「ウリナラファンタジー」という言葉がある。韓国人が、自分たちの自尊心に都合の良い情報だけを信じ、ネガティブ情報と向き合わず、自分たちが、すべてに優越しているお花畑にいると勘違いしていることを指す言葉だ。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6013414.html
しかし、韓国人の自己陶酔が特別に顕著であるにしても、現代社会に生きる我々の大半が、ウリナラファンタジーに類したお花畑的思考法にあることは間違いない。
まず、自分のネガティブ情報と向き合うことを好む人はいない。できるなら、気分良く生きていたい。
問題は、「気分が良くなる」情報が、社会全体の上昇志向とコンプレックスを反映しているため、金儲け、地位上昇、権力増大のような他人を蹴落として、自分が序列を上昇することに気分が良くなることはあっても、それが、人生にとって、人間社会にとって本当に価値があるかどうかとは無関係ということだ。
韓国は儒教社会であるため、差別と序列に敏感で、自分の序列が上がることがファンタジーであって、かぎりない自己陶酔をもたらしてくれる。
だが、日本人のように「人様のお役に立てた」というような、誰にも評価されない、自己完結する自分だけの価値を大切にせず、理解することもできない。
日本人の場合、「人に親切にした」という評価されない行為によって、自己完結で満足できる人が多い。それは、心の中に人生の宝物を蓄積する行為であり、日本人は心にたくさんの宝を貯め込んでいるので、たとえ自分に関するネガティブ情報と向き合わされたとしても、「他人への親切心」という宝物が自分の心を守ってくれているのだ。
しかし、上昇志向の差別階段を上がることに価値を見いだしている人には、そのことが理解できない。人に親切にしたって、自分の社会的価値が上がるわけではないから、無駄なことはしない。他人を見下せる物欲、自己顕示欲だけを尊ぶことになる。
軽自動車なんか乗らない、ベンツかBMWかレクサスだ。妻は美女でなければならず、夫はイケメンでなければならない。住居はタワマンか豪邸でないと困る。
街を運転していて自分勝手で傲慢な運転スタイルの人は、ほとんどがこのタイプだ。
差別と序列から見放された底辺の我々は、車は軽で十分、学歴は、中卒高卒で十分、小さな家ほど掃除が楽だ。妻はブスでいい。三日で慣れるのだから……。暖かい笑顔で、自分を癒やしてくれる配偶者こそ、最高の宝物なのだ。
仕事も社会の底辺で十分。ただ、周囲の人の笑顔だけを最高の価値として生きてゆきたい……という人生観になる。カネよりも友人の方が大切なのだ。
カネの貸し借りは友情を壊すから、むしろ貧乏でいたいということになる。
こんな人生観なら、どんなネガティブ情報と向き合っても、たいした損失はないから平気なのだ。むしろ、ネガティブ情報を理解し、間違いを起こさないための教訓として取り入れることができる。
現代社会は、資本主義→新自由主義社会を経済原理としていて、「他人よりも金儲けして、競争で優位に立つ」ということが価値観、人生観の根底に置かれている。
だから、「競争に勝つ」ことが、すべての目的であり価値であると洗脳されてしまう。優越感だけが心を支えているのである。
そこで、「自分が競争に勝つお花畑を歩いている」というファンタジーのなかにいたいという妄想型世界観が形成されてゆくことになる。
そこでは、あらゆる情報が、自分のファンタジーを実現する道具として機能しなければならない。ファンタジーの実現にとってネガティブな情報はいらない。
ファンタジーに都合の良い情報だけが欲しいのだ。
だから、現代社会では、ネガティブ情報に向き合わなくなる。唯一、それが他人を蹴落とし、自分の地位を高める情報の場合だけは取り入れる。
人間社会、対象的世界の本質は、必ず弁証法的であり、発展があれば衰退があり、上昇があれば下降があり、生成があれば滅亡がある。成功があれば失敗があり、宇宙の事物現象は、すべてがゼロサムである。
だから、自分の人生も仕事も、ポジティブ情報と同じだけのネガティブ情報があるのだ。
だが、自分のファンタジーに自己陶酔することを人生の目的にしている人たちは、ポジティブ情報は見るが、ネガティブ情報を避けて見なくなるのである。
このことにより、何が起きるのかというと、ネガティブ情報の無知から全体の崩落が起きる。問題の全体像が見えないことにより、何が起きているのかも分からなくなる。
今の日本社会を動かしている、企業や組織、政治のトップにいる人たちは、ほぼ全員が立身出世ファンタジーの世界観に埋没していて、ネガティブ情報に真正面から取り組んで、自分たちの間違いを積極的に知ろうとしている人はほとんどいない。
例えば、自分を含む金持ち、特権階級を優遇することで、底辺の社会を支えている人たちの生活を破壊し、子供さえ産み、育てることが困難な社会にしてしまった。
若者たちが子を産めなくなって、社会全体の人口ピラミッドが高齢化し、老人たちの最期を看取り、世話をすることのできる若者たちが極端に減ってしまった。
社会全体の高齢化が認知症の激増をもたらし、少数の若者が多くの非生産的な老人たちの生活や認知機能崩壊を支えなければならなくなったが、それはとうてい無理な話だ。
結局、今のままでは、杉田水脈のようなナチズム的発想の政治家がたくさん登場して、「役に立たない老人は邪魔だから殺してしまえ」という社会にならざるをえない。
地方社会と中小企業が日本を支えてきたのに、地方の公共交通機関を収益性の論理で、廃止し、おまけに車でしか生きてゆけない地方老人から運転免許を取り上げてしまっている。これでは、本当に地方の老人たちの多くが生存条件を失ってしまった。
維新や参政党など、新興政党の多くが、極右的発想になっている。
彼らは、日本の軍国化、核武装を積極的に実現しようとしている。このためにフクイチや六カ所再処理工場のような原発事故のネガティブ情報を隠蔽し、核ミサイルを作りたがっている。
もう時間の問題で、自民党政権は憲法9条を廃棄し、核ミサイル製造、輸出に舵を切るはずだ。
彼らは核開発のもたらすネガティブ情報を決して知ろうとしないし、教えようともしない。
だが、核開発を行うということは、日本社会を滅亡させることを意味するのだ。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6051942.html
これも、ネガティブ情報と真正面から向き合わず、自分に都合のよいファンタジー、お花畑情報だけを取り入れているせいだ。
我々にとって、もっとも大切で必要な情報は、実はポジティブ情報ではない。むしろネガティブ情報なのだ。
それは、無数の失敗を教訓にしたNASAが、失敗に真正面から向き合った「失敗の科学」という分野を、基礎科学の一つとして取り入れたことで、圧倒的に成功率を上げたことで証明されている。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6047225.html
これからの時代、我々が未来に向かって生き延びるために、もっとも必要な学問は、「失敗の科学」である。ポジティブ情報ではなく、ネガティブ情報である。
自分たちが「何を間違う可能性があるのか」を明らかにすることだけが、子供たちの未来を保証できるのだ。
原発産業は、フクイチ事故の真実、放射能汚染と被曝障害の真実をほとんど隠蔽して、日本国民に正しい情報を知らせようとしなかった。
新型コロナワクチン問題も同じだ。
これによって、とてつもない恐ろしい事態が始まっている。
2022年昨年の、統計的過剰死者数は実に14万人に達している。
https://toyokeizai.net/articles/-/628413
これは前年比であって、本来、過剰死がほとんど問題にならなかった2010年以前と比べると、とてつもない死者が出ていることになる。
これは、新型コロナワクチン禍と、2011年に起きた放射能大規模被曝による発癌死が相乗的に現れ始めたということだ。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6051424.html
東電フクイチ事故は、事故後、すでに数百万人の被曝死者を出していることが統計上も明らかなのに、こうしたネガティブ情報は、ほとんど表に出てこない。
NHKも民放も、すべてのメディアも指摘しない。理由は、真実を語れば追放されることが明らかだからだ。
原子力産業広告の8割を占める電通が、もし報道すれば潰すと脅しているからだ。
医療関係者も同じだ。多くの医師たちがフクイチ事故による被曝が、大量過剰死につながっていることに気づいているが、口に出せば「医師免許を剥奪する」と厚労省に脅されているのである。
だから多くの人々が、「原発事故が起きても、一人の死者も出ない」と信じ込まされている。
これは、ネガティブ情報に向き合ってこなかった日本社会のカルマといえるだろう。
我々の未来のために本当に必要な情報は、こうしたネガティブ情報だということが理解できなければ、子供たちが安心して生きてゆける社会は来ない。
ちなみに、私は、EVも水素も、未来の切り札ではないと指摘してきた。
トヨタがどんなにがんばっても、水素が宇宙一小さい原子であり、金属格子に潜り込んで反応性が強い性質から、水素ボンベは10年持たずに劣化を起こす。水素ボンベが一台分200万円ある以上、水素自動車に未来は存在しない。
同じ意味で、エネルギー密度が化石燃料の30分の1しかないこと、寿命が10年もないEV電池と、インフラ施設の完備に20年以上かかることからEVの未来もない。
2030年に全車EV化すると公約した菅義偉のビジョンは完全に崩壊している。
未来が存在するのは、スズキアルトと自転車だけだ。
これもネガティブ情報を見ていれば、とっくにわかりきっていたことなのだ。

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