袴田事件再審で、裁判長は、捜査当局が、冤罪を作る悪意によって証拠を捏造したと明確に認定した。
 警察・検察のメンツは丸つぶれになったので、検察は、袴田さんの老衰死による公訴棄却を狙うしかメンツを保つ手段がなくなってしまっている。

 「裁判を引き延ばしていれば、そのうち袴田さんが死ぬだろう……」
 袴田さんが死ねば、なにごともなかったように、事件は風化し、人々は警察検察の冤罪捏造も忘れてゆくという思惑で、47年の服役と、58年間にも及ぶ裁判引き延ばしを図ってきたのだ。
 その間に、袴田さんには、「世界最長の死刑囚」というギネス認定まで与えられた。

 世界中の批判を浴びて検察が上訴する可能性は相当に大きい。その上訴期限は三日後の10月10日だ。世界最長の刑事裁判という特異性によって、もはや世界中が注視する裁判になり、日本司法の異常性が世界に晒される歴史的な機会になっている。
 それほど日本の司法は腐りきっている。何せ、起訴されたときの有罪率は、2022年で99.97%だった。

 裁判官は、ろくな審議もせず、盲目的に検察を信用して、起訴されれば有罪という結論を出す世界でも類を見ない偏向裁判が日本で続いている。
 カルロス・ゴーンが逃亡したのも当然という、世界世論が形成されるにちがいない。

 袴田さんの事件は、1966年の夏に起きた。実は、事件直後から、周囲の多くの人たちが、犯人は一家惨殺のなかで、ただ一人生き残った長女だと考える人が多かった。
 しかし、当時の静岡県警の捜査官は、勝手な見込み捜査で冤罪事件を多発させていた紅林麻雄だった。彼は、拷問王とも異名をとり、被疑者を拷問し無理矢理自白を引き出すことで知られていた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%9E%97%E9%BA%BB%E9%9B%84
 
紅林が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。
 その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決確定後、再審第一審にて無罪判決)などの冤罪事件を生む温床ともなった。(ウィキペディアより引用)

 警察は、自分たちを守る「村仲間意識=悪党たちの連帯」が強固なので、当時の捜査官の氏名は公開されていないが、紅林麻雄による拷問=冤罪が、犯罪摘発手法として共有されていたことは間違いない。
 袴田事件を担当した元捜査員は、無罪判決後、テレビ局の取材に対し、頑なに発言を拒否した。
  https://www.sut-tv.com/news/day/29214/
 彼の態度を見ると、この捜査員が味噌樽衣類の証拠捏造を実行した犯人だったかもしれない。

 なぜ、このような不正で非人道的な捜査が行われていたかという考察をするなら、それは、上下関係の序列が徹底された組織では、真実よりもメンツを優先させる儒教社会が成立するからと私は考えている。

 現在も、企業も含む、ほとんどの組織で無条件な「上意下達の序列」が最重要規律とされているのだが、わけても苛酷な組織として、警察、自衛隊、消防などが挙げられる。
 こうした人間関係では、地位の序列が最大の価値であって、真実や合理性の価値ははるか下位の問題である。上がシロといえばシロであり、クロと決めればクロなのだ。

 だから、必然的に、硬直した序列重視組織では、強引な不正や差別が横行することになり、組織員は、合理性よりも保身を第一に考え、序列の価値観のなかで大きなストレスを抱えることが避けられない。
 真実を重視するべき人間性が、序列によって無理矢理ねじ曲げられるのだから、鬱憤がたまらないはずがない。

 だから警察のような儒教的組織では、人間性がねじ曲がってゆき、冤罪の捏造を不正とする真実追究の価値観=人間性も崩壊させられてゆく。
 警察官としての権力を利用して、鬱憤を晴らしたいホンネが、人間性にタテマエとホンネの二重構造を強要してゆくのだ。

 真実追究よりも、見せかけの事件解決の方がはるかに高い価値を持ってしまい、だから袴田事件のような冤罪が続々と生産される。
 そして冤罪製造に対する感覚が麻痺した警察官は、簡単に本当の犯罪に手を染めてしまうのだ。

 鹿児島県警本部長による隠蔽工作と、告発者弾圧は記憶に新しいが、比較的、新しい警察官犯罪を調べてみても、我々が驚愕するような実態が浮かび上がってくる。

 中野警察署警部補 飲酒しタクシー料金払わず運転手暴行か逮捕 10月06日
 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20241006/1000109746.html

 大阪府警豊中署の20代警察官を逮捕 自転車を走行中のタクシーに投げて破損の疑い 10/6(日)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/d6219701950d64cb9a8140eef32b4fcd60d28631

 このような事件は、私の若い頃まで、証拠が容易に確保できないことが理由で、警察に告発しても、ほとんどもみ消されてきた。警察官が仲間を守ろうとする意識は、尋常ではなく、同じ警官なかまの犯罪なら、「どうやってもみ消そうか」を最初に考えるのだ。
 だが、この20年くらい、人々が記録媒体を日常的に持ち歩くことが常識化したので、証拠を無視することができなくなったことが、警察官犯罪が増えたように見える原因である。実態は、たぶん以前と変わっていない。

 実は、私自身が警察の捜査放棄と仲間のかばい合い、犯人隠匿の姿勢に被害に遭っていることは、何回もブログに書いた。私自身の問題も解決していないので、まだ、これからあらゆる手段で、警察の不正行為を糾弾してゆきたいと決意している。
 私の場合は、近所のAというプロ泥棒が、あまりにも警戒心が強く、狡猾巧妙なので手を焼き、時間がかかってしまっている。

 警察官による冤罪が、どれほど人を苦しめるかについて、過去にたくさんのブログを書いてきた。袴田さん事件は、その究極の姿だが、久間三千年さんの飯塚事件のように救済されず処刑されてしまった例も少なくない。
 こうなると、警察という組織はマフィア、暴力団と本質的に違いはない。警察=司法が久間さんを殺害した本当の理由も、私は福岡県警内部にあった硬直した序列関係による人間性崩壊だと考えている。

 極悪、大阪府警の闇 2018年08月27日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828252.html

 人質司法 2019年01月31日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081143.html

 松橋事件と西山美香事件、再審無罪の意味 2019年03月29日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081202.html

 警察官が捏造した犯罪 2020年02月01日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827662.html

 いまだ続く、医師と警察官の犯罪でっちあげ妄想による誤認逮捕と起訴 SBS症候群 2020年09月25日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827497.html

 乳腺外科事件(柳原病院事件)2020年11月24日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827465.html

 人権侵害・無視の嵐が吹き荒れる日本・アメリカ 2023年07月30日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6057169.html

 大川原化工機事件と人質司法 2024年03月20日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6120673.html

 知的障害者に対する極悪冤罪事件 2024年05月26日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6136150.html

 鹿児島県警での不祥事、前代未聞の報道への権力介入 2024年06月12日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6140038.html

 警察という治外法権の極悪集団 2024年07月07日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6145850.html

 上に挙げた告発は、私のブログの一部にすぎない。私は自分が警察の被害者になってから、私自身の受けた被害が一つも解決できていないので、オトシマエのつけようがなく、焦って警察問題を書き続けているのだが、結局、私は、警察冤罪問題の本質は、警察の体質の問題であり、それはすぐれて日本の組織、序列に共通する真実よりもメンツを優先する体質から出てくる問題だと思い知らされている。

 もしも、警察という組織が、権威主義を検証し、「メンツよりも真実が大切」という原点に立ち返り、組織内の序列による人間性破壊を更生できるなら、警察官の犯罪や、冤罪製造問題も本質的解決できると確信している。
 警察組織には民主化が必要であり、序列以外の秩序が必要なのだ。

 警察内部の階級制度は明治オイコラ警官時代=封建時代の腐った遺物であり、警察にとって有害無益である。
 代わって、階級でなく専門性を評価する秩序を作るべきだ。メンツでなく、権威による威圧に依存するのではなく、真実が評価される組織に変えなければならない。それも今すぐにだ。

 警察官は、組織内の不合理な階級序列から産まれる圧迫にうんざりしても、それを一般大衆に対し、権力権威をひけらかすことで代償しようとする。
 それが威圧的な権威主義を生み、メンツのために冤罪を捏造する本質になっている。
 警察の民主化というのは、何よりも不合理な階級主義をただちに廃止することが必要なのだ。

 上から与えられた階級ではなく、内部から自発的に産み出された尊敬を土台にした関係にする必要がある。しょせんペーパーテストでしかない階級など、実践的には無意味だ。努力と経験の価値の方が、序列よりもはるかに価値が高い。
 組織の序列秩序ではなく、人々に尊敬される能力の秩序が必要なのだ。

 我々の社会が求めているものは、ペーパーテストによる階級とメンツの完成ではない。どれだけ人間を大切ににし、人々に愛されているか、安心感を与えられるかという能力である。
 学歴ではなく、能力なのだ。問題を正しく解決できる能力が尊ばれ、指導的地位に就かねばならない。
 それが実現できれば、警察官も、警察組織に誇りを持てるようになり、冤罪を作ってまでメンツを保とうとする悪徳警官も消えてゆくだろう。