多くの人は、無自覚ではあっても超能力を持っている。
例えば、若い女性は、背中側にいる、見えないはずの人の視線を感じる能力を普通に持っている。山の中で小用で藪に隠れたとき、どこからか自分を見ている視線を強く感じることができる。直接言葉を交わさなくとも、相手の心がなんとなく分かる。
事故や災害など特別な事態になる少し前には、強い違和感と不安感を感じるのが普通だ。だから大地震の直前、今いる場所が崩壊するとき、強い恐怖感に襲われて、その場から逃げ出して命が助かることが少なくない。
誰でも、ほのかに未来が見えるのだ。
問題は、「そんなこと、あるはずがない」と中途半端な知識に囚われて、せっかくの予感を自分で打ち消してしまうことだ。これは論理的思考を信奉することに優越感を抱き、直感を軽視する男性に多い。そんな人は事故に遭いやすい。
こうした超能力は、予知能力とかテレパシーとかいわれるのだが、物理学や普通の科学では説明できない現象である。
私も同じで、相対する人が、私に対して何かを考えると、口をきかなくとも、考えていることが言葉になって私に聞こえることが少なくない。
また、今日、これから事故に遭遇するようなときは、朝からとても不快な気分が続く。なんで不快なのか分からないが、無意識に、これから起きることを感じているのだ。
こうした直感、予感、超能力を大切にしていれば、事故や事件に遭遇するリスクを減らせると私は思う。
それは、すべての人間が持っている能力だが、それを自覚してうまく利用できる人と、気づかない人、予断と偏見で自ら否定してしまう人の3種類に分かれる。
私は、若い頃から、この能力に気づいていた。
しかし、いつでも自由に使えるわけではなく、敏感に察知できるときと、まるで役に立たないときがある。能力に安定性がないのだ。
私は、若い頃から中津川市近郊の山歩きが好きで、名古屋からせっせと通っていたのだが、いつか、この街に住みたいと考えてきた。なんとなく朧に、将来、この街に移住してくるような予感があった。
2002年頃、登山の帰りに、私はぼーっと車を運転していると、突然、中津川に住むビジョンが見えた。なんだか、とても嬉しかった。
なお、予知予感というのは、基本的にビジョンなのだが視覚的なものとは違う。私の場合は、未来に自分が遭遇するであろう感情が基本なのだ。
将来、深い関係に進む誰かと出会うときも、そこで得る感情を予感することができて、もの凄く嬉しかったり、あるいは不快だったりする。
私が、近所のAに泥棒に入られても、加藤という蛭川駐在が一切取り合わず、むしろ私の被害妄想であるかのように決めつけたのだが、その後、通りがかったAの妻に「盗んだものを返せ!」と求めたとき、たまたま被害品を探すため鉈を持っていたことで、中津川警察に通報され、事実上逮捕された。
このとき、中津川署(担当は棚橋)は正規の取り調べを一切せず、私を精神病院に入院させようとした。事件ではなく、私を精神異常者に仕立てようとしたのだ。
一連の事件で、生涯最大の不快に苦しんだのだが、このときは、半月以上前から、連日連夜、異様に不快で締め付けられるような予感が続いた。自分の身に何が起きるのか恐ろしかった。
私は中津川警察の姿勢に激怒し、岐阜県警監察課や日弁連にも救済を求めたが、なぜか拒否された。警察は身内をかばい正当化しメンツを守りたい一心だった。
この事件は、すでに自費出版するための原稿を用意してあるのだが、肝心のAによる侵入の証拠が確保できていないため、辛抱強く待っている。
このまま風化させるつもりはまったくないが、私の予感が、もう少し待てと言っている。Aが、このまま大人しくしている人間でないことがわかりきっているからだ。たぶんこの男は、交通事故殺人だけでなく強盗殺人もやっているような気がしている。
私には、かすかで朧ではあるが、未来を予知できる能力があると思っている。
今見えている社会の現象が、どのように変化してゆくのか? 全体像が不鮮明ではあるが分かるのだ。
例えば、昨日、イランがイスラエルを攻撃したが、これも予想していたことだ。
イランは一過性で結着がついたようなことを発表しているが、とんでもない。イスラエルはガザ戦争で成功体験を重ねているので、100%イランに反撃を繰り返し、もう誰も止めることができない世界戦争へと発展してゆくに違いないと思う。
イスラエルという国は、数年以内に、世界から存在しなくなると確信している。
成功体験ほど恐ろしいものはない。日本は日清日露戦争に勝ったことで成功体験を得て、この増長が太平洋戦争の巨大で残酷な敗戦の原因になった。成功体験は、人をつけあがらせる。
秋田や富山の熊が人を襲って成功体験を得てしまうと、必ず同じことを繰り返すようになる。だから同じ熊が人殺しを重ね、それは駆除されるまで続く。
中国共産党も権力による大衆弾圧を繰り返し、これまで、それがすべて成功してしまったせいで、最期は恐ろしい大衆からの大反逆に遭うのだ。もう止めることなどできない。
中国共産党国家は、たくさんの成功体験のおかげで身を完全に滅ぼすのだ。
もう一度、予感予知に戻る、私は、2010年頃、運転中に、突然スリップしてガードレールに衝突するビジョンを見た。車に押しつけられて肩がきしんだ。
このビジョンは、2011年2月中旬、ほぼ100%完璧に実現してしまった。
凍結路でスリップして、左肩を4カ所も複雑骨折し、東日本大震災をベットの上で知ることになった。
これも何度か書いたのだが、転倒脳挫傷事故のため、あえて更新しなかった自動二輪免許を、十数年前に再取得していたのだが、ある日、私は青色のバイクに乗って、近所の道を走っていたとき、カーブで幅寄せしてきた大型トラックに巻き込まれるビジョンを見た。後輪のタイヤに挽きつぶされる姿が鮮明に見えた。
このときまで、自分が見たビジョンは、ほぼ実現していたので、これで私は自分の事故死を覚悟した。
だが、免許取得を中止し、なるべくバイクに乗らないようにしていたら、いつまでたっても事故は起きなかった。すでに10年以上を経過したので、もう外れとしても良いだろう。
「未来予知は、意思の力で変えることができる」
と私は確信した。予知はすべて完全に実現するわけではなかったのだ。
もしかしたら、私は、少しずつ運命の異なるパラレルワールドを、無意識に移動しているのかもしれないと思った。
理由は、私が死亡記事を確認したはずの有名人が生きていることでだ。例えば、記憶の中で、養老孟司とか、高見山大五郎とか著名人の訃報記事が記憶にあるのに、なぜか生きている記事が出てくるのだ。曙も、記憶のなかで、とっくに死んだことになっていた。
私は、未来を覗いていたのだろうか? それもパラレルワールドを移動したのか?
まあ、未来を予知する上で、一番見たいものは、この地球と人間社会、文明がどこに向かって行くのか、何が起きるのかということだ。
私は、十数年前まで、かなり未来がはっきりと見えていたのだが、あるときから、まるで見えなくなった。
自分自身に関するビジョンも見えなくなった。
ということは、もしかしたら未来が存在しないのかもしれない……と思うようになった。
私が死ぬのかもしれないし、人間社会=人類が滅亡するのかもしれないと思った。
人類滅亡の予言は、あまりにも多い。完全にいなくなるといより、大半の人が死んでしまうという予言ばかりなのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=dCq-mtOxzTo
出口王仁三郎も、大立て替えで、日本の人口は三分になると予言した。3割かと思ったら、3%だと言い直した予言もある。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5967194.html
またバババンガなどの外国の予言者も人口の大半が消えると予言している。
私も、これまで頻繁に予感があった未来のビジョンについて、数年前から、さっぱりビジョンが見えなくなっている。なぜ、未来が見えなくなってしまったのか?
もちろん、私は死と隣り合って生きているので、いつ彼岸に向かうのか切羽詰まった状態だが、むしろ、世界が存在しなくなるような予感がしている。
ただ、今、はっきりいえることは、原子力発電による放射能汚染と、PFASやネオニコチノイド農薬による汚染が人類の未来を閉ざしているということ。
そして、プーチンが核兵器を使用することをきっかけに、第三次世界大戦が起きて、本気の核戦争に発展するということ。
世界中のNBC兵器が本当に使われて、人類の生存環境を破壊することが約束されているということだ。
これによって地球文明が終わりを迎える。大多数の人類は滅亡するが、わずかな人々が生き残って未来を紡ぎ出す可能性があるということだ。
実は、このことは子供の頃から感じていた。
私は生涯独身で子供もいないのだが、なぜそうなったのかというと、子供を作って、そんな破滅的未来に遺すことに罪悪感を感じていたのかもしれないと思う。
「自分が作った子供を苦しませたくない」という予感による気分が、独身生活をもたらしたのかもしれない。
私と同じように、朧に未来が見える人はたくさんいるはずだ。みんな子供を作るときに、そんな未来に対する不安感があったのではないだろうか?
それは、北朝鮮社会で子供を産み育てるようなものであり、今の自民党日本社会で子供を育てるようなものだ。どうしても幸せな未来を想像することができないのである。
例えば、若い女性は、背中側にいる、見えないはずの人の視線を感じる能力を普通に持っている。山の中で小用で藪に隠れたとき、どこからか自分を見ている視線を強く感じることができる。直接言葉を交わさなくとも、相手の心がなんとなく分かる。
事故や災害など特別な事態になる少し前には、強い違和感と不安感を感じるのが普通だ。だから大地震の直前、今いる場所が崩壊するとき、強い恐怖感に襲われて、その場から逃げ出して命が助かることが少なくない。
誰でも、ほのかに未来が見えるのだ。
問題は、「そんなこと、あるはずがない」と中途半端な知識に囚われて、せっかくの予感を自分で打ち消してしまうことだ。これは論理的思考を信奉することに優越感を抱き、直感を軽視する男性に多い。そんな人は事故に遭いやすい。
こうした超能力は、予知能力とかテレパシーとかいわれるのだが、物理学や普通の科学では説明できない現象である。
私も同じで、相対する人が、私に対して何かを考えると、口をきかなくとも、考えていることが言葉になって私に聞こえることが少なくない。
また、今日、これから事故に遭遇するようなときは、朝からとても不快な気分が続く。なんで不快なのか分からないが、無意識に、これから起きることを感じているのだ。
こうした直感、予感、超能力を大切にしていれば、事故や事件に遭遇するリスクを減らせると私は思う。
それは、すべての人間が持っている能力だが、それを自覚してうまく利用できる人と、気づかない人、予断と偏見で自ら否定してしまう人の3種類に分かれる。
私は、若い頃から、この能力に気づいていた。
しかし、いつでも自由に使えるわけではなく、敏感に察知できるときと、まるで役に立たないときがある。能力に安定性がないのだ。
私は、若い頃から中津川市近郊の山歩きが好きで、名古屋からせっせと通っていたのだが、いつか、この街に住みたいと考えてきた。なんとなく朧に、将来、この街に移住してくるような予感があった。
2002年頃、登山の帰りに、私はぼーっと車を運転していると、突然、中津川に住むビジョンが見えた。なんだか、とても嬉しかった。
なお、予知予感というのは、基本的にビジョンなのだが視覚的なものとは違う。私の場合は、未来に自分が遭遇するであろう感情が基本なのだ。
将来、深い関係に進む誰かと出会うときも、そこで得る感情を予感することができて、もの凄く嬉しかったり、あるいは不快だったりする。
私が、近所のAに泥棒に入られても、加藤という蛭川駐在が一切取り合わず、むしろ私の被害妄想であるかのように決めつけたのだが、その後、通りがかったAの妻に「盗んだものを返せ!」と求めたとき、たまたま被害品を探すため鉈を持っていたことで、中津川警察に通報され、事実上逮捕された。
このとき、中津川署(担当は棚橋)は正規の取り調べを一切せず、私を精神病院に入院させようとした。事件ではなく、私を精神異常者に仕立てようとしたのだ。
一連の事件で、生涯最大の不快に苦しんだのだが、このときは、半月以上前から、連日連夜、異様に不快で締め付けられるような予感が続いた。自分の身に何が起きるのか恐ろしかった。
私は中津川警察の姿勢に激怒し、岐阜県警監察課や日弁連にも救済を求めたが、なぜか拒否された。警察は身内をかばい正当化しメンツを守りたい一心だった。
この事件は、すでに自費出版するための原稿を用意してあるのだが、肝心のAによる侵入の証拠が確保できていないため、辛抱強く待っている。
このまま風化させるつもりはまったくないが、私の予感が、もう少し待てと言っている。Aが、このまま大人しくしている人間でないことがわかりきっているからだ。たぶんこの男は、交通事故殺人だけでなく強盗殺人もやっているような気がしている。
私には、かすかで朧ではあるが、未来を予知できる能力があると思っている。
今見えている社会の現象が、どのように変化してゆくのか? 全体像が不鮮明ではあるが分かるのだ。
例えば、昨日、イランがイスラエルを攻撃したが、これも予想していたことだ。
イランは一過性で結着がついたようなことを発表しているが、とんでもない。イスラエルはガザ戦争で成功体験を重ねているので、100%イランに反撃を繰り返し、もう誰も止めることができない世界戦争へと発展してゆくに違いないと思う。
イスラエルという国は、数年以内に、世界から存在しなくなると確信している。
成功体験ほど恐ろしいものはない。日本は日清日露戦争に勝ったことで成功体験を得て、この増長が太平洋戦争の巨大で残酷な敗戦の原因になった。成功体験は、人をつけあがらせる。
秋田や富山の熊が人を襲って成功体験を得てしまうと、必ず同じことを繰り返すようになる。だから同じ熊が人殺しを重ね、それは駆除されるまで続く。
中国共産党も権力による大衆弾圧を繰り返し、これまで、それがすべて成功してしまったせいで、最期は恐ろしい大衆からの大反逆に遭うのだ。もう止めることなどできない。
中国共産党国家は、たくさんの成功体験のおかげで身を完全に滅ぼすのだ。
もう一度、予感予知に戻る、私は、2010年頃、運転中に、突然スリップしてガードレールに衝突するビジョンを見た。車に押しつけられて肩がきしんだ。
このビジョンは、2011年2月中旬、ほぼ100%完璧に実現してしまった。
凍結路でスリップして、左肩を4カ所も複雑骨折し、東日本大震災をベットの上で知ることになった。
これも何度か書いたのだが、転倒脳挫傷事故のため、あえて更新しなかった自動二輪免許を、十数年前に再取得していたのだが、ある日、私は青色のバイクに乗って、近所の道を走っていたとき、カーブで幅寄せしてきた大型トラックに巻き込まれるビジョンを見た。後輪のタイヤに挽きつぶされる姿が鮮明に見えた。
このときまで、自分が見たビジョンは、ほぼ実現していたので、これで私は自分の事故死を覚悟した。
だが、免許取得を中止し、なるべくバイクに乗らないようにしていたら、いつまでたっても事故は起きなかった。すでに10年以上を経過したので、もう外れとしても良いだろう。
「未来予知は、意思の力で変えることができる」
と私は確信した。予知はすべて完全に実現するわけではなかったのだ。
もしかしたら、私は、少しずつ運命の異なるパラレルワールドを、無意識に移動しているのかもしれないと思った。
理由は、私が死亡記事を確認したはずの有名人が生きていることでだ。例えば、記憶の中で、養老孟司とか、高見山大五郎とか著名人の訃報記事が記憶にあるのに、なぜか生きている記事が出てくるのだ。曙も、記憶のなかで、とっくに死んだことになっていた。
私は、未来を覗いていたのだろうか? それもパラレルワールドを移動したのか?
まあ、未来を予知する上で、一番見たいものは、この地球と人間社会、文明がどこに向かって行くのか、何が起きるのかということだ。
私は、十数年前まで、かなり未来がはっきりと見えていたのだが、あるときから、まるで見えなくなった。
自分自身に関するビジョンも見えなくなった。
ということは、もしかしたら未来が存在しないのかもしれない……と思うようになった。
私が死ぬのかもしれないし、人間社会=人類が滅亡するのかもしれないと思った。
人類滅亡の予言は、あまりにも多い。完全にいなくなるといより、大半の人が死んでしまうという予言ばかりなのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=dCq-mtOxzTo
出口王仁三郎も、大立て替えで、日本の人口は三分になると予言した。3割かと思ったら、3%だと言い直した予言もある。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5967194.html
またバババンガなどの外国の予言者も人口の大半が消えると予言している。
私も、これまで頻繁に予感があった未来のビジョンについて、数年前から、さっぱりビジョンが見えなくなっている。なぜ、未来が見えなくなってしまったのか?
もちろん、私は死と隣り合って生きているので、いつ彼岸に向かうのか切羽詰まった状態だが、むしろ、世界が存在しなくなるような予感がしている。
ただ、今、はっきりいえることは、原子力発電による放射能汚染と、PFASやネオニコチノイド農薬による汚染が人類の未来を閉ざしているということ。
そして、プーチンが核兵器を使用することをきっかけに、第三次世界大戦が起きて、本気の核戦争に発展するということ。
世界中のNBC兵器が本当に使われて、人類の生存環境を破壊することが約束されているということだ。
これによって地球文明が終わりを迎える。大多数の人類は滅亡するが、わずかな人々が生き残って未来を紡ぎ出す可能性があるということだ。
実は、このことは子供の頃から感じていた。
私は生涯独身で子供もいないのだが、なぜそうなったのかというと、子供を作って、そんな破滅的未来に遺すことに罪悪感を感じていたのかもしれないと思う。
「自分が作った子供を苦しませたくない」という予感による気分が、独身生活をもたらしたのかもしれない。
私と同じように、朧に未来が見える人はたくさんいるはずだ。みんな子供を作るときに、そんな未来に対する不安感があったのではないだろうか?
それは、北朝鮮社会で子供を産み育てるようなものであり、今の自民党日本社会で子供を育てるようなものだ。どうしても幸せな未来を想像することができないのである。

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