「宗教はアヘンだ」と決めつけたのは、マルクス主義の有名なテーゼだ。だが、私はそれは「マルクス教という宗教の教義」だと思う。
 「マルクス主義は科学だ」とマルクス主義者たちは述べてきて、「科学だから真実だ」という理屈で、マルクス主義は権威づけられ、正当化されてきた。

 マルクス主義は、約170年前に登場してから、社会思想の一大潮流をなし、地球上の人口の数割を占める国家に適用された。だが、私の知る限り、マルクス主義が人々を幸せにしたという記憶、歴史的事実はほどんどない。

 レーニン・スターリン・毛沢東・そして宮本顕治や志位和夫の時代でも、共産党員が幸福で信頼にあたいする人物であった記憶は存在しない。
 むしろ、人類史上最悪の大量殺人者として君臨したのだ。あの史上最悪の殺戮者として知られるポルポトだって実はマルクス主義者なのだ。

 マルクス主義が理不尽に住民を殺戮した被害者の数は、たぶん、スペインの南米侵略、イギリスの北米侵略をも、はるかに上回るだろうし、その総数が億の単位を下ることはない。毛沢東一人だけで億の人々を死なせている。(大躍進運動・文革)
 マルクス主義者の大量殺戮は、異邦人だけではなく、むしろ同胞に対して行われた。
 スターリンが殺した同胞ソ連人の数は、たぶん数千万人を超えるだろう。
 https://www.msz.co.jp/book/detail/07705/

 私は、かつてマルクス主義者だった。高校に入って社会科学研究会というクラブで、私はマルクス主義のオルグを受けた。
 そこには、手垢にまみれたたくさんのマルクス主義文庫本が置かれていた。共産党宣言、空想から科学へ、家族国家私有財産の起源、などで、これらを数冊読みふけって、学習会で討議を交わせば、一丁前のマルクス主義者の誕生だった。

 私の若い時代、とりわけマルクス主義が勢いを増した理由は、アメリカのベトナム戦争への独善的で傲慢、残虐な姿勢が社会問題になっていたからだ。私は、本多勝一らの新聞記事を読んでアメリカによる暴虐に対して怒り狂っていた。
 当時勃興した新左翼のベトナム反戦デモに、はせ参じていた。

 それは、アメリカの資本主義に本質的な問題があるように見えた。だから、それに対抗できるものは、当時、存在したソ連や中国のコミンテルン=共産主義による世界的連帯しかないと信じた。
 実は、同じ時期にスターリンや毛沢東による同胞大虐殺が進行していたのだが、それは報道されず、私も知らずに、中国の毛沢東思想こそ、人間社会の理想郷であると洗脳されてしまった。

 私は「人民に奉仕する」という毛沢東思想に感激し、毛沢東バッジを胸につけて、誇らしく街を闊歩していたのだが、まさに、そのとき、毛沢東は、「雀を殺せば稲が増収する」と思いついて、大規模な雀壊滅作戦を行わせた。
 結果、雀が食べてくれていた稲の害虫が凄まじい勢いで大繁殖して収穫が全滅し、数千万人の人々が餓死する結果になった。

 この無知蒙昧な政策を批判した劉少奇らに対し、毛沢東は「実権派」のレッテルを貼って弾圧し、「文化大革命」なる大衆運動を起こして、中国の指導的なインテリ階級を引きずり出して批判し、やはり数千万人の人々を死なせた。
 私は、その真実を見抜けず、相変わらず毛沢東を救世主として崇めていた。

 後に私は、マルクス主義を信奉する観念というものは、統一教会で文鮮明を信奉する観念と何一つ変わらないことに気づいた。
 つまり、マルクス主義とは、統一教会やオウム真理教や、幸福の科学のような宗教と本質的にまったく同じ、宗教運動であることに確信を持った。

 その本質は、「みんなで対等の対話して考える」民主主義を否定し、「優秀な指導者に従っていれば良い結果が生まれる」というドグマであった。
 別の言い方をすれば、宗教もマルクス主義もファッシズムの一種だったのだ。

 「優秀な指導があれば良い結果が生まれる」
 これが宗教やマルクス主義の本質である。「優秀さが人類を救う」という思い込み=妄想こそが、地球社会、人類社会のもっとも大きく、本質的な間違いであると、私は確信するに至った。

 マルクス主義思想の核心的教義の一つに、「一党独裁」がある。
 これは教書の一つである「ゴータ綱領批判」に明記されているのだが、この思想=テーゼこそが、マルクス主義・共産主義を地獄に堕とした核心部分だと私は思う。

 なぜ一党独裁なのか? それは「党が優秀だから」という屁理屈が根拠になっている。「優秀な指導者が党を指導する」これも必然的帰結であり、「優秀」という錦の御旗を掲げれば、党と指導者の独裁が永遠にも続くのだ。

 例えば、日本共産党の志位和夫が委員長に就任し、23年間もの独裁が成立した。ちょうど、ベラルーシのルカシェンコ独裁と同じ期間であり、プーチンも同じだ。他の社会主義、共産主義国家でも似たような長期独裁が成立している。

 理由は「優秀だから」の自画自賛しかない。長期間トップにいれば、たくさんの利権や権力が集まってくるから、周囲も、そのおこぼれを狙ってヨイショしかしなくなる。
 だから、独裁というものは、すればするほど、ますます長期にわたるものなのだ。
 志位和夫は、党規を踏み外す失態を隠蔽しようとしたので、とうとう独裁権力を明け渡すことになったが、後継者には自分の息のかかった田村智子を据えた。

 田村智子もまた、一党独裁による権力集中を守ろうとしている。日本共産党は、一党独裁を「民主集中制」と言い換えているが、「優秀な指導者が党を支配する」というファッシズム思想を堅持している。

 マルクスが、どんな理由で「ゴータ綱領批判」のなかで一党独裁を主張し、それをレーニンが継承したのか? それが習近平やルカシェンコ、志位和夫の独裁につながったのか?
 という問題の根本には、マルクスがユダヤ人であり、ユダヤ教徒だったことと深く関係している。マルクスはユダヤ教という「アヘン」に埋没していたのだ。
 https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/513/files/KJ00000188679.pdf

 ユダヤ教のラビの家庭に生まれたマルクスは、当然、13歳にバルミツバという成人儀礼を受けている。それは旧約聖書トーラー五書の一部を暗唱するものだったが、その後、口伝タルムードの洗礼を受ける。
 このことを知る者はユダヤ教徒しかいないのだが、タルムードは、そのあまりに独善的で傲慢な選民主義のため、他民族から激しく批判されていて、ユダヤ教徒は、それを文書化することができなかったのだ。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828398.html

 タルムードは、「ユダヤ人は神の選民」であり、ユダヤ人だけが人間であって、他のすべての民族は、ユダヤ人に奉仕するためのゴイム(家畜)であると教える。
 マルクスもまた、ユダヤ人は神に選ばれた優秀な民族であり、他に超越すると洗脳され続けてきた。マルクス主義の両輪といわれるフリードリッヒ・エンゲルスもまたユダヤ人だった。レーニンもそうだし、ロシア革命の主体であるボルシェビキ党の、ほぼ全員がユダヤ人だった。

 つまり、マルクス・エンゲルスの共産主義は、ユダヤ教タルムードの選民主義の上に構築されていたのだ。
 だから「優秀な人間が支配する党が独裁を行えば良い結果が生まれる」と信じていた。
 「優秀さ」というのが、人間を区別し、序列化し、差別する根源の価値観になっていた。これがマルクス主義という宗教の根底に鎮座しているのである。

 日本社会は「優秀」という価値が、すべてを定めるテーゼとして君臨してきた。
 優秀でないものは排除し、殺される。だから障害者は、子供を作る基本的人権を持っていないと決めつけられ、数万人の人々が、同意のないまま強制不妊手術を受けさされられた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E4%BD%93%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95

 この障害者強制不妊手術法=優生保護法を定めたのは誰だったのか? それはマルクス主義の薫陶を受けていた日本社会党の加藤シズエ・福田昌子・太田典礼らの社会党議員だった。
 そしてマルクス主義の本家、ドイツでは、40万人の障害者が「国の役に立たない」と決めつけられ、ガス室に送られて殺戮されるT4作戦が実行された。
 これを行った主体であるナチスも、実はマルクス主義と無縁ではなかった。

 マルクス主義は、「選ばれた優秀な人間」が指導するのである。それは一党独裁の名の下の独裁政権でなければならない。
 まさに日本共産党は、宮本顕治・志位和夫という「優秀な」独裁体制を構築して、それぞれ数十年の独裁を行った。
 だが、結果は、現在の日本共産党の現状は、彼らの優秀さを見事に反映しているだろう。

 世界のマルクス主義国家は、人民の反感をかって、80年も持たずに地上から消える運命が約束されている。
 これが「優秀」という価値観のなれの果ての現実なのだ。

 私は、能登震災の避難民を都会に集団移転させよという「優秀な」米山隆一について合理化を信奉するだけのファッシズムだと批判している。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6114659.html
 このような優秀な人物は、必ず他人の意見を軽視する独裁に向かうものだ。だから狡猾な東京電力の仕掛けたハニートラップに簡単に引っかかって県知事を追放され、柏崎原発の再稼働を許そうとしているのだ。

 優秀を自称する人々よ、あなたは決して優秀ではない。他人の意見を漏れなく聞き、みんなで、あらゆる意見を知り、みんなで最大公約数を実現する民主主義を理解できない人は、みんなの納得する幸せな未来など作り出すことはできないのだ。