原子炉級の核分裂物質は、ウラン235が4%程度、残りはウラン238(劣化ウラン)で、ウラン238の一部は中性子を浴びてプルトニウム239に変化して核分裂に寄与する。

 核分裂を引き起こす物質は、ウラン235、プルトニウム239が代表で、他に劣化ウランに中性子が当たり続けるとプルトニウム240が生成され、自発核分裂を引き起こすが原子炉の運転には有害であるため、核燃料の完全利用は不可能である。
 同じくトリウム232に中性子が当たると、ウラン233になり核分裂の性質を持つ。(トリウム原子炉)

 ほとんどの原子炉では、ウラン235・239の核燃料とともに、劣化ウランに中性子を当てて生成されたプルトニウム239が60%程度のMOX燃料が使われている。
 これを、そのまま核兵器に転用すると制御できない核爆発を引き起こす可能性があるため、核兵器の場合は、プルトニウム239を94%の純度に精製して使用する。

 なお、MOX燃料は20%強程度しか核分裂を利用できない。理由は、核分裂の進行とともに、プルトニウム240が生成され、運転が不安定になるとともに、白金族が生成されて、再処理して兵器用などに再利用することが困難になるためだ。

 励起された核分裂物質が残っているため、莫大な崩壊熱が発生するので、使用済みMOX燃料は、使用済みウラン燃料の数十倍〜数百倍の冷却期間が必要になる。
 だから、使用済みMOX燃料を自然対流の空冷で冷やすのは事実上、不可能だ。
 使用済みウラン燃料が10〜50年の強制冷却期間であるのに対し、プルトニウムMOXの冷却には500年を必要とする。
 https://www.kyuden.co.jp/nuclear_pluthermal_answer_12.html

 100度以下に鎮熱し、強制冷却の終わった使用済み核燃料は、有害放射能成分が消えるまで、さらに10〜100万年の間、深く掘られた恒久処分場で管理する必要がある。
 とうてい人類が管理できる長さではない。保管の間に、関連企業や国家が消えてしまうだけでなく、人類も滅亡してしまうだろう。
 残された有害放射能は、地球環境に拡散され続ける。

 こうした使用済み核燃料は、まだ十分な核分裂能力を持っているため、いつでも臨界事故の危険性を持っている。
 臨界というのは、核分裂物質のなかで中性子濃度が増えて反応することで起きる。
 ウラン235とプルトニウム239・240は、自発核分裂という現象を起こすので、一定の中性子濃度を持っている。
 それが「臨界濃度」に達すると、勝手に核分裂が始まり、莫大なエネルギーと放射線を放出するようになる。その規模が大きければ「核爆発」になる。

 使用済み核燃料の通常の保管では、臨界が起きないよう配慮された分散保管が行われている。ところが、大地震などの揺れで核燃料キャスクが1カ所に集まってしまったり、水素爆発などで圧縮されてしまったときに、中性子濃度が臨界条件に達してしまう可能性がある。
 福島第一原発3号機では、水素爆発によって核燃料が圧縮されたことで、臨界濃度に達し、小さな核爆発(即発性臨界爆発)が起きてしまった。
 https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12866411473.html

 https://www.youtube.com/watch?v=LPiyVSdQnRE

 このため、余裕のない施設に使用済み核燃料が置かれていた、柏崎原発は、再稼働のために、数十年にわたって蓄積していた使用済み核燃料を、外部に持ち出すしかなく、このために「中間貯蔵施設」が建設され、使用済み核燃料を移動させている。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6165164.html

 「臨界」と簡単にいうが、日本は1999年に世界最大級の深刻な臨界事故を引き起こした。それが住友JCO事件である。
 この事件は、臨界事故の残酷さを余すところなく示し、人々を恐怖に陥れた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85

 1999年9月30日、JCO東海事業所の核燃料加工施設内で核燃料を加工していた最中、ウラン溶液が臨界に達して核分裂連鎖反応が発生し、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で多量の中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となったほか、667名の被曝者を出した。

 事故原因は核燃料の加工工程において、JCO側が事故防止を重視した正規のマニュアルではなく「裏マニュアル」を作成して作業を行うなどの杜撰な管理を行った上、事故前日より作業の効率化を図るためその「裏マニュアル」からも逸脱した手順で作業を行っていたためであった。

 事故後、法人としてのJCOと、JCO東海事業所所長を始めとした6人が起訴されて裁判で刑事責任を問われた他、JCOは内閣府から加工事業許可取り消し処分を受け、ウラン再転換事業の廃止を余儀なくされた。

 国際原子力事象評価尺度 (INES) でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)に相当する事故である。
 (アマ註=IAEAが認定したレベル4はインチキ、実際にはレベル5だ)
 以下は、2000年の記事から引用
 http://www.asyura2.com/sora/bd10/msg/803.html

 JCO事業所外120mの場所で仕事をしていた大森昭一さんの証言 「臨界事故被害者の会」代表世話人の大泉昭一さん(72)は現在、原因不明の皮膚のかゆみと炎症に苦しんでいる。臨界事故発生当時、JCOから120メートルしか離れていないところにある職場で仕事をしていた。
 大泉さんは、事故後、腕の皮膚に水膨れが繰り返しできた上にケロイド状になり、顔はいつも酒を飲んでいるかのような赤ら顔になってしまった。また、少し体を動かす仕事をしただけで下痢になり、ひどい時には脱水症状に至るばかりか、40度にも及ぶ発熱を伴うこともある。

 事故の前日まで元気だった妻(61)は、事故の翌日から始まった下痢で5日間にもわたって苦しみ、食事も満足に取れない状態となったことに加え、胃潰瘍になった。事故のショックから精神的にも参ってしまい、寝たきりの状態がしばらく続いた。今も妻は2週間に1度、精神病院に通っている。ただ、病名は単に「鬱病」とされている。事故でそうなったのは明らかだから、その旨を診断書に書いてもらおうと大泉さんが医師に頼んだところ、「作為行為になるからできない」と応じてもらえなかった。

 「医者が診断書に書けるのは、その診断時の体の状況だけ。たとえ被曝していることが事実であっても、診断書で事故との因果関係にまで言及してもらうことなど、我々被害者にとっては至難の業。それをわかった上でJCOは『医者に診断書を書いてもらえ』などと言う」(大泉さん)

 よって現在、体の不調を訴える被曝住民たちの声は、事故との因果関係を認めた医師の診断書が提示されていないことを理由に、JCOはおろか国からも黙殺されている。当然、被曝住民への医療費の補償も全く実施されていない。事故を起こして死亡した2人のJCO職員には我が国最高レベルの手厚い医療と看護が施された一方で、事故の巻き添えで被曝させられた住民に対してはこの仕打ちとは……。

 ひとたび原子力施設で大事故が起きれば、被災した周辺住民はこれほど過酷な目に遭わされるのである。
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 一部引用以上

 IAEA原子力災害評価では、広範囲に影響の及んだ原子力災害はレベル5とされているが、日本政府と原子力規制委員会は、事故をひどく矮小化し、影響を小さくみせる悪質な作為を繰り返した。
 この事故で、20Km近く離れた民家の塩に中性子が飛んだことが、ナトリウム24検出から確認された。
 https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h28kisoshiryo/h28kiso-02-02-01.html
 http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/880.html

 なお中性子は、RBEという線質評価(係数)でガンマ線の20倍の危険性があると定められている。このことはJCO事故の被害で追証されたといえるだろう。
 現在、多治見市で行われている核融合実験でも、中性子が外部に漏れ出たり、上空の大気に反射して周辺地域を被曝させている可能性があるが、隠蔽されている。

JCOでは1999年度に、高速増殖炉の研究炉「常陽」で使用される核燃料(濃縮度18.8 %、ウラン濃度380 gU/リットル以下の硝酸ウラニル溶液、約160リットル)の製造を請け負っていた。
1999年9月、まずウランの精製作業が中旬から28日まで行われ、翌29日より硝酸ウラニル溶液の均一化作業が始まった。

 9月30日、転換試験棟にてJCOの作業員たちが、硝酸ウラニル溶液を沈殿槽にバケツで流し込む作業を行っていた。午前10時35分ごろ、7杯目をバケツで流し込んだところ、沈殿槽内で硝酸ウラニル溶液が臨界となり、警報が鳴動した。
 (アマ註=このときJCOは規定マニュアルを勝手に無視して、効率優先のためデタラメな方法に変えていた。中性子は、容器の水を反射材として臨界濃度まで高まった)

 沈殿槽は言わば「むき出しの原子炉」の状態となり、短時間の被曝で致死量に達する猛烈な中性子線が発生し、建物内部だけにとどまらず事業所の敷地外にまで拡散した。
 同11時15分、臨界事故の可能性ありとの第一報がJCOから科学技術庁に入る。しかしJCOは消防に対する通報では原子力事故である旨を伝えなかったため、出動した救急隊員はそのような認識をもたず救助活動を行い、放射線被曝することになった。

 JCOのわずか400 m北側には常磐自動車道の東海パーキングエリアがあり、ここの利用者も放射線被曝の危険にさらされていた。行楽シーズンの昼間であり、常磐自動車道を閉鎖するまでには大勢の観光客が出入りしていた。

 現地では事故現場から半径350 m以内の住民約40世帯への避難要請、500 m以内の住民への避難勧告、10 km以内の住民10万世帯(約31万人)への屋内退避(10 km圏内の屋内退避要請の発表は20時30分頃、その要請が解除されたのは翌10月1日の16時30分頃であった。)および換気設備停止の呼びかけ、現場周辺の県道、国道、常磐自動車道の閉鎖、JR東日本の常磐線・水戸 - 日立間、水郡線本線・水戸 - 常陸大子間、水郡線常陸太田支線・上菅谷 - 常陸太田間の運休、自衛隊への災害派遣要請といった措置がとられた。

 一方、国の現地対策本部ではタンクの冷却水を抜く方策の検討に入っていた。臨界事故の現場は極めて高い放射線量であり、生きた人間が接近するのは極めて危険な状態である。「自衛隊が遠くから沈殿槽を射撃できないだろうか」との案も出たが、最終的には冷却水の配管を人力で破壊する案が採用された。
10月1日未明、冷却水の配管切断作業がようやく始まる。JCO幹部や従業員は放射線被曝の恐怖から何度も作業に消極的になり、誰も臨界事故を収束させようとする作業をしなかったが、現場に派遣された原子力安全委員会委員長代理の住田健二が、「私には命令権はないが、…やる気がないのであれば関係各方面に連絡して強権を発動して命令することになる。ただし、そうなれば…時間がかかるが、そんなことをやってよいのだろうか」と促した。

 その結果「うちが起こした事故は、うちで処理しなければならない」と、選抜されたJCO社員18人が2人1組で3分を限度に現場に向かうこととなった。
まず1組目が臨界事故の現場に向かったが作業するためにJCOから貰った図面と現場の沈殿槽の位置が異なっており(図面では沈殿槽は壁から約1 m 離れた位置にあったが、実際は約30 cmしか離れていない位置にあった)直ぐに帰還アラートが鳴ったため確認したところ、計測された線量が当初の予定の2倍になっていた。

 計画では3分間で交替する予定だったが、これを受けて作業時間の限度を1分間に短縮して次の2組目以降が順次、臨界事故現場に向かい、冷却管の破壊、アルゴンガスを注入して冷却水を抜く、ホウ酸を沈殿槽に投入する、といった作業を行ったところ、急速に線量が低下]。連鎖反応を止めることに成功し、臨界は収束した。
 中性子線量が検出限界以下になったのが確認されたのは、臨界状態の開始から20時間経った10月1日の朝6時30分ごろであった。

 JCOは燃料加工の工程において、臨界事故防止(臨界安全)を重視した正規のマニュアルではなく、「裏マニュアル」に沿って作業をしていた。

 この事故では、3名の作業員が推定1グレイ以上の多量の放射線(中性子線)を浴びた。(アマ註=ガンマ線なら20シーベルトになる)
 作業員は急性放射線症候群になり、ヘリコプターで放射線医学総合研究所(以下「放医研」)へ救急搬送され、うち2名は造血幹細胞移植の関係から、東京大学医学部附属病院(東大病院)、および東京大学医科学研究所付属病院(東大医科研病院)に転院し、集中治療室での医療が施された。

 3名の治療経過や、本事故において被曝した者の経過は、それぞれ以下の通り。
 作業員A(35歳) 16 - 20 GyEq 高線量被曝及び染色体破壊、一時心臓停止による多臓器不全 1999年12月21日・23時21分死亡
 作業員B(39歳) 6.0 - 10 GyEq 高線量被曝及び染色体破壊、MRSA感染による肺炎、多臓器不全 2000年4月27日・7時25分死亡
 作業員C(54歳) 1 - 4.5 GyEq 高線量被曝 治療により回復、1999年12月20日退院
 JCO
















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一部引用以上

 上の画像は、JCOで臨界中性子線を浴びた作業員。2名が致死線量の数倍を浴びた。
 おそらく周辺住民も、200ミリシーベルトを被曝させられた人が多いので、事故から数十年間は、いつでも発癌リスクを抱えている。
 大森昭一夫妻の消息を探したが、分からなかった。近隣住民の死亡率が上がったはずだ。

 実は、311フクイチ事故の被曝量は、もっと凄まじいもので、数千名規模の死者を出しているはずだが、政府(民主党政権=細野豪志・枝野幸男)は、津波被災の死者に紛れ込ませて、被曝死を徹底的に隠蔽した。彼らはベトナム原発輸出の主役だったからだ。
 以下は、311から一ヶ月して、大熊町に千名近い放射能汚染された遺体が放置されているという、共同通信記事。
 (記者が「死後被曝」と原子力産業に忖度しているが、ありえないことだ)

ookuma



























 
 私の調査で、フクイチ事故における被曝直接死は2000名を超えている。さらに今後数十年で、数十万人が発癌死する可能性がある。
 また、フクイチ事故の放射能は世界に拡散し、被曝した3ヶ月齢胎児、数百万人が流産死した可能性がある。
 2011年の流産総数(人格を認定されない周産期前胎児)は隠されているが、凄まじいものだと予想している。
 チェルノブイリやフクイチのような原発事故の後、世界中で流産が激増するのである。

 今回、「臨界事故」を取り上げた理由は、日本に高レベル核廃棄物、数十万トンが蓄積されているのだが、保管方法によっては、震災の揺れで集積してしまったり、水素爆発で圧縮を受けたりすることで、中性子濃度が臨界に達して、JCO事故と同様の臨界事故が発生する可能性があることを知ってほしいからだ。

 これは柏崎原発だけでなく、日本中の原発で同じことが起きている。大量に貯まった核廃棄物、高レベル使用済み核燃料の恐ろしさを知ってほしい、
 それは大震災のとき、集積したり圧縮されたりすることで、突然臨界を起こす性質を持っている。問題は中性子濃度=臨界条件だけなのだ。