私の人生を振り返ってみれば、若い頃から「王様は裸だ!」と言うことに執着してきたような気がする。
 もし、「裸である事実に目をつむる」という、みんなの「暗黙の了解」があるとすれば、それは暗黙の秩序を破る行為であり、私は「秩序に従わない粗暴な跳ね返り者」として、秩序を守ろうとする人々から嫌われ続けた。
 いわば「暴走族」のような扱いだった。
 だから、「王様は裸だ!」と叫んだ瞬間から「社会の落ちこぼれ」が約束されたのだ。

 私は、「王様は裸だ」と言えない人たちを軽蔑し続けてきた。それは真実から目を背け、社会を合理的に変革するという意思を拒否する人たちだからだ。

 「裸の王様」についても、いくつもブログに書いている。以下は十数年前のもの。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2576529.html

 何が一番嫌だったかというと、上にリンクした「元号問題」だ。
 政府が発行する公文書、わけても運転免許証はじめ、ほぼすべての証明書に元号暦が使用されている。昨年交付された新しい免許証から、やっと元号と西暦の併記になった。

 このダブルスタンダードのせいで、いったいどれだけの人々が、免許の更新期限を見誤って、大変な目に遭わされただろうか?
 私も、今でも数年前の元号西暦転換ができなくて、文献引用に非常に困ることが多い。

 ただでさえ老齢化で、記憶が曖昧になり、正確な情報が年々思い出せなくなっているのだ。昨日もコメント欄に、ベトナム北爆はニクソンでなくジョンソンだと書かれてしまった。
 日常生活の、ほぼすべてに西暦が適用されているにもかかわらず、政府文書にだけ無意味な元号暦が使われていることは、容易に転換できない我々老人たちに対する悪意ある嫌がらせか犯罪だと思うしかない。

 なんで、政府が徹底的に世上無意味な元号暦に固執するのかといえば、もちろん天皇制を守りたい思惑が鮮明に浮き上がって見える。
 政府を支配している連中は、天皇制が大好きというより、天皇の権威を利用すれば、自分たちに権威があるように勘違いしてもらえると思っているらしい。

 自民党や維新党のかなり多くの議員が、現在の「象徴天皇制」ではなく、「実権天皇制」を目指しているらしい。
 それは、天皇主権を謳った戦前の大日本帝国憲法の復権運動である。
 https://www7.targma.jp/yasuda/2017/11/21/post1118/

 つまり国民の利便性に敵対して、元号制を死守しようとしている政府勢力は、天皇主権の大日本帝国憲法の復活を望んでいるのである。
 だから、無意味で邪魔で、人々を迷わせて大きな損害を与え続ける元号制の存続を守ろうとしている。これによって免許更新時期を間違えて大きな損失を被った人たちに、どう賠償するんだ!

 天皇制というのは、元号の使用によって、あたかも虚構でない、日常性があるかのように担保されている。
 さらに、メディアが、歳端も行かない幼児にさえ「様付け」してみせ、それが当然の倫理であるかのように日本国民に強要を続けてきた。
 「愛子ちゃん」と素直に言えば誰もが「ほっこり」するのに、あえて幼女にすら「愛子様」と強要することで、日本国民は皇族との間に、異様な緊張感を持たされることになる。

 もしもテレビでキャスターが、「様付け」を忘れたなら、皇族信奉マニアから一斉に攻撃がくる。たちまち番組を降ろされてしまうだろう。
 例えば、「様付けでなく、さん付けで呼ぶ」青木理など、「左翼」と決めつけられ、サンモニ以外のすべての番組から追放されてしまった。

 イギリスなんかは、チャールズとかリチャードとか、ごく普通に呼んでいるのだが。
 誰か他国の王族で、日本のように様付けしているのを聞いたことがあるだろうか?
 天皇制を守ろうとする勢力は、皇族が我々庶民とは生まれながらに違う「貴賤の差」があると決めつけて、我々の及ばない、特別な権威と権力を与えられるべきと思い込んでいるようだ。

 あたかも皇族は、歴史だけでなく物質的細胞レベルで、我々庶民とは別の人種であるかのように人々は洗脳されているのだ。
 これは、日本式の儒教の影響といっていいだろう。家康が林羅山らに命じて朱子学を導入したとき、「権力者は生まれながらに庶民に優越する貴さがある」と教育したが、400年を経て、いまだに生き残っているわけだ。

 だが真実は、皇族は、我々と物質レベルで何一つ変わらない「ただの人」であり、どんなに高貴を装って演出してみても、喜怒哀楽は人間であり、中身も人間であり、汗をかけば臭く汚くなるし、肉を食べてウンコをすれば一丁前に臭いのだ。
 ただ、宮内庁が無理矢理、位の高い人間を演じさせているだけである。

 秋篠宮佳子君は、皇族の中では例外的に可愛くて、人気があるのだが、残念ながら秋篠宮は明人天皇とは血のつながりはなく、安西孝之と美智子妹の恵美子との間にできた子で、美智子氏が胞状奇胎を出生して、医師から「もう世継ぎが産めない」と宣言されたことで、当時の池田勇人首相らが、秘密裏に美智子氏が出生したかのように装ったのだ。

 だから、その事実が、SNS、ツイッターなどでこれほどの規模で拡散された今、今後の情報伝播力と検証を考えて、秋篠宮は皇位辞退を表明している。
 おそらく、悠仁も佳子も真子も、数十年後には皇族を離脱しているだろう。
 まあ、天皇制を死守したい勢力は、皇室典範違反の指摘を恐れて、次期天皇を愛子ちゃんにすることは確実だと私は思っている。

 男系天皇の根拠とされるY染色体など、千年で一兆倍に拡散するのだから、根拠になるわけがない。次の皇族差別の根拠に何を持ち出すのか、楽しみで仕方がない。
 天皇がただの人にすぎない根拠など山ほどある。明治天皇は、ある日突然、孝明の実子、祐宮を知る者のいない東京に遷都し、北朝系譜だったはずなのに、南朝楠木正成の銅像を皇居に建てた。
 本当の理由は、明治新政府の思想的基盤になった平田国学が、南朝正統論を提示していたからだ。

 実は、大正帝は明治の子でないことがはっきりしている。実母、柳原愛子がもしも6尺豊かな力士だった明治帝、大室寅之祐の子を産んでいたなら、素晴らしい偉丈夫が誕生しただろうが、残念ながら彼は華奢で病弱、白痴とさえ蔑まれた。
 ホンモノの父親は、おそらく孝明の実子、祐宮だっただろうと噂されている。
 明治天皇に公家として唯一付き添った、孝明の妻、祐宮を生んだ中山慶子の実父だった中山忠能が、柳原愛子に祐宮の子を産ませたと考えるのが合理的である。

 天皇家のアラを探せば山ほど出てくる。これはでっちあげられた虚構の身分であり、中身は、我々と同じタダの人なのである。
 タダの人にすぎない皇族を、特別高貴な人間と思い込まされ「さん付け」して敬うという姿こそ、日本における「裸の王様」を端的に象徴している。

 裸にすぎない皇族たちが、素晴らしい着物を着て歩いていると、大衆が賞賛しているわけだ。
 「アホか!」と思わない人こそ異常なはずなのだが、今の若者たちから「アホか」という声は聞こえてこない。
  若者たちは、「王様は裸だ!」と言えないのだ。

 言えば、私のように、落ちこぼれ人生が約束される。見えているままに裸だと思っても、人生設計と社会秩序のために「黙っていよう」と考えてしまうのだ。
 今の若者たちにとって、テレビやメディア、学校で教えている価値観から逸脱することは、人生を毀損するに等しいと思っているのではないだろうか?
 与えられた「期待される人間像」のままに生きる姿が推奨されていて、企業の面談でも、当たり障りなく有利に採用してもらえると思っているのだろう。

 実は、皇族が、特別に尊敬されるべき人種として差別的に存在している現実は、天皇制を利用して国民を洗脳し、戦前の日本のように、支配者の思い通りに若者たちを戦場に送って、好き勝手に命を利用しようとする下心が見え透いている。
 若者たちの命を利用したい勢力が天皇制という虚構を必死に守ろうとしているのだ。

 もう一つ、逆に「タダの人にすぎないのに、特別な人種」と決めつけられることで、皇族たちの自由や人権が著しく侵害されている。
 佳子くんは自由に近所の竹下通りを歩くことさえできないし、真子君は、一挙一頭足を好奇心を煽るニュースとして利用されている。
 皇族の人権という観点から、我々は逆差別の恐ろしい人権侵害を許してはならない。

 若者たちは「要領のいい人生」世間渡りを求めているのかもしれない。
社会から評価されるためには、真実を言ってはならない。社会が迎合すべき価値が真実であって、見えている事実が真実ではないと考えているのではないだろうか?

 だから、こんな自分の価値観を世間的利益のためにに売り渡したかのような要領のいい若者たちに対し、社会秩序の原理は「弱肉強食の市場原理だ」と言い、それを強要しはじめたのが、自民党であり竹中平蔵である。

 2009年、リーマンショック後に起きた大企業の派遣臨時労働者の切り捨ては、小泉政権下で竹中平蔵が労働者を簡単に解雇し、社会保障も与えないとする改革によって起きた。
 竹中平蔵は、日本の労働者の4割を身分保障のない、ボーナスもろくに支給されない臨時派遣労働者=ルンペンプロレタリアートに貶めた。
 この労働者保護法の改悪によって、いったいどれほどの身分差別が起きているか理解しているだろうか?

 派遣臨時労働者は、生涯、それ以外の身分につけず、ボーナスや社会保障も劣悪な環境に置かれている。社内で、自分の自由なイノベーションも発揮できず、死ぬまで、いわば機械の一部品や奴隷のような扱いしか望めない。

 こんな人間性を抑圧する竹中平蔵の政策のせいで、現在、若者たちが闇バイトや振り込め詐欺に、向かうようになっているのだ。
 日本社会を本質的に取り返しのつかないほど悪化させているのは、竹中平蔵の新自由主義路線であると知る必要がある。

 私は、毎日のように叫んでいる。
 日本を良くしたければ、竹中平蔵ら新自由主義者を社会から駆除するしかない!