しかった。

 狭い地域で大人数が共同生活を送るためには、生活習慣を共有しなければならない。ゴミ出しや清掃、食事、入浴などだ。



 朝鮮人移住者たちは、母国の生活習慣が日本で忌み嫌われることを知らなかった。元々、イザベラ・バードが「世界一不潔な民」と決めつけた朝鮮人が、「世界一清潔な日本社会」にいきなり「日本人となって」移住してきたのだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C

 その民族的カルチャーショックは異星人が突然侵入してきたに等しかったのだ。



 朝鮮には日本のような入浴習慣がなかった。ただ、オンドルがサウナの役割を果たしたので、オンドルで汗をかいてから川や井戸で水を浴びた。朝鮮サウナである。

 彼らは入浴を知らなかった。そこで、日本移住者たちは、東京の銭湯に行き、朝鮮と同じ「水浴び」をやってのけた。頭から湯船にドボンと浸かり、湯船の中で汚い体を洗った。残った湯は泥だらけの汚水となった。

 これで銭湯しかなかった当時の下町住民は激怒し、朝鮮人に対して「汚物」という先入観念を抱くことになった。

 

 この文化的齟齬が、朝鮮人大虐殺の最大の伏線になったと考えるのは私だけではないだろう。

 これは今でも同じ事情が繰り返されていて、韓国人観光客が温泉やスーパー銭湯に来ると、必ず湯船を汚す行為をする。これで、地元民から嫌われるのだ。



 清掃習慣も、朝鮮と日本ではまったく異なり、朝鮮ではトイレが少ないため、道ばたで排便するなど常識だが、日本人から見れば、「街を汚す、許しがたい悪行」ということになる。

 私の子供時代、道ばたで排便する女性がいたが、ほぼ在日者だった。日本人女性はそれができない。韓国では、今でも、トイレの中は尻を拭いた汚物紙がトイレに山積みになっている。日本では、そんな光景を見たことはない。



 これで、日本人の朝鮮人に対する軽蔑感が累積し、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」という正力のデマによって、一斉に憎悪が噴き出して、大量殺人につながった。

 この文化や生活習慣の共有という問題は、異民族が融和する条件として必須の問題であって、いずれかが妥協しなければ必ず大事件が引き起こされる。



 また日本人が朝鮮人に対して怒りを感じていた思想的問題として、儒教による朝鮮の序列主義があって、家族のなかですら身分差別が定着している。

 北朝鮮では、今でも51階級という身分差別が生きているといわれる。

 数百年も前から朝鮮民族は滅多矢鱈に自尊心が強く、「自分たちの方が序列が上」という優越感を持っている人が多かった。とりわけ両班出身者の自意識は強烈だ。



 つまり、「日本人は朝鮮人より序列が下」と思い込んで見下すことは国是のようなものだった。これは今でも同じで、「反日運動の韓国人」のほとんどが、日本人を見下している。

 自分より序列が下の日本人が、自分たちより高く評価されるのが許せないと思い込んでいるのだ。

 それでは韓国人より序列が高いのは誰かと言えば、清朝支配時代の中国人である。だから、朝鮮半島では、中国の無茶な支配的介入に対して決して批判は出ない。

 日本が朝鮮を清国支配から解放してやったのだが、それを感謝する朝鮮人は誰一人いない。



 これだけの情報を理解しただけで、関東大震災朝鮮人大虐殺の意味がリアルに見えてくる。

 韓国人朝鮮人が、日本人を見下しているうちは、日本と朝鮮半島の本質的な融合ができる時代は永遠に来ないだろう。

 しかし、実は、朝鮮人、とりわけ李朝の血を引く両班階級は、日本社会を裏から支配するための布石を着実に打ってきた。



 戦後、在日朝鮮人韓国人は、「自らを戦勝国民」と名乗り、傍若無人の振る舞いをした。いわゆる第三国人問題である。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%9B%BD%E4%BA%BA



 李承晩が竹島の島根県漁民50名を殺害して、竹島を武力で強奪したのも、その延長である。ところが、日本政府は、反撃らしい反撃をせず、されるがままに放置した。

 理由は、当時の権力を朝鮮と強いつながりのある人が握っていたからだ。その名は、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一らである。彼らは、いずれも李朝両班階級の子弟である疑いが持たれている。



 戦後、日本の権力は、CIAが日本を共産化させない布石として、反共系、朝鮮韓国人系の人脈に与えてきたのだ。

 それどころか、最後の李朝王、大韓帝国王である李垠の子、晋が毒殺されてから第二子を安倍寛の養子にして安倍晋太郎を育て、岸信介の娘洋子と娶せて、安倍晋三を産ませた。この人物を韓日統一帝国の王にするビジョンを、統一教会文鮮明が持っていたといわれる。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5954564.html



 安倍晋三は統一教会の資金と人脈の支援を受けて9年間の長期政権を実現したが、韓日帝国王になる夢を暗殺によって絶たれた。

 しかし、李垠の第四子である横田早紀恵さんの子、恵さんを誘拐して金正恩を産ませ、あわよくば日韓朝帝国を作り出そうとするビジョンは生きているように思える。



 日本のメディア、電通などは、事実上、韓国人に乗っ取られている状況だ。また自民党議員、公明維新議員のなかに、多くの在日者がいるとささやかれている。

 自民党は、統一教会の政党であることを、萩生田は隠しもしないようになった。

 岸田も実は、岸信介の田布施人脈のなかにあって、韓国が竹島を返還せず、レーダー事件を謝罪もしていないのに、ホワイト国復帰を決めた。

 もうすぐ、日韓スワップ協定も再開させ、韓国民数百兆円の借金の尻拭いを日本国民に押しつけようとしている。



 朝鮮両班階級残党による日本支配は、これからも続くと覚悟すべきかもしれない。