岸田文雄首相による、朝鮮半島への利益誘導が止まらなくなっている。
日韓、日朝には、竹島問題、レーダー問題、そして拉致問題など、極めて深刻な、場合によっては戦争の導火線にもなるほどの巨大火薬庫が存在している。
しかし、岸田首相は、韓国に対し、竹島・レーダー照射問題など、何一つ解決策を示さないまま、一方的に先送りして、ホワイト国復帰、果ては日韓通貨スワップなど、まるで韓国に巨額の無条件献金をするかのような政策を実行してしまった。
そして、韓国軍は、スワップ締結へのお礼のように、竹島での日本に対する「絶対に返還しない」威嚇の意味を持つ軍事訓練を行った。
日韓通貨スワップ合意と同時期の�猗親�暴挙�甦攅餬海�竹島防衛訓練 隣国に譲歩し続ける岸田政権 「日本の国益どんどん侵食」識者指摘 7/8(土)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6614030fdecb893f8748593f0bb1f4617ff42531
韓国を7月21日から輸出「ホワイト国」に再指定 4年ぶり復帰へ 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASR6W61V4R6WUTFK006.html
追い打ちをかけるように、なんと、岸田首相自身が自己矛盾による瓦解の渦中にある北朝鮮に渡航するとまで言い出している。もちろん、腐敗の極地といえる金正恩王朝を支援するためだ。
訪朝するには、岸田は日本国民の資産を手土産にすることは確実で、韓国と同様に、一兆円規模の金正恩体制支援金を持参するのではないか?
そして、そのカネはどこから出すのか? 岸田は、訪朝と同時に、サラリーマン退職金大増税も決定している。つまり、日本国民から新たに巻き上げようというのだ。
金正恩も乗り気?…岸田総理が目指す「突然の訪朝」のナゼ 2023.07.11
https://gendai.media/articles/-/112901
こうなると、いったい岸田とは何者か? 韓国北朝鮮に日本国民の資産を献金するために登場した政権ではないのかという強い疑念が生じる。
実は、北朝鮮という、まるで古代のような人権無視独裁国家は、どこからの支援もなければ、数十年前に、自らの矛盾、破綻によって、とっくに崩壊していたというのが世界の常識である。
しかし、その存在を利用するために、金王朝を支援し続けた勢力があった。
それが、中国、ソ連(ロシア)であるとともに、韓国の統一教会だった。統一教会による金銭的支援は、総額で1兆円に迫るもので、その大半が、日本の信者から騙し取ったものだ。
旧統一教会と北朝鮮の「濃密関係」、観光事業からミサイル・核開発まで 李相哲:龍谷大学教授 2022.8.31
https://diamond.jp/articles/-/308835
その統一教会の韓鶴子総裁が、岸田首相が、あたかも身内であったかのような発言によって、深い関係を自ら暴露してしまった。
岸田文雄首相が統一教会の身内であることをバラしてしまった韓鶴子総裁 2023年07月05日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6050929.html
岸田が、なぜ統一教会の身内なのか?
それは、岸田首相を生み出した「田布施システム」に理由がある。
日本の戦後首相の大半が、実は、岸信介を核心とする山口県田布施町の人脈から産まれている。
戦後77年にわたる保守政権のうち、実に30年が、田布施システムから生み出されたものだ。
世襲政治家 2022年12月11日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5996029.html
岸田政権も結局、統一教会の政権だったこと 2023年04月14日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6029308.html
私は、この田布施システムが成立した理由について、1900年前後、李朝崩壊時に、日本に移住してきた朝鮮両班勢力と深い関係があるだろうと考えていた。
その核心にいるのが岸信介だ。
岸信介は、佐藤栄作の実兄だが、岸という名字になったのは、佐藤信介が岸家の良子の婿養子に入って岸信介に名前を変えたからだ。
普通なら、弟の栄作が養子に行くものだが、なぜ長兄の信介が、地元での有数の名家だった佐藤の名字を捨てたのか、よく分からない。
岸家の実態については、よくわかっていないのだが、曾祖父に岸要蔵という人物がいて、この男の本名が「李要蔵」といい、後に明治天皇に即位した大室寅之佑の祖父でもあるという。
https://sky-journal.com/abesinzo-kakeizu/11025/
この李要蔵が、1800年代の末に、李朝崩壊に伴って朝鮮両班階級の身分を捨てて、日本の田布施に移住してきたらしい。
当時、田布施や加世田、有田などは秀吉の連れ帰った陶工の子孫の地でもあり、朝鮮文化や言語がそのまま残っていたので、移住には好適だったといわれる。
そして、田布施で、一大人脈と勢力を作り始めた。何せ、自分の孫を明治天皇に即位させてしまったのだ。
天皇の歴史 その1 2018年05月01日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828318.html
天皇の歴史 その2 田布施 2018年05月02日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828319.html
これが田布施システムの端緒であった。
李要蔵が、「岸」と名乗ったのは、李を分解すると木=子 つまり岸になることからだという。
https://twitter.com/CropCircles3309/status/1168700327886868480?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1168700327886868480%7Ctwgr%5E621aad7235a5192e9d5030397ab6538621f9fd76%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fsky-journal.com%2Fabesinzo-kakeizu%2F11025%2F
李要蔵の出身は、統一教会の文鮮明と同じ、平壌に近い平安北道定州郡だったと、つい最近、私は友人から教えられた。
それは、韓鶴子が認知症になって、これまで情報の外部流出を防いでいた、教団幹部を次々に解任した結果、真実の情報が外部にダダ漏れになったからだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1aeeb794108d62acd45d3efc8deb916d07163e8
文鮮明の祖父は著名な儒家で、李朝の両班階級だったという。李要蔵も、両班儒者で、文鮮明と岸信介は、祖父の代から親密な関係があったと、最近、私は情報を入手することができた。
つまり、1895年前後のことと思うが、李朝崩壊時に、大量の李朝両班階級が田布施にやってきて、明治天皇はじめ、日本の主立った政治勢力を乗っ取り、それが田布施システムとして、現在の岸田文雄までつながっているというわけだ。
ただ、明治天皇は1852年〜1912年なので、「李要蔵の孫」という情報と、整合性がとれないので、この情報の信憑性は、もしかしたら薄いかもしれない。120年以上前のことなので、今では、ファクトチェックも難しいので、もう少し確度の高い情報を入手しないと真偽は不明である。
大室寅之佑が朝鮮生まれで成人となってから移住したとすると、今度は、「橋本龍太郎の四代前祖先が寅之佑の姉だった」という史実と整合性がとれにくい。
ただ、岸田文雄も、この田布施人脈に確実につながっている。もしかしたら、広島にいたとされる岸田の祖父も、朝鮮両班階級だった可能性が小さくないのだ。
それは、岸田が笹川良一と親戚だったということ。笹川には文堯という朝鮮戸籍があったことで、朝鮮と無関係とは考えにくく、もしも両班末裔だったなら、今、岸田文雄が、韓国と北朝鮮に日本人の財産を兆単位で献金しょうとしていることの理由が明らかになってくる。
李朝崩壊が始まったのは1890年頃だが、日本が正式に併合したのが1910年である。その間の20年、とりわけ大韓帝国時代に、たくさんの李朝両班が日本に移住したといわれる。
そして、日本併合後は、日本政府は李朝の奴隷制を廃止し、白丁、中民階級も平等に扱ったので、彼らは、差別の多い不愉快な朝鮮半島を捨てて大量に日本列島に移民を開始した。
その数は、公称210万人、実質は、密入国も含めて300万人を超えるといわれる。日本の総人口が7000万人しかいなかった時代なのだ。
今の日本人のなかには、朝鮮人を「チョン」と小馬鹿にしている人のうちにも、実は自分の先祖が朝鮮移民だったことを知らない人、朝鮮にルーツがあることを知らない人も、驚くほど大勢いる。田布施システム(自民党)の支持者たちは、自分を純粋の日本人だと思っている人が多いが、実は、非常に多くの人に朝鮮人の血が流れているのである。
大韓帝国民は1300万人だったので、実に四人に一人が日本人として日本に移住したのだ。私は、名古屋市中村区に育ったので、そのことを肌身で思い知らされている。
以下に、当時の移民の事情を説明した、緒方貞子研究所の資料があるので紹介する。
「現代を生きる在日朝鮮人の民族経験」:「移住史・多文化理解オンライン講座 〜歴史から「他者」を理解する〜」2022年度第4回開催 2023年4月13日
https://www.jica.go.jp/Resource/jica-ri/ja/news/topics/20230413_01.html
「在日朝鮮人」とは誰のことか
今回の講演タイトルに「在日朝鮮人」とありますが、聞き慣れないと感じる人も多いでしょう。「在日コリアン」は、渡日背景を限定せず、日本に在住するコリアンに対して広く用いられる呼称です。
日本と朝鮮半島の間に、歴史的、政治的な摩擦が存在する中、あえて英語の「コリアン」を用いることで、そうしたしがらみをかいくぐろうとする用法だと李准教授は解説します。
それに対し、「在日朝鮮人」は、歴史的経緯を重視し、しがらみと真正面から向き合おうとする政治的な姿勢が込められた呼称です。また、韓国籍・「朝鮮籍」者を総称し、主に公文書で用いられる呼称に「在日韓国・朝鮮人」があります。
呼称の意味合いを明確にした上で、李准教授は在日朝鮮人が形成された歴史を振り返りました。朝鮮半島から日本への人の移動が本格的に始まるのは1910年韓国併合以降ですが、その背景には3つの要因があります。
まずは経済的要因です。韓国併合と同時に土地私有制が確立され、従来の慣行のもとに土地を占有していた農民が小作農に転落しました。日本での米不足を補うために朝鮮総督府による産米増殖計画が実施されると、品種改良などにかかる負担が増え、さらに多くの農民が没落・離農し、その結果、経済的要因で日本に渡る人が増えました。
次に文化的要因です。同化教育のもと、1920〜30年代にかけて日本語を習得し、近代文明に感化される若者が出てきました。最後に、社会的要因です。学校教育を受けても朝鮮半島にはそれに見合う働き口はなく、仕事を求めて渡日する人が増えていきました。
ソウルに1924年、京城帝国大学が創設されましたが、渡日に対する心理的・言語的なハードルが下がり、また、日本の賃金のほうが高いといった背景もあり、人の移動が促進されました。上記3つの要因に加え、さらに1939年からの強制連行・強制労働により、日本在住の朝鮮人人口の合計は1940年には約124万人、1945年には約210万人に上りました。
徹底した管理と抑圧が生んだ分断の歴史
日本の敗戦により、朝鮮半島は35年におよぶ植民地支配から解放されます。翌1946年3月までに、主に強制連行・強制労働で渡日していた約140万人は帰国しましたが、それ以前に渡日していた約60万人は、すでに日本での生活基盤が確立されていたこともあり、残留を選びました。いわゆる在日1世と呼ばれる人々です。
もっとも、日本人と同じように暮らせたわけではありません。「そこには常に管理と抑圧があった」と李准教授は主張します。そもそも韓国併合で、朝鮮人が「帝国臣民」になったとはいえ、内地の日本人とは戸籍上、明確に区別され、法的には異なる扱いでした。戦後に至っても、1947年に「外国人登録令」が公布・施行され、日本国籍者として管轄権下に置かれる一方、外国人とみなされ、徹底した管理体制が再構築されました。
さらには、1952年のサンフランシスコ講和条約発効を前に日本国籍を喪失。いったん全員が「朝鮮籍」となり、各種社会保障制度や戦後補償の対象からも外されました。
その後、1965年に締結された日韓基本条約では、韓国を朝鮮半島唯一の合法政府として認めるかたちで国交樹立。同時に締結された法的地位協定によって、韓国籍を取得した人だけに日本での永住資格が与えられることになり、安定的な法的地位を求めて多くの人が韓国籍を取得しました。
一方で、韓国籍への変更を迫る力への抵抗、もしくは朝鮮半島の南北分断体制を批判するという姿勢から「朝鮮籍」に踏みとどまる人々もいます。現在、日本に住む韓国籍者は約30万人いるのに対し、「朝鮮籍」者は3万人を切っています。
多くの人が誤解しがちですが、ここでの「朝鮮籍」とは、朝鮮民主主義人民共和国の国籍ではなく、韓国籍を取得していない人々を指す日本の外国人登録法によって規定された「記号」に過ぎないと李准教授は語ります。また、李准教授は、この記号が「朝鮮籍」者と韓国籍者の分断を生み、現在に至っていると分析しています。
一人ひとりの複雑な「はざま」から考える
こうした歴史的経緯を踏まえ、論点は在日朝鮮人のエスニシティ(民族性)に移ります。1990年頃までは異化か同化かという両極端の視点から捉えられていた在日朝鮮人のエスニシティですが、福岡安則先生(埼玉大学名誉教授)の研究により、その両極の間にはグラデーションがあることが実証的に明らかにされました。
ごく単純にいえば、在日1世では祖国志向が強くても、世代や時代を経て、徐々に個人志向への移行という流れがあることを示した研究です。
学生時代にこの研究に触れた李准教授は、「画期的だった」と評す一方、実感としては、腑に落ちない部分もあったと明かします。日本で生まれ育った在日3世である李准教授は、「祖国」をこの目で見たいと朝鮮民主主義人民共和国を訪問したり、韓国に留学したりした経験があります。
同時に、祖父母や両親が日本に生活基盤を築いたおかげで、自己実現を目指すことができたと述懐。「在日朝鮮人のなかにもさまざまな立ち位置の人がいるというだけでなく、一人ひとりのなかにも内的な複雑性があるのではないか」。こうした考えのもとで李准教授は、民族や国家を巡り、人々がどういう複雑な経験や思いを持っているか、あくまで個人に立脚して丁寧に記述するという姿勢で研究を続けてきたと言います。
「朝鮮籍」の方々への聞き取り調査では、「南でも北でもあり、南でも北でもない」「日本人でも朝鮮人でもあり、日本人でも朝鮮人でもない」など、一見矛盾した、錯綜して見える語りに出会うのだと言います。あるいは、日本と朝鮮半島のあいだに存在する歴史に対して、「加害者でも被害者でもない」と語る人もいれば、「加害者でも被害者でもある」と言う人もいるそうです。
「私たちは他者を理解しようとする際、分かりやすくするために、その語りの一部を切り取ったり、自分の理解可能な形に解釈したり改変したりしてしまいがち」と李准教授は認めます。
「でも、複雑に錯綜する語りを、その個人を取り巻く非常に複雑な社会状況を踏まえながら、複雑なまま理解しようと努めることが大切です」。南と北、日本人と朝鮮人、加害者と被害者という二元論を超えて、その「はざま」から、もしくは「はざま」を問い直すことが必要だと語ります。「歴史から『他者』を理解する」という本シリーズ全体に通底する示唆を与えてくれた講演でした。
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引用以上
現在の、日本のメディア、マスコミの多くが韓国宣伝情報を垂れ流している現実は、実は、上の在日勢力の努力によるもので、戦後、旧朝鮮両班勢力は、CIAと協力して、日本国を朝鮮半島のために利用する政策を行ってきた。
李承晩が、島根漁民50名を虐殺して、竹島を軍事強奪したことに対しても、当時の岸信介首相は、ほとんど抗議らしい抗議、国としての毅然とした姿勢をまったく見せずに、なされるがままに放置した。
その本当の理由が、岸信介が、李朝両班勢力の流れの在日キーマンだったことにあることは簡単に理解できるはずだ。
そして岸は、梨本宮方子を李朝最後の王、李垠に降嫁させ、長男晋が毒殺された後、次男を安倍晋太郎として日本で育て、文鮮明のビジョンである韓日統一帝国の王として君臨させようとした。
晋太郎が早死にしたので、統一教会は、孫の安倍晋三を王にしようとしたが、山上君によって無残に打ち砕かれた。
長くなりすぎたので、また別の機会に説明する。

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