1991年、ソ連崩壊にともなってウクライナ共和国が独立した。ウクライナの歴史を簡単に振り返ってみよう。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A#%E6%A6%82%E8%AA%AC

中世にはキエフ大公国(ルーシ)によって統治され、東スラブ文化の中心地としてウクライナおよびロシアのアイデンティティが形成された。
 つまり、AD1000年前後(平安時代)には、ロシアとウクライナは事実上一体だった。これがプーチンのウクライナ侵略、併合の最大の根拠、モチベーションになっている。

 プーチンは、自分の権力拡大妄想の虜になっていて、寝ても覚めても、歴史書を紐解いて、自分の権力を拡大するための理由付けを探し続けているといわれる。
 ウクライナ侵攻は、プーチンロシア拡大妄想のための人生最期の大勝負といえるだろう。

 12世紀以降、モンゴル帝国のルーシ侵攻(タタールの軛)により領土が破壊され、ポーランド・リトアニア共和国、オーストリア゠ハンガリー帝国、オスマン帝国、モスクワ大公国などに分離した(キエフ大公国の分裂)。キエフ大公国の故地のうち、現在のウクライナにあたる地域の一部は14世紀以後、小ロシアと呼ばれるようになる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%81%B3%E3%81%8D

 モンゴル騎馬軍団による軍事支配は1200〜1400年代まで続いたが、モンゴルが内政上の理由で撤退すると、再びコサック騎馬軍団が台頭するようになった。
 1649年、現在のウクライナにヘーチマン国家(ヘーチマンはコサック騎馬軍団最大の王)が成立し、1654年以後はモスクワ大公国(ロシア帝国)の保護を受ける。

 1667年、ロシア・ポーランド戦争の結果ポーランドに割譲されたドニプロ川右岸地域では1699年にコサック隊は廃止される。ドニプロ川左岸地域のヘーチマン国家はロシアの防衛に貢献するコサック国家として繁栄したが、1764年にロシアのエカチェリーナ2世がヘーチマン制を廃止、翌1765年に国土はロシアの小ロシア県に編成され、1786年にコサック連隊制が廃止となった。

 第一次世界大戦では中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国など)とロシア帝国の戦場になった(東部戦線 (第一次世界大戦))。大戦中のロシア革命でロシア帝国が崩壊するとウクライナの民族自決運動が起こった。
 1917年6月23日、国際的に認められたウクライナ人民共和国が宣言されたが、ロシア内戦などを経て、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国はソビエト連邦の一部となった。

 1904年の日露戦争で、ロシア帝国は、日本国に完敗し、その国家体制と軍事的実力を決定的に弱体化させた。1917年、そのスキを突いて、ウクライナの民族主義者たちが決起し、ウクライナ独立を勝ち取ったが、その後、内戦やロシアの介入で弾圧を受け、レーニンによるロシア革命後は、ソ連の一員として吸収された。
 このときのウクライナ独立とソ連成立は、日本の対ロ軍事勝利から生まれたものだ。ウクライナにとって、日本は大きな意味を持っている。

 第二次世界大戦では独ソ戦の激戦地となった。第二次世界大戦後、ソ連は占領したポーランド東部を併合する代わりにポーランドとドイツの国境をオーデル・ナイセ線へ移動させた。旧ポーランド東部はソ連へ併合され、ウクライナ人が多く住むガリツィア地方はウクライナ西部となった。

 その後、ソビエト連邦の崩壊に伴い、1991年にウクライナは二回目の独立を果たした。
 これは1986年チェルノブイリ事故が、ソ連の内部崩壊を決定づけたといわれている。ゴルバチョフも、ソ連消滅はチェルノブイリ事故が原因と指摘している。
 原発事故は、ソ連という巨大国家をも崩壊させるのである。

 独立後、ウクライナは中立国を宣言し、旧ソ連のロシアや他の独立国家共同体(CIS)諸国と限定的な軍事提携を結びつつ、1994年には北大西洋条約機構(NATO)とも平和のためのパートナーシップを結んだ。
 旧ソ連の核兵器の大半がウクライナで製造され、ウクライナ独立時に、世界最大の核保有国となったが、ユシチェンコ大統領は、核保有を放棄し、核兵器をロシアに返還した。

 核兵器だけでなく、ロシアの主要な製鉄、軍事産業はウクライナにあったので、プーチンロシアは、最初からウクライナの領土回復を虎視眈々と狙っていた。
 ウクライナは、旧ソ連のなかで、最大の穀物と軍事資材の供給地だったからだ。
 プーチンが、ソ連時代の世界を圧倒する巨大権力と軍事的実力を回復させようとするなら、ウクライナの併合なくしてありえないことだった。

 2013年、ヤヌコビッチ政権がウクライナ・EU連合協定の停止とロシアとの経済関係の緊密化を決定した後、ユーロマイダンと呼ばれる数か月にわたるデモや抗議運動が始まり、後に尊厳革命に発展し、ヤヌコビッチ大統領の打倒と新政府の樹立につながった。
 ヤヌコビッチはソ連系の腐敗官僚で、約10兆円のウクライナ国家財産を私的に持ち出していたことが明らかになり、激しい追及を受けて、ソ連系住民の多いクリミアに逃げ出した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

 旧ソ連権力の復活を目指す目指すプーチン政権はウクライナ国内の親ロシア派を通じた内政干渉や領土蚕食を進め、2014年3月のロシアによるクリミアの併合、2014年4月からのドンバス戦争の背景となった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/2014%E5%B9%B4%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E5%8D%B1%E6%A9%9F#%E5%8F%8D%E5%BF%9C

 これに対し、ウクライナの極右系アゾフ連隊などが、旧ソ連系腐敗官僚の追及を行い、クリミアでソ連系住民との間に多くの暴力事件が起きた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BE%E3%83%95%E9%80%A3%E9%9A%8A

 https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E4%BE%B5%E5%AE%B3%E3%81%A8%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA

 これを捉えて、プーチン政権が「アゾフ連隊をネオナチの大虐殺者」と決めつけて、クリミアソ連系住民への暴行を理由に、クリミア侵攻、ロシア併合の理由付けをした。
 ところが、田中龍作や、クリミアにいた日本人研究者によれば、プーチンが大宣伝しているような民族ジェノサイドの事実は、現地を取材しても、まったく出てこないという。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6054190.html

 角茂樹元ウクライナ大使も、「私の在任中に、クリミアで親ロ系住民の大虐殺があった事実は存在しない」と断言している。
 
 プーチン侵略正当化の骨子である「アゾフ連隊、ウクライナ軍はネオナチ」という論理に対して、それは事実ではないとする論評がたくさん出されている。

 アゾフ連隊のメンバーはネオナチではない 2022 8 3
 https://ukrainer.net/azofu/

突然ロシア人とされ、戦場へ送られた…プーチンが主張する「ウクライナ東部のロシア系住民を救う」のウソ 2022/07/01
 https://president.jp/articles/-/59123
 
 ところが、IWJ岩上安身は、角氏の発言を激しく攻撃している。プーチンの言ったとおりの親ロ住民へのジェノサイドがあったとするのだ。
 https://iwj.co.jp/wj/open/archives/506718

 現実問題として、ウクライナの富10兆円分をくすねてクリミアに逃げた親ロ官僚のヤヌコビッチ一派を追求して、アゾフ連隊がヤヌコビッチ捕獲作戦を行ったとき、タダで住むはずがないことは誰にでも分かる。
 たくさんの死者を出す戦闘がなかったはずがないと私も思う。

 アゾフ連隊と親ロ系住民の戦闘はいくつか報道された。しかし、プーチンが、ウクライナ軍事侵攻の理由として主張する「クリミアにおける親ロ系住民のジェノサイト」なる事実は、ウクライナに向かった、すべてのジャーナリストの取材によっても存在しない架空の宣伝だったのだ。

 それなのに、岩上IWJ、植草一秀、桜井晴彦、田中宇、副島隆彦らは、今なお、必死になってウクライナ・ネオナチ説を毎日書き続けているし、プーチンロシアの侵略を正当化し続け、ウクライナ住民への大虐殺を正当化している。
 私は、自称リベラルの彼らに対し、いっぺんに幻滅し、信用しなくなった。
 何より、ウクライナ・ネオナチ説を吹聴する論者の誰一人として現地に行かず、書斎を一歩も出ずに妄想の中で書いているのだ。とりわけジャーナリストを称する岩上IWJがウクライナに向かわないのは不可解というしかない。
 現地に行って、ジェノサイドの犠牲者となった人々の骨の上から報道してみよ!

 ウクライナの歴史を語る上で、FSBに猛毒を盛られて生死の境を彷徨った、ユシチェンコ大統領の民主化運動は極めて重要だ。
 ソ連時代、軍需産業と農業の中心地だったウクライナは、旧ソ連系官僚たちの、汚職の草刈場だった。上から下まで、あらゆる汚職が蔓延したソ連時代の官僚主義を独立後も引き継いでいた。

 2004年、大統領選挙の混乱からオレンジ革命が起き、第3回投票で勝利したユシチェンコが2005年1月、大統領に就任した。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E9%9D%A9%E5%91%BD#:~:text=%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E9%9D%A9%E5%91%BD%EF%BC%88%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%81%8B%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%84,%E4%B8%80%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

 ユシチェンコは、不正と汚職に染まったウクライナ国家に民主主義を戻す政策を実行しようとしたが、FSBによって毒物を盛られて頓挫した。
 ロシア側は、あらゆる不正手段を使って、民主化を求めるユシチェンコをウクライナから排除しようとしてきた。

 2005年3月、ロシア側より天然ガスの料金を国際的な市場価格に合わせてそれまでの優遇価格より倍以上に引き上げる要求があり両国が対立、2006年にかけて欧州各国を巻き込んだ騒動となった(「ロシア・ウクライナガス紛争」参照)。その後、野党勢力により内閣不信任案が可決される。

 2006年6月22日、ウクライナ最高議会選においてユシチェンコ大統領派の与党「われらのウクライナ」が惨敗。これを受けてティモシェンコ率いる「ティモシェンコ連合」と「われらのウクライナ」およびウクライナ社会党の3政党は議会多数派を組む合意が成立した。
 しかし、その後は人事をめぐり議論は紛糾、3政党間の亀裂は深まっていた。議会選挙で最大勢力となった地域党が議場を封鎖する間に社会党は連合を離脱した。地域党、ウクライナ共産党の支持を受け、社会党党首モロスが最高会議議長に就任した。その後、この3党は議会多数派の合意書に調印し、大統領に対し、地域党党首ヤヌコーヴィチの首相指名を提案。

 この結果、8月に旧ソ連官僚である親ロ系ヤヌコーヴィチ内閣が成立した。しかし、大統領との権限争いで議会も分裂し、両派の妥協の産物として最高会議は解散し、2007年9月30日に臨時最高会議選挙が行われた。12月、ティモシェンコ連合とわれらのウクライナが連合する形でティモシェンコ内閣が発足した。

 2010年、大統領選挙にてヤヌコーヴィチとティモシェンコが激突。決選投票の結果、ヤヌコーヴィチが勝利し、ウクライナは再び親露派に率いられることとなった。
 このときもロシアFSBによる多くの不正工作が指摘されている。

 2014年、ロシアによるクリミア軍事侵攻が行われ、クリミア半島を併合した。
 2019年に、国家規模の汚職蔓延によって弱体化したヤヌコビッチ後のウクライナで大統領選挙が行われ、ゼレンスキーが大統領に当選した。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

 ゼレンスキーは、テレビ番組で、陰茎を使ってピアノ演奏を披露するなど、お下劣喜劇人だったが、「国民の僕」というドラマの主演を演じたことで、政治腐敗に絶望していたウクライナ国民によって「おまえが大統領になれ」と支持され、当選した。
 ゼレンスキーの政治能力に期待したウクライナ国民は、ほとんどいなかっただろう。ただ「冗談の方が現実よりマシ」と人々が投げやりに考えていたのだ。

 ところが、2022年2月に、プーチンロシアによる大規模な軍事侵攻が始まると、ゼレンスキーは豹変し、ほとんど完璧な「有能で勇気ある大統領」を演じて見せている。
 ゼレンスキーが腐敗勢力だという植草一秀らのしつこい宣伝に騙されている人も多いが、ゼレンスキーが登場した当時のウクライナ国家は、頭のてっぺんからつま先まで、腐敗が横行する社会だったのだ。

 その中で、ゼレンスキーは、ユシチェンコらの民主化政策を支持していた。ゼレンスキーの資金援助者に汚職があるとしても、ウクライナで汚職と無縁の者など、ほとんど見当たらず、汚職官僚たちをダマシダマシ使う以外になかったのだ。
 軍事侵攻以来のゼレンスキーの姿勢は、まさに救国の有能大統領であり、ロシアの人権侵害、侵略に真正面から立ち向かう正義の使徒である。

 そのゼレンスキーをネオナチやCIAスパイと決めつけ、誹謗中傷し続けているのが、植草一秀やIWJ岩上安見、桜井晴彦、田中宇らである。
 我々は、誰が真実を見抜いているのか、情報を総合して、自分の見識によって判断しなければならない。