花火大会が有料化されているそうだ。
https://news.goo.ne.jp/article/tvasahinews/business/tvasahinews-000310468.html
調査会社「帝国データバンク」の調べによりますと、この夏、各地で催される106の花火大会のうち、約7割で「有料席」を設けることがわかりました。
既に「有料席」を設置している大会でも、価格を値上げする動きがみられ、最も安い席の平均は4768円と、2019年に比べて約3割上昇しました。最も高い席も平均価格が3万2791円と、約1.5倍になりました。
最も高額な有料席は、神奈川県小田原市の「小田原酒匂川花火大会」で販売された大人2人分の30万円でした。
帝国データバンクは、ロシアのウクライナ侵攻の影響で、花火に使われる火薬の価格が高止まりしていることや、警備の人件費の上昇など運営コストが増加していることが背景にあると分析しています。(ANNニュース)
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先週開催された、ネイマールやロナウドが加わったサッカー試合の入場料も凄かった
ネイマール−Cロナ対決、チケットも破格 特典付きで50万円、一般の最安値でも2万円 7/25(火)
https://news.yahoo.co.jp/articles/98a3b84d4d5c582a8a54d13bc84db7261b456341
2時間で終わるサッカーの観覧席が50万円なんて、おいらの年収じゃんかよ! 一人15万円の花火大会なんて、おいらの三ヶ月分の生活費じゃんかよ!
まあ、私は、そんな金のドブ捨てには興味がなく、毎日、無料のハイキングで、季節の移ろいや道ばたの花を見ているのが一番幸せだから、「おいらには関係のねー世界でござんす」と紋次郎のようにふててればいいのだが、世の中、いったいどこに向かっているのかと、進む彼方に見える底知れない暗闇に恐怖を抱かざるをえない。
「どこに向かっているのか?」
といえば、間違いなく、新自由主義思想の目指す究極の格差社会であり、日本社会は、特権を持った階級と、何をすることも管理され、規制されるゴイム(家畜)階級に分化させられようとしているのは間違いのないことだ。
新自由主義の「ワンワールド=グローバルスタンダード価値観」を世界に持ち込んだユダヤ金融資本が、国連に代わるための国際組織として作っているダボス会議は「グレートリセット」という民衆ライフスタイルの巨大な変革を提唱している。
最初は抽象的なきれい事ばかりで、本当は何をしたいのか誰にも分からなかったが、この数年、具体的なビジョンが次々に出てきた。
その核心的な目玉政策は、「スーパーシティ」である。地球上のすべての人々を、コンピュータと監視カメラで管理された豚小屋のような居住区に押し込め、徒歩か自転車で15分だけ移動できる権利を与える。
その15分都市圏で、すべての必需品の買い物ができ、学校も病院も劇場も、必要なものは、すべて含まれているというのだ。
15分という制約を設ける理由は、「無用な二酸化炭素を排出させず地球環境を守る」という大義名分が貼り付けられているが、しかし、例外を持った特権的な人々がいることを認めている。
二酸化炭素排出税を支払える富裕層だけは、乗り物で遠出をしてもいいというのだ。その行き先には、特権富裕層だけが利用できる生活環境が設けられるらしい。
国連とダボス会議が導入した「15分都市構想」2023年02月17日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6014954.html
冒頭に掲げた超高額の有料花火大会は、たぶんグレートリセット社会に移行するため、人々に「社会は格差に満ちている」現実を洗脳する目的があるのではないかと思う。
人には生まれながらにして貴賤の差があり、貧富の格差があり、我々は、ゴイム(家畜)として恵まれた特権階級に奉仕しなければならないのだ……と教育洗脳されるための仕組みに思えてならないのだ。
日本社会は、かつて「みんないっしょ」の連帯社会だった。世界でも貧富や身分の格差の非常に少ない国として知られ、だから日本の資本家たちは、「日本は本当の意味での共産主義社会だ」と決めつけて、激しく攻撃し、再び格差社会に戻すために竹中平蔵を送り込んできたのだ。
「みんなが同じでなくなり、格差が生まれ、同時に連帯感も消えて、労働組合運動も崩壊していった」
それは竹中平蔵が小泉純一郎とともに日本社会の労働者の保護権利を廃止し、正社員としての身分を剥奪し、大半の人々を、派遣、臨時などのルンペンプロレタリアートに貶めることで、社会全体に巨大な格差を復活させたのである。
「復活」というのは、私の知る限り、戦前まで、日本もまた激しい格差社会だったからだ。
日本は、天皇を最上位とし、部落民や死刑囚を最底辺とする激しい序列社会だった。
最底辺の民衆=ゴイムたちは「天皇の赤子」などとすり込まれ、天皇制に隠れた支配階級の利権のために命を捧げなければならなかった。
太平洋戦争では、日本国民8000万人のうち、400万人が序列や格差社会のために命を落としたのだ。ある者は徴兵されてガダルカナル島で飢え死にし、ある者は原爆投下で蒸発し、ある者は火垂るの墓の母のように焼夷弾で焼け死んだ。
戦後、そんな身分格差の社会から解放された日本人は、特権階級の序列社会を次々に壊していった。
私の父は、戦前戦後、国鉄の機関士だったのだが、1960年まで、国鉄の列車にも序列があって、一等車から三等車まであった。
三等車は、クッションなどない板のベンチのような座席だった。一等車は今ではグリーン車と呼んでいる、立派なふかふか座席だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%89%E7%B4%9A_(%E9%89%84%E9%81%93%E8%BB%8A%E4%B8%A1)
父親は名古屋機関区で6名しかいないお召し列車の機関士だったが、御用列車には、よく人が飛び込んできた。
飛び込みがあっても貴人である乗客には知らせない。バラバラになった死体を始末したらすぐに出発するのだが、遺体の頭部が見つからないことがあった。
それは遠く離れた車軸と床に挟まっていた。目玉は足の上にあったそうだが、そんな恐ろしい飛び込み自殺を見て、父は、最初恐怖で我を失って飯も食えなかったといったが、やがて慣れた。
父が機関士をしていたとき、飛び込み自殺は慣れてしまうほど多かったようだが、やはり「体がバラバラになった死体」についてはトラウマができたと言った。
1960年以降、国鉄客車は一等と二等だけになった。これは、国鉄労働組合など社会主義思想の国民的運動が活発になって、「自由と平等」つまり、「みんな連帯して、同じでいよう」という反差別の思想が一般化したことによる。
それは日本国民の平等志向を反映したものであり、特権を排除することで得られる連帯感に人々は未来への希望を感じていたのだ。
だが、1970年以降、一等車がグリーン車に移行し、やがて、2011年東日本大震災のころに、グランクラスという特権階級のための料金区分が復活した。これは国際線航空のファーストクラスやホテルのスイートルームに対応する、特権階級のための差別区分であった。
遊覧列車にも、2013年、ななつ星という、三泊四日で100万円もするような特権階級向き運行が始まった。
2000年代に入って、竹中平蔵と小泉純一郎が、日本を猛烈な格差社会に仕立て、人々の連帯を拒絶するような特権階級のための社会インフラを構築しはじめた。
また特権階級になるための学歴社会でも、昔は貧乏人でも行けた国公立大学や医学部は、もはや大金持ちでなければ、とても支払えないような入学授業料金が設定されるようになった。
もう貧乏人の子が、特権階級と対等に、同じ条件での学歴や社会的地位を得る手段が許されなくなったのだ。
貧乏人は中卒で、派遣労働者として工場にでも働いてろという社会が、本当に成立してしまった。
今YouTubeで「スカッと」なんてコンテンツが人気を博しているのは、そんな社会の差別性を反映しているように見える。
日本はどうして格差社会になってしまったの? 2020年1月14日
https://www.meiji.net/topics/trend20200114
近年、日本でも格差が大きな社会問題と言われるようになってきています。確かに、勝ち組、負け組というような言い方があったり、ワーキングプアも深刻な問題です。
日本が一億総中流社会と言われた時代から、現在の格差社会になった理由はいくつかありますが、ひとつは、非正規雇用が広がったことだと考えられます。
そのきっかけは、2000年代の規制緩和にありますが、その背景には、バブル景気の崩壊にともなって、企業にとっては非常に厳しい状況となったことがあります。実際、銀行や大手証券会社まで倒産や合併が起きました。
ところが日本では、企業は正社員を雇用すると、給与はもちろん厚生年金や健康保険、企業年金等の負担なども負うことになります。そのため、負担を避けたい企業は正社員の雇用を絞っていきました。
しかし、人手は必要なのですから、その意味では、雇用形態の流動化を招いた規制緩和は避けられなかったことではないかと思います。
もうひとつの理由が、経済のグローバル化が進んだことです。
このことは、一般消費者にとっても、これまでは日本製品を買うことが当たり前だった状況から、安い海外製品や、従来にはなかった高付加価値の海外製品を選択できるようになったことでもあり、国内企業にとっては競争が激化したことを意味します。
逆に言えば、海外に進出するチャンスが増えたことでもあります。その結果、競争に負けて衰退する企業と、世界に市場を広げ、これまで以上に収益を上げる企業が現れ、企業間格差が拡大したのです。
すると、成功した経営者は、従来の国内企業では考えられなかったほど高額の報酬を得ることができるようになったのです。
つまり、ある意味、国内でみんなで仲良く頑張り、安泰と一億総中流を実現した社会から、厳しい国際競争に否応なく巻き込まれ、成功した者はいままでにはない莫大な利益を上げることができる社会状況に変わってきたということです。
その結果、格差が広がる社会になったことは、やむを得ない面もあると思います。
むしろ問題は、一度ついた格差が取り戻せないことです。2000年代に正社員になれなかった者は、いまでもワーキングプアのままであったり、親が貧困だと、その子どもも貧困から抜け出せないことが大きな問題なのです。
競争の結果による格差の拡大がやむを得ないような社会であるならば、各人には、競争のチャンスが平等に与えられること、また、何度でも競争できることが担保されていなければなりません。
また、社会にとっては、人々の格差が取り戻せないことは階層の流動性に欠けることになり、結果として、そうした社会が衰退することは明らかです。日本社会も、こうした面から見直すことが必要なのです。
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引用以上
上の引用は、特別な思想的背景はないのだが、グローバルスタンダード思想=新自由主義が持ち込んだ「格差社会」についてわかりやすく説明している。
ちょうど山本太郎の世代が、今の50歳代前半の第二次ベビーブーム世代なのだが、ちょうど、「失われた30年」の余波をくらって、今世紀初め、企業に正社員として就職することが困難だった世代だ。
彼らは、50歳を過ぎても多くが結婚できず、コンビニのアルバイトや、派遣労働者、トラック運転手など社会の底辺で食いつないできた。私も、その一人ではあるが。
代わりに、社会常識や序列社会の価値観からの「自由」を得ているということもできる。
創意工夫、主体性、イノベーションのある者は、社会変革の旗手として、また個人企業の起業家として、上から与えられる秩序の圧迫から自由に、社会を現場で変えてゆける実力を持っている。
グローバルスタンダードがもたらしている格差拡大社会、そしてゴイムに君臨する特権階級に対抗できる勢力といえば、山本太郎に代表される、彼ら「失われた世代」以外ない。
結構なおっさんになってしまった世代だが、2時間で何十万円も払える特権階級のための社会に変わりつつある今、我々が、誰とでも連帯できる、「みんな同じ」社会に戻すために、何が必要かといえば、私は、格差、序列のない自由な共同体を各地に創出するしかないだろと考えている。
若者たちは、序列のある格差社会に向かって歩いて行くのか? それとも、みんなが平等で、誰とでも連帯できる共同体に向かって歩いてゆくのか?
今こそ、問われているのではないだろうか?

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