日本人がどっぷりと洗脳に浸かって真実が見えなくなっている資本主義社会のシステムについて的を得た面白い解説コンテンツがあったので紹介する。

【なぜ報道しない?】「格差と階級の未来 超富裕層と新下流層しかいなくなる世界の生き抜き方」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】
 https://www.youtube.com/watch?v=N1VV8usEPnM&ab_channel=%E6%9C%AC%E8%A6%81%E7%B4%84%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%80%90%E6%AF%8E%E6%97%A512%E6%99%82%E6%9B%B4%E6%96%B0%E3%80%91

 これは、私が20年以上にわたって書き続けてきた「あたりまえだが、誰も気づかない問題」をわかりやすく解説しているのでお勧めしたい。
 前半では、「搾取」のメカニズムが語られているが、それは、搾取される人々が、それを当然のものと思い込んで、容認していることが問題であると指摘されている。
 つまり、搾取を容認するように幼い頃から洗脳されてしまっているのだ。

 私の考えとかなり異なるところもあるが、人々が資本主義社会を無条件に容認していることが、さまざまの社会矛盾をもたらしていると指摘してるのは慧眼だと思う。
 なぜ、人々は企業組織による搾取を当然と思い込むようになったのか?
 それを、もう少し追求してほしかった。

 私は、その本質は、「人間が生まれながらに平等であるべきだ」という対等価値観を理解できない者が多いこと、「人間は生まれながらに犯しがたい格差がある」と洗脳されてしまっている者が非常に多いことから来ていると思う。

 例えば、天皇皇族が「生まれながらにして貴賤の序列の最高位にある」と思い込まされて、「雅子様、佳子様!」などと様付けして叫びながら喜んでいる人が多いのだが、それは、そう信じているというより、「中身が生物学的に同じ人間にすぎない」事実を知りながら、もしもそれを「王様は裸じゃないか!」と指摘してしまったなら、社会のあらゆる地点から激しく排撃されることを知ることで、信じていなくとも「生まれながらに貴賤がある」デタラメな屁理屈に同調し、容認してしまうのである。

 グリム童話における「裸の王様」は、もしも国民が自分の目に見えているままに、「王様は裸だ!」と真実を語ってしまったなら、欺されて同調している他の国民から排撃されることになり、この暴力的圧力によって、たとえ裸に見えたとしても、決して口にしてはならないと人々が思い込むわけだ。

 だから、日本が科学的根拠のない「天皇制における身分差別と序列」を容認していることの意味は、実は、日本国家が「グリム童話の世界」にいることを端的に表している。
 天皇を尊いと信ずる国民は、すべて詐欺師に欺されている気の毒な人々なのである。同時に、自分の目に見えているとおり「王様が裸だ」だと言えない「同調圧力」が、どれほど恐ろしいものかを示している。

 戦時中、「日本は負ける」と言ってしまった人々は、特高警察に逮捕され、拷問を受けて多くが殺された。
 日本国家(を支配する人々)の価値観に逆らえば、社会から追放され殺される。靖国神社を参拝しないだけで「非国民」と罵られ、危険人物と見なされたのだ。
 今でも、天皇制にあからさまに疑義を抱く人は、絶対にメディアに登場することはできない。同調圧力に屈した人しかテレビや新聞に意見を述べることが許されていない。
 それを、日本国民は無意識に容認し、同調していることが搾取の容認をもたらしているのである。

 だが、天皇家を正当化する科学的根拠として、麻生太郎あたりが、男系天皇のY染色体を持ち出すことで、その滑稽ぶりが際だって見えてくる。
 人間の遺伝子は、20歳で次の子ができて、生涯で4名の子を作り、その子の生き延びる確率が半分であるとしても、1000年後には、1兆人の子孫ができることになる。
 Y染色体は1000年で1兆倍に膨れ上がるのだ。だから、これを差別、選別の根拠にすることは、吉本の安売ジョークよりも白けることなのだ。

 天皇制皇族の身分差別、「様付け」で分かるように、日本社会というのは、科学的根拠を原理にした社会ではありえない。宗教的妄想を原理とした社会である。
 私にいわせれば、その科学さえも、権力者が自分に都合良く歪曲していて、科学ですら宗教の一分野に成り下がっているのだが。

 この意味で、資本主義社会に対する日本国民の価値観=観念も、宗教のレベルである。
 私は、霊能者を称する並木良和が本田健とタイアップして「金稼ぎセミナー」を開催していることにびっくりさせられたが、1980年代のバブル期以降、「金儲けだけがすべて」という新自由主義の価値観が、日本国民を浸食してゆく姿に絶望を感じ続けてきた。

 いったい、資本主義という「宗教」は、どうやって生まれたのだろう?
 それは、これまでもうんざりするほど書き続けてきたことなのだが、幼い頃から両親や学校教育で洗脳されてきた「競争選別」の価値観から産み出されたものだと私は思う。

 私は、団塊世代末期の生まれで、まだ1クラス50名近い、詰め込み教育世代なのだが、もう幼稚園の時代から、教育の主題は、何もかも競争と序列付けだった。
 お絵かき、国語、算数、何もかも点数がつけられ上位が褒められ下位が蔑まれる教育体制だった。運動会でも、かけっこで序列がつけられる。

 こんな競争と序列ばかりの「教育」を受ければ、一生の価値観の土台が築かれる幼児〜少年時代に、「人生の価値は、他人を蹴落として自分が競争上位に成り上がることだ」というように洗脳されてしまうのだ。
 こうした競争主義は、当時まだ戦前から生き残っていた、国威発揚を至上価値とする国家主義=軍国主義思想によるものだったかもしれない。
 「欲しがりません勝つまでは……」と、勝負第一主義が教育に生きていた。

 家に帰っても、他人を蹴落として自分が上位に上がることで両親から褒められた。当時、愛知国労の書記長をやっていた実父も同じ価値観だった。
 テストで点数が低ければ叱られた。高校は「一流」との世評が高いところを目指せとけしかけられた。
 このとき、私は労働運動や左翼運動の正体についても考えるところがあった。

 人間に、同じ人間として優しさ、暖かさをもって接する(利他主義)という価値観は、頭から否定された。ホームレス、乞食は忌むべき者と教えられた。とはいっても、祖母や母親たちは、戦傷軍人たちに涙して寄付を宛てていたが。

 「人の心優しさ、暖かさ」こそ、人間と生まれた最大の価値であると、その後の長い体験の上で、今では思い知っているのだが、競争教育のなかで育った当時は、他人を蹴落として成り上がることが人生のすべてだと勘違いさせられた時期もあった。
 私は、日本社会を動かしているものは「利己主義」であると理解した。

 だから利己主義としての資本主義が日本社会の原理になるのは当然のものと思い込まされていた。
 今、日本人が自分への不当な搾取を容認して、差別と序列をもたらす資本主義社会に疑問を持たない最大の理由が、幼い頃からの競争教育がもたらした「利己主義」であると私は確信する。

 その利己主義の極限が資本主義の行き着く先である新自由主義である。
 新自由主義者の正体は、脱税王竹中平蔵を見れば誰にでも分かることだ。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081263.html

 資本主義の行き着く先については、マルクス・レーニンが、「国家独占資本」という概念のなかで明らかにしてきた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%8B%AC%E5%8D%A0%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 資本主義の本質は「弱肉強食」である。より大きな資本が小さな資本を「恐慌」という自己矛盾によって貪欲に飲み込み続け、これ以上太れないほど太った姿が「国家独占資本」という段階で、それは巨大資本と国家の融合体であるというものだった。
 そして、今度は国家レベルで、「世界戦争」という自己矛盾によって巨大化してゆく。

 ユダヤ人フリードマンが1980年代に提起した「新自由主義」では、大きな資本が国家のあらゆる権力と干渉を否定して、グローバルスタンダードという経済自由主義の下で、「市場原理」だけに基づいた世界新秩序が成立し、国家そのものは廃棄されてゆく……というわけだ。
 これも、国家独占資本の形態ではあるが、主人公は国家ではなく巨大資本である。

 世界は「金儲け競争」を原理とし、経済秩序は、弱肉強食の市場原理だけに委ねるというのが、新自由主義の行き着く先である。
 こうすると、どんな世界ができあがるかというと、まさに弱肉強食による凄まじい差別序列社会が成立する。
 世界は、超大金持ちと、貧乏人階級だけの二極化世界になる。

 まさに、世界はそうなっていて、世界経済の9割を、地球上に2000万人しかいないユダヤ人の金融資本が取得し、残りの99.9%の人々は、超特権階級ユダヤ人に奉仕するためのゴイム(家畜)にすぎない社会がやってくる。
 まさに、タルムードに描かれているユダヤ人支配社会が実現するのだ。

 冒頭に紹介した、YouTubeコンテンツは、ユダヤ金融資本の持っている意味について、残念ながら理解が及んでいない。
 しかし、世界が二極化することを指摘している。
 ゴイム階級の人々は、15分都市、スーパーシティという畜産施設に閉じ込められて、これからユダヤ人のための家畜としての人生を送るのである。

 この根元にある本当の理由が、人間に序列をつける身分差別、人間は平等の仲間だと理解できない序列主義の価値観にあると、私はこのブログで叫び続けてきた。
 ゴイム社会を拒絶し、利他主義による「人情仲間社会」を作り出すには何をしたらいいのか?
 それは、差別と序列の愚かな意味を理解することである。